川柳誌「バックストローク」は2003年1月に創刊された。年4回の発行をきちんと積み重ね、現在すでに33号まで出ている。「バックストローク」の特徴は、雑誌の発行と大会などのイベントとを連動させることによって「現代川柳の運動体」ともいうべき役割を果たしていることである。今年は4月9日に「第4回バックストロークおかやま大会」、9月17日には「バックストロークin名古屋」と二つの大会が予定されている。今回はこの雑誌の足かけ9年の歩みについて、大会で語られた印象的な言葉を中心に振り返ってみることにしよう。
1 「この句のどこが悪意なの?」と広瀬ちえみは言った。
発行人の石部明は創刊と同時に大会を開くことを考えていたという。「バックストロークinきょうと」は2003年9月に開催。テーマは「川柳にあらわれる悪意について」、パネラーは石田柊馬・広瀬ちえみ・樋口由紀子・筒井祥文・松本仁。パネラーの一人である広瀬ちえみの代表句に次の作品がある。
もうひとり落ちてくるまで穴はたいくつ 広瀬ちえみ
まるで不条理演劇を見るような作品である。司会はこの句を取り上げて、これこそ悪意の句ですねと水を向けたのに対して、広瀬は「この句のどこが悪意なんでしょうか」としれっと反問したのには驚いた。「悪意っていうのは、自分の核のようなところに潜んでいるんだ」とも彼女は言った。
2 「人間というものは気をつけていないとすぐ真面目になってしまう」(渡辺隆夫)
「バックストロークin東京」は2005年5月に開催。テーマは「軽薄について」。司会・堺利彦、パネラーは浅沼璞・中西ひろ美・渡辺隆夫・畑美樹であった。
渡辺隆夫は基調報告で「京都の〈悪意〉の対句として、お江戸の〈軽薄〉とは大変いい組み合わせだ」と語った。隆夫が「軽薄」の例句として挙げたのは次のような作品。
屋根から落ちて賑やかに死ぬ 武玉川・十八篇
この花を折るなだろうと石碑みる 柳多留・十篇
婚礼はおやもむすめも痛いこと 末摘花・初篇
秋さびしああこりゃこりゃとうたへども 高柳重信
犯した少女の靴ぺったんこぺったんこ 北野岸柳
二枚舌だから どこでも舐めてあげる 江里昭彦
渡辺の発言の白眉は「人間というものは気をつけていないとすぐ真面目になってしまう」と述べたところ。「バックストローク」誌で確かめてみたところ、テープ起こしには載っていないが、妙に記憶に残っている。聴衆からは「エエかげんにせえよ」の野次も聞かれたが、渡辺隆夫に興味をもつ人は(もたないかも知れないが)、第5句集『魚命魚辞』をひもといていただきたい。
東京大会の懇親会には「豈」の筑紫磐井・池田澄子などが応援に参加し、今は亡き長岡裕一郎も来てくれたことを思い出す。
3 「俳句の場合、解釈の手がかりとして季語があるが、それがない川柳の場合は自由な反面どう読んでいくのだろうか」(渡辺誠一郎)
「バックストロークin仙台」は2007年5月開催。テーマは「川柳にあらわれる虚について」。パネラーは小池正博・渡辺誠一郎・Sin・石田柊馬・樋口由紀子。
俳誌「小熊座」の渡辺誠一郎は「空蝉の軽さとなりし骸かな」(片山由美子)という句を取り上げて、作者は「骸」(むくろ)を「空蝉の死骸」として詠んだというが、「人間の亡骸」と解釈することもできると述べた。この発言から句の「読み」ということを改めて意識させられた。
川柳では大山竹二に次の句がある。
かぶと虫死んだ軽さになっている 大山竹二
この句はかぶと虫を詠んでいるのではなくて、作者の病涯を詠んでいるのである。俳句の読みと川柳の読みに差異はあるのか、ないのかという問題である。
あのとき訪れた仙台も今回の震災で大きな影響を受けた。一日も早い復興を祈っている。
4 「作者の『私』に信頼が置かれていない。誰かに考えさせられ、誰かに書かされているのではないかという疑いと不安の中で、信じられる瞬間的なことしか書けなくなってきている」(彦坂美喜子)
「バックストロークin大阪」は2009年9月開催。シンポジウムのテーマは「私のいる川柳/私のいない川柳」。司会・兵頭全郎、パネラーは小池正博・彦坂美喜子・樋口由紀子・吉澤久良。
それまでの3回の大会を受けて、このときのテーマは川柳の「私性」の問題を正面から取り上げた。彦坂の報告は現代短歌の私性を語ることによって川柳を照射するものであった。
現在の「バックストローク」の理論水準は、こうしたシンポジウムや大会の経験の上に成り立っていることを改めて感じる。
5 「自分が選ぶときに大きな基準があることがわかりました。それはその句が社会にどれだけ貢献しないかということです」(佐藤文香)
2007年7月に〈『石部明集』の出版を祝う会〉が開催され、その二次会の席上で石部は「岡山川柳大会」の構想を明らかにした。こうして「第1回BSおかやま川柳大会」が翌2008年4月にスタートする運びとなった。スピーチ「あなたの意見で川柳は変わる」(石部明)。
以下、「第2回BSおかやま川柳大会」(2009年4月)、鼎談「寺尾俊平と定金冬二の世界を語る」(石田柊馬・石部明・樋口由紀子)。「第3回BSおかやま川柳大会」(2010年4月)対談「石部明を三枚おろし」(司会・小池正博 樋口由紀子・石部明)。
「BSおかやま川柳大会」の売りは同一の題について2人の選者による共選が1題設定されていることである。昨年の第3回は佐藤文香・石田柊馬共選。このとき佐藤文香の発言は川柳人にとってもインパクトのあるものだった。その余波はいまも続いていて、石田柊馬は「バックストローク」33号で次のように書いている。
〈「自分が選ぶときに大きな基準があることがわかりました。それは、その句がこの社会にどれだけ貢献しないか、ということです。風刺はともすると社会の役に立ってしまう。真面目にでも奔放にでも、遊び上手な作品に魅力を感じるということです」。これは一人の俳人が自分の俳句をどのように認識しているかというところから、川柳を照射してくれた言葉と言える〉
6 「だし巻き柊馬」?
さて、「第4回BSおかやま川柳大会」が2週間後に迫っている。鼎談「だし巻き柊馬」で今回は石田柊馬が俎上に上る。
「バックストローク」では石田柊馬が毎号、同人作品評を書いている。ただ盲点は、柊馬自身を評することができない点である。石部明はそのことを随分気にしていたので、「バックストローク」27号では「石田柊馬をやっつけろ」という特集を組んだ。その際に柊馬論を書いた中から、今回は清水かおりと畑美樹が石田柊馬と鼎談をする。
また、関悦史と草地豊子の共選も見どころである。関悦史は震災にもかかわらず参加、川柳人との交流が楽しみである。
今秋には「バックストロークin名古屋」が9月に開催されることになっている。シンポジウム「川柳が文芸になるとき」(小池正博・樋口由紀子・畑美樹・荻原裕幸・湊圭史)。
現代川柳はひとつの文学運動になりうるだろうか。
0 件のコメント:
コメントを投稿