2011年3月11日金曜日

アヴァンギャルドと伝統

岡本太郎の話題を最近よく目にする。生誕100年ということらしく、「芸術新潮」3月号で特集されているし、東京国立近代美術館では「岡本太郎展」が始まった。大阪難波の高島屋で岡本の壁画が修復され展示されたニュースも記憶に新しい。川柳界では太郎の両親を詠んだ句「かの子には一平が居たながい雨」(時実新子)が有名である。岡本太郎と言えば「アヴァンギャルド」。今回は『岡本太郎著作集』(講談社)を読みながら、アヴァンギャルドの精神について考えてみたい。

拙著『蕩尽の文芸』(まろうど社)でも触れているが、終戦直後、「夜の会」という集まりが花田清輝と岡本太郎によってはじめられた。岡本が自転車に乗って花田のところに訪ねていったのが両者の邂逅だったというのは、いかにも戦後間もないころの雰囲気を感じさせる。けれども、『岡本太郎著作集』第1巻・埴谷雄高の解説によると、花田の本を読んで感心したことを岡本が「人間」(当時発行されていた雑誌)の編集者に話すと、それを伝え聞いた花田がさっそく岡本の家を訪れたのだという。
昭和22年夏、「夜の会」は銀座の焼け残ったビルの地下ではじまった。このビルのことは椎名麟三の『永遠なる序章』にも描かれている。参加者は花田・岡本のほかに椎名麟三・梅崎春生・野間宏・埴谷雄高・佐々木基一・安部公房・関根弘など。ここから戦後の文学運動が始まったのである。

『岡本太郎著作集』に話を戻すと、第1巻には『今日の芸術』『アヴァンギャルド芸術』などが収録されている。『今日の芸術』は今読んでもとてもおもしろい。たとえばこんな調子で書かれている。

〈 1953年、パリとニューヨークで個展をひらきました。出発するまえ、私はある場所で講演をしたのですが、いろいろ話をしたあとで、聴衆の一人から、「こんどあちらへ行かれて、何を得てこられるでしょうか?」という質問が出ました。「いや、こちらが与えに行くんです」と、私が返事をしたら、満場がドッと笑いました。私はきわめてマジメに言ったのに、意外にも大笑いされて腹だたしくなりました 〉

また、戦後間もないころ、岡本は惰性的な画壇を身をもって打ち壊そうとして、新聞に爆弾的芸術宣言を書いた。曰く、「絵画の石器時代は終わった。ほんとうの絵画は私からはじまる」―この原稿を読んだあるジャーナリストが「こんなものを活字にしたらたいへんだ。悪いことは言わない。おやめなさい」と忠告した。岡本は「だれかがやらなければ何も始まらない」と逆にそのジャーナリストを説き伏せた。ジャーナリストは感動し、「私はあなたといっしょに飛び出して死にたくはないが、しかし味方です。ぜったいに援護射撃はします」と誓い、握手をして別れた。援護射撃は結局なかったが。

さて、『今日の芸術』で岡本太郎が提唱した芸術三原則は次のようなものである。

うまくあってはいけない。
きれいであってはいけない。
ここちよくあってはならない。

岡本はアヴァンギャルドとモダニズムを厳しく区別している。

〈 芸術は、つねに新しく創造されねばならない。けっして模倣であってはならないことは言うまでもありません。他人のつくったものはもちろん、自分自身がすでにつくりあげたものを、ふたたびくりかえすということさえも芸術の本質ではないのです。このように、独自に先端的な課題をつくりあげ前進していく芸術家はアヴァンギャルドです。これにたいして、それを上手にこなして、より容易な型とし、一般によろこばれるのはモダニズムです 〉

これと対応して岡本の言説で注目すべきは、「技術」と「技能」を区別していることだ。

〈 技術は、つねに古いものを否定して、新しく創造し、発見していくものです。つまり、芸術について説明したのと同じに、革命的ということがその本質なのです 〉
〈 技能は、まさに技術とは正反対の性格をおびています。古いものを否定してどんどん前進していくのではなくて、同じことを繰りかえし繰りかえし、熟練によって到達するのが技能です 〉

そして、岡本の芸術論の核心をなすのが「対極主義」である。抽象芸術の合理性とシュールレアリスムの非合理主義という二極をともに精神の中にかかえこもうというのである。両者の中間をとるというような中庸・折衷ではない。次に引用するのは『アヴァンギャルド芸術』の一節である。

〈 私はこれを対立する二極として一つの精神の中に捉え、しかもそれらを折衷、妥協させることなく、いよいよ引き離し、矛盾、対立を強調すべきだと思うのです。そこに真に積極的な新しい芸術精神の在り方を見いだすのです。それは決して機械的に分離することではありません。〉

「対極主義」は花田清輝の「楕円」にとてもよく似ている。
このようなアヴァンギャルド・岡本太郎が「伝統」というものに対峙するとどうなるだろうか。岡本が縄文土器を高く評価したことはよく知られている。弥生ではなく、縄文なのである。そのほか岡本が評価するのは光琳である。パリでアヴァンギャルド運動に参加していた岡本は、ラテン区の本屋のショーウインドウで光琳の「紅白梅流水図」を見て衝撃を受ける。岡本は光琳についてこんなふうに述べている。

〈 明快さの裏には、技術的に、また精神的に、のっぴきならない矛盾をはらんでいる。はげしい対立を克服して、いちだんと冴えた緊張があり、不動に見える相のもとには、生まなましい傷口が私には感じとれるのです。またあのような鋭さは、逆説的な方法によってこそ生かされていることも知らなければなりません 〉
〈 それはほんとうに革命的に創りだされる芸術の、絶対的な条件とさえいえる。その根本的な矛盾こそ、いつの時代のも、人間を生命の底からゆすって動かすのです 〉

ここにも彼の対極主義的な見方があらわれている。
私が高校生だった1970年ごろ、岡本太郎の「秋田」や堀田善衛の「インドで考えたこと」は現代国語の教科書の定番だった。のちに椎名誠が「インドでわしも考えた」を書いたのは堀田の文章のパロディである。
「秋田」は岡本の『日本再発見―芸術風土記』に収録されている文章だが、その最後に毎年秋田を訪れる一人の紳士との出会いが描かれている。

「それではあなたは人生の敗北者ですね」とぶしつけに言った。
「そうです。私みたいになっちゃ、いけません」うなずいた彼はむしろ嬉しそうだった。

この文章を教えた国語の教師は「こんなことを言う方がアホじゃ」と岡本のことを罵った。
岡本太郎著作集の第4巻には『日本の伝統』『日本再発見』などが収録され、岡本の伝統との対峙の仕方がうかがえる。『日本再発見』では秋田・長崎・出雲のほか京都や大阪にも来ている。

アヴァンギャルドはモダニズムとは違う、ということを岡本は繰り返し説いている。
近世に生まれた川柳は近代をくぐりぬけて現代的展開を目指している。
岡本と並ぶもうひとりのアヴァンギャルド・花田清輝の「前近代を否定的媒介にして近代を超克する」というテーゼは果たして現代川柳にあてはめることができるだろうか。

画家・岡本太郎の最高傑作は「傷ましき腕」(1936年)だろう。しかし、岡本太郎の精神に直接触れたい人は万博公園を訪れてみればよい。太陽の塔がそこに立っている。

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