2010年12月10日金曜日

川柳・今年の10大ニュース

早いもので今年もあと3週間になりました。2010年を振り返り、10大ニュースを選んでみました。もとより川柳の世界全体を見渡したものではなく、極私的なものであることをお断りしておきます。

①「Leaf」創刊 1月
新年早々に川柳同人誌「Leaf」が創刊された。同人は吉澤久良・清水かおり・畑美樹・兵頭全郎。4人とも「バックストローク」同人であるが、畑美樹は「バックストローク」編集人、清水かおりは「川柳木馬」の編集人、兵頭全郎は「ふらすこてん」編集人でもある。吉澤久良は「Leaf」の発行人となった。それぞれ作品発表の場を持ちながら、個としての4人が新たな川柳活動の拠点として新誌を立ち上げたことに注目される。その創刊理念は「互評」であるが、この点については、当欄でも「Leafはクローズドな柳誌なのか」で触れたことがある。また、6月の「1+1の会」において吉澤と兵頭による創刊の経緯についての報告があったが、「ナニ、互評をやりたいために創刊したのか」と口の悪い参加者たちから集中砲火を浴びせられることになった。批判も無視も糧にして、やがて川柳の次世代を担うであろう彼らにはどんどん前へ進んでいってほしい。年2回発行で、現在第2号まで出ている。次の3号が真価を問われるところとなるだろう。

②「週刊俳句」まるごと川柳号 3月7日
「週間俳句」3月7日号は「バックストローク」プロデュースによる、まるごと川柳号。石部明・石田柊馬・渡辺隆夫・樋口由紀子・小池正博・広瀬ちえみの作品と川柳小説「小島六厘坊物語」(小池)、「川柳に関する20のアフォリズム」(樋口)、「おしゃべりな風―絵本と川柳」(山田ゆみ葉)、「フィールドに立つ裸形のことば」(湊圭史)から構成。作品と湊の評論は「バックストローク」30号に転載される。まるごと川柳号を機に、「MANO」掲示板のカウンターが一気にまわるかと期待されたが、そういうこともなかった。

③「グループ明暗」ラスト句会 3月
3月21日に「グループ明暗」のラスト句会が豊中市立市民会館ホールで開催された。参加者約80名。「明暗」は定金冬二の「一枚の会」を継承する形で平成9年に発足した。前田芙巳代は岡橋宣介の「せんば」を経て冬二とともに川柳活動を続けた。「せんば」→「一枚の会」→「グループ明暗」という現代川柳のひとつの流れは、ここでひとまず途絶えたことになる。
当日の作品は「明暗」39号(2010年5月発行)に掲載されている。

④「第四回バックストロークおかやま大会」 4月
2007年にはじまったこの大会も今年で四回目を迎えた。参加者約90名。
第1部「石部明を三枚おろし」では、発行人・石部明が自らの川柳歴と川柳の現状について、縦横に語った。
第2部・川柳大会の選者はくんじろう・松永千秋・前田一石・井上せい子・平賀胤壽、共選は佐藤文香・石田柊馬。佐藤文香の「その句がこの社会にどれだけ貢献しないか」という選句基準は大いに反響を呼んだ。
大会の記録は「バックストローク」31号に掲載。

⑤「ハンセン病文学全集」第9巻「俳句・川柳」 7月
「ハンセン病文学全集」全10巻(皓星社)が7月に刊行された「俳句・川柳」編で完結した。この全集は1980年代半ばに企画され、鶴見俊輔・大岡信・加賀乙彦・大谷藤郎の四人が責任編集を務めた。2002年から刊行が始まり、「俳句・川柳」編では田口麦彦が川柳の選と解説を担当した。収録された約4000句は1940年から2003年までに発表された作品群。

麻痺の手に計れぬ重さ小鳥の死
故郷の米洗った水も花へやり
里帰りわたしの村を通るだけ
生きよ生きよ玉菜に肉を包みこむ
本名捨てて人間回復とは何か

⑥第2回木馬川柳大会 9月
9月19日、高知パレスホテルにて開催。
第1回大会が2004年だから6年ぶりの開催である。
事前投句の合評が行われ、林嗣夫(詩誌「兆」主宰)・石田柊馬・吉澤久良の三人によって選と句評が述べられた。選句基準が異なり、選ばれた句も三人それぞれで、違いが際立ったところが興味深かった。
句会に移り、選者は松永千秋・前田ひろえ・原田否可立・小笠原望・古谷恭一。
高知は独自の文学空間であり、その中心に清水かおりがいる。「Leaf」の刊行、木馬大会の成功、『超新撰21』への参加と、この人の活躍から目が離せない。

⑦詩のボクシング全国大会でくんじろうが優勝 10月
7月17日に「詩のボクシング」三重大会で優勝したくんじろうが、10月16日の全国大会でも見事チャンピオンの栄冠に輝いた。詩の朗読という分野でくんじろうが川柳の存在感をアピールした意味は大きい。
なかはられいこはかつて「朗読」というフィールドに打って出ようとしたが、その試みは途中で消えてしまった。くんじろうは全く違った角度から朗読の世界に登場した。「違った角度」というのは語弊があるかもしれない。くんじろうは「川柳」自体の素顔のままで「朗読」フィールドに乱入したのである。彼の朗読は五七五の定型を基本とし、共感と普遍性に基づくこれまでの川柳の書き方を踏襲している。現代詩にあわせて自分を捨てるのではなく、そのまま自己の川柳を持ち込んだのである。これはある意味でコロンブスの卵であった。
今後くんじろうはどのような方向に進んでいくだろうか。
10月から彼は「北田辺句会」を始めて、川柳の普及に努めている。来年も独自の存在感を発揮することだろう。

⑧s/c ゼロ年代50句選
9月に湊圭史が立ち上げた「短詩型サイト」s/cは川柳を中心に短詩型文学の作品・評論・鑑賞を精力的に掲載している。特に〈川柳誌「バックストローク」50句選&鑑賞〉は今年の彼の重要な仕事となった。
この50句選には経緯があって、発端は「現代詩手帖」6月号に「ゼロ年代の短歌100選」「ゼロ年代の俳句100選」が掲載されたことによる。また、高山れおなは「豈Weekly」で独自の100選を発表し、それには評まで付いていた。これらの動きを横目に眺めながら、それでは川柳でも「ゼロ年代の100選」はできないものか、という問題意識が生まれて、湊が自分でやってみようとしたのである。ただ、句集があまり刊行されず、作品が流通しにくい川柳界では全体を展望することが困難なので、「バックストローク」一誌に限定して、作品数も50にしぼったということだろう。
これがこの川柳人を代表する句だろうか?と首をかしげる部分も湊の選にはあるが、彼の50句選を契機として、ゼロ年代の川柳を振り返ってみる作業は必要だし有益でもあるだろう。

⑨『麻生路郎読本』
川柳六大家のひとり麻生路郎についての資料を網羅した一冊。柳誌「川柳塔」は「川柳雑誌」の時代から数えて1000号となり、それを記念して発行された。これで一昨年の『番傘川柳百年史』とあわせて、関西川柳界の両巨頭である路郎・水府、および「川柳塔」「番傘」の歴史が展望できるようになった。
路郎・水府ともにそれぞれの個人史があり、特に若き日の川柳活動にはさまざまな可能性がある。そういう紆余曲折を経て、彼らは「路郎」あるいは「水府」になったのであり、あとに続く者は彼らの権威を鵜呑みにしてはいけないだろう。後進は彼らを乗り越えて進むべきであるし、後進を最も痛烈に批判するものは先人がそれぞれの時点で残した言動であるはずだ。もし「伝統」に意味があるとすればそういう作業を通じてであって、そのための貴重な資料が出揃ったことになる。

⑩『超新撰21』発行 12月
昨年話題になった『新撰21』の続編。『新撰21』がunder40だったのに対して、『超新撰21』は年齢制限がunder50だという。川柳人では清水かおりが入集している。本書の発行がやや遅れ、本日の時点でまだ手元に届いていないので、来週の時評で改めて取り上げることにしたい。

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