昨年『現代連句集Ⅳ』(日本連句協会)の編集にたずさわって、現代連句の歴史を改めて振り返ってみる機会をえた。連句に対する関心は潜在的に広がっている。小津夜景は『現代連句集Ⅳ』にエッセイを寄稿していて、連句実作の経験をふまえてこんなふうに書いている。
「連句を始めて以降、俳句を作ったりエッセイを書いたりしていると、そのたびに『ううむ、連句に教わった所作や技術ってこんなにも応用が効くんだ!』としみじみ思うし、わけても発想の飛ばし方を学び、また実践するといった訓練によって得たものは本当に多い」(「連句の愉しみ」)
また古楽器演奏者の須藤岳史と小津の往復書簡『なしのたわむれ』(素粒社)の「おわりに」では「この往復書簡は『対話』ではなく、連句の付けと転じによる『響き合い』の作法に則ったほうがよさそうだ」と気づいたことに触れられている。対話というものは凡庸な芝居に走りやすく、正反合のスペクタクルになりがちだけれど、そもそも対話というものはすれ違いが美しいもの、嚙み合わない瞬間にこそきらきらしたせつなさがこぼれると彼女は言っている。これって連句の呼吸そのものではないだろうか。
『現代連句集Ⅳ』には堀田季何も寄稿している。堀田は「楽園俳句会」を主宰していて、連句の心得がある。小澤實の「澤」の系統の俳人には連句に関心のある方が多い。「楽園」の連句会には、日比谷虚俊などの若手連句人もいる。
ほしおさなえは『連句年鑑』令和五年版にエッセイ「言葉の園で出会ったもの」を寄稿している。彼女は『言葉の森のお菓子番』(大和書房)の作者で、小説には連句の場面が描かれている。連句との関わりについて、カルチャーセンターの連句講座(講師は村野夏生)を受講したことを述べたあと、エッセイではこんなふうに書かれている。
「その後カルチャーセンターの講座は閉じてしまったのですが、村野先生の連句会に参加するようになり、連句の世界に夢中になりました。会のメンバーはわたしよりずっと年上の方ばかりだったのですが、皆さん信じられないくらい教養があるのです。それも皆さんそれぞれさまざまな職業で活躍されている方なので、大学人のような浮世離れした教養ではなく、清濁合わせた生きた教養と言いますか、パワフルで癖の強い方が多くて、気圧されることばかりだったのですが、その席で耳にした話はいまもずっと心の中に残っています」
1977年、わだとしお(村野夏生)は、月刊俳諧誌「杏花村」創刊。今年「杏花村」バックナンバーのコピーを入手したが、山地春眠子『現代連句入門』(1978年杏花村叢書。1987年再版・沖積舎)に収録されている連句作品は主として「杏花村」第一巻・第二巻に掲載されたものである。1985年、「杏花村」は100号で終刊。東京義仲寺連句会は「風信子の会」(村野夏生・別所真紀子)、「馬山人の会」(高藤馬山人・川野蓼艸)、「水分会」(真鍋天魚)などに。「風信子」はのちに村野夏生の「あゝの会」と別所真紀子の「解纜」に分かれる。ほしおさなえが参加した連句会は「あゝの会」である。
「杏花村」1978年5月号は〈高橋玄一郎追悼〉号。同号には東明雅の追悼文も掲載されている。《「―先生、黒色火薬はどうしましたね。爆発しますかね?」、これは高橋玄一郎さんが、時折私をからかった言葉である。黒色火薬とは新しい俳諧〈連句〉とその理論のことであった。私どもはこれを作りあげ、行きづまっている現代文学を一挙に粉砕しようと考えて来たのである》
1981年、連句懇話会(現在の日本連句協会)が結成される。懇話会ができたことについて、『連句新聞』増刊号vol.1のインタビューで山地春眠子は次のように語っている。
「なんとなくじゃない?誰がなにをしたということではない。もちろん、明雅さん、牛耳さんが連句のグループ、信大連句会とか義仲寺連句会とかを作ってくれたからなんだけれど、それはそれぞれ、日本のことを考えて作ったわけではないので、たまたまそういう流れがあった。誰が旗振って、やろうとしたわけでもないように思う。気がついてみたら、あっちでもこっちでも仲間ができていた」
とてもおもしろい発言である。あちらこちらにグループができているというのは連句にとって理想的な状況だ。連句は各地の小グループを基本とするのであって、大人数を組織して集まるというようなものではない。連句というものは上からのトップダウンではなくて、下からのボトムアップが本来の姿なのだろう。
今年7月に発行された『江古田文学』113号の特集は「連句入門」だった。「はじめに」で浅沼璞は『江古田文学』で連句の特集を組むのは1991年1月の特集「連句の現在」以来であると述べ、「この二十年、私にとっての連句とは、学生を介して如何に『連句入門』を再構築するか、その試行錯誤にほかならなかった」と書いている。そのことを反映して本誌には学生による連句実作とそのレポートが満載となっている。
以下、主な連句大会の入選作品を紹介しておこう。
4月に松山で開催された「えひめ俵口全国連句大会」、愛媛県知事賞の歌仙「冷や飯」の巻から。
埋もれし遺跡のミイラ黄砂降る 裕子
古代舞曲の音色嫋やか 光明
本草学野草を摘んで乾かして 満璃
県民挙げて目差す長命 裕子
7月16日に郡上八幡で「第36回連句フェスタ宗祇水」が開催された。郡上踊りにちなんで「かわさきの座」「春駒の座」「三百の座」の三座に分かれて歌仙を巻いた。歌仙「はるかに天守」の巻から。
ナビ席にコロンの香りとどまりて 憲治
録画ボタンを押せば修羅場に 絶学
死神が募集している闇バイト 憲治
売れっ子作家正月多忙 寿典
伊賀上野の第77回芭蕉祭、連句の部の特選、半歌仙「這ひ出よ」の巻から。発句は芭蕉の句で、脇起しになる。
這ひ出よ飼屋が下の蟾の声 芭蕉
土間の隅には行水の桶 谷澤 節
眠たげな頑是無き児を背に負ふて 松本奈里子
散歩がてらに九九を数える もりともこ
10月29日には加賀市で国民文化祭石川「連句の祭典」が開催。文部科学大臣賞、半歌仙「遡りては」の巻から。
遡りては流されて春の鴨 名本敦子
やまあららぎの尖る銀の眼 久 翠
暮れ遅し陶土る背に月射して 杉山豚望
コンビニコロッケ一個百円 大西素之
あと各地の連句会の作品を紹介しておく。
徳島県連句協会発行の「ロータス」20号。半歌仙、獅子、二十韻、短歌行、ソネット、オン座六句、千住など多彩な形式の作品が収録されている。オン座六句「いぼむしり」より。
うかうかと生きてゐるなりいぼむしり 早見敏子
さうか昨日は後の名月 洛中落胡
もてなしの膳は当初の銘酒にて 迷鳥子
「白老連句を楽しむ会」は2019年12月に発足。会誌「ななかまど」がこの12月に創刊されたのでご紹介。ちなみに白老町では2020年にウポポイ(国立アイヌ民族博物館)が開館している。
神謡の伝はる里や冬銀河 中嶋祐子
手話講座終へはめる手袋 田村キク
ケーキ好き少女は夢のパティシエに 祐子
(半歌仙「神謡の里」)
11月に「解纜」37号が届いたが、この号で「解纜」は終刊するという。これも時の流れであり、連衆はそれぞれの場で出発することになるのだろう。歌仙「海くれて」から。
古民家を買へば妖怪付きでした 真紀
監視カメラは巧く隠せよ 緋紗
京なまりねっとりとして花篝 京
次回は1月5日の予定です。よいお年を。
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