「ねむらない樹」9号の特集は「詩歌のモダニズム」である。川柳からは小池正博が「現代川柳におけるモダニズム」を寄稿し、小樽の田中五呂八、大阪の木村半文銭、堺の墨作二郎などの作品を紹介している。
モダニズムとは何かという定義について、中井亜佐子は特有の美的様式(広義)と文学史上の時代区分(狭義)という二つのやり方があるという。前者には韻律を破壊した自由な形式や前衛的な語法やイメージがある。後者はたとえば1910年ごろから両世界大戦の間の期間までというような時代区分で、ヨーロッパ文学ではジョイスやエリオットなどの活躍した時期である。
「ねむらない樹」に収録されている論考でも、この二つの定義が錯綜していて、広義のモダニズムととらえて新興短歌から現代までを見渡している文章もあれば、狭義のモダニズム短歌の、たとえば前川佐美雄に焦点をしぼった文章もある。
広義のモダニズムについては話が拡散するので、以下、狭義のモダニズムについて触れていきたい。大正末年から昭和初年にかけて短詩型文学の世界で新興文学運動が起こった。新興短歌、新興俳句、新興川柳がそれぞれのジャンルで生れている。
特集の文章で三枝昻之は「モダニズムの既成の価値の否定という特徴からは、プロレタリア短歌も広い意味でのモダニズム短歌といえる」と書いている。昭和3年に結成された新興歌人連盟は両者の統一戦線だったが、結成したかと思ったらすぐに解散。「なぜ新興短歌は直後に分裂したか。既成の価値と伝統短歌の否定という点では共通するが、表現の芸術性を重視するのがモダニズム短歌、階級意識からの社会改革を意図するのがプロレタリア短歌。短く言うと、文学か政治か、その力点の置き方で分かれた」というのが三枝の見方。さらに、モダニズム短歌も文語か口語か、定型か自由律かに分かれ、主流は口語自由律であったという。
以前はプロレタリア文学とモダニズム文学を対立的にとらえるのが普通であり、実際、両者は対立していたのだが、都市文学という視点から統一的にとらえようという見方が出てきている。これに口語短歌や自由律がからんで、話が錯綜してくる。
私はこの時期の口語短歌の歌人では西村陽吉の作品に注目しているので、この機会に紹介しておく。
モウパツサンは狂つて死んだ 俺はたぶん狂はず老いて死ぬことだらう 西村陽吉
何か大きなことはないかと考へる空想がやがて足もとへかへる
他人のことは他人のことだ 自分のことは自分のことだ それきりのことだ
西村陽吉の歌集『晴れた日』(昭和2年)から。大正14年、西村を中心として口語短歌運動の機関誌「芸術と自由」が創刊。翌15年には全国口語歌人の統一団体として「新短歌協会」が結成された。しかし、文語によって成立した定型を口語短歌はとるべきではないという自由律派が台頭して協会は分裂した。西村は定型派であり、文学観上は啄木以来の生活派だったので、やがてプロレタリア短歌の陣営からも攻撃されることになる。
プロレタリア短歌に関して、私が利用しているのは「日本プロレタリア文学全集」(新日本出版社)の『40 プロレタリア短歌・俳句・川柳集』で、三つのジャンルを見渡すことができるので便利だ。新興歌人連盟が分裂したあとプロレタリア派は「無産者歌人連盟」を結成し、昭和4年には「プロレタリア歌人同盟」ができる。「プロレタリア歌人同盟」は短歌が詩の方向に向かって解消の道を歩むことによって封建性を克服することができるという短歌否定論をかかえていたが、そのような考え方に対する批判も生まれてゆく。短詩型と詩の関係には紆余曲折がある。
モダン都市という観点から興味深いと思ったのは、「ねむらない樹」の特集で黒瀬珂瀾が紹介している石川信雄だ。
わが肩によぢのぼつては踊りゐたミツキイ猿を沼に投げ込む 石川信雄
シネマ・ハウスの闇でくらした千日のわれの眼を見た人つひになき
歌集『シネマ』(昭和11年)に収録されているが、制作されたのは昭和5・6年ごろだという。こういう作品を読むと、私は日野草城の次のような句を思い出す。
春の夜の自動拳銃夫人の手に狎るる 日野草城
白き手にコルト凛凛として黒し
夫人嬋娟として七人の敵を持つ
愛しコルト秘む必殺の弾丸(たま)を八つ
コルト睡(い)ぬロリガンにほふ乳房(ちち)の蔭
日野草城の句集『転轍手』(昭和13年)に収録されている「マダム コルト」という連作。一句目の「自動拳銃」には「コルト」とルビが付けられていて「コルト夫人」と読ませる。元になるのが映画なのか小説なのか確認できていないが、B級映画の雰囲気がある。
川柳では川上三太郎が映画「未完成交響楽」をもとに連作川柳を書いている。昭和10年の作品で10句のうち4句だけ引用する。
およそ貧しき教師なれども譜を抱ゆ 川上三太郎
わが曲は街の娘の所有(もの)でよし
りずむーそれは貴女の顫音(こえ)のその通り
アヴエマリアわが膝突いて手を突いて
個々の作者には作風や文学観の変遷があり、プロレタリア派とか芸術派とか一概に言えないのだが、大正末年から昭和初年にかけての新興文学運動にはジャンルを越えた時代精神があり、それらを共時的にとらえる必要があるだろう。「ねむらない樹」の特集では川柳について田中五呂八や木村半文銭などの芸術派を中心に紹介しているが、プロレタリア派も含めてモダニズムをとらえるなら、鶴彬などの存在も視野に入れなければならない。木村半文銭と鶴彬の激しい論争もあったのだが、それはまた別の話題である。
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