2015年10月17日土曜日

俳諧史への視線

10月15日付けの新聞報道によると、これまで所在不明だった蕪村の句集が見つかったという。蕪村存命中に門人がまとめた「夜半亭蕪村句集」の写本である。句集の存在は戦前から知られていたが、所在不明のままになっていた。数年前に天理図書館が購入した本がそうであることが確認されたということだ。
連句に関して私は蕪村に興味をもつところから出発したので、このニュースに無関心ではいられない。これまで知られていない蕪村句も含まれていて、たとえば次の句である。

傘(からかさ)も化けて目のある月夜哉    蕪村

蕪村の妖怪趣味はよく知られていて、蕪村らしい句である。

別所真紀子著『江戸おんな歳時記』(幻戯書房)が刊行された。
別所は女性俳諧史の第一人者だが、今度の書物は歳時記仕立てになっている。「季語研究会会報」などに掲載された文章もあるが、一書にまとめて読むことができるのはありがたい。千代尼、智月、園女、諸九尼、星布、菊舎などの名の知られた女性だけではなく、無名の女性や子どもの句なども紹介されている。

春風や猫のお椀も梅の花    九歳 しう (『三韓人』寛政10年)
鶯の空見ていそぐ初音かな   長崎 十歳 易女 (『寒菊随筆』享保4年)

「春風や」の句は猫が食べ散らかしたご飯粒を梅の花に見立てているのだろう。「猫のお椀も梅の花みたい」と口ずさんだのを周囲の者が書きとめたのかも知れない。

しら菊や人に裂かせて醒めて居り  一紅

高崎在の一紅の句集『あやにしき』(宝暦11年)から。これは大人の句。どういう状況か、また何を裂くのかよく分らないが、人に裂かせて自分は醒めているというのは近代的な心情で印象に残る句である。

10月11日に大阪天満宮で「第九回浪速の芭蕉祭」が開催された。他のイベントとも重なって参加者は15名と少なかったが、参加者相互の顔が見える連句会となった。
講演は近代俳句の研究者である青木亮人氏にお願いした。「蕉門歌仙と近代俳句について」と題して、芭蕉七部集の付句と三鬼・秋桜子・青畝・虚子などの俳句を比較するという興味深いものだった。
連句では「投げ込みの月」といって、「月」の字を句の最後に置いて一種の助辞のように使うことがある。たとえば

雑役の鞍を下ろせば日がくれて   野坡
 飯の中なる芋をほる月      嵐雪
    (歌仙「兼好も」・『炭俵』)

という「月」がそれに当たる。青木はこれを次の西東三鬼の次の句と並べてみせた。

算術の少年しのび泣けり夏   三鬼

この「夏」の使い方は今では珍しくないが、当時としては新鮮で、模倣するものが増えたらしい。三鬼が連句の影響を受けたということではなくて、近世の俳諧と近代俳句の表現がある部分で似ているという指摘をおもしろく思った。

「浪速の芭蕉祭」では連句会の前に大阪天満宮の本殿に参拝してご祈祷を受ける。学芸上達を祈願するのである。祝詞や巫女による舞のあと代表者が玉串を捧げる。こういう儀式的な側面もはじめての参加者にはおもしろいようだ。
当日は天満宮境内で古書市が開催され、俳諧関係の欲しくなるような古書も販売されていた。「かばん関西」の吟行会も同じ場所であったそうだ。
この日、受付をしていると会員のひとりが岡本星女の訃報をもたらした。10月9日にお亡くなりになったそうである。星女は阿波野青畝の「かつらぎ」系の俳人・連句人で、夫は岡本春人。春人が亡くなったあとは「俳諧接心」を主宰した。「浪速の芭蕉祭」を立ち上げたのは星女である。
「浪速の芭蕉祭」では例年、連句を募集して優秀作品を天満宮に奉納する。今年は募吟を行わなかったが、連句部門のほかに前句付と川柳の部門も設けている。川柳の部門を作ったのは星女の強い勧めによる。「現代川柳はすごい。なぜなら、私にはまったく分からないから」と星女は私に言った。現代川柳は分からない、難解だという人が多いなかで、「分からないからすばらしい」と言ったのは星女ひとりである。

人は死にへくそかずらは実となりぬ    岡本星女

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