国立文楽劇場で「伊賀越道中双六」を見た。東京では9月に国立劇場で上演されたもの。「奥州安達原」「妹背山婦女庭訓」などで知られる近松半二の最後の作品と言われている。文楽でも歌舞伎でも「沼津」の段だけが上演されることが多いが、通し狂言となるのは大阪では約20年ぶりである。前回の平成4年4月のときも見た記憶があって、「通しで見るとこういう話だったのか」と思った。今回見たのは第一部(鶴が岡の段~沼津・千本松原の段)だけである。
大序「鶴が岡の段」は20年前には省略されていたので、今回はよくわかった。
和田志津馬は八幡宮の警護役の最中にもかかわらず、傾城瀬川と逢引をし、酒まで飲んで失態を演じる。和田家に伝わる名刀を狙う沢井股五郎のはかりごとによるものだ。とはいえ、志津馬というのは意志の弱い青年である。酒と女。志津馬とはこういう人物だったのか。「忠臣蔵」の勘平が「色にふけったばっかりに」と嘆くのと同じパターンで、良く言えば青春性なのであろう。
日本三大仇討というのがあって、渡辺数馬(「伊賀越」では和田志津馬)が荒木又衛門(唐木政右衛門)の助太刀によって河合又五郎(沢井股五郎)を伊賀の「鍵屋の辻」で討った「伊賀越の敵討」は有名らしい。幕府の禁制があって人形浄瑠璃では史実をそのまま書けないので、「後太平記」の時代に設定し、室町時代の話にしている。いわゆる「世界」を定めるのである(「世界」と「趣向」については『セレクション柳論』をお手元にお持ちの方は鈴木純一の「一寸先へ切りかくるなり」を参照されたい)。
「和田行家屋敷の段」で沢井股五郎は志津馬の父を殺害する。続く「円覚寺の段」では、沢井は従兄弟の沢井城五郎にかくまわれるが、ここで二つの陣営の対立がはっきりする。城五郎は足利将軍家直属の家臣である昵懇衆、殺害された和田行家は上杉家の家老だった。江戸時代の史実でいえば旗本と大名との対立となる。二つの陣営・立場にいる人々が義理のためにそれぞれ股五郎・志津馬に味方することになるので、股五郎方の人々がすべて悪人という単純な構図ではない。
「唐木政右衛門屋敷の段」は、いま郡山藩に仕えている政右衛門の屋敷が舞台である。
お谷は和田行家の娘で志津馬の姉であるが、政右衛門と駆け落ちしたために行家から勘当されている。そのような恋女房のお谷を政右衛門は突然離縁し、しかも、今夜は後妻を迎える準備をしている。
政右衛門はなぜお谷を離縁するのであろうか。
お谷の親代わりである五右衛門が抗議にやってきたのに対して、政右衛門は離縁の理由を「飽きました」と言い放つ。
これには何か訳があるに違いないと思って観客は舞台を見ている。
歌舞伎でも文楽でも「実は…」というパターンが基本構造である。表面で行なわれていることには必ず裏があり、登場人物の言動には隠された意図がある。「肚(はら)」に何かがあるのだが、それを表面に見せてはいけないのだ。そういう約束で芝居が成立していて、この二重構造が観劇の楽しみでもあるのだ。
近松半二の時代になると観客はすでに単純な構成では納得しなくなっていた。芝居の作者は捻ったり捩じったり様々な趣向をこらして「実は…」の世界を仕立てあげたのである。
何度かこの演目を見ている観客であっても興味をもって観劇することができるのは、その二重性を知りつつも眼前に繰り広げられる光景に感情移入できるからだ。
花嫁はお谷の妹・おのちであった。勘当されたお谷の父親は唐木政右衛門にとって赤の他人であって、このままでは仇打ちに参加できない。正式の婿となってはじめて舅・和田行家の敵討ができるのである。
川柳もまた近世文学の土壌の上に成立している。
「一読明快」などという川柳観がいかに浅いものであるかが分かるだろう。
『柳多留』初編の巻頭句を引用してみよう。
五番目は同じ作でも江戸産れ
改めて引用するのも気がひけるくらい有名な句である。
果たしてこの句がわかりやすいだろうか。
何が五番目なのか、江戸産れとはどういうことなのか。読者の予備知識や謎解きを前提として作られている句である。当時、「六阿弥陀詣で」というものがあり、行基作といわれる阿弥陀像を拝するためにお彼岸の時期に六つの寺を巡礼した。他の五寺は江戸の郊外にあったが、五番目の常楽院だけが江戸府内にあった。江戸人にはそれがすぐわかったのだろう。
ここでは一句を読むスピードと一句を理解するスピードに差が生まれる。一読明快とは一句を読むと同時に一句が理解できるということである。「読み」即「理解」なのである。けれども、一句を理解するためにはその句の前で立ち止まることが必要だろう。一句が喚起するものは時間をかけて読むことによってはじめて立ち上がってくるような、そういう作品もあるだろう。
短歌誌「井泉」54号のリレー評論のテーマは〈作品の「読み」について考える〉である。
島田幸典は「書かれぬものを読む、ということ」の冒頭で次のように述べている。
「歌は短い。散文的な情報量はごく限られている。にもかかわらず、われわれは歌会や雑誌の月旦、評論その他において、一首について饒舌に語る。語ることができる。
それは情報として明示的なかたちでは表出されない部分を読むからである。勿論、的を外した深読みは興ざめだが、それでも歌を読むことには、書かれたことを手掛かりとして、そこから書かれぬことを、すなわち(含み)を掬いとる作業を伴う」
また、同じテーマについて加藤ユウ子は「わかるのにわからないは深い」という文章を書いていて、次の三首が引用されている。
瓶にさす藤の花ぶさみじかければたゝみの上にとゞかざりけり 正岡子規
赤茄子の腐れてゐたるところより幾程もなき歩みなりけり 斎藤茂吉
おじさんは西友よりずっと小さくて裏口に自転車をとめている 永井祐
これらの歌について加藤はこんなふうに言うのだ。
「三首とも、言葉で写生されたことが、あまりに当たり前の些細なことだから、かえって詩を探そうとすると戸惑いを感じる。しかし、わかるのにわからないと言う読みの屈折が、歌の世界に深く踏み込みたいという読みのエネルギーに変わるから不思議だ。こういう読みのエネルギーが何か深いものを捉まえた時が最高だ。わかるのにわからないは深いのだ、愉しい感慨だ」
先週このコーナーに書いた「わかる」「わからない」「つまらない」「おもしろい」の基準と関連して興味深い指摘だと受け止めた。文脈は異なるが、「わかるのにわからない」とは川柳でいわれる「平明で深みのある句」と似たようなことを言っているのかと思う。
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