2011年8月19日金曜日

人はそれを嘲魔と呼ぶ

鼻は人の顔面のど真ん中に付いている異物である。誰も鼻が自分の身体の一部であることを疑わない。けれども本当にそうなのか。
ゴーゴリの短編小説「鼻」は、鼻がある朝いなくなったしまう話である。鼻を失った八等官コワリョフは街中で一人の紳士に出会う。その紳士こそ彼の鼻だった。鼻は五等官の制服を着てカザン寺院へ入ってゆき、この上ない信心深い表情で祈っていた。カザン寺院はペテルブルグのネフスキー大通りに面している寺院である。ゴーゴリの作品は検閲を受けることが多かったが、この部分も不謹慎として検閲にひっかかり、作者は寺院をマーケットに書き換えさせられた経緯がある。
「もしもし、あなた」とコワリョフは鼻に話しかける。「あなたはご自分の居場所をご存じでなければならない。あなたは、私の鼻じゃありませんか」
鼻は次のように答えて去っていくのだ。
「君、何か思い違いをしておられるらしいな。私は私自身ですよ。私と君との間には何も密接な関係などない」
鼻は雑踏の中にまぎれてしまう。
けれども、炯眼な警官がいて鼻を逮捕する。
「いったいどうして見つかったんですね?」
「旅行に出かけようとしていたところを逮捕したというわけですよ。奴はもう駅逓馬車に乗り込んで、リガへ逃亡しようとしていたんです。旅券もある官吏の名前のを前もって手に入れていました」
この警官がコワリョフからお礼のお札を受け取ったことは言うまでもない。
安部公房の「S・カルマ氏の犯罪」でも「名刺」が本人とは別人格になって歩きまわる話がある。「名刺」だと寓意性が強くなりすぎるから、「鼻」の方が断然おもしろい。

さて、「バックストローク」35号から風刺性の強い句を抜き出してみる。

判決が出てリハツヤは貌を剃る   筒井祥文

何の判決が出たのかは知らないが、勝訴であれ敗訴であれ一つの判決が出たのだ。リハツヤは理髪屋だろうが利発屋かも知れない。自分の貌を剃っているのかも知れないし、客の貌を剃っているのかも知れない。ゴーゴリの「鼻」でも、理髪師はある朝とつぜん客の鼻を自宅で発見する。そんなものは家に置くなと女房に叱られた彼は、鼻をそっと川に捨てようとして警官に見とがめられるのだ。

文明が滅んだ後のモーニング    丸山進

丸山はついに文明を滅亡させてしまった。「モーニング」は単なる朝、モーニングコートの意味にもとれるが、私はモーニング・コーヒーと読んでいる。文明が滅んでも人はモーニング・コーヒーを飲んでいる。「一杯のお茶が飲めるなら世界なんて滅びてもかまわない」とはドストエフスキー『地下室の手記』の主人公の言葉だった。

多すぎて京へ繰り出す足の指    津田暹

ゴーゴリの「鼻」に話を戻すと、鼻の噂はペテルブルグ中に広がっていく。午後三時になると鼻がネフスキー大通りを散歩するらしいと聞いて、物好きな連中がおしかける。笑い話の種に困っていた社交界の常連たちはこの出来事を歓迎する。「鼻はいまユンケル商店にいるらしい」というので人だかりができ、露店が出たり、立見席をつくって料金をとる者まで現れる。
掲出句は誰が何のために京へ繰り出すのだろう。見舞客なのか、被災者のことなのか。それとも復興金のことなのだろうか。

原子炉を止める呪文を公募中    渡辺隆夫
今宵あたり13ベクレルの月夜かな
納棺式には一同ノーパンのこと

渡辺隆夫には三句登場してもらおう。
震災と原発事故を目の当たりにして、笑いは硬直する。なお笑おうとすれば、ブラックになる。「13ベクレルの月」の句は、樋口由紀子が「ウラハイ」の「金曜日の川柳」(8月5日)で取り上げている。

烏賊程に国家をすべる翁かな    きゅういち

「烏賊程に」は当然「いかほどに」との掛詞である。「いかほどに国家を統べる翁かな」「烏賊ほどに国家を滑る翁かな」という両義性をもつが、どちらにしても風刺的であることに変わりはない。

牛蒡など握っていつまで桃太郎   石田柊馬

桃太郎は鬼退治の剣を握っているはずだが、それは牛蒡にすぎなかった。「いつまで桃太郎やってんねん」という突っ込みである。自分を桃太郎だと信じて疑わない存在は風刺対象になる。

原発へ騎馬民族を狩りに来る    松本仁

原発に騎馬民族はいない。あるのは原発村という共同体である。騎馬民族は異物として狩られる対象かも知れない。では、誰が狩りに来るのだろうか。国家権力だろうか、共同体の雰囲気がそうさせるのだろうか。

再びゴーゴリの話。『死せる魂』は死んだ農奴の名前を買い歩くチチコフという男の物語である。農奴制のロシアでは、死んだ農奴は次の調査まで(数年間かかる)生きているものとして扱われていた。チチコフはそのような死せる農奴の名前を2ルーブルで買い取り、大量の農奴(実在しない)の所有者として農地を請求しようとした詐欺師である。
第一部の終り、トロイカの場面は特に有名だ。

(トレチャコフ美術館で三人の子供たちが橇にのった重い荷物を苦しげにひいている絵画を見たことがある。絵のタイトルは「トロイカ」。このように使うと風刺的になる。)

ゴーゴリは風刺家としての天寿をまっとうできなかった。「否定的な笑い」が彼の作品の本質だったのに、「肯定的な笑い」へと作品を変化させようとしたのであった。
「嘲魔」(ちょうま)という言葉がある。
芥川龍之介は人間の中には「二つの自己」が住むと言っている。「活動的な、情熱のある自己」と「冷酷な観察的な自己」である。そして芥川は後者を「嘲魔」と呼んだ。「この嘲魔を却ける事は、私の顔が変えられないように、私自身には如何とも出来ぬ」芥川はこの二つの自己の分裂に苦しんだ。
ゴーゴリは人間を風刺的に眺めることから肯定的に眺めることへと移行しようとした。けれども、風刺的に描かれた人間が生き生きとしていたのに対して、肯定的に描かれた人間は生気のない作り物であった。ゴーゴリはそれを自己の道徳的低さと感じて自己を責めたのである。『死せる魂』はダンテの『神曲』になぞらえて第一部の地獄篇から第二部の煉獄篇、さらには天国篇へと昇華すべきものであったが、ゴーゴリには地獄は書けても天国は書けなかった。肯定的人間を描くことはゴーゴリの中の嘲魔が許さなかったのだ。
ゴーゴリは『死せる魂』第二部の原稿(の一部)を火中に投じて亡くなる。
彼が火中に投じた原稿を読んでみたいものだ。

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