2011年2月18日金曜日

さやえんどうとも添寝とも

今回は1月・2月の川柳誌・俳誌から4冊ご紹介する。
川柳誌「Leaf」第3号(1月1日発行)は同人4人の作品と互評を中心に、新企画も取り入れた誌面構成になっている。まず、同人作品から。

さやえんどうとも添寝とも書き送り   畑美樹
茶会果て僧侶は肉を吊りにゆく     吉澤久良
つづきにも戸惑いやがて背中を噛む   兵頭全郎
ゲラ刷りの海に両手をついている    清水かおり

互評のうち清水かおりによる「畑美樹を読む」から引用してみる。

〈主題がそうである場合を除いて性を意識しながら書く作者はいない。ごく自然に個人の意識など関係のない細胞のせめぎあいの中に性は主張してくる。畑はそういうものに抗わない。受け入れるものは受け入れ、受け入れたものに飲み込まれることもない〉〈この「さやえんどう」「添寝」という物と事を「とも」という接続助詞で同時配置したことで畑の哲学や言語学や経験のようなものがそこに浮かびあがってくる〉

新企画の一つはテーマ詠に同人外(今回は湊圭史)が参加していること。湊は「言語論としての川柳」を書いて、4同人それぞれの言葉と現実に対する差異を指摘している。
新企画の二つ目は先行する川柳人の作品(今回は石田柊馬)を取り上げて10句選と句評を掲載していることである。
ホームページでも同人作品に対する句評が進行中のようだ。

http://live-leaf.com/


「触光」21号(2月1日発行)、野沢省悟が「便所の落書き」というタイトルで寺山修司のサインを紹介している。1959年(昭和34年)、山村祐の旅館夕月荘で歌人・俳人・川柳人が集まったときに寺山が書いたもののコピーである。このときの参加者は山村祐・奥室和市・松本芳味・青田煙眉・寺山修司・三須浩司・柴田義彦・古川克己・瓜生島清・加藤克己の10名だったという。この場で寺山は次のように語ったと言われる

「短歌は歌謡曲になれ、俳句は呪文になれ、川柳は便所の落書きになれ」

これが川柳界では有名な「便所の落書き」発言である。川柳に対する蔑視とも受け取れるし、川柳に対する寺山流のエールとも受け取れるので、物議をかもした。野沢は若いころはこの言葉に反発したが、現在は寺山の川柳に対するほのかな愛情を感じると述べている。
「触光」は青森で発行されている柳誌。会員作品から。

決心というほどでない爪を切る    斉藤幸男
明け渡す椅子に転がす濡れた石    滋野さち
人混みを歩くと柔になる鱗      瀧正治
降りつもる何もなかったから童話   吉田州花
銀行が消えてしまった北の街     高田寄生木
釘の匂いの女が通り過ぎてゆく    野沢省悟

また、時事川柳にも力を入れており、渡辺隆夫が選をしている。

陰口はウィキリークスが狙ってる   船水葉
一兵卒に誰も敵わぬ         瀧正治
酒飲むと海老は真逆に反るらしい   濱山哲也
ずれている開門拷問水戸黄門     小林こうこ
一筆啓上「北京では今×××××」  山川舞句

次に「円錐」第48号(1月30日発行)をご紹介。澤好摩を発行人とし、山田耕司・今泉康弘などを擁する俳誌である。

寒たまご切るに斜面のうまれけり    山田耕司
坂の上の雲に縫い目があるぞ諸君    今泉康弘
朝ぼらけクロツラヘラサギてんでんこ  入船誠二
桃の日のデパートに象をりしころ    栗林浩

「検証・昭和俳句史Ⅱ」では三橋鷹女について澤好摩と山田耕司が対談。連載「エリカはめざむ」は今泉康弘による渡邊白泉の評伝。栗林浩の連載「入門・攝津幸彦と田中裕明」など、現代俳句の良質の達成を検証・継承していこうとする姿勢がうかがえる。書評に安井浩司『空なる芭蕉』、高橋龍『異論』を取り上げているのにも注目した。

雁行くや空の高さに海あれど     安井浩司
蚊帳外し俺は大工の子だと言ふ    高橋龍

最後に俳誌「子燕」(しえん)第5号(2月10日発行)。この雑誌は平成22年6月に「白燕」が終刊したあと、俳句・連句・随筆を三本柱として創刊された。この三つは橋閒石のめざしていたことでもある。ここでは連句作品から文韻歌仙「春宵や」の冒頭部分だけ紹介する。

春宵やこの糸底の語るもの    中島布弓美
 遠き彼方に蛙鳴く声      赤松勝
柳葉の遁走曲に送られて     井上邦久

同誌は橋閒石の連句を顕彰することも目指しているようで、「白燕」(36号および244号)に掲載された寺崎方堂と橋閒石の両吟〈物名「魚」歌仙〉を掲載している。その発句から第三まで。

鶯の餌振ふ午後の曇かな     方堂
 渋茶さめたる盆の草餅     閒石
大樺の肌白々と春暮れて      堂

各句に魚名を詠み込んでいて、発句が「うぐひ」、脇が「さめ」、第三が「はたしろ」というわけである。
以上、少し気ままに柳誌・俳誌を逍遥してみたが、短詩型の言葉の世界は広いものである。

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