2011年2月11日金曜日

ゼロ年代の川柳

「ゼロ年代」(2000年~2009年)が終了して、「テン年代」とか「ポスト・ゼロ年代」とか言われるが、このような呼び方に反発や違和感をもつ向きもあるようだ。西暦10年ごとに区切るよりはもっと大きなスパンでとらえた方がよいのではないかということらしい。けれども、「昭和俳句」「平成俳句」などのような呼び方との違いは、「ゼロ年代」という区切り方をすると、ジャンルを横断しての共時的比較が可能になるという点である。特に川柳の場合は、年代的把握意識に乏しいから、「ゼロ年代川柳」というとらえ方で見えてくる光景があるのではないかと期待できる。

ゼロ年代の考察に入る前に、その前提となりそうな話題を振り返っておきたい。
短歌誌「井泉」37号(2011年1月1日発行)のリレー評論では〈短歌の「修辞レベルでの武装解除」を考える―95年以降の表現の変質について―〉というテーマで、荻原裕幸と彦坂美喜子の評論が掲載されている。
「修辞レベルでの武装解除」というのは穂村弘著『短歌の友人』(河出書房新社)に出てくる言葉である。穂村はこんなふうに書いている。

《90年代の後半から時代や社会状況の変化に合わせるように世界観の素朴化や自己意識のフラット化が起こり、それに基づく修辞レベルでの武装解除、すなわち「うた」の棒立ち化が顕著になったのではないか》(「棒立ちの歌」)
《定型意識の共有化や共通資産としての技法といった短歌の「枠組み」を充分理解している作者が、〈私〉の実感を盛り込むための一回性の破調の方にしばしば傾く。この意識的な武装解除、或いは棒立ちのポエジーの選択ともいうべき事態に私は驚きを感じる。彼らは自らの実感に対して忠実であるために意識的に短歌の素人になっているのだ》(「短歌的武装解除のこと」)

穂村のこの認識をベースとして、「95年以降の表現の変質」という問題設定が生まれてくる。彦坂美喜子は「別のリアリズムが生まれている」で、「例えば今橋愛は1976年生まれ。95年には18歳。永井祐は1981年生まれだから95年には14歳である。かれらの作品が生まれる背景には、90年代後半の社会的環境の影響があるのではないかと考えるからである」と述べている。そのような社会環境の変化として、彦坂は「大きな物語の崩壊」とネット社会における感性の変化を挙げている。
ゼロ年代の短歌表現を代表するのは永井祐であるらしい。彦坂の引用しているのは次のような歌である。

会わなくても元気だったらいいけどな 水たまり雨粒でいそがしい   永井祐
おじさんは西友よりずっと小さくて裏口に自転車をとめている
月を見つけて月いいよねと君が言う ぼくはこっちだからじゃあまたね

彦坂は「何かが変わったとすれば、レトリックを駆使した歌がどこか作り物めいて見えるということである。むしろどこにでも、誰にでも言葉そのままに伝わる表現に安心する。そこには強固な主体も、作者の意識的な身振りも影を潜め、ごく狭くて浅い了解可能な表現のうえにしか共感を持てない現在の心象があるのではないか」と述べて、「近代自然主義リアリズム」とは「別のリアリズム」が生まれていることを論じている。
もう一人の論者である荻原裕幸は「私と口語とレトリック」で、1995年以降の短歌の情況を「情報の共有や即時的な伝達を求める場の問題」としつつ、「私をめぐる表現の、変容の一形態」と捉えている。「私」を「集合内の属性として突きつめてゆく思考」(たとえば、女歌という場合のように、女性的な要素を自覚的にモチーフに組み込んでゆくこと)から「私は他の誰でもなく私であるという感覚」へ向かっているというのである。ここでも引用されているのは永井祐である。

あの青い電車にもしもぶつかればはね飛ばされたりするんだろうな  永井祐
テレビメールするメールするぼくをつつんでいる品川区

以上、『井泉』のリレー評論における「95年以降」というとらえ方について見てきた。それでは「ゼロ年代の川柳表現」はどのようなものであろうか。
「バックストローク」33号掲載の「詩性川柳の実質」では、石田柊馬が「ゼロ年代川柳」を本格的に論じている。残念ながら「ゼロ年代川柳人」と呼べるような若手川柳人は存在せず、川柳におけるゼロ年代は40代から70代までの中高年川柳人が当事者なので、石田柊馬も言うようにフレッシュとは言えない。
石田はまず先行世代の川柳に遡り、ゼロ年代川柳の傾向を80年代以降に先鞭をつけた存在として渡辺隆夫をあげている。

煤払うとき元号を落とすなよ     渡辺隆夫
おぼろ夜に馬飛び込んで大射精
服を脱がせて案山子に何をするのです
鬱々うっぷん仕事に励みましょう

《近代川柳は個人の「思いを書く」文芸であったが、渡辺は、いわば近代川柳の〈書き方〉の必須条件であった作者の存在!を句の表面から蹴り飛ばした》と石田はコメントしている。ここに、短歌ジャンルとは異なる川柳固有の事情がある。
近代川柳は「作者の思い」を書くという形で「私川柳」に特化したが、それが袋小路に入りこむにつれて、その超克の方向が探られるようになった。石田によれば《 近代川柳は、作者の存在、その「思い」への執着が強くて、川柳らしい〈書き方〉を軽んじたり忘れたりするほどの傾向があった。とりわけ私川柳は、川柳的な〈書き方〉を二義的にしていた 》という。それに対して、渡辺隆夫の川柳は「川柳的な書き方」と「外向きの表現法(外向性)」を取り戻したというのだ。現代短歌の一部が「修辞的な武装解除」へ向かったのとは逆に、現代川柳においては近代川柳を止揚するためには前近代的な狂句の手法を取り入れる必要があったことになる。石田に即して言えば、「近代的自我表出の〈書き方〉」から「現代的な川柳の〈書き方〉」へ。歌人のいう「私は他のだれでもなく私であるという感覚」「生の一回性の感情」は、川柳の場合「思いを書く」という一点に矮小化され、しかも若手川柳人による「私」の更新も期待できない情況の中で飽和状態に達していたのである。ゼロ年代川柳とはそのことに対する中高年川柳人による打開の試みにほかならない。
石田はゼロ年代の川柳について「方向性のバラツキ」「不安定で、個々の作者に揺り戻しが生じないとも言い切れず、明日に続くとも言えない」と述べる一方、「いままでの川柳の枠を広げるスパイラルが描かれる可能性」も否定していない。石田が挙げているのは、次のような作品である。

内海氏がもう一人いる月の裏     兵頭全郎
カマキリの唐揚げミカエルの調書   湊圭史
十六夜亜細亜のおこげ美味かりし   きゅういち
盗掘の穴だから語尾変化するよ    横澤あや子
ゴリラだと岡山西署に出頭す     江口ちかる
夜が明けて筆頭家老フラダンス    森茂俊
蚊柱が立つ累代の臍の位置      井上一筒
血早振神将不定愁訴群        吉澤久良

短歌における「武装解除」に対して、川柳においては「現代的な川柳の書き方」が模索されているとしたら、それは興味深い現象ではないだろうか。

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