2023年4月28日金曜日

川柳と連句の句会風景

3月18日
「らくだ忌」第2回川柳大会に出席。会場はラボール京都(京都労働者総合会館)。筒井祥文の追悼のためはじまった大会だが、今回は祥文追悼のスローガンを外している。いつまでも祥文の力を借りずに歩きだそうということらしい。兼題と選者は「泡立つ」(湊圭伍)、「二周半」(暮田真名)、「生い立ち」(真島久美子)、「無い袖」(八上桐子)、「ぶらり」(新家完司)、「雑詠」(くんじろう)。それぞれ難しい(意欲的な)題だ。各題二句出句だが、句会はある意味で選者と投句者の戦いなので、二句とも抜ける(選ばれる)、一句抜ける、二句ともボツになる、それぞれの結果と向き合うことになる。中には悪達者な句もあるので、選者はそういう句に騙されないようにするし、投句者は選者のストライクゾーンを探りながら許容できる範囲で自分の句を詠もうとする。披講の前に選者の短いトークがあって、それぞれ興味深かった。入選上位の句はすでに「川柳らくだ」のフェイスブックで発表されているが、発表誌もいずれ出来上がることだろう。
「川柳スパイラル」17号を会場で配布。会員の西脇祥貴やまつりぺきんと話すことができた。

3月19日
日本連句協会の総会・全国大会に出席。会場は台東区民会館で、浅草寺周辺は観光客でごった返していた。インバウンドが戻ってきたようだ。総会では『現代連句集Ⅳ』や『連句新聞』増刊号の宣伝をする。『現代連句集Ⅳ』の編集の機会に、過去40年間の歴史を調べることができた。先人の連句振興に対する無償の努力は貴重だ。「連句新聞」では山地春眠子が連句復興期の運動が起こった理由について「気がついてみたら、あっちでもこっちでも仲間ができていた」と述べている。こういう状況が再び起こればいいなと思う。
実作会では6人の座で半歌仙を巻く。連句の進行には膝送りと出勝の二通りがあるが、このときは膝送り。座席の順番に付けてゆくので、それ以外の人は雑談する余裕がある。別の座にいた某氏がやってきて、「半歌仙はつまらない、非懐紙か十二調にするべきだ」と口をはさむ。「今日は社交の場なので、半歌仙でよいのだ」と答える。連句には二面性があって、文芸として良い作品を作るという面と連衆との交流をはかるという社交文芸の面がある。
懇親会のあと、神谷バーで飲みたかったが、満席で入れず。喫茶店で遅くまで連句の友人と話した。

3月20日
蘆花恒春園に行く。京王線の芦花公園で下車。一月に伊香保へ行ったときに蘆花記念館を見学して、蘆花が息をひきとった部屋も見てきた。伊香保は『不如帰』の冒頭にも出てくるし、蘆花のお気に入りの場所である。大阪に帰ってから、トルストイのヤースナヤ・ポリャーナを訪れた『順礼紀行』や『思い出の記』などを拾い読みして、蘆花に対する興味が高まった。今回、東京行きのついでに恒春園に行くことができた。高遠彼岸桜が満開だった。

3月26日
第7回わかやま連句会。会場は和歌山県民文化会館。
毎回実作の前に連句や和歌山に関連したお話をしているが、今回は恋句について。
「恋の座といふこと、俳諧用語としては、厳格には使はぬものである。たゞ時として、昔から世間の常識として、稀まれ、月・花の座を言ふやうに言はれてゐる。此文の表題には、何となきことばの練れを愛して、利用することにした」(折口信夫「恋の座」)を前置きとする。恋と愛とは違い、連句の恋句は愛ではなくて恋を詠む。従来は「恋と愛の違い」について、恋は異性への恋、愛は人・家族・自然などの存在全体への愛と説明してきたが、この定義は現在ではすでに問題がある。「恋の詞」ということも言われ、蕉門では言葉にかかわらず、心の恋を重視する。東明雅に『芭蕉の恋句』(岩波新書)があるが、芭蕉は恋句の名手で、『あら野』「雁がねも」の巻の次の付合が有名。

 足駄はかせぬ雨のあけぼの     越人
きぬぎぬやあまりかぼそくあてやかに 芭蕉
 かぜひきたまふ声のうつくし    越人

現代連句の恋の例としては次の付合を挙げた。

マサイ族スマートフォンが必需品      節
 恋の支障にならぬ遠距離        奈里子
ふたりとも好きになるのは罪ですか    孝子
 奥歯が疼く真夜中の夢          節
       (国文祭にいがた「冬林檎」の巻)

4月12日
京都での川柳句会に行く前に、三十三間堂を訪れる。修学旅行や観光客が多いので今まで敬遠していたが、何十年ぶりかで入ってみると、仏像の配置が変更されていた。本尊の左右に五百体ずつ計千が並んでいるのは同じだが、二十八部集のうち四体が本尊の四隅に配置されていて、世界観が以前とは変化している。数年前からこうなっているということだ。雨のなか、少し庭園を歩いた。

4月16日
大阪連句懇話会を上本町・たかつガーデンで開催。2012年にスタートしたこの会もすでに41回目になる。昨年6月に創立10年の節目を迎えた。手元に創立のときの案内文が残っている。
「大阪・京都・神戸・奈良はそれぞれの歴史をもち、文化的・風土的にも違いがありますが、豊かな伝統をもち関西文化圏を形成しています。連歌・連句の史跡も多く、連句人にとって魅力ある地域と言えます。関西の連句人のネットワークを広げ、結社のワクを越えて集まることのできる場を求めて、このたび、『大阪連句懇話会』を立ち上げることにしました。連句の歴史を学び、理論と実作を深める場にしたいと思っています」 10年前はこのような気持ちだったのか、と自分でも驚くが、初心に戻らなければと改めて思う。
今回は「連句新聞」の高松霞をゲストに迎え、彼女の人気もあって、20名の参加者があった。12月に東京で開催された「連句の赤い糸」の話や「連句新聞」のこと、ライターの仕事のことなどを聞く。後半は門野優にも入ってもらって、お二人でのトーク。門野は明石で新たに連句会を計画中だという。その後四座に分かれて連句実作。形式は十二調(二座)、ソネット、ひらがなにじゅういん(ひらがな二十韻)。
終了後、会場近くの居酒屋で懇親会。

4月22日
NHK文化センター梅田教室で「はじめまして現代川柳」の第一回講座。全6回の導入部で、現代川柳とはどういうものか、についてザックリした話をする。サラリーマン川柳、シルバー川柳、ユーモア川柳、伝統川柳、社会性川柳、情念川柳、私性川柳、詩性川柳などの例句20句をプリントしたものから、どれが好みかを参加者に選句してもらう。そのあと川柳の基本である問答構造の変遷、現代川柳を読むためのポイントなどを話す。社会性川柳の例として「てぶくろ買いにシリアに行ったままの子は」(滋野さち)を挙げたが、新美南吉の童話「手袋を買いに」を踏まえてシリア内戦をテーマにしている。社会性や諷刺を書くむずかしさについて、たとえば美術でも版画家の浜田知明はこんなふうに言っている。
「諷刺画が優れた絵画であるためには、作品の背後に、作家の厳しい文明批評の眼と、奇知と、人間に対する深い愛情が流れていなければならない。画面は現代の造詣として生きていなければならないし、個性的であり、同時に個性が普遍性をもち、特殊な時代相を描いても、永遠の人間性につながるものでなければならない。われわれが冷厳な眼で周囲の現実を眺めるならば、現代のような社会相は、まさに諷刺画にとって、無限のモティフを提供する宝庫というべきであろう」 浜田知明は「初年兵哀歌」シリーズで有名な版画家で彫刻も作っている。
講座の話に戻ると、ちょうど発行された川柳誌「湖」をとりあげて川柳の選と投句について話し合った。
次回の講座は「現代川柳の歴史を振り返る」というテーマで、新興川柳から現代川柳へのプロセスを代表的な句集や川柳誌を紹介しながら解説する予定。ふだん目にすることのない資料なども見ていただけることと思う。第二回からの受講も可能。

4月23日
膳所の義仲寺・無名庵での連句会。義仲寺では5月の第二土曜に奉扇会があり、奉納する歌仙を巻く。捌きが古くからの知人なので、参加させてもらった。芭蕉の次の句を発句とする脇起こしである。

杜若似たりや似たり水の影  翁

私はふだん捌きをすることが多いので、一連衆として付句が出せるのがありがたかった。膝送りで、付句の合い間の雑談を聞いているのも楽しい。連句の話だけではなくて、連衆のそれぞれの豊富な経験によって話題が広がってゆくのも座の魅力だろう。午前10時半開始で午後4時半には歌仙が巻き上がった。

4月×日
文芸誌5月号は大江健三郎の追悼を掲載している。私が読んだのは「新潮」5月号。「追悼・永遠の大江健三郎文学」というタイトルで川上弘美・島田雅彦・多和田葉子・平野啓一郎・町田康などの文章を載せている。
小説では瀬戸夏子の「原型」も掲載されていて、書き出しは次のようになっている。
「資郎が世紀の大失恋をした次の日、資郎の瞳の中はキリンでいっぱいだった」
続きは実際にお読みいただきたい。

2023年4月15日土曜日

我妻俊樹歌集『カメラは光ることをやめて触った』

短歌誌「遊子」29号が届いた。昨年12月に発行されているが、「歌人が詠む川柳」が特集されているので遅ればせながら取り上げる。特集の趣旨は次のように書かれている。
「現代短歌と現代俳句の距離よりも、現代短歌と現代川柳の距離のほうがずいぶんと近いというのは、よく言われてきたことである。感覚的にはそう思っても、どうしてなのか、なかなかうまく説明がつかない」「今回はそういうことも踏まえながら、同人各人が川柳の実作に挑戦してみた」

雲ひとつなくて薄気味悪い空    片上雅仁
カミサマと彫られた岩が追ってくる 久野はすみ
もう何も噛まぬ前歯がまっしろい  白石真佐子
ヒゲダンの好きな男についてゆく  杉田加代子
天井に鬼がいるのを知っている   千坂麻緒
マスクしてどの属性もじぇのさいど 渡部光一郎
ただのシャンプーでした使ってみるまでは 山田消児
使ってみればただのシャンプー      山田消児

ふだん短歌を詠んでいる同人の川柳作品である。それぞれの「川柳イメージ」がうかがえて興味深い。山田消児は同じ素材を二通りの形式で詠んでいる。山田とは2016年5月に「短歌の虚構・川柳の虚構」というテーマで対談したことがある(「川柳カード」12号に掲載)。
あと「遊子」には平岡直子が「川柳は短歌に似ている絶対似ている」という論考を書いている。平岡は第一歌集に続いて川柳句集『Ladies and』を上梓しているが、論考のタイトルは石田柊馬の「妖精は酢豚に似ている絶対似ている」を踏まえたもの。俳句・短歌・川柳の違いについて平岡の文章の次の一節が注目される
「季語も切れも必要としない川柳は、俳句よりもはるかに自由で、そして、後ろ盾がない。俳句は季語がしゃべり、短歌は〈私〉がしゃべり、川柳はだれがしゃべっているのかわからない」

我妻俊樹の第一歌集『カメラは光ることをやめて触った』(書肆侃侃房)が発行された。我妻の短歌は「率」10号(2016年)に「足の踏み場、象の墓場」として掲載され、本書にも収録されているが、2022年までの歌をまとめた「カメラは光ることをやめて触った」が本編として読めるのはありがたい。

見てくれにこだわるひとの有り金が花びらに変えられて匂うの
質問にいちいち紫蘇の香をつけて忘れられなくしたいのかしら
暴れたりしないと夏の光だとたぶん気づいてもらえなくない?
わたあめにならずに風に奪われた 鳥のすべてに意味をもとめた
橋が川にあらわれるリズム 友達のしている恋の中の喫茶店

「足の踏み場、象の墓場」のときより書き方はさらに多彩に展開している。一首目、「有り金」という俗世間のものが花びらに変容する。見てくれ・有り金・花びら・匂うという視覚から嗅覚への言葉の変化が連句の三句の渡りとはまた異なる感覚で一首の中で実現されている。二首目・三首目のようなシンプルな詠み方もある。流れ去ってゆく不条理な時間のなかで一瞬のときを記憶に刻みつけるために人はいろいろなことをするのだろう。四首目は上句と下句の取り合わせが「奪われた」「もとめた」という動詞文体で統一されている。川柳であれば「わたあめにならずに風に奪われた」で完結し、あとは読者の読みに任せることになるだろう。五首目は瀬戸夏子が栞で取り上げている作品。上句と下句にそれぞれねじれがあり、ふたつのねじれが滲み合うように重ねられていると瀬戸は言う。
ちなみに栞は瀬戸夏子と平岡直子が書いているが、それぞれ次のように述べている。
「この歌集を前にして、可能な限り無力な読者として存在してみたかった、と思った」(瀬戸夏子)
「我妻さんの歌は、無数の蛍が放たれた小さな暗がりもようで、一首の歌がいくつもの呼吸をしている」(平岡直子)
2018年5月の「川柳スパイラル」東京句会において、我妻の「短歌は行って戻ってくる。川柳は引き返さずに通り抜ける」という発言がずっと記憶に残っている。短歌についても本当は通り抜けられると彼は言ったが、『カメラは光ることをやめて触った』を読みながら、行ったり来たりするうちに変な「私」が出てきてしまうのとはまったく異なる、現代短歌の書き方を感じた。「足の踏み場、象の墓場」(「率」10号)の「あとがき」の「書き手など、偶々そこに生えていた草のようなものだ。無駄に繁茂して読者の視界を遮っていないことを願うばかりである」という文章も印象的だった。

いま「葉ね文庫」の壁に芳賀博子の川柳と吉村哲の絵のコラボが展示されている。吉村の絵の人物の後ろ姿がとてもいい。牛隆佑のプロデュース。芳賀の句集『髷を切る』(青磁社)の残部がもうないそうなので、改めて十句挙げておく。

歩きつつ曖昧になる目的地   芳賀博子
壁の染みあるいは逆立ちの蜥蜴
一番の理由が省略されている
欠けているから毎日触れるガラス猫
そこらじゅう汚してぱっと立ち上がる
私も土を被せたひとりです
M78星雲へ帰るバス
みずかきをぱっと開いて転校す
ひきちぎるためにつないでいる言葉
かたつむり教義に背く方向へ

2023年4月7日金曜日

かつて連句ブームがあった

「短歌ブーム」だという。NHKの朝ドラ「舞いあがれ!」で短歌を作る登場人物が描かれ、「クローズアップ現代」で短歌ブームが取り上げられた。マスコミの話題になる機会が増えたことで目に見えて短歌ブームが実感される。振り返ってみると今までにも短歌ブームは何度かあり、俵万智の『サラダ記念日』のときとか、桝野浩一の「かんたん短歌」のときのことが思い出される。桝野の『かんたん短歌の作り方』(筑摩書房)が出たのが2000年11月で、マスノ短歌教の信者として当時高校生だった加藤千恵がテレビに登場したのを記憶している。ブームというのはつかみどころのないものだし、「短歌ブーム」をどう受け止めるかは歌人に任せておけばよいことだが、今回の話題はかつて連句界にも「連句ブーム」といわれる時期があったということについてである。
話の順番として、まず「連句」について触れておくが、昨年から今年にかけて現代連句のアンソロジーが2冊出ている。3月に発行された『連句新聞』増刊号は、高松霞と門野優がネットで運営している「連句新聞」の冊子版である。「連句新聞」は2021年春にスタートし、年に4回更新、四季に合わせた連句作品と連句内外の表現者のコラムを掲載している。今回の冊子は二周年を記念して編集されたもの。巻頭に別所真紀子が「江戸俳諧に見るフェミニズム」を寄稿している。別所は現代連句を牽引する連句誌のひとつ「解纜」のリーダー。『芭蕉にひらかれた俳諧の女性史』『「言葉」を手にした市井の女たち』(オリジン出版センター)など俳諧における女性史の第一人者であり、『つらつら椿・浜藻歌仙帖』(新人物往来社)など俳諧小説の作者でもある。ちなみに五十嵐浜藻は小林一茶などとも交流があった江戸期の女性俳諧師。『連句新聞』増刊号で別所は次のように書いている。
「江戸期を通して百冊以上の女性選集が出版されているこの国は、世界に類をみないフェミニズムの先進国であった。そしてそれは、俳諧という形式あればこその成就と言えるであろう」
コラムは中村安伸・堀田季何・中山奈々・竹内亮・北大路翼・暮田真名・大塚凱・福田若之が執筆。現代連句作品が9巻収録されているが、歌仙のほかに非懐紙・箙・胡蝶・獅子・短歌行などの形式があり、ヴァラエティに富んでいる。あと、山地春眠子のインタビューが掲載されていて貴重だ。
もう一冊の連句アンソロジーは『現代連句集Ⅳ』で、日本連句協会創立40周年記念として発行されたもの。小津夜景「連句の愉しみ」、堀田季何「連句が好きだから」の二本のエッセイ、「日本連句協会の歩み」、座談会「現代連句の伝統と多様性」などのほか全国の連句グループ作品84巻が収録されている。「連句新聞」とともに現代連句を展望するのに便利である。

「連句ブーム」と言われたのは1970年代後半から80年代にかけてのことで、正岡子規によって否定されたと思われていた連句復興のきざしがあらわれてきた。伊勢派の俳諧師・根津芦丈の指導のもと1959年に「都心連句会」が、1961年に「信州大学連句会」が創立された。さらに、1971年には野村牛耳の指導で「東京義仲寺連句会」が開かれた。野村牛耳の師系は根津芦丈だからいずれも旧派の系譜につながるが、「東京義仲寺連句会」には林空花、わだとしお、高藤馬山人、真鍋天魚、珍田弥一郎など俳諧復興の新風を志すメンバーがそろっていた。
ここで俳諧における旧派と新派の説明をしておくと、根津芦丈は『芦丈翁俳諧聞書』(東明雅)でこんなふうに言っている。「それで儂はね、何の、子規が明治二十六年頃、その新聞の『日本』でね、旧派ひっぱたいてね、いる最中に儂ら旧派の凌冬(馬場凌冬)という人にならって、旧派のヘエその先生が日本一いいと思って習っている時にまあ、旧派ひっぱたくだね。くそみそに、今に旧派のえらい人にたたかれるぞと思っていたが、たたく人は一人も出っこなしで、子規の独り舞台で、新派おこしちまって…(後略)」
子規が連句を否定して起こしたのが新派、従来の伊勢派・美濃派などの伝統的俳諧が旧派である。根津芦丈は旧派の俳諧師だが、新派でも高浜虚子は連句肯定の立場で、高浜年尾や阿波野青畝に連句を受け継ぐよう指示した。
さて、1972年に東明雅の『夏の日』(角川書店)が刊行され、1978年には東明雅『連句入門』(中公新書)、1978年に山地春眠子『現代連句入門』(杏花村叢書。1987年再版・沖積舎)が上梓された。70年代後半から80年代にかけて連句入門書が書店の店頭に並ぶようになった。そういう機運のなかで1981年、連句懇話会(日本連句協会の前身)が結成される。発起人は阿片瓢郎(「連句研究」)・大林杣平(「都心連句会」)・岡本春人(「連句かつらぎ」)。
『連句新聞』増刊号のインタビューで山地春眠子は「なぜそういう運動が起こったのでしょう」という質問に答えて次のように言っている。
「なんとなくじゃない?誰がなにをしたということではない。もちろん、明雅さんとか、瓢左さん、牛耳さんが、連句のグループ、信大連句会とか義仲寺連句会とかを作ってくれたからなんだけれど、それはそれぞれ、日本のことを考えて作ったわけではないので、たまたまそういう流れがあった。誰が旗振って、やろうとしたわけでもないように思う。気がついてみたらあっちでもこっちでも仲間ができていた」
この発言には韜晦している部分もあるのだろうが、「気がついてみたらあっちでもこっちでも仲間ができていた」というのはおもしろいし、文芸が盛り上がるときの機運はそんなふうであればいいなと思う。
「連句懇話会会報」第1号(1981年12月)の「連句懇話会創立総会記」で阿片瓢郎は次のように語っている。
「けだし最近連句ブームの声が高いですが、俳句人口なり俳誌の数を比べると格段の相違があります。その上一部には連句をすると俳句が下手になるとの俗説があります。併し連句人の俳句には面白さがあります。文士方の連句も週刊誌を賑わせており、名古屋では連画制作の企てもあり、海外でも連句愛好者が増えていると伝えられ、連句ブームは多面的に拡がりつつあります。従って現在の連句ブームを一時的なものでなく定着させるには、各結社の伝統と特徴を守りながら、それぞれ連句の錬磨に努力し、後世に残し得る立派な作品を創ることが必要と思います。そのためには各結社が自由に交流できるよう垣根を設けず風通しをよくすることが大切で、本会はその機会を増やすことを念頭としております」
その後、俳誌に連句特集が組まれたり、連句イベントが興行されたり、詩人をはじめ他ジャンルの表現者が連句に参加するなどの動きがあったが、それも2000年代初めまでで、連句に対する一般読者の関心は薄れていった。「連句ブーム」にしても、もともとブームと呼べるほどのものではなかったという意見もある。 けれども共同制作(座の文芸)としての連句に対する潜在的な表現意欲はいつの時代にも存在しているのであって、それがどのような形で噴出してくるのかは予測しがたいものがある。連句愛好者は全国に散在しており、「座」という場がいったん提示されれば個別に参加者たちが現れてくる。
次に挙げるのは連句誌「みしみし」11号。「みしみし」は2009年からネット上で歌仙を巻いている三島ゆかりによる座。不定期刊で冊子版も出している。歌仙「休日」の巻の表六句より。

休日や筍の皮うづ高し     苑を
 匂ひ立ちたる首夏の手間ひま ゆかり
売るための石ころいくつ持ち寄つて りゑ
 ほそきゆびもて掬ふさざなみ 青猫
水もまた満ちて迎ふる月今宵  らくだ
 椋鳥のしづまる並木をゆけば 槐

2023年3月31日金曜日

中山奈々の俳句と川柳

「川柳スパイラル」17号の特集は中山奈々の俳句と川柳で、それぞれ10句ずつ掲載されている。見開きの右ページに俳句、左ページに川柳が載っているので、作者が両形式をどのように使い分けているか、興味をそそられる。

末つ子として一番に着膨れる
母歩き疲れて恋猫の区域
左下奥歯に教化されている
物分かりいいひとたちの指相撲

それぞれ二句ずつ引用したが、前の二句が俳句、後の二句が川柳である。俳句は旧かな、川柳は新かなで書かれており、俳句には季語と切れ字が使われているという表層的な相違はあるが、表現内容としては微妙な相違があるとしか言いようがない。素材や主題としては前者には家族が、後者には身体用語が取り上げられているけれど、引用しなかった他の句を混ぜてみると、そのような明確な対比は混濁したものになってゆく。俳句には「そわか」、川柳には「にょぜがもん」という仏教的なタイトルが付けられていて、そこはかとなく統一感を与えている。
四ッ谷龍と榊陽子が作家論を書いている。まず、中山の俳句について、四ッ谷は「強い葛藤には強い表現」で次のように述べている。
「私が中山奈々に注目したのは、『俳句』2019年6月号に彼女が発表した作品『真摯』二十句を読んだ時であった。二十句すべてが菫をテーマとするという思い切った試みであった。中には荒っぽい句もあったが、全句を貫通するエネルギーがこちらを圧倒した」
四ッ谷が挙げている菫の句とは次のような作品である。

ひと指に弱るすみれや日の薄き
耳鳴りの昼を埋めゐるすみれかな
菫および吐き気がずつと通勤す
経血の漏れを隠して菫の夜
陰嚢の骨かもしれぬ菫なり

「強い声調を維持するには、響きを支える技術的な蓄積が必要で、自分の思いだけではなかなか切迫した勢いは出てこないものである」というのが四ッ谷のアドヴァイス。
川柳については中山と交流の深い榊陽子がこんなふうに書いている。
「中山の句は簡単に幻想や虚構の世界に向かわせない。(中略)常軌を逸しながら現実っぽさを怠らないことが中山の川柳への責任の取り方なのかもしれない」(榊陽子「しぶとさという武器」)

私が中山奈々にはじめて会ったのは三宮の生田神宮会館で開催された「俳句Gatherinng」のときだった。中山はパネラーとして登壇し、今後に望むことという質問に対して「仏陀に俳句を書かせたい」と発言した。私はびっくり仰天して、中山奈々の名前をしっかり心に刻み込んだ。その後あちらこちらの集まりで会うことがあったが、当時BL読みということが試みられていて、拙句「プラハまで行った靴なら親友だ」はBLとしても読めるという。そういうものかなと思った。「庫内灯」3号から。

旗に五色きみに毛布を引き寄せて  なかやまなな
手袋を取り合ひ李香蘭を観に

久留島元と中山奈々と私の三人で俳句についての勉強会をはじめたことがある。テクストは『昭和の俳句を読もう』(「蝶」俳句会篇)、会名は「昭和俳句なう」。船団の『関西俳句なう』が出たころだ。𠮷田竜宇や佐々木紺なども加わったが、それぞれ忙しくなって自然消滅。
少し古いが「しばかぶれ」第一集の中山奈々特集に佐藤文香が選出した中山の百句から紹介しておこう。

耳使ふ一発芸や鳥帰る
蟻穴を出て狛犬の口の中
首に湿疹半分がエロ本の店
霜を舐め尽くせと犬を放ちをり
春眠の舌より剥がしたる鱗
四月馬鹿とはなんだ好きなんだけど
きみんちのわけわかんない秋はじめ
息白くゴジラゴジラと遊びけり

中山は川柳も書いてみたいという意向をもっていた。私の悪い癖で、他ジャンルの才能ある若い人に対しては、そのジャンルで頑張った方がいいという態度をとることがある。俳句や短歌ではジャンル意識が強固で、別の詩形に手をだす表現者は疎外されるケースがあるからだ(現在ではやや緩和されているかも)。とりあえず、ゲスト作品として「川柳スパイラル」2号に川柳を書いてもらったが、3号からは会員投句を続け現在に至っている。
中山は連句にも興味をもち、柿衞文庫で開催された和漢連句の会に参加している。2014年11月のことだったが、このときのことは、「連句新聞」2021年秋号のコラムに中山が書いている。
「川柳スパイラル」に掲載された中山の句から十句選んでおきたい。

NASA以外から出品の月の石
明日は空腹指を膣から抜いて
カップルでどうぞと象の肺の枕
エンジンを直す豆腐(できれば絹)
三びきのこぶた製作の前貼り
返品をされてアダムの生理痛
膵臓にいつまでも花咲か爺さん
コロッケにホックがひとつ取れている
カメヤマローソク燃えあがるほどの唾
鯵というより鯖の匂いの黒子

さて、「川柳スパイラル」17号には若手俳人のゲスト作品として細村星一郎と日比谷虚俊の作品が掲載されている。

森に来てトーガは鹿を呼び寄せる 細村星一郎
梯子酒・雑学・隠元豆・衂    日比谷虚俊

細村は俳誌「奎」のなかでも注目していた作者。暮田真名の「月報こんとん」文フリ特別号(2022年6月16日)にも細村の作品が掲載されていた。「門をくぐって以来全部が寿司」「海亀が嘘の高度で嗚咽する」「モノクロの花が咲き乱れる臭気」「二光年先の小さなソーセージ」など。
日比谷は浅沼璞の「無心の会」で連句も巻いているし、堀田季何の「楽園俳句会」にも参加している。今回の俳句では「衂」(はなぢ)という普段見慣れない漢字を使っている。
最後に細村の個人サイト「巨大」から何句か紹介する。

イグアナがいつも重心にある円   細村星一郎
水になる木がほんとうに水になる
石庭がひとりでに歪みはじめる
自立不可能な四角い和菓子

2023年3月10日金曜日

「川柳ねじまき」9号

3月×日
市立伊丹ミュージアムで開催されている特別展「芭蕉―不易と流行と―」を見にいく。柿衞文庫が伊丹ミュージアムに統合され、改装のためしばらく休館になっていたので、芭蕉関係の俳諧資料を久しぶりに見ることができた。東京では2021年に永青文庫で開催された展覧会である。宗祇にはじまる連歌関係の展示や時期によって書風の変化する芭蕉短冊、芭蕉筆の「旅路の画巻」など見どころがいろいろあった。統合された伊丹ミュージアムは立派なものだが、難点を言えば、以前は柿衞文庫に申し込めば講義室が使えたのに、市のイベントが優先されるようになって、個人では使えなくなったことだ。
展覧会の刺激を受けて、芭蕉関連の本をぼつぼつ読んでいるが、芭蕉の言葉として伝えられている「虚に居て実をおこなふべし。実に居て虚にあそぶべからず」ということが心に響く。虚とは言葉のことだ。

3月×日
「川柳ねじまき」9号が届く。昨年11月27日に名古屋で開催された『くちびるにウエハース』の批評会の様子が記録されている。何が語られたのか気になっていたので、参加できなかった者にとってはありがたい。
パネラーと参加者の発言が克明にテープ起こしされていて、内容が多岐に渡っているので、全体は本誌をご覧いただきたいが、ここではパネラーの平岡直子の発言をたどっておきたい。平岡は『くちびるにウエハース』をまず「時事詠」の句集ととらえている。その時々の社会や政治の出来事が反映された句集だという。『脱衣場のアリス』が「あたし」の句集(フェミニズムやシスターフッドのテーマ)なのに対して、『くちびるにウエハース』は「ぼくたち」という一人称で始まっている。

ぼくたちはつぶつぶレモンのつぶ主義者

次に平岡は言葉のカテゴリーということを言っていて、正岡豊の短歌となかはらの川柳を比べている。

中国も天国もここからはまだ遠いから船に乗らなくてはね  正岡豊
行かないと思う中国も天国も  なかはられいこ

正岡の短歌について穂村弘が「言葉のカテゴリーの越境」という切り口で批評を書いていることを紹介したうえで、平岡はなかはらの川柳の場合は「中国」と「天国」の間に「越境」ではなく「言葉のカテゴリーの無効化」が起こっているという。
「越境」にせよ「無効化」にせよ、AとBという次元の異なった単語を並べる技法は川柳にはよくあるので、平岡の指摘を興味深く読んだ。意識的に効果的に使わないといけない川柳技術である。

3月×日
挨拶句について考える。
芭蕉は挨拶句の名手だった。芭蕉最後の旅で大阪に来たとき、園女邸で詠んだのが次の句である。

しら菊の目に立て見る塵もなし  芭蕉

白菊は主の園女のことをたとえているのである。女性を花にたとえるのは常套的とはいえ、なかなか心にくい挨拶ではないか。園女はよほど嬉しかったとみえて、のちに『菊の塵』という撰集を編んでいる。
けれども芭蕉はもっと激しい挨拶句も詠んでいる。「野ざらし紀行」の旅で名古屋にやって来た芭蕉は連衆に対して次の句をぶつけている。『冬の日』の第一歌仙「狂句こがらし」の巻である。

狂句こがらしの身は竹斎に似たる哉  芭蕉

狂句に身を焦がしている我が身は竹斎に似ているというのだ。仮名草子の『竹斎』は都で食い詰めた藪医者の竹斎が郎党の「にらみの介」を連れて東海道を江戸に下る道中記。固有名詞は知っている者にはイメージの喚起力が強いが、知らない者にはイメージが湧きにくい。「竹斎」はこの時代によく読まれたようで、芭蕉=木枯らし=竹斎のイメージにはインパクトがあったのだろう。挨拶といっても私性の強い句であり、述志の句でもある。挨拶句にもいろいろなやり方があるのだ。 
『芭蕉七部集』を読んでいると、はっとする付句に出会うときがある。『冬の日』第三歌仙の「仏喰たる魚解きけり」もそのひとつ。前句が津波の句なので、津波で流出した仏像を魚が飲み込んでいて、魚の腹を裂いてみると仏像が出てきたという衝撃的な情景となる。

まがきまで津波の水にくづれ行  荷兮
 仏食ひたる魚ほどきけり    芭蕉
県ふるはな見次郎と仰がれて   重五

三句の渡りで示すと、三句目に花見次郎という人物が登場する。旧家の当主は代々、花見次郎と呼ばれているというのだが、津波の悲劇から転じるのに架空人名を使っているところが興味深い。

3月×日
我妻俊樹の歌集『カメラは光ることをやめて触った』(書肆侃侃房)が刊行されるという。我妻の歌集を待ち望んでいた人は多くて、ツイッターなどで即座に反響があった。我妻の短歌は「率」10号(2016年)の誌上歌集「足の踏み場、象の墓場」で読むことができるが、歌集のかたちで出版されればより広範な読者に届くことになる。 

バスタブの色おしえあう電話口できみは水からシャツをひろった
あの青い高層ビルの天井の数を数えてきたらさわって
手がとどくあんなにこわい星にさえ 右目が見たいものは左目
この話のつづきは箱の中で(いま、開けたばかりできれいなので)
その森がすべてうれしくなるまでにわたしたちは二匹に減っておく

「川柳スパイラル」で我妻をゲストに迎えたときに、参加者へのおみやげとして我妻の川柳作品百句を収録した冊子「眩しすぎる星を減らしてくれ」を作成した。今までにも何度か紹介したことがあるが、歌集に続いて我妻の川柳句集が出ることを祈念して、何句か挙げておく。

沿線のところどころにある気絶   我妻俊樹
サーカスに狙われ胸を守ってね
足音を市民と虎に分けている
くす玉のあるところまで引き返す
流星があみだくじではない証拠
最後にはぼくたちになる旅だった
弟と別れて苔の中華街
おにいさん絶滅前に光ろうか

3月×日
川柳句会に参加するため京都に行く。京都御所を散策。梅林のほか「黒木の梅」が満開だった。九条家の遺構「拾翠亭」が開いていたので、久し振りに入ってみる。九条池には翡翠が飛び、庭にはジョウビタキの姿があった。句会の句案をひねることは後回しにして、雰囲気に浸る。申し込めば句会・茶会にも利用できるそうだ。
次に京都に行くのは「らくだ忌」のときになる。どんな人が参加するのか楽しみだ。 

2023年3月4日土曜日

飯島章友と社会性川柳

昨年8月に開催された「川柳スパイラル」創刊5周年の集い(「川柳スパイラル」16号に掲載)、第二部の飯島章友と川合大祐の対談を聞いていて、おや?と思ったのは飯島が政治風刺や社会性川柳に関心をもっていることだった。今まで社会性の視点から飯島の作品を意識したことがなかったので、遅ればせながら『成長痛の月』(素粒社)を改めて読み直してみることにしたい。
飯島の句を紹介する前に「社会性川柳」について触れておくと、石田柊馬や渡辺隆夫以後、「社会性」という言葉はあまり聞かない。戦前には「プロレタリア川柳」があり、戦後でも松本芳味は「川柳はプロレタリアの芸術だ」と言ったらしいが、今では「時事川柳」はあっても「社会性川柳」は成立しにくくなっている。社会性俳句が過去のものになったように、川柳においても社会性が唱えられることもないようだ。
現代川柳が同時代の現実と向き合うのは当然だが、川柳の実作者が高齢化しているために、時代の最先端で起きている状況について実感をもって表現することがむずかしい。氷河期とかロスジェネ世代とかいう言葉は理解できるけれど、身をもって体験しているわけではないから、切れば血の出るような表現を詠んだり読んだりすることができないのだ。

カネ出せよあんたのネクタイむかつくぜ  石田柊馬
鶴彬以後安全な川柳あそび        渡辺隆夫

社会性はこのあたりで止まっているのだ。
飯島は『成長痛の月』の「あとがき」で「この十二年間、現代川柳・伝統川柳・社会性川柳・狂句的川柳・前句付・短句など、いろいろなスタイルを経験してきました」と述べている。「世界の水平線」の章から社会性が感じられる句を挙げてみよう。

夜の帰路コンビニの灯を信じますか
地上では蠢くものが展く地図
荊棘線に変わる世界の水平線

仕事が終わって立ち寄るコンビニが一種の救済の場になっている。さまざまな人間がそこに集まってくるが、本当に癒しになっているかは疑わしい。屯している人間たちは地を蠢くものとして捉えられている。「荊棘線」は有刺鉄線。水平線が有刺鉄線に変わるのだから、世界に閉じ込められているのだ。フロンティアなどどこにもなく、閉塞感だけがある。

非正規がくっ付いている蓋のうら
氷河期がつづく回転ドアのなか
遮断機がるさんちまんと下りてくる

非正規社員や派遣はすでに珍しいことではない。経済効率を優先することで、日本的経営方式が崩壊し、格差社会が進行した。富の再分配ということも簡単にはいかない。その時代の経済状況によって順調な生活が保障されたり、逆境にさらされたりして、世代間格差が生まれてくる。氷河期、ゆとり教育を受けた世代、失われた十年など、マイナス・イメージの状況でも生きていかなければならない。

グローバル化の果てに喰う塩むすび

新自由主義(ネオリベラリズム)にはプラス・マイナス両面があるだろうが、貧困や格差などのマイナス面が問題になることが多い。

米帝の東京裁判支持します
アメリカ製憲法だから丈夫なの

「社会性川柳」を書くときの飯島の技法がうかがえる二句である。
アメリカ帝国主義という言葉を耳にしなくなって久しいが、作者が東京裁判を支持しているわけではない。「支持します」というのはもちろん反語なのだが、「支持しない」とも言っていない。言葉には二面性があり、固定したひとつのイデオロギーには収まらない。同様に「丈夫なの」も肯定・否定両方に受け取れる。護憲派・改憲派のそれぞれの議論から距離を置いた立場で表現されたアイロニカルな表現なのだ。
さまざまな価値観が乱立する現代において、誰もが納得するような風刺対象は成立しにくく、Aを批判するBに対してBを批判するCが必ず現れる。風刺の毒は相対的に弱まり、何が正しいかもわからなくなってゆく。では川柳にできることは何だろう。飯島は対立する二つのイデオロギーのどちらからも距離を置く。アイロニーは川柳の武器となる。昨年8月の「川柳スパイラル」5周年の集いで飯島が社会性川柳の例として挙げたのは「マルクスもハシカも済んださあ銭だ」(石原青龍刀)だった。
かつて飯田良祐が次のような川柳を詠んだことがある。私はすぐれた社会性川柳だと思っている。

経済産業省に実朝の首持参する   飯田良祐(句集『実朝の首』)

2023年2月24日金曜日

ヒヤシンスと黒百合

2月×日
大阪城の梅林に行く。西の丸庭園には何度か行ったことがあるが、梅林ははじめて。好天気に恵まれ、人出が多い。紅梅・白梅・黄梅などいろいろな種類の梅があり、メジロが花の蜜を吸っている。城のお堀にはオオバンやヒドリガモなどの水鳥が泳いでいた。
豊国神社の東側に鶴彬の句碑がある。場所がわかりにくく、以前来たときは探せなかったが、今回は見つけることができた。

暁をいだいて闇にゐる蕾   鶴彬

2008年に建立されたもので、金沢の卯辰山にある句碑と同じ句だが、金沢の方は表記が「抱いて」となっている。鶴彬の直筆短冊には「抱いて」と漢字になっているので、金沢のはそれに従っている。一方、「蒼空」第4号(昭和11年3月)に掲載された初出では「いだいて」となっているので、大阪城のはそれに従っている。 そういう書誌的なことはさておいて、この句を前にして私が思い浮かべたのは小熊秀雄の「馬車の出発の歌」だった。小熊の詩の冒頭を引用する。

仮りに暗黒が
永遠に地球をとらえていようとも
権利はいつも
目覚めているだろう、
薔薇は闇の中で
まっくろに見えるだけだ、
もし陽がいっぺんに射したら
薔薇色であったことを証明するだろう

鶴彬と小熊秀雄。
鶴彬の句では「蕾」とだけ言っていて、薔薇とは限らないが、小熊の詩が頭の中にあったので私は薔薇のイメージを思い浮かべた。
内野健児(新井徹)が創刊した「詩精神」1935年2月号に鶴彬の作品が掲載されている。

瓦斯タンク! 不平あつめてもりあがり
明日の火をはらむ石炭がうづ高い
ベルトさえ我慢が切れた能率デー
生命捨て売りに出て今日もあぶれ

小熊秀雄は「詩精神」の同人で、小熊秀雄選の詩の募集に鶴彬が応募したこともあったらしい。この時期、鶴彬の川柳と小熊秀雄のプロレタリア詩の交流があったが、やがて小熊は1940年に死んでしまう。

2月×日
「アンソロジスト」4号、ようやく手に入れることができた。
特集「短歌アンソロジー あこがれ」に小島なお・初谷むい・東直子・平岡直子・山崎聡子の五人が作品を出している。「序文」で永山裕美は分厚い小説が読まれるのに短歌や俳句が読んでもらえないという壁について述べている。「昨今、短歌ブームと言われているように、短歌、俳句、川柳、現代詩といったような短詩系文学が、今までと違った読者層に届き始めている、そんな予兆は確かに感じられる。けれども、それでも依然として、この壁はまだ高くそびえたっている」
そして五人の短歌を紹介したあと、永山は次のようにまとめている。「短歌の裾野は今、確かに広がっている。でも、今の百倍くらい読まれてもいいはずだ。短歌だけでなく、俳句や川柳、現代詩、そして、その他の短詩系文学についても同様に、詩歌の良さがより身近に分かちあえる、そんな光景を書店の片隅で、私はずっと夢見ている」
掲載された短歌は本誌のほかにそれぞれの歌人の作品リファイルとしても刊行・販売されている。ここでは平岡直子の二首だけ紹介しておく。

ヒヤシンスみたいに薄い息をするわたしを客席にみつけたの?   平岡直子
黒い百合 井戸の底ではひとときのとてもつめたいみずにさわった

他に小津夜景の「流星の味」や「スケザネ図書室」など、読みどころが満載だが、最後に暮田真名の「音程で川柳をつくる」に触れておきたい。 音程で川柳を?どういうことかわからなかったが、次のようなことらしい。

お話にならない2が増えて行く

2の部分には2音の文字が入るという。従来の川柳入門書では穴埋め川柳というかたちで

お話にならない(  )が増えてゆく

( )の中に2音の言葉を入れる練習問題になるだろう。入れる言葉は意味や韻律や作者の言語感覚によって決まってゆくが、暮田の独自性は「音程」が聞こえるかどうかという点だ。暮田のいう音程とはイントネーションということらしくて、同じ2音の単語でも、「椅子」「岐阜」「棋譜」は候補になるが、「ニス」「キス」「畏怖」は候補にならない。イントネーション(東京弁)が異なるからだ。
たぶん実作の場合はそんな単純なことではないだろうし、詳しいことは暮田の文章をお読みいただきたいが、ふつう作句工房の秘密は伏せておくことが多いので、こんなにオープンにして大丈夫なのかと思ったりする。句の作り方は人それぞれで異なり、単純に模倣しておもしろい川柳ができるとは限らない。