2023年3月31日金曜日

中山奈々の俳句と川柳

「川柳スパイラル」17号の特集は中山奈々の俳句と川柳で、それぞれ10句ずつ掲載されている。見開きの右ページに俳句、左ページに川柳が載っているので、作者が両形式をどのように使い分けているか、興味をそそられる。

末つ子として一番に着膨れる
母歩き疲れて恋猫の区域
左下奥歯に教化されている
物分かりいいひとたちの指相撲

それぞれ二句ずつ引用したが、前の二句が俳句、後の二句が川柳である。俳句は旧かな、川柳は新かなで書かれており、俳句には季語と切れ字が使われているという表層的な相違はあるが、表現内容としては微妙な相違があるとしか言いようがない。素材や主題としては前者には家族が、後者には身体用語が取り上げられているけれど、引用しなかった他の句を混ぜてみると、そのような明確な対比は混濁したものになってゆく。俳句には「そわか」、川柳には「にょぜがもん」という仏教的なタイトルが付けられていて、そこはかとなく統一感を与えている。
四ッ谷龍と榊陽子が作家論を書いている。まず、中山の俳句について、四ッ谷は「強い葛藤には強い表現」で次のように述べている。
「私が中山奈々に注目したのは、『俳句』2019年6月号に彼女が発表した作品『真摯』二十句を読んだ時であった。二十句すべてが菫をテーマとするという思い切った試みであった。中には荒っぽい句もあったが、全句を貫通するエネルギーがこちらを圧倒した」
四ッ谷が挙げている菫の句とは次のような作品である。

ひと指に弱るすみれや日の薄き
耳鳴りの昼を埋めゐるすみれかな
菫および吐き気がずつと通勤す
経血の漏れを隠して菫の夜
陰嚢の骨かもしれぬ菫なり

「強い声調を維持するには、響きを支える技術的な蓄積が必要で、自分の思いだけではなかなか切迫した勢いは出てこないものである」というのが四ッ谷のアドヴァイス。
川柳については中山と交流の深い榊陽子がこんなふうに書いている。
「中山の句は簡単に幻想や虚構の世界に向かわせない。(中略)常軌を逸しながら現実っぽさを怠らないことが中山の川柳への責任の取り方なのかもしれない」(榊陽子「しぶとさという武器」)

私が中山奈々にはじめて会ったのは三宮の生田神宮会館で開催された「俳句Gatherinng」のときだった。中山はパネラーとして登壇し、今後に望むことという質問に対して「仏陀に俳句を書かせたい」と発言した。私はびっくり仰天して、中山奈々の名前をしっかり心に刻み込んだ。その後あちらこちらの集まりで会うことがあったが、当時BL読みということが試みられていて、拙句「プラハまで行った靴なら親友だ」はBLとしても読めるという。そういうものかなと思った。「庫内灯」3号から。

旗に五色きみに毛布を引き寄せて  なかやまなな
手袋を取り合ひ李香蘭を観に

久留島元と中山奈々と私の三人で俳句についての勉強会をはじめたことがある。テクストは『昭和の俳句を読もう』(「蝶」俳句会篇)、会名は「昭和俳句なう」。船団の『関西俳句なう』が出たころだ。𠮷田竜宇や佐々木紺なども加わったが、それぞれ忙しくなって自然消滅。
少し古いが「しばかぶれ」第一集の中山奈々特集に佐藤文香が選出した中山の百句から紹介しておこう。

耳使ふ一発芸や鳥帰る
蟻穴を出て狛犬の口の中
首に湿疹半分がエロ本の店
霜を舐め尽くせと犬を放ちをり
春眠の舌より剥がしたる鱗
四月馬鹿とはなんだ好きなんだけど
きみんちのわけわかんない秋はじめ
息白くゴジラゴジラと遊びけり

中山は川柳も書いてみたいという意向をもっていた。私の悪い癖で、他ジャンルの才能ある若い人に対しては、そのジャンルで頑張った方がいいという態度をとることがある。俳句や短歌ではジャンル意識が強固で、別の詩形に手をだす表現者は疎外されるケースがあるからだ(現在ではやや緩和されているかも)。とりあえず、ゲスト作品として「川柳スパイラル」2号に川柳を書いてもらったが、3号からは会員投句を続け現在に至っている。
中山は連句にも興味をもち、柿衞文庫で開催された和漢連句の会に参加している。2014年11月のことだったが、このときのことは、「連句新聞」2021年秋号のコラムに中山が書いている。
「川柳スパイラル」に掲載された中山の句から十句選んでおきたい。

NASA以外から出品の月の石
明日は空腹指を膣から抜いて
カップルでどうぞと象の肺の枕
エンジンを直す豆腐(できれば絹)
三びきのこぶた製作の前貼り
返品をされてアダムの生理痛
膵臓にいつまでも花咲か爺さん
コロッケにホックがひとつ取れている
カメヤマローソク燃えあがるほどの唾
鯵というより鯖の匂いの黒子

さて、「川柳スパイラル」17号には若手俳人のゲスト作品として細村星一郎と日比谷虚俊の作品が掲載されている。

森に来てトーガは鹿を呼び寄せる 細村星一郎
梯子酒・雑学・隠元豆・衂    日比谷虚俊

細村は俳誌「奎」のなかでも注目していた作者。暮田真名の「月報こんとん」文フリ特別号(2022年6月16日)にも細村の作品が掲載されていた。「門をくぐって以来全部が寿司」「海亀が嘘の高度で嗚咽する」「モノクロの花が咲き乱れる臭気」「二光年先の小さなソーセージ」など。
日比谷は浅沼璞の「無心の会」で連句も巻いているし、堀田季何の「楽園俳句会」にも参加している。今回の俳句では「衂」(はなぢ)という普段見慣れない漢字を使っている。
最後に細村の個人サイト「巨大」から何句か紹介する。

イグアナがいつも重心にある円   細村星一郎
水になる木がほんとうに水になる
石庭がひとりでに歪みはじめる
自立不可能な四角い和菓子

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