2020年10月30日金曜日

金築雨学の川柳

金築雨学(かねつき・うがく)は島根県の川柳人。
雨学といえば次の作品がよく知られているし、私も真っ先に思い出す。

虫に刺されたところを人は見せたがる  金築雨学

説明は何もいらないし、むずかしい言葉はひとつも使っていない。なるほどなあと読む者を納得させる。『現代川柳の精鋭たち』(北宋社、2000年)に収録されている句だが、同書からもう少し抜き出しておく。

送別会再び会うことのないように
反対は一人もいない不信感
よく似合いますよと店員が言う
深追いをしたのか人の声がせぬ
換気扇人の臭いを出しておく

川柳では「平明で深みのある句」が良いと言われることがある。インパクトのある言葉や難解な用語を用いた実験的・冒険的な作品とは別に、川柳の骨法をふまえた平明な句である。雨学の作風は伝統的な書き方で、その特徴は「穿ち」である。
新葉館出版の川柳作家全集『金築雨学』(2009年)に彼の略歴が掲載されている。

昭和16年生まれ。
昭和43年「出雲番傘」入会
昭和47年「番傘本社」同人
昭和51年「川柳展望」会員
昭和56年「風の会」創立
平成15年「バックストローク」会員

島根県の川柳人で雨学の先輩に当たるのが柴田午朗。午朗の句集『黐の木』(もちのき、1979年)のあとがきには次の一節がある。
「私も昭和初年以来『番傘』に所属しながら、川柳の伝統を踏まえつつ、現代人としての私自身の感懐を作品に加えたつもりである」「伝統か、革新か、具象か、抽象かの議論は、川柳界に於ても、また避けることの出来ない問題だが、さて自分自身の作品はどうか、と反省するとき、ただ自分の力なさを嘆くばかりである」
柴田午朗は昭和44年より4年間、「番傘」一般近詠の選者を担当した。金築雨学も柴田午朗のめざした方向性を受け継いでいるように思われる。午朗の作品では「ふるさとを跨いで痩せた虹が立つ」(『痩せた虹』1970年)が有名だが、『黐の木』から何句か紹介しておく。

峠道海へなだれて紅い魚拓     柴田午朗
ふたりきりなら鬼になるほかはなし
蛇を見た日から別れが近くなる
今日も来ない明日も来ない鶴の便り
バスよ急げ鏡の裏にひとが待つ
風に紛れてひとのこころを買いにゆく
千発の花火をあげてさようなら

金築雨学に戻ろう。『金築雨学』のあとがきに彼の詩が掲載されている。

軒の低い小さな雑貨店に入った
何が欲しいと思ったわけではなかったが
赤 青 緑 綴じられた紙風船を取った
風船の紙の手ざわりと
ささやきが耳をクスグル
千円渡したら三百円のおつりを呉れた 

(中略 子供だった「私」は67歳のおじいさんになる)

紙風船を買った雑貨店のつり銭も
まだポケットに残っていて
歩くたびに鳴る
以下余白の命も宙ぶらりんのまま
風が吹く度チャリンチャリンと鳴る

雨学とは「バックストローク」のころに二、三度会ったことがある。この句集を送っていただいたときに、短い手紙がはさまれていて、「私のやっている川柳勉強会では、あなたの理論を充分に参考にしています」とあった。私の書いたものを読んでいただいていたのだと思う。今年7月に彼は79歳で亡くなった。改めて読み直した句集から、引用して終わりにする。

拘っているのか少し熱がある    金築雨学
動物園からお父さんを連れて帰る
霧の中自分の鼻を確かめる
顔の上を誰か歩いたようだった
水面が光って帰りにくくなる
臆病な谷で山葵がよく育つ
蛇の出た話を何時もしてくれる
殺意はあった 何事も無い一日
白という面倒くさい色がある
オオカミに食べられた娘は美しい

2020年10月23日金曜日

短歌がおもしろい(正岡豊『四月の魚』など)

時評がきちんと更新できないまま時間が流れてゆく。何もしていなかったわけではないが、言葉にはまとまらない。この夏から秋にかけて入手した短歌関係の本について書いておきたい。

歌集がたくさん出版された。
まず正岡豊の『四月の魚』(書肆侃侃房)が現代短歌クラシックスの一冊として刊行される。 この歌集は1990年にまろうど社から刊行。2000年に同社から再版刊行(私が持っているのはこのときの本)。「短歌ヴァーサス」に再録。それぞれの版に追加収録されている歌があって、たとえば「短歌ヴァーサス」版では「拾遺四十五首」が付いていた。今度の版では「風色合衆国」が追加されていて、次のような歌。

「時間を殺して明日が来るとでもいうの?」「お前、眠れば明日はくるよ」  正岡豊
大島弓子はまひるの桜 さんさんと散りだせばもうお茶の時間よ

それぞれの版で少しずつ印象が違うのは読んだときのこちらの状態にもよるのだろう。今度読んでいいなと思ったのは次のような歌。

夏になれば天窓を月が通るから紫陽花の髪それまで切るな
よそをむきとぶ鳥はかならず落ちてほほえんで麦になるのであろう
この塩がガラスをのぼってゆくという嘘をあなたは信じてくれた
橋落つるとも紫陽花の帆とおもうまで耳蒼ざめてはりつめていよ

加藤英彦第二歌集『プレシピス』(ながらみ書房)も印象に残る歌集だ。第一歌集『スサノオの泣き虫』から14年、「Es」終刊から5年。

うらぎりをくり返し来し半生か内耳しびるるまで蟬しぐれ   加藤英彦
あれはだれ、あれはわが家で飼っていた犬です むかし死んだ犬です
この夏を越ゆるかどうか食ほそく鱈の身ほぐしつつ口にせぬ
夜ふけてシーツの上にいる蝶のような枯れ葉よ 今そこになにが来ているのか
その口に貴賤のひびきが匂うとき嫌だなあすこし声が艶めく
頽廃のはての宇宙にうかびたる冥王星や井上陽水

高柳蕗子『短歌の酵母Ⅲ青じゃ青じゃ』(沖積舎)は『短歌の酵母』シリーズの三冊目である。
一冊目の『短歌の酵母』(2015年)の「まえがき」には次のように書かれている。
「人間側から見れば、人は自らの意志で短歌を詠んでいるのだが、短歌の側から見れば、人間の意識に偏在し、人という酵母菌たちに短歌を詠ませているのだ。つまり人と短歌は共生関係にある」
今度の本では「青」という言葉のイメージを一冊にまとめている。青の基本イメージは空の色だが、ブルーシートの青や神秘の青、神話の青など、多様な切り口で青の短歌を集めている。引用されている作品が多いので、「青」についてのアンソロジー、データベースとしても便利である。読んでいて永井陽子の歌が特に印象に残ったので次に挙げておく。

もうすぐ空があの青空が落ちてくるそんなまばゆい終焉よ来たれ  永井陽子
仲秋のそらいちまいの群青のわが骨はみな折れてしまふよ
夏空のほとほとかたき群青も食ひつくすべし鵯の悪食
シベリアの青き地図など描きつつ心の破片を集めていたる

空の青といえば若山牧水の次の歌が有名で、本書でも最初に取り上げられている。

白鳥は哀しからずや空の青海のあをにも染まずただよふ     若山牧水
ランボーはむかしいもうとの妻であり青空を統べる骨ひとつあり 瀬戸夏子

高柳蕗子は瀬戸の歌について、〈「白鳥」からはじまった系譜の究極の姿のひとつ〉と述べている。「あの白鳥が骨になっちゃった!」というのだ。おもしろい見方だと思う。
川柳でも「青」の句が多いのでいくつか挙げておく。

ドラえもんの青を探しにゆきませんか   石田柊馬
足首に青い病気を持っている       樋口由紀子
青を着て青く解体されてゆく       松永千秋
青い絵の中で青溶く王に逢う       清水かおり

『塚本邦雄論集』(短歌研究社)は塚本邦雄生誕百年として、「現代短歌を読む会」の七人の執筆者(池田裕美子・尾崎まゆみ・楠誓英・楠見朋彥・彦坂美喜子・藤原龍一郎・山下泉)による論集。それぞれ読み応えがあるが、彦坂美喜子「塚本邦雄─その始まりの詩想」と藤原龍一郎「魔王転生─『波瀾』、『黃金律』、『魔王』を読む」が特に興味深かった。

秋になって、ヘッセの「霧の中」という詩とリルケの「秋」をときどき思い浮かべる。秋は実りの季節であると同時に黄落の時期でもある。頽落のときをどう乗りきるか。

2020年10月16日金曜日

第14回浪速の芭蕉祭

10月11日に「第14回浪速の芭蕉祭」がリモート連句で開催された。例年、大阪天満宮の梅香学院で行われているのだが、今年はコロナ禍のためオンラインで開催することになった。参加者は23名。関西・東京のほか会津・金沢・伊勢・鹿児島などからも参加があり、リモートなのでかえってご参加しやすかったようだ。
「浪速の芭蕉祭」は芭蕉終焉の地・大阪にちなんで2007年10月にスタートした。第2回から隔年ごとに連句の募吟をはじめ、第4回から第10回まで毎年募吟をおこなってきた。形式は自由で、さまざまな連句形式を同じ土俵にのせて審査するところに特徴があったが、現在は募吟を行っていない。
当日は12時40分にZoom入室、13時から約1時間、門野優・小池正博・高松霞による鼎談「若手連句人から見た現代連句の世界」、その後4セッションにわかれて連句実作を行った。鼎談では「捌き手に求められるのはルールの障りを見つける能力ではなく、付句を決定するセンス」などの発言もあり、あとの実作にプレッシャーがかかったことだろう。
小池正博捌きの座では十二調を巻いた。
十二調は昭和期に瀬川芦城が創始したが、その後絶えていたのを平成に入って岡本春人が現代向きに改革を加えたもの。 天野雨山編の『昭和連句綜覧』から昭和の十二調を紹介しておく。倉本方城・西尾其桃・寺崎方堂の三吟「冬木立の巻」である。

(再度山に登りて)
山門や句塚見返る冬木立    方城
 鶯の子のいとけなき聲   其桃
馬糞紙の積出荷物嵩はりて   方堂
  生かぢりても英語間に合ふ  城
秋も咲く茨の匂ふ窓の月     桃
  呉服祭に假の祝言      堂
約束のおへこの年期勤め上げ   城
  お國自慢の天の橋立     桃
さらさらと吹て通つた青嵐    堂
  乾き加減に落る瘡蓋     城
こつそりと花見て戻る宵の程   桃
  とりまはしよき別荘の春   堂

岡本春人は〈十二調は季の句と雑(無季)の句が半々、景の句と情の句が半々ぐらいの配分で作ります。むずかしい規則のない、新しい形式の連句です〉(『連句のこころ』)と述べている。
新派の連句について付け加えておく。最近は新派・旧派という区別をあまり言わなくなったが、美濃派・伊勢派などの伝統的俳諧を旧派、正岡子規にはじまる明治からの俳句・連句を新派という。高浜虚子は連句の重要性を認識していて、高浜年尾に雑誌「俳諧」の発行を命じ、阿波野青畝にも連句の研鑽を示唆した。年尾の『俳諧手引』の巻頭には「昭和俳諧式目」が掲載されている。青畝の「かつらぎ」系の俳人には連句の心得があり、岡本春人の「俳諧接心」に受け継がれた。

ところで、来年の国民文化祭は和歌山で開催されることになっていて、「連句の祭典」は上富田町で行われる。上富田町は熊野古道の入り口に位置していて、その一帯は口熊野と呼ばれている。
八上神社(八上王子)をはじめ由緒ある遺跡も点在している。八上王子は藤原定家の日記『後鳥羽院熊野御幸記』の建仁元年(1201)の条に、後鳥羽上皇の熊野御幸のことが記されている。また、西行法師の歌でも有名で、境内には西行歌碑も建立されている。

   熊野へまいりけるに、八上の王子の花面白かりければ、社に書きつけける
待ち来つる八上の桜咲きにけりあらくおろすなみすの山風(『山家集』上春98)

あと、田中神社のオカフジは南方熊楠が命名したことで知られている。
紀伊田辺の南方熊楠顕彰館や新宮の佐藤春夫記念館など、和歌山県にはゆかりの文学者が多い。
現在、和歌山県民文化会館で「連句とぴあ和歌山」、上富田文化会館で「はじめての人のための連句会・上富田」、二つの連句会が立ち上げられている。

以上、連句の話をしてきたが、川柳とも無関係ではない。連句には五七五の長句と七七の短句があるが、川柳にもこの両形式がある。 川柳雑誌「風」第118号(編集・発行 佐藤美文)では第21回風鐸賞が発表されている。今回の正賞、本間かもせりの作品から紹介しよう。七七句(十四字)である。

どのページにも待つ人がいる  本間かもせり
逃げて逃げてと叫ぶ天気図
となりの窓も窓を見ている
二、三歩先を歩き出す季語

連句の短句が前句とセットでひとつの世界を形作るのに対して、川柳七七句は一句独立するところに違いがあるが、本間の句は連句の付句に用いてもおもしろいように思われる。

2020年8月28日金曜日

片恋以外は平家に非ず―瀬戸夏子第三歌集『ずぶ濡れのクリスマスツリーを』

残暑のはずなのに真夏日が続き、だらだらと過ごす毎日だが、瀬戸夏子の歌集『ずぶ濡れのクリスマスツリーを』が届き、緊張感が走った。『そのなかに心臓をつくって住みなさい』『かわいい海とかわいくない海』に続く第三歌集である。正岡豊の『四月の魚』が現代短歌クラシックスの一冊として発行されるなど、このところ短歌から目が離せない。
瀬戸の歌集のタイトルになっているのは次の短歌である。

ずぶ濡れのクリスマスツリーは目を覚ましツリーの心に目隠しをする

「クリスマスツリー」といえば、第一歌集の次の歌を私はよく覚えている。

あんた、怒ってるとき、見えてるよ、神経がクリスマスツリーみたいで

この神経がひりひりするような歌と比べて、こんどのクリスマスツリーは少し抒情的になったかな、と思った。この一首に限っての話だが。いずれにしても真夏にクリスマスツリーの歌を読むのはおもしろい。
瀬戸夏子の短歌は歌人よりも現代詩人に評判がよいようだ。もちろんコアなファンは短歌にもいるのだが、瀬戸の短歌は通常の短歌の作り方とは違う。一行詩ではなくて多行詩の発想のような気がする。前後の文脈とは別のところから言葉が飛んでくるのだ。
瀬戸の言語感覚でおもしろいと思ったのは、「海でできた薔薇」「真新しい追従」「呼吸の新月」「双子のための鬼門」「荷風のための初恋」「女身の川端康成」などのフレーズ。「獅子と苺との鍵」なんて手術台の上のミシンとこうもり傘の出会いみたいだ。歌集のなかで一番気に入ったのは次の歌。

天の首絞める両手がふとゆるみ片恋以外は平家に非ず

「平家でなければ人に非ず」を屈折させて展開している。「片恋以外は平家に非ず」とは魅力的な呟きである。

なずな、恋、紫野いき標野いき途中でパン屋の娘と出会う

「なすな恋」は「保名狂乱」のさわりだし、「紫野行き標野行き」は言うまでもない。このズリ落とし方はけっこう好き。 瀬戸は柏書房のWEBマガジンの連載「そしてあなたたちはいなくなった」も好調だし、着実に仕事を進めている。
それにしてもこの歌集、水色の紙にピンクの活字とは老眼の身にとって読むのがつらい。がんばって読めという作者の声が聞こえる。

時評の更新、次はいつになるか分からないので、川柳のことも書いておきたい。

パンの耳揚げて話はまだ続く   西川富恵
生玉子ひとつだけでは多すぎる  大野美恵
氷菓ひとくち躰は混みあっている 清水かおり

「川柳木馬」165号から。
西川富恵の川柳歴は長い。川柳をはじめたのが1974年。「川柳木馬」の創立同人である。その西川の現在の境地、平明で深みのある句。
大野美恵、ひとつだけなら「少なすぎる」だろうと思わせるところからこの句の読みはスタートする。「ひとつでは多すぎる」ではなくて、「ひとつだけでは多すぎる」というところにニュアンスが生まれる。
清水かおり、氷菓をひとくち食べてみる経験は誰にでもあるが、「躰は混みあっている」という感覚は独自なものだ。物を摂取することで、体内にあるさまざまなものの存在が混みあって意識される。「体」が「躰」として感じられる。

とびきりの笑顔でエッシャー渡される 潤子
右手からまだ離れないものがある   守田啓子
誰が死んでも海岸線は美しい     細川静
諦めたのは二十四歳の窯変      滋野さち
らせん堂古書店に入る片かげり    笹田かなえ

「カモミール」4号から。
一句目、エッシャーの版画は迷宮のような世界を表現していて人気がある。川柳の題材にもしばしば使われるから新鮮さはない。だからこの句の価値は「とびきりの笑顔」にある。迷宮の世界に笑顔で誘いこむのは一種の悪意だろう。この笑顔が曲者なのだ。
二句目、「離れないもの」って何ですか?と突っ込みを入れたくなる。左手からは離れていったのだろうか。右と左に意味を読み取ろうとすると、たとえば右利きの人にとって右手は現実にかかわり、左手は夢や理想にかかわるというような対立軸が想定される。けれども、この句はそういうことを言っているのではないだろう。
三句目、一読明快。
四句目、窯変天目という茶碗がある。茶碗に窯変が生まれたように、二十四歳の時に何かがあって人生が変わったのだろう。
五句目、とある街の片隅に古書店があって、店名を「らせん堂」という。店主は老人でもよいが、文学好きの青年だとしておこう。

不安10粒サハラ砂漠で砂になる   四ツ屋いずみ
呑み込んで赤い卵を産みつける   西山奈津実
散り急ぐ桜ウイルス見すぎたか   斎藤はる香
二メートル離れて好きとか嫌いとか 浪越靖政
苔むした兄から先は考えぬ     一戸涼子

「水脈」55号から。
サハラ砂漠に砂があるのは当然だが、サハラ砂漠で不安が砂になったと言っている。砂と不安はすでに見分けがつかない。
二句目、何を呑み込んだのか。呑み込んで産みつけるまでのプロセス。
ウイルスを詠んだ二句。アプローチの違い。
一戸涼子は完成度の高い句を書いている。快心の一句ではないか。

例えば、女の自分に慣れてきた   千春

このたび発行された千春の作品集『てとてと』(私家本工房)から。
ジェンダーにまつわる自分との違和感。
自己を客観視できるようになったとも言えるし、慣れてきたことがいいのかとも思われる。
川柳におけるジェンダーの問題を考えるときに、欠かせない作品になるかも知れない。

2020年8月1日土曜日

リモート連句体験記

「大阪連句懇話会」は2012年2月にスタート。関西を中心とする連句グループである。大阪・上本町の「たかつガーデン」を会場とし、今年4月に第30回を開催する予定だったが、コロナ禍で中止となった。6月になって少し状況が落ち着いたので7月に再開する予定だったのが、第二波が来たので集まれる者だけ座の連句、自宅で自粛したい者はリモート連句の二本立てで計画していた。さらに状況が悪化し、座の連句はあきらめて、在宅のままリモート連句をやろうということになった。 テレワークやリモートワーク、オンライン飲み会などが言われるなかで、インターネットにそれほど強くない私などにはハードルが高い。以前からパソコンにZOOMを入れるよう勧められていたが、いよいよお尻に火がついた。
ZOOMのホームページは何度か見ていたが、文字の説明だけでは分かりにくいところもある。手っ取り早くユーチューブを検索して、その説明を参照しながらダウンロードをすると思ったより簡単にできた。
当日は、「日本連句協会」の「リモート連句推進メンバー」の門野優に主催者になってもらった。事前にURLがメールで届くので、クリックすれば自然にZOOMの画面に入ることができる。ZOOMの入っている末端(パソコン・スマホ)とメールが届く末端が別の場合は、ミーティングIDとパスコードを入力すればよい。 私自身の課題としては、ZOOMでパワーポイントを使った説明ができるようになること。これは2月のときに予告していた「俳諧博物誌」のうち、野鳥俳句の話をするのに、パワポなら鳥の写真もスライドに上げることができるので、急遽作ってみた。
山谷春潮(やまや・しゅんちょう)の『野鳥歳時記』は野鳥俳句の名著といわれている。彼は「日本野鳥の会」の創設者・中西悟堂に師事、俳句では水原秋桜子の門下。そんな関係で秋桜子も中西悟堂と交流があり、「馬酔木探鳥会」というのを行っていた。秋桜子も鳥には詳しい。野鳥についてはこの時評(4月10日)でも少し触れたことがある。
「鴨」は冬の季語だが、マガモ・コガモなど渡り鳥(冬鳥)の場合で、「夏鴨」はカルガモのことだという話をした。夏鴨は別名「軽鳬」(かる)とも言い、大和の「軽ケ池」にちなむそうである。歳時記(十七季)では「軽鳬の子」(かるのこ、三夏)というかたちで出ているが、カルガモの親子の姿をとらえた季語だろう。私もカルガモの親子(カルガモのお引越し)を近所の槙尾川で二度見たことがある。あと、漢字で書くと紛らわしいものに「鳬」(けり、三夏)がいて、これば別の鳥。
パワーポイントも無事に使うことができて、私の話は30分で切り上げ、連句の実作会に。捌きは門野さんにお願いした。 句案はチャットを利用する。チャットをクリックすると右側にチャットの画面が出てくる。付句を書き込み、Enterを押すと自分の付句が表示される。参加者全員に表示されるが、捌き手だけに届くようにすることもできるので、投票で発句を選ぶときなどに便利だ。 画面共有はワードやテクストなども使えるので、捌き手が付句の進行を全員にわかるように画面表示してゆく。このときに捌きと書記(執筆)の役割分担が必要だが、今回ははじめての人が多く、捌き一人に負担をかけてしまった。次回からは役割分担ができると思う。
午後1時スタートで(連句実作は1時半から)、午後4時半終了の予定だったが、半歌仙を巻きあげると午後6時近くになった。慣れれば時間短縮できるはずだ。 あと、参加者が多いときは、ZOOMのなかでいくつかの部屋に分けることができるので、そのやり方をリハーサル。自分の部屋の練衆とは会話できるが、別の部屋の画面は映らない。困ったときはヘルプを押せば、主催者が移動してきてくれる仕組みである。 連句会が終了して何人かの方は退出。残った有志でオンライン飲み会を30分ほど。これ、一度やってみたかったんですね。夕食の支度もあるのに引き留めてごめんなさい。

さて、「猫蓑通信」112号に掲載された「リモート連句の可能性」で、山中たけをがリモート連句の利点を五つ挙げている。
①インターネットとビデオ通話のできる端末があれば、どこでも連句ができる。
②自宅から出られない連句人が実作に戻るきっかけになる。
③離れた地方や海外の人とも連句ができる。
④文音に比べれば実際の座に近く、即興性、座の反応なども見られる。
⑤コロナ禍のいま、STAY HOMEでも小さな旅のような体験ができ、心を自由にするきっかけになる。

よいことばかりのようだが、山中は課題も5点挙げている。
①一般参加にはインターネットとビデオ通話のできる端末が必要。
②捌きのほかに書記(執筆)が必要。 ③捌きや書記にはアプリの知識が必要。
④顔を突き合わせての実作に比べれば情報量は少ない。
⑤捌きの進行する会話以外に雑談するにはコツが必要。

①はパソコン、スマホどちらでも可能だが、カメラとマイクが内臓されていないデスクトップのパソコンの場合は外付けが必要になる。ノートパソコンはおおむね内臓されているのでそのまま使える。ZOOMは無料と有料があるが、主催者以外の一般参加者は無料で十分。主催者が有料に入っていれば、一般参加者は40分を過ぎてもそのまま続けることができる。
②は捌きが一人で行うこともできるが、負担が大きくなるので、捌きと書記の役割分担が望まれる。
③はチャットや画面共有のやり方をはじめ、質問やトラブルが生じたときにZOOMに習熟している人がいれば安心できる。
④は実際の座と比べると伝わる内容量は落ちるが、従来の手紙・メール・ツイッターなどに比べると顔の映像と音声があるだけに情報量は多くなる。
⑤は参加者が一斉に喋ると混乱するので、発言のタイミングがむずかしく、話したいことがあっても発言を控えてしまうケースが生じる。捌き手が適宜参加者に質問したり発言を要請したりするほか、参加者が話したいときは最初に「××さん~」と呼びかけてから話しかける配慮も必要。 いずれも一、二度体験すればクリアーできると思われる。

コロナが怖くて外出できない高齢者にとってリモート連句は100%安全である。
また人数制限のある大会・連句会の場合でも、実際の座のほかにリモート連句を併用すれば遠方の人も参加可能。たとえばリモートに20人の参加者があれば5人ずつ4座に分けることができる。50人なら10座。それぞれに捌き手と書記が必要。
前掲の「猫蓑通信」で山中は「転んでもただでは起きずに、コロナ禍のピンチをチャンスに変えて」と呼びかけている。外出を自粛しているが連句からは離れたくないと思っていらっしゃる方はチャレンジしてみてください。

2020年7月24日金曜日

岡井隆と現代川柳の接点

現代川柳が短詩型文学の読者の目に触れるかたちで取り上げられることは、従来少なかったのだが、岡井隆・金子兜太の共著『短詩型文学論』(紀伊國屋書店、1963年)はその貴重なケースであった。この本は岡井の短歌論と金子の俳句論から構成されているが、現代川柳に触れているのは金子の俳句論の方である。本文ではなくて(附)と記された注のような扱いで次のように書かれている。

河野春三は「現代川柳への理解」で、俳句と川柳が最短詩としての共通性をもち、現在では内容的にも一致している点を指摘し、「短詩」として一本のジャンルに立ち得ることを語っているが、一面の正統性をもっていると思う。ただ、両者の内容上の本質的差異(川柳の機知と俳句の抒情)は越えられない一線であると思う。

「俳句と川柳の本質的差異」についての捉え方が今日の眼から見て妥当かどうかは別として、この時点での金子兜太の考え方が示されている。
河野春三の『現代川柳への理解』(天馬発行所、1962年)は現代川柳の理論水準を示すもので、その後長い間これを越える川柳書は現れなかった。
岡井隆は金子兜太を通じて現代川柳のことも知っていたはずである。そのことを後年になってから、岡井隆は「金子兜太といふキーパースン」(『金子兜太の世界』角川学芸出版、2009年)で次のように書いている。

昭和三十年代あるいは四十年代のはじめだつたか、前衛川柳の何人かの人と、私とを、金子さんは引き合わせてくれた。今はやりの風俗的な、口あたりのいい川柳とはちがう川柳。今、心ある新鋭たちが柳壇の再興をねがつて論をかさね、作品を書いてゐるのを読むと、この人たちの先輩にあたるのが、金子さんが引き合わせてくれたかれらだつたのだと思ふ。あの謎のやうな一群の川柳人たちと、私は、巣鴨か大塚あたりの小さなホテルで合議したことがある。あれは一体何なんだつたのだらう。大方は私の方の事情で、この会議は続かなかつたが、金子兜太の、俳壇を超越した動きの一端はあのあたりにもあつた。

岡井が述べているのは昭和40年前後の柳俳交流についてである。「柳俳交流」について私はこれまでに何度も書いたことがあるが、金子兜太・岡井隆と関連のありそうなデータだけ示しておきたい。ご興味のある方は拙文「柳俳交流史序説」(『蕩尽の文芸』所収)をご覧いただきたい。

〇「川柳現代」15号(発行・今井鴨平、昭和39年1月号)
特集は山村祐著『続・短詩私論』(森林書房)の書評で、金子兜太「短詩と定型」・林田紀音夫「共通の場に立つて」・加藤太郎「『続・短詩私論』を読んで」・石原青龍刀「『続・短詩私論』を読む」・秋山清「『続・短詩私論』私観」・高柳重信「『続・短詩私論』に関するわが短詩私論」を掲載。

〇「俳句研究」昭和39年10月号
河野春三「川柳革新の歴史」・松本芳味「現代川柳作品展望」・山村祐「川柳という名の短詩」         
〇「俳句研究」昭和40年1月 座談会「現代川柳」を語る
司会・金子兜太、川柳界から河野春三・山村祐・松本芳味、歌人の岡井隆、俳人の高柳重信による座談会

特に〈「現代川柳」を語る〉という座談会は興味深いので、この時評(2014年8月22日)でも小説風にアレンジして紹介したことがある。
その後、岡井と現代川柳との接点は途絶えたようだが、「今はやりの風俗的な、口あたりのいい川柳とはちがう川柳。今、心ある新鋭たちが柳壇の再興をねがつて論をかさね、作品を書いてゐるのを読むと、この人たちの先輩にあたるのが、金子さんが引き合わせてくれたかれらだつたのだと思ふ」というような部分を読むと、後輩である現代川柳人のことも岡井の視野に入っていたのだと思われる。『注解する者』のなかに佐藤みさ子の川柳が引用されたこともあった。
岡井隆は現代川柳についてまとまった発言を残していないが、現代川柳のことも遠くから見ていたはずである。これからの20年代の川柳のことも引き続き見ていてほしかったと思う。岡井は昭和40年ごろの川柳人について「あの謎のやうな一群の川柳人たち」と言ったが、現代川柳が「謎のような存在」ではなくなってゆくことを願っている。

2020年7月10日金曜日

井上信子と女性川柳(新興川柳ノートⅡ)

瀬戸夏子が柏書房のwebマガジンに連載している「そしてあなたたちはいなくなった」からは多くの刺激を受けているが、特に「女人短歌」の創刊をめぐって、北見志保子と川上小夜子について書かれた文章は興味深かった。

「彼女たちはなんども試みた。当然のようにそれは厳しい戦いだった。彼女たちの最後の賭けが『女人短歌』だった」

こういう文章が瀬戸の魅力だが、ひるがえって川柳における女性作家、女性川柳はどうだったかと考えたときに、まず思い浮かぶのは井上信子の存在である。
信子は井上剣花坊の妻であり、剣花坊の没後「川柳人」を復活させ、鶴彬を庇護したことでも知られている。

国境を知らぬ草の実こぼれ合い  井上信子

この句は信子の代表作であり、昭和に詠まれた名吟のひとつである。
さて、新興川柳運動の渦中に組織された女性作家集団に「川柳女性の会」がある。
「川柳人」昭和5年1月号に掲載された「川柳女性の会」のメンバーは15名であるが、翌年2名を加えて17名となる。そのうち人物と作品が比較的分かっている7名について紹介しておく。

市来てる子
井上信子
井上鶴子
吉田茂子
近藤十四子
三笠しず子
片岡ひろ子

市来てる子は消費組合運動の活動家で、階級意識をもったプロレタリア川柳家。

どつと出た赤い血だ犬にぶつかけろ  市来てる子
阿片だよ社会政策に眩まされるな

井上信子の作品は後回しに。井上鶴子は剣花坊と信子の次女。結婚後は大石鶴子の名で知られている。

さつくりとほうれん草の青い音   井上鶴子(大石鶴子)
ギュッと捻る水道栓の決断
閑寂の庭に小鳥の尾のリズム
絶対の否定空いっぱいに立つ
巣立たんとして大空の持つ魅力

吉田茂子は山口県萩の生まれで、井上剣花坊とは同郷。柳尊寺句会に出席したのがきっかけで、川柳をはじめる。浄土真宗の信者で、のちに「川柳人」から遠のく。

持てるもの皆奪はれて冬木立   吉田茂子
淋しさを抱いて取り残されてゐる
ぢつと見る目路に仏陀の笑みがある
ゆれ動く秤の上に立つこころ
抱き合つた刹那仮面をぬいでゐる

近藤十四子(こんどう・としこ)は最年少の川柳少女で、号から推定されるように、参加当時は十四歳だったようだ。ただ、二、三年後には「川柳人」への投句を止めてしまったのが残念だ。『「死への準備」日記』で有名な千葉敦子は近藤十四子の娘である。

底の無い悩みを神に責めたてゝ   近藤十四子
知ることの寂しさ今日も本を読み
水水とひでりにあえぐ草の声
あえぎつゝたどり着けば断崖
稲妻となつて雲間を突つぱしる

三笠しず子は「大正川柳」「川柳人」「氷原」「影像」などに作品を発表し、井上信子とともに新興川柳の女性作家の双璧である。

軟らかに抱いた兎の息づかい   三笠しず子
これ以上人形らしくなり切れず
ひそやかに触れてはならぬものに触れ
いろいろな女の息を吸ふ鏡
ぐるりと変な猫の眼男の眼

片岡ひろ子は岡山県津山市の生まれ。津山における近代川柳史に名を残し、「岡山の明星」と言われた。

添乳する女房は腮で返事をし  片岡ひろ子
霜天に満ちて蠣船火を落とし
蜂の巣のやうな心の日が続き
オレンジの木立へ帰る夕鴉
いつそもう蛇の心になつてやれ

次に、「女人芸術」の川柳欄について、まとめておこう。
長谷川時雨の「女人芸術」は昭和3年(1928)から昭和7年(1932)まで全48冊を発行。女性を中心とした文芸誌として社会的役割を果たした。昭和5年7月号から井上信子の作品が川柳欄に掲載され、昭和6年7月号からは「新興川柳壇」が登場、選者は井上信子。誌面では二、三ページだったようだが、翌7年6月の「女人芸術」終刊まで丸一年続いた。
私は雑誌のバックナンバーを見ていないので、日本プロレタリア文学全集40『プロレタリア短歌・俳句・川柳』(新日本出版社)から掲載句を抜き出しておく。
まず、井上信子の作品から。

明快な渦で世相は新まり    1930年7月号
飢えた眼の底に賢さ燃え上り
青空へ枝が伸びゆく生(せい)の首
官服の案山子となって餌を貰い 1931年7月号
暴圧へむく感情の弾道

信子には芸術派とプロレタリア派の両要素があるが、ここではプロレタリア文学の傾向が前面に出ている。
次は信子の娘の井上鶴子の作品。

横列も縦列も一つ心臓       1931年6月
それぞれの着物にデモのありったけ
青空と地獄を結ぶ煙突

あとは任意に抜き出しておく。

口紅を拭いて明日へ立ち上り     小池梅子  1931年7月
そちこちに踏まれた草が伸びている  小出弘子  1931年7月
真裸で働けば涼しいとは何んだ    小出弘子  1931年7月
ブラ下がる児をサイレンにもぎとられ 岡本光恵  1931年7月
暴圧の中にひそひそ咲いた恋     岡本光恵  1931年7月
黙々と恥心を包む握り飯       日浦澄子  1931年8月
軽々と五尺の玩具弄び        近藤十四子 1931年10月
血みどろの手がアジビラを撒いてゆく 近藤十四子 1931年10月
公然の秘密人間屠殺業        近藤十四子 1931年11月
断末の双手が太陽をヒン摑んだ    新谷輝子  1932年3月
メーデーへつばめも気勢上げて飛び  伊藤好子  1932年5月
横列縦列ガッチリとして隙もなし   銭村葉子  1932年6月
女工の眼父のたよりへうずく胸    疋田栄   1932年6月
凱旋の兵士ヒッソリカンといる    疋田栄   1932年6月

近藤十四子は「女人芸術」にも投句していたようだ。十四子は非合法の労働運動に携わり、検挙されて拷問を受けたこともあるという。彼女以外はほとんど無名の作者である。
最後に井上信子の文章と川柳作品を紹介しておく。

「永い間、殆んど男子の手に握られて居た柳壇に、女性と云へば暁天の星よりも、なほ微々たるものであった。それが近頃、新興川柳の本質を理解し、これこそ時代の詩であることに企望を抱いて、女性の作家が、私達の毎月催す女性の會へ一回毎に数を増すやうになったことは心から嬉しい。たとひ微々たるまどひにせよ、この繊細な足には弾力が秘められて居る。堅実な一歩一歩は、お互ひに呼び交はされて進むであらう。私達の努力が報ひられて、やがて次ぎの時代の川柳詩人の間に多数の女性を見出すことの出来るのを、こひねがってゐる」(「新入の女性作家を得て」、「川柳人」217号、昭和5年11月)

一ぱいの力で咲けばすぐ剪られ   井上信子
よく光るさても冷めたい長廊下
踏まれても地下へはびこるあざみの根
一人去り 二人去り 佛と二人 (剣花坊追悼吟)
民権のレッテルの代りにヱプロンをかけさせ
燃えながら冷えながら冬を灯して明日を待つ
貞操のむくひは同じ墓の中
詩に痩せぬ友の集り風は初夏
悪政をもみくちやにして詩が生れ
国境を知らぬ草の実こぼれ合い

女性川柳人の活躍する現在とくらべると今昔の感があるが、現在の隆盛は井上信子たちが先駆的に切り開いた道だ。女性連句については別所真紀子の仕事があるけれど、女性川柳についてはまだ研究の余地がありそうだ。

参考文献
谷口絹枝『蒼空の人・井上信子‐近代女性川柳家の誕生』(葉文館出版)
平宗星『繚乱女性川柳』(緑書房)
日本プロレタリア文学全集40『プロレタリア短歌・俳句・川柳』(新日本出版社)
坂本幸四郎『新興川柳運動の光芒』(朝日イブニングニュース社)
一叩人編『新興川柳選集』(たいまつ社)