2013年3月9日土曜日

若さの華やぎと加齢の華やぎ

今回は俳句の話題に終始する。
俳句同人誌「里」2月号から佐藤文香選句欄「ハイクラブ」がスタートした。発行人の島田牙城は「俳句の選者年齢がどんどんと高くなつてゆくことに僕は強い危惧を感じてきた」と述べている。そして、短歌誌「未来」で笹公人、黒瀬珂瀾の選歌欄が始まることに触れ、「短歌の世界は常に変化を求めてゐる。そして〝現代〟の中にあらうとしてゐる。俳句が超然としてゐていいわけがない」と言う。こうして佐藤文香選句欄がスタートし、メールの使える人なら誰でも投句できる。今月の「里」3月号ではさらにパワーアップしている。

並び帰ってゆく白鳥つまらないね     福田若之
鴨・海老・豚みな死んでゐる皆で囲む   高山れおな
薄氷に触れて匿名希望です        石原ユキオ
暖房は頭の上が温かし          上田信治
顔近くないかおでんを食べないか     なかやまなな

第三回田中裕明賞を受賞した関悦史の句集『六十億本の回転する曲がった棒』は「人類に空爆のある雑煮かな」などの句で有名であるが、受賞の選考過程が冊子になっている(『第三回田中裕明賞』ふらんす堂、2013年1月29日発行)。
応募句集は七冊あって、関の句集のほか御中虫『おまへの倫理崩す何度でも車椅子奪ふぜ』、前北かおる『ラフマニノフ』、山口優夢『残像』、中本真人『庭燎』、青山茂根『BABYLON』、押野裕『雲の座』である。選考委員は石田郷子、小川軽舟、岸本尚毅、四ツ谷龍の四人で、関の句集が8点、御中虫が7点であった。主催者・ふらんす堂の山岡喜美子による「選考経過報告」には次のように書かれている。
「連作の手法で鮮やかに世界を切り取ってみせる関悦史とさまざまな実験を試みながらも一句の独立性を希求する御中虫、これはそのまま『俳句性とは何か』ということに関わってくる問題であり、そこで選考委員の考え方がわかれたのである」

昨年12月に神戸の生田神社で開催された「俳句Gathering」、その後の動きとしてブログが立ち上げられている。このイベントのレポートはすでにいくつか出ているが、2月10日には石原ユキオの辛口の感想が掲載され、また、現在、当事者によるまとめが進行中のようだ。自ら総括することによって出発点を確認し、次に進もうということだと思う。今後の展開に期待したい。

http://ameblo.jp/haigather/entry-11482825055.html

若手俳人だけではなくて、高齢の俳人の活躍も華やかである。
金原まさ子の第四句集『カルナヴァル』(草思社)が発行された。
金原まさ子(きんばら・まさこ)は明治44年東京生まれ。1970年の「草苑」創刊に参加。2001年「街」同人。2007年「らん」入会。2011年7月にはじめた「金原まさ子 百歳からのブログ」が評判になり、現在102歳。池田澄子の帯文に「健気に淫らに冷静に。言葉を以てこんなに強くエレガントに生きることができるなんて!」とある。

二階からヒバリが降りてきて野次る
ひな寿司の具に初蝶がまぜてある
ヒトはケモノと菫は菫同士契れ
赤い真綿でいつか海鼠を縊るなら
責めてどうするおおむらさきの童貞を
炎天をおいらんあるきのおとこたち

文句なしにおもしろい。
マンネリズムや自己模倣とは無縁の世界である。高齢者文芸の可能性が言われるなかで、枯淡の境地というものもありうるが、加齢による華やぎは読んでいて楽しい。
あとがきに曰く「『カルナヴァル』は私の第四句集であり、また最後の句集でもあると思っています。最後の句集ならば『清く正しく美しく』あらねばと思い、いや私にはムリと思い、そして、このように、祭のような(と言いたい)句集になりました」

あと、送っていただいた句集を何冊か紹介する。
小倉喜郎句集『あおだもの木』(ふらんす堂)から。

梅日和砂場に砂が運ばれて    小倉喜郎

「船団」96号に内田美紗が書評を書いている。内田は「俳人の間で批判的に言われる『ただごと俳句』とも見えるが、大方の人は不整合な『ただごと』の中に潜むヘンな気分と折り合いをつけながら暮らしているのではないだろうか」と述べ、掲出句について「あるのが当然と思っていた砂場に砂が運び込まれているのを見てアレッと思った心の動き」と評している。
作者は亀岡市在住。タイトルのあおだもの木であるが、句集「あとがき」によると、亀岡城址に植物園があって、散歩コースにしているらしい。「そんな気に入りの植物園の入り口付近にはあおだもの木があり、揺れながら我々を迎え、そして見送ってくれる」

紅梅が悪役のように立っている    斉田仁

「塵風」の斉田仁の句集『異熟』(西田書店)から。
紅梅が悪役なら、白梅は主役なのだろうか。悪は屹立した存在だから、マイナス・イメージとは限らない。紅白梅図屏風で、紅梅の方に目がいったのかも知れない。
句集・あとがきに「三十年ほど前だったか、八幡船社という出版社に短詩型文学全書のシリーズがあり、そのなかの一冊として、小さな句集を上梓したこともあった」「その頃を、たとえば未熟とするならば、いまは異熟とでもいうべきか」
私はリアルタイムでは知らないのだが、津久井理一の「八幡船」(ばはんせん)は川柳を含めた短詩型文学の交流の場だったと承知している。

ようやく春めいて来たので、少し以前の句集だが、大本義幸『硝子器に春の影みち』(沖積社)から春の句を。

硝子器に春の影さすような人     大本義幸

硝子は大本の初期からのモチーフらしい。

まだ女鹿である朝のバタートースト  大本義幸

同じ句集にあるこの句を、この二三日、口ずさんでいる。

0 件のコメント:

コメントを投稿