こういう文章を書くことになるとは思いがけないことである。
10月27日(土)、石部明が亡くなった。享年73歳。
昨年11月に倒れて、入院・闘病生活を続けていたが、退院して自宅療養していると聞いていたので、訃報の衝撃は大きかった。
28日に岡山県和気町までお通夜に行く。
29日の葬儀に私は仕事の都合で出席できなかったが、参列した方々のブログによってそのときの様子がうかがえる。
弔問は「一般」「川柳関係」「建設関係」に分かれ、会場に入りきれないほどの参列者があった。樋口由紀子が弔辞を読んだ。
樋口の弔辞は参列者の涙を誘ったようだ。樋口自身も震えていた。
出棺のとき、くんじろうは「アキラッ」と叫び泣き、その声は確かに棺の中まで届くように感じられたという。
石部明の本名は石部明(いしべ・あくる)であるが、川柳界では明(あきら)で通していた。
『セレクション柳人・石部明集』から略歴を紹介しておく。
1939年1月3日、岡山県和気郡に生まれる。
1974年から川柳を始め、「ますかっと」「川柳展望」「川柳塾」「ふあうすと」「川柳大学」などの同人・会員として活躍した。1998年、「MANO」創刊、2003年「バックストローク」創刊。実作者としてはもちろん、川柳界のリーダーとしても大きな存在であった。句集に『賑やかな箱』『遊魔系』『石部明集』がある。
また「第3回BSおかやま川柳大会」の対談「石部明を三枚おろし」では、時系列に従って石部の川柳人生が語られているので、詳しいことはそちらの方をご覧いただきたい(「バックストローク」31号収録)。
『川柳総合大事典・第1巻・人物編』(雄山閣)の石部明の項は私が書かせていただいたのだが、そこでは次のように述べている。
「その作品において、日常の裏側にある異界はエロスと死を契機として顕在化され、心理の現実が華やぎのある陰翳感でとらえられる。川柳の伝統の批判的継承者として現代川柳の一翼を担う」
このような評価の仕方でよかったのかと思うこともあり、石部本人からは何のコメントもなかったが、人づてに聞いたところでは、「川柳の伝統の批判的継承者」というフレーズが気に入ってもらったようだ。
石部は座談の名手で彼のまわりには常に談笑の輪ができたが、過剰なサービス精神は彼自身を疲れさせることもあっただろう。彼はけっこう複雑な人物であり、心の中ではさまざまな思いが渦巻いていたことだろう。
私が最後に彼と会ったのは、今年4月のBSfield岡山川柳大会の翌日で、岡山労災病院にお見舞いに行った。そのとき彼は思ったより元気で、川柳界のあれこれについて語った。病室にいても各地の川柳の動向を気にかけていたのだ。
闘病生活の中でも体調の良い日はあって、「川柳カード」創刊号のために石部明は10句を書いてくれた。気迫のこもった石部らしい作品になっている。彼の川柳人生の掉尾を飾る川柳作品だろう。11月25日に発行予定の創刊号をお待ちいただきたい。
また、たぶん「MANO」で追悼号を出すことになるだろうが、いまは具体的なことを云々する気持の余裕もない。
ここで私はお別れの言葉を述べることはしない。石部明は私たちの心の中に生き続けているからである。「小池さん、あなたはそう言うけどね…」という彼の声は今でも聞こえてくる。お通夜のときに柴田夕起子に「何か言い残したことはなかったか」と尋ねると、そのような言葉はないということだった。彼はまだ死ぬつもりはなかったのである。石部明が川柳界に残したこと、成し遂げようとしたことは継承していかなければならない。
最後に『石部明集』の解説で壺阪輝代も引用している石部自身の句を手向けよう。
死顔の布をめくればまた吹雪 石部明
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