佐藤文香が『俳句を遊べ』の中で「打越」という言葉を使ってから、私の周囲の川柳人のあいだでも「打越」の考え方がちらほら話題になっている気配である。私は連句人でもあるから、連句用語の「打越」をあまり安易に使ってほしくない気持ちもある一方、そこを入り口として連句精神が普及していくなら歓迎すべきだとも思う。
本日は連句論を展開するつもりはなく、野間幸恵の句集『WATER WAX』についての感想を書いてみたい。この句集は早くからいただいていたが、今までゆっくり読む時間がとれなかった。野間とは五月の「川柳フリマ」のときに会ったが、短い立ち話をしたにとどまる。会場には句集の解説を書いている柳本々々も来ていた。野間の句集は『ステンレス戦車』『WOMAN』も手元にあって、拙著『蕩尽の文芸』では野間について次のように触れている。
「 琴線は鳥の部分を脱いでゆく 野間幸恵
この句を私は『琴線→鳥の部分→脱いでゆく』の三つの部分に解体して読んでいるのだが、それを連句の三句の渡りに変換すれば、たとえば次のようになるかも知れない。
琴線はわが故郷の寒椿
鳥の部品を包む冬麗
うすもののように記憶を脱いでゆく
前句と付句の二句の関係性、三句の渡りの関係性を、もし一句で表現しようとすれば、線条的な意味の連鎖はいったん解体され、日常次元を超えた言葉の世界がそこに成立する。そのことによって、作品は広い時空を獲得することができる。一句によって表現できるスケールは本来、大きなものであるはずだ」(「川柳の飛翔空間」)
文中の三句の渡りは私が勝手に考えたもので、野間の俳句とは無関係なので、念のため。私の考えは基本的には変わっていないが、『WATER WAX』では野間の言葉の関係性はさらに自在に展開している。たとえば、こんなふうに。
耳の奥でジャマイカが濡れている 野間幸恵
音感やタランチュラが澄んでいる
キリンの音楽で不在を考える
胞子など子供の手から暮れてゆく
ブナの森小さくたたんでしまいけり
紅茶とは誰もいない庭である
もう二度と馬は霧で出来ている
酒樽のふつつかに帰りたいだろう
この世でもあの世でもなく耳の水
私の好みから言えば二物の取り合わせより「三句の渡り」を一句の中で実現している句がおもしろいと思う。それを一句として成功させるには繊細な言語感覚を必要とする。三段切れなどは児戯に類するのだ。
こういう書き方の遠源は攝津幸彦だろう。
路地裏を夜汽車と思う金魚かな 攝津幸彦
そういえば、攝津は野間の次の句を「私の好きな女流俳句」の一句として挙げていた(『俳句幻景』)。
一反木綿雨後をふくらむジャック&ベティ 野間幸恵
そして攝津は「俳句の方法による一行詩の自律に挑み、幾多の男性俳人が敗れ去った荒野で、ねばり強く言葉と交換する幸恵」とコメントしている。
ただし、「三句の渡り」理論から言えば、掲出句は「一反木綿」と「ジャック&ベティ」が固有名詞の打越となり、必ずしも成功しているとは言えない。
手を洗う鯨へ愛を切り子かな 『ステンレス戦車』
左京区を上がる恥骨は打ちどころ 『WOMAN』
うっとりとアンモナイトを遅れるか 『WATER WAX』
先日、「川柳カード」12号の合評会があって、同人・会員作品を改めて読み直した。その中に次の句があった。
本堂に密度の雨がオスとメス 榊陽子
カンガルーは腐った水蜜桃だよ
なお父はテレビの裏のかわいそうです
天狗俳諧の書き方は昔からあるが、効果的な作品にどう高めてゆくか、それぞれの作者の腐心するところだろう。
五月に話したときに野間は「急に句が書けなくなるときがある」と言った。「私はまだそういうレベルにまで到達していません」と答えた私を、彼女は「謙遜する人は苦手だ」とあっさり切り捨てた。野間の句集のあとがきにはこんなふうに書いてある。
「言葉で描く世界はいつもミラクル。最大と最小が隣り合わせ。その中で『私』など全く不要で、大切なのは『関係性』だと思っています」
2016年9月24日土曜日
2016年9月16日金曜日
口語短歌と文語短歌
明後日9月18日(日)に「文学フリマ大阪」が堺市産業振興センターで開催される。文学フリマは東京をはじめ各地で開催されているが、大阪では第四回となる。「川柳カード」の出店は昨年に続き二回目となるが、川柳からのブースは他に見当たらないので、川柳界から唯一の出店となる(ただし、「現代川柳かもめ舎」の朝妻久美子が「現代川柳ミュウミュウ」を「うたつかい」のブースで委託販売するらしい)。「川柳カード」のブースは六条くるると神大短歌会に挟まれて開店しているのでご来店をお待ちする。「川柳カード」バックナンバーと川柳カード叢書『ほぼむほん』『実朝の首』(『大阪のかたち』は品切れ)、小池正博句集『水牛の余波』『転校生は蟻まみれ』、兵頭全郎句集『n≠0』などのほか、フリーペーパー「THANATOS石部明」2/4、榊陽子「虫だった」を配布予定。
さて、俳誌「里」特集「この人を読みたい」に毎号注目しているが、9月号では堀下翔が小原奈実の短歌を取り上げている。堀下は「文語短歌の現在」で現代短歌の潮流を次のようにとらえている。
「先鋭化してゆく社会のありようを、五・七・五・七・七の定型のみを恃みとして、そこに埋没しかねない個人の実感において書く、そうした潮流がそこにはあった」
「重要なのは、1980年代。90年代生まれの世代の書き手たちが担うこの新たなメインストリームに、口語表現を前提としている節が見られる点だ」
このような潮流の中で、小原奈実は90年代生まれの歌人でありながら文語短歌の書き手である。文語表現をとるのが大勢である俳句サイドの堀下が小原に関心を持つ理由もここにあるのだろう。
往来の影なす道に稚き鳥発てばみづからをこぼしてゆきぬ 小原奈実
堀下の文章を読みながら、口語表現を主流とする川柳サイドにいる私は、現代短歌における文語短歌の在り方というより、逆に、それでは口語短歌とはいつごろから書かれているのかということに改めて関心を持った。口語短歌は「俵万智以後」にできたものではなく、「穂村弘以後」のものでもない。かつて口語短歌を書くことが、一種の「前衛」であった時代があったのだ。
私の手元にあるのは現代短歌全集・第21巻『口語歌集/新興短歌集』(改造社・昭和6年)。その中から西村陽吉と西出朝風の作品を紹介したい。
モウパツサンは狂つて死んだ 俺はたぶん狂はず老いて死ぬことだらう 西村陽吉
かあんかあんと遠い工場の鎚の音 真夏の昼のあてない空想
何か大きなことはないかと考へる空想がやがて足もとへかへる
三十を二三つ越してやうやうに ここに生きてる自分がわかつた
俺が死んだ次の瞬間もこの土手の櫻の並木は立つてゐるだろ
他人のことは他人のことだ 自分のことは自分のことだ それきりのことだ
「死ぬ時に子供等の事は?」「思はない。死んでく自分だけがいとしい。」 西出朝風
第一のその夜にすでに相容れぬ互を知つた二人だつたが。
これはまたなんて素晴らしい話題でせうこなシヤボンの話。磨き砂の話。
夢二氏が假りの住まひの縁さきに竹を四五本植ゑるさみだれ。
「手紙くらゐよこせばいいに。」「それぞれに自分の事にいそがしいから。」
一生にまたこの上の濃い色を見る日があるか、深藍の海。
西村陽吉は大正14年(1925)、口語短歌雑誌「芸術と自由」を創刊。大正15年(1926)には全国の口語歌人大会が上野公園で開かれた。西村の「芸術と自由社」(東京)のほか渡辺順三の「短歌革命社」(東京)、松本昌夫の「新時代の歌人社」(東京)、青山霞村の「カラスキ社」(京都)、清水信の「麗日詩社」(奈良)の共催だったという。この大会で「新短歌協会」が結成され、「芸術と自由」はその機関誌となったが、昭和3年(1928)に「新短歌協会」は口語短歌の形式と内容をめぐる論争を経て分裂。歌集『晴れた日』など。
西出朝風は口語短歌の草分け的存在で、大正3年(1914)全国初の口語短歌誌「新短歌と新俳句」(のちに「明日の詩歌」と改題)を創刊。妻の西出うつ木も口語歌人。
この時代の短歌史についてはプロレタリア短歌・新興短歌・口語短歌が錯綜してややこしいが、興味のある方は木俣修『昭和短歌史』などを参照していただきたい。
大正末~昭和初期の口語短歌は現在の口語短歌とはバックグラウンドが異なるが、ジャンルと時代を越えた視点をもっておくことは無意味ではない。川柳人の高木夢二郎は「新興川柳と口語歌」(「氷原」昭和3年8月)で「口語歌と川柳と其各々が詩として我々の生活表現のどの部分を各々が的確になし得るかとの問題を私は久しい以前から考へて見た」と述べて、口語短歌と新興川柳とを比較している。
口語と文語の違いは文体の問題であって、どちらが「前衛」的かとも言えない。口語が前衛的であった時代もあるし、文語が前衛的であった時代もある。しかも、短詩型のそれぞれのジャンルによって事情が異なっている。「新興短歌/新興俳句/新興川柳」を統一的にながめ、それが戦後の「前衛」、さらに「現代」にどうつながっているのか、誰か明らかにしてもらえないものだろうか。
さて、俳誌「里」特集「この人を読みたい」に毎号注目しているが、9月号では堀下翔が小原奈実の短歌を取り上げている。堀下は「文語短歌の現在」で現代短歌の潮流を次のようにとらえている。
「先鋭化してゆく社会のありようを、五・七・五・七・七の定型のみを恃みとして、そこに埋没しかねない個人の実感において書く、そうした潮流がそこにはあった」
「重要なのは、1980年代。90年代生まれの世代の書き手たちが担うこの新たなメインストリームに、口語表現を前提としている節が見られる点だ」
このような潮流の中で、小原奈実は90年代生まれの歌人でありながら文語短歌の書き手である。文語表現をとるのが大勢である俳句サイドの堀下が小原に関心を持つ理由もここにあるのだろう。
往来の影なす道に稚き鳥発てばみづからをこぼしてゆきぬ 小原奈実
堀下の文章を読みながら、口語表現を主流とする川柳サイドにいる私は、現代短歌における文語短歌の在り方というより、逆に、それでは口語短歌とはいつごろから書かれているのかということに改めて関心を持った。口語短歌は「俵万智以後」にできたものではなく、「穂村弘以後」のものでもない。かつて口語短歌を書くことが、一種の「前衛」であった時代があったのだ。
私の手元にあるのは現代短歌全集・第21巻『口語歌集/新興短歌集』(改造社・昭和6年)。その中から西村陽吉と西出朝風の作品を紹介したい。
モウパツサンは狂つて死んだ 俺はたぶん狂はず老いて死ぬことだらう 西村陽吉
かあんかあんと遠い工場の鎚の音 真夏の昼のあてない空想
何か大きなことはないかと考へる空想がやがて足もとへかへる
三十を二三つ越してやうやうに ここに生きてる自分がわかつた
俺が死んだ次の瞬間もこの土手の櫻の並木は立つてゐるだろ
他人のことは他人のことだ 自分のことは自分のことだ それきりのことだ
「死ぬ時に子供等の事は?」「思はない。死んでく自分だけがいとしい。」 西出朝風
第一のその夜にすでに相容れぬ互を知つた二人だつたが。
これはまたなんて素晴らしい話題でせうこなシヤボンの話。磨き砂の話。
夢二氏が假りの住まひの縁さきに竹を四五本植ゑるさみだれ。
「手紙くらゐよこせばいいに。」「それぞれに自分の事にいそがしいから。」
一生にまたこの上の濃い色を見る日があるか、深藍の海。
西村陽吉は大正14年(1925)、口語短歌雑誌「芸術と自由」を創刊。大正15年(1926)には全国の口語歌人大会が上野公園で開かれた。西村の「芸術と自由社」(東京)のほか渡辺順三の「短歌革命社」(東京)、松本昌夫の「新時代の歌人社」(東京)、青山霞村の「カラスキ社」(京都)、清水信の「麗日詩社」(奈良)の共催だったという。この大会で「新短歌協会」が結成され、「芸術と自由」はその機関誌となったが、昭和3年(1928)に「新短歌協会」は口語短歌の形式と内容をめぐる論争を経て分裂。歌集『晴れた日』など。
西出朝風は口語短歌の草分け的存在で、大正3年(1914)全国初の口語短歌誌「新短歌と新俳句」(のちに「明日の詩歌」と改題)を創刊。妻の西出うつ木も口語歌人。
この時代の短歌史についてはプロレタリア短歌・新興短歌・口語短歌が錯綜してややこしいが、興味のある方は木俣修『昭和短歌史』などを参照していただきたい。
大正末~昭和初期の口語短歌は現在の口語短歌とはバックグラウンドが異なるが、ジャンルと時代を越えた視点をもっておくことは無意味ではない。川柳人の高木夢二郎は「新興川柳と口語歌」(「氷原」昭和3年8月)で「口語歌と川柳と其各々が詩として我々の生活表現のどの部分を各々が的確になし得るかとの問題を私は久しい以前から考へて見た」と述べて、口語短歌と新興川柳とを比較している。
口語と文語の違いは文体の問題であって、どちらが「前衛」的かとも言えない。口語が前衛的であった時代もあるし、文語が前衛的であった時代もある。しかも、短詩型のそれぞれのジャンルによって事情が異なっている。「新興短歌/新興俳句/新興川柳」を統一的にながめ、それが戦後の「前衛」、さらに「現代」にどうつながっているのか、誰か明らかにしてもらえないものだろうか。
2016年9月10日土曜日
大会の終焉―玉野市民川柳大会
今夏7月3日に「第67回玉野市民川柳大会」が開催され、京都・大阪からも多数の川柳人が参加した。今年の選者には「川柳カード」同人が多かったことはこのブログでも触れたことがある。
大会報が8月初旬に届いたが、開いてみて衝撃が走った。「お知らせ」が挟んであり、玉野市民川柳大会は今回をもって終了するというのだ。
「玉野市民川柳大会は多くの川柳作家に可愛いがられ、親しまれ、また期待されてきましたが、この67回大会をもって終わらせて頂きます。参加された方々をはじめ、多くの仲間たちには誠に申し訳ないことですが、当玉野の会員の高齢化、減少は如何ともしがたく、ここ数年来の最大の問題点でありましたが、改善するに至りませんでした。また市の文化施設の老朽化、移転、会場問題など、第67回大会の反省から、『終了は止むを得ない』と結論が出されました」
何事も永遠に続くものではないから、いつかは終わるときがやって来る。句会も同人誌も同じである。しかし、川柳の場合、終焉は突然やって来る。
玉野市民川柳大会はそこに行けば現代川柳の動向がわかり、いま活躍している川柳人が大勢集まり、自分の句を試すことができて、川柳の現在位置を確かめることができる、そのような大会だった。そして、そのような大会は私の経験する範囲ではちょっと他に見当たらないのである。
個人的な書き方になるが、私がはじめて玉野市民川柳大会に参加したのは、平成15年の第54回大会であった。兼題「へだたり」の選をして特選に選んだのが片野智恵子の「遠景にぷかりぷかりと泣き虫ピアノ」だった。共選の草地豊子が選んだ特選は石田柊馬の「あちらでしょビュッフェの黒とかうじうじとか」。このとき私は柊馬の「西麻布の麻は元気にしてますか」も選んでいない。この時点で私には柊馬の句のおもしろさが分かっていなかったのであり、未熟な選をしたことがあとあとまでトラウマとなった。
このころ玉野では前夜に懇親会があり、瀬戸内国際マリンホテルに泊まって、夜遅くまで海辺のスナックで飲んだ。玉野の夜の海を眺めていたことを覚えている。
その後、玉野には毎年行っているが、発表誌からいくつかの句を並べてみたい。
杉並区の杉へ天使降りなさい 石田柊馬(第54回・2003年)
妖精は酢豚に似ている絶対似ている 石田柊馬(第55回・2004年)
君は何族と聞いてくるマリア・カラス 畑美樹(第55回・2004年)
にんげんに羽約束の摩天楼 清水かおり(第56回・2005年)
遠回りしては西脇症候群 飯田良祐(第57回・2006年)
出産の馬苦しんでいる朧 石部明(第58回・2007年)
爆弾処理にカフカさん産婆さん 高田銀次(第59回・2008年)
背鰭立ち上げて境界線にする 富山やよい(第60回・2009年)
乙女らは海のラ音を聞いている 内田万貴(第61回・2010年)
悪事完遂すて猫をひょいと抱く 筒井祥文(第62回・2011年)
想い馳せると右頬にインカ文字 内田万貴(第63回・2012年)
ブレイクショットから木星が動かない 兵頭全郎(第64回・2013年)
天井の人で溢れる誕生日 榊陽子(第65回・2014年)
挽歌だろう頬に畳の跡がある 酒井かがり(第66回・2015年)
だらだらのばす七月の座高 中西軒わ(第67回・2016年)
玉野市民川柳大会の歴史を書き留めておこうと思ったものの、その時々の出来事がいろいろ思い出されて客観的に書くことが難しい。振り返ってみると、私はこの大会に育てられたのだということを改めて意識する。
前田一石は第40回からこの大会を受け継いでいる。男女共選というのが特徴で、毎回どのような組み合わせになるか、一石はあれこれ頭を悩ませたことだろうが、それが彼の楽しみでもあった。一石をはじめスタッフの方々のこれまでの持続的な努力に敬意を表したい。
蛇足だが、「共選」の在り方もこれから再検討するべき時期に来ているかもしれない。男女という区分は今の時代にそぐわないとも考えられ、今後どのような共選がいいのか、どのような大会が求められているのかが「玉野以後」の課題となるだろう。
大会報が8月初旬に届いたが、開いてみて衝撃が走った。「お知らせ」が挟んであり、玉野市民川柳大会は今回をもって終了するというのだ。
「玉野市民川柳大会は多くの川柳作家に可愛いがられ、親しまれ、また期待されてきましたが、この67回大会をもって終わらせて頂きます。参加された方々をはじめ、多くの仲間たちには誠に申し訳ないことですが、当玉野の会員の高齢化、減少は如何ともしがたく、ここ数年来の最大の問題点でありましたが、改善するに至りませんでした。また市の文化施設の老朽化、移転、会場問題など、第67回大会の反省から、『終了は止むを得ない』と結論が出されました」
何事も永遠に続くものではないから、いつかは終わるときがやって来る。句会も同人誌も同じである。しかし、川柳の場合、終焉は突然やって来る。
玉野市民川柳大会はそこに行けば現代川柳の動向がわかり、いま活躍している川柳人が大勢集まり、自分の句を試すことができて、川柳の現在位置を確かめることができる、そのような大会だった。そして、そのような大会は私の経験する範囲ではちょっと他に見当たらないのである。
個人的な書き方になるが、私がはじめて玉野市民川柳大会に参加したのは、平成15年の第54回大会であった。兼題「へだたり」の選をして特選に選んだのが片野智恵子の「遠景にぷかりぷかりと泣き虫ピアノ」だった。共選の草地豊子が選んだ特選は石田柊馬の「あちらでしょビュッフェの黒とかうじうじとか」。このとき私は柊馬の「西麻布の麻は元気にしてますか」も選んでいない。この時点で私には柊馬の句のおもしろさが分かっていなかったのであり、未熟な選をしたことがあとあとまでトラウマとなった。
このころ玉野では前夜に懇親会があり、瀬戸内国際マリンホテルに泊まって、夜遅くまで海辺のスナックで飲んだ。玉野の夜の海を眺めていたことを覚えている。
その後、玉野には毎年行っているが、発表誌からいくつかの句を並べてみたい。
杉並区の杉へ天使降りなさい 石田柊馬(第54回・2003年)
妖精は酢豚に似ている絶対似ている 石田柊馬(第55回・2004年)
君は何族と聞いてくるマリア・カラス 畑美樹(第55回・2004年)
にんげんに羽約束の摩天楼 清水かおり(第56回・2005年)
遠回りしては西脇症候群 飯田良祐(第57回・2006年)
出産の馬苦しんでいる朧 石部明(第58回・2007年)
爆弾処理にカフカさん産婆さん 高田銀次(第59回・2008年)
背鰭立ち上げて境界線にする 富山やよい(第60回・2009年)
乙女らは海のラ音を聞いている 内田万貴(第61回・2010年)
悪事完遂すて猫をひょいと抱く 筒井祥文(第62回・2011年)
想い馳せると右頬にインカ文字 内田万貴(第63回・2012年)
ブレイクショットから木星が動かない 兵頭全郎(第64回・2013年)
天井の人で溢れる誕生日 榊陽子(第65回・2014年)
挽歌だろう頬に畳の跡がある 酒井かがり(第66回・2015年)
だらだらのばす七月の座高 中西軒わ(第67回・2016年)
玉野市民川柳大会の歴史を書き留めておこうと思ったものの、その時々の出来事がいろいろ思い出されて客観的に書くことが難しい。振り返ってみると、私はこの大会に育てられたのだということを改めて意識する。
前田一石は第40回からこの大会を受け継いでいる。男女共選というのが特徴で、毎回どのような組み合わせになるか、一石はあれこれ頭を悩ませたことだろうが、それが彼の楽しみでもあった。一石をはじめスタッフの方々のこれまでの持続的な努力に敬意を表したい。
蛇足だが、「共選」の在り方もこれから再検討するべき時期に来ているかもしれない。男女という区分は今の時代にそぐわないとも考えられ、今後どのような共選がいいのか、どのような大会が求められているのかが「玉野以後」の課題となるだろう。
2016年8月26日金曜日
川柳カード12号―筒井祥文と瀬戸夏子に触れて
「川柳カード」12号が発行されて一か月がたつが、これといった反響もない。反響がないのは仕方がないのだが、今号には問題性を含んだ作品や文章が掲載されているので、このまま何も問題にされないまま終わってしまうのも寂しいから、ここであえて取り上げることにする。
問題点はふたつある。ひとつめは同人作品のうち筒井祥文の作品である。筒井の10句をまず引用しておく。
選抜のアホが百人寄ってホイ
凧ゆけば頭の隅に月も出て
端正な鬼語辞典もあるこの世
サバンナの象のうんこよ聞いてくれ
自然薯を育てる脳と暮らしつつ
正体がもしもバレたらコンと鳴く
コロとあれ外れた音とハーモニカ
蚯蚓鳴く天王寺村の水準器
亜補陀羅野湿原通り真っ昼間
アホが百人せせらいで行きよった
一読して気づくように、四句目は穂村弘の有名歌をもとにしている。もとにしているというより穂村の短歌の上の句をそのまま使っている。念のために『シンジケート』から引用しておく。
サバンナの象のうんこよ聞いてくれだるいせつないこわいさみしい 穂村弘
私は最初、穂村の短歌のパロディかと思った。パロディなら一部を他の言葉に置き換えるはずだが、元歌の上の句が変更なしにそのまま使われている。だから、これはパロディではなくて引用なのだ。
では、祥文はなぜそんなことをしたのだろうか。私はこんなことをしても別におもしろくも何ともないと思っているが、彼は意識的にこれをやったはずだから、何らかの意図があったことになる。本人に聞いてみたわけではないから推測するしかないが、読者のさまざまな受け取り方を作者は期待したのではないだろうか。
まず、これが引用だということに気づかない読者がいると仮定して、おもしろい句を祥文が書いたと読者が誤解する場合。川柳人のなかには短歌や俳句などの他ジャンルの作品を勉強していない人もいるから、もっと短歌も勉強しなさいよと読者をからかっているのだろうかと私はまず考えた。けれども、これほど有名な短歌を知らない読者は、もしいたとしても少数だろう。
次に、穂村の短歌の上の句はこれで立派に川柳じゃないかと祥文が思っているという場合。元歌の一部を勝手にカット・アップしたことになる。
先例がないわけではない。
寺山修司が「チエホフ祭」で短歌研究新人賞を受賞したとき、盗作問題が起こったことはよく知られている。
人を訪はずば自己なき男月見草 中村草田男
向日葵の下に饒舌高きかな人を訪わずば自己なき男 寺山修司
わが天使なるやも知れず寒雀 西東三鬼
わが天使なるやも知れぬ小雀を撃ちて硝煙嗅ぎつつ帰る 寺山修司
これは俳句を短歌に引きのばしてリミックスした場合だが、寺山が俳句を短歌にリライトしたのなら、オレは短歌を川柳にして発表してやろうと祥文は思ったのかも知れない。
ここで川柳の盗作問題について触れておく。
最近ではあまり耳にしないが、川柳ではときどき盗作問題が起こる。
本歌取りというようなことではなくて、ベタな盗作である。
パロディとか本歌取りというのは立派な文芸上の技法なのであるが、盗作をする人(無意識的な場合を含めて)がいてそれを見抜く選者が少ない以上、川柳でパロディや本歌取りはあまりすべきではないと私は思っている。
さて、祥文の句に戻ると、これだけの有名歌である以上、盗作にはならないと私は思うが、ではこの句の引用がはたして効果的であったかどうかが問われなければならない。
10句のタイトルは「行きよった」となっているが、一句目「アホ」ではじまり10句目「アホ」で終るので統一テーマがあるのだろう。
関西弁で「アホ」というのは相手の人格を否定するのではなくて、やんわりとした揶揄と愛情表現のニュアンスがある。だから関西人は「アホ」と言われても怒らないが、「バカ」と言われると腹を立てる。
サバンナの象のうんこよ聞いてくれ
こんなことを言うのはアホなやつやなあ、というニュアンスで祥文はここに引用したのかもしれない。そういう意味なら効果的といえないこともないが、いずれにせよ、ややこしいことは止めてほしいというのが私の正直な感想である。
(この件については、荻原裕幸と八上桐子がツイッター、ブログで少し触れている)
二つ目の問題点は瀬戸夏子の「ヒエラルキーが存在するなら/としても」という文章についてである。
歌人である瀬戸が川柳という他ジャンルに接したときの感想が率直に書かれている。ベースにあるのは「文芸ジャンルにおいて、ヒエラルキーは存在する」という認識である。「ほとんどの人がうすうすはそう思っていて、それを無視して、あるいはないという前提で話しあっていても埒があかないのではないか」と瀬戸は述べている。
小説―現代詩―短歌/俳句―川柳
というのがそのヒエラルキーである。小説が上位のジャンル、川柳が最下位のジャンルである。
私はこの文章を読んだ川柳人が誤解するのではないかと危惧していた。川柳が最下位のジャンルというのは認めたくない現実である。一部の川柳人が怒り出すのではないかと。
もちろん、瀬戸の文章の真意はそんなところにはない。
作家や詩人が歌人に対して上から目線で接するという体験について瀬戸は語っている。私は瀬戸以外の歌人からも「歌人は詩人から批判され、いじめられる」という話を聞いたことがある。詩人のなかにも優れた詩人もいれば、それほどでもない自称詩人がいるのはどのジャンルでも同じことだ。「ジャンルヒエラルキーが上なだけだろう」と瀬戸は言う。
それでは、上位のジャンルから軽視された表現者が下位のジャンルに接するときには、どのような態度をとるのだろうか。
私の経験では、上位ジャンルから受けた屈辱を下位のジャンルに向かって晴らすような態度をとる人が多い。具体的には歌人・俳人が川柳人に対して軽視する態度をとるということだ。
瀬戸は「正直、川柳や柳人と接するときにどうすればいいのかわからなかった」と書いている。確かに正直な感想である。瀬戸の凄いところは上述のようなヒエラルキー意識をともなった態度を川柳に対して絶対にとりたくないと思っている点だ。そのことが逆に彼女を緊張させていたらしいのだが、いずれお互いに肩の力を抜いたありのままの交流ができるようになればいいなと思っている。
さて、川柳人は瀬戸の文章の真意を読み取ったからか、それとも川柳が下位のジャンルと世間から見られているという認識をそもそも持っていないからか、特段の反応はなかった。私も「上位」「下位」という言い方を便宜上使ったが、必ずしもそれを認めているわけではない。川柳界が閉鎖的なままなら安全無事だが、他ジャンルとオープンに交流しようとする際にはいろいろな問題が生じてくるのだ。
川柳の自虐ネタのひとつに「第二芸術論のときに川柳は何をしていたのか」というのがある。桑原武夫が俳句・短歌を批判・否定したときに、川柳は批判対象に含まれていなかった。川柳は問題にもされていなかったのだ。だから、第二芸術論に対する川柳側の対応というものも当然なかった。無視こそ権威者の対応のなかで最大のものなのである。
問題点はふたつある。ひとつめは同人作品のうち筒井祥文の作品である。筒井の10句をまず引用しておく。
選抜のアホが百人寄ってホイ
凧ゆけば頭の隅に月も出て
端正な鬼語辞典もあるこの世
サバンナの象のうんこよ聞いてくれ
自然薯を育てる脳と暮らしつつ
正体がもしもバレたらコンと鳴く
コロとあれ外れた音とハーモニカ
蚯蚓鳴く天王寺村の水準器
亜補陀羅野湿原通り真っ昼間
アホが百人せせらいで行きよった
一読して気づくように、四句目は穂村弘の有名歌をもとにしている。もとにしているというより穂村の短歌の上の句をそのまま使っている。念のために『シンジケート』から引用しておく。
サバンナの象のうんこよ聞いてくれだるいせつないこわいさみしい 穂村弘
私は最初、穂村の短歌のパロディかと思った。パロディなら一部を他の言葉に置き換えるはずだが、元歌の上の句が変更なしにそのまま使われている。だから、これはパロディではなくて引用なのだ。
では、祥文はなぜそんなことをしたのだろうか。私はこんなことをしても別におもしろくも何ともないと思っているが、彼は意識的にこれをやったはずだから、何らかの意図があったことになる。本人に聞いてみたわけではないから推測するしかないが、読者のさまざまな受け取り方を作者は期待したのではないだろうか。
まず、これが引用だということに気づかない読者がいると仮定して、おもしろい句を祥文が書いたと読者が誤解する場合。川柳人のなかには短歌や俳句などの他ジャンルの作品を勉強していない人もいるから、もっと短歌も勉強しなさいよと読者をからかっているのだろうかと私はまず考えた。けれども、これほど有名な短歌を知らない読者は、もしいたとしても少数だろう。
次に、穂村の短歌の上の句はこれで立派に川柳じゃないかと祥文が思っているという場合。元歌の一部を勝手にカット・アップしたことになる。
先例がないわけではない。
寺山修司が「チエホフ祭」で短歌研究新人賞を受賞したとき、盗作問題が起こったことはよく知られている。
人を訪はずば自己なき男月見草 中村草田男
向日葵の下に饒舌高きかな人を訪わずば自己なき男 寺山修司
わが天使なるやも知れず寒雀 西東三鬼
わが天使なるやも知れぬ小雀を撃ちて硝煙嗅ぎつつ帰る 寺山修司
これは俳句を短歌に引きのばしてリミックスした場合だが、寺山が俳句を短歌にリライトしたのなら、オレは短歌を川柳にして発表してやろうと祥文は思ったのかも知れない。
ここで川柳の盗作問題について触れておく。
最近ではあまり耳にしないが、川柳ではときどき盗作問題が起こる。
本歌取りというようなことではなくて、ベタな盗作である。
パロディとか本歌取りというのは立派な文芸上の技法なのであるが、盗作をする人(無意識的な場合を含めて)がいてそれを見抜く選者が少ない以上、川柳でパロディや本歌取りはあまりすべきではないと私は思っている。
さて、祥文の句に戻ると、これだけの有名歌である以上、盗作にはならないと私は思うが、ではこの句の引用がはたして効果的であったかどうかが問われなければならない。
10句のタイトルは「行きよった」となっているが、一句目「アホ」ではじまり10句目「アホ」で終るので統一テーマがあるのだろう。
関西弁で「アホ」というのは相手の人格を否定するのではなくて、やんわりとした揶揄と愛情表現のニュアンスがある。だから関西人は「アホ」と言われても怒らないが、「バカ」と言われると腹を立てる。
サバンナの象のうんこよ聞いてくれ
こんなことを言うのはアホなやつやなあ、というニュアンスで祥文はここに引用したのかもしれない。そういう意味なら効果的といえないこともないが、いずれにせよ、ややこしいことは止めてほしいというのが私の正直な感想である。
(この件については、荻原裕幸と八上桐子がツイッター、ブログで少し触れている)
二つ目の問題点は瀬戸夏子の「ヒエラルキーが存在するなら/としても」という文章についてである。
歌人である瀬戸が川柳という他ジャンルに接したときの感想が率直に書かれている。ベースにあるのは「文芸ジャンルにおいて、ヒエラルキーは存在する」という認識である。「ほとんどの人がうすうすはそう思っていて、それを無視して、あるいはないという前提で話しあっていても埒があかないのではないか」と瀬戸は述べている。
小説―現代詩―短歌/俳句―川柳
というのがそのヒエラルキーである。小説が上位のジャンル、川柳が最下位のジャンルである。
私はこの文章を読んだ川柳人が誤解するのではないかと危惧していた。川柳が最下位のジャンルというのは認めたくない現実である。一部の川柳人が怒り出すのではないかと。
もちろん、瀬戸の文章の真意はそんなところにはない。
作家や詩人が歌人に対して上から目線で接するという体験について瀬戸は語っている。私は瀬戸以外の歌人からも「歌人は詩人から批判され、いじめられる」という話を聞いたことがある。詩人のなかにも優れた詩人もいれば、それほどでもない自称詩人がいるのはどのジャンルでも同じことだ。「ジャンルヒエラルキーが上なだけだろう」と瀬戸は言う。
それでは、上位のジャンルから軽視された表現者が下位のジャンルに接するときには、どのような態度をとるのだろうか。
私の経験では、上位ジャンルから受けた屈辱を下位のジャンルに向かって晴らすような態度をとる人が多い。具体的には歌人・俳人が川柳人に対して軽視する態度をとるということだ。
瀬戸は「正直、川柳や柳人と接するときにどうすればいいのかわからなかった」と書いている。確かに正直な感想である。瀬戸の凄いところは上述のようなヒエラルキー意識をともなった態度を川柳に対して絶対にとりたくないと思っている点だ。そのことが逆に彼女を緊張させていたらしいのだが、いずれお互いに肩の力を抜いたありのままの交流ができるようになればいいなと思っている。
さて、川柳人は瀬戸の文章の真意を読み取ったからか、それとも川柳が下位のジャンルと世間から見られているという認識をそもそも持っていないからか、特段の反応はなかった。私も「上位」「下位」という言い方を便宜上使ったが、必ずしもそれを認めているわけではない。川柳界が閉鎖的なままなら安全無事だが、他ジャンルとオープンに交流しようとする際にはいろいろな問題が生じてくるのだ。
川柳の自虐ネタのひとつに「第二芸術論のときに川柳は何をしていたのか」というのがある。桑原武夫が俳句・短歌を批判・否定したときに、川柳は批判対象に含まれていなかった。川柳は問題にもされていなかったのだ。だから、第二芸術論に対する川柳側の対応というものも当然なかった。無視こそ権威者の対応のなかで最大のものなのである。
2016年8月20日土曜日
川合大祐句集『スロー・リバー』
「明後日、句集が届くことになっているんですよ」
8月はじめ、伊那駅前の喫茶店で話しているときに、川合大祐がそう言った。川合の第一句集『スロー・リバ―』(あざみエージェント)が発行されることは聞いていたが、伊那行に間に合わなかったのが残念でもあり、句集が発行されるまでの数日がいっそう待ち遠しいことでもあった。
その後届いた句集を開くと、期待を裏切らない清新な句集に仕上がっていた。ネットに書きこまれたいくつかの感想を読んでも好評のようだ。「Ⅰ.猫のゆりかご」「Ⅱ.まだ人間じゃない」「Ⅲ.幼年期の終わり」の三章に分かれていて、特に実験的なのは第Ⅰ章である。
実験的でチャレンジ精神にあふれているといっても、それがどのように実験的なのかが問われなければならない。
句集のなかにはこれまで評判になった句もちらほら見られる。たとえば次の句。
中八がそんなに憎いかさあ殺せ 川合大祐
川柳入門書にはよく「五七五の真ん中の七音(中七)が八音(中八)になってはいけない」と書かれている。上五は字余りになっても許容されるが、中七は厳密に守らないといけないというのだ。それは韻律上の理由だろうが、必ずしも明確な根拠が示されているわけではない。川合は「中八の禁」に対して川柳作品のかたちで疑義を提出しているのだ。しかも「そんなに憎いか」と意識的に中八を使っている。ここでは一句が川柳論そのものになっていて、「中八」を語るときにはよく引き合いに出される作品である。
…早送り…二人は…豚になり終
(目を)(ひらけ)(世界は)たぶん(うつくしい)
「川柳カード」誌上大会(「川柳カード」7号、2014年11月)に投句された作品である。前者の兼題は「早い」、後者の兼題は「世界」。
前者はビデオの早送りの画像を表現した句のようだ。映像的であり、スピード感があるなかに皮肉もすこし混ざっていて批評性がある。
後者は( )を多用している。この( )にどのような意味があるかは一概に言えないが、たとえば( )に任意の言葉を代入していると考えてみよう。
( )( )( )たぶん( )
確定しているのは「たぶん」という語だけであり、 (世界は)という部分は兼題だから置き換えは難しいけれど、他の部分はどのような言葉でも嵌め込むことができる。とくに最後の(うつくしい)という部分は、たとえば(おそろしい)などとすることもできるかもしれないが、これを(うつくしい)としたのは世界に対する肯定的な感覚が作者にあるからだ。その場合でも「たぶん」という保留付きとなる。「目を開け世界はたぶんうつくしい」というある意味で陳腐な言述を( )を付けて揺さぶることによって一句が成立している。
そもそも、第一章のaには「…は…の…を見るか?」というタイトルが付けられていて、私などはフィリップ・K・ディックの「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」を代入して読んでしまう。
「雪に名を与えて言いたかったのは
こうやって宇宙をひとつ閉じてゆく」
第Ⅰ章のc「檻=容器」から。この作品は「週刊俳句」(2016年2月7日)に掲載されたもの。10句連作で、カッコにはじまってカッコで終っている。この二句に挟まれた8句にもそれぞれカッコが使用されている。
ここではカッコ記号として「 」が使われている。「 」が「檻」に見立てられているのだ。「定型」を「檻」と見ることは、単なる機知的表現ではなくて、この作者の実存から来るものだと思う。ルーティンや定型は有用なものである半面、一種の桎梏でもあるからだ。
句集『スロー・リバー』の第Ⅰ章が実験的な印象を与えるのは、句のかたちで「川柳とは何か」を問うものとなっているからだ。「メタ川柳」といっていいかもしれない。
第Ⅱ章に移ろう。ここでは主として固有名詞を使った句が集められている。
中でも「ドラえもん」の句はこれまでも注目されてきた。
二億年後の夕焼けに立つのび太
ドラえもん右半身が青色の
「川柳カード」11号に飯島章友は「川合大祐を読む―ドラえもんは来なかった世代の句―」という文章を書いている。飯島は川合大祐を「第二次ベビーブーム世代」ととらえ「この世代は『ドラえもんは必ず来る』と大人たちから言われ続けたにもかかわらず、『ドラえもんは来なかった』世代なのである」と述べている。
川柳にはドラえもんを詠んだ句がときどき出てくるが、特に川合の場合はキイ・イメージとして読み取ることができる。
さて、句集の第Ⅲ章は「幼年期の終わり」。
おやおや、今度はアーサー・C・クラークなのか。
引用はもうやめておくが、川合大祐句集『スロー・リバー』は新しい世代の川柳を提示しようとする意欲的な句集である。川柳にもようやくニュー・ウェイブがあらわれたのだ。
気をつけろ奴は単なる意味だった 川合大祐
8月はじめ、伊那駅前の喫茶店で話しているときに、川合大祐がそう言った。川合の第一句集『スロー・リバ―』(あざみエージェント)が発行されることは聞いていたが、伊那行に間に合わなかったのが残念でもあり、句集が発行されるまでの数日がいっそう待ち遠しいことでもあった。
その後届いた句集を開くと、期待を裏切らない清新な句集に仕上がっていた。ネットに書きこまれたいくつかの感想を読んでも好評のようだ。「Ⅰ.猫のゆりかご」「Ⅱ.まだ人間じゃない」「Ⅲ.幼年期の終わり」の三章に分かれていて、特に実験的なのは第Ⅰ章である。
実験的でチャレンジ精神にあふれているといっても、それがどのように実験的なのかが問われなければならない。
句集のなかにはこれまで評判になった句もちらほら見られる。たとえば次の句。
中八がそんなに憎いかさあ殺せ 川合大祐
川柳入門書にはよく「五七五の真ん中の七音(中七)が八音(中八)になってはいけない」と書かれている。上五は字余りになっても許容されるが、中七は厳密に守らないといけないというのだ。それは韻律上の理由だろうが、必ずしも明確な根拠が示されているわけではない。川合は「中八の禁」に対して川柳作品のかたちで疑義を提出しているのだ。しかも「そんなに憎いか」と意識的に中八を使っている。ここでは一句が川柳論そのものになっていて、「中八」を語るときにはよく引き合いに出される作品である。
…早送り…二人は…豚になり終
(目を)(ひらけ)(世界は)たぶん(うつくしい)
「川柳カード」誌上大会(「川柳カード」7号、2014年11月)に投句された作品である。前者の兼題は「早い」、後者の兼題は「世界」。
前者はビデオの早送りの画像を表現した句のようだ。映像的であり、スピード感があるなかに皮肉もすこし混ざっていて批評性がある。
後者は( )を多用している。この( )にどのような意味があるかは一概に言えないが、たとえば( )に任意の言葉を代入していると考えてみよう。
( )( )( )たぶん( )
確定しているのは「たぶん」という語だけであり、 (世界は)という部分は兼題だから置き換えは難しいけれど、他の部分はどのような言葉でも嵌め込むことができる。とくに最後の(うつくしい)という部分は、たとえば(おそろしい)などとすることもできるかもしれないが、これを(うつくしい)としたのは世界に対する肯定的な感覚が作者にあるからだ。その場合でも「たぶん」という保留付きとなる。「目を開け世界はたぶんうつくしい」というある意味で陳腐な言述を( )を付けて揺さぶることによって一句が成立している。
そもそも、第一章のaには「…は…の…を見るか?」というタイトルが付けられていて、私などはフィリップ・K・ディックの「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」を代入して読んでしまう。
「雪に名を与えて言いたかったのは
こうやって宇宙をひとつ閉じてゆく」
第Ⅰ章のc「檻=容器」から。この作品は「週刊俳句」(2016年2月7日)に掲載されたもの。10句連作で、カッコにはじまってカッコで終っている。この二句に挟まれた8句にもそれぞれカッコが使用されている。
ここではカッコ記号として「 」が使われている。「 」が「檻」に見立てられているのだ。「定型」を「檻」と見ることは、単なる機知的表現ではなくて、この作者の実存から来るものだと思う。ルーティンや定型は有用なものである半面、一種の桎梏でもあるからだ。
句集『スロー・リバー』の第Ⅰ章が実験的な印象を与えるのは、句のかたちで「川柳とは何か」を問うものとなっているからだ。「メタ川柳」といっていいかもしれない。
第Ⅱ章に移ろう。ここでは主として固有名詞を使った句が集められている。
中でも「ドラえもん」の句はこれまでも注目されてきた。
二億年後の夕焼けに立つのび太
ドラえもん右半身が青色の
「川柳カード」11号に飯島章友は「川合大祐を読む―ドラえもんは来なかった世代の句―」という文章を書いている。飯島は川合大祐を「第二次ベビーブーム世代」ととらえ「この世代は『ドラえもんは必ず来る』と大人たちから言われ続けたにもかかわらず、『ドラえもんは来なかった』世代なのである」と述べている。
川柳にはドラえもんを詠んだ句がときどき出てくるが、特に川合の場合はキイ・イメージとして読み取ることができる。
さて、句集の第Ⅲ章は「幼年期の終わり」。
おやおや、今度はアーサー・C・クラークなのか。
引用はもうやめておくが、川合大祐句集『スロー・リバー』は新しい世代の川柳を提示しようとする意欲的な句集である。川柳にもようやくニュー・ウェイブがあらわれたのだ。
気をつけろ奴は単なる意味だった 川合大祐
2016年8月5日金曜日
天国へいいえ二階へ行くのです(飯田良祐)
「ユリイカ」8月号の特集「あたらしい短歌、ここにあります」が話題になっている。
「ユリイカ」はかつて(2011年10月)「現代俳句の新しい波」で俳句を取り上げ、そのときも私は書店に買いに走ったが、今度は短歌ということになる。
予想していたものとは少し違っていたが、それなりにおもしろいものだった。
まず、穂村弘と最果タヒの対談がある。
次に「短歌/イラスト」として雪舟えまの10首が掲載。雪舟えまがここにくるのか。
さらに「新作5首」として15人の作品が掲載されている。
ネットなどですでにいろいろ感想が書かれているが、歌人でない人の作品が多く載っている。歌人からは俵万智・斉藤斎藤・瀬戸夏子など、歌人以外の人では戸川純・ミムラ・壇蜜・ルネッサンス吉田などが名前を連ねている。
「あたらしい短歌、ここにあります」と言いながら、どこがあたらしいの?と首をかしげる作品もあって、玉石混淆。知らない人も多く、プロフィールが一切付いていないのは、15人を同一平面上に置いて「短歌」として読めばいいという意図だろうか。「ユリイカ」は短歌誌ではないから、「歌壇」とか「短歌界」などというものはここにはなく、一般読者の視点で編集されているとも言える。
評論は現代短歌の世界でよく名前を見かける人が担当していて、ある意味で順当な感じ。その中で新鮮だったのは、梅﨑実奈の「純粋病者のための韻律」である。梅﨑は書店員だが、短歌や短詩型文学に理解のあるカリスマ店員として知られている。彼女はこんなふうに書いている。
〈「歌集、売れてほしくないんですか」
イベントの打ち上げで同席した歌人にずっと気になっていた疑問をぶつけてみたことがある。ずいぶんぶしつけで失礼な質問だけれど、どうしてもきいてみたかったのだ。歌集というのは売るための仕組みがきちんと整っておらず、実際に現場で扱っている側としては本当のところどう考えているのか知りたかった〉
〈「文学です。どうぞ」と差し出すのでは今、マスは受け取ってくれない。店でも詩歌コーナーに迷い込んでしまって「なにここ、ポエムじゃん」と笑いながら人が立ち去っていく姿を今まで何度も見てきた。そのたび思う。文学じゃ、だめなのか。詩じゃ、だめなのか。ことばそのものじゃ、だめなのか〉
本を売るという現場で日々戦っている人の思いがここには述べられている。
短歌の発信については加藤治郎が「短歌の新しさ」を、荻原裕幸が「インターネットと短歌」を書いている。加藤はツイッター「サイレンと犀」(岡野大嗣の短歌と安福望のイラスト)について、フォロワーが11886人にのぼることを紹介したあと、次のように述べている。
〈短歌雑誌・結社誌は、歌壇のコアである。そことは別のところに短歌の読者がいる。短歌の実作者ではない読者が多いと想定する。その読者層の獲得は、長年のテーマなのである。少なくとも「サイレント犀」は、地滑り的な変動を起こす契機となったのではないか〉
そして加藤は〈「サイレント犀」のようなオープン化に短歌の未来はある〉と言うのだ。
いかに私たちがクローズドな世界の狭い視野のなかで生きているかを改めて意識させられる。
さて、7月30日、大阪・上本町の「たかつガーデン」で「飯田良祐句集を読む集い」が開催された。
良祐は2006年7月29日に亡くなったから、ちょうど没後10年になる。川柳は句会がなければ人が集まらない。ただ作品を読むためだけに川柳人が集まるのは稀有のことである。10年が経過して良祐の作品がどう読まれるのか。
ゲストに岡野大嗣を招いた。良祐とは何の面識もないのに、句集『実朝の首』を購読してくれた純粋読者のひとりである。句集の中からいくつかの句を選んで読みを語ってもらった。
岡野大嗣が選んだのは次の句である。
下駄箱に死因AとBがある
バスルーム玄孫もいつか水死体
ポイントを貯めて桜の枝を折る
母の字は斜体 草餅干からびる
吊り下げてみると大きな父である
百葉箱 家族日誌は発火する
当座預金に振り込めと深層水
言い訳はしないで桶に浮く豆腐
沸点ゼロで羽化 名前のない鳥
きっぱりとことわる白い白い雲
外を歩いているうちに死因が靴の裏に貼りついてくることがある。それを下駄箱という空間に入れておく。死因にはAとBがあるのがおもしろい。
二句目の場所はバスルーム。子孫として「玄孫」が出てくる。そんな未来の時間での死を思い浮かべている。
三句目の作中主体はポイントを貯めるのが嫌いな人なのだろう。持ちたくもないカードをいつの間にか持たされている。ポイントが貯まったらふつうはいいことをするのに、ここでは桜の枝を折るというよくないことをしてしまっている。
正確に再現できていないが、岡野はこんな感じで10句を丁寧に読んでいった。
小池正博は次の5句を選んだ。
パチンコは出ないしリルケ檻の中
ハハシネと打電 針おとすラフマニノフ
二又ソケットに父の永住権
自転車は白塗り 娼婦らの明け方
げそ天のひとり立ち滂沱の薄力粉
固有名詞、父母に対する感情、大阪の雰囲気の三点が指摘された。
良祐が読んだ本そのものかどうかは分からないが、永田耕衣や定金冬二の句集、寺山修司『書を捨てよ、町に出よう』、実朝の『金槐和歌集』、リルケ『マルテの手記』、西脇順三郎『詩学』など、良祐の句に出てくる文学者の本が会場に展示された。
第二部は、くんじろうの司会で参加者ひとりひとりが良祐の思い出や作品について語った。
『実朝の首』は飯田良祐の句集としては不完全なもので、未収録作品の中にもいい句がいくつかある。当日「補遺」として配布されたが、その中から紹介しておく。
天国へいいえ二階へ行くのです
前みつをつかんだのに何故泣いている
うむを言わさない魚屋のゴム長
イージーリスニングな時計屋のオヤジ
何ですかという虫を食べている
イットウォズマイマザー鉢を割っていた
線条痕がある等伯のふすま絵
あてどない春を炒めるゆりかもめ
私たちはもう飯田良祐の新しい作品を読むことができないが、彼の残した作品の読みを深めていくことができる。飯田良祐の川柳がこれからも読み継がれ語り継がれてゆくことを望んでいる。
「ユリイカ」はかつて(2011年10月)「現代俳句の新しい波」で俳句を取り上げ、そのときも私は書店に買いに走ったが、今度は短歌ということになる。
予想していたものとは少し違っていたが、それなりにおもしろいものだった。
まず、穂村弘と最果タヒの対談がある。
次に「短歌/イラスト」として雪舟えまの10首が掲載。雪舟えまがここにくるのか。
さらに「新作5首」として15人の作品が掲載されている。
ネットなどですでにいろいろ感想が書かれているが、歌人でない人の作品が多く載っている。歌人からは俵万智・斉藤斎藤・瀬戸夏子など、歌人以外の人では戸川純・ミムラ・壇蜜・ルネッサンス吉田などが名前を連ねている。
「あたらしい短歌、ここにあります」と言いながら、どこがあたらしいの?と首をかしげる作品もあって、玉石混淆。知らない人も多く、プロフィールが一切付いていないのは、15人を同一平面上に置いて「短歌」として読めばいいという意図だろうか。「ユリイカ」は短歌誌ではないから、「歌壇」とか「短歌界」などというものはここにはなく、一般読者の視点で編集されているとも言える。
評論は現代短歌の世界でよく名前を見かける人が担当していて、ある意味で順当な感じ。その中で新鮮だったのは、梅﨑実奈の「純粋病者のための韻律」である。梅﨑は書店員だが、短歌や短詩型文学に理解のあるカリスマ店員として知られている。彼女はこんなふうに書いている。
〈「歌集、売れてほしくないんですか」
イベントの打ち上げで同席した歌人にずっと気になっていた疑問をぶつけてみたことがある。ずいぶんぶしつけで失礼な質問だけれど、どうしてもきいてみたかったのだ。歌集というのは売るための仕組みがきちんと整っておらず、実際に現場で扱っている側としては本当のところどう考えているのか知りたかった〉
〈「文学です。どうぞ」と差し出すのでは今、マスは受け取ってくれない。店でも詩歌コーナーに迷い込んでしまって「なにここ、ポエムじゃん」と笑いながら人が立ち去っていく姿を今まで何度も見てきた。そのたび思う。文学じゃ、だめなのか。詩じゃ、だめなのか。ことばそのものじゃ、だめなのか〉
本を売るという現場で日々戦っている人の思いがここには述べられている。
短歌の発信については加藤治郎が「短歌の新しさ」を、荻原裕幸が「インターネットと短歌」を書いている。加藤はツイッター「サイレンと犀」(岡野大嗣の短歌と安福望のイラスト)について、フォロワーが11886人にのぼることを紹介したあと、次のように述べている。
〈短歌雑誌・結社誌は、歌壇のコアである。そことは別のところに短歌の読者がいる。短歌の実作者ではない読者が多いと想定する。その読者層の獲得は、長年のテーマなのである。少なくとも「サイレント犀」は、地滑り的な変動を起こす契機となったのではないか〉
そして加藤は〈「サイレント犀」のようなオープン化に短歌の未来はある〉と言うのだ。
いかに私たちがクローズドな世界の狭い視野のなかで生きているかを改めて意識させられる。
さて、7月30日、大阪・上本町の「たかつガーデン」で「飯田良祐句集を読む集い」が開催された。
良祐は2006年7月29日に亡くなったから、ちょうど没後10年になる。川柳は句会がなければ人が集まらない。ただ作品を読むためだけに川柳人が集まるのは稀有のことである。10年が経過して良祐の作品がどう読まれるのか。
ゲストに岡野大嗣を招いた。良祐とは何の面識もないのに、句集『実朝の首』を購読してくれた純粋読者のひとりである。句集の中からいくつかの句を選んで読みを語ってもらった。
岡野大嗣が選んだのは次の句である。
下駄箱に死因AとBがある
バスルーム玄孫もいつか水死体
ポイントを貯めて桜の枝を折る
母の字は斜体 草餅干からびる
吊り下げてみると大きな父である
百葉箱 家族日誌は発火する
当座預金に振り込めと深層水
言い訳はしないで桶に浮く豆腐
沸点ゼロで羽化 名前のない鳥
きっぱりとことわる白い白い雲
外を歩いているうちに死因が靴の裏に貼りついてくることがある。それを下駄箱という空間に入れておく。死因にはAとBがあるのがおもしろい。
二句目の場所はバスルーム。子孫として「玄孫」が出てくる。そんな未来の時間での死を思い浮かべている。
三句目の作中主体はポイントを貯めるのが嫌いな人なのだろう。持ちたくもないカードをいつの間にか持たされている。ポイントが貯まったらふつうはいいことをするのに、ここでは桜の枝を折るというよくないことをしてしまっている。
正確に再現できていないが、岡野はこんな感じで10句を丁寧に読んでいった。
小池正博は次の5句を選んだ。
パチンコは出ないしリルケ檻の中
ハハシネと打電 針おとすラフマニノフ
二又ソケットに父の永住権
自転車は白塗り 娼婦らの明け方
げそ天のひとり立ち滂沱の薄力粉
固有名詞、父母に対する感情、大阪の雰囲気の三点が指摘された。
良祐が読んだ本そのものかどうかは分からないが、永田耕衣や定金冬二の句集、寺山修司『書を捨てよ、町に出よう』、実朝の『金槐和歌集』、リルケ『マルテの手記』、西脇順三郎『詩学』など、良祐の句に出てくる文学者の本が会場に展示された。
第二部は、くんじろうの司会で参加者ひとりひとりが良祐の思い出や作品について語った。
『実朝の首』は飯田良祐の句集としては不完全なもので、未収録作品の中にもいい句がいくつかある。当日「補遺」として配布されたが、その中から紹介しておく。
天国へいいえ二階へ行くのです
前みつをつかんだのに何故泣いている
うむを言わさない魚屋のゴム長
イージーリスニングな時計屋のオヤジ
何ですかという虫を食べている
イットウォズマイマザー鉢を割っていた
線条痕がある等伯のふすま絵
あてどない春を炒めるゆりかもめ
私たちはもう飯田良祐の新しい作品を読むことができないが、彼の残した作品の読みを深めていくことができる。飯田良祐の川柳がこれからも読み継がれ語り継がれてゆくことを望んでいる。
2016年7月29日金曜日
今夜は連句の話をしよう
連句はふだん脚光を浴びる機会が少ないが、折にふれて顕在化してくることがある。
佐藤文香編『俳句を遊べ!』(小学館)に「打越マトリックス」というゲームが出てくる。俳句の取り合わせにおける二物の距離感を把握するための練習である。たとえば、「月」という語から連想する単語を「月」の周りに書いてゆく。「うさぎ」「夜」「団子」など、いろいろ出てくるだろう。次に今書いた単語からさらに思いつく言葉を二周目に書いてゆく。そうすると「月」→「うさぎ」→「耳」とか「月」→「夜」→「歌舞伎町」とか「月」→「団子」→「串」とかいうセットが出来てくるだろう。このとき「月」→「夜」→「星」とかいうように、元に戻ってしまってはいけないというのだ。
佐藤も述べているように、「打越」とは連句用語である。
打越→前句→付句という「三句の渡り」において付句は打越に戻ってはいけない。なぜなら「変化」こそ連句の生命線であるからだ。
佐藤がやろうとしていることは、連句の要諦を俳句一句の取り合わせに応用する技術である。
今年前半に上梓された本のうちで、注目すべき連句書が二冊ある。
鈴木漠『連句茶話』(編集工房ノア)と浅沼璞『俳句・連句REMIX』(東京四季出版)である。
最初に紹介した「打越」について、浅沼の本から改めて例示しよう。
鞘走りしをやがて止めけり 北枝 (打越)
青淵に獺の飛び込む水の音 曽良 (前句)
柴刈こかす峰の笹路 芭蕉 (付句)
「山中三吟」からの引用である。
北枝の句は、鞘の口がゆるくて刀がひとりでに抜けたのを即座に止めたということ。「やがて」は即座にという意味である。曽良の句は、青々とした淵にカワウソが飛び込む音を詠んでいる。鞘走った刀を止めた静寂感を破って獺が水に飛び込む音がしたのである。芭蕉の「古池や」の句を連想させる。次の芭蕉の句は、柴刈の人が険しい峰の笹路で転んだというのである。水の音とオーバーラップして地上で人が転ぶ音がするわけだ。
このような「三句の渡り」を一句の中で試みている例として浅沼は次の句を挙げている。
目には青葉 (打越)
山ほととぎす (前句)
初鰹 (付句)
梅 (打越)
若菜 (前句)
まりこの宿のとろろ汁 (付句)
前者は山口素堂、後者は芭蕉の有名句である。
水平方向の「三句の渡り」を発句(俳句)の垂直方向に変換するとどうなるか、というのが浅沼の問題意識である。
俳句形式や連句形式で言葉と言葉の関係性をどう処理するか。ことは日本の詩歌に通底する問題であり、詩歌を「関係性の文学」ととらえたときに見えてくる光景なのだ。
そのような連俳史を読みやすいかたちで提供するのが鈴木漠の『連句茶話』である。
本書は雑誌「六甲」に連載された文章を主としている。「連句協会報」などにも転載されたから、連載時に読まれた方も多いことだろうが、こうして一書にまとめられると繰り返し読むことができて便利。
李賀や万葉集・後鳥羽院の連歌・宗祇・芭蕉・蕪村・子規・虚子などから現代連句まで、古今東西の付け合い文芸について肩の凝らない文章で語っているが、その内容は広範かつ深い。根底にあるのは「連句文芸が二十世紀のわずか百年の間に急速に衰退したのはなぜか」という問題意識である。
鈴木漠は詩人として著名であるが、連句人としても現代連句の牽引者のひとりである。連句集もすでに13冊を数える。川柳においても言えることだが、連句の世界で「詩性」というのは連句革新の契機となってきた。連句と詩との接触から新鮮な刺激が生まれるのだ。
浅沼璞の著書に戻ろう。
浅沼は西鶴の研究者として知られているが、本書に収録されている「昭和の西鶴、平成の西鶴」は高柳重信や平畑静塔の文章を引用しながら、高浜虚子と西鶴の句、攝津幸彦と西鶴の句を並べて見せる刺激的な論考である。私は浅沼の文章はおおかた雑誌で読んでいるつもりだが、これは読んだ覚えがなかった。初出を見ると「書き下ろし」ということだった。
浅沼璞は川柳誌とも交流がある。「発句の位/平句の位」(原題「それぞれの『潜在的意欲』」)は「バックストローク」4号に掲載されたものだし、「小池正博の場合」(原題「連句への顕在的意欲」)は「川柳木馬」110号に掲載されたものである。後者では次の二句が並べられていた。
切られたる夢は誠か蚤の跡 其角
昼寝から目覚めたときのかすり傷 正博
浅沼の眼力は恐るべきものだなと思う。
さて、鈴木漠や浅沼璞、あるいは別所真紀子などの少数の連句人の活躍は別として、連句に対する無理解・無関心はしばしば経験するところだ。
鈴木や浅沼の本にはともに書かれていることだが、高浜虚子が「連句論」(「ホトトギス」明治37年9月)で連句を称揚し、高浜年尾には雑誌「俳諧」で連句研究をさせ、阿波野青畝にも連句実作を命じたのに、連句がいまだにマイナーな文芸であり続けているのはなぜだろうと考えてしまう。
大阪では毎年10月に「浪速の芭蕉祭」という連句イベントを大阪天満宮で開催している。
今年は10月9日(日)に行われるが、これは連句の実作会である。翌日の10月10日(月・祝)に関連行事として「短詩型文学の集い」を計画している(たかつガーデン)。この日は連句実作ではなくて、各地の連句グループの雑誌や連句本を展示してみたい。あと、四ツ谷龍氏をゲストに迎えてお話を聞くことになっている。詳細は未定だが、連句に少しでも関心をもつ方があれば、その入り口のところを広げるイベントにしたいと思っている。
佐藤文香編『俳句を遊べ!』(小学館)に「打越マトリックス」というゲームが出てくる。俳句の取り合わせにおける二物の距離感を把握するための練習である。たとえば、「月」という語から連想する単語を「月」の周りに書いてゆく。「うさぎ」「夜」「団子」など、いろいろ出てくるだろう。次に今書いた単語からさらに思いつく言葉を二周目に書いてゆく。そうすると「月」→「うさぎ」→「耳」とか「月」→「夜」→「歌舞伎町」とか「月」→「団子」→「串」とかいうセットが出来てくるだろう。このとき「月」→「夜」→「星」とかいうように、元に戻ってしまってはいけないというのだ。
佐藤も述べているように、「打越」とは連句用語である。
打越→前句→付句という「三句の渡り」において付句は打越に戻ってはいけない。なぜなら「変化」こそ連句の生命線であるからだ。
佐藤がやろうとしていることは、連句の要諦を俳句一句の取り合わせに応用する技術である。
今年前半に上梓された本のうちで、注目すべき連句書が二冊ある。
鈴木漠『連句茶話』(編集工房ノア)と浅沼璞『俳句・連句REMIX』(東京四季出版)である。
最初に紹介した「打越」について、浅沼の本から改めて例示しよう。
鞘走りしをやがて止めけり 北枝 (打越)
青淵に獺の飛び込む水の音 曽良 (前句)
柴刈こかす峰の笹路 芭蕉 (付句)
「山中三吟」からの引用である。
北枝の句は、鞘の口がゆるくて刀がひとりでに抜けたのを即座に止めたということ。「やがて」は即座にという意味である。曽良の句は、青々とした淵にカワウソが飛び込む音を詠んでいる。鞘走った刀を止めた静寂感を破って獺が水に飛び込む音がしたのである。芭蕉の「古池や」の句を連想させる。次の芭蕉の句は、柴刈の人が険しい峰の笹路で転んだというのである。水の音とオーバーラップして地上で人が転ぶ音がするわけだ。
このような「三句の渡り」を一句の中で試みている例として浅沼は次の句を挙げている。
目には青葉 (打越)
山ほととぎす (前句)
初鰹 (付句)
梅 (打越)
若菜 (前句)
まりこの宿のとろろ汁 (付句)
前者は山口素堂、後者は芭蕉の有名句である。
水平方向の「三句の渡り」を発句(俳句)の垂直方向に変換するとどうなるか、というのが浅沼の問題意識である。
俳句形式や連句形式で言葉と言葉の関係性をどう処理するか。ことは日本の詩歌に通底する問題であり、詩歌を「関係性の文学」ととらえたときに見えてくる光景なのだ。
そのような連俳史を読みやすいかたちで提供するのが鈴木漠の『連句茶話』である。
本書は雑誌「六甲」に連載された文章を主としている。「連句協会報」などにも転載されたから、連載時に読まれた方も多いことだろうが、こうして一書にまとめられると繰り返し読むことができて便利。
李賀や万葉集・後鳥羽院の連歌・宗祇・芭蕉・蕪村・子規・虚子などから現代連句まで、古今東西の付け合い文芸について肩の凝らない文章で語っているが、その内容は広範かつ深い。根底にあるのは「連句文芸が二十世紀のわずか百年の間に急速に衰退したのはなぜか」という問題意識である。
鈴木漠は詩人として著名であるが、連句人としても現代連句の牽引者のひとりである。連句集もすでに13冊を数える。川柳においても言えることだが、連句の世界で「詩性」というのは連句革新の契機となってきた。連句と詩との接触から新鮮な刺激が生まれるのだ。
浅沼璞の著書に戻ろう。
浅沼は西鶴の研究者として知られているが、本書に収録されている「昭和の西鶴、平成の西鶴」は高柳重信や平畑静塔の文章を引用しながら、高浜虚子と西鶴の句、攝津幸彦と西鶴の句を並べて見せる刺激的な論考である。私は浅沼の文章はおおかた雑誌で読んでいるつもりだが、これは読んだ覚えがなかった。初出を見ると「書き下ろし」ということだった。
浅沼璞は川柳誌とも交流がある。「発句の位/平句の位」(原題「それぞれの『潜在的意欲』」)は「バックストローク」4号に掲載されたものだし、「小池正博の場合」(原題「連句への顕在的意欲」)は「川柳木馬」110号に掲載されたものである。後者では次の二句が並べられていた。
切られたる夢は誠か蚤の跡 其角
昼寝から目覚めたときのかすり傷 正博
浅沼の眼力は恐るべきものだなと思う。
さて、鈴木漠や浅沼璞、あるいは別所真紀子などの少数の連句人の活躍は別として、連句に対する無理解・無関心はしばしば経験するところだ。
鈴木や浅沼の本にはともに書かれていることだが、高浜虚子が「連句論」(「ホトトギス」明治37年9月)で連句を称揚し、高浜年尾には雑誌「俳諧」で連句研究をさせ、阿波野青畝にも連句実作を命じたのに、連句がいまだにマイナーな文芸であり続けているのはなぜだろうと考えてしまう。
大阪では毎年10月に「浪速の芭蕉祭」という連句イベントを大阪天満宮で開催している。
今年は10月9日(日)に行われるが、これは連句の実作会である。翌日の10月10日(月・祝)に関連行事として「短詩型文学の集い」を計画している(たかつガーデン)。この日は連句実作ではなくて、各地の連句グループの雑誌や連句本を展示してみたい。あと、四ツ谷龍氏をゲストに迎えてお話を聞くことになっている。詳細は未定だが、連句に少しでも関心をもつ方があれば、その入り口のところを広げるイベントにしたいと思っている。
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