2016年2月26日金曜日

『15歳の短歌・俳句・川柳』

現代俳句協会青年部主催の勉強会で昨年来、新興俳句が連続して取り上げられてきた。
2015年9月に高屋窓秋、10月に渡邊白泉、11月に三橋敏雄、12月に西東三鬼、そして2016年2月は富澤赤黄男。
私は聴きに行けなかったが、久留島元から富澤赤黄男についてのレジュメをもらった。
赤黄男の「クロノスの舌」の「蝶はまさに〈蝶〉であるが、〈その蝶〉ではない」は有名だが、俳句と川柳について次の一節がある。
「現代俳句と現代川柳の混淆―これは重大なことである。
このことについて、批評家も作家も全然触れようとしない。
―これはまた重大なことである。
俳句の真の秩序が見失われてゐる証左であらう」
赤黄男の問題意識をひとつの契機として私も「俳句と川柳」について随分考えてきたが、これは常に繰り返されるテーマなのだろう。
赤黄男の句に見られる一字空けは現代川柳でも多用される。混淆の出発点は「旗艦」にあるようだ。

「船団」107号(2015年12月)の特集は「昭和後期の俳人たち」だった。「昭和後期」という括り方は耳慣れないものだ。筑紫磐井・仁平勝・坪内稔典の三人が座談会を行っている。
筑紫が取り上げているのは相馬遷子・阿部完市・最晩年の高浜虚子である。

ねぱーるはとても祭で花むしろ    阿部完市

そして筑紫はこんなふうに発言している。
「今、阿部完市の俳句をみるとどこか最近の若い作家に影響が出ているような気がしないでもない。要するに意味でもないし、メッセージでもないし、遊びのようでもあるんだけれど、それだけにとどまらない何か詠みたいものがある」

一昨年、「蝶俳句会」から発行された『昭和の俳句を読もう』という冊子は、54人の俳人の各30句を抄出し、かんたんなコメントをのせたもので、私もよく利用させてもらっている。その中から阿部完市の句をもう少し引用する。

ローソクもってみんなはなれてゆきむほん   阿部完市
栃木にいろいろ雨のたましいもいたり
にもつは絵馬風の品川すぎている
木にのぼりあざやかあざやかアフリカなど

地名の使い方など興味深く思われる。
「船団」の対談に戻ると、坪内は「平成の今の時代は俳句史的な考え方というのが元気がないと思います」と言っている。俳句でもそうなのか。川柳の世界でも川柳史へのリスペクトはまったく感じられない。私が「現代川柳ヒストリア」を立ち上げた理由のひとつがそこにある。

『大人になるまでに読みたい15歳の短歌・俳句・川柳』(ゆまに書房)の第1巻「愛と恋」が刊行された。
短歌の選と解説は黒瀬珂瀾、俳句は佐藤文香、川柳はなかはられいこが担当している。
短歌・俳句・川柳の作品が一冊のアンソロジーの中で同居しているのは画期的なことだ。
川柳からは30句掲載されていて、鶴彬や岸本水府などの評価の定まった作品から現在ただいま書かれている最新の作品までが網羅されている。そのうちのいくつかを紹介する。

お別れに光の缶詰を開ける       松岡瑞枝
あのひとをめくれば雨だれがきれい   畑美樹
よいにおいふたりで嘘をついたとき   久保田紺
非常口の緑の人と森へゆく       なかはられいこ
くちづけのさんねんさきをみているか  渡辺和尾
わたしたち海と秋とが欠けている    瀧村小奈生
永遠と書くゆうぐれもかりうども    清水かおり
たてがみを失ってからまた逢おう    小池正博

「たてがみを…」は柳本々々が取り上げてから比較的知られるようになった句。初出は「WE ARE!」4号(2002年5月)だから、なかはられいことも縁の深い句である。

ドラえもんの青を探しにゆきませんか     石田柊馬
君はセカイの外へ帰省し無色の町       福田若之

それぞれの作品に選者による解説と作者のプロフィールが付いていて読みやすい。
石田柊馬の川柳と福田若之の俳句が見開きページの左右に掲載されている光景は、ちょっと感慨深いものがある。
第二巻「生と夢」も刊行されているはずだが、私はまだ見ていない。第三巻「なやみと力」は3月下旬に刊行予定。どんな句が掲載されるのか楽しみである。

2016年2月19日金曜日

「オルガン」4号のことなど

「オルガン」は2015年4月創刊。生駒大祐、田島健一、鴇田智哉、福田若之、宮本佳世乃の5人による季刊俳誌で、いま4号が出ている。毎号、同人作品と座談会で構成される。

ゴスロリ少女財布に溜め息が白い   福田若之
火事跡に階段の蠢いてゐる      宮本佳世乃
水鳥や眠りのつひの眩しさの     生駒大祐
滝凍てて夜な夜な途方もない配膳   田島健一
ぬるい膝からつはぶきの場所へ出る  鴇田智哉

4号の座談会のテーマは「震災と俳句」。宮本佳世乃からの質問状「あなたは震災句についてどう思いますか、また、どのように関わっていますか」について5人で話し合っている。その内容は深めてゆけば、時評や評論のテーマになるようないくつもの問題性を含んでいる。

興味深かったのは鴇田が引用している高木佳子の文章(「現代詩手帖」2013年5月)。
いわき市在住の歌人である高木に電話をかけてきた人がいて、「今は仮設住宅にお住まいで?」と訊いたという。高木の住んでいるのは高台で津波被害にあっていないし、線量も低かったのだ。電話をかけてきた人は「じゃあ、普通に暮らしていらっしゃる?」と怪訝そうだったという。その人のなかには「被災歌人」という構図が出来上がっていたのだ。

この話を紹介したあとで鴇田はこんなふうに言う。
「この高木さんみたいに、そう相手から期待されると、期待に応えなきゃ悪いとか、応えられなくてすみませんみたいな、変な感情が生じてしまうこともある」「文字として書かれている俳句とか短歌そのものは変わらないのに、添えられている地名で何かが変わる。そこで変わっていいの?っていう疑問もあるんだよね」
地名や作者名によってテクストの読みがずいぶん変わってしまうことは震災作品でなくても経験するところである。

読者の問題について、田島はこんなふうに言っている。
「読者にとっては、自分がわかる枠組みのなかで俳句を読みたいっていうのはあるよね。読み手が『この句はよくないです』って言った場合には、『自分が期待していない言葉がここにある(あるいは、ない)』、っていうことでしょ」

あと、次のような発言も記憶に残った。
「僕は、脆弱な言葉と脆弱でない言葉があると思っていました。時事的な言葉は脆弱で、桜みたいな言葉は強固だと。それが、そうじゃない場合もありうるってことですね」(生駒大祐)
「ある言葉を詠まないっていうあり方は、裏返して言えば、スマホを詠んだら何でも新しい句だと思っているあり方と、そう変わらないんじゃないかって。スタンスは違っても、じゃあそこで書かれるべきものは何なんだ、って問題はどっちにしろ残るよね」(田島健一)

『点鐘雑唱』は「現代川柳・点鐘の会」(墨作二郎)が毎年発行しているアンソロジーで、その年の「点鐘」誌掲載作品と点鐘勉強会作品から抽出している。2015年版は昨年一年間の作品をまとめたもの。その中からいくつか紹介する。

自己主張の導火線が錆ついている      阿部桜子
あなたの夢を一度も見ないカタツムリ    石川重尾
遠慮するなと誕生日がやってくる      一階八斗醁
地球儀のどこもかしこも蛸足配線      笠嶋恵美子
弟がちくわの役を降ろされる        北村幸子
鉄砲を担ぐと積乱雲になる         進藤一車
旅ひとり手稲の雪を見ているか(桑野晶子の死)  墨作二郎
戦争が出来る憲法の裏メニュー       瀧正治
「聞き耳」はこちらと象の後ずさり     平賀胤寿
重なって重なってから枯れる        前田芙巳代
咳すれば山頭火よりパブロン        渡辺隆夫
死ぬ前に鞠子の宿のとろろ汁        渡辺隆夫

「第20回杉野十佐一賞」が発表されている。
詳細は「おかじょうき」のホームページを見ていただくとして、高得点句を何句か紹介する。

毎週金曜 息の発売日           佐久間裕子
息止めて止めて止めて止めて欅       瀧村小奈生
六条御息所的今夜             笹田かなえ
テラってギガってナノらない息なんだ    中西亜
すうはあすうはあなめらかにくさる     宮沢青

印象的だったのは広瀬ちえみの選評である。
「川柳は現在行き交っていることばに左右されていると思った」
「固有名詞を使うときはその言葉自体がすでに抱えている背景を一句のなかで料理しなければならないことを強く意識するべきだと私は思う」
「俳句には季語(時間の積み重ねがある)があるが、それと固有名詞とはちがう。川柳で使われる固有名詞はどちらかといえば作者の生きている現在を呼吸している。しかし一句のなかにピタリと嵌まったときは大きな力を持つのが固有名詞である。川柳におけることばの流通を良くも悪くも考えさせられた」

俳句や川柳における「作者」「読者」「ことば」の問題は、実作と連動するさまざまな局面で深められてゆきつつある。

2016年2月12日金曜日

「発信の時代」をめぐって

5月22日に大阪・上本町で開催する「第二回現代川柳ヒストリア+川柳フリマ」、今年のホームページが出来ているので、ご覧いただければ幸いである。出店の申し込みも受付中。「川柳フリマ」と名のっているが、川柳関係に限定されるのではなく、短歌・俳句・現代詩のどのジャンルの出店も歓迎。ジャンル閉鎖的ではなく、参加者相互交流の場をつくりたいと思っている。「ヒストリア」の面では、川柳句集を何冊か展示する。昨年も展示した川柳鴉組の合同句集『鴉』のほか『中村冨二千句集』、定金冬二句集『無双』、松本芳味句集『難破船』などを陳列。対談ではゲストに山田消児さんをお迎えする。山田さんは惜しまれつつ終刊した「Es」同人。「短歌の虚構、川柳の虚構」をめぐっておもしろいお話が聞けることだろう。昨年同様、投句もできるので、よろしければ投句フォームからどうぞ。

http://senryu17.web.fc2.com/main-2016-01.html

川柳関係のネットでは「川柳スープレックス」が元気である。
メンバーは飯島章友・柳本々々・川合大祐・江口ちかる・倉間しおりの五人。
飯島章友は「スープレックス」1月15日で「川柳カード」10号を紹介したあと、「川柳は発信の時代に入った」と述べている。

「こういうと語弊があるかも知れないけれど、短歌界では有望な書き手にターゲットを絞って仕事を依頼し、歌壇を牽引していく存在に育てようという働きが自然に存在している気がする。人気稼業のタレントじゃねえんだから……、というご意見もあるかも知れない。でも、有能な人材を見出して活躍の場をもうけていくことは、どんな業界でも必要なこと。川柳の世界とて例外ではないとわたしは考える。その意味で昨年、柳本々々さんと榊陽子さんがネット上や各柳誌、フリーペーパーなどで話題になったのを振り返ると、川柳はいい方向に進んでいると感じる。川柳は発信の時代に入った」

これまで川柳における発信と受信はうまく対応していなかった。
昨年9月の「第三回川柳カード大会」で柳本々々と対談したときにもそのことは話題になった。川柳に関心をもった人がもっと川柳作品を読みたいと思ったときに、その入り口が見当たらないという問題である。柳本はこんなふうに語っている。

「たとえば、加藤久子さんの句集の句に高校生が反応したりすることがあるんですよ。さきほども言いましたが、現代川柳は「死」に敏感だから、三十代・二十代を越えて十代にすっと伝わる場合もあると思うんです。ただ、伝わったあとにどうすることもできないという現状があって、加藤さんの句集をどうやったら読めるのかと聞かれても、答えられないんですよ。伝わるかどうかも大事なんですけれど、伝わったあとにそういう空間が準備されているかどうかということが大事だと思っています」

私もこれは早急に何とかしなければいけないと思いながら便々と日が過ぎていくばかりだったが、最近になって柳本自身が「BLOG俳句新空間」36号(2月5日)でその入り口を作っているのに出あった。〈【短詩時評 十二時限目】〈遭遇〉するための現代川柳入門 飯島章友×柳本々々-きょう川柳を始めたいあなたの為に-〉である。この企画について柳本はこんなふうに言っている。

「それでですね、きょうは飯島章友さんをゲストにお招きして、たとえば〈きょう〉こんなふうに〈いきなり〉現代川柳に〈遭遇〉できないかということを飯島さんにお話をうかがいながら模索してみたいと思うんです。〈川柳をまったく知らないひと〉があるひとつのかたちをとおして〈現代川柳をせっかちなかたちでも いいから輪郭だけでもつかめるようにすることができないか〉というのが今回の記事の趣旨です。うまくいくかどうかはわかりませんが、ひとつやってみる価値 があるような気がするんですね」

この問題意識は飯島も共有していて、飯島はこんなふうに問いかけている。

「ところで、自分も少し柳本さんにお訊きしたいことがありますが、よろしいでしょうか? というのも、なかはられいこさんの話をしながら思い出したこと があるんです。自分は2003年になかはらさんらを通じて短詩としての川柳を知るに至ったあと、自分に合った川柳誌を見つけようと思って、インターネット で気になる川柳作家を検索したり、川柳アンソロジーを買ってみたりしたんです。ところが、どうも自分は手際が悪くてなかなか見つけることができませんでし た。柳本さんは自分に適した川柳誌なり川柳グループにたどりつくにはどういった方法がいちばんいいと思いますか?」

以下は柳本の答え。

「私は現代川柳を知ったのが、倉阪鬼一郎さんの『怖い俳句』(幻冬舎新書、2012年)という新書だったんですよ。この本、すごくおもしろい本でして、ほとんどが俳句なんですが、「自由律と現代川柳」という章があって川柳も紹介されているんですね。(中略)
で、これを読んだときに、これはなんだかおもしろい、なんだか自分が今まで知らなかった世界がここにはあると思って、ネットで検索したわけです。(中略)
ありふれた言い方になるけれど、たぶんいまいちばん現代川柳を手軽に知るためには、《気になった川柳作家がいたらともかく一度検索!》なのかもしれませ ん。そうするとかならず、だれかが紹介しています(誰かのことが気になるっていうことは、誰かももう気にしているっていうことです)。そうするとその川柳 作家に似た作風の川柳もそこで紹介されていたりします。すると、芋づる式に現代川柳の〈りんかく〉がわかってくる。そういうふうに、句集やアンソロジーを 〈買う〉というスタイルではなく(なかなか簡単には手に入らない現状もあるので)、自分でさがしながら、自分の分節や感性で現代川柳の《じぶんだけのアンソロジー》をつくっていく。それも最初の段階ではありなのかなあっておもいます」

あと、この記事には手に入りやすい川柳書や川柳句集も紹介されている。川柳への入り口として、行き届いたものになっている。

「スープレックス」はメンバーの個別活動も盛んで、川合大祐は週刊俳句459号(2月7日)に、「檻=容器」10句を発表している。
私がこの10句に一種の感動を覚えるのは、それが「 」という記号を用いた気のきいた表現などではなく、定型に対する川合の問題意識が反映していると感じるからだ。ぐにゃりとした不定形の現実に向かい合うには定型しかない。ここには川合の初心があると思う。

2016年2月5日金曜日

久保田紺の五冊の句集

私の手元に久保田紺の五冊の句集がある。
一冊目は『銀色の楽園』(2008年9月、あざみエージェント)。100句収録。

ありがとうと言ったらさようならになる
ちいさくてかわいいそしておそろしい
背中からなにか出ようとしています
呼びに来たひとにふわりとついてゆく

これとは別に題名のない句集が三冊ある。
それぞれ表紙が青色・赤色・白色でタイトル・あとがきなど一切なく、句だけが収録されている。私の調べたところでは、青色には2005年以後の句、赤色には2007年10月~2008年5月の句、白色には2009年までの句がそれぞれ収録されている。句集ができた経緯については、「杜人」228号の「ここからの景色」に久保田自身の文章が掲載されている。

この次は貴方を産みたいと思う
狂わされ私正しく動き出す
濡れている 私の左君の右
攻めてくる無垢なうさぎの顔をして
笑ってしまった 許していないのに
眠れない夜は羊を丸刈りに  (以上、青色から)

渡したいものがあるのとおびきだす
あなただけが好きよあなたといるときは
マニュアルを読んでるうちに故障する
古本の同じところで泣いている
歩く鳥のほうに分類されている
いなくなったらいなくなったでこわいひと
さあ歩きましょうねと首輪つけられる (以上、赤色から)

錆びてゆく 雨に打たれるのが好きで
おさかなをたべているのにおよげない
会わないように会わないように帰りつく
お取り寄せしたら知らない人が来る
脱ぐまでは正義の味方だった人
散りましょう うしろに列ができている (以上、白色から)

最後に『大阪のかたち』(2015年5月、川柳カード叢書)。
久保田紺と「川柳カード」との関係について、句集の「あとがき」には次のように書かれている。
〈長年住み慣れた家を出て辿り着いた所は、「川柳カード大会」会場から徒歩3分のところ。それがどんなに幸運なことか、私はまだ知りませんでした。すべてのものの手放し方ばかり考えていた私は、思いがけず新しい場所を得、仲間と出会いました〉
こうして久保田紺は「川柳カード」大会や合評会に参加するようになり、そのつながりから「川柳・北田辺」にも毎回参加するようになった。

銅像になっても笛を吹いている
キリンでいるキリン閉園時間まで
うつくしいとこにいたはったらええわ
海はまだか海に出たくはないけれど
あいされていたのかな背中に付箋
着ぐるみの中では笑わなくていい
鉄人に勝とう大きなパー出して
いけませんそこに触ると泣きますよ

私は久保田紺の恋句が好きだ。句集の解説には「案外といっては語弊があるが、久保田紺には恋句が多い」と書いて、彼女には叱られたけれど。
私は40代の彼女を知らない。たぶん久保田紺にはいろいろな面があって、私の知っているのはほんの一面にすぎないだろう。ただの「いい人」であったら、こんな句が書けるはずもない。
私たちは日常生活の些事に追われて暮らしているが、自分の「いのち」に向き合ったときに、どうでもいいこととそうでないことはきっぱりと分けられる。どうでもいいことは、はっきりどうでもいいのだ。私が彼女から学んだのは、そういうことである。
「川柳性」とは何か。ひとことで言うのはむつかしいが、久保田紺の作品にはまぎれもない川柳性が感じられる。すぐれた川柳人だった。

2016年1月29日金曜日

『桜前線開架宣言』

かつて石田柊馬が「川柳は読みの時代に入った」と宣言して以来、どう詠むかだけではなく、どう読むかが現代川柳の重要な課題となっている。一読明快の時代には川柳は読めば分かるもので、ことさら「読み」を意識する必要はなかったが、作品が読者による多義的な読みをされるようになると、作者の側も作品がどう読まれるという「読みの幅」をある程度意識しながら作句するようになる。作者論から読者論への転換である。
ところが読者が川柳作品を読みたいと思っても、全国に散在する川柳同人誌に目を通すことは時間的にも経済的にも不可能なことであるし、句会・大会に参加するにも労力が必要だ。現代川柳の全体像なんて誰にも分からないのである。句集が必要とされる所以だが、「川柳は句集の時代に入った」とも言い切れないのが苦しいところだ。
そういう意味で私が敬意を払っているのは、渡辺隆夫と新家完司である。
隆夫は『宅配の馬』に始まって『都鳥』『亀れおん』『黄泉蛙』『魚命魚辞』『六福神』と句集を出し続け、さすがにもう逆さにふっても何も出ないようだ。完司は五年ごとに句集を出していて、『新家完司川柳集(六)平成二十五年』まで出ている。
現在では句集や紙媒体以外にSNSなどを利用した多様な発信の仕方が可能になっており、飯島章友は「川柳は発信の時代に入った」(「川柳スープレックス」2016年1月15日)と述べている。
「読みの時代」→「句集の時代」→「発信の時代」と変遷するなかで、川柳人はそれぞれの好みと資質に応じた作品発表の場を確保することが必要だろう。

さて、「発信」という点で進んでいるのは短歌の世界である。
昨年末に現代短歌の注目すべきアンソロジーが現れた。山田航編著『桜前線開架宣言』(左右社)である。
「Born after 1970 現代短歌日本代表」という副題が示すように、取り上げられているのは1970年以降に生まれた若手歌人40人である。「1970年代生まれ」「1980年代生まれ」がそれぞれ19人、「1990年代生まれ」も2人いる。
個々の歌人の作品も魅力的だが、山田航による切り口が鮮やかだ。
たとえば、兵庫ユカは「言葉が心に突き刺さる」という感覚、言葉の刃の鋭さという点では現代短歌随一、と紹介されている。

遠くまで聞こえる迷子アナウンス ひとの名前が痛いゆうぐれ    兵庫ユカ
どの犬も目を合わせないこれまでも好きなだけではだめだったから
求めても今求めてもでもいつかわたしのことを外野って言う

そして、山田は次のようにコメントするのだ。
〈「自分の居場所がない」という自己疎外感をここまで鋭く研いだ言葉にできている歌人はそうそういない。それでいてその自己疎外感に、被害者意識が薄い。「なんで私ばっかりがこんな目に」「私は何も悪くない」といった姿勢をみせられてしまうと、いくら鋭い言葉のセンスが感じられてもいささか興ざめしてしまうものだけれど、兵頭ユカは絶妙なバランスでそれを回避してくる。乾きすぎてもおらず、湿りすぎてもいない、絶妙な水分を含んだ白いガーゼのような歌。それが兵庫ユカの短歌だ〉

でもこれはわたしの喉だ赤いけど痛いかどうかはじぶんで決める   兵庫ユカ

中澤系については、こんなふうに。

ぼくたちはこわれてしまったぼくたちはこわれてしまったぼくたちはこわ  中澤系
3番線快速電車が通過します理解できない人は下がって

〈刃のようにぎらついた焦燥感に、ぼくは夢中でページをめくった。1998年から2001年にかけてということは、ぼくがインターネットを使いはじめた頃に詠まれた歌だ。デジタル化する世界のシステムのなかで、ぼくたちは、自らの身を守るために、生きてゆくために、思考停止を強いられている。中澤系が描いている風景は未来都市でも何でもない。いたって一般的な、日本の大都市の風景だ。プラットフォーム。駅前のティッシュ配り。どこにでもある風景だ。そこから思考停止の浸蝕ははじまっている。傷つかない方法は考えないこと。心の痛覚を殺していかなければならない。そんな世界が永遠に続く。永遠にだ〉
〈しかし中澤系は思考停止を拒んだ。かといって被害者意識にまみれて世界を攻撃することもできなかった。果てのないディストピアが生まれたことを誰のせいにすることもできなかった。彼は「終わりなき世界」を脱却するための鍵として、終わりを運命づけられた定型詩を求めた〉

その歌人の作品をもっと読んでみたい気持ちに誘われると同時に、山田自身の感性もくっきりと立ち上がってくる。

核発射ボタンをだれも見たことはないが誰しも赤色と思う   松木秀
二十代凶悪事件報道の容疑者の顔みなわれに似る
平日の住宅地にて男ひとり散歩をするはそれだけで罪

〈松木秀の作家としてのスタートは短歌ではなく川柳。そのため諷刺と滑稽味に主眼を置いた歌を得意とする。きわめて弱い立場にいながらも、きっと塔の頂上を見据えて、皮肉という銃弾を撃ち込もうとする。届かなくても構わない。必死で撃ち続けようとしているその姿勢が、似た立場の者たちの目に入ればいいのだ〉

「1970年代生まれの歌人たち」から3人紹介したが、「1980年代生まれの歌人たち」も充実しているし、「1990年代生まれ」の井上法子もおもしろそうだ。
ロス・ジェネ世代の人たちがなぜ川柳という表現形式を選ばないのだろうと私はかねがね疑問をもっていたが、彼らは短歌形式によって自己と世界を表現していたのである。
山田航は2009年の角川短歌賞・現代短歌評論賞のダブル受賞で一躍注目された。だから、私は彼のことを才気煥発な人だと思っていた。けれども、本書を読んで彼のイメージが少し変わった。彼が真摯に短歌と向き合い、現代短歌の魅力を発信しようとしていることがよくわかる。
本書の発行所の左右社は川柳句集も出している数少ない出版社である。

山田は「まえがき」でこんなふうに書いている。
〈しかしぼくは大きな勘違いを一つしていた。寺山修司から短歌に入ったぼくは、歌集というものをヤングアダルト、つまり若者向けの書籍だと思い込んでいたのだ。短歌が世間では高齢者の趣味だと思われていたなんてかけらも知らなかったし、実情をそれなりに知った今でも心のどこかで信じられない。どうせなら、ぼくと同じ勘違いを、これから短歌を読もうとする人みんなすればいいと思う。みんなですれば、もう勘違いじゃなくて事実だ〉
川柳についても同じことが言えたらいいな。こんなふうに言えたら、どんなに晴れ晴れすることだろう。

2016年1月22日金曜日

芝桜遠近法

昨年末に墨作二郎作品集『典座』(「川柳凛」発行)が届いた。
川柳誌「凛」の38号から63号までに掲載された208句が収録されている。「典座(てんぞ)」とは禅宗寺院における料理係のことである。句集から5句紹介する。

芝桜遠近法 石笛の過去いちめん     墨作二郎
対岸に多瞬の蛍 流転の父
花は白い十字架 蝶の渡海伝説
クレパスの迷路 青い蘇鉄のあとずさり
水栓のもるる枯野 居残り地蔵尊

一字開けを使った二句一章は作二郎の愛用する書き方である。
「五 七五」または「五七 五」を基本形とするが、上五が10音近くにのびたり、下五が4音や6音になることもあり、リズムのさまざまなヴァリエーションがある。
作二郎作品を読みなれている読者にとっては同一イメージの繰り返しが気になるところではあるが、堺出身の詩人・安西冬衛の「てふてふが一匹韃靼海峡を渡って行った」や川柳人・河野春三の「水栓のもるる枯野を故郷とす」を下敷きにするなど、作二郎の川柳人生を振り返るものとなっている。

「川柳凛」64号(1月1日発行)に、くんじろうが「川柳・耄碌論」を書いている。
山田太一の「男たちの旅路シリーズ」や舞踏家・田中泯、阪井久良岐などについて述べているなかに、飯田良祐の作品にも触れている。今年は良祐が亡くなって10年目になるので、彼の句集『実朝の首』を改めて読む会を開きたいものと私は思っている。
くんじろうは「詩のボクシング」のことも書いていて、「朗読による川柳句会」を提唱している。提唱だけではなく、彼は実行するだろう。「川柳は老衰してはならない。川柳は耄碌してはならない」というくんじろうのメッセージである。

くんじろうが主宰する句会「川柳北田辺」が5年を越え、6年目に入ったという。第63回句会報、表紙はカラーで猿の絵になっている。

アダムとイブにからむちんぴら     きゅういち(席題「ちんぴら」)
寛永二年創業ちんぴらのお漬物     きゅういち
シャッターを上げれば月が伏せている  茂俊(兼題「伏せる」)
肉食のわたしと桃食のあなた      ちかる(席題「桃」)
トナカイがやわらかく煮た蕪ですが   律子(席題「蕪」)
システムの都合で今年五十歳      丁稚一号(席題「システム」)
さばの味噌煮に巻きこまれたんよ    ろっぱ(席題「るつぼ」)

初句会でいただいた「ふらすこてん」43号(1月1日発行)。きゅういちの作品から。

結構美形のどうせ立ち去る影の昼    きゅういち
眼にミルク地方の銀座正しうす
梟鳴くどのみちささくれる聖母
又貸しの姉はどなたが文房具
歌姫を抱いて売られる鉄工所

筒井祥文は選評で「どう読もうと深読みに陥る十句。よって読み不可」としている。
読みが不可かどうかはさておくとして、私は攝津幸彦の「以前は自分の生理に見合ったことばを強引に押し込めれば、別段、意味がとれなくてもいいんだという感じがあったけど、この頃は最低限、意味はとれなくてはだめだと思うようになりました」という言葉を思い出した。

昨年末にいろいろな川柳誌を送っていただいているが、コメントせずにそのままになっているので、遅ればせながら紹介しておきたい。

「触光」45号(12月1日発行)、梅崎流青が「高田寄生木賞」について書いている。同誌43号掲載の筒井祥文による批判に対する反批判である。論争の少ない川柳界ではめずらしい議論である。「高田寄生木賞」については第四回のときにも渡辺隆夫の「川柳の使命」発言に対して広瀬ちえみが疑問を呈したことがあり、「触光」では議論が活性化することを期待しているのだろう。43号の編集後記を見ると筒井祥文の批判に関して「明確な川柳観からの文章で、いろいろと勉強になった。異論のある方もあると思う。その異論を文章にして送っていただければ幸いである」と述べられている。今回はその「異論」というわけだ。ただ、論争というのは当事者のあいだに共通するベースがないと成り立たないので、価値観がまったく異なる場合は生産的な議論とならないところに困難さがある。
同誌の前号鑑賞のコーナーでは清水かおりが「現代の川柳の様相は実に様々だ。伝統や革新という呼び方はもとより何々派という画し方も当てはまらない自由さを得ている。読者が作者の個性に注目した読みを展開し、作者は個の確立に研鑽を積んだ。そのような作者と読者の関係性も、すでに変化し始めているように感じる」と書いている。

「水脈」41号(12月1日発行)巻頭、落合魯忠の「『劇場』の女優たち」は「現代川柳・どん底の会」(代表・進藤一車)発行の柳誌「劇場」の創刊から終刊まで全40冊を改めて検証・紹介している。落合はこんなふうに書いている。
「今日、名のある川柳大会に並ぶ作品の劣化は顕著であり、どこかで見たことがある、似たような、良く云えば日常を語り合う共感のできる作品が大量生産の上、選出され巷へ散ってゆく」「柳社の経営を考えれば量の拡大に力点を置くのは致し方のないことではあるが、川柳という文芸を結社が支配する構図は将来的に消滅するであろう」「なぜならいかなる文芸も、本来的に個人のなせる芸であり、孤独な当為を基本とするものであるからだ」

「触光」「水脈」とも桑野晶子が昨年10月19日に亡くなったことを悼んでいる。89歳。

水ぎょうざ黄河の月もこのような   桑野晶子
羊蹄に雪くる画鋲二個の位置
罪というなら包丁差しに包丁が
雪が降り雪が降り乳房はふたつ
かるがると蝶が死んでる雪の画布
しゃれこうべ軋む絶頂感の中
ながい冬だった一匹の蠅に遇う
じゃがいもの花と流れて海は臨月

川柳の先行者に対するリスペクトと同時に、さらに新しい領域を切り開いてゆくことが現代川柳には求められている。

2016年1月15日金曜日

なかはられいこが発信してきたこと

最初に宣伝させていただくが、昨年5月に開催した「現代川柳ヒストリア+川柳フリマ」を今年も5月22日に大阪・上本町の「たかつガーデン」で開催することになった。
前回は「川柳誌でたどる現代川柳の歩み」という展示を行ったが、今回は川柳句集の展示をする予定である(解説・石田柊馬)。また、ゲストに歌人の山田消児を招いて対談をおこなう。前回より広い会場を確保しているので、フリマにもたくさんの出店スペースがとれると思う。詳細は改めて専用ホームページ(いまはまだ昨年のままだが、時期が近づけば更新の予定)などでご案内するので、川柳人だけでなく、短詩型文学に関心のある方々のご参加をお願いしたい。

川柳のフリマといえば、2003年12月に「WE ARE!」の大会が東京で開催されたときにフリマがあって、歌集を何冊か買い込んだ記憶がある。そのとき私はフリマの必要性をまだよく理解できていなかった。遅まきながら、いま「川柳フリマ」をやろうというのである。
なかはられいこには川柳文芸が衰退してゆくことに対する危機意識があった。朗読もその打開策のひとつだった。最近になって、2003年当時の彼女の様子を伝える文章を目にする機会が重なったので紹介しておく。

俳人の松本てふこは「わからないけど好き」(「川柳カード」9号)でこんなふうに書いている。
〈川柳を初めて意識したのはいつだっただろうか。大学生の頃にポエトリーリーディングをやる友人に連れられて様々な朗読のイベントに行ったのだが、そういったイベントのひとつでなかはられいこ氏の朗読を聞いた記憶がある。なにぶん十年以上前のことで、少年のように凛々しく華奢ななかはら氏が歌うようにからだを揺らして朗読していたこと、その声を聞きながら「川柳って上五、中七、下五に何とも言えない断絶があるんだなー」と思ったこと、それくらいしか記憶がない〉

飯島章友も「杜人」248号で次のように語っている。
〈2003年当時、東さんがマラリーに出演するってんで、何人かのぷらむ会員で観にいったわけよ。そのとき、出演者のほとんどが歌人というなか、なかはられいこさんと倉富洋子さんが川柳ユニット「WE ARE!」として出演していて、川柳を朗読してたんだ。正直いうと、オレもそれまではご多分に漏れず、「川柳なんて定型を利用したダジャレだろ?」くらいに思っていたんだなぁ。ところが、二人の川柳は違っていた。「これは十七音の短歌だ」と直感したね。落差が大きかったぶん驚きもハンパなくて、それでまあ、作句するかしないかはともかく、川柳って文芸を知りたくなったわけだ〉

飯島が述べているのは「マラソン・リーディング2003」のことで、当時彼は東直子主宰の「ぷらむ短歌会」で短歌に触れていたようだ。
また、瀬戸夏子の話によると、「早稲田短歌会」の部室には誰が持ってきたのか『脱衣場のアリス』が置いてあったそうだ。『脱衣場のアリス』には荻原裕幸や穂村弘も関わっているから、その関係で歌人にも興味を持たれたのかもしれない。それを部員が回し読みする機会があったのだ。
当時、なかはらは現代川柳の最先端にいて、私はその活躍ぶりを遠くから眺めているばかりだったが、なかはらが蒔いた種が時を経たいま、現代川柳のひとつの支柱になっていることに感慨を覚える。

昨年12月に発行された「川柳ねじまき」2号から、なかはられいこ作品を引用しておこう。

いとこでも甘納豆でもなく桜      なかはられいこ
ともだちがつぎつぎ緑になる焦る
気のせいか夕陽のせいか語尾がへん
湿布貼ったとこからすっと船が出る
HOMEに戻る狩野派の雲連れて

会員の作品と作品評のほかに、「ねじまき句会を実況する」で「読み」を中心とする句会の様子を伝えている。また今号には半歌仙が掲載されているが、捌きの瀧村小奈生は連句人としても活躍している。今年は国民文化祭が愛知県で開催され、10月30日に連句の祭典が熱田神宮で行なわれることになっている。今年の名古屋は川柳も連句も熱いのだ。
巻末で、なかはらはこんなふうに書いている。
「川柳にかかわってそろそろ三十年になる。初心のころは書いても書いても書きたいことは尽きないように思えた。でも尽きるのだ。だから、それ以後は、川柳というツールを使って何を言いたいのか、何かを言うためのツールが俳句や短歌や詩ではなく、川柳であるのはなぜか、を考えることになった。それをいまだに考え続けている。答えは、もう少しだけ手を伸ばせば届くところにあるような気がすることもあるし、逃げ水のように追っても追っても届かないような気がすることもあって、飽きない」
「誌上であれネットであれ句集であれ、作品を発表すれば一句一句は旅をする。そして数年後、何十年後のかなたから未見の読者を連れてきてくれることがあるのだ」

何事も直線的には進んでいかないものである。なかはらがやろうとしていたことは、10年後の今日になって目に見えるかたちで結実しつつある。たとえそれが限られた範囲であるとしても、続けてゆくことは大切である。

さて、『15歳の短歌・俳句・川柳』(ゆまに書房)が近いうちに発売される予定。第1巻「愛と恋」(黒瀬珂瀾編)、第2巻「生と夢」(佐藤文香編)、第3巻「なやみと力」(なかはられいこ編)、全3巻のアンソロジーである。詳細は、ゆまに書房のホームページで見ることができる。刊行が楽しみである。