しばらく休んでいたが、とりあえず今年の回顧を書きとめておきたい。例年通りごく個人的な感想である。
今年出版された作品集のなかでもっとも印象的だったのは『冬野虹作品集成』全三巻(書肆山田)である。2002年2月に亡くなった冬野虹の俳句・詩・短歌を収録したもの。第Ⅰ巻『雪予報』、第Ⅱ巻『頬白の影たち』、第Ⅲ巻『かしすまりあ』。生前に刊行されたのは句集『雪予報』だけだから、それ以外は四ツ谷龍の編集による。
句集『雪予報』から。
陽炎のてぶくろをして佇つている 冬野虹
鳥の門みどりのからだ運びだす
つゆくさをちりばめここにねむりなさい
たくさんの鹿現はれて琵琶を弾く
この時期の冬野が俳誌「鷹」に所属し、藤田湘子の選を受けていたというのは興味深い。その後、彼女は四ツ谷龍と二人誌「むしめがね」を創刊する。
次に歌集『かしすまりあ』から。
春の空は白磁の皿に降りてきておどろきやすき翅をもつかな 冬野虹
すぐ怒る声よりさきに鈴虫の声のパウダーふりかけなさい
みんな帰ったか眠ったか たぷたぷうちよせて神経の先水にひたして
文体は文語もあり口語もあり、詠まれている内容も多彩である。
「むしめがね」20号(11月10日)は冬野虹の特集を行っている。四ツ谷龍の「あけぼののために」は冬野の人と作品について丁寧に書き留めている。
冬野の作品は誰もが「繊細」というが、それは彼女の作品には「詩」(「夢」と言い換えてもいいかもしれない)があるということだろう。ジャンルとしての詩ではなくて、ポエジー(実生活とは次元の異なる詩的なもの)である。だから、俳句・短歌・詩と形式は異なっても、通底するところがあるのだろう。作者に会ったことがなくても、作品の向こうに存在する「冬野虹」とはとても魅力的なひとだっただろうと思うのである。
川柳に眼を転じると柳本々々(やぎもと・もともと)の活躍が目立った。
昨年は「謎の読み巧者」として正体不明の存在だったが、今年は関西でのイベントにも登場し、ベールを脱いだ感がある。5月の「とととと展」、9月の「川柳カード大会」でパネラーをつとめ、存在感を見せつけた。
柳本は短歌では「かばん」に、川柳では「おかじょうき」「旬」に所属している。ネットではブログ「あとがき全集」を驚異的なスピードで更新しており、「川柳スープレックス」「アパートメント」など活動の場が広い。
飯島章友とならんで、短歌と川柳の二つの形式で作品を書く表現者として注目される。
実作者としては榊陽子が川柳誌を賑わせた。
「杜人」247号、「榊陽子のレトリック」について兵頭全郎と酒井かがりが書いている。
兵頭は、榊が大会・句会に強いタイプの作者であること、それは作者のすぐれたバランス感覚によること、バランス感覚は作句と同時に読み手として句を見返す術を身につけていることから生まれること、そして最近の榊の句はこのバランス感覚をいったん崩すことによってさらなるステップアップを予感させることなどを述べている。
酒井は、白雪姫(榊陽子)が七人の小人のことを語る設定で榊の作品を分類している。
「川柳木馬」146号の「作家群像」は榊陽子篇。榊の60句に石田柊馬、飯島章友の作品論が付いている。
作品を誰も読んでくれないあいだは安全無事である。注目され論じられることは作品の弱点が露わになるかもしれない不安を伴うものだが、榊自身は「たまたまいろいろ重なっただけですよ」とアッケラカンとしている。
枝豆で角度がリリー・フランキー 榊陽子
しばかれてごらん美しすぎるから
ここで川柳の発信のあり方について振り返っておく。
まず、川柳の句集がずいぶん発行されるようになったのが嬉しい。
滋野さち句集『オオバコの花』(東奥文芸叢書)、竹井紫乙句集『白百合亭日乗』(あざみエージェント)、朝妻久美子『君待雨』(左右社)など川柳句集を扱う出版社も増えてきた。
川柳カード叢書からも、昨年の『ほぼむほん』(きゅういち)に続いて、今年は飯田良祐句集『実朝の首』、久保田紺句集『大阪のかたち』の二冊を発行した。
短詩型諸ジャンルの書籍を扱う「葉ね文庫」(大阪・中崎町)の存在は、文芸に関心のある読者の交流の場としても貴重だ。
「文学フリマ」は東京以外の各地でも開催されるようになった。大阪開催は今年で三回目だが、今年は「川柳カード」が川柳から唯一の参加。川柳人にもっと参加してほしいのは、短歌など他ジャンルの活気に触れてカルチャー・ショックを受ける必要があるからだ。
ネット、SNSからの発信も盛んになってきた。川柳人のブログもいくつかあるが、まだまだ少数なので、みなさん情報発信につとめていただきたい。
以前に比べると、ジャンルを越えた交流がごく自然に行なわれるようになってきているが、その一方でジャンル意識は依然として強固な面もある。私がもっともなじめないのは「ジャンルのなかでの自己完成」という態度である。世界は広いのだ。
10月以降、いろいろな川柳誌が発行され、相手取るべきものが多々あるのに、時評の役割を果たせていない。ゆるゆる行こうと思うが、来年は1月8日から再開する予定。なお、前回の「石部明の世界 その一」、別に問い合わせはないのだが、「その二」は来年十月の石部明忌の時期になることを付け加えさせていただく。では、よいお年を。
2015年12月25日金曜日
2015年10月31日土曜日
石部明の世界 その一
石部明は2012年10月27日に亡くなったので、没後三年になる。
死後には忘れられてゆく川柳人が多いなかで、石部明の作品はいまも新しい読者を獲得し、読み継がれている作者の一人である。石部の作品に慣れ親しんでいる場合でも読み直してみると新しい発見があり、それだけ充実した川柳作品であると言えよう。今回は石部の初期作品(「ますかっと」「川柳展望」の時期)を調べてゆくなかで、気づいたことを記してみたい。
まず、1970年代の石部の川柳との関わりを年譜形式でまとめておく。
1939年1月3日 岡山県和気郡三石町(現備前市)に生れる。
1967年 事業のため岡山県和気町に移住。
1974年 和気町文化祭を機に川柳を始める。
1975年 9月「ますかっと」(会員欄「百花集」)へ初投句。会員欄の選者は大森風来子。
1977年 2月「ますかっと」(岡山川柳社)同人。同人欄「黄薇句苑」の選者は延永忠美。このころ「米の木グループ」へ。
1979年 時実新子「川柳展望」会員(19号~)。
石部は「川柳展望」14号から投句を始めているが、会員になったのは19号からである。次に挙げるのは「川柳展望」19号に発表された石部の作品である。
堤防の向こうを父はまだ知らぬ
ダムになる村がちがちと義歯鳴らす
百姓が笑う仏壇屋の表
遠景の生家を燃やすたなごころ
月光に臥すいちまいの花かるた
晩夏から追いつめられてゆくピアノ
泣き虫だった頃の娼婦の耳の傷
犬の皿すこし正義を考える
いもうとの傘に駆けこむ卑怯者
銀行の横の出口は人ごろし
たましいの揺れの激しき洗面器
神よりもすこし遅れて木にのぼる
許そうとしない猫背を刻む日々
たましいのあと先をゆく伴走者
オルガンを踏んで長女が遠ざかる
「いもうと」「猫」「オルガン」など石部作品に親しんでいる読者にとっては、その後石部の作品に登場する語がすでにいくつか使われていることに気づくだろう。また、石部の作品には二つの世界にまたがる、その境界線上の場所がしばしば選ばれるのだが、ここでも「堤防」「ダム」「仏壇」などの境界線上のトポスが詠まれている。出発のときから彼はすでに自分の世界を持っていたのだ。
第一句集『賑やかな箱』に収録されている句もいくつかある。注目すべきことは句集に収録された句の原型や発想のもとになった句が見られることである。
晩夏から追いつめられてゆくピアノ (「展望」19号)
晩夏から追い詰められてゆく打楽器 (『賑やかな箱』)
「ピアノ」「打楽器」のどちらがよいかはすぐには決められないが、石部は句集収録に際して改作したあとがうかがえる。初期作品を読んでいると、こういう改作や同じ発想の句がしばしば見られることに気づく。
陽の当る椅子へ一歩のたちくらみ (「ますかっと」昭和53年5月)
やわらかい布団の上のたちくらみ (「展望」16号)
「陽の当る椅子」が一種の隠喩として意味性が強いのに対して、「やわらかい布団」の方は比喩的な意味を喚起しない。どちらがよいかは好みによるだろうが、「やわらかい布団」のほうに表現としての豊かさを感じる。
記憶にはない少年がふいに来る(「展望」15号)
見たことのない猫がいる枕元(「展望」46号)
どちらも『賑やかな箱』に収録されている。発想はよく似ているが、「少年」は「猫」に深化したのだろう。
もうひとつ、私が気になっているのは、「米の木グループ」のことである。そのメンバーは西山茶花・児子松恵・石原園子・行本みなみ・野口寛・平野みさ・石部明であるが、私は「米の木グループ」について石部に質問したことがあり、石部の回答は次のようなものだった。
「石部が参加するようになったのは1977年頃か。代表は特にいなかったが児子松恵が連絡など仕切っていた。しかし、中心は県下でもっとも人気があり、泉淳夫、片柳哲郎、山村祐などに高く評価されていた西山茶花で、それに過激な論客、行本みなみがからむ構図で、結構熱っぽい合評会を月に一回していた。みなみは『川柳木馬』の渡部可奈子特集に本人の望まれて『可奈子論』を執筆したこともあったが、論は過激で片柳哲郎を困らせたこともあり、県下でも交流するものはいなかったが、彼から教わることも多かった。十年ほど続いて、やがて断続的で同窓会的に1992年頃まで続いた」
次に引用する8句は行本みなみの作品である。石部の作品に通底するものを感じる。
それ以後は雨のおんなに入りびたり (「展望」12号)
二つ転がり二つ音する雛の首
眼をあけて普段着のまま死んでいる
たましいを抜かれ花野に迷うもの (「展望」13号)
美しい水だ飲めよと突き落とす
墓に立つ女体芯まで青である
対かい合う人形互いに抱かれたく
たんぽぽより少うし高い縊死の足 (「展望」14号)
行本の句について時実新子は次のように述べている。
「来年は遠いと思う夏の墓地/行本みなみの作品から死の匂いが払拭されることはないのだろうか。テーマとして真剣に彼が追求しているのはわかるのだが。そして、死即ち生であることも」(展望12号「前号ブロック評」)
平野みさについては石部自身が影響を受けた句として次の句を挙げている。石部自身の作品と並べて紹介しよう。
菜の花や母はときどき狂います 平野みさ
菜の花の中の激しい黄を探す 石部明(「展望」48号)
最後に石部の次の二句を並べてみたい。
夜桜を見にいったまま帰らない (『賑やかな箱』、初出「展望」45号)
栓抜きを探しにいって帰らない (『遊魔系』)
夜桜を見にゆくのと栓抜きを探しにゆくのとでは、ずいぶんイメージが違う。夜桜を見にいってふと行方が分からなくなってしまうというのは何となく理解できるような気がするが、栓抜きを探しにいったまま行方不明になるというのはどういう事態なのだろう。なぜ栓抜きでなければならなかったのか。つまり「栓抜き」の方に不条理性が際立つのだ。
こうして石部は自らのキイ・イメージを深化させつつ定着させていったのだということが初期作品を読むとよく分かる。
私が石部と出会ったときに彼はすでに確固とした存在感のある川柳人だったが、彼にも出発点というものがあったはずだ。出発に際しては彼をとりまく川柳環境から影響を受けただろうが、同時に石部は最初から自己の世界を持っていたとも言える。彼はそれを深化させたのであり、すぐれた表現者であればだれでもそういうプロセスをたどるのだと思う。
死後には忘れられてゆく川柳人が多いなかで、石部明の作品はいまも新しい読者を獲得し、読み継がれている作者の一人である。石部の作品に慣れ親しんでいる場合でも読み直してみると新しい発見があり、それだけ充実した川柳作品であると言えよう。今回は石部の初期作品(「ますかっと」「川柳展望」の時期)を調べてゆくなかで、気づいたことを記してみたい。
まず、1970年代の石部の川柳との関わりを年譜形式でまとめておく。
1939年1月3日 岡山県和気郡三石町(現備前市)に生れる。
1967年 事業のため岡山県和気町に移住。
1974年 和気町文化祭を機に川柳を始める。
1975年 9月「ますかっと」(会員欄「百花集」)へ初投句。会員欄の選者は大森風来子。
1977年 2月「ますかっと」(岡山川柳社)同人。同人欄「黄薇句苑」の選者は延永忠美。このころ「米の木グループ」へ。
1979年 時実新子「川柳展望」会員(19号~)。
石部は「川柳展望」14号から投句を始めているが、会員になったのは19号からである。次に挙げるのは「川柳展望」19号に発表された石部の作品である。
堤防の向こうを父はまだ知らぬ
ダムになる村がちがちと義歯鳴らす
百姓が笑う仏壇屋の表
遠景の生家を燃やすたなごころ
月光に臥すいちまいの花かるた
晩夏から追いつめられてゆくピアノ
泣き虫だった頃の娼婦の耳の傷
犬の皿すこし正義を考える
いもうとの傘に駆けこむ卑怯者
銀行の横の出口は人ごろし
たましいの揺れの激しき洗面器
神よりもすこし遅れて木にのぼる
許そうとしない猫背を刻む日々
たましいのあと先をゆく伴走者
オルガンを踏んで長女が遠ざかる
「いもうと」「猫」「オルガン」など石部作品に親しんでいる読者にとっては、その後石部の作品に登場する語がすでにいくつか使われていることに気づくだろう。また、石部の作品には二つの世界にまたがる、その境界線上の場所がしばしば選ばれるのだが、ここでも「堤防」「ダム」「仏壇」などの境界線上のトポスが詠まれている。出発のときから彼はすでに自分の世界を持っていたのだ。
第一句集『賑やかな箱』に収録されている句もいくつかある。注目すべきことは句集に収録された句の原型や発想のもとになった句が見られることである。
晩夏から追いつめられてゆくピアノ (「展望」19号)
晩夏から追い詰められてゆく打楽器 (『賑やかな箱』)
「ピアノ」「打楽器」のどちらがよいかはすぐには決められないが、石部は句集収録に際して改作したあとがうかがえる。初期作品を読んでいると、こういう改作や同じ発想の句がしばしば見られることに気づく。
陽の当る椅子へ一歩のたちくらみ (「ますかっと」昭和53年5月)
やわらかい布団の上のたちくらみ (「展望」16号)
「陽の当る椅子」が一種の隠喩として意味性が強いのに対して、「やわらかい布団」の方は比喩的な意味を喚起しない。どちらがよいかは好みによるだろうが、「やわらかい布団」のほうに表現としての豊かさを感じる。
記憶にはない少年がふいに来る(「展望」15号)
見たことのない猫がいる枕元(「展望」46号)
どちらも『賑やかな箱』に収録されている。発想はよく似ているが、「少年」は「猫」に深化したのだろう。
もうひとつ、私が気になっているのは、「米の木グループ」のことである。そのメンバーは西山茶花・児子松恵・石原園子・行本みなみ・野口寛・平野みさ・石部明であるが、私は「米の木グループ」について石部に質問したことがあり、石部の回答は次のようなものだった。
「石部が参加するようになったのは1977年頃か。代表は特にいなかったが児子松恵が連絡など仕切っていた。しかし、中心は県下でもっとも人気があり、泉淳夫、片柳哲郎、山村祐などに高く評価されていた西山茶花で、それに過激な論客、行本みなみがからむ構図で、結構熱っぽい合評会を月に一回していた。みなみは『川柳木馬』の渡部可奈子特集に本人の望まれて『可奈子論』を執筆したこともあったが、論は過激で片柳哲郎を困らせたこともあり、県下でも交流するものはいなかったが、彼から教わることも多かった。十年ほど続いて、やがて断続的で同窓会的に1992年頃まで続いた」
次に引用する8句は行本みなみの作品である。石部の作品に通底するものを感じる。
それ以後は雨のおんなに入りびたり (「展望」12号)
二つ転がり二つ音する雛の首
眼をあけて普段着のまま死んでいる
たましいを抜かれ花野に迷うもの (「展望」13号)
美しい水だ飲めよと突き落とす
墓に立つ女体芯まで青である
対かい合う人形互いに抱かれたく
たんぽぽより少うし高い縊死の足 (「展望」14号)
行本の句について時実新子は次のように述べている。
「来年は遠いと思う夏の墓地/行本みなみの作品から死の匂いが払拭されることはないのだろうか。テーマとして真剣に彼が追求しているのはわかるのだが。そして、死即ち生であることも」(展望12号「前号ブロック評」)
平野みさについては石部自身が影響を受けた句として次の句を挙げている。石部自身の作品と並べて紹介しよう。
菜の花や母はときどき狂います 平野みさ
菜の花の中の激しい黄を探す 石部明(「展望」48号)
最後に石部の次の二句を並べてみたい。
夜桜を見にいったまま帰らない (『賑やかな箱』、初出「展望」45号)
栓抜きを探しにいって帰らない (『遊魔系』)
夜桜を見にゆくのと栓抜きを探しにゆくのとでは、ずいぶんイメージが違う。夜桜を見にいってふと行方が分からなくなってしまうというのは何となく理解できるような気がするが、栓抜きを探しにいったまま行方不明になるというのはどういう事態なのだろう。なぜ栓抜きでなければならなかったのか。つまり「栓抜き」の方に不条理性が際立つのだ。
こうして石部は自らのキイ・イメージを深化させつつ定着させていったのだということが初期作品を読むとよく分かる。
私が石部と出会ったときに彼はすでに確固とした存在感のある川柳人だったが、彼にも出発点というものがあったはずだ。出発に際しては彼をとりまく川柳環境から影響を受けただろうが、同時に石部は最初から自己の世界を持っていたとも言える。彼はそれを深化させたのであり、すぐれた表現者であればだれでもそういうプロセスをたどるのだと思う。
2015年10月17日土曜日
俳諧史への視線
10月15日付けの新聞報道によると、これまで所在不明だった蕪村の句集が見つかったという。蕪村存命中に門人がまとめた「夜半亭蕪村句集」の写本である。句集の存在は戦前から知られていたが、所在不明のままになっていた。数年前に天理図書館が購入した本がそうであることが確認されたということだ。
連句に関して私は蕪村に興味をもつところから出発したので、このニュースに無関心ではいられない。これまで知られていない蕪村句も含まれていて、たとえば次の句である。
傘(からかさ)も化けて目のある月夜哉 蕪村
蕪村の妖怪趣味はよく知られていて、蕪村らしい句である。
別所真紀子著『江戸おんな歳時記』(幻戯書房)が刊行された。
別所は女性俳諧史の第一人者だが、今度の書物は歳時記仕立てになっている。「季語研究会会報」などに掲載された文章もあるが、一書にまとめて読むことができるのはありがたい。千代尼、智月、園女、諸九尼、星布、菊舎などの名の知られた女性だけではなく、無名の女性や子どもの句なども紹介されている。
春風や猫のお椀も梅の花 九歳 しう (『三韓人』寛政10年)
鶯の空見ていそぐ初音かな 長崎 十歳 易女 (『寒菊随筆』享保4年)
「春風や」の句は猫が食べ散らかしたご飯粒を梅の花に見立てているのだろう。「猫のお椀も梅の花みたい」と口ずさんだのを周囲の者が書きとめたのかも知れない。
しら菊や人に裂かせて醒めて居り 一紅
高崎在の一紅の句集『あやにしき』(宝暦11年)から。これは大人の句。どういう状況か、また何を裂くのかよく分らないが、人に裂かせて自分は醒めているというのは近代的な心情で印象に残る句である。
10月11日に大阪天満宮で「第九回浪速の芭蕉祭」が開催された。他のイベントとも重なって参加者は15名と少なかったが、参加者相互の顔が見える連句会となった。
講演は近代俳句の研究者である青木亮人氏にお願いした。「蕉門歌仙と近代俳句について」と題して、芭蕉七部集の付句と三鬼・秋桜子・青畝・虚子などの俳句を比較するという興味深いものだった。
連句では「投げ込みの月」といって、「月」の字を句の最後に置いて一種の助辞のように使うことがある。たとえば
雑役の鞍を下ろせば日がくれて 野坡
飯の中なる芋をほる月 嵐雪
(歌仙「兼好も」・『炭俵』)
という「月」がそれに当たる。青木はこれを次の西東三鬼の次の句と並べてみせた。
算術の少年しのび泣けり夏 三鬼
この「夏」の使い方は今では珍しくないが、当時としては新鮮で、模倣するものが増えたらしい。三鬼が連句の影響を受けたということではなくて、近世の俳諧と近代俳句の表現がある部分で似ているという指摘をおもしろく思った。
「浪速の芭蕉祭」では連句会の前に大阪天満宮の本殿に参拝してご祈祷を受ける。学芸上達を祈願するのである。祝詞や巫女による舞のあと代表者が玉串を捧げる。こういう儀式的な側面もはじめての参加者にはおもしろいようだ。
当日は天満宮境内で古書市が開催され、俳諧関係の欲しくなるような古書も販売されていた。「かばん関西」の吟行会も同じ場所であったそうだ。
この日、受付をしていると会員のひとりが岡本星女の訃報をもたらした。10月9日にお亡くなりになったそうである。星女は阿波野青畝の「かつらぎ」系の俳人・連句人で、夫は岡本春人。春人が亡くなったあとは「俳諧接心」を主宰した。「浪速の芭蕉祭」を立ち上げたのは星女である。
「浪速の芭蕉祭」では例年、連句を募集して優秀作品を天満宮に奉納する。今年は募吟を行わなかったが、連句部門のほかに前句付と川柳の部門も設けている。川柳の部門を作ったのは星女の強い勧めによる。「現代川柳はすごい。なぜなら、私にはまったく分からないから」と星女は私に言った。現代川柳は分からない、難解だという人が多いなかで、「分からないからすばらしい」と言ったのは星女ひとりである。
人は死にへくそかずらは実となりぬ 岡本星女
連句に関して私は蕪村に興味をもつところから出発したので、このニュースに無関心ではいられない。これまで知られていない蕪村句も含まれていて、たとえば次の句である。
傘(からかさ)も化けて目のある月夜哉 蕪村
蕪村の妖怪趣味はよく知られていて、蕪村らしい句である。
別所真紀子著『江戸おんな歳時記』(幻戯書房)が刊行された。
別所は女性俳諧史の第一人者だが、今度の書物は歳時記仕立てになっている。「季語研究会会報」などに掲載された文章もあるが、一書にまとめて読むことができるのはありがたい。千代尼、智月、園女、諸九尼、星布、菊舎などの名の知られた女性だけではなく、無名の女性や子どもの句なども紹介されている。
春風や猫のお椀も梅の花 九歳 しう (『三韓人』寛政10年)
鶯の空見ていそぐ初音かな 長崎 十歳 易女 (『寒菊随筆』享保4年)
「春風や」の句は猫が食べ散らかしたご飯粒を梅の花に見立てているのだろう。「猫のお椀も梅の花みたい」と口ずさんだのを周囲の者が書きとめたのかも知れない。
しら菊や人に裂かせて醒めて居り 一紅
高崎在の一紅の句集『あやにしき』(宝暦11年)から。これは大人の句。どういう状況か、また何を裂くのかよく分らないが、人に裂かせて自分は醒めているというのは近代的な心情で印象に残る句である。
10月11日に大阪天満宮で「第九回浪速の芭蕉祭」が開催された。他のイベントとも重なって参加者は15名と少なかったが、参加者相互の顔が見える連句会となった。
講演は近代俳句の研究者である青木亮人氏にお願いした。「蕉門歌仙と近代俳句について」と題して、芭蕉七部集の付句と三鬼・秋桜子・青畝・虚子などの俳句を比較するという興味深いものだった。
連句では「投げ込みの月」といって、「月」の字を句の最後に置いて一種の助辞のように使うことがある。たとえば
雑役の鞍を下ろせば日がくれて 野坡
飯の中なる芋をほる月 嵐雪
(歌仙「兼好も」・『炭俵』)
という「月」がそれに当たる。青木はこれを次の西東三鬼の次の句と並べてみせた。
算術の少年しのび泣けり夏 三鬼
この「夏」の使い方は今では珍しくないが、当時としては新鮮で、模倣するものが増えたらしい。三鬼が連句の影響を受けたということではなくて、近世の俳諧と近代俳句の表現がある部分で似ているという指摘をおもしろく思った。
「浪速の芭蕉祭」では連句会の前に大阪天満宮の本殿に参拝してご祈祷を受ける。学芸上達を祈願するのである。祝詞や巫女による舞のあと代表者が玉串を捧げる。こういう儀式的な側面もはじめての参加者にはおもしろいようだ。
当日は天満宮境内で古書市が開催され、俳諧関係の欲しくなるような古書も販売されていた。「かばん関西」の吟行会も同じ場所であったそうだ。
この日、受付をしていると会員のひとりが岡本星女の訃報をもたらした。10月9日にお亡くなりになったそうである。星女は阿波野青畝の「かつらぎ」系の俳人・連句人で、夫は岡本春人。春人が亡くなったあとは「俳諧接心」を主宰した。「浪速の芭蕉祭」を立ち上げたのは星女である。
「浪速の芭蕉祭」では例年、連句を募集して優秀作品を天満宮に奉納する。今年は募吟を行わなかったが、連句部門のほかに前句付と川柳の部門も設けている。川柳の部門を作ったのは星女の強い勧めによる。「現代川柳はすごい。なぜなら、私にはまったく分からないから」と星女は私に言った。現代川柳は分からない、難解だという人が多いなかで、「分からないからすばらしい」と言ったのは星女ひとりである。
人は死にへくそかずらは実となりぬ 岡本星女
2015年9月25日金曜日
マラソンリーディングと文学フリマ大阪
秋は文芸のイベントがいろいろ開催されるが、この前の土日の両日に大阪でもふたつのイベントがあった。
9月19日(土)には「マラソン・リーディング」が十三のカフェスロー大阪で開催された。マラソンリーディングが大阪で開催されるのははじめてらしい。
午後2時にはじまって6時半まで、四部に分かれてプログラムが続いたが、まず第一部で興味をひかれたのは香川ヒサの朗読。アイルランドで朗読したという短歌に英訳が付く。英訳は香川自身の手による。国際連句のことなどが連想された。
第二部のトップは今橋愛。今橋愛はマイナビブックス『ことばのかたち』に連載した『ここと うたと ことばのれんしゅう』の中から六首朗読した。これに舞踏家の周川ひとみの踊りがつく。私は最前列で見ていたが、周川の踊りには迫力があった。
私が短歌に接触していたのは十年くらい以前のことで、そのころ買った今橋の歌集『О脚の膝』が手元にある。司会の田中槐の『退屈な器』を読んだのもそのころだ。時の流れを感じる。
第三部、田中ましろは映像と短歌の朗読を組み合わせて発表。「青くてすこし苦い」という青春物。
第四部、最初の紺野ちあきは「国会前十万人デモ」と「箱根駅伝」の詩を朗読。気骨のある女性がいるものだ。龍翔は和田まさ子の詩「安心」を朗読。帰ってから調べてみると「詩客」に掲載されていた。
朗読にはそれぞれのスタイルがあって、それぞれおもしろかったのだが、この日いちばん私の心に迫ったのは正岡豊の朗読。どこがよかったのか、言葉ではいえない。
トリは石井辰彦の朗読「アフリカを望んで」。テクストが配布されたので、もらって帰った。
久し振りに朗読を聞いておもしろかったけれど、少し疲れた。帰りは中崎町でひとり宴会。
9月20日(日)には「文学フリマ大阪」が堺市産業振興センターのイベントホールで開催された。前日に続いてこちらにも参加した人は多いようだ。
詩歌では短歌のブースが多くて、川柳からは唯一の出店である(そんなことは何のウリにもならない)。いろいろな人が来場されていて、お話したり交流できたりして楽しかった。初対面の方に声をかけられるのも嬉しいことである。ただ「川柳カード大会」のときにも宣伝しておいたのに、川柳人の来場が少なかったのが残念である。若くて表現意欲のある人たちがこんなにいることを肌で感じることが刺激になるからだ。
当日手に入った同人誌の中からいくつか紹介しておきたい。
まず、BL俳句誌「庫内灯」。当日の午後、フリマと同じ会場の別室で「BL句会」も開催されたようだ。
ワンドロで佐藤文香の俳句「夜を水のように君とは遊ぶ仲」に付けられた絵が掲載されている。
逸脱のたのしさでヨットには乗らう 佐々木紺
まんべんなくシャワーまんべんなく拭かず なかやまなな
屠蘇苦し君のおさない舌である 久留島元
火事が見たいよ火のそばで火の中で 岡田一実
短歌同人誌「率」による「SH2」。
「SH」の瀬戸夏子・平岡直子・我妻俊樹に加えて今回は宝川踊・山中千瀬も参加して川柳を書いている。特におもしろいとおもったのは山中と平岡の作品。
なんとなく個室に長居してしまう 山中千瀬
あとのないしらうおたちの踊り食い
ちょっと泣きアクエリアスで補った
生活に降る雨なんの罰でもなく
100年のやばいゲームを続けよう
すぐ来て、と水道水を呼んでいる 平岡直子
雪で貼る切手のようにわたしたち
ネガフィルム界から紫芋来たる
星の数ほど指輪のいやらしい用途
煙草かと思って火をつけて吸いました
最後に自由律俳句誌「蘭鋳」を紹介しておきたい。
自由律俳句には短律と長律とがあるが、今回の特集は「長律」。過去篇と現代篇の二部で構成されている。自由律には短律と長律とがあるはずなのに、なぜ長律は滅び短律だけが残ったのか。矢野錆助は高柳重信の次の言葉を引用している。
「そして、わずか十五年の大正時代が終わったとき、長律の作品は跡かたもなく滅び去り、尾崎放哉を見事な典型とする短律の作品だけが残ったが、たとえ自由律俳句といえども俳句形式の思想は、本来もっとも饒舌から遠いものであろうことを思うならば、それも一つの必然であった」(「俳句形式における前衛と正統」)
川柳人でもあった山村祐の「短詩」が長律派と短律派に分裂して崩壊していったことなどが連想される。「蘭鋳」の特集は高柳が滅びたという「長律」の復権という意味があるだろう。橋本夢道の「無礼なる妻よ毎日馬鹿げたものを食わしむ」などは川柳人にも人気のある句である。
9月19日(土)には「マラソン・リーディング」が十三のカフェスロー大阪で開催された。マラソンリーディングが大阪で開催されるのははじめてらしい。
午後2時にはじまって6時半まで、四部に分かれてプログラムが続いたが、まず第一部で興味をひかれたのは香川ヒサの朗読。アイルランドで朗読したという短歌に英訳が付く。英訳は香川自身の手による。国際連句のことなどが連想された。
第二部のトップは今橋愛。今橋愛はマイナビブックス『ことばのかたち』に連載した『ここと うたと ことばのれんしゅう』の中から六首朗読した。これに舞踏家の周川ひとみの踊りがつく。私は最前列で見ていたが、周川の踊りには迫力があった。
私が短歌に接触していたのは十年くらい以前のことで、そのころ買った今橋の歌集『О脚の膝』が手元にある。司会の田中槐の『退屈な器』を読んだのもそのころだ。時の流れを感じる。
第三部、田中ましろは映像と短歌の朗読を組み合わせて発表。「青くてすこし苦い」という青春物。
第四部、最初の紺野ちあきは「国会前十万人デモ」と「箱根駅伝」の詩を朗読。気骨のある女性がいるものだ。龍翔は和田まさ子の詩「安心」を朗読。帰ってから調べてみると「詩客」に掲載されていた。
朗読にはそれぞれのスタイルがあって、それぞれおもしろかったのだが、この日いちばん私の心に迫ったのは正岡豊の朗読。どこがよかったのか、言葉ではいえない。
トリは石井辰彦の朗読「アフリカを望んで」。テクストが配布されたので、もらって帰った。
久し振りに朗読を聞いておもしろかったけれど、少し疲れた。帰りは中崎町でひとり宴会。
9月20日(日)には「文学フリマ大阪」が堺市産業振興センターのイベントホールで開催された。前日に続いてこちらにも参加した人は多いようだ。
詩歌では短歌のブースが多くて、川柳からは唯一の出店である(そんなことは何のウリにもならない)。いろいろな人が来場されていて、お話したり交流できたりして楽しかった。初対面の方に声をかけられるのも嬉しいことである。ただ「川柳カード大会」のときにも宣伝しておいたのに、川柳人の来場が少なかったのが残念である。若くて表現意欲のある人たちがこんなにいることを肌で感じることが刺激になるからだ。
当日手に入った同人誌の中からいくつか紹介しておきたい。
まず、BL俳句誌「庫内灯」。当日の午後、フリマと同じ会場の別室で「BL句会」も開催されたようだ。
ワンドロで佐藤文香の俳句「夜を水のように君とは遊ぶ仲」に付けられた絵が掲載されている。
逸脱のたのしさでヨットには乗らう 佐々木紺
まんべんなくシャワーまんべんなく拭かず なかやまなな
屠蘇苦し君のおさない舌である 久留島元
火事が見たいよ火のそばで火の中で 岡田一実
短歌同人誌「率」による「SH2」。
「SH」の瀬戸夏子・平岡直子・我妻俊樹に加えて今回は宝川踊・山中千瀬も参加して川柳を書いている。特におもしろいとおもったのは山中と平岡の作品。
なんとなく個室に長居してしまう 山中千瀬
あとのないしらうおたちの踊り食い
ちょっと泣きアクエリアスで補った
生活に降る雨なんの罰でもなく
100年のやばいゲームを続けよう
すぐ来て、と水道水を呼んでいる 平岡直子
雪で貼る切手のようにわたしたち
ネガフィルム界から紫芋来たる
星の数ほど指輪のいやらしい用途
煙草かと思って火をつけて吸いました
最後に自由律俳句誌「蘭鋳」を紹介しておきたい。
自由律俳句には短律と長律とがあるが、今回の特集は「長律」。過去篇と現代篇の二部で構成されている。自由律には短律と長律とがあるはずなのに、なぜ長律は滅び短律だけが残ったのか。矢野錆助は高柳重信の次の言葉を引用している。
「そして、わずか十五年の大正時代が終わったとき、長律の作品は跡かたもなく滅び去り、尾崎放哉を見事な典型とする短律の作品だけが残ったが、たとえ自由律俳句といえども俳句形式の思想は、本来もっとも饒舌から遠いものであろうことを思うならば、それも一つの必然であった」(「俳句形式における前衛と正統」)
川柳人でもあった山村祐の「短詩」が長律派と短律派に分裂して崩壊していったことなどが連想される。「蘭鋳」の特集は高柳が滅びたという「長律」の復権という意味があるだろう。橋本夢道の「無礼なる妻よ毎日馬鹿げたものを食わしむ」などは川柳人にも人気のある句である。
2015年9月18日金曜日
第三回川柳カード大会
― 偉大なる天体よ。もしあなたの光を浴びる者たちがいなかったら、あなたははたして幸福といえるだろうか。この十年というもの、あなたは私の洞穴をさしてのぼって来てくれた。もし私と私の鷲と蛇とがそこにいなかったら、あなたは自分の光にも、この道すじにも飽きてしまったことだろう。 (「ツァラトゥストラ」)
9月12日、大阪上本町の「たかつガーデン」で「第三回川柳カード大会」が開催された。第一回が2012年、第二回が2013年開催で、昨年は見送られたので、二年ぶりの開催となる。第一部は対談、第二部は句会という形式はこれまでと変わらず、全国から94名の川柳人が集まった。
今年の対談ゲストには柳本々々を迎えたので、彼の話を聞きたくて参加された方も多いことだろう。対談のタイトルは「現代川柳の可能性」。
柳本と会うのは今回で五回目となる。昨年12月の「川柳カード」合評会が最初で、今年5月の「現代川柳ヒストリア+川柳フリマ」が二回目、8月の「とととと展」に彼の話を聞きに行き、東京でも一度会って話をした。
細部まで詰めたわけではないが、対談内容の腹案はできていたし、柳本から詳しいメールも届いていたので、進行に不安はなかった。対談はその場がおもしろければいいようなものだが、雑誌の編集の立場からすると、のちに誌面に反映させたときに、絵になるというか、読みものとしてインパクトのある話がほしい。ライブ感覚と活字で読んだときのおもしろさという矛盾する要請をしたのだが、さすがに柳本の話は充実したものだった。
対談とは言いながら、私はインタビュアーに徹するつもりだったので、質問する役割に回った。また、柳本は絵川柳なども書いているので、パワーポイントを使って映像を紹介することにつとめた。どこまで成功したか分からないが、詳しいことは発表誌の「川柳カード」10号(11月25日発行予定)をご覧いただきたい。
ご参加いただいた方の感想もぼつぼつツイッターやブログに出ているようだし、柳本自身も「俳句新空間」で少し触れているので、ここでは印象的な発言のいくつかをピックアップするにとどめたい。
「〈のりべん〉がぶちまけられて元に戻らないという感じって、定型詩の一回性というか、定型が一回詠われ始めらたら不可逆で元に戻れないという感じで、〈のりべん〉は定型と深い関係があるんじゃないかと思います」
「ある意味で覆面レスラー的なのは川柳。短歌は逆に〈顔〉が見えることによってその〈顔〉をうんぬんする文芸」
「俳句が挨拶の文芸なら、川柳はお別れの文芸、さよならの文芸なんじゃないかと思うんです」
「川柳には〈健やかな不健全さ〉〈不健全な強さ〉がある。いくつになっても不健全であることが許される文芸はあまりないのではないか」
「続けることを続けたいと思います。いろんなやり方で、ジャンルをクロスさせながら」
録音テープできちんと確かめていないし、文脈と切り離して引用すると誤解を生む危険もあるので、発表誌までの途中経過としてお読みいただきたい。
さて、第二部の大会での準特選句・特選句を紹介しておく。
「美」くんじろう選
準特選2 美りっ美りっ美りっ お言葉が裂けている 中西軒わ
準特選1 握りたくなる新品の鉄パイプ 八上桐子
特選 十七才と二ヶ月の右の耳 森田律子
(中西軒わの句は耳で聞いたときはよくわからなかったが、活字化するとおもしろさが際立ってくる。)
「力」中山奈々選
準特選2 これからは力になると冷奴 能登和子
準特選1 流水でほぐして使う力こぶ 徳長怜
特選 にんげんでいる力加減がわからない 岩田多佳子
(選者・中山奈々の軸吟「少年にパンイチの十万馬力」、「パンイチ」って何だろう?と思ったが、「パンツ一丁」ということらしい。鉄腕アトムだったのか。)
「和」松永千秋選
準特選2 天は天で飽和状態 内田真理子
準特選1 昭和からふっとんでくる金盥 石原ユキオ
特選 わたくしが和気藹々と減ってゆく 草地豊子
「気」丸山進選
準特選2 バス停は武士になる気で立っている 徳永怜
準特選1 気ぜわしく ひとりシェルター掘っている 久恒邦子
特選 大竹しのぶがその気になっている 谷口義
「白」石田柊馬選
準特選2 母よりも白き足なしサロンパス 樋口由紀子
準特選1 にじり口面倒な白になる 赤松ますみ
特選 ますます白くなってゆく暴力装置 小池正博
事前投句「大」樋口由紀子選
準特選2 おおぐま座待たせて呼び鈴の修理 兵頭全郎
準特選1 大きな西瓜抱えどこかへ消えた父 松永千秋
特選 水掻きがみんな大きい関係者 松永千秋
大会には伊那から「旬」の川合大祐・千春が参加していて、「旬」の最新号をいただいた。
「旬」は10年くらい前に読んでいたが、最近は見る機会がなかったので新鮮な感じがした。代表・丸山健三、編集・樹萄らきという体制である。
地を踏んでいるけど闇をふんでいる 大川博幸
秋…そう逃げるのはいかがなものか 樹萄らき
慈悲を持ちポチと名付けてしんぜよう 樹萄らき
少女革命、と最後に口にした啄木 柳本々々
うっかりと地球に酒を呑ませてた 千春
当日会場で配布されたものに「THANATOS 石部明 1/4」というフリーペーパーがある。
石部明の作品を10年ごとに四期に分けて紹介するシリーズの一回目。「石部明はどのような人物だろうか」「石部明はどのようにして石部明になったのか」の二本の短文は私が書いているが、50句の選定と印刷・発行は八上桐子による。初期の石部明について改めて振り返る契機になればありがたい。
記憶にはない少年がふいに来る 石部明
9月12日、大阪上本町の「たかつガーデン」で「第三回川柳カード大会」が開催された。第一回が2012年、第二回が2013年開催で、昨年は見送られたので、二年ぶりの開催となる。第一部は対談、第二部は句会という形式はこれまでと変わらず、全国から94名の川柳人が集まった。
今年の対談ゲストには柳本々々を迎えたので、彼の話を聞きたくて参加された方も多いことだろう。対談のタイトルは「現代川柳の可能性」。
柳本と会うのは今回で五回目となる。昨年12月の「川柳カード」合評会が最初で、今年5月の「現代川柳ヒストリア+川柳フリマ」が二回目、8月の「とととと展」に彼の話を聞きに行き、東京でも一度会って話をした。
細部まで詰めたわけではないが、対談内容の腹案はできていたし、柳本から詳しいメールも届いていたので、進行に不安はなかった。対談はその場がおもしろければいいようなものだが、雑誌の編集の立場からすると、のちに誌面に反映させたときに、絵になるというか、読みものとしてインパクトのある話がほしい。ライブ感覚と活字で読んだときのおもしろさという矛盾する要請をしたのだが、さすがに柳本の話は充実したものだった。
対談とは言いながら、私はインタビュアーに徹するつもりだったので、質問する役割に回った。また、柳本は絵川柳なども書いているので、パワーポイントを使って映像を紹介することにつとめた。どこまで成功したか分からないが、詳しいことは発表誌の「川柳カード」10号(11月25日発行予定)をご覧いただきたい。
ご参加いただいた方の感想もぼつぼつツイッターやブログに出ているようだし、柳本自身も「俳句新空間」で少し触れているので、ここでは印象的な発言のいくつかをピックアップするにとどめたい。
「〈のりべん〉がぶちまけられて元に戻らないという感じって、定型詩の一回性というか、定型が一回詠われ始めらたら不可逆で元に戻れないという感じで、〈のりべん〉は定型と深い関係があるんじゃないかと思います」
「ある意味で覆面レスラー的なのは川柳。短歌は逆に〈顔〉が見えることによってその〈顔〉をうんぬんする文芸」
「俳句が挨拶の文芸なら、川柳はお別れの文芸、さよならの文芸なんじゃないかと思うんです」
「川柳には〈健やかな不健全さ〉〈不健全な強さ〉がある。いくつになっても不健全であることが許される文芸はあまりないのではないか」
「続けることを続けたいと思います。いろんなやり方で、ジャンルをクロスさせながら」
録音テープできちんと確かめていないし、文脈と切り離して引用すると誤解を生む危険もあるので、発表誌までの途中経過としてお読みいただきたい。
さて、第二部の大会での準特選句・特選句を紹介しておく。
「美」くんじろう選
準特選2 美りっ美りっ美りっ お言葉が裂けている 中西軒わ
準特選1 握りたくなる新品の鉄パイプ 八上桐子
特選 十七才と二ヶ月の右の耳 森田律子
(中西軒わの句は耳で聞いたときはよくわからなかったが、活字化するとおもしろさが際立ってくる。)
「力」中山奈々選
準特選2 これからは力になると冷奴 能登和子
準特選1 流水でほぐして使う力こぶ 徳長怜
特選 にんげんでいる力加減がわからない 岩田多佳子
(選者・中山奈々の軸吟「少年にパンイチの十万馬力」、「パンイチ」って何だろう?と思ったが、「パンツ一丁」ということらしい。鉄腕アトムだったのか。)
「和」松永千秋選
準特選2 天は天で飽和状態 内田真理子
準特選1 昭和からふっとんでくる金盥 石原ユキオ
特選 わたくしが和気藹々と減ってゆく 草地豊子
「気」丸山進選
準特選2 バス停は武士になる気で立っている 徳永怜
準特選1 気ぜわしく ひとりシェルター掘っている 久恒邦子
特選 大竹しのぶがその気になっている 谷口義
「白」石田柊馬選
準特選2 母よりも白き足なしサロンパス 樋口由紀子
準特選1 にじり口面倒な白になる 赤松ますみ
特選 ますます白くなってゆく暴力装置 小池正博
事前投句「大」樋口由紀子選
準特選2 おおぐま座待たせて呼び鈴の修理 兵頭全郎
準特選1 大きな西瓜抱えどこかへ消えた父 松永千秋
特選 水掻きがみんな大きい関係者 松永千秋
大会には伊那から「旬」の川合大祐・千春が参加していて、「旬」の最新号をいただいた。
「旬」は10年くらい前に読んでいたが、最近は見る機会がなかったので新鮮な感じがした。代表・丸山健三、編集・樹萄らきという体制である。
地を踏んでいるけど闇をふんでいる 大川博幸
秋…そう逃げるのはいかがなものか 樹萄らき
慈悲を持ちポチと名付けてしんぜよう 樹萄らき
少女革命、と最後に口にした啄木 柳本々々
うっかりと地球に酒を呑ませてた 千春
当日会場で配布されたものに「THANATOS 石部明 1/4」というフリーペーパーがある。
石部明の作品を10年ごとに四期に分けて紹介するシリーズの一回目。「石部明はどのような人物だろうか」「石部明はどのようにして石部明になったのか」の二本の短文は私が書いているが、50句の選定と印刷・発行は八上桐子による。初期の石部明について改めて振り返る契機になればありがたい。
記憶にはない少年がふいに来る 石部明
2015年9月11日金曜日
マッピングのことなど
「第三回川柳カード」の開催が明日に迫り、その準備の合間にこれを書いているので、今日の時評は簡略なものでお許し願いたい。
「クプラス」2号の付録「平成二十六年俳諧國之概略」が話題になっている。
現代の俳人たちを「伝統主義」「ロマン主義」「原理主義」に分けてマッピングしたものだ。俳人たちの位置づけには異論がでるだろうが、興味深い試みだし、見ていて十分楽しめる。
By上田信治・高山れおな・古脇語・山田耕司とあるから、この四人で考えたもののようだ。「原理主義」って何?とか思うので、まず図の構造について一瞥してみよう。
「平成二十六年の俳句界をマッピングしてみたらこんなことになった」は上掲の四人による座談会で、山田はこんなふうに語っている。
山田 まず《伝統/前衛》という形式をめぐる対立と別に、形式を利用して何かを述べる《ロマン主義》という領域を仮設する。社会性俳句なども含む「語るべきドラマを持つ」スタイルです。そのことによってワタシ語り等の系譜も見えやすくなります。
一方《伝統主義》は、厳然として存在する俳句の、その存在を疑わないという主義。師匠の言ったことを一言一句ゆるがせにしないという姿勢の問題でもある。《伝統主義》がマナーとしての俳句であるのに対して《原理主義》は言語表現としての俳句を対象化し、詩歌および表現することそのものの広い領域を批評の座に組み込もうとします。かつ、現状を疑い、ともすればあるべき理想へと傾斜してゆく。
この発言を受けて上田はさらに次のように言う。
上田 山田さんが三項に分けた時点で、蛇のシッポ呑み的な運動をはらんだ図になることは必然でした。その意図を引き継ぐために、三項のどの一つも、他の二つと対立軸があるように定義すべきだと考えました。《伝統とロマン》にあって《原理》にないものは〈大衆性〉です。《ロマンと原理》にあって《伝統》にないものは〈新しさ〉。《伝統と原理》にあって《ロマン》にないものは〈専門性〉です。
これ以上の引用は避けるが、「伝統主義」(「俳句は変わらない」)と「ロマン主義」(「自分の俳句」)には「大衆性」(共感性/了解性を志向、共同性を志向)があり、「ロマン主義」と「原理主義」(「俳句とは?」)には「新しさ」(現代性を志向、詩性/芸術性を志向)があり、「伝統主義」と「原理主義」には「専門性」(純粋性を志向)があるというわけだ。
また、この三項の中の細部として、「伝統主義」には「品格派」「分からないとダメ派」「低廻派」「高踏派」があり、「ロマン主義」の中に「等身大派」「文学派」「Jpop派」があり、「原理主義」の中に「コトバ派」「旧前衛派」がある。
それぞれの俳人がどこに位置しているかは本書をご覧いただきたい。人名が若干間違っているようだが、なかなかおもしろい。
振り返って川柳界のマッピングについて連想が及ぶのは自然なことだが、現代川柳全体を見渡すようなマッピングは見たことがないし、作るのは困難だろう。「伝統主義」に誰を入れるかは微妙だし、ひょっとすると誰もいないかもしれない。「分からないとダメ派」「コトバ派」などは川柳にも応用できそうだ。「ロマン主義」の中には詩性川柳・社会性川柳・「私の思い・想いを書く川柳」が全部入ってしまう。何より問題は、川柳人の中には発表の場によって作風を使い分ける傾向があるから、どこに入れてよいかわからない場合が出てきそうだ。マッピングの話は明日の柳本々々との対談で話題になるかもしれないし、ならないかもしれない。
9月20日(日)には「文学フリマ大阪」が堺市産業振興センターで開催される。
私は会場のE48にいて、「川柳カード」バックナンバーのほか、「川柳カード叢書」(きゅういち句集『ほぼむほん』、飯田良祐句集『実朝の首』、久保田紺句集『大阪のかたち』)、「THANATOS石部明」などを並べる予定である。
「クプラス」2号の付録「平成二十六年俳諧國之概略」が話題になっている。
現代の俳人たちを「伝統主義」「ロマン主義」「原理主義」に分けてマッピングしたものだ。俳人たちの位置づけには異論がでるだろうが、興味深い試みだし、見ていて十分楽しめる。
By上田信治・高山れおな・古脇語・山田耕司とあるから、この四人で考えたもののようだ。「原理主義」って何?とか思うので、まず図の構造について一瞥してみよう。
「平成二十六年の俳句界をマッピングしてみたらこんなことになった」は上掲の四人による座談会で、山田はこんなふうに語っている。
山田 まず《伝統/前衛》という形式をめぐる対立と別に、形式を利用して何かを述べる《ロマン主義》という領域を仮設する。社会性俳句なども含む「語るべきドラマを持つ」スタイルです。そのことによってワタシ語り等の系譜も見えやすくなります。
一方《伝統主義》は、厳然として存在する俳句の、その存在を疑わないという主義。師匠の言ったことを一言一句ゆるがせにしないという姿勢の問題でもある。《伝統主義》がマナーとしての俳句であるのに対して《原理主義》は言語表現としての俳句を対象化し、詩歌および表現することそのものの広い領域を批評の座に組み込もうとします。かつ、現状を疑い、ともすればあるべき理想へと傾斜してゆく。
この発言を受けて上田はさらに次のように言う。
上田 山田さんが三項に分けた時点で、蛇のシッポ呑み的な運動をはらんだ図になることは必然でした。その意図を引き継ぐために、三項のどの一つも、他の二つと対立軸があるように定義すべきだと考えました。《伝統とロマン》にあって《原理》にないものは〈大衆性〉です。《ロマンと原理》にあって《伝統》にないものは〈新しさ〉。《伝統と原理》にあって《ロマン》にないものは〈専門性〉です。
これ以上の引用は避けるが、「伝統主義」(「俳句は変わらない」)と「ロマン主義」(「自分の俳句」)には「大衆性」(共感性/了解性を志向、共同性を志向)があり、「ロマン主義」と「原理主義」(「俳句とは?」)には「新しさ」(現代性を志向、詩性/芸術性を志向)があり、「伝統主義」と「原理主義」には「専門性」(純粋性を志向)があるというわけだ。
また、この三項の中の細部として、「伝統主義」には「品格派」「分からないとダメ派」「低廻派」「高踏派」があり、「ロマン主義」の中に「等身大派」「文学派」「Jpop派」があり、「原理主義」の中に「コトバ派」「旧前衛派」がある。
それぞれの俳人がどこに位置しているかは本書をご覧いただきたい。人名が若干間違っているようだが、なかなかおもしろい。
振り返って川柳界のマッピングについて連想が及ぶのは自然なことだが、現代川柳全体を見渡すようなマッピングは見たことがないし、作るのは困難だろう。「伝統主義」に誰を入れるかは微妙だし、ひょっとすると誰もいないかもしれない。「分からないとダメ派」「コトバ派」などは川柳にも応用できそうだ。「ロマン主義」の中には詩性川柳・社会性川柳・「私の思い・想いを書く川柳」が全部入ってしまう。何より問題は、川柳人の中には発表の場によって作風を使い分ける傾向があるから、どこに入れてよいかわからない場合が出てきそうだ。マッピングの話は明日の柳本々々との対談で話題になるかもしれないし、ならないかもしれない。
9月20日(日)には「文学フリマ大阪」が堺市産業振興センターで開催される。
私は会場のE48にいて、「川柳カード」バックナンバーのほか、「川柳カード叢書」(きゅういち句集『ほぼむほん』、飯田良祐句集『実朝の首』、久保田紺句集『大阪のかたち』)、「THANATOS石部明」などを並べる予定である。
2015年9月4日金曜日
川柳は「卑屈」なのか
7月4日に青森の「おかじょうき川柳社」主催による「川柳ステーション」が開催された。トークセッションのテーマは「川柳の弱点」。ゲストは歌人の荻原裕幸である。
荻原はツイッター(7月7日)で次のように書いている。
おかじょうき川柳社の大会「川柳ステーション」のため、数日、青森に滞在していた。大会選者をつとめ、トークセッションに出演。相方&司会は、おかじょうきの、Sinさん。「川柳の弱点」と題されたトークは、表現論を背景にした、場の問題として展開。毒のない口調で毒のある話をしてしまったかも。
「毒のある話」というからどんなトークがなされたのか気になっていたが、「おかじょうき」8月号でその詳細を読むことができた。確かに「毒のある話」で、その中には特定の川柳人に対する個人攻撃も含まれている。
荻原は川柳の外部から川柳のあり方についての批判を続けており、これまで私は彼の提言を貴重なものと受け止めてきた。しかし、今回のトークには納得できないところが多いので、彼の発言の内容を検討してみることにしたい。
2001年4月15日にホテル・アウィーナ大阪で開催された「川柳ジャンクション」で荻原は「川柳には自己規定がない」という発言をして大きな波紋を呼んだ。その発言の真意をSinが質問している。まず、発言の態度・姿勢に問題がある(以下、Oは荻原、SはSinの発言)。
O 真意というか、本当に正にそのとおりなんですが、特に何が言いたかったかというと、ここで喋っていいかどうか難しいところですけど(笑)
S 大丈夫です。ここは居酒屋ですから(笑)
O じゃ居酒屋っていうことで、壁に向かってお話をさせていただきますが(笑)
私たちは居酒屋で人の悪口を言うこともあるし、不満をぶつけることもある。「居酒屋談義」である。けれども、それを活字化して雑誌のかたちで流布させるのは、まったく次元の異なる責任をともなう行為となる。では、その内容は?
O のちにバックストロークのメンバーになったような方たちというのは作句風が全く違うにもかかわらず、川柳と名のつくものを否定するということを常に避けているような感じが僕にはあったんですよね。例えば古くからある結社の方々と、詩性川柳というふうな呼ばれ方をされるような作品に影響を受けた人たちって、そうそう接点があるわけじゃないはずなんですけれども、互いにというか否定しあわないですよね。お互いの存在を認めている。もっと言うと、新聞に投稿している、それもどこかの結社にいる人たちじゃなくてたまたま新聞の社会面の時事川柳かなんかに投稿する作品、それからもっと言えばコンテストですね、サラリーマン川柳も、あれも川柳ですと言い切るんですね。
誰かを批判しようとするときには、その批判対象が明確でなくてはならない。「のちにバックストロークのメンバーになったような方たち」とは誰のことを指しているのだろう。石部明だろうか、石田柊馬、樋口由紀子だろうか。私は寡聞にしてこの三人が「サラリーマン川柳」を認める発言をしているのを聞いたことがない。どのジャンルにも先端的な部分とそうでない部分とがあるが、短歌では本当に互いを認めあわない、相手を「短歌ではない」と否定し合っているのだろうか。「新聞短歌」は短歌ではないと歌壇の人は公言しているのだろうか。
O ただ、サラリーマン川柳がいいとか悪いとかいう問題ではなくて、ジャンル内の小さなジャンルですよね、あれごと肯定しておいてですね、で、何だか色々難解な句を普段ご自身は書いてるわけですよね、それが両方成り立つような理屈というのは恐らくちょっと難しいんじゃないかと思うんです。だから、本当を言えば、ちゃんと認めてないのに、あれも川柳ですよってものすごく取り込みたがるその感じが川柳自体を分からなくしているというか、その人の川柳観を分からなくするので、そういう意味で川柳の人は自分たちが何をやっているのかという語り方が下手なんじゃないかなってふうに思ったんですよ。
ここに荻原の川柳観が表われている。「サラリーマン川柳」「時事川柳」などの属性川柳に対してもっと強く自信をもって「文芸的川柳」をアピールするべきだというのだろう。「ジャンル内ジャンル」については俳句・短歌・川柳でそれぞれの事情があるが、ジャンル内ジャンルを認めるか否定するかは発信の場や状況によるのであって、創作の現場においてはもちろん自分の信じる作品を書くだろうが、啓蒙的文章やジャンル全体を見渡すような文章においては、多様なジャンル内作品のすぐれた作品を取り上げるのが普通だろう。
正直言って「自己規定」発言について今さら蒸し返したくはないのだが、荻原が自ら「真意」なるものを語った以上、当時の発言を確認せざるを得ない。「川柳ジャンクション2001」のテープ起こしをしたプリントが手元にあるので参照すると、荻原の発言は次のようなものであった。
O 川柳の場所をそんなにたくさん見ているわけではありませんが、自己規定ということにおそらくジャンルそのものがあまり関心をもてないんですかね。へたなのか関心がないのかわかりませんけれども。これが外から見ていてすごく気になるところで、それが川柳の特性なのか、作品一辺倒というところがある。
川柳のように、ジャンルとしての自己規定がなされないとどういうことが起きるか。ひとつは、作品がいくら元気でも、歴史とか流れのなかでひとつのかたまりとして見えてこない。たしかにあるということはみんなわかっていても、ジャンルとしての意識がとても希薄になっているように見えるんですよね。川柳の人たちに川柳って何ですかと訊いたときに、そんな質問を受けること自体が意外だというような反応が返ってくる。
このときの荻原は「ジャンルとしての自己規定」を語っており、今回のトークでは「ジャンル内ジャンル」にシフトしている。「自己規定」の内容が微妙に変化しているように私には感じられる。
Sinは「短歌ヴァーサス」に触れて、次のように発言している。
S 僕の前後どちらかに書かれてましたけど、あの樋口由紀子さんですら、他のジャンルに負けていられないみたいな気負った文章を書いてるんですよ。昨日の会話の中でも「樋口由紀子さんは何であんなに卑屈なんだろう」という話を荻原さんもしてましたけど。
他人を批判する場合は、自らも傷つくことを覚悟で、自らの責任で批判するのが本当だろう。Sinが荻原の名を借りて、荻原の陰に隠れるようなかたちで、樋口について批判的な言葉を述べているのはフェアではない。
念のため「短歌ヴァーサス」7号の樋口の文章「立体的と平面的」を読み直してみた。樋口は塚本邦雄が亡くなったことに触れて、こんなふうに書いている。
川柳には塚本邦雄が存在しなかった。「隣の花は赤い」ではないが、彼のような先達を生まなかった土壌、育たなかった環境を思った。
短歌と比べて川柳には塚本邦雄のような大きな存在が生まれなかったと嘆くことは「卑屈」なことであろうか。
Sinの発言を受けて荻原の発言が続く。
O 個人名なので、目の前にいると喋りやすいんですけどね(笑)、卑屈ってとこだけが一人歩きすると非常に大変なので、要はあれだけ立派な仕事をしているのにそこから考えると何故卑屈に見えるような態度をとるんだろうと、そういうニュアンスですね。作品をご自身の川柳観に従って書いているわけで、いい作品書かれてますし、いい句集まとめられてるのですけども、川柳のこと語るときに、さっきの自己規定の話じゃないですけどね、やっぱり自分が本当のところいいと思うものが何かよく分らなくなるような全方位肯定的な文章を見かけるものですから、どうしてもそんな印象を受けたということですよね。
私の疑問は「全方位肯定的な文章」は「卑屈」なのかということと、そのような文章を樋口がいつどこで書いているのかということである。私は樋口の書く文章をすべて肯定するわけではないし、彼女の文章に弱点や不満を感じることもある。けれども、それを批判するときには批判の根拠を明確に示すだろうし、「卑屈」というような人格否定的な言葉は使わないだろう。
荻原は一方で樋口の仕事を評価しているから、この程度の発言は許容範囲だと思ったのだろう。川柳人は人がいいので、川柳のために言いにくいことをよく言ってくれたと好意的に受け止める向きがあるかもしれない。荻原は好きな作家として真っ先に樋口の名を挙げている。けれども、最も代表的な川柳人が「卑屈」だとしたら、それは川柳が「卑屈」だというのと同じである。
私は荻原の「居酒屋談義」レベルでの発言を残念に思うし、荻原発言を誘導し追随したSinに不信感を持つ。
「バックストロークin名古屋」(2011年9月)ではパネラーに荻原を招いた。「バックストローク」36号では、そのシンポジウムに「川柳が文芸になるとき」というタイトルを付けている。このタイトルは荻原の提言を受けて私が付けたものであって、「文芸としての川柳」を確立することは私を含めた多くの川柳人の願いである。それはなかなかうまくゆかず、他ジャンルに対する川柳側の説明責任が不十分だったとしても、私たちが「卑屈」であったことは一度もない。
名古屋でのシンポジウムの最後で荻原はこんなことを言っている。
O 今日は十年前にしゃべったことが引っ張られてきたので大変でしたが(笑)、次は十年後の2021年にぜひ呼んでいただきたいと思います。
「バックストローク」はすでに存在しないが、いつか再び荻原と公の場で語り合う機会が来るかもしれない。私はその機会を楽しみにしている。そのとき現代川柳はどのような状況になっているだろうか。
荻原はツイッター(7月7日)で次のように書いている。
おかじょうき川柳社の大会「川柳ステーション」のため、数日、青森に滞在していた。大会選者をつとめ、トークセッションに出演。相方&司会は、おかじょうきの、Sinさん。「川柳の弱点」と題されたトークは、表現論を背景にした、場の問題として展開。毒のない口調で毒のある話をしてしまったかも。
「毒のある話」というからどんなトークがなされたのか気になっていたが、「おかじょうき」8月号でその詳細を読むことができた。確かに「毒のある話」で、その中には特定の川柳人に対する個人攻撃も含まれている。
荻原は川柳の外部から川柳のあり方についての批判を続けており、これまで私は彼の提言を貴重なものと受け止めてきた。しかし、今回のトークには納得できないところが多いので、彼の発言の内容を検討してみることにしたい。
2001年4月15日にホテル・アウィーナ大阪で開催された「川柳ジャンクション」で荻原は「川柳には自己規定がない」という発言をして大きな波紋を呼んだ。その発言の真意をSinが質問している。まず、発言の態度・姿勢に問題がある(以下、Oは荻原、SはSinの発言)。
O 真意というか、本当に正にそのとおりなんですが、特に何が言いたかったかというと、ここで喋っていいかどうか難しいところですけど(笑)
S 大丈夫です。ここは居酒屋ですから(笑)
O じゃ居酒屋っていうことで、壁に向かってお話をさせていただきますが(笑)
私たちは居酒屋で人の悪口を言うこともあるし、不満をぶつけることもある。「居酒屋談義」である。けれども、それを活字化して雑誌のかたちで流布させるのは、まったく次元の異なる責任をともなう行為となる。では、その内容は?
O のちにバックストロークのメンバーになったような方たちというのは作句風が全く違うにもかかわらず、川柳と名のつくものを否定するということを常に避けているような感じが僕にはあったんですよね。例えば古くからある結社の方々と、詩性川柳というふうな呼ばれ方をされるような作品に影響を受けた人たちって、そうそう接点があるわけじゃないはずなんですけれども、互いにというか否定しあわないですよね。お互いの存在を認めている。もっと言うと、新聞に投稿している、それもどこかの結社にいる人たちじゃなくてたまたま新聞の社会面の時事川柳かなんかに投稿する作品、それからもっと言えばコンテストですね、サラリーマン川柳も、あれも川柳ですと言い切るんですね。
誰かを批判しようとするときには、その批判対象が明確でなくてはならない。「のちにバックストロークのメンバーになったような方たち」とは誰のことを指しているのだろう。石部明だろうか、石田柊馬、樋口由紀子だろうか。私は寡聞にしてこの三人が「サラリーマン川柳」を認める発言をしているのを聞いたことがない。どのジャンルにも先端的な部分とそうでない部分とがあるが、短歌では本当に互いを認めあわない、相手を「短歌ではない」と否定し合っているのだろうか。「新聞短歌」は短歌ではないと歌壇の人は公言しているのだろうか。
O ただ、サラリーマン川柳がいいとか悪いとかいう問題ではなくて、ジャンル内の小さなジャンルですよね、あれごと肯定しておいてですね、で、何だか色々難解な句を普段ご自身は書いてるわけですよね、それが両方成り立つような理屈というのは恐らくちょっと難しいんじゃないかと思うんです。だから、本当を言えば、ちゃんと認めてないのに、あれも川柳ですよってものすごく取り込みたがるその感じが川柳自体を分からなくしているというか、その人の川柳観を分からなくするので、そういう意味で川柳の人は自分たちが何をやっているのかという語り方が下手なんじゃないかなってふうに思ったんですよ。
ここに荻原の川柳観が表われている。「サラリーマン川柳」「時事川柳」などの属性川柳に対してもっと強く自信をもって「文芸的川柳」をアピールするべきだというのだろう。「ジャンル内ジャンル」については俳句・短歌・川柳でそれぞれの事情があるが、ジャンル内ジャンルを認めるか否定するかは発信の場や状況によるのであって、創作の現場においてはもちろん自分の信じる作品を書くだろうが、啓蒙的文章やジャンル全体を見渡すような文章においては、多様なジャンル内作品のすぐれた作品を取り上げるのが普通だろう。
正直言って「自己規定」発言について今さら蒸し返したくはないのだが、荻原が自ら「真意」なるものを語った以上、当時の発言を確認せざるを得ない。「川柳ジャンクション2001」のテープ起こしをしたプリントが手元にあるので参照すると、荻原の発言は次のようなものであった。
O 川柳の場所をそんなにたくさん見ているわけではありませんが、自己規定ということにおそらくジャンルそのものがあまり関心をもてないんですかね。へたなのか関心がないのかわかりませんけれども。これが外から見ていてすごく気になるところで、それが川柳の特性なのか、作品一辺倒というところがある。
川柳のように、ジャンルとしての自己規定がなされないとどういうことが起きるか。ひとつは、作品がいくら元気でも、歴史とか流れのなかでひとつのかたまりとして見えてこない。たしかにあるということはみんなわかっていても、ジャンルとしての意識がとても希薄になっているように見えるんですよね。川柳の人たちに川柳って何ですかと訊いたときに、そんな質問を受けること自体が意外だというような反応が返ってくる。
このときの荻原は「ジャンルとしての自己規定」を語っており、今回のトークでは「ジャンル内ジャンル」にシフトしている。「自己規定」の内容が微妙に変化しているように私には感じられる。
Sinは「短歌ヴァーサス」に触れて、次のように発言している。
S 僕の前後どちらかに書かれてましたけど、あの樋口由紀子さんですら、他のジャンルに負けていられないみたいな気負った文章を書いてるんですよ。昨日の会話の中でも「樋口由紀子さんは何であんなに卑屈なんだろう」という話を荻原さんもしてましたけど。
他人を批判する場合は、自らも傷つくことを覚悟で、自らの責任で批判するのが本当だろう。Sinが荻原の名を借りて、荻原の陰に隠れるようなかたちで、樋口について批判的な言葉を述べているのはフェアではない。
念のため「短歌ヴァーサス」7号の樋口の文章「立体的と平面的」を読み直してみた。樋口は塚本邦雄が亡くなったことに触れて、こんなふうに書いている。
川柳には塚本邦雄が存在しなかった。「隣の花は赤い」ではないが、彼のような先達を生まなかった土壌、育たなかった環境を思った。
短歌と比べて川柳には塚本邦雄のような大きな存在が生まれなかったと嘆くことは「卑屈」なことであろうか。
Sinの発言を受けて荻原の発言が続く。
O 個人名なので、目の前にいると喋りやすいんですけどね(笑)、卑屈ってとこだけが一人歩きすると非常に大変なので、要はあれだけ立派な仕事をしているのにそこから考えると何故卑屈に見えるような態度をとるんだろうと、そういうニュアンスですね。作品をご自身の川柳観に従って書いているわけで、いい作品書かれてますし、いい句集まとめられてるのですけども、川柳のこと語るときに、さっきの自己規定の話じゃないですけどね、やっぱり自分が本当のところいいと思うものが何かよく分らなくなるような全方位肯定的な文章を見かけるものですから、どうしてもそんな印象を受けたということですよね。
私の疑問は「全方位肯定的な文章」は「卑屈」なのかということと、そのような文章を樋口がいつどこで書いているのかということである。私は樋口の書く文章をすべて肯定するわけではないし、彼女の文章に弱点や不満を感じることもある。けれども、それを批判するときには批判の根拠を明確に示すだろうし、「卑屈」というような人格否定的な言葉は使わないだろう。
荻原は一方で樋口の仕事を評価しているから、この程度の発言は許容範囲だと思ったのだろう。川柳人は人がいいので、川柳のために言いにくいことをよく言ってくれたと好意的に受け止める向きがあるかもしれない。荻原は好きな作家として真っ先に樋口の名を挙げている。けれども、最も代表的な川柳人が「卑屈」だとしたら、それは川柳が「卑屈」だというのと同じである。
私は荻原の「居酒屋談義」レベルでの発言を残念に思うし、荻原発言を誘導し追随したSinに不信感を持つ。
「バックストロークin名古屋」(2011年9月)ではパネラーに荻原を招いた。「バックストローク」36号では、そのシンポジウムに「川柳が文芸になるとき」というタイトルを付けている。このタイトルは荻原の提言を受けて私が付けたものであって、「文芸としての川柳」を確立することは私を含めた多くの川柳人の願いである。それはなかなかうまくゆかず、他ジャンルに対する川柳側の説明責任が不十分だったとしても、私たちが「卑屈」であったことは一度もない。
名古屋でのシンポジウムの最後で荻原はこんなことを言っている。
O 今日は十年前にしゃべったことが引っ張られてきたので大変でしたが(笑)、次は十年後の2021年にぜひ呼んでいただきたいと思います。
「バックストローク」はすでに存在しないが、いつか再び荻原と公の場で語り合う機会が来るかもしれない。私はその機会を楽しみにしている。そのとき現代川柳はどのような状況になっているだろうか。
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