2026年1月16日金曜日

夏目漱石『行人』の周辺

1月11日、和歌山城ホールにて「第23回わかやま連句会」開催。今年の初句会である。折から寒波来襲で雪のちらつく一日となった。
まず行きつけの和歌山ラーメン店で昼食。しょうゆラーメンが美味い。寒いので散策はやめて会場に直行する。和歌山城ホールの4階からお濠をはさんで天守閣が見える。
毎回、連句実作の前に和歌山にちなんだ話題をとりあげていて、この日は会員の青木さんが〈夏目漱石『行人』の周辺〉について報告。漱石は明治44年8月に和歌山で「現代日本の開化」の講演をした。これは漱石の文明論のうちでも代表的なもの。
朝日新聞主催の講演旅行で、漱石は和歌山、堺、大阪で三つの講演を行った。堺では「中味と形式」、大阪では「文芸と道徳」と内容を変えている。修善寺の大患後の仕事である。
「現代日本の開化」で漱石はこんなふうに言っている。
「私は昨晩和歌の浦へ泊りましたが、和歌の浦へ行って見ると、さがり松だの権現様だの紀三井寺だのいろいろのものがありますが、その中に東洋第一海抜二百尺と書いたエレヴェーターが宿の裏から小高い石山の巓へ絶えず見物を上げたり下げたりしているのを見ました。実は私も動物園の熊のようにあの鉄の格子の檻の中に入って山の上へ上げられた一人であります」
8月14日、漱石は和歌の浦の望海楼に泊まり日本初と言われる屋外用エレベーターに乗っている。旅館裏の奠供山の上から和歌の浦を一望したあと紀三井寺も訪れた。
翌15日は東照宮、片男波などを見たあと、県議会議事堂で「近代日本の開化」の講演。会場は現在の和歌山中央郵便局のあたりで、現在この建物は移築されて根来寺境内にあり、重要文化財になっている。
『行人』では語り手の二郎と兄の一郎がエレベーターに乗る場面がある。(このエレベーターは客足が伸びなかったためか数年後に廃止) 「二人は浴衣掛けで宿を出ると、すぐ昇降器へ乗った。箱は一間四方位のもので、中に五六人這入ると戸を閉めて、すぐ引き上げられた。兄と自分は顔さえ出す事の出来ない鉄の棒の間から外を見た。そうして非常に鬱陶しい感じを起した」
その後、二人は静かな場所を求めて権現様(東照宮)に行き、重要な話をする。
漱石は講演終了後、近くの風月庵での慰労会に出席したが、折からの台風で風雨が激しくなり、富士屋旅館に宿泊する。この体験も『行人』に生かされ、二郎と兄嫁の直は風雨で母や兄がいる和歌の浦に帰れなくなり、和歌山で一泊することになる。

「正直なところ姉さんは兄さんが好きなんですか、又嫌いなんですか」
「二郎さん」
「ええ」
「貴方何の必要があってそんな事を聞くの。兄さんが好きか嫌いかなんて。妾(わたし)が兄さん以外に好いてる男でもあると思っていらっしゃるの」

講演旅行の経験が実に巧みに小説に利用されている。小説を読んでいて疑問に思ったのは、和歌の浦から和歌山中心部(和歌山城周辺)へ行くのを「和歌山へ行く」と言っていることだ。県外の人間の感覚では和歌の浦も和歌山ではないのか。これは当時、和歌の浦から和歌山市街までは電車が通っていて(現在はバス路線)、「和歌山」行きという感覚だったことが、現地での話を聞くと納得される。和歌山にも路面電車が走っていた時代があったのだ。
和歌山での漱石の俳句を『漱石全集』第十七巻「俳句・詩歌」から紹介する。

涼しさや蚊帳の中より和歌の浦
四国路の方へなだれぬ雲の峰

漱石は和歌山のあと、堺、大阪と講演が続いて、大阪講演のあと血を吐いて大阪の湯川胃腸病院に入院する。そのときの俳句も挙げておこう。

   三階の隅の病室に臥して
稲妻に近くて眠り安からず
灯を消せば涼しき星や窓に入る

『行人』では「友達」の章で、二郎の友人の三沢が胃腸の不調で入院する。ここでも漱石の実体験が小説に利用されている。
和歌山城の天守閣を窓外に眺めながら、漱石『行人』の話を聞くのは貴重な経験で、地元ならではの地理感覚も実感できた。当日はときどき雪がちらついたり、風花が激しく舞ったりして、刻々と風景の表情が変わっていくのを連句会の間ずっとながめていた。記憶に残る天守閣の姿であった。
さて、当日は半歌仙「ふたたびの開化」を巻いた。発句だけ挙げておく。

ふたたびの開化はありや春隣   宏

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