2022年4月15日金曜日

小津夜景・須藤岳史『なしのたわむれ』―付合文芸としての往復書簡

紀野恵が編集している短歌誌「七曜」に紀野は「楽天生活」というタイトルで漢詩と短歌のコラボレーションを連載している。たとえば203号(2022年3月)では白居易の漢詩「早朝思退去」に次のような訳が付けられている。詩・白居易/歌・紀野恵&ハク(白猫)。

霜嚴月苦欲明天  しもはきびしく つきさへにがい
忽憶閑居思浩然  かつてのんびり 暮らしてゐたが
自問寒燈夜半起  さむくてくらい うちからおきる
何如暖被日高眠  もつとぬくぬく あさ寝がしたい
唯慙老病彼朝服  いいとしなのに 仕ごとを辞めず
莫慮飢寒計俸錢  もつと欲しいと かねをかぞへる
隨有隨無且歸去  もういいだらう もういいかげん
擬求豐足是何年  いまがまんぞく するときなんだ

漢詩は七言律詩だが、それぞれの漢句に対応するような短歌が八首掲載されている。最初の「月」の歌と最後の「満足」を紹介しておこう。

あかときの月が苦しい照らさないで照らさないでと眠る鴨たち
故郷には何んにも無いんだ満ち足りたそらが包んでゐるだけだつた

歌の作者は紀野恵&ハク(白猫)ということになっている。手の込んだ試みで、まず漢詩と現代語訳の取り合わせがある。漢詩の訳としては、井伏鱒二の『厄除け詩集』(人生足別離・さよならだけが人生だ)などが思い浮かぶが、紀野はさらに短歌を取り合わせることによって重層化させている。短歌だけを独立させて読むこともできるが、発想の起点になった漢詩と重ねて読むと複雑な味わいとなるようだ。

小津夜景・須藤岳史の往復書簡『なしのたわむれ』(素粒社)が好評だ。小津はフランス・ニース在住の俳人・エッセイスト、須藤はオランダ・ハーグ在住の古楽器奏者。この二人による書簡のやりとりが24通収められている。ⅠとⅡに分かれ、Ⅰの第1信から第12信までは小津の書簡が前で須藤が後、Ⅱの第13信から第24信までは須藤が前で小津が後というように前後が交代している。連句の歌仙では両吟の場合、途中で長句・短句が入れ替わる「あさり場」というのがある。前句と付句の順が交代するように、書簡の順も交代するのだと思った。小津はこれまでも連句の方法について語っていて、本書にも連句についての言及があるが、それは後で触れることにする。
第1信は小津の手紙である。空と海の話のあとに、紀野恵の短歌が引用されている。

ことりと秋の麦酒をおくときにおもへよ銀の条がある空  紀野恵

「銀の条(すじ)」とは悲しみに目もくれない鳥のようにからっぽの空を飛んだものだけがのこす存在の架空の傷跡、だと小津は言う。
第2信は須藤岳史の手紙。須藤はエミリー・ディキンソンの詩や葛原妙子の短歌について触れている。

晩夏光おとろへし夕 酢は立てり一本の壜の中にて  葛原妙子

前の手紙に触発されながら、その連想によって自らの思索を深めてゆく。この往復書簡は何だか付け句のやりとりに似ている。そのことに小津は自覚的で、第7信に連句のことが出てくる。芭蕉七部集の歌仙「市中は」の巻。そして小津が冬泉や羊我堂と巻いた歌仙「宝船」。「おわりに」(小津夜景)には〈連載が始まってすぐ「この往復書簡は『対話』ではなく、連句の付けと転じによる『響き合い』の作法に則ったほうがよさそうだ」と気づき、ちょっとだけ軌道修正されました〉とも述べられている。この人は意識的な表現者である。
その二人の「付けと転じ」「響き合い」については、実際に本書をお読みいただきたいが、付けと転じは書簡のやり取りだけではなくて、それぞれの書簡の内部にもうかがえる。
書名にもなっている第3信「なしのたわむれ」ではワインや梨酒の話から梨を詠んだ次の狂歌が引用されている。

梨花一枝あめよりむまき御肴は類もなしの花の白あへ   平秩東作

『狂歌若菜集』に掲載されていて、梨の白和えを肴に酒を飲んだときの作品。白居易の「梨花一枝春雨を帯びたり」を踏まえたうえで、梨の白和えの方が類ないという。梨は「ありのみ」とも呼ばれるから、連想は存在と非在についての考察へ、さらにマルグリット・デュラスの「私は一日中海をながめているような人間じゃないわ」という発言につながってゆく。まさに連句の「三句の渡り」のようだなと思い、勝手に付合に変換してみた。

酒肴には梨の白和えいかがです
 あるのですかと風のおもかげ
一日中海を見ているわけじゃない

自己の内部における連想のつながりと、自己と他者のあいだの詩想の受け渡し。往復書簡も一種の付合文芸なのだなと思った。「連句への潜在的意欲」を唱えたのは浅沼璞だったが、連句的発想はさまざまなジャンルや場面で潜在的に、顕在的にあらわれてくるもののようだ。

和漢連句という形式がある。和句と漢句のコラボで、押韻などのルールもあるが、説明は省略して、『第七回浪速の芭蕉祭献詠連句入選作品集』(平成25年)から和漢行半歌仙「たてよこに」の巻の裏の部分を紹介しておきたい。

惜春に塵界の人懐かしく   赤田玖實子
同床異夢もアバンチュールよ 鵜飼佐知子
  妻 推 測 夫 嘘   木村 ふう
  小 面 化 般 若   赤坂 恒子
  佳 酒 注 墓 石   梅村 光明
  秋 涼 訪 古 瓦     玖實子

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