2021年8月14日土曜日

連句を読むということ

暦の上ではすでに秋である。8月7日の立秋の日に「連句新聞」秋号が公開された。
「連句新聞」(http://renkushinbun.com/)は高松霞と門野優の二人の連句人が発行している。毎年10月に大阪天満宮で開催されている「浪速の芭蕉祭」は、昨年Zoomを使ったリモートで行われることになり、そのリハーサルが昨年9月にあった。そのときはじめて高松と門野が出会って意気投合し、二人ではじめたのが「連句新聞」である。知り合って2週間ほどで企画が生まれるスピード感が現代的だが、10月の「浪速の芭蕉祭」本番で高松は新しい企画について詳細は伏せたまま次のように語っている。

高松「門野さんとは、先日の『浪速の芭蕉祭』のリハーサルで意気投合しましてですね、一緒に企画を作っているんですよ。来年の春に立ち上げる予定です」
小池「どういう企画かは言えない?」
高松「言えない!お楽しみにお待ちください」
(日本連句協会報「連句」2021年2月号「若手連句人から見た現代連句の世界」)。

そして今年2月に「連句新聞」春号が、5月に夏号が公開され、今回が3号目になる。
現代連句作品11巻のほか、毎号掲載されるコラムでは春号に中村安伸「連句と時間」、夏号に堀田季何「変容する連句」、今回の秋号には中山奈々が「イレギュラー連句」を書いている。中山は和漢連句とソネット連句について触れているが、和漢連句についてはこの時評(2014年12月5日)でも触れたことがあるので、興味のある方はご参照いただきたい。

さて、連句に純粋読者というものはありえないと思うが、「連句新聞」ではじめて現代連句に触れた方が、連句の読み方について迷われるということはあるかもしれない。
基本的に連句は作るもので読むものではない。連句の作り方は対面で実作することによってしか本当のことは伝わらないので、本を読んで連句に興味をもつことはあっても、本から連句の精髄を習得するということは考えにくい。では実際に連句人が連句作品に対してどう読んでいるかというと、式目やルールと照らしあわせて、うまくクリアーしているとか、あえてルールを破って冒険しているとか、パターン化した展開ではなく新機軸を出しているとかいう点にまず注意が注がれるのである。特に月・花の定座と恋(折口信夫は「恋の座」と呼んだ)は読みどころだ。その上で、式目は守られているが平凡な付句が多いものは評価されないし、逆に式目に瑕瑾があっても今まで読んだことのない新鮮な句があれば評価されたりする。その場合もルールと表現内容のバランスによるので、おもしろい句があっても式目違反が多すぎると支持できない気持ちになったりする。そしてこの「式目」なるものも人によって微妙に異なり、合理的な理由をもたない「作法」の場合もある。
連句人が最も恐れているのは言葉が転がっていかずに、連句が、付句がそこで止まってしまうことで、前句に対して付句をつけることができるのは、前句に省略されている空白の部分が必ずあるからなのだ。前句が屹立・完成していると次に続けることができなくなる。芭蕉は「言ひおほせてなにかある」と言ったが、百バーセント表現しきったとしてそれが何になるというのだろう。言葉を次に手渡すのが連句だから、屹立した句に対して「それは俳句だ」としばしばいわれるのは連句の解体を怖れているのだ。
「連句を読む」ということに話を戻すと、まず前句を読むことが前提となる。連句は前句を読む(レクチュール)と付句を付ける(エクリチュール)という作業の繰り返しなので、一巻全体を「読む」ということにはあまり意味がないという意見もある。この立場に立つと連句批評というものは成立しないことになる。
現在、連句界で一般的に言われている読みの基準は

一句のおもしろさ
前句と付句の関係のおもしろさ(親句・疎句の付け味)
三句の渡りの転じのおもしろさ
一巻全体の流れのおもしろさ

などであろう。一句のおもしろさだけではなく、その場所でその付句が適当かどうかが問われることになる。また、趣向のあるおもしろい句が並びすぎると、お互いに効果を消し合うことになるので、魅力的な句のあとには平明な句(平凡な句ではない)を付けることによって前句を引き立たせる心得が必要となる。屹立した句が続くのでは読んでいる方が疲れてしまう。
連句の読者が何をおもしろいと思うかは人によって異なるので、一口におもしろさと言っても詩性もあれば俳諧性、諷刺性もあり、典拠を踏まえたパロディや時事的な句もあり、季の句と雑(無季)の句がバランスよく配されていることも重要となる。

連句の付合いの呼吸は別にむずかしいものではなく、たとえば橋閒石の

階段が無くて海鼠の日暮かな
銀河系のとある酒場のヒヤシンス

は連句的なのだし、釈迢空の

葛の花 踏みしだかれて、色あたらし。この山道を 行きし人あり

の上の句と下の句の関係は連句の発句と脇句の関係に相当する。
現在の俳句グループのなかで小澤實の「澤」は連句に理解があるが、最近の俳誌のなかでは「鹿火屋」創刊百周年記念特集(2021年5・6月号)が連句を取り上げている。原朝子は「俳句の母郷を垣間見て―連句に思う俳句」で連句への関心を述べており、脇起り歌仙「頂上や」は「頂上や殊に野菊の吹かれ居り」(原石鼎)を発句として捌き・高岡慧、執筆・西川那歩による一巻となっている。
俳句・短歌を問わず、連句における言葉と言葉の関係性の世界は短詩型文学の読者・作者にとって無縁ではない。

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