2021年2月19日金曜日

親句と疎句の感覚

今年は2月2日が節分、2月3日が立春だったが、その立春の日にネットで「連句新聞」が立ち上げられた。高松霞と門野優が昨秋から計画していたもので、立春の日に公開されたのは「春号」ということ。10グループの連句作品とトピックス「ひらがなかせん」が掲載されている。季刊になるようで、次号は発句が夏の連句が集められることになりそうだ。四季がそろえば、現代連句のアンソロジーとして貴重なものになるだろう。中村安伸がコラム「連句と時間」を書いていて、次のように言っている。

〈句を付けるにあたって難しく感じるのが、前句の一つ前の句、すなわち打越句との関係である。付句は打越句と関係が「あってはならない」とされていて、これは数ある連句のルールのうちでも特に重要なものである。
しかし、二句の関係を完全にゼロにすることは不可能である。私の解釈では、打越句と前句の関係と、前句と付句の関係が類似のものであってはならないということであり、このルールは「時間」に関係していると思う。〉

念のため用語の説明をしておくと、たとえば次の付合で

A  尻尾ぬらした狐しまった      わだとしお
B 風吹けば吹くまま乱る雪女      別所真紀子
C  繰返し聴く「展覧会の絵」      田倉夕花

Cから見て、Aを打越(うちこし)、Bを前句(まえく)、Cを付句(つけく)と呼ぶ。AB及びBCはひとつの世界だが、AとCは別の世界。即ち、BをはさんでAからCへ転じる。
中村は「場の時間」と「個の時間」の二つの時間について述べているが、ここでは前句と付句の関係について「親句と疎句」という視点で書いてみたい。釈迢空の有名な短歌からはじめようか。

葛の花 踏みしだかれて、色あたらし。この山道を 行きし人あり  釈迢空

『海やまのあひだ』のうち「島山」という連作十四首の第一首。作者は次のように言っている。「もとより此歌は、葛の花が踏みしだかれてゐたことを原因として、山道を行つた人を推理している訳ではない」(『自歌自註』)
これはどういうことだろう。この歌は三句切れで、上の句葛の花の風景は映像的で鮮やかだ。そこから通っていった人の姿の存在がありありと実感されたのである。この歌の成立は、原因があって結果があるというような因果律や意味のつながりによるものではなく、連想と感覚によって成り立っている。これを連句における発句と脇句との関係と捉えることもできる。上の句と下の句の意味の関連がわかりやすいから、「親句」(しんく)と言えるだろう。                              
次は斎藤茂吉。

たたかひは上海に起り居たりけり鳳仙花紅く散りゐたりけり    斎藤茂吉

この歌は茂吉の「分からぬ歌」(難解歌)としてよく取り上げられる。
「この一首は、上の句と下の句とが別々なやうに出来て居るために『分からぬ歌』の標本として後年に至るまで歌壇の材料になつたものである。併し、この一首などは、何でもないもので、讀者はただこの儘、文字どほりに受納れてくれればそれで好いのであつて、別に寓意も何もあつたものではないのである。」(「作歌四十年」)
上の句と下の句の意味つながりが一見すると無関係のように見えるのだろうが、茂吉は上の句の「戦争」を下の句で「鳳仙花」にあっさり変えてしまった。意味のつながりが分かりにくく飛躍感があるので「疎句」(そく)になるだろう。
定家は疎句に秀歌が多いと言ったと伝えられる。
親句・疎句は和歌で言うほか、連歌・連句でも言われる。
「歌には親句・疎句とて二つの体あり。連歌にはなきことにや」(心敬『ささめごと』)
ちなみに心敬の疎句としては次の付合が有名。

我が心たれにかたらむ秋の空
 萩にゆふかぜ雲にかりがね    心敬(『新撰菟玖波集』)

連歌の起源や平安時代の連歌について今は触れないが、連歌が流行するにあたって、後鳥羽院と藤原定家の存在が大きい。連歌流行のベースにあるのは三句切れと体言止めだろう。

見渡せば山もと霞む水無瀬川夕は秋となに思ひけむ    後鳥羽院
春の夜の夢の浮橋と絶えして峰にわかるる横雲の空    藤原定家

後鳥羽院の上の句の状景から下の句の述懐(『枕草子』の「秋は夕暮れ」という美意識に対するアンチ)、定家の上の句の源氏物語の雰囲気から下の句の峰に別れてゆく雲の情景(恋)への幽玄と余情。
定家の新風は当初「達磨歌」と呼ばれて非難された。自分だけ悟っていて、他には理解できない歌である。
「今の世の歌をばすずろごとの様に思ひて、やや達磨宗など云ふ異名をつけて譏り嘲ける」(鴨長明『無明抄』)
しかし、現代の私たちの感覚からは定家の歌は難解ではないし、茂吉の難解歌すら連句人にとっては難解でも何でもない。わかりやすいものである。寺田寅彦の次の言葉は、そのことを物語っている。「常に俳諧に親しんでその潜在意識的連想の活動に慣らされたものから見ると、たとえば定家や西行の短歌の多数のものによって刺激される連想はあまりに顕在的であり、訴え方があらわであり過ぎるような気がするのをいかんともすることができない。斎藤茂吉氏の『赤光』の歌がわれわれを喜ばせたのはその歌の潜在的暗示に富むためであった」(「俳諧の本質的概論」『寺田寅彦随筆集』第三巻、岩波文庫)

付けと転じ、親句と疎句の感覚は連句実作を体験しないとなかなか分からない。付句が疎句ばかりになると連句は解体してしまうので、どのようにバランスをとるかが連句実作の要諦だろう。連句は座の文芸なので、その場に集まらないとできないものだが、コロナ禍のいまは逆にZoomなどのリモート連句の機会が増えているので、興味ある人は連句実作のチャンスがあることとと思う。
鴨長明は『無明抄』のなかで「歌はただ同じ詞なれども、続けがら・いひがらにてよくもあしくも聞ゆるなり」と書いている。藤原定家も「申さば、すべて詞に、あしきもなくよろしきも有るべからず。ただつづけがらにて、歌詞の優劣侍るべし」(『毎月抄』)と同様の考えを述べている。
すべては言葉の関係性の世界なのだ。

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