2021年1月29日金曜日

川柳の徹夜句会

大学の講義のオンライン化に伴い、学生のやる気が低下しているという新聞記事を読んだ。授業もリモートが多くなって、学生の学ぶ意欲が盛り上がらないのだろう。ナマの会話に比べてリモートではコミュニケーションがとりにくいし、たとえ講義のクオリティが高くても、人は雑談などの機会を通じて意欲が高まるというのも本当だ。
句会のオンライン化も一部で進んでいる。私はリモート連句しか経験がないが、プラス・マイナス両面があるのは当然である。リモートなら遠隔地でふだん会えない人とも一座できるメリットがある。リモートでは会話がはずまないというのも場合によるので、おしゃべりなオジサンが集まっているから会話はとぎれないという話も聞く。前提となる人間関係がすでにできている場合は問題ないが、初対面どうしだとむずかしいだろう。
連句の場合は高齢者が多いから、オンラインではハードルが高いこともありそうだ。そうするとスキルを持っている人に範囲が限られて広がりがなくなってしまうという問題が生まれてくる。Zoomを使いこなせる人が楽しく連句を続けているのに、ナマの句会でないと参加できない人が遠ざかってゆくことになる。また、座というものは微妙なものだから、たとえスキルがあってもどの座にでも誰でも入っていけるわけでもない。
ほとんど家にこもっているので、川柳の方もあまり情報が入ってこない。おもしろくないので、川柳誌のバックナンバーを読んだりして憂さを晴らしている。今回は「川柳平安」のバックナンバーから、徹夜句会のことを紹介してみよう。
「バックストローク」のときに、「ねむらん会」という徹夜句会に何度か参加したことがある。石部明の手配で、主として岡山県和気町の鵜飼谷温泉で開催。石田柊馬と田中博造がキャプテンになり、紅白のチームに分かれて得点を競い合う。句会だけでは眠たくなるので、ゲームやクイズも交えて夜明けまで続ける。「三分間吟」というのがあって、出題を聞いたとたんに三分間で作句する。出句数は無制限。一人で10~20句出句する人もあるから、一句を10秒ほどで作るペースである。高齢者も多いのに徹夜などして大丈夫かという声もあったが、参加者はけっこう楽しんでいた。
「ねむらん会」のルーツは平安川柳社の「夏をたのしむ会」にあると聞いていたので、どのような会だったのか、かねて気になっていた。平安川柳社は京都川柳界の大同団結を目指して1957年に発足、創立20周年記念大会を開催したあと1978年に解散した。いま私の手元にある「川柳平安」66号から「昭和37年度・夏をたのしむ会」の様子を再現してみよう。

1962年8月18日午後9時~19日午前8時。会場は嵐山の虚空蔵山・法輪寺。「夏をたのしむ会」は毎年開催されていたようだが、このときは京都の川柳人だけでなく、ふあうすと川柳社や番傘など各地からの参加者を加えて49名の参加。入浴後、兼題・席題の締切が23時。

「第三者」(堀豊次選)
第三者きみほんとうの友であれ    薫風子
第三者として噂のリレーする     絢一郎
一口も言わずニヤリと第三者     聰夢
第三者の眼がころぶのを待っている  秀果
別れろと言える友だちばかりなり   素生
能面の白さを持てり第三者      徳三
第三者帰りを急ぐばかりなり     今雨

「火」(北川絢一郎選)
たばこの火借りる卑屈な背をゆがめ  聰夢
小さく揺れてるむかえ火へ母かえる  秀果
ガスの火のおんなのあすもそこにある 寛哉

「されこうべ」(葵徳三選)
レジャーの世叱りつけてるされこうべ 不二也
されこうべそぼ降る雨につぶやけり  秀果
美人薄命されこうべの白さ      喜山
されこうべ一つジキルとハイド住みし 選者

あと「なにわ」(丹波太路選)「勉強」(福永泰典選)があるが省略。選句発表のあとは腹ごしらえをして、お酒を飲む人もいる。日付がかわって午前1時から第二部が開催される。紅白に分かれて採点を争い、それぞれの応援団長が座を盛り上げる。常識クイズ・川柳クイズ・オリンピック競技などのゲーム、遊びではあるが真剣に進行してゆく様子だ。
恒例の「三分間吟」(三分間無制限作句)は参加者が多数なので時間の都合上六題に絞られたようだ。「BG」(橘高薫風子選)・「虫」(岸田万彩郎選)・「相手」(佐々木鳳石選)・「夜明け」(河相すすむ選)・「川」(増井不二也選)・「風船」(大高角嵐選)とあるが、誌面では作者別に取り混ぜて掲載されている。BGはビジネス・ガールだろうか。時代を感じさせる。

BGが五人舗道をふさぐ雨     入仙
虫籠の虫の命を見ていたり     五黄子
かなしみの相手の影を見て歩く   豊次
夜明けもうそこまで来てる山の影  三八朗
川一つ向こうに好きな人がいる   美佐緒
風船を飛ばし四五人振りむかせ   薫風子

次第に東の空が白んできて、準備されていた出し物を割愛。福引による賞品贈呈のあと朝食。岩田山から遊びに来る猿におどろかされながら、午前8時に散会となる。そのあと何人かはふあうすと川柳社の東映撮影所見学に合流したというから元気なものだ。
ほかの年のことも「川柳平安」から少し紹介しておく。

1964年8月15日午後8時から16日午前8時まで。嵐山虚空蔵山法輪寺にて開催。
こんな日の針は心をつくものか   冬二
乾いてる声で闇から返事する    豊次
靴をぬう針に童話がひそんでる   博造
港から来た西洋の夢である     富造
闇に聞く梢の音をふりあおぎ    入仙

1966年8月20日、例年の会場とは異なり善光寺で開催。桃山御陵を背景に伏見の街を見下ろす高台にある。
しょせん愚か者だった黒めがね  清造
からっぽの男が風におどろいて  絢一郎
悪の花の最後に風が吹いている  秀果
つきまとう過去脱走をあきらめる 寛哉

以上、平安の徹夜句会を紹介してみたが、誌面から雰囲気だけは伝わってくる。いい歳をした川柳人たちが少年少女のように句会に興じていることが分かる。句作のエネルギーとモチベーションはけっこうこういう馬鹿騒ぎから生まれるものなのだろう。

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