2017年7月2日日曜日

夏越の祓‐茅の輪くぐりの向こう側

NHKのラジオ講座「俳句の変革者たち」が最終回を迎えた。全13回の放送をすべて聴いたわけではないが、テキストは常に手元にあり、講師の青木亮人の語りに聴き入ることがたびたびあった。正岡子規から俳句甲子園まで、青木の話は常に現在の俳句実作者たちの実践と結びついており、しばしば若手俳人の作品が引用されていた。彼は机上の俳句研究者ではなく、現代俳人との交流のなかで「俳句」を考えている。このような心強い研究者が存在する俳句の世界を横からながめながら、私は一種の厭世観のようなものにとらわれた。青木が最終回で紹介したのは次の句。

秋燕の記憶薄れて空ばかり     生駒大祐

金原まさ子の訃報、衝撃だった。「川柳カード」を送っていたから、川柳も読んでいただいていたことと思う。句集『カルナヴァル』から一句挙げておく。

ヒトはケモノと菫は菫同士契れ   金原まさ子

川柳のフィールドでは柳本々々の活躍が目覚ましい。
「角川俳句」7月号では田島健一句集『ただならぬぽ』の書評を掲載しているし、ネットでは「およそ日刊『俳句新空間』」に「続フシギな短詩」を連載している。安福望との対談集(会話辞典)『きょうごめん行けないんだ』(食パンとペン)も好評のようだ。
以前にも紹介したことがあるが、「俳誌要覧」2017年版(東京四季出版、2017年3月発行)に柳本は「現代川柳を遠く離れて―任意のnとしての2016年」を書いている。彼は兵頭全郎句集『n≠0』や川合大祐句集『スロー・リバー』などを紹介したあと、「現代川柳にとって2016年は、川柳というジャンルの再吟味の年であった」と述べている。そして、野沢省悟「触光」の「高田寄生木賞」が評論・エッセイを対象とすることに触れ、「川柳というジャンルのなかでいろんな人間がそれぞれの場所からこれまでとは違った光を灯そうとしている」と評している。高田寄生木賞の大賞として高田寄生木を論じた「現代川柳の開拓者」が受賞したことには多少の疑問を感じるが、飯島章友「川柳ネタバレ論」、柳本々々「絵描きとしての時実新子」なども入選していて、今後、川柳批評に対する関心が高まってゆけばいいと思う。

2017年の半年が過ぎて、現代川柳はどのような状況になっているか。
私自身が関わっていた川柳誌のことになるが、「川柳カード」が14号で、「MANO」が20号で終刊した。現代川柳が短詩型の読者に広く注目されるようになった出発点は『現代川柳の精鋭たち』(北宋社・2000年7月)が一般書店で販売され、流通したことにあり、その翌年4月にはシンポジウム「川柳ジャンクション2001」が開催された。2003年「バックストローク」創刊、2011年に36号で終刊したあと、「川柳カード」がスタートした。『セレクション柳人』シリーズ(邑書林)も川柳句集の普及に大きな役割を果たした。これらは一連の流れのなかにあり、牽引してきたのは石部明と樋口由紀子である。2017年は「川柳ジャンクション」以来の現代川柳運動がいったん終焉した年だと私は受け止めている。
それでは、新たなスタートはどこにあるのか。
それぞれの川柳人がそれぞれの場で「これからの川柳」を準備していることだろうし、次第に形をとってくるはずだ。

私がしばしば思い浮かべる文章に入沢康夫の『詩的関係についての覚え書』(思潮社)がある。『詩の構造についての覚え書』から10年後に書かれた文章で、入沢はこんなふうに書いている。

「覚え書」を書く以前の私は《日本においては、作品絶対視の考へ方そのものが、きはめて少数派であり、ほとんどの詩論は、作者の生き方(伝記)や、作中に陳述されている思念によって作品を云々してゐるにすぎぬ》といふ認識を持ってゐた。そして、何よりも、作品を中心に据えた文学論が確立することが、急務であると考へてゐたのである。そして、この認識、この考へ方の正統性は、現在でも、一面において維持されてゐると思ふのだが(そのことは、現在でも多くの低劣な詩観・文学観がそこここに横行してゐることによって裏付けられる)、当時の状況では、なほのこと二正面作戦を強ひられる形になり、自己分裂に身をゆだねずには済まなかったやうである。作品絶対主義に疑問符を付けるたあめに、まづ作品絶対主義を標榜しなければならないといふ、春秋の筆法に似たやり口が要請されてゐたのだった。

そして入沢は「Aを倒すために、まづAを確立しなければならぬといふ種類の考へ方自体、政治の次元のものではあっても、文学の次元のものではない。私は詩におけるその種の政治家になる必要は毛頭ないのであった」と続けている。

確立したあと、その先に何があるのかは考えておかなければならないだろう。
私は川柳においても他ジャンルで行われているようなことはすべて実現されることを願っている。句集の発行、批評の必要性、句評会・批評会やシンポジウムの開催、他ジャンルとの交流、アンソロジーと文芸的な川柳書の発行、SNSを利用した川柳の発信、などなど。
かりにこれらの一部分でも実現されるとして、その先に何があるのか。

前掲の柳本々々の言葉を借りると次のようになるだろうか。
2016年は川柳というジャンルの再吟味の年
2017年は川柳というジャンルのなかでいろんな人間がそれぞれの場所からこれまでとは違った光を灯そうとしている年

6月30日、所用があって北信太の葛葉稲荷神社を訪れた。信太妻の伝説で有名な神社である。この近くの職場に勤務していた時期があって、神社の石狐を毎日見ていた。狐の顔は少しも変っていなかった。
この日は夏越の祓の日で、境内には茅の輪が設置されていた。私は作法通りに茅の輪くぐりをしながら、これからの半年のことなどをぼんやり考えていた。

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