2014年5月16日金曜日

「一匹狼」の時代とその後

短歌誌「井泉」57号が届いた。
春日井建の没後十年、「春日井建の一冊」を特集している。
本誌に「評伝 春日井建」を連載していた岡嶋憲治が2月27日、交通事故により急逝された。「評伝」は春日井の晩年のところで中絶。次に挙げるのは喜多昭夫の追悼歌である。

評伝の最終稿をたずさえて君はミルキィーウェイを渡りぬ   喜多昭夫

彦坂美喜子の評論「団塊世代の歌人論」が連載28回で完結。小池光・道浦母都子・永田和宏の三人を論じた労作である。
〈リレー評論・現在の批評はどこにあるか〉では関悦史が「他界の眼」を書いている。
「現在、批評の存在が低下しているのは、文学のそれが低下したここと連動している」と関は述べ、60年代の吉本隆明、70年代の山口昌男、80年代の柄谷行人・蓮見重彦に対して、90年代以降は空位が続いていると指摘している。
俳句の世界ではどうなっているか。
関は「天才や大作家よりも無名の一般人へ目を向ける」という動きに注目し、青木亮人や外山一機の文章を挙げている。ただし、関はこんなふうにも言うのだ。
「大作家や名作を志向しない批評が『現代俳句史』を形成することは難しい。そしてジャンルの歴史が組織立てられず、共有されないということは、そのジャンル自体が漂流し始めているに近い事態である」
「何のためにあるのかわからない装置としての作品を稼働させ、意味の特定という貧困化へ向けてではなく、逆に無償の何かへの拡大、撹拌行為へと批評が奉仕するものだとして、その混乱の『豊かさ』をいかなる性質のものだと思えばよいのか」
 関はこのように問い、個人的な体験として「他界の眼」ということを言うのだが、ここから先は関の文章をご覧いただきたい。

「川柳カード」5号に兵頭全郎が「川柳サーカス」創刊号を取り上げている。「時をかける書評」というタイトルで、過去の句集や川柳書を書評していくシリーズである。
1988年、柊馬は松本仁と二人誌「川柳サーカス」を創刊する。
兵頭も引用している松本仁の「現代川柳のレーゾンデートル」に次の一節がある。

「川柳の作品が大量に毎日書かれ、句会もますます盛んで、川柳が一見市民権を享受しているかに見える今日、河野春三、松本芳味、宮田あきら等の現代川柳革新の運動に邁進してきた、これらの作家であると同時に理論家・組織家たちが没し、いま川柳が確たる目標を持たずに安易に流れ、水平化しているとき、彼らの提出した、作品及び理論を、ここで総括し、来る時代を早急に模索しなければならない必要に迫られている」

そのために立ち上げた「川柳サーカス」に松本仁が求めたものは「一匹狼」としての川柳人の在り方だった。

「この作家精神を求める故に、地方の一匹狼の地位に留まり、川柳界とも、あまり交渉せず、浮いている存在の作家達、また既成の柳社の中で飢えている狼たち、今、筆を折りかかっている一匹狼たちに、決して、グループの一員ではなく、一匹狼のままで、咆哮できる雑誌を創出したいと思う」

1988年の時点で「一匹狼」の思想はすでに時代遅れだったろう。松本はむしろ時代に抗して60年代に回帰しようとしているように見える。松本仁はロマンチストだったのである。河野春三を父とし時実新子を母とする松本仁(もちろん精神的な意味である)にとって、河野春三論は彼が書くべき課題だったはずだ。セレクション柳人の『松本仁集』がついに出なかったことは、現代川柳にとって痛恨の極みである。晩年の春三は川柳に絶望していたという。そして、河野春三論は特段誰によって書かれることもなく、時代は茫々と推移していった。
松本仁よりもう少しリアリストだった石田柊馬は同じ創刊号の「現代川柳考(コピー化について)」でこんなふうに書いていた。これまで別のところでも引用したことのある一節である。
「さて、社会性、の語が急激に衰退して、現代の川柳はどこへ向ったか。おそらくぼくたちは川柳の変化を、その頃、多様性の語をもって理解もしくは処理していた。いま、ふりかえれば、それは、たいして多くの方向を示したわけでもなく、もちろん流派を名乗ったり名づけられたりの方向性や運動体を出したわけでもない。方向性など出ないまま、おおむね、みんな技術的に、芸として上手になった、と見るのが単純で妥当な見方であろう。その中で、川柳が川柳であるところの川柳性だけが、急速に衰退していった」

さて、いまはすでに2010年代である。
私が「過渡の時代」という表現を好むのは、「隆盛」とか「中興」とかいうピークの時代を設定してしまうと、その狭間の時代は「衰退」とか「落丁」ととらえられてしまうからである。それでは元気がでないし、前にも進めない。元来、無名性の文芸である川柳は、それでは何によって時代と切り結ぶことができるのだろうか。批評はすぐれた作品の存在を前提とする。批評意欲をかきたてる作品が存在しないところでは、批評家は無力である。

今年の1月25日に安藤まどかが亡くなった。享年66歳。
まどかは時実新子の娘である。
「短詩」という雑誌があった。安藤は吹田まどかの名で作品を発表している。
私は彼女に会ったことはないが、私の中では彼女は永遠に少女のイメージのままである。

あじさいの息の根とめて「ママ 花束よ!」  (「短詩」昭和43年10月)
金魚が死んで 世界の赤が消えちゃった    (「短詩」昭和42年7月)

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