12月22日(土)、三宮の生田神社会館で「俳句Gathering」が開催された。「俳句で遊ぼう」というコンセプトで、俳句を使った遊びやシンポジウムなど、硬軟とりまぜて何を見せてくれるのかという期待感があって、「現俳協青年部シンポジウム」のときに案内をもらってから楽しみにしていたものだ。生田神社という場所もよく、古来神社は人々が集まり猥雑なエネルギーを発散させる文芸の場でもあった。
第一部「五・七・五でPON」は天狗俳諧。三人一組で上五・中七・下五を別々に作るのでちぐはぐなおもしろさが出る。いきなり壇上に上がらされたのには驚いたが、見ると私・小池康生・野口裕のチームではないか。対戦相手は佐藤文香のチーム。佐藤側が勝利したのは言うまでもない。
第二部のシンポジウムは〈「俳句の魅力」を考える〉というテーマ。パネリストは小池康生・小倉喜郎・中山奈々。この部分については後で触れる。
第三部「選抜句相撲」。兼題「冬の星」で対戦する二句のどちらかが勝ち上がってゆく。勝ち進んでゆく句を聴衆は何度も耳にすることになるが、審査員の堺谷真人が述べたように、何度も聞いているうちにその句の新しい良さが発見されてゆく。
第四部「句会バトル」ではアイドルグループ「Pizzah♥Yah」の5人娘と「俺たちゃ俳句素人」の男性5人が「俳句甲子園」方式で対戦する。第一部が始まったときには30人程度だった聴衆もこの時点では60名を越え、この日の見せ場であったことに気づく。ツイッターなどでも参加者の感想が飛び交っていた部分だろう。ただひとつだけいただけなかったのは、アイドル側が相手の句を非難するときに「それって川柳でしょう」と発言したこと。まあ、目くじらをたてることもないか。
午後1時から6時まで盛りだくさんのイベントなので、ずっと聞いているのでは集中力が続かない。私も適当に廊下へ出て休憩したが、途中から参加する人も多く、それぞれの興味のある部分に参加すればよいことだ。イベントとして精選すべきだという意見はあるだろうが、第一回目だから小さく完成するのではなくて雑多な可能性があるところが魅力でもあるわけだ。
中身の問題とは別に見せ方をどうするかということは重要で、この日の集まりは「見せ方」を意識した構成になっていた。内向きではなくて外向的な集まりになっていたと思う。
ここで第二部のシンポジウムについて改めてレポートしておこう。
小倉喜郎は句会のおもしろさについて、「俳句自体は小さなもの。句会は俳句を出してそれぞれの価値観をぶつけあうところがおもしろい。他ジャンルの人とも議論が白熱する。たとえば一枚の絵画について議論するのは困難だが、俳句一句についてなら議論できる」と語った。小池康生は「句会は、俳句を作る、選をする、評する、が三位一体。句会に出ると評がうまくなる。次に俳句がうまくなる。最後が選」と述べた。
レジュメに3人のパネラーの句が挙がっていて、他の2人の句を読み合う。特にこの部分は話が具体的でおもしろかった。
アイスコーヒー美空ひばりがよく来たの 小池康生
白菜のいちばん外のやうな人
アロハシャツ着てテレビ捨てにゆく 小倉喜郎
筍をお父さんと呼んでみる
すべて分かつたふりして春の油揚げ 中山奈々
湯ざめせぬやうに若草物語
「俳句を作らせたい人はだれですか」という質問に対して中山奈々が「ブッダ(仏陀)」と答えたのには驚いた。中山は「意味わからへんおもしろさが俳句にはある」と言う。
実行委員のひとり久留島元のレポートが発表されているので、そちらもお読みいただければ当日の雰囲気がよくわかると思う。
曾呂利亭雑記 http://sorori-tei-zakki.blogspot.jp/
さて、今年の川柳時評は本日で終わりだが、今年一年の川柳の世界を振り返ってみると、未来につながる営為がどれほどあったか、考えると心もとない気がする。むしろ、失われたものの方が大きかったのではないかと思われるのである。
今年、川柳界は石部明を失った。
「バックストローク」の終刊後、石部は「BSおかやま句会」の機関誌「Field」誌の発行にエネルギーを注いでいた。その25号の巻頭言で石部はこんなふうに書いている。
「小池正博を編集人とし、樋口由紀子が発行人となる『川柳カード』が来月(11月)に創刊され、その記念句会も盛大だったようだ。ただ、革新誌を目指しながら、結局は中道的な誌に落ち着いてしまう過去の多くの前例に習わず、意識の高いお二人の責任において、前衛、革新ということばをおそれぬ集団であっていただきたいと思う」
この言葉は重く受け止めなければならない。
だだ、付け加えておきたいことは、「川柳カード」は川柳の表現領域の拡大を目指しているが、「前衛」「革新」を標榜するものではないということである。「前衛」「革新」を唱えることによって前へ進めたのは過去のことであり、そのことを石部ほどよく自覚していた川柳人はいないはずである。
必要なことは文芸で行われるべきことを川柳でもきちんと行うということである。句を作り、句集を出し、それを読み、句評・批評を推し進めていく。そして、川柳のおもしろさをきちんと発信してゆくこと。
「俳句Gathering」の懇親会では、高校生が俳人に交じって壇上で堂々と発言していた。驚くことはないのだろう。彼女は「高校生」ではなくて「俳人」なのである。「俳句甲子園」という俳句への通路があり、「俳句甲子園出身者のどこが嫌か」を語り合うだけの相対化の視点もあった。俳句の「内容」だけではなくて「俳句を他者に対してどう見せるか」ということに意識的なので、他ジャンルの者でも参加していて気持ちがよかった。
川柳人の中には句を作ることに専念したいと言う人が多い。狭い範囲の読者しか読んでくれない川柳同人誌でも、それを運営・継続してゆくには大変なエネルギーが必要だ。「投壜通信」と言えば聞こえがいいが、何のためにこのような無駄なことをしているのかと思わなかった川柳人がいるだろうか。
ニヒリズムとのたたかいは続くのだが、マーケットの成立しない川柳の世界で、川柳をもっと上手にプロデュースすることができれば、川柳にも元気がでてくるかもしれない。
次回の掲載は1月4日になります。では、みなさま、よいお年をお迎えください。
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