2012年9月21日金曜日

池田澄子と樋口由紀子

9月15日(土)に大阪・上本町で「川柳カード」創刊記念大会が開催され、川柳人をはじめ俳人・歌人を含めて109名の参加者があった。7月に発行された創刊準備号に続き、創刊記念大会も開催されて、「川柳カード」(発行人・樋口由紀子、編集人・小池正博)という新しい川柳誌がスタートしたことになるが、実は創刊号はまだ発行されていない。
本誌は昨年11月に終刊した「バックストローク」の後継誌と見られているようだが、新誌を立ち上げる以上、「バックストローク」とも少し異なった川柳活動を歩むのは当然である。そのひとつの志向が広く短詩型文学の世界に「川柳」を発信しようとすることで、今回の大会に俳人の池田澄子を招いて樋口由紀子が対談したのはその現れである。

樋口のエッセイ集『川柳×薔薇』(ふらんす堂)に池田澄子が帯文を書いている。樋口は「豈」の同人としての経歴が長く、池田とはごく親しい関係にある。「豈」51号(2011年2月)は「池田澄子のすべて」という特集を組んでいるが、樋口はそこに「池田澄子の固有性」という文章を書いている。この文章は「固有性と独自性―池田澄子小論」と改題されて『川柳×薔薇』にも収録されている。
一方、池田澄子の方は「川柳」をどう見ているのであろうか。
『現代川柳の精鋭たち』(北宋社)が上梓されたときに、池田は「豈」34号(2001年11月)に書評を書いている。この書評については、後に触れる。
こういう両人の交流をふまえて、今回の対談が実現したことになる。ローマは一日にしてならず。

池田澄子はあちこちで対談しているが、記憶に新しいのは昨年の「ユリイカ」10月号に掲載された「たのしくさびしく青臭く」という対談で、聞き手は佐藤文香である。そこにはこんなやり取りがある。

佐藤 いま代表句を訊かれたら何と答えますか?
池田 代表句はやっぱり一番新しい句ということになってほしい。こないだ何かで代表句について書いてくれと言われて「一番新しい句集の最後のほうの句」って書きました(笑)。でもあなただって自分の代表句がどれかなんて気にしないでしょ?自分から言うなんて恥ずかしいよね。
佐藤 そうですね(笑)。
池田 毎回これが代表句って気持で書いてるもんね。
佐藤 そういう気持ちってすごく作家的だと思うんです。むしろ俳句を始めてすぐの人ほど、句会で褒められた特選の句を言ってまわりますよね(笑)。

池田は「俳句研究」で阿部完市の句を見て「あっ!」と思って俳句を始めたという。やがて三橋敏雄に師事することになる。このあたりの経緯を池田は繰り返し語っている。
今回の樋口との対談でも、話の順序として「じゃんけんで負けて蛍に生れたの」「ピーマン切って中を明るくしてあげた」の句が紹介されたが、この句ばかりを取り上げられると、確かに「ほかの句はダメなの?」と言いたくなるだろう。
「川柳カード」における対談は、池田をフォローしてきた者にとってはそれほど新鮮味はなかったかも知れないが、肝心なことは川柳人が池田の肉声を聞くことができたという点である。池田の話は終始実作から遊離することがなかったし、川柳人が共感をもって耳を傾けたのもその点であろう。
池田の俳句に向かう姿勢・言葉に対する姿勢として、聞き手の樋口が特に引用したのは次の二点である。

「少しの言葉で成り立つ俳句は技が恃みであり、取り立てて技と思わせない技こそ必要とする形式である」(『休むに似たり』)
「人の書いた言葉にそうだなあと思い、自分の書いた言葉にそれでいいの?ホントにそれでいいの?を繰り返している私」(『自句自解』)

川柳人である樋口由紀子が池田澄子に共振するところも、このあたりにあるのだろう。
ここで、『現代川柳の精鋭たち』の書評に話を戻すと、池田は「豈」34号で次のように書いていた。

「私の俳句は川柳に近いところもあると思われているかもしれず、自分でもそんな感じがしないでもないのだけれど、ほんの少しも、川柳を書こうと思ったことはない。俳句に近いと思われる川柳を書いている方々は、逆の意味で同じ思いを抱いておられるのだろう」

ここには実作者にとって微妙な意識が語られている。
そして、『現代川柳の精鋭たち』の読後感について、次のように書かれている。

「大雑把に言えば具象性の希薄さ。それとも、それが現代川柳の詩性とされているのだろうか。詩性の深さは、具象からの遠さに比例するか。見るからに異次元めかすことが、詩性であるか。イメージの飛躍は魅力だが、着地せずに飛んだままのナルシシズムは、空虚である」

池田澄子が当時と同じ考えであるかどうかはわからない。しかし、「言葉は作者の甘えや錯覚に冷淡である」という考えは変わっていないだろう。
大会にも参加していた正岡豊はツイッターで「かつては俳句を書くということは川柳を書かないということだった」という感覚について述べている。
いまはそのような感覚は崩れていて、俳句・川柳という峻厳な区別は若い表現者には意識されていない。俳句と川柳の違いを常に俳句側から突きつけられてきた川柳側の人間として、私はそんな感覚はなくなってよかったと思っている。ジャンル意識なしに、表現者として向き合える状況が一部の俳人・川柳人の間でようやく生まれてきたからだ。
実作者として俳句なり川柳を書いているときに、それぞれの表現者は確固とした手ごたえをもって作品を書いているだろう。しかし、「川柳とは何か」「俳句とは何か」と問い詰めると事態は曖昧になってくる。
池田澄子と樋口由紀子との対談には、実作者としての経験から遊離することのない確かさがあった。ひょっとしてこの対談が、川柳人が他ジャンルの表現者に対して身構えることも疑心暗鬼になることもなく真っ直ぐに向き合うための、その契機になるのではないか。両人の対談を聞きながらそんなことを考えた。

語りえないことというものはある。語りたくないこともまた存在する。この日の対談の詳細は、「川柳カード」創刊号(11月下旬発行)に掲載される。

2 件のコメント:

  1. こんばんわ。正岡です。先日の会は盛会でよかったですね。さて、私のツイッターの文が引用されていますが、私にはいま川柳作家のほうが「俳句を書かない」ことを意識して川柳を作っているようには思えます。「『何か』から遠ざかろうとしている言葉」、(その「何か」は具体的にあげられないですが)それを今の川柳の作り手たちは求めているような。あと、それでも私は「俳句を書くということは川柳を書かないということだった」ころの俳句の方に、個人的には親しみを覚えます。それは「俳句」の「言葉」に内在してると思われる「選民性」へ愛憎や葛藤を抱きながら多くはそれをあからさまにせぬままに、自らの句作行為の中へ着地点を追い求めてゆくところに古典的なロマンチックさを私が感じるからだろうと思います。まあそういう「読み手」はたぶん高齢化していていなくなるんでしょうけどねえ。ということで。

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  2. 正岡さん、書き込みありがとうございます。
    「現代俳句と現代川柳の混淆―これは重大なことである」
    「このことについて、批評家も作家も全然触れようとしない」
    「俳句の真の秩序が見失われている証左であろう」
    という富澤赤黄男の言葉を思い出したりします。
    が、それはそれとして、ヒエラルキー意識なしに俳句と川柳が向かい合える今の状況が私は嫌いではありませんが、それも幻想かもしれません。
    東寺吟行会またできればいいですね。

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