2012年8月31日金曜日

無理して逢えば何事もなし

川柳入門書というのではなくて、エッセイ風の文章を連ねることによって読者が自然と川柳に親しんでゆけるような川柳書がもっと出版されればよいと思っている。そのような川柳書として、今回は佐藤美文著『川柳を考察する』(新葉館)を取り上げて、書評してみたい。

本書は「風のたより―川柳の可能性を探る」「京都を川柳する」「江戸っ子二題」「戦後宰相を川柳で斬る」「川柳を遺すために」「定型のリズムは変わるか」「川柳と俳句の違い」「川柳作家論」「花吹雪 東京句碑巡り」「名句鑑賞」の10章に分かれ、川柳をめぐるさまざまな話題を平易に取り上げている。読者はどこから読みはじめてもよいし、書かれていることを契機として関心の深い問題を自分で深めてゆくこともできる。「あとがき」として「かつてはあった路地の親切」が付く。

「風のたより」は佐藤美文が発行する川柳誌「風」の巻頭言から選ばれた文章を集めている。巻頭言だから1テーマ1ページの短い文章だが、「差別語と川柳」「革新と伝統の外で」「川柳は詩であるか」「虚と実」など川柳の世界でこれまで議論されてきたテーマを含んでいる。
「清水美江先生のこと」という一文があって、佐藤美文の師について触れている。清水美江(しみず・びこう)は川柳誌「さいたま」を発行し、十四字にも力を入れていた。私は一時期「風」誌に投句していたが、それは十四字に関心があったからである。佐藤美文による本格的な清水美江論を読んでみたいものである。

「戦後宰相を川柳で切る」の章はこの筆者の得意とする分野のひとつで、時事川柳を材料にして戦後史を綴ってゆく手法をとっている。「風」誌に連載されていた「川柳が詠んできた戦後」は後に『川柳が語る激動の戦後』(新葉館)としてまとめられた。これは「読売新聞」の時事川柳欄を基にして、戦後の政治史・風俗史を綴ったものである。この試みは私も興味深いと思ったので、編著『セレクション川柳論』(邑書林)のなかに「昭和62年」の部分を収録させていただいたことがある。

もう幾つ寝ると長老風見鶏    牛夢

「川柳と俳句の違い」は俳誌「七曜」講演録(平成16年)で、俳人を前にして川柳を語ったものである。他ジャンルの方々に対して川柳のことを語るという機会は今後増えてゆくものと思われる。俳人を前にしてどのように川柳を語るのか。他人事ではなくて、一人一人の川柳人があらゆる機会をとらえて川柳を語るべきだろう。佐藤は俳句と川柳の違いにつての様々な言説を紹介したあと、川柳の歴史を通して「川柳とは何か」を説明する。
「今日の話は、川柳の歴史を通して皆さんに川柳はこういうものだということを理解していただいて、その中で皆さんの中の俳句と比較していただきたいのです。そして、その中で俳句と川柳の違いというものを、おのおのの形で自分自身で理解していただければと思っています」
常套的な説明方法ではあるが、結局、俳句と川柳の違いは歴史的にしか説明できないものであり、その上に立って現在の俳句・川柳の作品例に話が及んでゆくしかないものであろう。

「川柳作家論」では茂木かをる・佐藤正敏などを取り上げているが、私が一番関心を持ったのは「十四字作家―江川和美の世界」である。江川和美は十四字詩作家としてのペンネームで、十七字の川柳人としては小川和恵の名で知られている。「川柳研究」「さいたま」などで活躍したが、昭和50年に50歳で亡くなっている。7年余りの川柳活動であった。
彼女の十四字(七七句)を紹介する。

かくれて逢えばきつね雨降る   江川和美
言葉は要らぬ花の陽だまり
逢う日約して瞳に吸われゆく
返事を決める固い足袋履く
悪魔に貸した胸の合鍵
騙されていた日々のしあわせ
今日の素直をしげしげと見る
迫る不安がおしゃべりにする
無理して逢えば何事も無し
ゆめ売りつくしペンがささくれ

七七句における情念作家という面もあって、すべてを評価するわけではないのだが、「無理して逢えば何事もなし」は私の愛唱する句のひとつであり、十四字の歴史に残る一句であるだろう。

「名句鑑賞」には次の句が紹介されている。

落下傘白く戦場たそがれる    戸田笛二郎

戸田は落下傘部隊としてセレベス島攻略戦に参加した。
金子光晴には「落下傘」の詩があるが、空から落下していきながらとらえた戦場の風景は、川柳のとらえた戦争詠のひとつとして迫力がある。笛二郎は昭和19年に中部太平洋で戦死する。22歳。兄の雨花縷は「私が餓死したら兄さんが私の句集を作ってくれ、兄さんが戦死したら私が兄さんの句集を作る」と言った弟との約束を果たしたという。

最後に、定型について。本書には「定型のリズムは変わるか」をはじめとして定型論が見られるが、山路閑古著『古川柳』(岩波新書)に触れている部分がある。
山路閑古は川柳を阪井久良伎に学び、俳句を高浜虚子に学び、連句を根津芦丈に学んだ総合的な短詩型詩人である。
『古川柳』の序章で山路は「ふる雪の白きをみせぬ日本橋」の句(川柳)を取り上げて、次のように述べている。
「『古川柳』には無季の句が多く、よしんば雪のような季語を含んでいても、それは季題ではないから、季節の主張もせず、寒さの連想をも伴わない。このようなことを、季題の制約を受けないというのである」
そして、リズムについては次のように言う。
「リズムには、このように耳に響き、心に感じられる音楽的リズムもあるが、それとはべつに、判断に訴え、知性を振動させる、声なき声のリズムというものがある。これを『内在律』というが、『古川柳』が詩として『発句』と対抗し得るのは、こうした『内在律』の面においてである」
「内在律」は現代詩で用いられる言葉かと思うが、定型律であるはずの川柳を内在律と捉えることによって俳句との違いを説明しきれるかどうか、魅力的でもあるだけに検討を要する課題かもしれない。

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