2012年8月24日金曜日

暑気払いに川柳誌逍遥

今年の夏は過酷なので、過ぎ去ったときにはいかにも終わったという感じがすることだろう。そうなるまでにはまだ少し時間があるが、今週はこの夏にいただいた川柳誌について具体的に書いてみたい。

北海道の川柳誌「水脈」31号に、岡崎守が「『水脈』誌の10年」という文章を掲載している。「水脈」(編集人・浪越靖政、事務局・一戸涼子)は2002年8月に第1号が発行されたので10周年を迎えたことになる。「水脈」は「あんぐる」(1996年7月~2002年2月)の流れを汲んでいる。同誌の中心にいた飯尾麻佐子の体調不良によって終刊となったが、違った形で活動を続けようということで新誌「水脈」として出発した。それから10年が経過し、岡崎守は次のように述べている。

「1句を生み出すことによって自己を表現し、10句をまとめることによって個性が表出されていく。1年に3回で30句、10年で300句を吐き続けたことになる」
「その時の流れの中で、作品にどれだけの変化が生まれ、10年間の人生の変遷が刻まれたのであろうか」
「時の移ろいの中で変質を遂げたか否か、作品の質の向上はあったのか、などについての愚問は、各人のみが認識するのだと思う」

31号の同人作品から何句か紹介する。

さわやかな貌して眉のないさかな     新井笑葉
雲は爛れて昭和史の瓦礫         岡崎 守
別れとは縄目模様の美しさ        酒井麗水
先例にならい手首を振ることに      一戸涼子
曲がらないスプーンと長い話し合い    浪越靖政

高知の「川柳木馬」133号、清水かおりの巻頭言にも柳誌のたどってきた時間の流れに対する意識が見られる。清水はこんなふうに書いている。

「木馬83号(平成12年1月発行)の巻頭言に高橋由美が『三十も後半の私を捕まえて『若い世代』などと銘打ってくれるな』と書いてから12年が経過した。すっかりその年代を若いと言える年になった私達である。日々の生活と共に濃淡はあっても、それぞれが現在も川柳の現場に居続けるのはやはりこの短詩型の魅力に獲り付かれているからだろう」
「私達の作品はしばしば作風という言葉で評される。作風は一般に作者の個性や川柳に対する考え方、柳歴が反映されると考えられるが、柳誌という集合体でみると、何となくひと括りにされてしまいがちである」
「木馬は創刊以来、高知県では革新系の柳誌という立ち位置であった。これはあくまで高知という現場での認識であって、全国的に問えば、何をして革新誌というのか疑問に思うことの多い現在である」

柳誌に対する○○風(「木馬」風)という呼称は「ひと括りにできる退屈」にすぎないという自己批評をもっている清水は、同時に海地大破たちが創刊したこの柳誌に関わってきたことを振り返ることが「明日を書くためには必要なこと」とも述べている。

「木馬」今号に飯島章友が「前号句評」を執筆しているのが注目される。飯島は「かばん」に所属する歌人であり、川柳も書いている。彼は「短歌的喩」のことから話を始めている。
『言語にとって美とはなにか』で吉本隆明は短歌の上の句と下の句が互いに意味と像を補完し合っている構造を「短歌的喩」と呼んだ。飯島はこの「短歌的喩」が川柳の「問答構造」に似ているという。飯島はこんなふうに言う。
「筆者は、歌人や柳人との会話で幾たびか、短歌と川柳の親和性を確認しあったことがある。川柳は、表面的な文字数の形式でいえば、俳句とまったく同じである。だが発想や内容はきわめて短歌と似ている。それは〈問答〉という、両分野の構造の類似に起因するのではないか」

同号には平宗星が「川柳木馬における関西諷詠と関東諷詠」を掲載している。平によれば、
「関東諷詠」は江戸の古川柳の伝統を受け継ぎ、「意外性」を重んじ、奇想天外なイメージを好み、独自のメタファーを尊重する。一方、「関西諷詠」は作者の心情を重んじ、私小説的な「物語性」を尊重するという。そして、「関東諷詠」を代表するのが中村冨二、「関西諷詠」を代表するのが定金冬二だと言うのである。
私は冨二・冬二をもって関東・関西を一般化するのはどうかと思うし、川柳の書き方の二つの方向性を関西・関東という地域性に解消してしまうことには更に疑問を感じてしまう。

ここで「川柳木馬」の作品を挙げておこう。

仁淀川産アユと交換する今日一日     内田万貴
肝煎りのいない月夜の集会所       河添一葉
空間のゆがみを通り蟹は来る       小野善江
羽の一枚一枚にルビをふる        山下和代
私信から出た青鷺のうすねむり      清水かおり
ついたての向こうに君の綺麗な句読点   高橋由美
尾行者のズボンびっしり藪虱       古谷恭一

青森の柳誌「おかじょうき」7月号は「川柳ステーション」の掲載号である。
発行人・むさしは次のように書いている。
「川柳ステーション2012をどうやら終えることができました。今、青森県内の川柳社で自らの主催する大会に県外から選者を招いているのは当方だけのようです。ましてや、トークセッションもやっているなんて話は聞いたことがありません。句会だけの大会でも大変なのに何でそんなことをするのだろうと言う方がいてもおかしくないのですが、それをやるからこそおかじょうき川柳社なのだと思っています」
6月2日に開催された「川柳ステーション2012」トークセッションのテーマは「理系川柳と文系川柳」で、パネリストはなかはられいこ・瀧村小奈生・矢本大雪、司会はSinである。「文系川柳」「理系川柳」とは聞き慣れない言葉であるが、なかはられいこは「方程式のように別の言葉を入れ替えてみたくなる」のが理系川柳だと言い、矢本大雪は「理系川柳は理性に、文系川柳は感性に訴えるもの」と述べている。
う~ん、この分類はどこまで有効だろうか。例に挙げられている作品を見てもどちらとも言えない、あるいはどちらとも受け取れる句が並んでいる。むしろ、暫定的に分類しておいた上で、矢本が言うように「理系だ文系だと分類は殆ど出来ない状況にある」というあたりが落としどころのようだ。

「川柳ステーション」の句会からは、次の二句をご紹介。

象の鼻が結果ばかりを聞きにくる     熊谷冬鼓
Re:Re:Re:Re:Re:胸には刃物らしきもの   守田啓子

「象の鼻」の句は「伸」という題、「Re」は「再」という題である。
川柳誌というより句会報から印象に残った作品を挙げてみたい。まず、「大山滝句座会報」150号から。鳥取県の大山滝(だいせんたき)は日本の滝百選にも選ばれている。誌名はそこからとられているが、この号では誌上大会の結果を掲載している。

水掻きも夢もあるのに沖がない     森田律子
出直してみても大きな鼻である     金築雨学
腹筋か木綿豆腐か押してみる      石橋芳山

7月1日の「玉野市民川柳大会」句会報から。

想い馳せると右頬にインカ文字     内田万貴
嵩ばらぬものを握らす歩道橋      江尻容子
一万個に分けても富士は立っている   森茂俊
とんと揺すってもう二・三人入れる   内田万貴
豆腐の口角に陽動作戦         蟹口和枝

大会や誌上大会を行うことによって選ばれた作品を発表誌のかたちでまとめる。それが一種のアンソロジーとなる。句集形態のアンソロジーが少ない川柳界で、それがすぐれた作品にであうための近道なのだろう。
あと、評価の定まった作品が川柳誌のなかで取り上げられることがある。「川柳びわこ」8月号の「句集紹介」には八木千代の句集『椿抄』が掲載されている。

潮騒を連れてこの世の月が出る     八木千代
とりあえず門のかたちに石二つ
書きすぎぬように大事なひとに書く
今折ったばかりの鶴が翔んでゆく
触れられたことではじまる桃の傷
稜線で逢うお互いの馬連れて
見送っていただけるなら萩の道
どの井戸も底があるので救われる
錯覚の場所を何度も掃きにいく
まだ言えないが蛍の宿はつきとめた

八木千代は「川柳塔」同人で米子市在住。『椿抄』は1999年の句集『椿守』をベースに今年上梓された句集。時の流れに淘汰される中で残った作品にはやはり力がある。
この夏ももうすぐ過ぎ去るだろう。冷厳な時間法則の中で過ぎ去るものは過ぎ去り残るものは残ってゆく。川柳も同じである。

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