9月13日(土)、青森で「川柳ステーション2014」が開催され、その第2部のトークセッション「破調の品格」は司会・Sin、パネラー・榊陽子・德田ひろ子・奈良一艘・むさしという顔ぶれで行われた。詳細はいずれ「おかじょうき」誌に発表されるだろう。
さて、「おかじょうき川柳社」の代表・むさしから句集『亀裂』(東奥日報社)が届いたので、今回はこの句集を紹介したい。1頁3句、全360句が章立てなしにずらりと並んでいる。
踊り場で出会えば殺し合ってたなあ
まず、こういう句から取り上げてみようか。
無頼の男たちの述懐である。
階段を上がってゆく者と階段を下りてくる者とが踊り場ですれ違う。
黙ってすれ違えばいいものを、必ずそこで蝮の絡み合いが生まれる。
「むさし」という柳号の由来は宮本武蔵だろう。
おかじょうき川柳社の前代表が北野岸柳。ガンリュウ即ち佐々木小次郎だから、むさしが登場しても不思議ではない。
掲出句は別にこの二人の決闘を詠んだものではないが、若い頃を振り返って、かつては暴れたものだったという作中主体の述懐が感じられる。
まだ5分あります僕を騙せます
5分あれば何かができるだろうか。
うまく僕を騙してごらん、という余裕もある。
騙されてみたいのだろう。
ストローが首に一本刺さってる
何でそんなところにと思ったり、痛くないだろうかと想像したりする。
ストローは液体を吸うためのものだから、このストローから何かを吸い上げるものが存在するとしたら無気味だ。
うらおもてないはずだがと裏返す
裏返してみるとやはり裏があった、というのは理に落ちる。
裏がえしてみてもやはり裏はなかった、というのもきれいごとである。
裏返してみる中途半端で宙吊りの行為の中に現実味がある。
弥勒菩薩の右の小指にぶら下がる
先日、奈良国立博物館の「醍醐寺展」で快慶作の弥勒菩薩像を見た。
快慶はあまり端正すぎてそれほど好きではなかったのだが、この弥勒菩薩像を見て快慶に心酔した。
弥勒は気の遠くなるような遥かな未来に出現する仏である。
そういう存在を信じなければ、川柳などやっていられないように思ったのだ。
どうしても省略できぬ鼻の穴
ほかのものは省略できても、鼻の穴だけは無理だという。
何となくわかるような、わからないようなあんばいである。
鼻は顔の真ん中にあって、堂々と自己主張をしている。
しかも、鼻の穴だなんて。
遊ぶ金ないのでずっと見てる空
お金がないので仕方ないから空を見ている人がいる。
空の表情は刻々と変化するし、雲や風などの有名なものたちがいるから見ていても飽きない。最近はクラウド・ウッチングといって雲を見ることを趣味にする人もいるそうだ。
掲出句の作中主体は、金があろうとなかろうと空を見るのが好きな人なのだろう。
バックしますもめごとがあるようですが
何やら後ろの方でもめているようですが、バックしますよ。
そんなことでもめごとが中断するのならいいのだが。
句集のあとがきでむさしは川柳をはじめたきっかけについてこんなふうに書いている。
〈 1994年12月、友人に「千円で飲み放題の会がある」と誘われ、隣の蟹田町へのこのこ出かけた。
連れて行かれたところはなぜか薬屋。
二階奥の間へ案内されてから「実は川柳の会です」と言われあっと驚く。
そこは杉野草兵さんのお宅で、おかじょうき川柳社忘年句会の席だった。 〉
以後二十年、題詠作品を集めてこの句集が成った。「並べ方はランダムである」というが、この点に関して私には異論がある。360句ただ並んでいるのは読者にとって少々読みづらい。
「無作為に並べた方が私ごときが作為を持って妙な並べ方をするよりずっといい」とむさしは書いている。
いつだったか川柳大会の翌日、ホテルで朝食をとりながらむさしと話したことがある。彼は柳宗悦の民芸運動のことなどを語った。民芸にあらわれる雑器の美。そういうものと一脈通じるものがあるとすれば、たいへん彼らしい句集が出来上がったと思うのである。
2014年9月26日金曜日
2014年9月20日土曜日
湊圭史の仮説の家
9月14日、「文学フリマ大阪」に行った。
今年は「川柳カード」として出店するつもりで、参加申し込みのメールまで送ったのだが、その後もう一度返信メールするのを忘れて手続き完了に失敗した。まあいいか、というので、当日会場には行ってみたが、お目当ては吉岡太朗の第一歌集『ひだりききの機械』(短歌研究社)である。
ごみ箱に天使がまるごと捨ててありはねとからだを分別している 吉岡太朗
兄さんと製造番号二つ違い 抱かれて死ぬんだあったかいんだ
おりがみを折るしか能のないやつに足の先から折られはじめる
あじさいがまえにのめって集団で土下座をしとるようにも見える
ふいとったらそれが顔やとわかるけど問題はふきおえてからなんです
両手とも左手なのでひだりがわに立たないとあなたと手をつなげない
連作として作られているけれど、連作の枠組みを外しても共感できる歌が多い。抒情性から批評性への道筋は川柳人にも無縁ではない。「膜があんのに出てきたから聖なる御子 穴がないのにひり出されたら聖なる雲子」など、渡辺隆夫が読んだら喝采するだろう。
会場には同人誌やフリーペーパーなどいっぱい置いてあって、活字だけの誌面構成とはずいぶん違う。こちらの頭の中が変わらなければ、若い世代にも魅力的な川柳誌の実現など望むべくもない。
「井泉」59号、巻頭の招待作品は湊圭史の「仮説の家」15句である。
教科書の表紙の光沢はぬかるみ
半分にすると時計は寂しがる
ぴかぴか光る新しい教科書もぬかるんでいる。これから新しいことを学ぶ喜びのなかに、それとは相反する感情が混じっている。足をとられるような困難な感覚。
食べ物を半分に割って、分け合って食べる。二人の間には共感が生まれるが、では時間を分け合うことはできるだろうか。半分にされた人間が互いに他の半分を求め合うように、半分にされて時計は他の半分を求め合う。けれども、半分にされた時計はすでに自分の時間を刻みはじめているのだ。
ハンモックらしく二枚舌を使う
ストローの袋のような鳥のような
比喩の句が二句続く。
ハンモックは二枚舌を使うことがよくあるのだろうか。
ストローの袋のような、鳥のような存在とは何だろう。
ストローを出したあと袋はもう要らない。
ゴミ箱に捨てられるのだが、私たちはそれを意識することさえなく捨てている。
では鳥は?
鳥は飛び立ってゆくことができるのではないか。
「ストローの袋」でもあり「鳥」でもあるような存在。
和音階は蟻の耳には聞こえない
逆に言えば、蟻の耳に聴こえているのは不協和音である。
あちらこちらからノイズが聞こえ、その中で蟻は地を這っている。
目を覚ますまた揺れているフライパン
思い返してはフルートの口になる
くるぶしと買い物かごと地平線
日常性を詠んでいる。
日常性はいとおしいものであるが、退屈なものでもある。
日常性のなかにふと過去の時間が紛れ込む。そのとき人はフルートの口になる。
しりとりの終わりに「生んでくるわ」
天井に並んで生える歯がきれい
拍手した手がふっくらと焼き上がる
すこし小さい骨格標本のまえで
結婚生活の中で子どもが生まれる。
尻取りの「生んでくるわ」の前の言葉は何だったのだろう。
そして、あとの言葉は?
永遠を引っ掻いてゆくパイプ椅子
頑張るとペットボトルが立ち上がる
一人ずつ小さな靴でさようなら
「仮設の家」ではなく、「仮説の家」である。
すべては仮説なのだ。
生活・現実・日常性。そういうものの中に、別の現実や時間が重なってくる。
グッバイ・デイ。
この家は変容しながら明日も続いてゆく。
湊圭史は現代詩や俳句の世界でも活躍しているが、彼の川柳作品には今まで少しなじめない部分があった。けれども、今回の「仮説の家」15句は川柳形式と見事に親和していると思った。
今年は「川柳カード」として出店するつもりで、参加申し込みのメールまで送ったのだが、その後もう一度返信メールするのを忘れて手続き完了に失敗した。まあいいか、というので、当日会場には行ってみたが、お目当ては吉岡太朗の第一歌集『ひだりききの機械』(短歌研究社)である。
ごみ箱に天使がまるごと捨ててありはねとからだを分別している 吉岡太朗
兄さんと製造番号二つ違い 抱かれて死ぬんだあったかいんだ
おりがみを折るしか能のないやつに足の先から折られはじめる
あじさいがまえにのめって集団で土下座をしとるようにも見える
ふいとったらそれが顔やとわかるけど問題はふきおえてからなんです
両手とも左手なのでひだりがわに立たないとあなたと手をつなげない
連作として作られているけれど、連作の枠組みを外しても共感できる歌が多い。抒情性から批評性への道筋は川柳人にも無縁ではない。「膜があんのに出てきたから聖なる御子 穴がないのにひり出されたら聖なる雲子」など、渡辺隆夫が読んだら喝采するだろう。
会場には同人誌やフリーペーパーなどいっぱい置いてあって、活字だけの誌面構成とはずいぶん違う。こちらの頭の中が変わらなければ、若い世代にも魅力的な川柳誌の実現など望むべくもない。
「井泉」59号、巻頭の招待作品は湊圭史の「仮説の家」15句である。
教科書の表紙の光沢はぬかるみ
半分にすると時計は寂しがる
ぴかぴか光る新しい教科書もぬかるんでいる。これから新しいことを学ぶ喜びのなかに、それとは相反する感情が混じっている。足をとられるような困難な感覚。
食べ物を半分に割って、分け合って食べる。二人の間には共感が生まれるが、では時間を分け合うことはできるだろうか。半分にされた人間が互いに他の半分を求め合うように、半分にされて時計は他の半分を求め合う。けれども、半分にされた時計はすでに自分の時間を刻みはじめているのだ。
ハンモックらしく二枚舌を使う
ストローの袋のような鳥のような
比喩の句が二句続く。
ハンモックは二枚舌を使うことがよくあるのだろうか。
ストローの袋のような、鳥のような存在とは何だろう。
ストローを出したあと袋はもう要らない。
ゴミ箱に捨てられるのだが、私たちはそれを意識することさえなく捨てている。
では鳥は?
鳥は飛び立ってゆくことができるのではないか。
「ストローの袋」でもあり「鳥」でもあるような存在。
和音階は蟻の耳には聞こえない
逆に言えば、蟻の耳に聴こえているのは不協和音である。
あちらこちらからノイズが聞こえ、その中で蟻は地を這っている。
目を覚ますまた揺れているフライパン
思い返してはフルートの口になる
くるぶしと買い物かごと地平線
日常性を詠んでいる。
日常性はいとおしいものであるが、退屈なものでもある。
日常性のなかにふと過去の時間が紛れ込む。そのとき人はフルートの口になる。
しりとりの終わりに「生んでくるわ」
天井に並んで生える歯がきれい
拍手した手がふっくらと焼き上がる
すこし小さい骨格標本のまえで
結婚生活の中で子どもが生まれる。
尻取りの「生んでくるわ」の前の言葉は何だったのだろう。
そして、あとの言葉は?
永遠を引っ掻いてゆくパイプ椅子
頑張るとペットボトルが立ち上がる
一人ずつ小さな靴でさようなら
「仮設の家」ではなく、「仮説の家」である。
すべては仮説なのだ。
生活・現実・日常性。そういうものの中に、別の現実や時間が重なってくる。
グッバイ・デイ。
この家は変容しながら明日も続いてゆく。
湊圭史は現代詩や俳句の世界でも活躍しているが、彼の川柳作品には今まで少しなじめない部分があった。けれども、今回の「仮説の家」15句は川柳形式と見事に親和していると思った。
2014年9月13日土曜日
『新現代川柳必携』(三省堂)
2001年に刊行された『現代川柳必携』の続編である。編者は田口麦彦。
例句はすべて入れ替えられ、5000句以上が収録されている。
アンソロジーとしても利用できて、現代川柳でどんな作品が書かれているのかを一望するのに便利である。
最初のテーマ「愛情」では「愛」「逢う」「君」「恋」などの例句が掲載されている
手も触れず桃の匂いをかぎ分ける 草地豊子
続編の月をふたりで見てしまう 澤野優美子
水牛の余波かきわけて逢いにゆく 小池正博
こいびとになってくださいますか吽 大西泰世
花びらを集めて風のトルネード 阪本高士
川柳でよく詠まれる「家族」。「兄」「弟」「姉」「妹」「親」「子」「父」「妻」などいろいろだ。
全集をそろえて兄の耳を噛む 清水かおり
連弾の姉とおとうと息合わず 木本朱夏
ばあさんに自衛の銃がある茶の間 滋野さち
川柳の句会・大会では動詞の兼題がよく出る。「急ぐ」「替える」「帰る」「覗く」「乗る」から。
急がねば祇園精舎の鐘が鳴る 古谷恭一
チャンネルを替えると無口になった 湊圭史
正方形の家見て帰る女の子 樋口由紀子
父帰る多肉植物ぶらさげて 丸山進
裂け目から春を覗きに行ったきり 本多洋子
新型の飛行機雲に試乗せよ 高橋かづき
俳句と川柳の違いとして、季語論議がされることがあるが、本書では「季節」の項目が立てられていて、春夏秋冬、一月から十二月のほか「梅雨」「菜の花」「花冷え」「冬籠り」などが収録されている。季節を表す言葉も川柳の貴重な財産であり、俳句の季語とのニュアンスの違いを感じ取ることができる。
ファスナーの悲鳴は秋の季語ですか 丸山進
九月来る瞼のおりてくるように 八上桐子
十二月両手に残るものは何 森中恵美子
川柳の特質のひとつに批評性があるが、滋野さちはこの方面で独自の作句を続けているひとりだ。「戦争と平和」の項から。
青梅が落ちた 原発再稼働 滋野さち
殴られる前の自衛や春の雪
鉢巻をするとテロリストと呼ばれます
このように項目ごとに多様な川柳作品が収録されていて、広く目配りされたものになっている。「ササキサンを軽くあやしてから眠る」(榊陽子、杉野十佐一賞)「ふる里は戦争放棄した日本」(大久保眞澄、高田寄生木賞)などの受賞作品も見落とされていない。「震災」のテーマで200句収録されているのも、選者の見識をしめしている。現代川柳の全貌は川柳人にとっても捉えにくいものだから、本書は貴重な労作だと言えよう。項目別なので、設定された項目に当てはまる句が採用されており、それは必ずしもその川柳人の代表作とは限らないのだが、本書の性格からはやむを得ないことだろう。
巻末には編者・田口麦彦による「現代川柳のこころ」という文章が収録されている。これは昨年12月に「日本経済新聞」に連載されたもので、現代川柳を要領よく展望している。
あと、任意に印象に残った句を紹介しておく。
笹舟に揺れて東京駅に着く 重森恒雄
アドレスが変わりましたと埴輪から いわさき楊子
桃を突くまでは勝者のはずだった いわさき楊子
ペルソナの中の塔みな海を向く 西田雅子
かもめ飛ぶ海辺とあの世とのあわい 悠とし子
高橋古啓の句に何句か出会ったのも懐かしいことだった。
撃たれた時の狐を見たか一行詩 高橋古啓
まぼろしか十三月へ翔ぶ兎
例句はすべて入れ替えられ、5000句以上が収録されている。
アンソロジーとしても利用できて、現代川柳でどんな作品が書かれているのかを一望するのに便利である。
最初のテーマ「愛情」では「愛」「逢う」「君」「恋」などの例句が掲載されている
手も触れず桃の匂いをかぎ分ける 草地豊子
続編の月をふたりで見てしまう 澤野優美子
水牛の余波かきわけて逢いにゆく 小池正博
こいびとになってくださいますか吽 大西泰世
花びらを集めて風のトルネード 阪本高士
川柳でよく詠まれる「家族」。「兄」「弟」「姉」「妹」「親」「子」「父」「妻」などいろいろだ。
全集をそろえて兄の耳を噛む 清水かおり
連弾の姉とおとうと息合わず 木本朱夏
ばあさんに自衛の銃がある茶の間 滋野さち
川柳の句会・大会では動詞の兼題がよく出る。「急ぐ」「替える」「帰る」「覗く」「乗る」から。
急がねば祇園精舎の鐘が鳴る 古谷恭一
チャンネルを替えると無口になった 湊圭史
正方形の家見て帰る女の子 樋口由紀子
父帰る多肉植物ぶらさげて 丸山進
裂け目から春を覗きに行ったきり 本多洋子
新型の飛行機雲に試乗せよ 高橋かづき
俳句と川柳の違いとして、季語論議がされることがあるが、本書では「季節」の項目が立てられていて、春夏秋冬、一月から十二月のほか「梅雨」「菜の花」「花冷え」「冬籠り」などが収録されている。季節を表す言葉も川柳の貴重な財産であり、俳句の季語とのニュアンスの違いを感じ取ることができる。
ファスナーの悲鳴は秋の季語ですか 丸山進
九月来る瞼のおりてくるように 八上桐子
十二月両手に残るものは何 森中恵美子
川柳の特質のひとつに批評性があるが、滋野さちはこの方面で独自の作句を続けているひとりだ。「戦争と平和」の項から。
青梅が落ちた 原発再稼働 滋野さち
殴られる前の自衛や春の雪
鉢巻をするとテロリストと呼ばれます
このように項目ごとに多様な川柳作品が収録されていて、広く目配りされたものになっている。「ササキサンを軽くあやしてから眠る」(榊陽子、杉野十佐一賞)「ふる里は戦争放棄した日本」(大久保眞澄、高田寄生木賞)などの受賞作品も見落とされていない。「震災」のテーマで200句収録されているのも、選者の見識をしめしている。現代川柳の全貌は川柳人にとっても捉えにくいものだから、本書は貴重な労作だと言えよう。項目別なので、設定された項目に当てはまる句が採用されており、それは必ずしもその川柳人の代表作とは限らないのだが、本書の性格からはやむを得ないことだろう。
巻末には編者・田口麦彦による「現代川柳のこころ」という文章が収録されている。これは昨年12月に「日本経済新聞」に連載されたもので、現代川柳を要領よく展望している。
あと、任意に印象に残った句を紹介しておく。
笹舟に揺れて東京駅に着く 重森恒雄
アドレスが変わりましたと埴輪から いわさき楊子
桃を突くまでは勝者のはずだった いわさき楊子
ペルソナの中の塔みな海を向く 西田雅子
かもめ飛ぶ海辺とあの世とのあわい 悠とし子
高橋古啓の句に何句か出会ったのも懐かしいことだった。
撃たれた時の狐を見たか一行詩 高橋古啓
まぼろしか十三月へ翔ぶ兎
2014年9月5日金曜日
他人の人生につきあうということ
たまには伝統川柳の見学もしておこうと思って、8月31日(日)、「京都番傘創立85年記念川柳大会」に行ってみた。番傘の大会に参加するのは「番傘川柳本社創立85年大会」以来のことである。
「京都番傘」は昭和5年に創立され、初代会長は平賀紅寿。
碁盤目に世界の京として灯り 平賀紅寿
『柳多留』の巻頭句「五番目は同じ作でも江戸生まれ」の江戸意識に対して、京都を前面に押し出した句である。京都番傘の機関誌は『御所柳』だが、創立当初は『レフ』という誌名だったという。「一眼レフ」などというときの「レフ」である。個人的な感想だが、『レフ』という誌名を捨てたのは惜しいことである。
洛北の虫一千を聴いて寝る 岸本水府
以前からこの句は洛北のどこで作られたのか気になっていたが、森中恵美子の「京番と水府を語る」の話で、水府が戦時中、京都に疎開していたころの句であることが分かった。水府は一乗寺に疎開していたという。
ついでだが、西田当百に次の有名な句がある。
ないはずはない抽斗を持って来い 西田当百
『川柳塔』9月号(「柳多留十二篇研究」)を読んでいて、『柳多留』に「無いはづはないと跡から蔵へ行く」の句があることを知った。主人や番頭が蔵へ行くのではおもしろくない。母や女房がドラ息子または亭主が勝手に持ち出したのをとがめる句のようだ。当百は古川柳の味を受け継いでいることになる。
喜多昭夫歌集『君に聞こえないラブソングを僕はいつまでも歌っている』から。
克明にすこしみだらに原発の腸(はらわた)描かば愉しからまし 喜多昭夫
フクシマを脱出したし 原発も 原発管理人も 桃も
無花果の葉もて国会議事堂を蔽いかくせばよいではないか
二句目は塚本邦雄の有名な歌を踏まえながら、そこに「桃も」と付け足している。批評性のある歌だが、次のような多様な作品がある。
「人生は苦しい」(たけし)「人生はなんと楽しい」(永井祐)
文学フリマで出会った君をとりあえず作中主体であることにして
許されてしまうさびしさ むささびが木から木へ飛ぶとき四角なり
手まひまをかけられ育った僕たちが品川できれいな点呼をうける
金魚にはたくさん種類がありますから最寄りの駅までお越しください
番号のつけられていないどうぶつをしずかに数えるコビトカバまで
なんかこうぶっきらぼうに見えるけどかゆいところに手が届くひと
緞帳のように降りくるものがある 見えなくなるまで見るということ
「井泉」58号、島田修三が「玉城徹の歌をめぐって」を書いている。
島田は「他人の人生につきあうのは厄介でもあるし、億劫なことでもある」と断ったあとで、玉城徹の歌について次のように書いている。
「だから私は玉城徹の人生には深入りしたことがない。深入りはしなかったが、玉城の歌集を読んでいると、向こうから彼の人間や人生が湧き水のようにこちらへ侵入してくる」「歌はそこに文学的境涯のコンテクストを据えなければ、優れた個性=差異性は容易にとらえがたい文学だということだ」
有力同人をあいついで失った「井泉」だが、これからもがんばってほしい。
今年の「俳句甲子園」は開成高校が優勝した。
決勝では開成高校と洛南高校が戦った。
「船団」102号に清水憲一が「高校生と俳句」というエッセイを書いている。
清水は洛南高校俳句部の元顧問である。数学の教師であるにもかかわらず、なぜ俳句部の顧問を引き受けたのか、その経緯が語られている。
「蝶」209号にも「土佐高校俳句同好会」の「俳句甲子園全作品」が取り上げられていて、宮﨑玲奈の20句も掲載されている。
華やかな部分だけが注目され、その成果を見て安易に「同様のことを川柳でも」などと言う人がいるが、俳句甲子園の立ち上げには主催者・スタッフの並々でない努力があったうえに、その維持には若い俳句ボランティアたちの下支えが欠かせない。
すぐれた俳句表現者の系譜を若い世代が受け継いでいることがベースにあると言える。
「船団」掲載の芳賀博子のエッセイ「杉浦がいるところ」。
今回取り上げられているのは重森恒雄である。
一塁が遠くてバスを待っている 重森恒雄
フェンスまで届かぬ会心の当たり
訣別をするために打つホームラン
跳び箱を跳ぶポケットのものを出し
飛行機のかたちに折って手を放す
重森が南海ホークスのファンだとは知らなかった。
現代川柳では『新現代川柳必携』(三省堂)が出版された。そろそろ大書店の店頭に並ぶころである。本書については次回に改めて紹介する。
「京都番傘」は昭和5年に創立され、初代会長は平賀紅寿。
碁盤目に世界の京として灯り 平賀紅寿
『柳多留』の巻頭句「五番目は同じ作でも江戸生まれ」の江戸意識に対して、京都を前面に押し出した句である。京都番傘の機関誌は『御所柳』だが、創立当初は『レフ』という誌名だったという。「一眼レフ」などというときの「レフ」である。個人的な感想だが、『レフ』という誌名を捨てたのは惜しいことである。
洛北の虫一千を聴いて寝る 岸本水府
以前からこの句は洛北のどこで作られたのか気になっていたが、森中恵美子の「京番と水府を語る」の話で、水府が戦時中、京都に疎開していたころの句であることが分かった。水府は一乗寺に疎開していたという。
ついでだが、西田当百に次の有名な句がある。
ないはずはない抽斗を持って来い 西田当百
『川柳塔』9月号(「柳多留十二篇研究」)を読んでいて、『柳多留』に「無いはづはないと跡から蔵へ行く」の句があることを知った。主人や番頭が蔵へ行くのではおもしろくない。母や女房がドラ息子または亭主が勝手に持ち出したのをとがめる句のようだ。当百は古川柳の味を受け継いでいることになる。
喜多昭夫歌集『君に聞こえないラブソングを僕はいつまでも歌っている』から。
克明にすこしみだらに原発の腸(はらわた)描かば愉しからまし 喜多昭夫
フクシマを脱出したし 原発も 原発管理人も 桃も
無花果の葉もて国会議事堂を蔽いかくせばよいではないか
二句目は塚本邦雄の有名な歌を踏まえながら、そこに「桃も」と付け足している。批評性のある歌だが、次のような多様な作品がある。
「人生は苦しい」(たけし)「人生はなんと楽しい」(永井祐)
文学フリマで出会った君をとりあえず作中主体であることにして
許されてしまうさびしさ むささびが木から木へ飛ぶとき四角なり
手まひまをかけられ育った僕たちが品川できれいな点呼をうける
金魚にはたくさん種類がありますから最寄りの駅までお越しください
番号のつけられていないどうぶつをしずかに数えるコビトカバまで
なんかこうぶっきらぼうに見えるけどかゆいところに手が届くひと
緞帳のように降りくるものがある 見えなくなるまで見るということ
「井泉」58号、島田修三が「玉城徹の歌をめぐって」を書いている。
島田は「他人の人生につきあうのは厄介でもあるし、億劫なことでもある」と断ったあとで、玉城徹の歌について次のように書いている。
「だから私は玉城徹の人生には深入りしたことがない。深入りはしなかったが、玉城の歌集を読んでいると、向こうから彼の人間や人生が湧き水のようにこちらへ侵入してくる」「歌はそこに文学的境涯のコンテクストを据えなければ、優れた個性=差異性は容易にとらえがたい文学だということだ」
有力同人をあいついで失った「井泉」だが、これからもがんばってほしい。
今年の「俳句甲子園」は開成高校が優勝した。
決勝では開成高校と洛南高校が戦った。
「船団」102号に清水憲一が「高校生と俳句」というエッセイを書いている。
清水は洛南高校俳句部の元顧問である。数学の教師であるにもかかわらず、なぜ俳句部の顧問を引き受けたのか、その経緯が語られている。
「蝶」209号にも「土佐高校俳句同好会」の「俳句甲子園全作品」が取り上げられていて、宮﨑玲奈の20句も掲載されている。
華やかな部分だけが注目され、その成果を見て安易に「同様のことを川柳でも」などと言う人がいるが、俳句甲子園の立ち上げには主催者・スタッフの並々でない努力があったうえに、その維持には若い俳句ボランティアたちの下支えが欠かせない。
すぐれた俳句表現者の系譜を若い世代が受け継いでいることがベースにあると言える。
「船団」掲載の芳賀博子のエッセイ「杉浦がいるところ」。
今回取り上げられているのは重森恒雄である。
一塁が遠くてバスを待っている 重森恒雄
フェンスまで届かぬ会心の当たり
訣別をするために打つホームラン
跳び箱を跳ぶポケットのものを出し
飛行機のかたちに折って手を放す
重森が南海ホークスのファンだとは知らなかった。
現代川柳では『新現代川柳必携』(三省堂)が出版された。そろそろ大書店の店頭に並ぶころである。本書については次回に改めて紹介する。
2014年8月29日金曜日
「塔」創刊60周年大会のことなど
「塔」創刊60周年記念全国大会が8月23日に京都で開催された。
京都駅前のホテル会場には800人の聴衆がつめかけて満員であった。
亡くなった河野裕子の人気に加え、栗木京子・吉川宏志・江戸雪などの有力な歌人をかかえて発信力の強い「塔」ではあるものの、その集客力に驚いた。
第一部は高野公彦(「コスモス」)の講演「曖昧と明確のはざま」。
高野は現代短歌の中から「曖昧と明確」のはざまに揺れる短歌を紹介しながら、「短歌結社は読みをきたえるところ」という観点から「短歌の読み」を展開した。「曖昧」(ambiguity)という言葉から、昔読んだエンプソンの『曖昧の七型』を思い出した。
トンネルが多い列車と聞いたから夏目漱石誘って行った 松田梨子
あと五十年は生きてくぼくのため赤で横断歩道をわたる 永井祐
高野が例にあげた歌は、ふだん言葉の飛躍に腐心している川柳の現場から見ると、曖昧でもなんでもなく理解しやすい歌だと思った。
赤茄子の腐れてゐたるところより幾程もなき歩みなりけり 斎藤茂吉
茂吉難解歌として有名だが、上の句と下の句を一種の連句の付合と理解することもできる。
第二部は永田和宏・鷲田清一・内田樹の鼎談「言葉の危機的状況をめぐって」。
鷲田(ワッシー)は「言葉の危うさ」について、現代の言葉が「すべってゆく言葉」であると述べ、「なめらかな言葉ではなくて、心にざわめきを起こさせる言葉」の重要性を指摘した。テクスタイルにはテクスト(意味)とテクスチュア(感触)があるので、「その人が何を言っているのか」よりも「その人が何を聴きとろうとしているのか」が大切。その発話者が「自分の言葉」と「自分の身体感覚」との間にある「違和」を自覚することが、文芸が生まれる前提となる。
内田は「吃音」について述べたあと、「届く言葉と届かない言葉」について、「コンテンツがいくらよくても聞き手の知的好奇心を喚起できない」「テープレコーダーの言葉よりライブの言葉」「自分宛のメッセージだと思うと人は注意力のレベルを上げる」などと語った。内田の読者にとってはおなじみの言説だろうが、肉声で聞くと説得力がある。「ポエティックなものを理解しようとすると知性だけではなくて全身が必要」「一義的なものはポエティックではない」「言葉は生成するためにある」という発言もあった。
鷲田・内田の問題提起を、永田は実作を挙げながら短歌にひきつけて展開してゆく。
自分があらかじめ考えていることを歌にするのではなく、歌にすることによって自分の思っていることを発見する。永田はそれを「生成の現場性」と呼んだ。
わからへんなんぼ聞いてもわからへん平和のためにいくさに行くと 石川智子
この作品を永田は「わからないことをわからないままに伝える歌」として紹介した。あらかじめ分かっていることを歌にするのではなく、プロセスをプロセスのままに表現するところに、永田は可能性を見ているようだ。「いま私たちは分かりやすいところで理解しようとしているのではないか」「社会詠は自分の中にあるメッセージを伝えようとすると失敗する」とも。
「一読明快」や「断言」が言われる川柳の世界と比べて、興味深く聞いていた。
この夏はいろいろな本や雑誌を送っていただいた。
『続続鈴木漠詩集』(編集工房ノア)から、たとえば次のような一節。
言葉はまた鏡でもあるから
向い合せの鏡の中を
エコーする言霊の無限反映
母音たちは屈託なく
自己模倣を繰返すのだ (「愛染*」)
木よ 質問する
時間軸はどこまで動いたか
雨季が終り
藍よりも青いあの空が
人みなの倦んだ視野に
戻ってくるまでには? (「質問*」)
「解䌫」28号に鈴木は別所真紀子詩集『すばらしい雨』(かりばね書房)の書評を書いている。今春に刊行されたときにこのブログで紹介しそびれていた一冊なので、遅ればせながら書いてみる。
別所は『雪は今年も』などの俳諧小説の書き手であり、詩人・連句人でもある。
詩集の「句詩付合」は「解䌫」に発表されたものだが、まとめて読むことができる。たとえば、「骨(こつ)拾ふ」という作品はこんなふうに書かれている。
骨拾ふ人に親しき菫かな 蕪村
めつむると 頭蓋のなかで
海馬が泳ぎだす 耳の奥では
からからと鳴る蝸牛の殻
みひらけばうす紫のゆうぐれ
膝の裏からしずしずと半月が昇る
たのしいじゃない? ひとのからだも
句詩付合、現代川柳や古川柳に別所の詩を付けたものを読んでみたいと思った。
詩集の中で最も印象に残ったのは「ひと夏を」という詩である。
役に立たない生きものになって
ひと夏をすごした
わたしは世界に用がない
世界はわたしに用がない
会えないまま遠くへ去ったひとへの手紙に
「古今集巻十二、六一二」と添えた
「古今集巻第四、一七八」
とのみのはがきひとひら
「巻第八、三七三」往く葉
「巻第十一、四八三」還る葉
ある夜 おびただしい流星群が墜ちて
秋 そして冬へ
「わたしは世界に用がない」という部分、多田智満子「告別」よりの引用。『古今集』も交えた引用の織物でありながら、その思いは心に沁みるものがある。
七月に「川柳ねじまき」創刊号が出た。
名古屋で毎月開催されている「ねじまき句会」のメンバーによる。発行人・なかはられいこ。とても好評でネットを中心に多くのコメントが寄せられている。
らいねんの桜のことでけんかする なかはられいこ
敬老の日にいただいた電気椅子 丸山進
わたしたち海と秋とが欠けている 瀧村小奈生
そうか川もしずかな獣だったのか 八上桐子
地図で言う四国あたりが私です 米山明日歌
交番でモーゼの長き旅終わる 青砥和子
用意しておいた手足を呼んでみる ながたまみ
このボタン押さずに傘を開いてよ 二村鉄子
墜落中ちょっと質問いいですか? 魚澄秋来
港には頼らず日本を出入りする 荻原裕幸
詩歌のさまざまなジャンルでそれぞれの表現者が言葉を届けようとしている。その中には届く言葉もあり届かない言葉もある。川柳の言葉は外部になかなか届かないものとあきらめる気持ちもあったが、案外、届く人には届いていたりする。鷲田清一や内田樹も言っていた「宛名」の問題である。
京都駅前のホテル会場には800人の聴衆がつめかけて満員であった。
亡くなった河野裕子の人気に加え、栗木京子・吉川宏志・江戸雪などの有力な歌人をかかえて発信力の強い「塔」ではあるものの、その集客力に驚いた。
第一部は高野公彦(「コスモス」)の講演「曖昧と明確のはざま」。
高野は現代短歌の中から「曖昧と明確」のはざまに揺れる短歌を紹介しながら、「短歌結社は読みをきたえるところ」という観点から「短歌の読み」を展開した。「曖昧」(ambiguity)という言葉から、昔読んだエンプソンの『曖昧の七型』を思い出した。
トンネルが多い列車と聞いたから夏目漱石誘って行った 松田梨子
あと五十年は生きてくぼくのため赤で横断歩道をわたる 永井祐
高野が例にあげた歌は、ふだん言葉の飛躍に腐心している川柳の現場から見ると、曖昧でもなんでもなく理解しやすい歌だと思った。
赤茄子の腐れてゐたるところより幾程もなき歩みなりけり 斎藤茂吉
茂吉難解歌として有名だが、上の句と下の句を一種の連句の付合と理解することもできる。
第二部は永田和宏・鷲田清一・内田樹の鼎談「言葉の危機的状況をめぐって」。
鷲田(ワッシー)は「言葉の危うさ」について、現代の言葉が「すべってゆく言葉」であると述べ、「なめらかな言葉ではなくて、心にざわめきを起こさせる言葉」の重要性を指摘した。テクスタイルにはテクスト(意味)とテクスチュア(感触)があるので、「その人が何を言っているのか」よりも「その人が何を聴きとろうとしているのか」が大切。その発話者が「自分の言葉」と「自分の身体感覚」との間にある「違和」を自覚することが、文芸が生まれる前提となる。
内田は「吃音」について述べたあと、「届く言葉と届かない言葉」について、「コンテンツがいくらよくても聞き手の知的好奇心を喚起できない」「テープレコーダーの言葉よりライブの言葉」「自分宛のメッセージだと思うと人は注意力のレベルを上げる」などと語った。内田の読者にとってはおなじみの言説だろうが、肉声で聞くと説得力がある。「ポエティックなものを理解しようとすると知性だけではなくて全身が必要」「一義的なものはポエティックではない」「言葉は生成するためにある」という発言もあった。
鷲田・内田の問題提起を、永田は実作を挙げながら短歌にひきつけて展開してゆく。
自分があらかじめ考えていることを歌にするのではなく、歌にすることによって自分の思っていることを発見する。永田はそれを「生成の現場性」と呼んだ。
わからへんなんぼ聞いてもわからへん平和のためにいくさに行くと 石川智子
この作品を永田は「わからないことをわからないままに伝える歌」として紹介した。あらかじめ分かっていることを歌にするのではなく、プロセスをプロセスのままに表現するところに、永田は可能性を見ているようだ。「いま私たちは分かりやすいところで理解しようとしているのではないか」「社会詠は自分の中にあるメッセージを伝えようとすると失敗する」とも。
「一読明快」や「断言」が言われる川柳の世界と比べて、興味深く聞いていた。
この夏はいろいろな本や雑誌を送っていただいた。
『続続鈴木漠詩集』(編集工房ノア)から、たとえば次のような一節。
言葉はまた鏡でもあるから
向い合せの鏡の中を
エコーする言霊の無限反映
母音たちは屈託なく
自己模倣を繰返すのだ (「愛染*」)
木よ 質問する
時間軸はどこまで動いたか
雨季が終り
藍よりも青いあの空が
人みなの倦んだ視野に
戻ってくるまでには? (「質問*」)
「解䌫」28号に鈴木は別所真紀子詩集『すばらしい雨』(かりばね書房)の書評を書いている。今春に刊行されたときにこのブログで紹介しそびれていた一冊なので、遅ればせながら書いてみる。
別所は『雪は今年も』などの俳諧小説の書き手であり、詩人・連句人でもある。
詩集の「句詩付合」は「解䌫」に発表されたものだが、まとめて読むことができる。たとえば、「骨(こつ)拾ふ」という作品はこんなふうに書かれている。
骨拾ふ人に親しき菫かな 蕪村
めつむると 頭蓋のなかで
海馬が泳ぎだす 耳の奥では
からからと鳴る蝸牛の殻
みひらけばうす紫のゆうぐれ
膝の裏からしずしずと半月が昇る
たのしいじゃない? ひとのからだも
句詩付合、現代川柳や古川柳に別所の詩を付けたものを読んでみたいと思った。
詩集の中で最も印象に残ったのは「ひと夏を」という詩である。
役に立たない生きものになって
ひと夏をすごした
わたしは世界に用がない
世界はわたしに用がない
会えないまま遠くへ去ったひとへの手紙に
「古今集巻十二、六一二」と添えた
「古今集巻第四、一七八」
とのみのはがきひとひら
「巻第八、三七三」往く葉
「巻第十一、四八三」還る葉
ある夜 おびただしい流星群が墜ちて
秋 そして冬へ
「わたしは世界に用がない」という部分、多田智満子「告別」よりの引用。『古今集』も交えた引用の織物でありながら、その思いは心に沁みるものがある。
七月に「川柳ねじまき」創刊号が出た。
名古屋で毎月開催されている「ねじまき句会」のメンバーによる。発行人・なかはられいこ。とても好評でネットを中心に多くのコメントが寄せられている。
らいねんの桜のことでけんかする なかはられいこ
敬老の日にいただいた電気椅子 丸山進
わたしたち海と秋とが欠けている 瀧村小奈生
そうか川もしずかな獣だったのか 八上桐子
地図で言う四国あたりが私です 米山明日歌
交番でモーゼの長き旅終わる 青砥和子
用意しておいた手足を呼んでみる ながたまみ
このボタン押さずに傘を開いてよ 二村鉄子
墜落中ちょっと質問いいですか? 魚澄秋来
港には頼らず日本を出入りする 荻原裕幸
詩歌のさまざまなジャンルでそれぞれの表現者が言葉を届けようとしている。その中には届く言葉もあり届かない言葉もある。川柳の言葉は外部になかなか届かないものとあきらめる気持ちもあったが、案外、届く人には届いていたりする。鷲田清一や内田樹も言っていた「宛名」の問題である。
2014年8月22日金曜日
川柳小説「座談会―《「現代川柳」を語る》」
昭和39年の晩秋、金子兜太は「俳句研究」の座談会に出席するために、都内のホテルへ向かった。その日の座談会は俳人同士の集まりではなく、俳人・歌人・川柳人の合同座談会だった。俳句からは金子自身のほかに高柳重信、短歌からは岡井隆、川柳からは河野春三・松本芳味・山村祐が参加する。座談会の記録は《「現代川柳」を語る》というタイトルで「俳句研究」昭和40年1月号に掲載されることになっていた。
前年の昭和38年に金子は岡井隆との共著『短詩型文学論』(紀伊国屋新書)を上梓しており、河野春三や山村祐などの川柳人との交流が始まっていた。金子を通じて岡井も川柳人と交流するようになっていた。高柳の師は富澤赤黄男であるが、赤黄男の周辺からは岡橋宣介などの川柳人が出ており、高柳は河野春三の出版記念会にも出席していた。
一同が集ったあと、司会の金子兜太はまず川柳人の紹介から始めた。
「ご出席いただいた河野春三さんは、『現代川柳への理解』、山村祐さんは『続短詩私論』という、それぞれの著書を持っておられる。又、松本芳味さんは今度の『俳句研究』誌の企てに応じて一文を草しておられる。まあ我々の今まで接しえた限りでの現代川柳派の方々が此処にお集まり下さっておる訳ですが、先ず話の糸口として、今申し上げた三つの文章などを参照しながら、私、現代川柳についての横におる者としての素直な感想を述べさせて貰おうかと思います」
当時「現代川柳」という言葉がしばしば使われていたが、これは単に「現代の川柳」という意味ではなく、「伝統川柳」に対する「革新川柳」というニュアンスが強かった。
金子の言う三つの文章のうち、河野春三の『現代川柳への理解』は『短詩型文学論』の注で引用されていた。山村祐の『続短詩私論』は「川柳現代」昭和39年1月号に金子兜太・林田紀音夫・高柳重信などが書評を掲載している。また、松本芳味は「俳句研究」昭和39年10月号に「現代川柳作品展望」という文章を発表しており、そこで芳味は現代川柳を「抒情について」「社会性について」「哲学派その他」に分類して紹介していた。
これらの川柳人の著作や文章を踏まえて、金子は俳句と川柳の共通性と相違について話を切り出した。
「まず、現代川柳と我々のやっている俳句とでは内容上のスレ違いということは殆どない。ただ、両者を発生から現状へという経緯の面で考えて来ると、一つの相違が感じられる。川柳の歴史には民衆に密着した自由な発想、ほしいままな風刺作りが一貫して感じられるけれども、俳句の場合、短歌の伝統を一応踏んだ所で発句という形式を生かして育ってきた、ややアカデミックな色合を持つ。もう一つ、川柳が口語短詩であったという事、従って最短定型という事に対して、文語短詩としての俳句ほど厳格でなかったという事、この違いが非常に重要だと思う。其の違いが内容上の差まで、或いは決めてくるのではないかと僕は考えるんです」
金子は『短詩型文学論』で「河野春三は『現代川柳への理解』で、俳句と川柳が最短詩としての共通性をもち、現在では内容的にも一致している点を指摘し、『短詩』として一本のジャンルに立ち得ることを語っているが、一面の正当性をもっていると思う。ただ、両者の内容上の本質的差異(川柳の機知と俳句の抒情)は越えられない一線であると思う」と述べているから、このあたりのことについて、もう一度確かめておきたかったのだろう。
この座談会を部屋の隅でそっと聞いている二人の女性がいる。彼らはタイムトラベラーで、昭和40年前後の柳俳交流について研究している20代の俳人である。座談会の参加者からは二人の姿は見えない。この二人を仮にA子・B子と呼んでおこう。
タイムトラベラーの守るべき原則は、歴史を変えてはいけないということである。どんなにフアンであっても、金子の髪をひっぱったりしてはいけない。座談会の内容に不満があったとしても、それに口を挟んではいけないのである。
「兜太ってずいぶん若いのね」とA子が言った。
「このときまだ45歳だもの」とB子。
「川柳人とも交流があったのね」
「『海程』は加藤楸邨の系統でしょ。人間探求派だから、きっと人間諷詠の川柳とも共通点があるのよ。あっ、春三が答えるわよ。静かに」
兜太の問題提起を受けて、河野春三が答えはじめた。
「十七音文語定型という事ですがね。発生からみて、和歌から生まれた俳句は、之に非常にふさわしい、極言すれば俳句は定型、文語に拠らねばならぬと言えるでしょう。川柳の場合、定型でしかも口語に拠ったという事ですね。之が何故かという事になると、僕は大した根拠を持っていなかったと思うんです。形式のやどかり…だったんじゃないかと考える訳です」
春三の口からヤドカリ説が飛び出した。川柳人は比喩的表現をよく使う。春三の話はなお続く。
「(川柳の)伝統派は殆ど口語ですが、現代川柳の方は革新の途上から文語を採用している訳です。この辺が俳句と逆ですね。俳句の方では文語定型が伝統派で、口語で定型基準破調又は自由律というと革新派という事になりますが、川柳の方では、伝統の方が口語で、しかも定型、革新派の方が、文語許容で、しかも破調又は自由律という訳です」
春三の発言を受けて山村祐が話しはじめた。山村は現代詩から川柳へと進んだ人で、人形劇団プークに所属していた。
山村は江戸期の庶民の単純化された発想・思考が五七五のリズムに乗って、原因・展開・結果という考え方で成立したこと、春三のいう「ヤドカリ説」にすること、前句付の付句として自然に返答の順序ができてしまう、という三点を述べた。
さきほどから議論の方向に不満そうな顔つきだった松本芳味が、たまりかねて話を切り出した。
「史的な面からの事ばかりだと、ここにいる方々とは話があわないんじゃないか。発想とか、表現とか、もっと内容的に入って行かないと」
松本は春三に嘱望されている若手川柳人で、のちに句集『難破船』を発行する。川柳における多行書きの書き手としても知られている。
金子が最初に紹介したように、松本芳味はちょうど「俳句研究」に「現代川柳作品展望」という文章を発表したばかりで、現代川柳を内容的に分類して紹介していた。「現代川柳が、現代詩の一分野―短詩を志向したとき、抒情の回復と高唱が示されたことは、短詩の本質からみて、極めて当然の現象と云えよう。人間詩・川柳―ということの再認識。そこから川柳革新の頁は始まったと云っていい。この行き方が、俳句の領域を犯すものであるとの非難は、かれら新しい川柳を志向する作家たちにはナンセンスであった」―自ら書いた文章の冒頭の一節が、鮮やかに芳味の脳裏に浮かび上がった。
松本の発言に対して、司会の金子はこんなふうに応じた。「あながちそうは思わないんです。僕の詩論からいえば、詩に内容の規定というものはない。内容は自由だという事になる。川柳と俳句が別種に存在したという事は、そこにやはり形式の差があったからだと考える訳です」
この内容と形式の問題は、この座談会を通じて何度も繰り返されることになる。
それまで黙って他の参加者の発言を聞いていた高柳重信がおもむろに口を開いた。
「黙って聞いていると話がどんどん先へ行ってしまう。(笑)僕は俳句作家だから、進歩的な立場の短歌に対する場合、これは文字の量が俳句とは違うんだから、形式上の差は何といっても大きいし、従ってやや無責任なシンパでおられる訳だ。だが、川柳となるとそうは行かない。一般通念からいって俳句と川柳は十七音定型という点で同じだから、どうしても辛辣なシンパという立場を取らざるを得ない」
「きゃー、これがジューシンよ。かっこいいわね」
とA子が言った。
「そうね。小池正博が一つ覚えのように繰り返している《辛辣なシンパ》というキイ・ワードがここで出てくるのよ」とB子。
「短歌に対しては無責任なシンパ、川柳に対しては辛辣なシンパって、ズバリ言ってるじゃない」
「日野草城の《善意の越境》と高柳重信の《辛辣なシンパ》は俳人の川柳に対する典型的な二つの態度なのよ」
「春三のいうヤドカリ説って何なの」
「五七五という形式を貝殻にたとえて、ヤドカリという内容がたまたま手ごろな貝殻を借りて利用した、っていうことじゃない」
「伝統川柳が口語で、現代川柳・革新川柳が文語許容なのは何で?」
「わかんない。春三氏に聞いてよ」
「俳句と川柳とではいくらか形式が違うというような話だが、両方とも五七五でありながら、どうして形式が違ったか、これが一番重要な問題だ」
高柳の話は続く。
「江戸期の、同じ時代の同じ空気を呼吸していた人達が、同じ五七五の定型で一つはいわゆる正風の俳句、一つは川柳を作っていたという事についてこれは単に形式が違うという事だけで片付けられる問題だろうか」
岡井「形式が違うってどういう事、形式は同じじゃないの?」
高柳「さっき俳句と川柳は形式が違うというような発言があったから、それに対していってる訳だ」
金子「結果的に、違う形式、といったわけだ。江戸期の川柳は口語の文章語の五七五で、俳句の方は文語の五七五だった。その違いは確かにあったとみるんだな」
高柳「同じ時代の空気を吸っている人それぞれ言葉に対するナルチシズムが違うからではないかと割りきってみることも出来る」
いつの間にか傍らに一人の男が立っているのにA子・B子は気づいた。それまで何の気配もしなかったのに、どこからこの人は現れたのだろう。男は二人と同じようにじっと座談会に聞き入っている。
「失礼ですが、あなたはどなたですか」
たまりかねてB子が聞いた。
「これは申し遅れました。私は、宮田あきらと言います。川柳を書いています」
男の言葉には関西の雰囲気がある。京都あたりの人なのか。
「私もこの座談会を聞きたくて、タイムトラベルしてきたのですよ」
と言って男はにやりと笑った。
「なあんだ。それじゃ、私たちのお仲間じゃん」
ほっとしてA子はつぶやいた。
「ご挨拶は後で改めて申し上げますから、座談会の続きを聞きましょう」
と宮田は言った。その表情には一種の思いつめたところがあった。
「漠然と詩を思い詩人について考えているだけでは現実に俳句や短歌を書くことは出来ない。しかも、現代短歌と現代俳句の場合は、はっきり詩形の違いが分るが、現代俳句と現代川柳の場合は区別がつかないような事が、ままあるんだ。だから、僕たちが相互に、ここで詩人を見ようとするとくには、共に熱烈に、それぞれの川柳と俳句について語る以外に方法はないと思う」
「『俳句は死んだ』というのが僕の昔からの持論だ。滅亡するんじゃなくて、俳句はもう死んでしまっているということだ。同じ観点から言えば川柳も、もうとっくに死んでる。しかも現代川柳の動きなんかみていると死んでるのに気がつかないで勝手に騒いでるといった感じがするんだ」
重信の発言は次第に鋭さを増してきた。
「現代川柳の、文学的に高い意欲をもってるといわれている人達の川柳が、僕らの俳句に似て来てる」
この重信の言葉を聞いたとたんに、春三の顔色が変わった。春三は元来、短気な男である。現代川柳が俳句に擦り寄ってきている、俳句の真似をしている、俳句の影響を受けている、俳句を取り入れている…そのような言説を俳人たちから何度聞かされてきたことだろう。この人たちは無意識のうちに川柳を見下しているのではないか。川柳は断じて俳句の亜流ではないのだ。
「大反論をせざるを得ない。川柳が俳句に似て来たのではなくて、俳句が川柳に似て来た点を僕は俳人に逆にききたい」
険悪になった空気を和らげるように、岡井隆が言った。
「高柳君が優秀な川柳は俳句に近づくといったが、優秀な俳人は段々現代詩に近づくという事もいえる(笑)」
それまでじっと座談会を聞いていた宮田あきらが一歩前へ進んで、座談の輪に入り込もうとしたのはそのときである。
「それはあかんのや。その言い方ではだめなんや…」
驚いたA子・B子は急に関西弁になった宮田を引き止めた。
「おじさん、歴史を変えたらだめなんです。タイムトラベルの原則を知らないのですか」
「ぼくはSFは嫌いなんや。サブカルチャーも嫌いや。この座談会の発言を訂正するために、苦労してここまで来たのや。頼むから離してくれ。川柳が俳句に近づくのやない。現代の俳句は川柳に近づき、現代の川柳が現代詩に近づく…こう反論すべきなんや」
その間に座談会は進行し、話題がすでに変わっていった。
「エコールの差というのはよろしいな。結局川柳と俳句の差は、何に傾斜して作るかというだけの差になる」と金子が言って、話は定型論の方に進んでいった。
「僕は口語にはアクチュアリティーがあると思う。これが今、大切だと思う」と岡井が言った。
高柳がこれに反応した。「そのアクチュアリティーという言葉だが、僕個人としては、自分があくまでも、最も本質的な俳句作家でありたいと覚悟をしたときからさっきいった言葉のナルチシズム、それは僕の言葉に対するナルチシズムと、それから俳句形式自体が抱く言葉に対するナルチシズムと、その双方に忠実に殉じようと思ってきたので、あえて、このアクチュアリティーをしばしば放棄することとなったけれど、川柳の方は逆にこのアクチュアリティーに殉じるために、いわゆる言葉に対するナルチシズムを、あえて犠牲にしてきたとも言えるかもしれない」
「ナルチシズムとアクチュアリティーか。メモしとかなきゃね」とA子。
「この観点はおもしろいね」とB子。
「さっきエコール論というのも出てきたね」
「俳句と川柳はジャンルの違いではなく、エコールの違いだってやつね。そうでしょ、宮田さん」
「そう。よく勉強してるね」すでに落ち着きを取り戻した宮田が標準語で言った。
「私はジャンルの違いだと思うけど」とA子。
「ここで自律的ジャンル論をやりだすと、収拾がつかなくなるわよ」とB子が注意した。
所定の時間がそろそろ終わろうとするころ、松本芳味は次のような発言をした。
松本「ぼく、面白くないことがある。他のジャンルの、いかなる人と話をしても、皆川柳に対して優位の意識があるんだね。古川柳に示された一般概念に、現代川柳もハメこもうとする。ただ口語と文語とに分けてしまう考え方には疑問があるし、俳句の方では口語俳句をどう見ているの、否定しているの。「こんなのは川柳だ」というだけで、片付く問題ですか」
高柳「ジャンルの優位うんぬんの言葉は、僕がもっとも言ってもらいたくなかった、いわばなさけない泣き声だと思う。もし、その作家個人の実力からきたものではなしに、軽々しくジャンルの優位性をふりまわしていると思ったら、それに対して、松本さんは、自分自身の実力とその作家的権威によって、断乎として跳ねかえすべきだと思う。今日の僕は、同じ十七字の定型詩にかかわっている人間として、現代川柳についても責任あるフアンの立場から、僕の疑問や意見を述べたつもりだよ。そう受けとってほしいね」
金子「問題が煮詰まらないうちに時間が来てしまったようですが、まあ一度の座談で片付く問題でもなし、兎に角お互いに有益な話し合いでした」
河野「大変に有益でした。現代川柳は現在過渡期でして、いわば新しい川柳のイメージ作りの段階です。益々活発に運動を展開してゆこうと思います。その為にも俳句や短歌の方々と一つの広場で、短詩共通の問題をお互いに解決し合うという事が今後も行われるといいと思います」
「あー、終わっちゃった。もう少し聞きたかったのに」とA子が言った。
「兜太と春三は最後にまとめに入ったわね。広場なんて言葉は、春三の『短詩の広場』から来ているみたいね」とB子。
「松本芳味って、この座談会の進行に終始不満をもらしているよね」
「重信との間に対立軸ができたみたい。それは双方にとって不本意だったでしょうね」
「ああ、くやしいな。やはり歴史は変えられないものなんだな」と宮田が言った。
「君たちはいつの時代から来たの」
「2014年からよ」
「ボクは1975年からだ」
「金子兜太はこのころ川柳人と交流があったって、『金子兜太の世界』に寄せた文章で岡井さんが書いているから、興味をもったの。《あの謎のやうな川柳人たち》と岡井さんは言っているわ」
「ふうん、春三も祐も芳味も謎の川柳人なんだね」
宮田あきらはさびしそうに笑った。
「宮田さん」
「え、なに」
「ひとつ言ってもいいかしら」
「何でも」
「さっき、俳句が川柳に近づき、川柳が現代詩に近づくって言ったでしょ」
「うん、言ったよ」
「それって、逆の意味で、ジャンルのヒエラルキーを認めることにならないかしら」
「うーん、そうかな」
「わたし、それがすごく気になったの」
「ぼくらは川柳に詩を導入するのに一生懸命だったんだが、言われてみればそういう面もあるかも知れない。でも、君たちのように偏見なく川柳を見てくれる人がいて嬉しいよ」
「でも、ご心配なく。私たち俳句の世界で出世していくつもりですから」
「ははは、そうだな。じゃ、飲みにでもいきますか」
(注)本稿は「五七五定型」4号に掲載の拙文「コラージュ『座談会』」の小説ヴァージョンで、「俳句研究」昭和40年1月号に掲載された座談会《「現代川柳」を語る》を基にしています。ただし、引用は雑誌掲載の文章に完全に忠実というわけではありません。昭和40年のこの座談会は柳俳交流のひとつのピークだったと思われます。
前年の昭和38年に金子は岡井隆との共著『短詩型文学論』(紀伊国屋新書)を上梓しており、河野春三や山村祐などの川柳人との交流が始まっていた。金子を通じて岡井も川柳人と交流するようになっていた。高柳の師は富澤赤黄男であるが、赤黄男の周辺からは岡橋宣介などの川柳人が出ており、高柳は河野春三の出版記念会にも出席していた。
一同が集ったあと、司会の金子兜太はまず川柳人の紹介から始めた。
「ご出席いただいた河野春三さんは、『現代川柳への理解』、山村祐さんは『続短詩私論』という、それぞれの著書を持っておられる。又、松本芳味さんは今度の『俳句研究』誌の企てに応じて一文を草しておられる。まあ我々の今まで接しえた限りでの現代川柳派の方々が此処にお集まり下さっておる訳ですが、先ず話の糸口として、今申し上げた三つの文章などを参照しながら、私、現代川柳についての横におる者としての素直な感想を述べさせて貰おうかと思います」
当時「現代川柳」という言葉がしばしば使われていたが、これは単に「現代の川柳」という意味ではなく、「伝統川柳」に対する「革新川柳」というニュアンスが強かった。
金子の言う三つの文章のうち、河野春三の『現代川柳への理解』は『短詩型文学論』の注で引用されていた。山村祐の『続短詩私論』は「川柳現代」昭和39年1月号に金子兜太・林田紀音夫・高柳重信などが書評を掲載している。また、松本芳味は「俳句研究」昭和39年10月号に「現代川柳作品展望」という文章を発表しており、そこで芳味は現代川柳を「抒情について」「社会性について」「哲学派その他」に分類して紹介していた。
これらの川柳人の著作や文章を踏まえて、金子は俳句と川柳の共通性と相違について話を切り出した。
「まず、現代川柳と我々のやっている俳句とでは内容上のスレ違いということは殆どない。ただ、両者を発生から現状へという経緯の面で考えて来ると、一つの相違が感じられる。川柳の歴史には民衆に密着した自由な発想、ほしいままな風刺作りが一貫して感じられるけれども、俳句の場合、短歌の伝統を一応踏んだ所で発句という形式を生かして育ってきた、ややアカデミックな色合を持つ。もう一つ、川柳が口語短詩であったという事、従って最短定型という事に対して、文語短詩としての俳句ほど厳格でなかったという事、この違いが非常に重要だと思う。其の違いが内容上の差まで、或いは決めてくるのではないかと僕は考えるんです」
金子は『短詩型文学論』で「河野春三は『現代川柳への理解』で、俳句と川柳が最短詩としての共通性をもち、現在では内容的にも一致している点を指摘し、『短詩』として一本のジャンルに立ち得ることを語っているが、一面の正当性をもっていると思う。ただ、両者の内容上の本質的差異(川柳の機知と俳句の抒情)は越えられない一線であると思う」と述べているから、このあたりのことについて、もう一度確かめておきたかったのだろう。
この座談会を部屋の隅でそっと聞いている二人の女性がいる。彼らはタイムトラベラーで、昭和40年前後の柳俳交流について研究している20代の俳人である。座談会の参加者からは二人の姿は見えない。この二人を仮にA子・B子と呼んでおこう。
タイムトラベラーの守るべき原則は、歴史を変えてはいけないということである。どんなにフアンであっても、金子の髪をひっぱったりしてはいけない。座談会の内容に不満があったとしても、それに口を挟んではいけないのである。
「兜太ってずいぶん若いのね」とA子が言った。
「このときまだ45歳だもの」とB子。
「川柳人とも交流があったのね」
「『海程』は加藤楸邨の系統でしょ。人間探求派だから、きっと人間諷詠の川柳とも共通点があるのよ。あっ、春三が答えるわよ。静かに」
兜太の問題提起を受けて、河野春三が答えはじめた。
「十七音文語定型という事ですがね。発生からみて、和歌から生まれた俳句は、之に非常にふさわしい、極言すれば俳句は定型、文語に拠らねばならぬと言えるでしょう。川柳の場合、定型でしかも口語に拠ったという事ですね。之が何故かという事になると、僕は大した根拠を持っていなかったと思うんです。形式のやどかり…だったんじゃないかと考える訳です」
春三の口からヤドカリ説が飛び出した。川柳人は比喩的表現をよく使う。春三の話はなお続く。
「(川柳の)伝統派は殆ど口語ですが、現代川柳の方は革新の途上から文語を採用している訳です。この辺が俳句と逆ですね。俳句の方では文語定型が伝統派で、口語で定型基準破調又は自由律というと革新派という事になりますが、川柳の方では、伝統の方が口語で、しかも定型、革新派の方が、文語許容で、しかも破調又は自由律という訳です」
春三の発言を受けて山村祐が話しはじめた。山村は現代詩から川柳へと進んだ人で、人形劇団プークに所属していた。
山村は江戸期の庶民の単純化された発想・思考が五七五のリズムに乗って、原因・展開・結果という考え方で成立したこと、春三のいう「ヤドカリ説」にすること、前句付の付句として自然に返答の順序ができてしまう、という三点を述べた。
さきほどから議論の方向に不満そうな顔つきだった松本芳味が、たまりかねて話を切り出した。
「史的な面からの事ばかりだと、ここにいる方々とは話があわないんじゃないか。発想とか、表現とか、もっと内容的に入って行かないと」
松本は春三に嘱望されている若手川柳人で、のちに句集『難破船』を発行する。川柳における多行書きの書き手としても知られている。
金子が最初に紹介したように、松本芳味はちょうど「俳句研究」に「現代川柳作品展望」という文章を発表したばかりで、現代川柳を内容的に分類して紹介していた。「現代川柳が、現代詩の一分野―短詩を志向したとき、抒情の回復と高唱が示されたことは、短詩の本質からみて、極めて当然の現象と云えよう。人間詩・川柳―ということの再認識。そこから川柳革新の頁は始まったと云っていい。この行き方が、俳句の領域を犯すものであるとの非難は、かれら新しい川柳を志向する作家たちにはナンセンスであった」―自ら書いた文章の冒頭の一節が、鮮やかに芳味の脳裏に浮かび上がった。
松本の発言に対して、司会の金子はこんなふうに応じた。「あながちそうは思わないんです。僕の詩論からいえば、詩に内容の規定というものはない。内容は自由だという事になる。川柳と俳句が別種に存在したという事は、そこにやはり形式の差があったからだと考える訳です」
この内容と形式の問題は、この座談会を通じて何度も繰り返されることになる。
それまで黙って他の参加者の発言を聞いていた高柳重信がおもむろに口を開いた。
「黙って聞いていると話がどんどん先へ行ってしまう。(笑)僕は俳句作家だから、進歩的な立場の短歌に対する場合、これは文字の量が俳句とは違うんだから、形式上の差は何といっても大きいし、従ってやや無責任なシンパでおられる訳だ。だが、川柳となるとそうは行かない。一般通念からいって俳句と川柳は十七音定型という点で同じだから、どうしても辛辣なシンパという立場を取らざるを得ない」
「きゃー、これがジューシンよ。かっこいいわね」
とA子が言った。
「そうね。小池正博が一つ覚えのように繰り返している《辛辣なシンパ》というキイ・ワードがここで出てくるのよ」とB子。
「短歌に対しては無責任なシンパ、川柳に対しては辛辣なシンパって、ズバリ言ってるじゃない」
「日野草城の《善意の越境》と高柳重信の《辛辣なシンパ》は俳人の川柳に対する典型的な二つの態度なのよ」
「春三のいうヤドカリ説って何なの」
「五七五という形式を貝殻にたとえて、ヤドカリという内容がたまたま手ごろな貝殻を借りて利用した、っていうことじゃない」
「伝統川柳が口語で、現代川柳・革新川柳が文語許容なのは何で?」
「わかんない。春三氏に聞いてよ」
「俳句と川柳とではいくらか形式が違うというような話だが、両方とも五七五でありながら、どうして形式が違ったか、これが一番重要な問題だ」
高柳の話は続く。
「江戸期の、同じ時代の同じ空気を呼吸していた人達が、同じ五七五の定型で一つはいわゆる正風の俳句、一つは川柳を作っていたという事についてこれは単に形式が違うという事だけで片付けられる問題だろうか」
岡井「形式が違うってどういう事、形式は同じじゃないの?」
高柳「さっき俳句と川柳は形式が違うというような発言があったから、それに対していってる訳だ」
金子「結果的に、違う形式、といったわけだ。江戸期の川柳は口語の文章語の五七五で、俳句の方は文語の五七五だった。その違いは確かにあったとみるんだな」
高柳「同じ時代の空気を吸っている人それぞれ言葉に対するナルチシズムが違うからではないかと割りきってみることも出来る」
いつの間にか傍らに一人の男が立っているのにA子・B子は気づいた。それまで何の気配もしなかったのに、どこからこの人は現れたのだろう。男は二人と同じようにじっと座談会に聞き入っている。
「失礼ですが、あなたはどなたですか」
たまりかねてB子が聞いた。
「これは申し遅れました。私は、宮田あきらと言います。川柳を書いています」
男の言葉には関西の雰囲気がある。京都あたりの人なのか。
「私もこの座談会を聞きたくて、タイムトラベルしてきたのですよ」
と言って男はにやりと笑った。
「なあんだ。それじゃ、私たちのお仲間じゃん」
ほっとしてA子はつぶやいた。
「ご挨拶は後で改めて申し上げますから、座談会の続きを聞きましょう」
と宮田は言った。その表情には一種の思いつめたところがあった。
「漠然と詩を思い詩人について考えているだけでは現実に俳句や短歌を書くことは出来ない。しかも、現代短歌と現代俳句の場合は、はっきり詩形の違いが分るが、現代俳句と現代川柳の場合は区別がつかないような事が、ままあるんだ。だから、僕たちが相互に、ここで詩人を見ようとするとくには、共に熱烈に、それぞれの川柳と俳句について語る以外に方法はないと思う」
「『俳句は死んだ』というのが僕の昔からの持論だ。滅亡するんじゃなくて、俳句はもう死んでしまっているということだ。同じ観点から言えば川柳も、もうとっくに死んでる。しかも現代川柳の動きなんかみていると死んでるのに気がつかないで勝手に騒いでるといった感じがするんだ」
重信の発言は次第に鋭さを増してきた。
「現代川柳の、文学的に高い意欲をもってるといわれている人達の川柳が、僕らの俳句に似て来てる」
この重信の言葉を聞いたとたんに、春三の顔色が変わった。春三は元来、短気な男である。現代川柳が俳句に擦り寄ってきている、俳句の真似をしている、俳句の影響を受けている、俳句を取り入れている…そのような言説を俳人たちから何度聞かされてきたことだろう。この人たちは無意識のうちに川柳を見下しているのではないか。川柳は断じて俳句の亜流ではないのだ。
「大反論をせざるを得ない。川柳が俳句に似て来たのではなくて、俳句が川柳に似て来た点を僕は俳人に逆にききたい」
険悪になった空気を和らげるように、岡井隆が言った。
「高柳君が優秀な川柳は俳句に近づくといったが、優秀な俳人は段々現代詩に近づくという事もいえる(笑)」
それまでじっと座談会を聞いていた宮田あきらが一歩前へ進んで、座談の輪に入り込もうとしたのはそのときである。
「それはあかんのや。その言い方ではだめなんや…」
驚いたA子・B子は急に関西弁になった宮田を引き止めた。
「おじさん、歴史を変えたらだめなんです。タイムトラベルの原則を知らないのですか」
「ぼくはSFは嫌いなんや。サブカルチャーも嫌いや。この座談会の発言を訂正するために、苦労してここまで来たのや。頼むから離してくれ。川柳が俳句に近づくのやない。現代の俳句は川柳に近づき、現代の川柳が現代詩に近づく…こう反論すべきなんや」
その間に座談会は進行し、話題がすでに変わっていった。
「エコールの差というのはよろしいな。結局川柳と俳句の差は、何に傾斜して作るかというだけの差になる」と金子が言って、話は定型論の方に進んでいった。
「僕は口語にはアクチュアリティーがあると思う。これが今、大切だと思う」と岡井が言った。
高柳がこれに反応した。「そのアクチュアリティーという言葉だが、僕個人としては、自分があくまでも、最も本質的な俳句作家でありたいと覚悟をしたときからさっきいった言葉のナルチシズム、それは僕の言葉に対するナルチシズムと、それから俳句形式自体が抱く言葉に対するナルチシズムと、その双方に忠実に殉じようと思ってきたので、あえて、このアクチュアリティーをしばしば放棄することとなったけれど、川柳の方は逆にこのアクチュアリティーに殉じるために、いわゆる言葉に対するナルチシズムを、あえて犠牲にしてきたとも言えるかもしれない」
「ナルチシズムとアクチュアリティーか。メモしとかなきゃね」とA子。
「この観点はおもしろいね」とB子。
「さっきエコール論というのも出てきたね」
「俳句と川柳はジャンルの違いではなく、エコールの違いだってやつね。そうでしょ、宮田さん」
「そう。よく勉強してるね」すでに落ち着きを取り戻した宮田が標準語で言った。
「私はジャンルの違いだと思うけど」とA子。
「ここで自律的ジャンル論をやりだすと、収拾がつかなくなるわよ」とB子が注意した。
所定の時間がそろそろ終わろうとするころ、松本芳味は次のような発言をした。
松本「ぼく、面白くないことがある。他のジャンルの、いかなる人と話をしても、皆川柳に対して優位の意識があるんだね。古川柳に示された一般概念に、現代川柳もハメこもうとする。ただ口語と文語とに分けてしまう考え方には疑問があるし、俳句の方では口語俳句をどう見ているの、否定しているの。「こんなのは川柳だ」というだけで、片付く問題ですか」
高柳「ジャンルの優位うんぬんの言葉は、僕がもっとも言ってもらいたくなかった、いわばなさけない泣き声だと思う。もし、その作家個人の実力からきたものではなしに、軽々しくジャンルの優位性をふりまわしていると思ったら、それに対して、松本さんは、自分自身の実力とその作家的権威によって、断乎として跳ねかえすべきだと思う。今日の僕は、同じ十七字の定型詩にかかわっている人間として、現代川柳についても責任あるフアンの立場から、僕の疑問や意見を述べたつもりだよ。そう受けとってほしいね」
金子「問題が煮詰まらないうちに時間が来てしまったようですが、まあ一度の座談で片付く問題でもなし、兎に角お互いに有益な話し合いでした」
河野「大変に有益でした。現代川柳は現在過渡期でして、いわば新しい川柳のイメージ作りの段階です。益々活発に運動を展開してゆこうと思います。その為にも俳句や短歌の方々と一つの広場で、短詩共通の問題をお互いに解決し合うという事が今後も行われるといいと思います」
「あー、終わっちゃった。もう少し聞きたかったのに」とA子が言った。
「兜太と春三は最後にまとめに入ったわね。広場なんて言葉は、春三の『短詩の広場』から来ているみたいね」とB子。
「松本芳味って、この座談会の進行に終始不満をもらしているよね」
「重信との間に対立軸ができたみたい。それは双方にとって不本意だったでしょうね」
「ああ、くやしいな。やはり歴史は変えられないものなんだな」と宮田が言った。
「君たちはいつの時代から来たの」
「2014年からよ」
「ボクは1975年からだ」
「金子兜太はこのころ川柳人と交流があったって、『金子兜太の世界』に寄せた文章で岡井さんが書いているから、興味をもったの。《あの謎のやうな川柳人たち》と岡井さんは言っているわ」
「ふうん、春三も祐も芳味も謎の川柳人なんだね」
宮田あきらはさびしそうに笑った。
「宮田さん」
「え、なに」
「ひとつ言ってもいいかしら」
「何でも」
「さっき、俳句が川柳に近づき、川柳が現代詩に近づくって言ったでしょ」
「うん、言ったよ」
「それって、逆の意味で、ジャンルのヒエラルキーを認めることにならないかしら」
「うーん、そうかな」
「わたし、それがすごく気になったの」
「ぼくらは川柳に詩を導入するのに一生懸命だったんだが、言われてみればそういう面もあるかも知れない。でも、君たちのように偏見なく川柳を見てくれる人がいて嬉しいよ」
「でも、ご心配なく。私たち俳句の世界で出世していくつもりですから」
「ははは、そうだな。じゃ、飲みにでもいきますか」
(注)本稿は「五七五定型」4号に掲載の拙文「コラージュ『座談会』」の小説ヴァージョンで、「俳句研究」昭和40年1月号に掲載された座談会《「現代川柳」を語る》を基にしています。ただし、引用は雑誌掲載の文章に完全に忠実というわけではありません。昭和40年のこの座談会は柳俳交流のひとつのピークだったと思われます。
2014年8月15日金曜日
吉村毬子句集『手毬唄』
中村苑子といえば『水妖詞館』の次の句がまず思い浮かぶ。
春の日やあの世この世と馬車を駆り 中村苑子
甲殻機動隊の劇場版アニメ「イノセント」で、主人公バトーがこの句を口ずさんだとき、私は鳥肌が立ったものだ。
さて、吉村毬子は中村苑子の弟子である。
師系というものが私はあまり好きではないのだが、吉村毬子の場合はまず「師系」という言葉を使っておきたい。吉村は筋の通った俳人だからである。
吉村は「未定」を経て、現在「LOTUS」の同人。『手毬唄』(文学の森)は第一句集となる。
全248句は「藍白」「深緋」「濡羽色」「薄紅」「天色」「鳥の子色」の六章に分けられ、それぞれの色の雰囲気が各章に流れている。まず、「藍白」(あゐじろ)の巻頭句から。
金襴緞子解くやうに河からあがる
「金襴緞子の帯締めながら花嫁御寮はなぜ泣くのだろう」という童謡がある。蕗谷虹児の作と言われている。花嫁はなぜ泣くのだろう。処女でなくなるのを悲しむのだという説もある。
この句では、金襴緞子を解くように、と言う。帯を解いて河へ入るのなら分かりやすいが、河からあがるのである。では、誰が河から上がってくるのだろうか。主体は「私」かもしれないが、もしかして水妖ではないかと思えてくる。
この句の次には「日輪へ孵す水語を恣」が置かれているから、妖艶な雰囲気もある。
金襴緞子を解くということと河から上がるということとのあいだに、ある精神の状況が読み取れるのである。
「藍白」の章には「水」のイメージをベースとする句が多い。
虚空にて沐浴の二月十五日
水底のものらに抱かれ流し雛
溢れる尾 夜光虫でも海彦でもない
そして、「藍白」の章の最後には次の句。
しづかに毬白き夏野に留まりけり
「頭の中で白い夏野になっている」(高屋窓秋)に対する挨拶だろう。
作者の偏愛する「毬」の句はさまざまなヴァリエーションをとりながら、何句もあらわれる。
次の「深緋」(こきひ)の章から。
屠所遠く踊り惚けて寒椿
踊り場へ落ちる椿も風土記かな
白椿ではなくて赤い椿だろう。「深緋」のベースにあるのは火である。色で言えば赤。
「老いながら椿となって踊りけり」(三橋鷹女)が意識されている。吉村が現代俳句のどのような系譜を引き継いでいるのかが読み取れる。
纏足の少年羊歯へ血を零す
罌粟散っていま降灰を染めあげる
曼珠沙華手折る刹那に染まる羽
「濡羽色」の章から。
毬の中で土の嗚咽を聴いてゐた
この章に通底するのは土、そして黒。
自鳴琴それは未生の帯と呼び
石の中蝶の摩擦の鳴りやまず
剥製の母が透けゆく昼の虫
螺旋三昧 羽を降らせてからは
空蝉を海の擬音で包みをり
羽をもつのは虫たちや鳥たち。
土中や地上に閉じ込められ緊縛されているからこそ飛翔への願望は切実なものとなる。
「薄紅」の章では、日本の伝統的美意識である花=桜の句が詠まれている。
櫻狩ひとりひとりの浮遊かな
朝櫻傀儡は深くたたまれし
水火土風空の五大と戯れながら、さまざまな色を織り交ぜ、四季の手触りを詠み閉じ込めてゆく。その変奏のありさまが楽しめる句集となっている。
翁かの桃の遊びをせむと言ふ 中村苑子
春の日やあの世この世と馬車を駆り 中村苑子
甲殻機動隊の劇場版アニメ「イノセント」で、主人公バトーがこの句を口ずさんだとき、私は鳥肌が立ったものだ。
さて、吉村毬子は中村苑子の弟子である。
師系というものが私はあまり好きではないのだが、吉村毬子の場合はまず「師系」という言葉を使っておきたい。吉村は筋の通った俳人だからである。
吉村は「未定」を経て、現在「LOTUS」の同人。『手毬唄』(文学の森)は第一句集となる。
全248句は「藍白」「深緋」「濡羽色」「薄紅」「天色」「鳥の子色」の六章に分けられ、それぞれの色の雰囲気が各章に流れている。まず、「藍白」(あゐじろ)の巻頭句から。
金襴緞子解くやうに河からあがる
「金襴緞子の帯締めながら花嫁御寮はなぜ泣くのだろう」という童謡がある。蕗谷虹児の作と言われている。花嫁はなぜ泣くのだろう。処女でなくなるのを悲しむのだという説もある。
この句では、金襴緞子を解くように、と言う。帯を解いて河へ入るのなら分かりやすいが、河からあがるのである。では、誰が河から上がってくるのだろうか。主体は「私」かもしれないが、もしかして水妖ではないかと思えてくる。
この句の次には「日輪へ孵す水語を恣」が置かれているから、妖艶な雰囲気もある。
金襴緞子を解くということと河から上がるということとのあいだに、ある精神の状況が読み取れるのである。
「藍白」の章には「水」のイメージをベースとする句が多い。
虚空にて沐浴の二月十五日
水底のものらに抱かれ流し雛
溢れる尾 夜光虫でも海彦でもない
そして、「藍白」の章の最後には次の句。
しづかに毬白き夏野に留まりけり
「頭の中で白い夏野になっている」(高屋窓秋)に対する挨拶だろう。
作者の偏愛する「毬」の句はさまざまなヴァリエーションをとりながら、何句もあらわれる。
次の「深緋」(こきひ)の章から。
屠所遠く踊り惚けて寒椿
踊り場へ落ちる椿も風土記かな
白椿ではなくて赤い椿だろう。「深緋」のベースにあるのは火である。色で言えば赤。
「老いながら椿となって踊りけり」(三橋鷹女)が意識されている。吉村が現代俳句のどのような系譜を引き継いでいるのかが読み取れる。
纏足の少年羊歯へ血を零す
罌粟散っていま降灰を染めあげる
曼珠沙華手折る刹那に染まる羽
「濡羽色」の章から。
毬の中で土の嗚咽を聴いてゐた
この章に通底するのは土、そして黒。
自鳴琴それは未生の帯と呼び
石の中蝶の摩擦の鳴りやまず
剥製の母が透けゆく昼の虫
螺旋三昧 羽を降らせてからは
空蝉を海の擬音で包みをり
羽をもつのは虫たちや鳥たち。
土中や地上に閉じ込められ緊縛されているからこそ飛翔への願望は切実なものとなる。
「薄紅」の章では、日本の伝統的美意識である花=桜の句が詠まれている。
櫻狩ひとりひとりの浮遊かな
朝櫻傀儡は深くたたまれし
水火土風空の五大と戯れながら、さまざまな色を織り交ぜ、四季の手触りを詠み閉じ込めてゆく。その変奏のありさまが楽しめる句集となっている。
翁かの桃の遊びをせむと言ふ 中村苑子
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