2025年8月29日金曜日

瀬戸夏子『をとめよ素晴らしき人生を得よ』

7月に十勝・帯広方面に旅行した。ジンギスカンや豚丼などのグルメに走ったが、帯広は中城ふみ子の出身地である。帯広市図書館の2階に中城ふみ子資料室があったので、のぞいてみた。こじんまりしたスペースで、パネルや展示を見ると彼女の短歌の世界がよくわかった。中城の短歌には彼女の実人生や物語のイメージがまとわりついているので(映画にもなった)、これまでやや敬遠していたが、現地の展示に接して彼女の歌の迫力にうたれた。『乳房喪失』の「冬の海」から五首引いておく。

灯台もかもめも我より遠のきて心痛まぬ夕ぐれは来る  中城ふみ子
主張なきわれは折々かなしみて沈む海と河との間
冬の皺寄せゐる海よ今少し生きて己れの無残を見むか
帰り来て手に嗅ぐ魚の生臭き酷似するもの持ちて怖るる
傷みやすくなりしこころか自らの頑きうろこを剥がしたるのち

帯広市内には中城の歌碑が緑ケ丘公園と護国神社にある。歌碑を見る時間はなかったが、「冬の皺」の歌碑が護国神社にあるそうだ。「己れの無残」が衝撃的だ。

中城は「女人短歌」の会員だったこともあるが、瀬戸夏子の『をとめよ素晴らしき人生を得よ』(柏書房)は「女人短歌」とその周辺の歌人たちを描いている。以前、web連載されやものに書下ろしを加えた一冊で、「女人短歌のレジスタンス」という副題がついている。webのときも好評で、私も愛読していた。この時評(2020年7月10日)にこんなふうに書いている。

〈瀬戸夏子が柏書房のwebマガジンに連載している「そしてあなたたちはいなくなった」からは多くの刺激を受けているが、特に「女人短歌」の創刊をめぐって、北見志保子と川上小夜子について書かれた文章は興味深かった。
「彼女たちはなんども試みた。当然のようにそれは厳しい戦いだった。彼女たちの最後の賭けが『女人短歌』だった」
こういう文章が瀬戸の魅力だが、ひるがえって川柳における女性作家、女性川柳はどうだったかと考えたときに、まず思い浮かぶのは井上信子の存在である〉

川柳についてはさておいて、本書は大西民子と北沢郁子のシスターフッドの物語から始まる。芥川龍之介の『或る阿呆の一生』「越し人」に登場する片山廣子、二・二六事件とともに語られることの多い齋藤史と続き、いよいよ「女人短歌」を立ち上げた北見志保子と川上小夜子の話になる。それぞれの章が物語風に語られていて、読みやすい。
「女人短歌」の創刊は1949年9月。「彼女たちはなんども試みた」と瀬戸が言うのは、それまで大西と北沢が「草の実」「月光」などの女性短歌誌を試みた経緯をさしている。
「しかしながら『女人短歌』は現在からその詳細を振り返ると必ずしも女性歌人たちが完全に独立して経営できていた組織とは言えない」と瀬戸は書いている。折口信夫の「女流の歌を閉塞したもの」というバックボーンがあったし、主催した「女人短歌文化土曜講座」の講師陣の多くは男性だったという。「けれど人間ができることには、常に時代や運という制約があり、人は永遠には生きられない。そのうえでわたしが考えることはそれでも『女人短歌』があってよかった、そのことに尽きる」
女性だけの短歌誌を作ることにどんな意味があるのか。本書では長沢美津の章で先鋭化したかたちで語られている。そこでは五島美代子の回想が引用されている。
「女だけの歌の雑誌など、わざわざ別にもつ必要はない……という批判が当時圧倒的であった。私自身そうした疑問をもって、女だけの集まりはレベルの低くなる怖れがありはしまいか。少なくとも私は、何といっても一歩も二歩も先んじられている男性作家の間でもまれてこそ精進したいのにと思った」(五島美代子「女人短歌」50号)
そのとき、長沢美津が次のように言ったという。「あなたは男ですか、女ですか。女なら認められない多くの女歌人のために、自分だけのことを考えないで仲間入りするのが当然ではありませんか」
五島は長沢の言葉に圧倒されて、「女人短歌」に参加することになった。
女性の表現者の置かれている状況は時代や環境によって変化する。男女の区別をことさら言い立てなくてもよい状況が理想だろうが、そこに到達するまでの道のりに先人たちの努力がある。「ほんとうは、女性だけの短歌誌など存在しないほうがいいのかもしれない。『女性』というジェンダー/セックスでのお線引きは、現在ではかなり危ういものだ」と瀬戸は書いていて、こういう認識を持ちつつ「女人短歌」の果たした役割を本書は改めて問いかけている。
ウェブ連載のときとタイトルを変えたのはなぜかなと思っていたが、最後の方に葛原妙子の次の歌が引かれていた。「そしてあなたたちはいなくなった」は一種のアイロニーだったが、今回の本書のタイトルには一歩すすめた希望的メッセージが読みとれる。

早春のレモンに深くナイフ立つるをとめよ素晴らしき人生を得よ  葛原妙子

付録として本書で取り上げられた歌人たちの作品のアンソロジーが掲載されている。

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