2021年6月11日金曜日

湊圭伍句集『そら耳のつづきを』

6月6日に日本連句協会の主催で「全国リモート連句大会」が開催された。Zoomミーティングを利用したリモート連句に79名の参加があり15座に分かれて連句を巻いた。参加者はまずメインルームに入室して説明を受けたあと、5~6名ずつブレイクアウトルームに分かれるので、実際の連句大会とそれほど変わらない。ただ、捌きと執筆(書記)には多少の負担がかかり、特に書記は共有画面に付句案を記入する仕事があるのでZoomに習熟している必要がある。付句はチャットで捌き手または書記に送る。ハードルが高いようだが、二、三回経験すると問題なく使えるようになる。高齢者にとってのデジタル格差が言われ、私も最初は嫌だったが、昨年自分の主催する「大阪連句懇話会」の開催を中止するかリモートで開催するかの選択を迫られて、嫌々リモート連句をはじめたのだが、今は普通に使えるようになっている。電波が弱くなって画面が落ちたりするトラブルはしょっちゅうあるが、もう一度入室し直せばすむことで、ホストに電話するなどの対応で乗り切れる。
トーク・イベントがリモートで行われる場合が増えてきが、その場合はZoomウェビナーが使われることが多いようだ。ウェビナーだとパネラーの顔だけが画面に映し出され、一般の参加者は映らないし、誰が参加しているかも分からない。
コロナ禍の現在、リモートで乗り切るほかはないが、コロナが終息したあと、座の形態はどんなふうになってゆくのだろうか。

さて、川合大祐の『リバー・ワールド』に続き、湊圭伍の『そら耳のつづきを』(書肆侃侃房)が発行された。480句が収録され、「イカロスの罠」「ヘルタースケルター」「仮説の象」の三章に分けて収録されている。見開き2ページに10句1セットが掲載され、それぞれにタイトルが付いている。ここでは「お早うございますエイハブ船長」10句を紹介しよう。

エレベーター上昇われらを零しつつ
   地下鉄は紙コップのコインを鳴らす
ミニマリスト・プログラムの胸毛
   靴音から遙かに閉じゆくみずうみ
うれしそうな顔をしている蛆だなあ
口笛のさきで巨大なものを釣る
   引き算のどこかで椅子が鳴くだろう
マグカップで壊せるような朝じゃない
   街路樹がいっせいに鳴く偽の坂
そら耳のつづきを散っていくガラス

前半5句が右ページ、後半5句が左ページで、三字下げは句集の通り。左右のページで対称になるようにレイアウトされているのだろう。
タイトル「お早うございますエイハブ船長」とは関係のなさそうな句が並んでいる。エイハブ船長といえばメルヴィルの『白鯨』の主人公だが、あまり気にせずに読んでゆくのがいいようだ。

エレベーター上昇われらを零しつつ

上昇するエレベーターから零れてゆくものがある。上昇と落下の対比である。上昇してゆく者の視点で書いているのか、零れ落ちる者の視点で書いているのか分からない。従来の川柳では零れ落ちる側の立場に立って、上昇志向を批判する場合が多かった。それだとルサンチマンの句になる。「われらを」とあるから一見すると零れ落ちる側の立場に立っているようでもあるが、そういうことでもなくニュートラルな表現のように感じる。

地下鉄は紙コップのコインを鳴らす

紙コップの中にコインが入っているのか。そういう実景ではなくて、コップ・コインの頭韻で言葉が選ばれている。「~は~を鳴らす」という構文は、たとえば『郵便配達は二度ベルを鳴らす』という作品名を連想させる。それはともかく、音が鳴るというテーマである。

ミニマリスト・プログラムの胸毛

アートでミニマリズムといえば物を最小限に省いて画面を構成すること。実生活でミニマリストといえば最小限のものを残して物を捨てる生活態度。『ミニマリスト・プログラム』といえばチョムスキーの生成文法の書名。いろいろ連想させつつ、胸毛に着地する。「ミニマリストの胸毛」だと物を捨てても胸毛は残るというアイロニーになるが、「プログラム」を挿入することで句の意味が多様化する・

靴音から遙かに閉じゆくみずうみ

音のテーマで、ここでは靴音。水の場面。

うれしそうな顔をしている蛆だなあ

「うれしそうな蛆」という頭韻に口語文体を重ねている。

口笛のさきで巨大なものを釣る

エイハブ船長と関係あるとすれば、この句。巨大なものとは鯨のことか、などと考えると作者の術中にはまる。音はここでは口笛。

引き算のどこかで椅子が鳴くだろう

「鳴く」というテーマで、ここでは椅子が鳴いている。足し算では鳴かないのか。「泣く」ではなくて「鳴く」だから感傷性は拒否されている。

マグカップで壊せるような朝じゃない

この句集のなかでも川柳性に満ちた句。だから作者も帯文にこの句を採用したのだろう。

街路樹がいっせいに鳴く偽の坂

再び「鳴く」というテーマ。ここでは街路樹が鳴いている。さらにひとひねりしているのは場所が「偽の坂」だということ。街路樹が鳴いているということ自体が嘘なのかも知れない。

そら耳のつづきを散っていくガラス

句集のタイトルにもなっている句。ガラスが割れる音が聞こえてくるようだが、それもそら耳のようだ。そら耳のイメージがガラスに変容するのは言葉の世界だからだろう。

以上、とりあえず10句だけ、勝手な読みをしてみた。読者は句集の他の句もお読みいただきたい。湊の句は伝統的な川柳の姿をしているので、逆に意味が分かりにくいように感じる。「申」10句の自由律、「名無しさん」の実験的な作品の方が分かりやすいかも知れない。
最後に「あとがき」について。本書109ページで墨作二郎に関連して「川柳天鐘」とあるが、正しくは「川柳点鐘」。三好達治の詩集にも『一点鐘』があり、天の鐘ではない。書肆侃侃房の句集案内のページでもすでに訂正が出ているが、念のため付言しておく。

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