「触光」70号(編集発行・野沢省悟)に第11回高田寄生木賞が発表されている。川柳ではめずらしい論文・エッセイの賞である。受賞作は竹井紫乙の「アンソロジーつれづれ」。入選賞に「PCR検査室」(森山文基)、「コロナ禍の川柳とそれにまつわるエトセトラ」(濱山哲也)、「川柳との出会いとその後」(横尾信雄)、「句会・大会から川柳の文学性を考える」(滋野さち)。いずれもエッセイで、今回は評論(作家論・作品論)の応募がなかったようだ。
「川柳北田辺」118号(編集発行・竹下勲二朗)。5月に予定されていた筒井祥文追悼「らくだ忌」が昨年に続き中止となったことが書かれている(くんじろう「放蕩言」)。コロナ禍で誌上大会に切りかえる大会が多いが、誌上大会を好んでいなかった祥文の遺志をついで、来年(令和4年)の開催を目指すことにしたという。今号掲載の句会作品から。
しりとりの「あふろへあ」につづく雨 江口ちかる
番外に西太后の爪係 くんじろう
ケースごと消えて第三中学校 中山奈々
待ち伏せしている鼻の付き方ね 榊陽子
ケアマネに蹴られてサロベツへ帰る 井上一筒
綿のかわりに少年の微笑みを 酒井かがり
コロナ禍で終会に追い込まれた句会もあり、誌上句会に切りかえるところ、ネット句会(夏雲システムなど)を行っているところ、状況を見ながらリアル句会を継続しているところなど、対応はさまざまだが、このほど芳賀博子が中心になって「ゆに」という新しい会が立ち上げられた。「川柳を中心に、ことばの魅力をウェブで楽しもうという会」だという。Zoomを使った講座や句会が開かれるというから、川柳では新しい動きとして注目される。
瀬戸夏子の『はつなつみずうみ分光器 after2000現代短歌クロニクル』(左右社)が刊行されて、今世紀に入ってからの現代短歌の軌跡が改めて提示されている。また「短歌研究」2021年5月号が300人の歌人の作品を一挙掲載して話題になった。そんなことで、書架を漁って「短歌研究」創刊800号記念臨時増刊「うたう」(2000年12月)を改めて読んでみた。「うたう」作品賞受賞作は盛田志保子の「風の庭」50首。
ああなにをそんなに怒っているんだよ透明な巣の中を見ただけ 盛田志保子
われわれは箸が転んでもと言うか箸の時点で可笑しいけどね
音楽に手を翳しおり木枯らしの夜空に病の巣のごとき雲
風上のライオンが見る夢の香を浴びてめざめる草食動物
入選作として、雪舟えま、佐藤真由美、守谷茂泰、岡田幸生の歌が掲載されているほか、現在活躍している歌人たちの名が見られる。
さて、現代短歌の同人誌のなかでも「外出」は内山晶太、染野太朗、花山周子、平岡直子という四人のメンバーがそれぞれ魅力的だ。五号から一首ずつ抜き出しておく。
白鳥へ行きつくまでのみちのりが光年のよう ヌードルにお湯 内山晶太
とろとろと夕べの川をゆく灯りどくとるマンボウの青春思う 花山周子
フルコーラスがその空間に描きあげた宮殿はしばらくは消えない 平岡直子
ふりかへるひまがあるなら絵のひとつでも描きなよ、なんどでも糸杉 染野太朗
最近は短歌を読むことが多いが、藤原龍一郎『赤尾兜子の百句』(ふらんす堂)が発行されたので、兜子の句を読んでみた。私が今まで持っていたのは『稚年記』と花神コレクションの『赤尾兜子』(司馬遼太郎と永田耕衣による「人と作品」が付いている)。藤原の本では兜子を「異貌の多面体」ととらえ、編年体をとらずにその異貌が感受できる33句を第一部とし、第二部に『稚年記』から『玄玄』までの67句を収録している。異貌というのは兜子の句が伝統派だけではなく、前衛俳句の誰にも似ていないという捉え方である。まず、兜子のたぶん最も有名な句から紹介する。
機関車の底まで月明か 馬盥 赤尾兜子
第三イメージ論の代表作である。藤原の鑑賞では次のように説明されている。「俳句の技法の二物衝撃は二つの具体物を組合せることにより、新たな事物の関係性を発生させる。一方、第三イメージは具体物ではなく、イメージ二つを配合し、三つ目のイメージを顕在化させるもの」月光の中の機関車と馬盥。二つのイメージから第三のイメージが読者の胸中に生れれば、この句は成功したことになる。
ささくれだつ消しゴムの夜で死にゆく鳥
苔くさい雨に唇泳ぐ挽肉器
「花は変」芒野つらぬく電話線
帰り花鶴折るうちに折り殺す
葛掘れば荒宅まぼろしの中にあり
ゆめ二つ全く違ふ蕗のたう
山路春眠子は「川柳スパイラル」11号の特集「この付合を語る」で「俳句の世界でも、大須賀乙字の『二句一章』、山口誓子の『二物衝撃』の配合論が生まれる。外山滋比古は、こういうイメージ交響のメカニズムを『修辞的残像』と名づけた。すべて私たちの遺産である」と書いている。イメージ交響のメカニズムと言えば、「路地裏を夜汽車と思ふ金魚かな」(攝津幸彦)も「階段が無くて海鼠の日暮かな」(橋閒石)もイメージの連鎖に関わっている。連句の「三句の渡り」論は「第三イメージ論」と共通点もあれば相違点もある。
赤尾兜子と司馬遼太郎は大阪外国語学校でいっしょだった。のちに兜子は大学で「李賀論」を書いているそうだ。前掲の花神コレクションで司馬遼太郎は兜子と越後を旅行したときのことを記している(「焦げたにおい」)。二人で晩飯を食べていると宿の掃除係の婦人二人が声をかけてきて、四人で茶碗酒を飲んだ。「兜子は、終始顔をあげ、風情もなにもない手つきで杯をあげては飲んでいた。ときどき皿の上の黒い舞茸に箸をやり、それを口に入れるのだが、その動作も、顔をあげたままだった。口の中のものが舞茸であるのか焼魚であるのか、頓着していないような噛みかただった」掃除婦たちが行ったあと、どういうはずみだったか、兜子が急に哭きだした。「なぜ哭くのか私には見当もつかなかったし、質問もしなかった。ほうっておくしか手のないような兜子ひとりっきりの情景だったし、私は兜子の顔が勢いよくゆがんで両眼からさかんに水が流れおちているのを眺めていた」
「俳句という感情現象が、兜子の中でいま起っているのだ」「ああいうものが兜子の俳句なのであろう」と司馬は思う。
私は兜子といえばこのエピソードを思い出す。デーモンが降りてきたのだろう。関西前衛俳句に活力があった時代の話である。
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