4月×日
ダニエル・デフォーの『ペスト』を読む。
1665年、ロンドン、ペスト流行。死者約7万人だったという。
デフォーは統計的な数字を克明に記述している。
記録文学だと思っていたら、ペスト流行時、デフォーは5歳だった。ルポではなくて小説なのだった。
ある意味でカミュの『ペスト』より凄いかもしれない。
5月×日
「川柳木馬」164号が届く。
「作家群像」は内田真理子。
てのひらでなじませてからなしくずし 内田真理子
物申す物申す そこな捩り花
梟に耳はなかった紀元前
一句目は川柳性の強い句。二句目はこの作者お得意の花との取り合わせ。三句目は紀元前にまで遡る時間感覚。作家論はきゅういちと八上桐子が執筆している。
同人作品では大野美恵の次の作品に注目した。
ストローの首折り曲げて吸う秘密 大野美恵
羊羹に矯正危惧のある歯形
「蝶」234号も届いた。たむらちせい追悼(3)。
戸の狂ひ叩いて開ける山桜 たむらちせい
焼き畑の春の日取りをことづかる
申すまでもなくわが出自烏瓜
さてと立ち上がり水母と別れたる
5月×日
森山文切川柳句集『せつえい』を読む。
森山とは二度会ったことがある。
一度目は2017年12月、「川柳スパイラル」東京句会(北とぴあ)。初対面だったが、句会の感想を同誌2号に書いてもらった。
二度目は2019年1月、「川柳スパイラル」大阪句会(スピンオフ)。このときは昼の句会がすんだあと、森山はWEB句会のメンバーと夜にもうひとつ句会をするというので別れた。翌日はさらに別の句会に彼は参加したようだ。
文学フリマで「川柳スパイラル」と「毎週web句会」の隣接配置で出店しようという話もあったが、森山が超多忙のため実現しなかった。
WEB上の森山の活躍はよく知られていて、芳賀博子が「船団」122号の「今日の川柳」で「古代ギリシャ柳人パチョピスコス」を書いている。パチョピスコスは森山のこと。芳賀の文章はこの時評(2019年9月13日)でも紹介したことがある。
森山は「僕は川柳の営業をやります」と言っていたが、このたび句集を上梓し作者としての全貌を現わした。『せつえい』(2020年3月29日発行、発行所・毎週web句会)。
【webでの発表句から】
花がない方が自然である花瓶
目を覆うための両手に成り下がる
喋ってはいるが会話はしていない
唇に星をかじった跡がある
【web以外(柳誌、新聞、ラジオなど)から】
混浴に少年がいた十二月
線よりも左は僕が動かせる
迷うなぁどっちのタマネギも軽い
かたたたきけんのうらがわナショナリティ
5月×日
藤原龍一郎歌集『202X』との関連でオーウェルの『1984年』を読むことに。
オーウェルはけっこう読んだつもりだったが、ほとんど忘れてしまっていた。
「自由とは人の嫌がることを言う権利である」というようなことを彼は書いていたような気がする(うろ覚えです)。
『1984年』には「自由とは二足す二が四になると言える自由だ」という言葉が出てくる。
ディストピア小説としてオルダス・ハックスリーの『すばらしい新世界』も読んでみたい。
5月5日
コロナ禍がなかったら「川柳スパイラル」創刊3周年記念大会を開催していたはずだが、今は自重するしかない。
川柳も連句も社交文芸の一面があるので、句会・大会のかたちで集まれないのは辛いものがある。オンライン句会なども試みられているようだが、ZoomとかSkypeとか使ったことのないものにはハードルが高い。
連句では6月の宮城県連句大会(仙台)や7月の連句フェスタ宗祇水(郡上八幡)も中止になった。10月の浪速の芭蕉祭は開催できるだろうか。
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