新型コロナウイルスの流行が止まらない。
最初のうちは他人事と思っていたが、イベントの自粛が始まって、川柳も無縁ではなくなってきた。「川柳スパイラル」でも5月5日に創刊3周年記念大会を東京・北とぴあで開催予定だったが、終息の気配がみえないので、やむなく中止の決断をした。30人程度の規模であっても、パネラー・選者・参加者など人を巻き込んでのイベントになるから、強い意志と確信がもてなければ開催できない。それぞれのイベントの責任者にとっては悩ましいところだと思う。
リスクのない句会として今後ツイッターとか動画を使うことも考えられるかもしれない。また、誌上句会は直接集まることがないから、こういうときには有効だ。ここでは「カモミール句会設立五周年記念誌上句会」を紹介しておこう。
兼題【自由吟】 2句提出(男女各3名、合計6名による『自由吟』の共選)
選者
柳本 々々 (東京都在住・無所属)
細川 静 (青森県在住・「カモミール句会」会員)
楢崎 進弘 (大阪府在住・「連衆」会員)
高鶴 礼子 (埼玉県在住・「ノエマ・ノエシス」主宰)
なかはら れいこ (岐阜県在住・「川柳ねじまき」発行人)
三村 三千代 (青森県在住・古典文学研究者)
締め切り… 2020年4月10日(金)(当日消印有効)
参加費… 一口 1000円(切手不可・小為替等で)/発表誌呈
詳細は「川柳日記 一の糸」https://kanae0807.hatenablog.com/entry/2019/12/01/234204
ウイルスが流行するたびに引き合いに出される文学作品に、アルベール・カミュの『ペスト』がある。アルジェリアのオラン市にペストが流行したという設定で、誠実に現実に対処する人々の姿が描かれている。現在の状況下で読み直すと、いっそう予言的な作品だと実感する。「不条理」という言葉を久しぶりに思い出した。
「彼らは取り引きを行うことを続け、旅行の準備をしたり、意見をいだいたりしていた。ペストという、未来も、移動も、議論も封じてしまうものなど、どうして考えられたであろうか。彼らはみずから自由であると信じていたし、しかも、天災というものがあるかぎり、何びとも自由ではありえないのである」
「不幸のなかには抽象と非現実の一面がある。しかし、その抽象がこっちを殺しにかかってきたら、抽象だって相手にしなければならぬのだ」
「みずからペストの日々を生きた人々の思い出のなかでは、そのすさまじい日々は、炎々と燃え盛る残忍な猛火のようなものとしてではなく、むしろその通り過ぎる道のすべてのものを踏みつぶしてゆく、果てしない足踏みのようなものとして描かれるのである」
都市全体の隔離という状況のなかで、妻や恋人と会えなくなって、町からの脱出をくわだてる者もあれば、自由意志でペストと腰をすえて対峙する者もいる。ヒロイズムではないのだ。
不条理な世界のシナリオを書いてきた別役実が亡くなったが、ある種の川柳も不条理な世界を詠んでいる。私が思い浮かべるのは次のような句だ。
わけあってバナナの皮を持ち歩く 楢崎進弘
弁当を砂漠へ取りに行ったまま 筒井祥文
なぜそんなことが起こるのかという合理的説明ができない。
「太陽がまぶしかったからだ」というのはカミュの『異邦人』だが、かつて関悦史が川柳の不条理について書いていたことを思い出した。
びっしりと毛が生えている壷の中 石部明
関悦史は「『難解』な川柳が読みたい」(「バックストローク」33号)でこの句について、次のように述べている。
「これら字義通りに読めば現代美術のインスタレーション作品かSF風味の不条理コントのように奇妙さが楽しめ、結果として現実と異なる因果律を持つ別世界を類推させてくれる句も、中に『毛が生えている壷』とは何を風刺しているかと対象を特定しようとすると途端に不毛な読みを誘発することになる」
川柳は不条理な出来事を詠むものだと一般化する気はないし、またそんなことをすれば読みが限定されてしまうのだけれど、なぜ自分がこんな目にあわなければいけないのか、という解決できない謎に私たちはいくらでも直面する。昨今の世界や現実がいよいよ怪しいものになってきた。
不条理な火事を訪ねて蟹が来る 小池正博
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