2019年4月12日金曜日

木曜何某『いつか資源ゴミになる』

木曜何某(もくよう・なにがし)という人がいて、短歌や自由律俳句を作っているらしい。先日、ある集まりでこの人に会ったので、手元にあった句集『いつか資源ゴミになる』(2016年9月)を開いてみた。短詩型の作品は作者とは切り離されたテクストとして読むべきだと思っているが、作者の風貌に接することで作品に対する興味が湧くのも事実である。

ツリーの星を奪い合う予定だった
難しさを選んでね、の重圧
隠した血で汚してしまう
差し伸べられた手が汚い
お見舞いのフルーツに苦手なのがある
カゴは開けた何故逃げない
遺言が悪口
ショックを隠し切れてしまう
譲り合ったから四天王になった

おもしろい句を書く人だ。人と人との関係性に皮肉な眼が働いていて、川柳の批評性とも通じるところがある。
クリスマスツリーのてっぺんには星が飾られていて欲しいと思うときがあるが、手に入れることができるのは一人だけだ。「奪い合う予定」というところに屈折があり、実際は争奪に参加しなかったのかもしれないし、誰もが奪えずに星を見つめているだけなのかもしれない。助けてあげようと差し伸べられた手が汚れていて、そんな援助ならかえって要らないし、手の汚れが否応なく見えてしまうのだろう。誰もが譲り合っているうちに、そんな気がなかった自分が四天王に祭り上げられてしまっている。「四天王」が効果的だ。
表現されている状況がいろいろ想像できるので、一句を具体的な文脈に置いて読むという楽しみがある。

これ着ろよ、虹の上は寒いぞ
一人の時はドジじゃない
霊だけがカメラ目線
ビンゴだが黙っていよう
桜が怖くて酔ったふりをする
目を間違って全部似てない
電車の窓に映る自分が気まずい
空気の読みすぎで目が悪くなる

そういう気持ちになることが自分にもある、と思わせる句が多い。ビンゴだが、こだわりがあって賞品をもらいに行かない。行ってやるものかという気持ちになるが、実際には貰いに行ってしまうのが人間だ。「電車の窓に映る自分が気まずい」なんて、よく言い当てたものだ。

川柳にも自由律がある。
時実新子は自由律作品を一句も書かなかったという人があるが、そんなことはない。
神戸から出ていた「視野」に新子は自由律作品を寄せている。
「視野」は「ふぁうすと」自由律派の観田鶴太郎などが出していたもので、最初は謄写版印刷だったようだが、末期には葉書に印刷した作品を送るやりかたになった。今だと、西原天気がときどき作る葉書俳句のようなものだ。

どれもさびしさうな羅漢の顔のあちら向きこちら向き 観田鶴太郎
吹消してしばし気にのこる焔のすがた        鈴木小寒郎
ダブルベッドとさうして鍵は鍵穴にある       石河棄郎

「川柳スパイラル」5号にもちょっとだけ触れたが、かつて短詩と川柳と自由律が混在した時代があった。川柳の場合だけかもしれないが、意味を中心とする自由律には散文化の傾向があり、意味性・散文性と定型・自由律の関係、一行詩と俳句・川柳のからみあった関係性については、いつかゆっくり考えてみたいと思っている。

木曜何某の句に戻ろう。

風で飛んでいかないようにするやつも売っている
毒が無いならその色はなんだ
おもしろくなくてホッとする
半透明の電話ボックス3つ分飛び越すイルカ
先生のジョークも聞かずあの子ばっかり見て
オレンジの反対側は夜景
このアングルは入っちゃいけない所に入っている
世を渡るためのやさしさで全然かまわない

長律と短律の両方があるが、ここでは比較的長い句の方を多く選んでみた。
『いつか資源ゴミになる』の収録句のなかでは、比較的新しい作品のようだ。
「おもしろくなくてホッとする」という心理は、言われてみればそうだという説得力がある。この人はけっこう人間観察家なのだろう。
木曜何某は唯一参加している歌会でも遠慮ない批評を述べているらしい。

自信作じゃない方が選ばれた   木曜何某

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