2017年8月19日土曜日

意識の底の生卵―内田万貴の川柳

夏休みでゆっくりしているうちに時評を更新できないまま時間が過ぎてしまった。
俳句では若手俳人のアンソロジー『天の川銀河発電所』(佐藤文香編)が発行前から話題になっており、連動したイベントも予定されているようだが、川柳では特段の動きもトピックスもない。今回は作品本位で内田万貴の川柳の鑑賞を書いてみることにしたい。

意識の底にひんやりと生卵   内田万貴

「触光」53号から。
食べ物を素材とした川柳はよく見かける。生活実感を詠んだり、意外なものと結びつけたり、いろいろなやり方がある。ここでは意識の底の卵である。
卵には象徴的な意味をこめることもできる。シュールリアリズムの画家・ダリがしばしば卵をモチーフにしたことはよく知られている。
意識と無意識の境界あたりに「生卵」が存在している。その存在が確かな手ざわりをもつのは、「ひんやりと」という感覚を通して捉えられているからだろう。
内田万貴は必ずしも無意識の世界から言葉を取り出してくるタイプの川柳人ではないが、現実生活の表層だけを見ている人でもない。

意訳すると秋のポストはポエムです

「川柳木馬」153号、「作家群像」のコーナー、内田万貴篇から。作家論をくんじろうと山下正雄が書いている。以下に紹介するのはすべて「川柳木馬」から。
「ポスト」「ポエム」と頭韻を踏んでいるのだな、とまず思う。言葉と言葉の結びつきは意味だけではなく、音でも結びついている。
現実に見えているのはポストだが、そこにポエムを感じ取っている。それを「意訳」ととらえているのは機知のはたらきだろう。

山椒魚と同じ吐息だと思う
血管のひとつは仁淀川水系

一句目について、山下正雄は井伏鱒二の「山椒魚」を連想しながら読んでいる。「山椒魚」では「嘆息」だったのが、ここでは「吐息」になっているのだ。
二句目、体内の血管と外部の水系が重ね合わされている。高知出身の作家・宮尾登美子に『仁淀川』という自伝的小説がある。内田万貴も読んでいるはずだが、この句も故郷とルーツを意識した作品である。

乙女らは海のラ音を聞いている

ラ音は調弦のために最初に出す音かと思っていたが、くんじろうの解説によるといろいろな意味があるようだ。
第61回玉野市民川柳大会で特選をとった句で、内田万貴の作品のなかではよく知られているし、作者にとっても愛着のある句だろう。

なにしろ不随意筋ですからとココロ

ココロというものは思うようにならないものだ、ということを「不随意筋」と呼んだ機知の句。「心」ではなく「ココロ」と表現して、筋肉の一種のような感じを出している。

さらっと渡されたねちっとしたもの

内田万貴は「ねちっとしたもの」というような抽象的な言葉をときどき使う。いろいろな局面に当てはまるから、読者は自分の思い浮かべるシチュエーションを当てはめて読むことができる。たとえば「恋」とか「悪意」とか。代入方式である。

鍵穴を抜けた言葉だ侮るな

断言の句である。
鍵穴を抜けてきた言葉にはパワーとエネルギーがあるはずだ。
山下正雄は「鍵穴を抜けた言葉」を作家論のタイトルにしている。

声帯ざわざわ蜜蝋になるところ

蜜蝋は化粧品や食品などにも使われるようだが、私は中世の蝋燭のイメージを思い浮かべたりする。「蜜蝋」という言葉をよく見つけてきたものだと思うし、「ざわざわ」という感覚表現も成功している。

想い馳せると右頬にインカ文字
よしこちゃんの夢の終わりには「つづく」

内田万貴は「川柳木馬」の作家というイメージが強かったが、「木馬」に参加して八年、活動領域を広げようとしているようだ。「作者のことば」に「同じ土壌から違う形や色が実るほどの飛躍を目指して作句を続けたい」と書いている。これからも内田万貴の句を楽しみにしている。

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