2014年12月19日金曜日

時事川柳の現在

今年も残りわずかになった。毎年、この時期には今年の十句を選んでコメントを付けているが、今回は少し趣向を変えて時事川柳に限定して選んでみた。五句しか選べなかったが、とにかく書いてみよう。

憲法をあんたの趣味で変えるなよ    草地豊子

「川柳カード」7号掲載。
衆院選は自民党の圧勝に終わった。首相は快哉を叫んでいることだろう。
歴史の曲がり角をひとつ曲がったのかもしれない。
この後にやって来るのは憲法改悪である。
「シナリオ」という言い方がある。政治は人間の行動が関わっているから、今後どうなってゆくという予想は立てにくい。けれども、いろいろな条件を当てはめていくと、いくつかのシナリオが考えられる。私には最悪のシナリオが思い浮かんで消えない。
将来になってから、過去を振り返ったときに、あのときの選択は間違っていたということにならないように願う。
掲出句は選挙以前に詠まれた句だが、現時点で更に重い意味をもってくる。

原発を捨てる燃えないゴミの日に    佐藤みさ子

「MANO」19号掲載。
昨年7月のこのブログに「佐藤みさ子は怒っている」という文章を書いたことがある。みさ子の怒りはなお続いている。
「夏草と闘う死者になってから」「海水に混ぜて毎日流します」「せんそうはひとはしらからはじめます」など、今のみさ子は現実と向き合う川柳を書いている。
佐藤みさ子のファンにとっては時事川柳という「消える川柳」ではなくて、もっと文芸的な川柳を書いてほしいという向きもあるだろう。けれども、そうではないのだ。
表層的な時事川柳は消えてゆくが、時代の本質をついた時事川柳は時を越えて残るはずである。深い批評性をもった作品であれば、読み継がれていくことができる。私は中野重治が好きだった。プロレタリア文学のいくつかの小説は今でも読む価値がある。
批評性と文学性の統一という困難な路を佐藤みさ子は歩んでいるのだ。

聖戦続くグラグラ揺れて来る奥歯    滋野さち

「触光」39号掲載。
イスラム国やイスラム過激派のニュースが日々報道されている。
海の向こうの話のようだが、日本も無関係ではいられない。
アメリカのテレビドラマなどを見るとしばしばテロリストが登場し、リアルである。彼らにとっては実感なのだろう。
「聖戦」という非日常と、「グラグラ揺れて来る奥歯」の日常はどこかでつながっている。日常もグラグラ揺れてくるのだ。

冬夕焼け富士の噴火を見て死のう    渡辺隆夫

『六福神』所収。
御嶽山の噴火以前の作品だが、もし富士山が噴火するとすれば、地震や津波・噴火など、すべての自然災害の象徴的意味をもつだろう。
老年を迎えた人間にとって「死」は意識せざるをえないものだが、死ぬ前に富士山の大噴火でも見ておきたいというのは、『平家物語』の平知盛のように、「見るべきほどのことは見つ」と言い放ちたい心情に通じるだろう。
「津波引き日本全国へびいちご」(渡辺隆夫)

権力をもつ風景をゆるせるか      前田芙巳代

「川柳カード」7号掲載。
権力というものは間違いなく存在するのだが、ふだんは巧妙に隠蔽されていて、私たちは権力者に支配されているという実感はあまり持たない。けれども、近ごろは権力者が言論を抑圧し、情報操作によって大衆をコントロールしている姿が露骨に目にうつるようになってきた。また、以前なら許されなかったような政治的発言がそれほど批判されることもなく、まかり通っている。「権力者のいる風景」はすでに日常となっているのだ。
かつて前田芙巳代は「情念川柳」の書き手と言われた。その彼女が時代の現実と向かい合った川柳を書いている。
必ずしも時事川柳を本領としない川柳人であっても、現代という時代に批評性をもって対峙しようとしている。そこには「やむにやまれぬ気持ち」があるのだと思えてならない。

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