2014年8月8日金曜日

「川柳の使命」について

「触光」38号(編集発行・野沢省悟)に広瀬ちえみが「高田寄生木賞―川柳の使命―」という文章を書いている。

ふる里は戦争放棄した日本    大久保眞澄

この句は「第4回高田寄生木賞」の大賞作品であり、受賞後あちらこちらで取り上げられている。広瀬の一文はこの句をめぐっての感想である。
誤解のないように最初に断っておくが、広瀬はこの作品自体について疑義を述べているのではなくて、この作品を評価した選者の評価の仕方について若干の違和感を述べている。
この句を大賞に選んだのは渡辺隆夫と野沢省悟であるが、話の順序として二人の選評をまず紹介しておく(「触光」37号)。

「お国(生まれ育った土地)はどこですか、という質問に、『戦争放棄した日本』です、という答えが返ってきたらうれしいですね。安倍総理は、たぶん、ギョッとして目を剥くでしょうね。この句には、川柳の使命のようなものがギュッと濃縮されています」(渡辺隆夫)

「昭和二十(1945)年、日本は終(負)戦を迎えた。あれから半世紀以上が過ぎ、今年は六十九年目となる。僕は戦後生まれ(昭和二八年)であるが、戦争の悲惨さは身近な人間の話や書物や映画等で知っているつもりである。戦後、今ほど戦争放棄したはずの日本が危い状況になったことはないのではないか。そういう意味でこの作品は時事句といえよう。だが忘れ去られる時事句ではなくて、今後ますます重量を持って行く作品になると僕は思う。正直に言うと『スローガン』ではないか、との思いもあり迷ったことは確かである。しかしこの作品の『ふる里』という言葉という意味は、作者の肉体から発せられた言葉と僕は感じた」(野沢省悟)

広瀬がこだわったのは、渡辺の「川柳の使命」という言葉である。
広瀬は「自分は少しも傷まない位置から発信するスローガンのような時事吟は巷にあふれており、私は正直苦手だ」と書いたうえで、こんなふうに述べている。

「さて、川柳には隆夫さんが述べる『使命のようなもの』があるのだろうか。川柳の特質のひとつである『批判』や『諷刺』にあたることをさしているのだろうが、私は『使命』という強いことばでいわれるとどこかひいてしまう。アブナイもののようで近づきたくないと思うのだ」

そもそも渡辺隆夫は、第三者的な立場から時事句を書くのを得意とする。「自分は少しも傷まない位置」から書いていると言ってもよい。なぜなら、自分の内面をくぐらせてしまうと、諷刺の矢がつい鈍ってしまうからだ。その隆夫がここでは「川柳の使命」という言葉を使っているのを私はとても興味深いことに思う。「人間というものは気をつけていないとすぐ真面目になってしまう」と常々言っている隆夫が、ここでは真面目になっているのだ。

広瀬の文章は別の視点から受賞作を評価するものになっている。
「読みによって作品の世界が再構築され、ひとり歩きを始める力を得るのだ」「詠むひとと読むひとはすこしずれており、そしてそれがまた作品を面白くしたり、読みに『使命』を与えたりさえするのだ」というのが広瀬の感想である。
私はこの問題提起をおもしろく思った。

「水脈」37号(編集・浪越靖政)。
同人作品のページの下段に作者の短文が付く。
洒井麗水が飯尾麻佐子の「魚」のことを書いている。
「魚」は1978年に創刊、1996年63号で終刊。女性だけの川柳誌として先駆的な役割を果たした。「魚」のことは「バックストローク」24号で一戸涼子に書いてもらったことがある。
酒井は飯尾の次の文章を引用している。
「もっと女性は自分を正しく知るべきであり、スマートな人とのふれ合いが出来て、その上自分が川柳で『何』を訴えたいのか、その原点を創造の基本にしっかりと持つこと。女性でありながら男性の占有物である評論にのり出してゆく意欲的姿勢を持ち、次第に論理を駆使して批評分野に開眼してゆくこと。更にその存在に光明を抱き後継する女性が日を追って増加すること。女性がより豊かな人間性によって、川柳界の明日を創ることを考えたい」
女性川柳人の活躍が目覚ましい現在、飯尾が目指したことは男性・女性を問わず継承すべき課題である。
「水脈」から二句ご紹介。

竜骨を組み込む貌と対峙する   落合魯忠

竜骨は船の背骨に相当する部分。
年齢を重ねた人間の風貌にもそれぞれの竜骨があるのだろう。

火曜日は相も変わらぬ大鏡    一戸涼子

この「大鏡」を単なる大きな鏡と読むか、古典の『大鏡』と読むか。
なぜ火曜なのか。月曜は休日明けで仕事がはじまる日だし、金曜は週末であり、それぞれのニュアンスがある。火曜は微妙な曜日である。

「第65回玉野市民川柳大会」の大会報が届いた。
特選の中から二句紹介しておく。

展開を見たくて妹の枕     吉松澄子

「展開」という題詠で、「妹の枕」を持ってきている。
「妹」の句はいろいろあるが、「枕」というとほのかにエロティシズムが感じられる。
川端康成なら姉と妹の心理劇を抒情的なはかなさで描いただろう。

天井の人で溢れる誕生日    榊陽子

「誕生日」の句もいろいろあるが、こういう誕生日は見たことがない。
天井裏に人が溢れているというのは、誕生を寿いでいると言えるが、そのような人々が見えない裏側の世界に存在するというのは何やら不気味でもある。

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