2013年4月12日金曜日

あなたにとって川柳性とは何か

俳誌「翔臨」(編集発行人・竹中宏)では66号から74号まで「わたしにとって『有季定型』とは」の連載特集が組まれてきたが、今回の76号は中岡毅雄の〈「わたしにとって『有季定型』とは」総括〉を掲載している。このテーマ、ひとまずは締めくくりということだろう。
中岡はこれまでの論者のうち、岩城久治「祖父の反故」における有季定型とは「わたくしをして担うにたる大きくて重い存在としての不条理」という捉え方と、加藤かな文「『私から最も遠い私』から遠く」を近い考え方とする。これに対し、有季に積極的な意味を見出そうとしている論者として横澤放川と中田剛を挙げている。また、中村雅樹「世界は言葉とともに立ち現われる」、榎本好宏「積み重ねの到達点」を「有季」の世界に対する融和・親和を示すもの、瀧澤和治「心の姿勢」を俳句のレトリック面として「有季定型」に注目したもの、岸本尚毅「有季定型に関する実験」を「有季定型」を最もテクニカルな側面から捉えたもの、というように整理している。
以上は中岡の整理をさらに短絡的に要約したものなので、詳しくはもとの文章を参照されたい。中岡自身は「私が不思議に思ったのは『有季定型』を所与のものとして、肯定的に受容する主張が皆無だったことである」と述べ、「有季定型」は俳句の前提であり、「有季」「定型」という二つの枷がある文芸を俳句と呼ぶ、それでかまわない、という立場である。

竹中宏は編集後記(「地水火風」)で次のように書いている。
「俳人のあいだで、俳句についての根本的な問いをかわしあうことが、あまり見かけられなくなったようだ。あたりまえに過ごしていることも、かんがえなおしてみると、簡単に結論の出ないもので、あるいは、安易に一致点の見いだせないもので、そんな泥沼へ踏みこむことは、スマートといえないのだろう。しかし、問うてよいこと、問うべきことは依然として存在する。そこで本誌は『あなたにとって有季定型とは』という問いを発してみた」「つまり、『有季定型』の教科書的定義から出発するのでは問題はかたづかず、個々の内的決断としての選択のありようにこそ核心があるというのが、発問のふくみであった。同じ問いを、読者にも呈したい」
竹中らしいものの言い方である。
一般論に逃げるのではなくて、「あなた自身はどうなのだ」という問いを竹中は突きつけてくる。俳句については対岸のことですませられるが、では川柳で同じように問うことはできるだろうか。
俳句では「有季定型」という核があるが、川柳にはそのようなものはない。もし問うとすれば、「あなたにとって川柳性とは何か」という問いになる。これが川柳人にとっては悩ましいのである。

「面」(発行人・高橋龍)115号は創刊50周年記念号である。
創刊号は1963年4月1日発行。
今回の内扉には西東三鬼の「俳愚伝」の一節が掲載されている。
「昭和九年の十月のある朝、私は勤先の外神田の病院に行くために、秋葉原の高架駅をあるいていた。歩廊の窓からは北は上野、本郷がみえ、南は日本橋、京橋の家々がみえた。いつも見慣れた俯瞰風景であるが、私は明けても暮れても、新しい俳句とそれを作る人々の事ばかり考えていたので、屋根屋根をつらねたその朝の大都市を眺めた時、同じ東京の屋根の下に住みながら、そして同じ革新的志向を俳句に持ちながら、お互いに名前と作品を知りながら、一度も顔を合わせたことがない俳人達を思い浮かべた」

老年や月下の森に面の舞     西東三鬼

川柳誌に目を転じて見よう。
「水脈」33号、巻頭に浪越靖政の「川柳の可能性」を掲載。
第17回杉野土佐一賞の榊陽子作品、第2回高田寄生木賞の山川舞句作品を取り上げたあと、浪越は次のように書いている。
「川柳は250年以上の歴史を持つ伝統文芸である。ということで、川柳を枠の中に閉じ込めてしまおうという考えの指導者も多い。しかし、伝統というものは日々進化していくものである。これは他の文芸や芸能をみても明らかなことである。川柳の良さと強みは季題や切れなどという制約がないことであり、この無限の可能性を否定しては進歩も発展も考えられない」
これに付け加えて浪越自身は「川柳の面白さ」を追求してゆきたいと述べている。「川柳の面白さ」にもいろいろな種類が考えられるだろうが、言葉の面白さであれ内容の面白さであれ、川柳にはまだまだ表現領域を拡大する余地があるだろう。

ふたりしてかゆいところがわからない    一戸涼子
深海をめぐるおまけがつくという      酒井麗水
とりあえずダミーを送る検査室       浪越靖政

「ふらすこてん」26号。この川柳誌も5年目に入り、試行を続けている。
同人稿として蟹口和枝が「アスリート的読みの練習」、富山やよいが「夢で逢えたら笑いましょう」を書いている。富山の文章は飯田良祐の川柳を取り上げたもの。
筒井祥文は「番傘この一句」という連載を続けており、本号では2012年11月号・12月号について選評している。

領海に十三億の胃袋が        西久保隆三
無視されて左まわりをしてみせる   大西将文

「杜人」237号。東日本大震災から二年が経過し、仙台から発行されている本誌には震災を意識した作品が散見される。

他人様の更地を踏んで海を見に      山川舞句
人はようやく育ちはじめる死んでから   佐藤みさ子

また、草地豊子の「三月の船よ」という自筆の詩が掲載されているのも目をひく。震災の津波で岩手県大槌町の民宿の屋上に、釜石市の遊覧船「はまゆり」が乗り上げた様子を「迷子の船よ」と表現したものである。

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