2012年7月13日金曜日

めでたさも中くらいなり100回目

川柳の時評というものは果たして可能だろうか。
文芸時評・短歌時評・俳句時評は確立されているのに、「川柳時評」が見当たらないのはもの足りないことである。
そう思って「週刊川柳時評」を立ち上げたのが、2010年8月。今回で100回目になる。特に記念というほどでもないが、これまでの記事を振り返って次へ進むことにしたい。

当初の私の計画では「週刊川柳」あるいは「週刊バックストローク」というかたちのウェッブ・マガジンを目指しており、周囲の川柳人に相談してみたが、「そんな無謀なことはやめておけ」と止める人は誰もいなかった。毎号、川柳作品・評論・エッセイなどを掲載するつもりだったのだから、今から考えれば恐ろしい。誰も止めないので、逆にこれは危ないと思い、スキルもスタッフもない状態では無理だという判断をしたのは賢明だったというべきか。企画を縮小して「時評」に特化することになった。
2010年6月ごろのファイルに「週刊バックストローク」のプランが残っている。実現しなかったプランを公開しても意味のないことだが、話のタネとしてご容赦いただきたい。
「週刊バックストローク」創刊号の誌面は五つの部分から構成される。

①作品A 現代川柳(新作) 5句
②作品B 近代・現代川柳 中村冨二 10句
③原稿C 評論またはエッセイ
④時評D 「川柳時評」
⑤連載E

当時、青磁社の「短歌時評」がおもしろく、二人の執筆者が交替で時評を掲載していた。そのイメージで、執筆者が4人なら一人当たり月一回で負担も少ないと思ったりした。時評の内容は次のように考えていた。

①句会・大会レポート
②柳誌評
③句集評・川柳書の書評
④現代川柳の諸問題
⑤月評(今月の展望)

プランをあれこれ立てるのは楽しいものである。しかし、実現するとなると、10考えたことのうち3くらいできればよいほうである。そういう意味では私はイデア論者なのだ。イデアの世界は美しいが、現実化するとぐちゃぐちゃになってしまうのが常である。その中でどのようにしてクオリティを保つことができるか。「週刊川柳時評」はそういう夢の欠片である。

そもそも「川柳時評」の場合、俳句・短歌のように総合誌が何種類もあるわけではないし、川柳句集が次々に刊行されることもない。題材やトピックスに困るだろうと思っていたが、実際に始めてみると予想以上のことであった。川柳以外の話題も取り上げているのは苦し紛れでもあるが、短詩型文学全体の中で川柳の現在位置をとらえたいというつもりもある。川柳自体の話題を正面から取り上げることができる週は書いていても嬉しい。
毎日50~60のアクセスがあり、月1800程度。100回で30000を少し超えたところである。
アクセス数の多かった記事を紹介する(グーグルではアクセスではなく、ページビューと言っているようだ)。

「難解」問題は権力闘争だったのか(2011/2/4)         773
『番傘百年史』を読む(2010/10/15)                342
『超新撰21』を読む(2010/12/17)                  210
橘高薫風の抒情(2011/4/15)                  165
『麻生路郎読本』(2010/11/12)                  165
くんじろうの川柳(2010/11/5)                    134
川柳・今年の10大ニュース (2010/12/10)           129
句集評ということ―『魚命魚辞』と『アルバトロス』(2011/4/2)  119
春なのにお別れですか(2012/3/30)                  116
大友逸星と「川柳杜人」の歩み(2011/5/20)            109

10大ニュースは2011年にも行なったが、なぜか2010年の分にアクセス数が多い。
タイトルの付け方にもよるのだろう。「春なのにお別れですか」は訃報が続いたのでこういうタイトルにしたが、中島みゆきの歌で検索する人があったのかも知れない。
アクセス数トップの「『難解』問題は権力闘争だったのか」は「俳句の難解と川柳の難解」(2010/8/27)から派生して、関悦史人気にあやかったものである。
あと、自分でも印象に残っているのは次の回である。

川柳における「宛名」の問題(2010/11/19)
柴田午朗の「痩せた虹」(2011/1/7)
白石維想楼小論(2011/6/17)

振り返ってみると、この間、「川柳時評」で取り上げてきた内容は次のように分類できる。

①川柳の本質をめぐる問題(難解問題・言葉派・問答体など)
②川柳史・川柳史観をめぐる問題
③川柳作家論
④大会レポート・川柳の「場」をめぐる問題
⑤その他隣接諸ジャンル・芸術をめぐる問題(連句・雑俳・岡本太郎・映画・落語など)

とはいえ、これらは私の中ではすべて川柳の問題だったことになる。
現前する問題をこれまでの川柳史の流れのなかで適切に掴みとってくることができるだろうか。この時評にもそろそろマンネリズムが忍び寄っている気配である。

二年間の時間の流れも中途半端なものではなく、川柳をめぐる状況も変化してきている。「バックストローク」はすでになく、私自身のこれからの川柳活動は11月に立ち上げる新誌「川柳カード」を中心に展開するつもりである。
今回は100回目ということで楽屋裏の話に終始してしまった。次回から本来の時評に立ち戻りたい。

故郷へ廻る六部は気のよわり   『柳多留』初篇

0 件のコメント:

コメントを投稿