2011年12月2日金曜日

現代詩セミナーin神戸2011

現代詩については詳しくないが、毎年11月に神戸女子大学で開催される「現代詩セミナー」は詩人たちの姿に接することのできる貴重な機会である。2007年の「中原中也生誕百年記念セミナー」が第1回目で、第2回は「現代詩の現在を語ろう、読もう、聞こう」(初めて岩成達也さんの詩学に接して衝撃を受ける)、第3回は「詩の危機を生きる」(吉田文憲氏の講演を聴いた)、昨年の第4回は「詩のことばと定型のことば」というテーマで吉増剛造・野村喜和夫・夏石番矢・荻原裕幸などの顔ぶれがそろった。私が参加するのは第2回と第3回に続き3度目だが、今年は「今、詩に何ができるか」というテーマで、「2011年、東日本大震災と、原発事故により放射能汚染がこの国を見舞うなかであらためて現代詩の主題を問いかける」とある。神戸は16年前に阪神大震災を経験しているので、この神戸でこのテーマで討議する場をもつことに意義があるという主催者の考えである。

まず講演(基調報告)「生命を語る言葉―3・11以後」で佐々木幹郎は、3月以来さまざまなことを考えたこと、昨日考えたことが今日は通用しなくなること、詩を書く人間としてではなく一人の人間として問い詰められていることを述べ、被災地を訪れた体験をふまえて以下のように報告した。

「無くなるものを
追いかけるということ
それは
未来からの記憶を
とどめようとすること」

それを佐々木は「未来からの記憶」だという。
また、「私というパーソナルな感情を/いっさい表に出さずに/表現する方法があるとして―/3・11はそれを許さなくした」「どこに『私』を隠す場所があるか?」ともいう。
3・11のあと佐々木は本能的に詩を書いた。発表する気持もなく、ただ本能的に書く。「それは詩が生まれるとき誰もが常に経験していることではないのか?」

佐々木はインターネットに投稿された津波の映像を会場のスクリーンに改めて投影した。7分余りのその映像は現地の人がその場で撮影したものだが、佐々木はそこから聞こえる声に耳を傾けようと言う。そこには
「夢みたい」
「何なんだ、これは。何なんだ、これは」
などの生なましい声が録音されていた。

「人は恐怖とゆっくり親しんでいく」

佐々木は鷲田清一の『「聴く」ことの力』を援用しながら、「東北の声を聴く」ということを語った。鷲田の本には次のように書かれている。
「聴くことが、ことばを受けとめることが、他者の自己理解の場をひらくということであろう。じっと聴くこと、そのことの力を感じる。かつて古代ギリシャの哲学者が《産婆術》と呼んだような力を、あるいは別の人物なら《介添え》とでも呼ぶであろう力を、である」「わたしがここで考えてみたいこと、それがこの〈聴く〉という行為であり、そしてその力である。語る、諭すという、他者にはたらきかける行為ではなく、論じる、主張するという、他者を前にしての自己表出の行為でもなく、〈聴く〉という、他者のことばを受けとる行為のもつ意味である」

レヴィナスを引用しながら、佐々木は、他者の声を聴くことは他者と関係をもつこと、高所において見下すような視点は成立しえない、という。
そのような東北の声のひとつとして彼は毎日新聞7月9日朝刊に掲載された「93歳の女性の遺書」を挙げる。自殺を選んだこの女性は「私はお墓にひなんします」と書いている。また、被災地のポスターのひとつ「被災地じゃねえ正念場だ」が紹介された。「被災地」ではなくて「正念場」なのだ。
言葉による声以外の場合もある。
写真家・畠山直哉は陸前高田市の出身で、震災後、本能的にカメラを積んで故郷へ向かったという。
発表するつもりもなく撮影した写真には、あの「奇跡の一本松」がロングショットで映っていた。
「表現者の表現が3・11以後に変わるのではなく、それ以前の作品がよりくっきりと鮮明に見えてくるのだ」と佐々木はいう。

佐々木の講演を受けて、シンポジウムに移る。パネリストは岩成達也・高階杞一・高塚謙太郎・細見和之。そこに佐々木幹郎も加わり、司会は倉橋健一。

岩成達也は「大災害によって詩的言語は一夜にして変貌するか」という仮のテーマを立てる。大災害とは「黙示録的事態の発生」であり、ハイデガーのいう「アレーティア」である。「アレーティア」とは非隠蔽性ということで、それまでおおわれていたものが見えてくることである。大災害によって今まで隠されていたものが一挙に現れてくるのだ。
それでは、蔽われていたものを一挙に言語化することは可能なのか。阪神大震災の場合でも、詩的言語化は遅れた、と岩成は言う。
a 「地面が割れ建物が崩壊する」と書くこと
b 「地面が割れ建物が崩壊した」処で書くこと
この二つは違うと岩成は考える。阪神大震災のあと、aの作品はたくさん書かれたが、bの作品はほとんど書かれなかった。「私」がアレーティアにさらに震撼しない限り、詩的言語が変貌することはない。以上が岩成の発言の要約。

高階杞一は「現代詩は他者の声を聴くことを怠ってきた」という。
何かの出来事で言葉があふれでる体験はある、として高階は彼の個人的な体験を述べ、しかし、それを自分は発表しようとは思わないと言う。ここから彼は和合亮一のツイッター『時の礫』に対する疑問を投げかける。和合は発表を前提として書いているというのだ。

細見和之は震災後の状況について「悪い意味の倫理的雰囲気」があるのではないか、と指摘する。彼は「戦後文学」という言い方で、文学と災いは切っても切れない関係にあると述べる。第一次世界大戦、第二次世界大戦に限らず、「戦後文学」は生れてきたのであって、「普仏戦後文学」「日露戦後文学」などが挙げられる。
「自分は震災を語る資格があるのか」などの倫理的なスタンスではなくて、何が起こったのかという「好奇心」がきっかけとして重要なのだと細見は言う。それが「震災便乗型文学」になっては困るけれども、出発点は好奇心であっていいし、そこからさらに深まってゆけばいいというのが細見の立場だったようだ。

「現代詩手帖」5月号に高塚謙太郎は「文化化」という用語を使って次のように書いている。
「9・11以降に詩はどうあるか、といった大上段の言説があったとしたならば、3・11以降の詩はこうあるべきだ、といった言葉が出てくることに激しい不快感を先回りして示しておく」「今回のような事態に対してある種の文化化がもたらされることに完全に背を向けたいと思う。これほどの不埒さはなかろうと思うからだ」「未曾有の事態を文化と化すことに詩を荷担させないこと。むしろそれに抗うこと」
「文化化」とは分かりにくい言葉だが、高塚は別のところで、アドルノをひきあいに出しながら次のように書いている。「アドルノはアウシュビッツの悲劇を『文化』の賜物と捉え、同じ『文化』的営為である詩作を野蛮である、と指摘した」「『文化』が場の詐取とその特権的振る舞いとするならば、『3・11以後』というフィクションを作り出し、特権的に振る舞うことは、たとえ当人の無自覚に伴うケースであろうが、これは明らかに『文化』的営為であり、それは野蛮であるということになる。これを事態の『文化』化とも言いかえられる」

さて、川柳の場合はどうであろうか。
震災に向き合うということ、東北の声に耳を傾けるということ、他者の苦しみを「よそごと」としてではなく受け止めること、事態を詩的言語のレベルで表現すること、そのような次元での川柳作品はまだ生まれていない。
「高所から見下すような視点はもう成立しない」と佐々木幹郎は述べたが、誤解を恐れずに言えば「高所から見下す視点」こそ川柳の視点だと言える。レヴィナス的な他者の受苦を引き受けてしまうと、もう言葉を紡ぐことができないのだ。スローガンや励ましの言葉でいいななら、どんなに気が楽なことだろう。

書くという態度もあれば、書かないという態度もある。書くけれども発表しないという姿勢もある。どれがいいとか悪いとかは言えない。

斎藤美奈子は朝日新聞の「文芸時評」(2011年11月30日)で文芸誌にも「3・11」を取り込んだ作品が増えてきたことに触れている。「書くか書かぬか」、書くという「寒い選択」を寒くなく感じさせるには、たとえば「異形の者」の力を借りる、と斎藤は言う。津島祐子「ヒグマの静かな海」におけるヒグマ、鈴木善徳「髪魚」における人魚。「ヒグマも人魚も思いは一緒。どれも寓話なんかじゃない。非常時を描くには人間じゃ足りない場合もある。『寒い選択』を恐れちゃダメなのさ」と斎藤美奈子は言う。

今のところ、書かないという選択をしている私だが、震災をめぐるさまざまな言説はたとえ耳をふさごうとしても入ってこざるをえないのだ。

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