2011年9月23日金曜日

川柳が文芸になるとき

9月17日(土)、「バックストロークin名古屋」がウインクあいち(愛知県産業労働センター)にて開催され、約100名の川柳人が全国から名古屋に集結した。北海道から九州までの各地からの参加者をはじめ地元・名古屋の川柳人、及び川柳に関心のある歌人・俳人・連句人も含めて熱気のある大会となった。バックストロークの大会は、第一部のシンポジウムと第二部の句会をドッキングさせ、これまで二年に一度のペースで各地を巡回してきた。京都・東京・仙台・大阪、そして今回の名古屋に至る。発行人・石部明のいう「行動する川柳」である。

第一部のシンポジウムは、「川柳が文芸になるとき」というテーマで、パネラーが荻原裕幸・樋口由紀子・畑美樹・湊圭史、司会・小池正博で行われた。シンポジウムの記録は「バックストローク」36号に掲載されるが、ここでは当日の議論を私なりの観点から素描してみることにしたい。

「川柳が文芸になるとき」とは逆説的なタイトルである。川柳が文芸の一種であることは当然であるが、これまであまり社会的に認知されてこなかった。新聞で取り上げられる場合も文芸欄ではなくて、社会面に掲載されることが多い。したがって、「川柳が文芸になるとき」というテーマは、いままで文芸ではなかった川柳が突然文芸になったという意味ではなく、短詩型文学の諸ジャンルのなかで川柳が存在感を増してきている情況を考えてみよう、ということになる。これを「川柳が文学になるとき」とするとニュアンスがかわってくる。寺山修司は「川柳は便所の落書き」と言ったし、川柳には純粋文学のワクにはまりきれない要素がある。また、「川柳が詩になるとき」とすると、「川柳は非詩」という考え方(いわゆる川柳非詩論)が一方にあるので、侃侃諤諤の議論をしなければならない。今回のテーマは、ざっくりと「川柳の今を考える」というほどの意味にとらえられるが、「川柳の今を考える」といっても、川柳とは何か(川柳性)についての本質論と、川柳が作られる場とか環境などの状況論があり、両者は切り離せない。現代川柳がパネラーの眼にどのように映っているのかというところから話がはじまった。

荻原は2001年の「川柳ジャンクション」で「川柳の自己規定」を問題にした。川柳人は自己規定が下手だというのである。10年たってもこの発言を川柳人はよく覚えているから、荻原は少し話しにくそうだったが、川柳を外部から見る目を痛切に意識させるという点で、荻原の発言は川柳人にとってとても大きな意味があったのだ。

川柳人の営為が外部に向かってよく伝わっていないのには、それなりの理由がある、と荻原はいう。川柳のことをよく知らない人に対して、川柳は定型詩だから形の説明をする。その際に俳句との違いを外部に対して分かりやすい形で伝えることが必要となる。
また、「バックストローク」などでは「方法を意識して書かれる作品」と「方法を意識せずに書かれる作品」(たとえば「思い」をそのまま吐露するなど)が区別されているようだが、五七五の定型を基本としている限り、日常言語とは異なる思考方法がそこに働くはずで、両者を区別できるのか、もう一度遡って考えてみてはどうか、と荻原は言う。
荻原は「朝日新聞」中部版(2010年3月26日・夕刊)で川柳について「文芸らしくない文芸」と語っているので、この点についても司会者から質問があった。

樋口は今年4月に『川柳×薔薇』を出版し、「ウラハイ」(ウェブマガジン「週刊俳句」の裏ヴァージョン)に「金曜日の川柳」を連載するなど、川柳を外部に対して発信し続けている。彼女は「川柳のウチとソト」という観点から、ジャンルの内側でのみ評価される作品と他ジャンルからも評価される作品の違いについて語った。
樋口のレジュメには飯島晴子「言葉が現れるとき」が引用されている。これが樋口の言いたかったことをよく伝えている。
(A)
眼前にある実物をよくよく目で見て、これは赤いとか、丸いとか、ああリンゴであるとか、とにかくなるべく実物に添って心をはたらかしてしらべる。そして、知ったこと、感じたことを他人に伝えるために、自分の内部ではなく、公の集会場の備えてある言葉の一覧表、とでもいうような種類の言葉の中から言葉を選んで使う、というやり方である。対象となる事物が、観念や情感に代っても事情は同じである。私にとってこれ以外の言葉のとらえ方があろうとは思ってもみなかった。
(B)
それが俳句をつくる作業のなかで、言葉を扱っていていつからともなく、言葉というもののはたらきの不思議に気がついた。言葉の偶然の組合せから、言葉の伝える意味以外の思いがけないものが顕ちのぼったり、顕ちのぼりかけたりすることを体験した。そこに顕ってくれるのは、私から少しずれた私であり、私の予定出来ない、私の未見の世界であった。言葉は自分たちの意志で働いているうちに或る瞬間、カチッと一つのかたちをつくる。このカチッという感触が得られたとき、言葉たちのかたちの向うに、言葉を伝える意味とは決定的に違う一つの時空が見えているはずである。このようにして私の俳句のつくり方は変わった。

図式的に言えば、前者(A)によってウチ向きの作品が出来上がり、後者(B)によってソトに対しても開かれた作品が書かれるということになる。「ソトの目の厳しさ」を樋口はよく知っているのだろう。
「金曜日の川柳」で取り上げる作品について、「伝統」の作品によいものがあり、取り上げることが多いというのも印象的だった。伝統の作品を含むことによって川柳はより豊かなものになる。

畑美樹は「川柳展望」「川柳大学」「バックストローク」そして「Leaf」と川柳誌に参加してきているが、「川柳をやっている」という意識が薄かったように思う、と自ら言う。彼女が川柳に深く関わるようになった時期は、川柳が他ジャンルからそのアイデンティティを問われた時代であり、それだけ川柳という文芸が「動いていた」「動いている」時代であった。
では、なぜ畑は川柳をおもしろいと感じたのか。
俳句や短歌にはすでに確立されたアイデンティティがあり、中心にあるそのジャンルのアイデンティティを強く意識したところから始まっている。それに対して川柳は「中心を意識しない自由度」がある。だから、はみだしすぎると、戻ってこられなくなる。そこに、自由なゆえの不自由さがあり、「作る」おもしろさがある、という。
以上が畑のとらえた川柳の姿である。戻るべきジャンルの中心ではなくて、中心のない自由さ、ダイナミックに動いていること自体におもしろさを見出している。「ジャンルの中心を意識しないことが果たして文芸の条件として成り立つのか」とは畑自身の疑問であるが、「バックストローク」の編集後記にも畑はよく「川柳は動いている」と書いている。また、畑は彼女の持論である「字から入る川柳」ではなく「耳から入る川柳」の可能性についても語った。

川柳の世界に入って時間がたつにつれて、最初に感じた違和感が次第に薄れ、川柳界の習慣を当然のこととしてなじんでしまうようになりがちである。その点、まだ川柳歴の長くない湊のフレッシュな目に現代川柳がどううつっているのか興味があった。

湊は川柳について原理的に考えるのが好きで、川柳理論を組み立てては崩しているそうだ。
「川柳が文芸ジャンルとして認められるには、一人ひとりがよい句を書くというだけでは足りない」と湊は言う。インフラの整備が必要で、第一にアンソロジー、第二に評論が求められるという。句の発表形態としての句会・雑誌のあり方を再考することも求められるが、実践を除いて論を立ててもさほど意味はないとした。
川柳に興味をもった人がいても、明治以後の主な川柳作品を集めた手頃なアンソロジーがないので、それ以上先に進めない。湊は自ら運営するサイト「s/c」「バックストローク」100句選を掲載し、鑑賞を付けている。その後、「川柳作家全集」(新葉館)でも同じようなことを試みている。

湊の指摘したジャンルとして自立するためのインフラ整備という問題。
川柳は他ジャンルと比べてこれらのシステム整備が遅れているとかねがね感じていたので、荻原の「俳句・短歌にあるものはすべて川柳にもある」という発言には驚いた。ただ、絶対量が少ないので、アンソロジーなども川柳人がどんどん作っていけばよいという。
荻原の「川柳は外部に向かって伝わっていない」という認識と湊の「一人ひとりがよい句を書くというだけでは足りない」という発言とは対応している。荻原のは外部からの目であり、湊のは川柳の世界に入ってみての実感である。ただ、実践的には両者の考えには違いがある。荻原は『現代川柳の群像』『現代川柳鑑賞辞典』『現代女流川柳鑑賞辞典』などの大きなタイトルでは読者が引いてしまうので、もっと個人的に偏ったものでよいから各自がアンソロジーを編むべきだという。湊は逆に川柳史を視野に入れ、明治以降の近現代川柳全体をカバーするような川柳全集をイメージしているらしい。

川柳が文芸として認知されるためのインフラやシステムの整備と、時代に応じた新鮮な川柳作品が書かれることとは並行しなければならない。インフラが整備されても、川柳にとって大切なものが失われてしまうならば、何にもならないからだ。川柳界にもプロデューサーとクリエーターが必要なのだが、川柳のマーケットがそれほど大きくない現状では、川柳人が両者を兼ね備えてやっていくしかないのである。

シンポジウムというものは出来たことよりも出来なかったこと、語られた部分よりも語られなかった部分が多いものである。パネラーにとっても用意してきた言説のごく一部分しか発言する機会がなかったことだろう。荻原のいう「文芸らしくない文芸」、樋口の「川柳のウチとソト」、畑の「中心を意識しない自由度」、湊の「インフラの整備」(あるいは湊のレジュメにあった「文芸を解体してゆく文芸」)、これらの諸点をさらに問い詰めてゆけば、「川柳性」の内実がより明確に浮かび上がってゆくかも知れない。アンソロジーなどの実践的な問題も含めてそれは今後の課題であり、個々の川柳人によって深められてゆくべきものであろう。2001年の「川柳ジャンクション」での議論に比べて2011年の今回の議論に深化があっただろうか。荻原は「また10年後に呼んでください」と言ったが、10年後の川柳状況はいったいどうなっているだろう。楽しみでもあり、怖くもある。

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