昨年出版された歌集のなかで土井礼一郎の『義弟全史』(短歌研究社)のことが気になっている。「かばん」12月号の特集でこの歌集が取り上げられていて、郡司和斗、川野芽生、斎藤見咲子による書評のほか、作者自薦25首が掲載されている。興味深いのは「いきもの図鑑」で、「さまざまないきものが登場することもこの歌集の魅力」という観点から、蟻・蜉蝣・蟹・蟷螂・蜘蛛などの歌に焦点を当てている。特に印象的なのは次の蟻の歌だ。
気がつけば蟻のおしりのようにして髪を結う人ばかりが歩く
おもしろい歌である。盛り上げて結う髪型を蟻のおしりにたとえている。けれども、ここにはおもしろがってばかりもいられない何かが感じられる。
吉行淳之介の短編に「鳥獣虫魚」という作品があって、街をゆく人々が虫や魚に見えるという。比喩として受け取ることもできるが、本当にそう見えるとしたらグロテスクだ。土井の短歌にはちょっと日常とは異なる感覚がある。
なんとはかない体だろうか蜘蛛の手に抱かれればみな水とつびやく
貝殻を拾えばそれですむものを考え中と答えてしまう
またひとり歩いて帰るという君が必要とするいくつかのさなぎ
山本の宇宙佐々木の宇宙などあり各々の月に蟹棲む
人間が口から花を吐くさまを見たいと言ってこんなとこまで
土井は「かばん」の会員だが、「かばん」新人特集号・第7号(2018年12月)に「結婚飛行」30首を掲載している。再構成されてこの歌集にも収録されているが、二首だけ引用する。
葉の裏に産みつけられたまま二度と動かぬような生きかたがある
君のこと嫌いといえば君は問う ままごと、日本、みかんは好きか
高柳蕗子は前掲の「またひとり歩いて帰るという君が必要とするいくつかのさなぎ」について、「土井式宇宙観における『虫』は、プログラムどおりに生き死にする存在としての逞しさを見込まれてか、特別な役どころを担う」と述べている。
さて、歌集名の『義弟全史』についてだが、帯には「義弟とはだれなのだろうか」という平井弘の栞の言葉が使われている。「家族」を素材とする短歌では、たとえば寺山修司の「弟」が有名だ。
間引かれしゆゑに一生欠席する学校地獄のおとうとの椅子 寺山修司
新しき仏壇買ひに行きしまま行くえ不明のおとうとと鳥
寺山の場合は存在しない家族、虚構の家族だが、こういう家族の詠み方は川柳にも見られる。
ねばねばしているおとうとの楽器 樋口由紀子
姉さんはいま蘭鋳を揚げてます 石田柊馬
いもうとは水になるため化粧する 石部明
体内の葦は父より継ぎし青 清水かおり
『義弟全史』の義弟は誰のことかわからないが、「弟」ではなくて「義弟」というところに独自性があり、「義弟」以外の歌におもしろい作品が多いところにも歌集としての仕掛けが感じられる。
雨の日に義弟全史を書き始めわからぬ箇所を@で埋める 土井礼一郎
2024年1月26日金曜日
2024年1月5日金曜日
龍の俳句など
今年は辰年である。まず柴田宵曲の『俳諧博物誌』(岩波文庫)から龍の俳句を紹介しておこう。
芋糊や龍を封じてけふの月 由々
龍神のくさめいく度おそ桜 友水
龍宮もけふは江戸なり塩干潟 政信
海老上臈龍の都や屠蘇の酌 如蛙
五月雨や小龍の合羽浮海月 山夕
龍の駒卦引の道をむかへけり 似巻
談林の句である。陸上に祀られた龍神もあるが、多くは龍宮を詠んでいる。龍を封じるのは雨を降らせないためで、名月なのに雨が降っては困る。最後の句は将棋の龍(飛車)。談林の句はいろいろ趣向をこらしたものになっている。次は芭蕉以後の龍の句。
龍宮の鐘のうなりや花ぐもり 許六
龍宮に三日居たれば老の春 支考
空は墨に画龍のぞきぬ郭公 嵐雪
釜に立つ龍をつらつら雲の峯 野坡
京の町で龍がのぼるや時鳥 鬼貫
龍を詠んだ川柳も探してみたが、適当な句が見つからない。
歳旦三つ物を作ってみた。
みをつくし諸人集ふ今年かな
屠蘇を含めばよき日よきこと
バーチャルとリアルのはざま麗らかに
2024年は大阪を会場とした連句大会がいくつか開催される。3月17日には日本連句協会の総会・連句大会が上本町・たかつガーデンで開催。前日の16日午後から誓願寺(西鶴墓)・高津宮・生玉神社などの俳諧史蹟をまわる予定。日本連句協会の会員が対象だが(16日の方は誰でも参加できる)、5月には同じ上本町で誰でも参加できる連句イベント(「関西連句を楽しむ会」仮称)が計画されている。関西連句の活性化をはかりたい。
元日に地震が起こり、正月気分が吹っ飛んだ。昨年、和倉温泉に行って能登島の水族館も見て来たので、そのときの風景が重なる。また、昨年は国民文化祭の連句の祭典が加賀市で開催されたことも思い浮かべる。
おろおろとして、『方丈記』をとりだしてきて読んでいる。人間にとっての危機的災厄は戦争・飢饉・疫病だが、天変地異も恐ろしい。『方丈記』には安元の大火・治承の旋風・養和の飢饉・元暦の大地震が描かれている。これらは自然災害だが、平家による福原遷都は人為的なものだ。京は荒廃するが、福原はまだ完成しない。「古京はすでに荒れて、新都はいまだ成らず」とは確か堀田善衛の『方丈記私記』にも引用されているフレーズだ。
昨年読んだ本のなかにトゥキュディデスの『戦史』がある。アテネとスパルタが覇権を争そったペロポネソス戦争の記録だが、民主制のアテネと寡頭政治のスパルタが戦って民主制が敗れたというような単純な話ではなかった。アテネは国内では民主制だが、他のポリスに対しては抑圧的なところがあり、アテネ帝国主義という面があるようだ。第五巻のメロス遠征のところに典型的に表れている。メロスは中立を守りたいと主張したが、アテネはそれを許さず、相手を滅ぼしてしまう。その際の両者の外交演説合戦がすごい。
この戦争には現代にも通じるところがあって、開戦後アテネで疫病が流行した話は有名だ。疫病によって明日がどうなるか分からない人々のモラルが崩壊してゆくありさまをトゥキュディデスは描いている。
ペリクレスの死後リーダーとなったクレオンは、喜劇作家・アリストパネスが痛烈に風刺した人物だ。アリストパネスは平和主義者である。『蛙』はアイスキュロスとエウリピデスのどちらが優れているかについて決着をつけようと、ディオニュソスと奴隷が黄泉の国を訪れる話だが、この二人のやり取りはまるで吉本の漫才を見ているようで笑える。
年頭に読む本は大切だから、今年は芭蕉の「野ざらし紀行(甲子吟行)」を読むことにした。「野ざらしを心に風のしむ身かな」で有名なアレである。富士川の捨子のエピソードも衝撃的だ。
猿を聞く人捨子に秋の風いかに 芭蕉
漢詩では猿声(ニホンザルではなくてテナガザル)は詩心をそそるモチーフだが、漢詩人はこの国の捨子の泣くのをどのように聞くのだろう、というのである。芭蕉自身も食い物を与えるだけで立ち去っている。この話が事実かフィクションかという議論もあるが、風雅と現実のはざまで揺れ動く挿話なのだろう。
こんな句もある。
道のべの木槿は馬にくはれけり 芭蕉
『芭蕉紀行文集』(岩波文庫)では「馬上吟」だが、『芭蕉文集』(日本古典文学大系)では「眼前」となっている。「眼前」とは「嘱目」という意味だろうが、見たものがそのまま句になるという書き方である。私は言葉を構成して川柳を書いているので、違う書き方だと思う。
最後に堀田季何の句集『人類の午後』(邑書林)から次の句を紹介しておく。
戰争と戰争の閒の朧かな 堀田季何
息白く國籍を訊く手には銃
今年も現実と言葉のせめぎあいは続いてゆく。
芋糊や龍を封じてけふの月 由々
龍神のくさめいく度おそ桜 友水
龍宮もけふは江戸なり塩干潟 政信
海老上臈龍の都や屠蘇の酌 如蛙
五月雨や小龍の合羽浮海月 山夕
龍の駒卦引の道をむかへけり 似巻
談林の句である。陸上に祀られた龍神もあるが、多くは龍宮を詠んでいる。龍を封じるのは雨を降らせないためで、名月なのに雨が降っては困る。最後の句は将棋の龍(飛車)。談林の句はいろいろ趣向をこらしたものになっている。次は芭蕉以後の龍の句。
龍宮の鐘のうなりや花ぐもり 許六
龍宮に三日居たれば老の春 支考
空は墨に画龍のぞきぬ郭公 嵐雪
釜に立つ龍をつらつら雲の峯 野坡
京の町で龍がのぼるや時鳥 鬼貫
龍を詠んだ川柳も探してみたが、適当な句が見つからない。
歳旦三つ物を作ってみた。
みをつくし諸人集ふ今年かな
屠蘇を含めばよき日よきこと
バーチャルとリアルのはざま麗らかに
2024年は大阪を会場とした連句大会がいくつか開催される。3月17日には日本連句協会の総会・連句大会が上本町・たかつガーデンで開催。前日の16日午後から誓願寺(西鶴墓)・高津宮・生玉神社などの俳諧史蹟をまわる予定。日本連句協会の会員が対象だが(16日の方は誰でも参加できる)、5月には同じ上本町で誰でも参加できる連句イベント(「関西連句を楽しむ会」仮称)が計画されている。関西連句の活性化をはかりたい。
元日に地震が起こり、正月気分が吹っ飛んだ。昨年、和倉温泉に行って能登島の水族館も見て来たので、そのときの風景が重なる。また、昨年は国民文化祭の連句の祭典が加賀市で開催されたことも思い浮かべる。
おろおろとして、『方丈記』をとりだしてきて読んでいる。人間にとっての危機的災厄は戦争・飢饉・疫病だが、天変地異も恐ろしい。『方丈記』には安元の大火・治承の旋風・養和の飢饉・元暦の大地震が描かれている。これらは自然災害だが、平家による福原遷都は人為的なものだ。京は荒廃するが、福原はまだ完成しない。「古京はすでに荒れて、新都はいまだ成らず」とは確か堀田善衛の『方丈記私記』にも引用されているフレーズだ。
昨年読んだ本のなかにトゥキュディデスの『戦史』がある。アテネとスパルタが覇権を争そったペロポネソス戦争の記録だが、民主制のアテネと寡頭政治のスパルタが戦って民主制が敗れたというような単純な話ではなかった。アテネは国内では民主制だが、他のポリスに対しては抑圧的なところがあり、アテネ帝国主義という面があるようだ。第五巻のメロス遠征のところに典型的に表れている。メロスは中立を守りたいと主張したが、アテネはそれを許さず、相手を滅ぼしてしまう。その際の両者の外交演説合戦がすごい。
この戦争には現代にも通じるところがあって、開戦後アテネで疫病が流行した話は有名だ。疫病によって明日がどうなるか分からない人々のモラルが崩壊してゆくありさまをトゥキュディデスは描いている。
ペリクレスの死後リーダーとなったクレオンは、喜劇作家・アリストパネスが痛烈に風刺した人物だ。アリストパネスは平和主義者である。『蛙』はアイスキュロスとエウリピデスのどちらが優れているかについて決着をつけようと、ディオニュソスと奴隷が黄泉の国を訪れる話だが、この二人のやり取りはまるで吉本の漫才を見ているようで笑える。
年頭に読む本は大切だから、今年は芭蕉の「野ざらし紀行(甲子吟行)」を読むことにした。「野ざらしを心に風のしむ身かな」で有名なアレである。富士川の捨子のエピソードも衝撃的だ。
猿を聞く人捨子に秋の風いかに 芭蕉
漢詩では猿声(ニホンザルではなくてテナガザル)は詩心をそそるモチーフだが、漢詩人はこの国の捨子の泣くのをどのように聞くのだろう、というのである。芭蕉自身も食い物を与えるだけで立ち去っている。この話が事実かフィクションかという議論もあるが、風雅と現実のはざまで揺れ動く挿話なのだろう。
こんな句もある。
道のべの木槿は馬にくはれけり 芭蕉
『芭蕉紀行文集』(岩波文庫)では「馬上吟」だが、『芭蕉文集』(日本古典文学大系)では「眼前」となっている。「眼前」とは「嘱目」という意味だろうが、見たものがそのまま句になるという書き方である。私は言葉を構成して川柳を書いているので、違う書き方だと思う。
最後に堀田季何の句集『人類の午後』(邑書林)から次の句を紹介しておく。
戰争と戰争の閒の朧かな 堀田季何
息白く國籍を訊く手には銃
今年も現実と言葉のせめぎあいは続いてゆく。
2023年12月22日金曜日
2023年回顧(連句篇)
昨年『現代連句集Ⅳ』(日本連句協会)の編集にたずさわって、現代連句の歴史を改めて振り返ってみる機会をえた。連句に対する関心は潜在的に広がっている。小津夜景は『現代連句集Ⅳ』にエッセイを寄稿していて、連句実作の経験をふまえてこんなふうに書いている。
「連句を始めて以降、俳句を作ったりエッセイを書いたりしていると、そのたびに『ううむ、連句に教わった所作や技術ってこんなにも応用が効くんだ!』としみじみ思うし、わけても発想の飛ばし方を学び、また実践するといった訓練によって得たものは本当に多い」(「連句の愉しみ」)
また古楽器演奏者の須藤岳史と小津の往復書簡『なしのたわむれ』(素粒社)の「おわりに」では「この往復書簡は『対話』ではなく、連句の付けと転じによる『響き合い』の作法に則ったほうがよさそうだ」と気づいたことに触れられている。対話というものは凡庸な芝居に走りやすく、正反合のスペクタクルになりがちだけれど、そもそも対話というものはすれ違いが美しいもの、嚙み合わない瞬間にこそきらきらしたせつなさがこぼれると彼女は言っている。これって連句の呼吸そのものではないだろうか。
『現代連句集Ⅳ』には堀田季何も寄稿している。堀田は「楽園俳句会」を主宰していて、連句の心得がある。小澤實の「澤」の系統の俳人には連句に関心のある方が多い。「楽園」の連句会には、日比谷虚俊などの若手連句人もいる。
ほしおさなえは『連句年鑑』令和五年版にエッセイ「言葉の園で出会ったもの」を寄稿している。彼女は『言葉の森のお菓子番』(大和書房)の作者で、小説には連句の場面が描かれている。連句との関わりについて、カルチャーセンターの連句講座(講師は村野夏生)を受講したことを述べたあと、エッセイではこんなふうに書かれている。
「その後カルチャーセンターの講座は閉じてしまったのですが、村野先生の連句会に参加するようになり、連句の世界に夢中になりました。会のメンバーはわたしよりずっと年上の方ばかりだったのですが、皆さん信じられないくらい教養があるのです。それも皆さんそれぞれさまざまな職業で活躍されている方なので、大学人のような浮世離れした教養ではなく、清濁合わせた生きた教養と言いますか、パワフルで癖の強い方が多くて、気圧されることばかりだったのですが、その席で耳にした話はいまもずっと心の中に残っています」
1977年、わだとしお(村野夏生)は、月刊俳諧誌「杏花村」創刊。今年「杏花村」バックナンバーのコピーを入手したが、山地春眠子『現代連句入門』(1978年杏花村叢書。1987年再版・沖積舎)に収録されている連句作品は主として「杏花村」第一巻・第二巻に掲載されたものである。1985年、「杏花村」は100号で終刊。東京義仲寺連句会は「風信子の会」(村野夏生・別所真紀子)、「馬山人の会」(高藤馬山人・川野蓼艸)、「水分会」(真鍋天魚)などに。「風信子」はのちに村野夏生の「あゝの会」と別所真紀子の「解纜」に分かれる。ほしおさなえが参加した連句会は「あゝの会」である。
「杏花村」1978年5月号は〈高橋玄一郎追悼〉号。同号には東明雅の追悼文も掲載されている。《「―先生、黒色火薬はどうしましたね。爆発しますかね?」、これは高橋玄一郎さんが、時折私をからかった言葉である。黒色火薬とは新しい俳諧〈連句〉とその理論のことであった。私どもはこれを作りあげ、行きづまっている現代文学を一挙に粉砕しようと考えて来たのである》
1981年、連句懇話会(現在の日本連句協会)が結成される。懇話会ができたことについて、『連句新聞』増刊号vol.1のインタビューで山地春眠子は次のように語っている。
「なんとなくじゃない?誰がなにをしたということではない。もちろん、明雅さん、牛耳さんが連句のグループ、信大連句会とか義仲寺連句会とかを作ってくれたからなんだけれど、それはそれぞれ、日本のことを考えて作ったわけではないので、たまたまそういう流れがあった。誰が旗振って、やろうとしたわけでもないように思う。気がついてみたら、あっちでもこっちでも仲間ができていた」
とてもおもしろい発言である。あちらこちらにグループができているというのは連句にとって理想的な状況だ。連句は各地の小グループを基本とするのであって、大人数を組織して集まるというようなものではない。連句というものは上からのトップダウンではなくて、下からのボトムアップが本来の姿なのだろう。
今年7月に発行された『江古田文学』113号の特集は「連句入門」だった。「はじめに」で浅沼璞は『江古田文学』で連句の特集を組むのは1991年1月の特集「連句の現在」以来であると述べ、「この二十年、私にとっての連句とは、学生を介して如何に『連句入門』を再構築するか、その試行錯誤にほかならなかった」と書いている。そのことを反映して本誌には学生による連句実作とそのレポートが満載となっている。
以下、主な連句大会の入選作品を紹介しておこう。
4月に松山で開催された「えひめ俵口全国連句大会」、愛媛県知事賞の歌仙「冷や飯」の巻から。
埋もれし遺跡のミイラ黄砂降る 裕子
古代舞曲の音色嫋やか 光明
本草学野草を摘んで乾かして 満璃
県民挙げて目差す長命 裕子
7月16日に郡上八幡で「第36回連句フェスタ宗祇水」が開催された。郡上踊りにちなんで「かわさきの座」「春駒の座」「三百の座」の三座に分かれて歌仙を巻いた。歌仙「はるかに天守」の巻から。
ナビ席にコロンの香りとどまりて 憲治
録画ボタンを押せば修羅場に 絶学
死神が募集している闇バイト 憲治
売れっ子作家正月多忙 寿典
伊賀上野の第77回芭蕉祭、連句の部の特選、半歌仙「這ひ出よ」の巻から。発句は芭蕉の句で、脇起しになる。
這ひ出よ飼屋が下の蟾の声 芭蕉
土間の隅には行水の桶 谷澤 節
眠たげな頑是無き児を背に負ふて 松本奈里子
散歩がてらに九九を数える もりともこ
10月29日には加賀市で国民文化祭石川「連句の祭典」が開催。文部科学大臣賞、半歌仙「遡りては」の巻から。
遡りては流されて春の鴨 名本敦子
やまあららぎの尖る銀の眼 久 翠
暮れ遅し陶土る背に月射して 杉山豚望
コンビニコロッケ一個百円 大西素之
あと各地の連句会の作品を紹介しておく。
徳島県連句協会発行の「ロータス」20号。半歌仙、獅子、二十韻、短歌行、ソネット、オン座六句、千住など多彩な形式の作品が収録されている。オン座六句「いぼむしり」より。
うかうかと生きてゐるなりいぼむしり 早見敏子
さうか昨日は後の名月 洛中落胡
もてなしの膳は当初の銘酒にて 迷鳥子
「白老連句を楽しむ会」は2019年12月に発足。会誌「ななかまど」がこの12月に創刊されたのでご紹介。ちなみに白老町では2020年にウポポイ(国立アイヌ民族博物館)が開館している。
神謡の伝はる里や冬銀河 中嶋祐子
手話講座終へはめる手袋 田村キク
ケーキ好き少女は夢のパティシエに 祐子
(半歌仙「神謡の里」)
11月に「解纜」37号が届いたが、この号で「解纜」は終刊するという。これも時の流れであり、連衆はそれぞれの場で出発することになるのだろう。歌仙「海くれて」から。
古民家を買へば妖怪付きでした 真紀
監視カメラは巧く隠せよ 緋紗
京なまりねっとりとして花篝 京
次回は1月5日の予定です。よいお年を。
「連句を始めて以降、俳句を作ったりエッセイを書いたりしていると、そのたびに『ううむ、連句に教わった所作や技術ってこんなにも応用が効くんだ!』としみじみ思うし、わけても発想の飛ばし方を学び、また実践するといった訓練によって得たものは本当に多い」(「連句の愉しみ」)
また古楽器演奏者の須藤岳史と小津の往復書簡『なしのたわむれ』(素粒社)の「おわりに」では「この往復書簡は『対話』ではなく、連句の付けと転じによる『響き合い』の作法に則ったほうがよさそうだ」と気づいたことに触れられている。対話というものは凡庸な芝居に走りやすく、正反合のスペクタクルになりがちだけれど、そもそも対話というものはすれ違いが美しいもの、嚙み合わない瞬間にこそきらきらしたせつなさがこぼれると彼女は言っている。これって連句の呼吸そのものではないだろうか。
『現代連句集Ⅳ』には堀田季何も寄稿している。堀田は「楽園俳句会」を主宰していて、連句の心得がある。小澤實の「澤」の系統の俳人には連句に関心のある方が多い。「楽園」の連句会には、日比谷虚俊などの若手連句人もいる。
ほしおさなえは『連句年鑑』令和五年版にエッセイ「言葉の園で出会ったもの」を寄稿している。彼女は『言葉の森のお菓子番』(大和書房)の作者で、小説には連句の場面が描かれている。連句との関わりについて、カルチャーセンターの連句講座(講師は村野夏生)を受講したことを述べたあと、エッセイではこんなふうに書かれている。
「その後カルチャーセンターの講座は閉じてしまったのですが、村野先生の連句会に参加するようになり、連句の世界に夢中になりました。会のメンバーはわたしよりずっと年上の方ばかりだったのですが、皆さん信じられないくらい教養があるのです。それも皆さんそれぞれさまざまな職業で活躍されている方なので、大学人のような浮世離れした教養ではなく、清濁合わせた生きた教養と言いますか、パワフルで癖の強い方が多くて、気圧されることばかりだったのですが、その席で耳にした話はいまもずっと心の中に残っています」
1977年、わだとしお(村野夏生)は、月刊俳諧誌「杏花村」創刊。今年「杏花村」バックナンバーのコピーを入手したが、山地春眠子『現代連句入門』(1978年杏花村叢書。1987年再版・沖積舎)に収録されている連句作品は主として「杏花村」第一巻・第二巻に掲載されたものである。1985年、「杏花村」は100号で終刊。東京義仲寺連句会は「風信子の会」(村野夏生・別所真紀子)、「馬山人の会」(高藤馬山人・川野蓼艸)、「水分会」(真鍋天魚)などに。「風信子」はのちに村野夏生の「あゝの会」と別所真紀子の「解纜」に分かれる。ほしおさなえが参加した連句会は「あゝの会」である。
「杏花村」1978年5月号は〈高橋玄一郎追悼〉号。同号には東明雅の追悼文も掲載されている。《「―先生、黒色火薬はどうしましたね。爆発しますかね?」、これは高橋玄一郎さんが、時折私をからかった言葉である。黒色火薬とは新しい俳諧〈連句〉とその理論のことであった。私どもはこれを作りあげ、行きづまっている現代文学を一挙に粉砕しようと考えて来たのである》
1981年、連句懇話会(現在の日本連句協会)が結成される。懇話会ができたことについて、『連句新聞』増刊号vol.1のインタビューで山地春眠子は次のように語っている。
「なんとなくじゃない?誰がなにをしたということではない。もちろん、明雅さん、牛耳さんが連句のグループ、信大連句会とか義仲寺連句会とかを作ってくれたからなんだけれど、それはそれぞれ、日本のことを考えて作ったわけではないので、たまたまそういう流れがあった。誰が旗振って、やろうとしたわけでもないように思う。気がついてみたら、あっちでもこっちでも仲間ができていた」
とてもおもしろい発言である。あちらこちらにグループができているというのは連句にとって理想的な状況だ。連句は各地の小グループを基本とするのであって、大人数を組織して集まるというようなものではない。連句というものは上からのトップダウンではなくて、下からのボトムアップが本来の姿なのだろう。
今年7月に発行された『江古田文学』113号の特集は「連句入門」だった。「はじめに」で浅沼璞は『江古田文学』で連句の特集を組むのは1991年1月の特集「連句の現在」以来であると述べ、「この二十年、私にとっての連句とは、学生を介して如何に『連句入門』を再構築するか、その試行錯誤にほかならなかった」と書いている。そのことを反映して本誌には学生による連句実作とそのレポートが満載となっている。
以下、主な連句大会の入選作品を紹介しておこう。
4月に松山で開催された「えひめ俵口全国連句大会」、愛媛県知事賞の歌仙「冷や飯」の巻から。
埋もれし遺跡のミイラ黄砂降る 裕子
古代舞曲の音色嫋やか 光明
本草学野草を摘んで乾かして 満璃
県民挙げて目差す長命 裕子
7月16日に郡上八幡で「第36回連句フェスタ宗祇水」が開催された。郡上踊りにちなんで「かわさきの座」「春駒の座」「三百の座」の三座に分かれて歌仙を巻いた。歌仙「はるかに天守」の巻から。
ナビ席にコロンの香りとどまりて 憲治
録画ボタンを押せば修羅場に 絶学
死神が募集している闇バイト 憲治
売れっ子作家正月多忙 寿典
伊賀上野の第77回芭蕉祭、連句の部の特選、半歌仙「這ひ出よ」の巻から。発句は芭蕉の句で、脇起しになる。
這ひ出よ飼屋が下の蟾の声 芭蕉
土間の隅には行水の桶 谷澤 節
眠たげな頑是無き児を背に負ふて 松本奈里子
散歩がてらに九九を数える もりともこ
10月29日には加賀市で国民文化祭石川「連句の祭典」が開催。文部科学大臣賞、半歌仙「遡りては」の巻から。
遡りては流されて春の鴨 名本敦子
やまあららぎの尖る銀の眼 久 翠
暮れ遅し陶土る背に月射して 杉山豚望
コンビニコロッケ一個百円 大西素之
あと各地の連句会の作品を紹介しておく。
徳島県連句協会発行の「ロータス」20号。半歌仙、獅子、二十韻、短歌行、ソネット、オン座六句、千住など多彩な形式の作品が収録されている。オン座六句「いぼむしり」より。
うかうかと生きてゐるなりいぼむしり 早見敏子
さうか昨日は後の名月 洛中落胡
もてなしの膳は当初の銘酒にて 迷鳥子
「白老連句を楽しむ会」は2019年12月に発足。会誌「ななかまど」がこの12月に創刊されたのでご紹介。ちなみに白老町では2020年にウポポイ(国立アイヌ民族博物館)が開館している。
神謡の伝はる里や冬銀河 中嶋祐子
手話講座終へはめる手袋 田村キク
ケーキ好き少女は夢のパティシエに 祐子
(半歌仙「神謡の里」)
11月に「解纜」37号が届いたが、この号で「解纜」は終刊するという。これも時の流れであり、連衆はそれぞれの場で出発することになるのだろう。歌仙「海くれて」から。
古民家を買へば妖怪付きでした 真紀
監視カメラは巧く隠せよ 緋紗
京なまりねっとりとして花篝 京
次回は1月5日の予定です。よいお年を。
2023年12月15日金曜日
2023年回顧(川柳篇)
「川柳スパイラル」19号の特集は「石田柊馬の軌跡」である。追悼号とは銘うっていないが、同人・会員の作品に柊馬作品を踏まえた句が多く掲載されている。
夕暮れのポテトサラダという合図 畑美樹
コン・ティキもジンタも青い原っぱに 一戸涼子
にっこりと断言「妖精は酢豚に似ている」 悠とし子
もなかわっと泣いてから永久機関 兵頭全郎
むかつくぜネクタイ置いて逝くなんて 石川聡
また湊圭伍、畑美樹、清水かおり、飯島章友の追悼文が掲載されている。畑と清水はともに「バックストローク」35号に掲載された「だし巻柊馬」の企画で柊馬の自宅を訪れたときのことを書いている。同誌から石田柊馬の川柳歴を再掲しておくと次のようになる。
本名・石田宏。京都市生まれ。十代の後半で川柳と遭遇。「平安川柳社」入会。「川柳ジャーナル」1973年10月~1975年2月(終刊号)編集。「川柳サーカス」「コン・ティキ」を経て2000年「バックストローク」同人。以後も「川柳カード」(2012年)、「川柳スパイラル」(2017年)の創刊同人として現代川柳の第一線で活動をつづけた。句集にセレクション柳人2『石田柊馬集』(邑書林、2005年6月) 句集『ポテトサラダ』(コン・ティキ叢書、2002年8月)。共著『現代川柳の精鋭たち』(北宋社)『セレクション柳論』(邑書林)『はじめまして現代川柳』(書肆侃々房)。
柊馬は論・作の両面において現代川柳をリードする存在だったが、彼の仕事の全貌をまとまったかたちで知ることはむずかしい。句集については『ポテトサラダ』と『セレクション柳人・石田柊馬集』があるが、それ以降の句集はまとめられていない。評論については膨大な量にのぼると思われるが、川柳誌やネットの掲示板にそのつど発表されたもので、資料収集からはじめる必要がある。柊馬の仕事については今後、折に触れて語り継がれることが望まれる。
現代川柳のイベントとしては11月19日に東京・王子で開催された「川柳を見つけて」が注目される。暮田真名『ふりょの星』、ササキリユウイチ『馬場にオムライス』の合同批評会であるが、パネラーに穂村弘、平岡直子、川合大祐、郡司和斗を迎えて、それぞれの視点から語られた。
当日のレポートについてはすでに「ダ・ヴィンチWEB」に掲載されている(ライター・高松霞)。また来年3月に発行される「川柳スパイラル」20号にもイベントの記録が掲載されることになっている。 パネラーの平岡は暮田の句の言葉の見せ方について、「何の根拠もない組み合わせではなく、言葉と言葉との間に社会的文脈とは異なるつながりがある」「自分の都合より言葉の都合をきくことが優先されている」というようなことを語った。今年見聞きした川柳についての言説の中で最も印象に残る発言であった。
ネットを中心とした川柳の動きを振り返っておこう。
「川柳スパイラル」18号では「ネット川柳の歩き方」(西脇祥貴)を特集。Twitter(現在はX)、オンライン句会、オンライン講座、スペース、ツイキャス、川柳ユニットなどに渡って、ネット川柳を展望している。
まつりぺきんの編集発行による『川柳EXPO』は投稿連作川柳アンソロジーで、投句者51名(ぺきんの作品もプラスされて52名)、各20句だから1040句の川柳作品が集まった。第2集の募集もすでにはじまっている。
成瀬悠はネットプリント「現代川柳アンソロ」を第2号まで発行している。ひとり2句を募集してネプリで配信するという方法で、第1号63名、第2号57名の参加があった。
「川柳を見つけて」のイベントと前後して、川柳句集が次々に発行されている。森砂季の『プニヨンマ』、成瀬悠『序章あるいは序説もしくは序論』、南雲ゆゆ『姉の胚』、小野寺里穂『いきしにのまつきょうかいで』など。またササキリユウイチの第二句集『飽くなき予報』もすでに発行されている。時代のスピードが速くなってきた。
現代川柳への関心の高まりは歌人で川柳の実作をする人が増えてきたことと、ネット川柳の隆盛による。作者もヴァラエティに富んでいて、現代詩や演劇などさまざまな分野で活動している表現者が川柳に入ってきている。歌人の場合、従来は短歌の「私」と「私性川柳」の共通性が言われていたが、現在はむしろ短歌の私性が苦手な人が川柳に可能性を求めて実作に手を染めているケースが多いようだ。
「文学界」10月号の巻頭に暮田真名の「夢み」10句が掲載された。女鹿成二の写真とのコラボ。そのうちの5句をご紹介。
言いなりになって瑪瑙のアップリケ 暮田真名
本能で改編期だとわかるのよ
伝記的事実と寝てはだめだった
顔のまわりにハートがないの
筆算できみのこころが早わかり
今年も暮田真名の活躍がめざましかった。暮田の『宇宙人のためのせんりゅう入門』(左右社)が近日中に販売開始になる。
さて、既成の川柳人の側にはどのような動きがあっただろうか。
「アンソロジスト」vol.6(田畑書店)の特集《川柳アンソロジー みずうみ》は監修・永山裕美、川柳作品各20句でなかはられいこ・芳賀博子・八上桐子・北村幸子・佐藤みさ子が参加。樋口由紀子の解説が付いている。
文脈のどこを切っても水が出る なかはられいこ
栞はらりと歳月のいずこより 芳賀博子
藤房のふるえる自慰に耽る舟 八上桐子
きれいごとセット郵便局で買う 北村幸子
でんわするちがう水路にいるひとへ 佐藤みさ子(以下5句)
行列に飽きた自分にも飽きた
B29をうつしたはずの水溜り
火口湖に生きた魚はおりません
空うつす湖面のようなこどもの目
あと、青砥和子『雲に乗る』(新葉館)も紹介しておきたい。
微笑みをまた間違えて然るべく 青砥和子
霙という半端なものが降ってきた
陸に杭打つから壊れていくんだよ
銃口の先に豆煮る人がいる
折鶴は重なるように睦み合う
ベテランの川柳人にはこれまでの経験と技術の蓄積があるので、句集のかたちで世に示すことが求められていると思う。
夕暮れのポテトサラダという合図 畑美樹
コン・ティキもジンタも青い原っぱに 一戸涼子
にっこりと断言「妖精は酢豚に似ている」 悠とし子
もなかわっと泣いてから永久機関 兵頭全郎
むかつくぜネクタイ置いて逝くなんて 石川聡
また湊圭伍、畑美樹、清水かおり、飯島章友の追悼文が掲載されている。畑と清水はともに「バックストローク」35号に掲載された「だし巻柊馬」の企画で柊馬の自宅を訪れたときのことを書いている。同誌から石田柊馬の川柳歴を再掲しておくと次のようになる。
本名・石田宏。京都市生まれ。十代の後半で川柳と遭遇。「平安川柳社」入会。「川柳ジャーナル」1973年10月~1975年2月(終刊号)編集。「川柳サーカス」「コン・ティキ」を経て2000年「バックストローク」同人。以後も「川柳カード」(2012年)、「川柳スパイラル」(2017年)の創刊同人として現代川柳の第一線で活動をつづけた。句集にセレクション柳人2『石田柊馬集』(邑書林、2005年6月) 句集『ポテトサラダ』(コン・ティキ叢書、2002年8月)。共著『現代川柳の精鋭たち』(北宋社)『セレクション柳論』(邑書林)『はじめまして現代川柳』(書肆侃々房)。
柊馬は論・作の両面において現代川柳をリードする存在だったが、彼の仕事の全貌をまとまったかたちで知ることはむずかしい。句集については『ポテトサラダ』と『セレクション柳人・石田柊馬集』があるが、それ以降の句集はまとめられていない。評論については膨大な量にのぼると思われるが、川柳誌やネットの掲示板にそのつど発表されたもので、資料収集からはじめる必要がある。柊馬の仕事については今後、折に触れて語り継がれることが望まれる。
現代川柳のイベントとしては11月19日に東京・王子で開催された「川柳を見つけて」が注目される。暮田真名『ふりょの星』、ササキリユウイチ『馬場にオムライス』の合同批評会であるが、パネラーに穂村弘、平岡直子、川合大祐、郡司和斗を迎えて、それぞれの視点から語られた。
当日のレポートについてはすでに「ダ・ヴィンチWEB」に掲載されている(ライター・高松霞)。また来年3月に発行される「川柳スパイラル」20号にもイベントの記録が掲載されることになっている。 パネラーの平岡は暮田の句の言葉の見せ方について、「何の根拠もない組み合わせではなく、言葉と言葉との間に社会的文脈とは異なるつながりがある」「自分の都合より言葉の都合をきくことが優先されている」というようなことを語った。今年見聞きした川柳についての言説の中で最も印象に残る発言であった。
ネットを中心とした川柳の動きを振り返っておこう。
「川柳スパイラル」18号では「ネット川柳の歩き方」(西脇祥貴)を特集。Twitter(現在はX)、オンライン句会、オンライン講座、スペース、ツイキャス、川柳ユニットなどに渡って、ネット川柳を展望している。
まつりぺきんの編集発行による『川柳EXPO』は投稿連作川柳アンソロジーで、投句者51名(ぺきんの作品もプラスされて52名)、各20句だから1040句の川柳作品が集まった。第2集の募集もすでにはじまっている。
成瀬悠はネットプリント「現代川柳アンソロ」を第2号まで発行している。ひとり2句を募集してネプリで配信するという方法で、第1号63名、第2号57名の参加があった。
「川柳を見つけて」のイベントと前後して、川柳句集が次々に発行されている。森砂季の『プニヨンマ』、成瀬悠『序章あるいは序説もしくは序論』、南雲ゆゆ『姉の胚』、小野寺里穂『いきしにのまつきょうかいで』など。またササキリユウイチの第二句集『飽くなき予報』もすでに発行されている。時代のスピードが速くなってきた。
現代川柳への関心の高まりは歌人で川柳の実作をする人が増えてきたことと、ネット川柳の隆盛による。作者もヴァラエティに富んでいて、現代詩や演劇などさまざまな分野で活動している表現者が川柳に入ってきている。歌人の場合、従来は短歌の「私」と「私性川柳」の共通性が言われていたが、現在はむしろ短歌の私性が苦手な人が川柳に可能性を求めて実作に手を染めているケースが多いようだ。
「文学界」10月号の巻頭に暮田真名の「夢み」10句が掲載された。女鹿成二の写真とのコラボ。そのうちの5句をご紹介。
言いなりになって瑪瑙のアップリケ 暮田真名
本能で改編期だとわかるのよ
伝記的事実と寝てはだめだった
顔のまわりにハートがないの
筆算できみのこころが早わかり
今年も暮田真名の活躍がめざましかった。暮田の『宇宙人のためのせんりゅう入門』(左右社)が近日中に販売開始になる。
さて、既成の川柳人の側にはどのような動きがあっただろうか。
「アンソロジスト」vol.6(田畑書店)の特集《川柳アンソロジー みずうみ》は監修・永山裕美、川柳作品各20句でなかはられいこ・芳賀博子・八上桐子・北村幸子・佐藤みさ子が参加。樋口由紀子の解説が付いている。
文脈のどこを切っても水が出る なかはられいこ
栞はらりと歳月のいずこより 芳賀博子
藤房のふるえる自慰に耽る舟 八上桐子
きれいごとセット郵便局で買う 北村幸子
でんわするちがう水路にいるひとへ 佐藤みさ子(以下5句)
行列に飽きた自分にも飽きた
B29をうつしたはずの水溜り
火口湖に生きた魚はおりません
空うつす湖面のようなこどもの目
あと、青砥和子『雲に乗る』(新葉館)も紹介しておきたい。
微笑みをまた間違えて然るべく 青砥和子
霙という半端なものが降ってきた
陸に杭打つから壊れていくんだよ
銃口の先に豆煮る人がいる
折鶴は重なるように睦み合う
ベテランの川柳人にはこれまでの経験と技術の蓄積があるので、句集のかたちで世に示すことが求められていると思う。
2023年12月8日金曜日
澤好摩の百句(高山れおな・「翻車魚」7号)
「翻車魚」7号に高山れおなの「澤好摩の百句」が掲載されている。
澤好摩は高柳重信に師事し、「俳句研究」の編集に携わった。1991年に俳誌「円錐」を創刊。現代俳句のなかで独自の存在感をもつ人だった。 高山れおなは次のように書いている。
「今回の『澤好摩の百句』は追悼企画のように思われるに違いない。しかし、結果的にそうなったにせよ、本来そのつもりではなかった。昨春、『尾崎紅葉の百句』の原稿を書いて面白かったものだから、私は引き続き『〇〇の百句』を『翻車魚』誌上で個人的にシリーズ化する気になった」
百句の評釈はそれぞれおもしろいものだが、ここでは二句だけ紹介する。
三日月を三日見ざれば馬賊かな
「蓼太の〈世の中は三日見ぬ間に桜かな〉のパスティーシュである。これもリフレインの句で、その調子の良さについ読み流してしまいそうになるが、「三日月を三日見ざれば」とはずいぶん奇矯なことを言うものだ。三日月とは新月を一日目としての三日目の月をさすのであって、四日目以降の月はもとより三日月ではない。三日月を三日見ないという言い方は一種のナンセンスなのだ、ナンセンスな原因から『馬賊かな』というナンセンスな結果が生じている」
百韻に似し百峰や百日紅
「百韻は連歌・俳諧の最も一般的な形式。重畳する峰々の変化に富むさまを喩えた。百の字の三たびの反復が掲句の眼目でもあれば、目障りなところでもある。掲句の前には〈鯨ゐてこその海なれ夏遍路〉が、次には〈山清水この上にもう家なきと〉が並ぶ。山清水の句について味元昭次は、〈標高七百余。高知県大豊町西峰〉にての作と証言する(「澤好摩の気になる一句」)。〈妻の里〉であるこの〈まことに美しい山里〉へ、味元は澤と横山康夫を案内した。夏遍路および百韻百峰の句も、この土佐への旅での作なのだろう。言葉遊びの句とのみ見てしまうとややあざとく、中遠景に山々を近景に百日紅を配した俳句的遠近法も鈍重に感じられるが、めでたい百の字を重ねた土地褒めの挨拶にこそ真意があった」
味元昭次が編集発行している「蝶」263号に今泉康弘が「酒と俳句の日々―澤好摩とぼく」を書いている。
「1985年の夏、ぼくは山田耕二に連れられて、荻窪にある澤好摩のアパート・宝山荘を訪問した。ぼくは十八歳だった。このときが澤好摩との初対面である。ぼくたちは夕方遅くまでいて、澤好摩から俳句の話を聞いたり、お酒をご馳走になったりした。そのとき、句集『印象』を貰った。1982年に刊行された第二句集だ。その見返しに、澤好摩は美しい筆跡で、こう書いた―『今泉詞兄、冥き噴水蛹よ翅の彩を急げよ 澤好摩』。『噴水』は『ふきあげ』、『彩』は『いろ』と読むのだ、と澤好摩は言った」
同誌の「澤好摩五十句」(横山康夫抄出)から五句紹介する。
天に雨の降り残しなし鬼薊 澤好摩
風邪を着て風に遅れるいもうとよ
三日月を三日見ざれば馬賊かな
深海に自らひかるものら混む
跳ぶ墜ちる走る躓くエノラ・ゲイ
私は「豈」の句会で一度だけ澤好摩と同席したときに、拙句を選んでもらったことがある。こんな句である。
パジャマ姿で鶴の行方を追いかける 小池正博
澤好摩は高柳重信に師事し、「俳句研究」の編集に携わった。1991年に俳誌「円錐」を創刊。現代俳句のなかで独自の存在感をもつ人だった。 高山れおなは次のように書いている。
「今回の『澤好摩の百句』は追悼企画のように思われるに違いない。しかし、結果的にそうなったにせよ、本来そのつもりではなかった。昨春、『尾崎紅葉の百句』の原稿を書いて面白かったものだから、私は引き続き『〇〇の百句』を『翻車魚』誌上で個人的にシリーズ化する気になった」
百句の評釈はそれぞれおもしろいものだが、ここでは二句だけ紹介する。
三日月を三日見ざれば馬賊かな
「蓼太の〈世の中は三日見ぬ間に桜かな〉のパスティーシュである。これもリフレインの句で、その調子の良さについ読み流してしまいそうになるが、「三日月を三日見ざれば」とはずいぶん奇矯なことを言うものだ。三日月とは新月を一日目としての三日目の月をさすのであって、四日目以降の月はもとより三日月ではない。三日月を三日見ないという言い方は一種のナンセンスなのだ、ナンセンスな原因から『馬賊かな』というナンセンスな結果が生じている」
百韻に似し百峰や百日紅
「百韻は連歌・俳諧の最も一般的な形式。重畳する峰々の変化に富むさまを喩えた。百の字の三たびの反復が掲句の眼目でもあれば、目障りなところでもある。掲句の前には〈鯨ゐてこその海なれ夏遍路〉が、次には〈山清水この上にもう家なきと〉が並ぶ。山清水の句について味元昭次は、〈標高七百余。高知県大豊町西峰〉にての作と証言する(「澤好摩の気になる一句」)。〈妻の里〉であるこの〈まことに美しい山里〉へ、味元は澤と横山康夫を案内した。夏遍路および百韻百峰の句も、この土佐への旅での作なのだろう。言葉遊びの句とのみ見てしまうとややあざとく、中遠景に山々を近景に百日紅を配した俳句的遠近法も鈍重に感じられるが、めでたい百の字を重ねた土地褒めの挨拶にこそ真意があった」
味元昭次が編集発行している「蝶」263号に今泉康弘が「酒と俳句の日々―澤好摩とぼく」を書いている。
「1985年の夏、ぼくは山田耕二に連れられて、荻窪にある澤好摩のアパート・宝山荘を訪問した。ぼくは十八歳だった。このときが澤好摩との初対面である。ぼくたちは夕方遅くまでいて、澤好摩から俳句の話を聞いたり、お酒をご馳走になったりした。そのとき、句集『印象』を貰った。1982年に刊行された第二句集だ。その見返しに、澤好摩は美しい筆跡で、こう書いた―『今泉詞兄、冥き噴水蛹よ翅の彩を急げよ 澤好摩』。『噴水』は『ふきあげ』、『彩』は『いろ』と読むのだ、と澤好摩は言った」
同誌の「澤好摩五十句」(横山康夫抄出)から五句紹介する。
天に雨の降り残しなし鬼薊 澤好摩
風邪を着て風に遅れるいもうとよ
三日月を三日見ざれば馬賊かな
深海に自らひかるものら混む
跳ぶ墜ちる走る躓くエノラ・ゲイ
私は「豈」の句会で一度だけ澤好摩と同席したときに、拙句を選んでもらったことがある。こんな句である。
パジャマ姿で鶴の行方を追いかける 小池正博
2023年11月29日水曜日
『起きられない朝のための短歌入門』
「川柳は外向的でなければ生きてゆけないのである」とは渡辺隆夫の言葉だ。川柳は自分たちの世界に閉じこもっているだけでは刺激もないし発展性もない。同時代の短詩型諸ジャンルで起きていることには常にアンテナを出しておくことが必要となる。川柳に入門書がないわけではないが、評論や読みの分野が弱いので、かつては穂村弘や藤原龍一郎などの歌人の評論集から学ぶことが多かった。最近は歌人の書いたものを読む機会が減ったが、入門書というかたちの短歌実作論として『起きられない朝のための短歌入門』(書肆侃々房)は見逃せない。
本書は我妻俊樹と平岡直子の対談形式で、「つくる」「よむ」「ふたたび、つくる」の三部に分かれている。二人とも現代川柳と交流があり、初心者というより何年も実作を続けている表現者にとって刺激的な内容になっている。
「最初の一首をつくるのは難しくはない。次の一首をつくるのも難しくないかもしれない。難しいのは、自分の短歌を物足りなく感じはじめたときだ」(「はじめに」平岡)
「自分でつくりはじめると、他人の歌にある程度興味が湧いてきて、歌集を読んだりする場合も多いでしょう。いっぱい読めば読むほどつくるほうはスピードダウンするはず。自分のつくろうとしている歌に類想歌があるのがわかるとそれはよけようとするわけだし、知っている歌の数が増えるほど道が狭くなっていく」(平岡)
創作を続けている表現者にとっては誰でも思い当たることだし、切実な問題でもある。
歌会について我妻はこんなふうに語っている。
「歌会もディベートみたいなもので、必ずしも本当にいいと思う歌を推すわけじゃないですよね。その場では一首なり何首なり選ぶ決まりだから、仮にこの歌がいいということにして、その前提で評を組み立てるわけです。だからこそ評の練習になるんだけど、それって半分嘘の評でしょとも思う。そこがわりと歌人の世界の弱さというのかな、半分嘘でも褒められたらうれしいわけだし、人をうれしがらせてしまった評のことは、言った側もどこか信じてしまうんじゃないか」
私は歌会には参加したことがないが、俳句や川柳の句会でも同じようなことはあるだろう。我妻は「短歌の評をする人はほとんど実作者だから、技術論の解説みたいな読み方はだいたい得意だと思うんですよ。でも作品のおもしろいところって、ジャンル内の共有財産みたいなテクニックからはみ出たところにあるものでしょう」とも言っている。評を書く者にとってはコワイことを言う人だ。
詩的飛躍について平岡はこんなふうに言っている。
「詩的飛躍がうまくいっている歌を読むと、『そうだったのか!』って思うもんね。『この言葉とこの言葉にはこういう関係があったのが、いままで意識したことはなかったけど、たしかにそうだ、わたしも心のどこかでは知っていた気がする』みたいな」
11月19日に東京・王子で「川柳を見つけて」というイベントが開催された。暮田真名『ふりょの星』とササキリユウイチ『馬場にオムライス』の合同句評会だったが、パネラーの平岡は暮田の句の言葉の見せ方について、「何の根拠もない組み合わせではなく、言葉と言葉との間に社会的文脈とは異なるつながりがある」「自分の都合より言葉の都合をきくことが優先されている」というようなことを語った。私は暮田の句がなぜおもしろいのか、今までうまく言語化できずにいたが、平岡の説明を聞いて少し納得できるように思った。同時に私が平岡の短歌を読んだときに感じる心地よさの理由もわかったような気がした。
平岡も我妻も独自の短歌観をもっている表現者だ。
(平岡)「わたしの説ではね、歌人のほとんどは『人生派』=自分の人生に準拠した歌をつくっていて、そのなかで『人生―人生派』と『人生―言葉派』に分かれるんです。歌のなかに具体的に『人生』のことが書かれていなくても、歌の外側にある人生情報と照らし合わせることで完成するタイプの歌は広義の『人生派』だと思う」
平岡の「人生―人生派」「人生―言葉派」「言葉―人生派」「言葉―言葉派」という分類は以前にもどこかで読んだことがあるが、「言葉―言葉派」の作品として挙げられているのは次の歌。
才能で電車を降りる 才能でマフラーを巻く おかしな光 瀬口真司
我妻「私は短歌の二部構成って、上下句でかたちが違うことも含めて〈行って帰ってくる〉形式だと思っている」「〈行って帰ってくる〉形式の中にも、〈行ったきり帰ってこない〉とか〈行って帰って、また行く〉みたいなべつの動きの可能性は含まれてるはずなんですよね」
以前、我妻の話を聞いたときにも、「短歌は行って戻ってくる。川柳は引き返さずに通り抜ける」というとらえ方だったことが印象に残っている。
その他、実作のヒントになるような発言が満載だ。本書のタイトルについては対談の最後の方で語られている。
短歌の入門書が立て続けに出版されていて、榊原紘の『推し短歌入門』(左右社)も好評。タイトルの表層的な印象とは異なって、充実した短歌入門書となっている。若い世代の感覚もうかがえ、第二部の短歌の技法では「言葉の欠片を拾ってきて、それを繋ぎ合わせる感覚」「下の句を切り取って別の歌の上の句とくっつけるなど、合成獣(キメラ)のような歌も多いです」と書かれている。これは若い世代の川柳作品からも感じ取れることだ。短歌を読むことについては「特に自分の考えていることなど既にやり尽くされているとか、他の人の作品を読むと自分が作れるものなどない気がしてつらいとか、そんなことを思うかもしれません。しかし、他の人の作品を読むことは、自分自身のことを掘り下げる大きな力になります」と前向きである。
川柳の入門書としては暮田真名の『宇宙人のためのせんりゅう入門』(左右社)が12月下旬に発売が予定されている。
本書は我妻俊樹と平岡直子の対談形式で、「つくる」「よむ」「ふたたび、つくる」の三部に分かれている。二人とも現代川柳と交流があり、初心者というより何年も実作を続けている表現者にとって刺激的な内容になっている。
「最初の一首をつくるのは難しくはない。次の一首をつくるのも難しくないかもしれない。難しいのは、自分の短歌を物足りなく感じはじめたときだ」(「はじめに」平岡)
「自分でつくりはじめると、他人の歌にある程度興味が湧いてきて、歌集を読んだりする場合も多いでしょう。いっぱい読めば読むほどつくるほうはスピードダウンするはず。自分のつくろうとしている歌に類想歌があるのがわかるとそれはよけようとするわけだし、知っている歌の数が増えるほど道が狭くなっていく」(平岡)
創作を続けている表現者にとっては誰でも思い当たることだし、切実な問題でもある。
歌会について我妻はこんなふうに語っている。
「歌会もディベートみたいなもので、必ずしも本当にいいと思う歌を推すわけじゃないですよね。その場では一首なり何首なり選ぶ決まりだから、仮にこの歌がいいということにして、その前提で評を組み立てるわけです。だからこそ評の練習になるんだけど、それって半分嘘の評でしょとも思う。そこがわりと歌人の世界の弱さというのかな、半分嘘でも褒められたらうれしいわけだし、人をうれしがらせてしまった評のことは、言った側もどこか信じてしまうんじゃないか」
私は歌会には参加したことがないが、俳句や川柳の句会でも同じようなことはあるだろう。我妻は「短歌の評をする人はほとんど実作者だから、技術論の解説みたいな読み方はだいたい得意だと思うんですよ。でも作品のおもしろいところって、ジャンル内の共有財産みたいなテクニックからはみ出たところにあるものでしょう」とも言っている。評を書く者にとってはコワイことを言う人だ。
詩的飛躍について平岡はこんなふうに言っている。
「詩的飛躍がうまくいっている歌を読むと、『そうだったのか!』って思うもんね。『この言葉とこの言葉にはこういう関係があったのが、いままで意識したことはなかったけど、たしかにそうだ、わたしも心のどこかでは知っていた気がする』みたいな」
11月19日に東京・王子で「川柳を見つけて」というイベントが開催された。暮田真名『ふりょの星』とササキリユウイチ『馬場にオムライス』の合同句評会だったが、パネラーの平岡は暮田の句の言葉の見せ方について、「何の根拠もない組み合わせではなく、言葉と言葉との間に社会的文脈とは異なるつながりがある」「自分の都合より言葉の都合をきくことが優先されている」というようなことを語った。私は暮田の句がなぜおもしろいのか、今までうまく言語化できずにいたが、平岡の説明を聞いて少し納得できるように思った。同時に私が平岡の短歌を読んだときに感じる心地よさの理由もわかったような気がした。
平岡も我妻も独自の短歌観をもっている表現者だ。
(平岡)「わたしの説ではね、歌人のほとんどは『人生派』=自分の人生に準拠した歌をつくっていて、そのなかで『人生―人生派』と『人生―言葉派』に分かれるんです。歌のなかに具体的に『人生』のことが書かれていなくても、歌の外側にある人生情報と照らし合わせることで完成するタイプの歌は広義の『人生派』だと思う」
平岡の「人生―人生派」「人生―言葉派」「言葉―人生派」「言葉―言葉派」という分類は以前にもどこかで読んだことがあるが、「言葉―言葉派」の作品として挙げられているのは次の歌。
才能で電車を降りる 才能でマフラーを巻く おかしな光 瀬口真司
我妻「私は短歌の二部構成って、上下句でかたちが違うことも含めて〈行って帰ってくる〉形式だと思っている」「〈行って帰ってくる〉形式の中にも、〈行ったきり帰ってこない〉とか〈行って帰って、また行く〉みたいなべつの動きの可能性は含まれてるはずなんですよね」
以前、我妻の話を聞いたときにも、「短歌は行って戻ってくる。川柳は引き返さずに通り抜ける」というとらえ方だったことが印象に残っている。
その他、実作のヒントになるような発言が満載だ。本書のタイトルについては対談の最後の方で語られている。
短歌の入門書が立て続けに出版されていて、榊原紘の『推し短歌入門』(左右社)も好評。タイトルの表層的な印象とは異なって、充実した短歌入門書となっている。若い世代の感覚もうかがえ、第二部の短歌の技法では「言葉の欠片を拾ってきて、それを繋ぎ合わせる感覚」「下の句を切り取って別の歌の上の句とくっつけるなど、合成獣(キメラ)のような歌も多いです」と書かれている。これは若い世代の川柳作品からも感じ取れることだ。短歌を読むことについては「特に自分の考えていることなど既にやり尽くされているとか、他の人の作品を読むと自分が作れるものなどない気がしてつらいとか、そんなことを思うかもしれません。しかし、他の人の作品を読むことは、自分自身のことを掘り下げる大きな力になります」と前向きである。
川柳の入門書としては暮田真名の『宇宙人のためのせんりゅう入門』(左右社)が12月下旬に発売が予定されている。
2023年9月22日金曜日
現代連句の40年
日本連句協会の前身である連句懇話会が創立されたのは1981年のことだった。私の連句歴は約30年で、創立時のことは直接知らないが、昨年『現代連句集Ⅳ』の編集に関わって、現代連句史を振り返る機会を得た。
最近、山地春眠子さんから「杏花村」のコピーをいただいた。「杏花村」は、わだとしお(村野夏生)が1977年に創刊した月刊俳諧誌で、1985年に100号で終刊するまで続いた。いわゆる「連句復興期」における東京義仲寺連句会の活動がよく分かるので紹介しておきたい。まず前提となる話になるが、1960年代以降の連句復興は伊勢派の俳諧師・根津芦丈をルーツとする。芦丈を中心として清水瓢左、野村牛耳、東明雅などの連句人が連句の普及につとめた。年譜のかたちで整理しておこう。
1959年 「都心連句会」創立
1961年 「信州大学連句会」創立。根津芦丈指導(東明雅・高橋玄一郎・小出きよみ・宮坂静生・池田魚魯)
1965年 都心連句会第一連句集『艸上の虹』
1966年 義仲寺史蹟保存会設立認可(境内に「昭和再建碑」保田与重郎)。1967年、機関紙「義仲寺」創刊
1969年 都心連句会第二連句集『むれ鯨』
1971年 東京義仲寺連句会、第一回俳諧時雨忌(10月10日)を機に野村牛耳・林空花・高島南方子・わだとしお・星野石雀・真鍋天魚・珍田弥一郎などが参加
1972年 東明雅『夏の日』(角川書店)
1978年 東明雅『連句入門』(中公新書)。山地春眠子『現代連句入門』(杏花村叢書。1987年再版・沖積舎)
1981年 連句懇話会結成、12月会報第1号発行。阿片瓢郎(連句研究)・大林杣平(都心連句会)・岡本春人(連句かつらぎ)を求心力とし、代表幹事に上記三名のほか、わだとしお(杏花村)が加わる。幹事は宇咲冬男・城戸崎丹花・国島十雨・見学学・伴野渓水・土屋実郎・永田黙泉・松村武雄・宮下太郎・山地春眠子。
東明雅は信州大学連句会で連句を修得し、『夏の日』はその成果。『連句入門』はさらに体系化された連句入門書となる。東は1982年に「猫蓑」を結成。(戦後の関西連句は橋閒石の「白燕」創刊にはじまり、東京の動きとも連動しつつ、独自の展開を見せるがここでは触れない。)
さて、「杏花村」に戻るが、東京義仲寺連句会は自由人の集まりだった。俳諧の伝統を継承しつつ、参加者には詩人や作家もいて、先進的な試みをしている。「杏花村」は、わだとしおの発行になっており、現代連句に果たした彼の功績は大きい。山地春眠子の『現代連句入門』の第六章「連句を読む」に収録されている作品は、「杏花村」の昭和52年・53年に掲載されているもので、この本が東京義仲寺連句会の熱気を背景に生まれたものであることが改めてわかる。どういうメンバーがいたのか、作品名と捌を挙げておく。歌仙「紫陽花の庭」(星野石雀捌)・脇起り歌仙「絵のしま」(高藤馬山人捌)・第三起こり胡蝶「蟬時雨」(林空花捌)・胡蝶「蕉庵余寒」(眞鍋天魚捌)・歌仙「幻戯興行」(山地春眠子捌)・歌仙「巷地獄」(中津川洪捌)・歌仙「トランプの城」(わだとしお捌)・歌仙「花菜漬」(星野石雀捌)・歌仙「八衢の星」(水野隆捌)・ソネット「夢較べ」(珍田弥一郎捌)・ソネット「寒紅」(珍田弥一郎捌)・六行四連「雪雲の時間」(山地春眠子捌)。 ここでは『現代連句集』に収録されていない作品を「杏花村」からいくつか紹介しておく。
歌仙「鷺の蓑毛」 馬山人捌
木で眠る鷺の蓑毛も冴えかへり 天魚
危き夢を紡ぐ朝東風 洪
蛙鳴く遠音にハープ搔き立てて 洪
波止場通りでコーヒーを飲む 素女
月光の斜めにさして印度貴石 浩子
レモンの匂ふ少年の街 石雀
ウ 翼竜の骨掘る岡のうそ寒く 春眠子
透明族のふえしキャンパス 徒司
排気筒(マフラー)の音高らかにはためきて 欣二
皺手振りつつ道にたたずむ 以登
大伴旅人の大臣(うし)の笑みかへり 馬山人
二重廻しに秘めし恋の香 浩子
ふるへつつ下る最上の雪見船 徒司
地下の酒場で似顔絵を描く 石雀
金太郎飴切る音のあざやかに 天魚
寝覚めの床にうぐひすの声 以登
はるばると花神訪ねて月の宿 徒司
和布刈(めかり)神社の春のことぶき 欣二
長くなるので歌仙の後半は省略。馬山人・高藤武馬は国文学者・俳人。著書に『奥の細道歌仙評釈』『芭蕉連句鑑賞』『桃青俳諧談義』などがある。天魚・真鍋呉夫は小説家・俳人。句集『雪女』など。
「杏花村」昭和53年5月号は〈高橋玄一郎追悼〉の号になっている。玄一郎と野村牛耳の文音両吟歌仙が掲載されているので、その表六句だけ紹介する。
プルシャンブルー黙示の傾斜草紅葉 玄一郎
三日月からむ送電の塔 牛耳
銃身を磨く射程は夜寒して 玄一郎
古稀のあるじのいまだ俊足 牛耳
声秘めてうのはなくだし窓明り 玄一郎
罷りて候蟾蹲る 牛耳
この歌仙は『落落抄』(高橋玄一郎文学全集第一巻)にも収録されているが、「定型を」「変型し」「異端へ」のうち、「異端へ」の部に分類されているのは興味深い。同号には東明雅の追悼文も掲載されていて、こんなふうに書かれている。
「―先生、黒色火薬はどうしましたね。爆発しますかね?」、これは高橋玄一郎さんが、時折私をからかった言葉である。黒色火薬とは新しい俳諧〈連句〉とその理論のことであった。私どもはこれを作りあげ、行きづまっている現代文学を一挙に粉砕しようと考えて来たのである。
私は高橋玄一郎についてかねてから関心をもっているので、別の機会に改めて取り上げてみたい。また、野村牛耳の連句観についてもいつか詳しく調べてみたいと思っている。
1985年、東京義仲寺連句会は「風信子の会」(村野夏生・別所真紀子)、「馬山人の会」(高藤馬山人・川野蓼艸)、「水分会」(真鍋天魚)などに分離。「風信子」はのちに「あゝの会」(村野)と「解纜」(別所)に分かれる。「水分会」からは浅沼璞が育った。
10月8日に大阪天満宮で開催される「第17回浪速の芭蕉祭」では「連句ブームの行方―現代連句の40年」というタイトルの講演と実作会を行う。資料に基づいたお話ができることと思っている。
最近、山地春眠子さんから「杏花村」のコピーをいただいた。「杏花村」は、わだとしお(村野夏生)が1977年に創刊した月刊俳諧誌で、1985年に100号で終刊するまで続いた。いわゆる「連句復興期」における東京義仲寺連句会の活動がよく分かるので紹介しておきたい。まず前提となる話になるが、1960年代以降の連句復興は伊勢派の俳諧師・根津芦丈をルーツとする。芦丈を中心として清水瓢左、野村牛耳、東明雅などの連句人が連句の普及につとめた。年譜のかたちで整理しておこう。
1959年 「都心連句会」創立
1961年 「信州大学連句会」創立。根津芦丈指導(東明雅・高橋玄一郎・小出きよみ・宮坂静生・池田魚魯)
1965年 都心連句会第一連句集『艸上の虹』
1966年 義仲寺史蹟保存会設立認可(境内に「昭和再建碑」保田与重郎)。1967年、機関紙「義仲寺」創刊
1969年 都心連句会第二連句集『むれ鯨』
1971年 東京義仲寺連句会、第一回俳諧時雨忌(10月10日)を機に野村牛耳・林空花・高島南方子・わだとしお・星野石雀・真鍋天魚・珍田弥一郎などが参加
1972年 東明雅『夏の日』(角川書店)
1978年 東明雅『連句入門』(中公新書)。山地春眠子『現代連句入門』(杏花村叢書。1987年再版・沖積舎)
1981年 連句懇話会結成、12月会報第1号発行。阿片瓢郎(連句研究)・大林杣平(都心連句会)・岡本春人(連句かつらぎ)を求心力とし、代表幹事に上記三名のほか、わだとしお(杏花村)が加わる。幹事は宇咲冬男・城戸崎丹花・国島十雨・見学学・伴野渓水・土屋実郎・永田黙泉・松村武雄・宮下太郎・山地春眠子。
東明雅は信州大学連句会で連句を修得し、『夏の日』はその成果。『連句入門』はさらに体系化された連句入門書となる。東は1982年に「猫蓑」を結成。(戦後の関西連句は橋閒石の「白燕」創刊にはじまり、東京の動きとも連動しつつ、独自の展開を見せるがここでは触れない。)
さて、「杏花村」に戻るが、東京義仲寺連句会は自由人の集まりだった。俳諧の伝統を継承しつつ、参加者には詩人や作家もいて、先進的な試みをしている。「杏花村」は、わだとしおの発行になっており、現代連句に果たした彼の功績は大きい。山地春眠子の『現代連句入門』の第六章「連句を読む」に収録されている作品は、「杏花村」の昭和52年・53年に掲載されているもので、この本が東京義仲寺連句会の熱気を背景に生まれたものであることが改めてわかる。どういうメンバーがいたのか、作品名と捌を挙げておく。歌仙「紫陽花の庭」(星野石雀捌)・脇起り歌仙「絵のしま」(高藤馬山人捌)・第三起こり胡蝶「蟬時雨」(林空花捌)・胡蝶「蕉庵余寒」(眞鍋天魚捌)・歌仙「幻戯興行」(山地春眠子捌)・歌仙「巷地獄」(中津川洪捌)・歌仙「トランプの城」(わだとしお捌)・歌仙「花菜漬」(星野石雀捌)・歌仙「八衢の星」(水野隆捌)・ソネット「夢較べ」(珍田弥一郎捌)・ソネット「寒紅」(珍田弥一郎捌)・六行四連「雪雲の時間」(山地春眠子捌)。 ここでは『現代連句集』に収録されていない作品を「杏花村」からいくつか紹介しておく。
歌仙「鷺の蓑毛」 馬山人捌
木で眠る鷺の蓑毛も冴えかへり 天魚
危き夢を紡ぐ朝東風 洪
蛙鳴く遠音にハープ搔き立てて 洪
波止場通りでコーヒーを飲む 素女
月光の斜めにさして印度貴石 浩子
レモンの匂ふ少年の街 石雀
ウ 翼竜の骨掘る岡のうそ寒く 春眠子
透明族のふえしキャンパス 徒司
排気筒(マフラー)の音高らかにはためきて 欣二
皺手振りつつ道にたたずむ 以登
大伴旅人の大臣(うし)の笑みかへり 馬山人
二重廻しに秘めし恋の香 浩子
ふるへつつ下る最上の雪見船 徒司
地下の酒場で似顔絵を描く 石雀
金太郎飴切る音のあざやかに 天魚
寝覚めの床にうぐひすの声 以登
はるばると花神訪ねて月の宿 徒司
和布刈(めかり)神社の春のことぶき 欣二
長くなるので歌仙の後半は省略。馬山人・高藤武馬は国文学者・俳人。著書に『奥の細道歌仙評釈』『芭蕉連句鑑賞』『桃青俳諧談義』などがある。天魚・真鍋呉夫は小説家・俳人。句集『雪女』など。
「杏花村」昭和53年5月号は〈高橋玄一郎追悼〉の号になっている。玄一郎と野村牛耳の文音両吟歌仙が掲載されているので、その表六句だけ紹介する。
プルシャンブルー黙示の傾斜草紅葉 玄一郎
三日月からむ送電の塔 牛耳
銃身を磨く射程は夜寒して 玄一郎
古稀のあるじのいまだ俊足 牛耳
声秘めてうのはなくだし窓明り 玄一郎
罷りて候蟾蹲る 牛耳
この歌仙は『落落抄』(高橋玄一郎文学全集第一巻)にも収録されているが、「定型を」「変型し」「異端へ」のうち、「異端へ」の部に分類されているのは興味深い。同号には東明雅の追悼文も掲載されていて、こんなふうに書かれている。
「―先生、黒色火薬はどうしましたね。爆発しますかね?」、これは高橋玄一郎さんが、時折私をからかった言葉である。黒色火薬とは新しい俳諧〈連句〉とその理論のことであった。私どもはこれを作りあげ、行きづまっている現代文学を一挙に粉砕しようと考えて来たのである。
私は高橋玄一郎についてかねてから関心をもっているので、別の機会に改めて取り上げてみたい。また、野村牛耳の連句観についてもいつか詳しく調べてみたいと思っている。
1985年、東京義仲寺連句会は「風信子の会」(村野夏生・別所真紀子)、「馬山人の会」(高藤馬山人・川野蓼艸)、「水分会」(真鍋天魚)などに分離。「風信子」はのちに「あゝの会」(村野)と「解纜」(別所)に分かれる。「水分会」からは浅沼璞が育った。
10月8日に大阪天満宮で開催される「第17回浪速の芭蕉祭」では「連句ブームの行方―現代連句の40年」というタイトルの講演と実作会を行う。資料に基づいたお話ができることと思っている。
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