2021年12月24日金曜日

2021年回顧(川柳篇)

昨年は『はじめまして現代川柳』(書肆侃侃房)が発行されて、現代川柳に対する関心がある程度高まってきた。今年はその続きとして、注目すべき川柳句集が何冊か上梓された。

川合大祐の第二句集『リバー・ワールド』(2021年4月、書肆侃侃房)
湊圭伍『そら耳のつづきを』(2021年5月、書肆侃侃房)
飯島章友『成長痛の月』(2021年9月、素粒社)

道長をあまりシベリアだと言うな  川合大祐
そら耳のつづきを散っていくガラス 湊圭伍
あれが鳥それは森茉莉これが霧   飯島章友

1970年代生まれの三人である。現代川柳界では中堅というところだろうか。このなかでは川合がいちばん実験的であり、湊は先鋭な作品と伝統的な作品の両方が書けるひと、飯島は短歌・川柳・十四字など短詩型文学のさなざまな詩形に通暁している作者である。この三人について私はこれまでにもそのつど取り上げてきたので、今回は他の川柳人や表現者たちが彼らのことをどう評価しているか、という観点から述べてみよう。
「川柳スパイラル」13号の特集は〈「ポスト現代川柳」の作者たち〉で、柳本々々が川合の句集について次のように書いている。
「句集『リバー・ワールド』を考えるにあたり大事なテーマとして上がってくるのが、圧倒的な過剰さです」「川合さんから『じぶんは世界を書きたいと思っているんです』と聞いたことがあります。世界を書きたいと思っているなんて、とわたしはその時正直思ったのですが、しかし今回川合さんのこの『ワールド』と世界が銘打たれた句集を読んでいて感じたことがあります。この句集が提示するものは、圧倒的な世界にひとがコンタクトすることそのものを表しているんじゃないか」「ひとりの人間が世界を、世界について、世界にふれたことを、書くということ」(『リバー・ワールド』の世界 いつ、泣くの)
柳本は『リバー・ワールド』の句集の編集にもかかわっているから、川合の作品については知悉している。そして柳本は川柳について「ことばをとおしてなにかを語る、のではなくて、ことばをとおしてことばそのものを語る、のが川柳なのではないかとおもうのです」と述べている。ここには柳本自身の川柳観が語られているが、川合の「道長を」の句の場合でも、言葉を通して言葉そのものを語る、ということがうなずける。そもそも道長をシベリアだと言う人はいないのだし、この一句は川柳のことばとしてだけ成立している。

逆に、川合は柳本をどう見ているだろうか。「川柳木馬」170号の作家群像は「柳本々々篇」で、川合は「伝道の書に捧げる薔薇、あるいは柳本々々氏の〈語り〉を〈読む〉ということ」という柳本論を書いている。
「何を今さらだが、川柳とは『誰』に向けられた発話なのだろうか。いや、発話という用語は適切ではないかもしれない。これを語る、と言い換えたとして、語っていない句作品もあまたある。ただ、『誰』かに対して語ろうとしている作品を、ひたすら作り続けている作家も間違いなくいる。柳本々々はそんな作家だ」

夏目漱石(CV:柳本々々)    柳本々々

川合はこの作品について、「CVとはキャラクターヴォイス、すなわち声優の意味だが、ここにおいて『誰』に『何』が『語られている』のか」と問う。「夏目漱石」の声を「柳本々々」が語っている。しかし、「柳本々々」は声優なのだから、語られているのは「柳本々々」の言葉ではない。ここではいったい「何」が語られているのか。そして「誰」に語られているのか。この句は「『語る』ということ、『誰』ということの重要性を端的に示した句である」と川合は書いている。 川合の作品も柳本の作品も「言葉/ことば」に対する先鋭な意識がベースにあるが、川合の場合は世界とどのようにコンタクトするか、柳本の場合は誰に語るかというコミュニケーションの問題が浮かび上がってくる。

次に飯島章友から見た湊圭伍について取り上げてみよう。
飯島は「川柳スープレックス」2021年8月16日に「湊圭伍著・現代川柳句集『そら耳のつづきを』を読む」を掲載している。
〈湊圭伍さんの第一句集『そら耳のつづきを』が出ました。わたしと湊さんは、2009年から柳誌「バックストローク」に投句を開始しました。その後「川柳カード」を経て、現在も「川柳スパイラル」で一緒なのですから、言ってみれば「同じ釜の飯を食ってきた」間柄です〉〈「とは言え、当時の湊さんは俳句や現代詩を通過してきたからかも知れませんが、五七五(前後)の長さで表現する力量がわたしよりもありました。ずっと短歌をやってきたわたしではありますが、川柳は下の句のない短歌みたいなもの。その短さには正直、困惑するばかりだったのです〉〈五七五に四苦八苦していた当時のわたし。他方、湊さんは、2010年3月7日の週刊俳句【川柳「バックストローク」まるごとプロデュース】(バックストローク30号)、2011年4月9日の「第4回BSおかやま川柳大会」での選者(バックストローク35号)、同年9月17日の「バックストロークin名古屋シンポジウム」でのパネラー(バックストローク36号)、短詩サイト「s/c」での「川柳誌『バックストローク』50句選&鑑賞」など、新人ながらその句作センスと批評力にみあった役目が与えられ、みごとその期待にこたえていたのでした。こうして文章で記すだけだと何とも簡単ですが、リアルタイムで見た者からするとまさに飛ぶ鳥を落とす勢い。現代川柳界に出現した新星でありました〉
続きは「川柳スープレックス」をご覧いただきたいが、ここには川柳界に登場した当時の湊の姿がとらえられている。その後、湊には川柳に対する関心が少し薄らいだかに見える時期があったが、第一句集の発刊を機に再び意欲的に川柳に取り組む気配を見せている。

飯島章友の句集については「川柳スパイラル」13号に久真八志が「上向きの蛇口の空を渡る」を書いている。久真は飯島と同じ歌人集団「かばん」のメンバーだから、飯島のことはよく知っている。

上向きにすれば蛇口は夏の季語  飯島章友

久真はこの句や飯島の十四字作品などをあげながら、飯島章友の作家性について次のように言っている。
「詩型を横断的に扱うこと自体、作者の文学的姿勢を問われるものである。『成長痛の月』から受ける印象は、色々な詩型の良さを愛で、それぞれの良さを楽しんでいる雰囲気だ。蛇口の句にはその点が特によく表れていて、三つの詩型を渡り歩きながら、機知で締める。その懐の広さが飯島さんの作家性なのだ」
飯島の川柳はこれまでにもさまざまに論じられてきた。「川柳カード」11号(2016年3月)では小津夜景が「ことばの原型を思い出す午後」を書いて、「私という質感/世界という質感」「変質と生命」「逼迫する時間性」「螺旋的起源へ」という切り口で飯島作品を論じた。「川柳木馬」160号(2019年4月)の「作家群像」は飯島章友篇で、川合大祐、清水かおりが飯島の句を読んでいる。そのときの「作者のことば」で飯島はこんなふうに語っている。「もともと私は前衛歌人の寺山修司や春日井建が大好きで、彼らの短歌に通じるような川柳を書きたいと考えていました」「前衛短歌を意識した川柳を作句し始めて以来、伝統川柳の句会では入選率がぐっと下がりました。しかし、自分の好みには素直でありたい」
飯島の強みは伝統川柳の世界もよく知っていて、そのうえで自分の川柳作品を自覚的に追求しているところにある。この点は湊圭伍や川合大祐も同じで、彼らの先鋭的な作品はこれまでの現代川柳の伝統を踏まえたうえでの冒険であって、恣意的な思いつきによる作品ではない。

以上、今年発行された三冊の句集を取りあげたが、そのほかにも現代川柳のさまざまな動きがあったことは言うまでもない。リアルの川柳句会も復活してきているし、来年は思いがけないところから現代川柳に新しい渦が生まれることを期待したい。
(次回は1月7日に更新します。)

2021年12月18日土曜日

2021年回顧(連句篇)

今年は国民文化祭『連句の祭典・入選作品集』が二冊発行された。第35回国文祭みやざきは昨年開催されるはずだったのが一年延期になり、結局今年もコロナ禍で開催できなかった。第36回国文祭わかやまは予定通り今秋開催することができた。宮崎は『入選作品集』のみ発行。そんな事情で二冊の作品集ができているが、その中からいくつかピックアップして紹介してみよう(以下、宮崎の作品集を『宮崎』、和歌山の作品集を『和歌山』と略記する)。

寂しさのグラデーションや秋夕焼
 各駅停車やがて月の出
残菊のなほ誇らしき姿して
 一羽の雀いつも顔見せ
ランドセルカタカタ鳴らし小学生
 厚着にかすかナフタリンの香

『宮崎』の歌仙「グラデーション」の巻(文部科学大臣賞)から表六句。印象的な発句に続いて、脇は月の座。第三「残菊」に四句目「一羽の雀」を付けて次につなげる。五句目には擬声語を入れ、六句目は冬に。破綻なく穏やかな表六句になっている。

宇宙のみこんだか鯉幟
 無重力の麦笛
すべての遺伝子情報細胞に
 おとぎ話が好きな父
月を待ちかねる龍頭船は蕭条と
 金木犀が香り

『宮崎』の歌仙「宇宙のみこんだか」の巻(国民文化祭実行委員会会長賞)から表六句。自由律である。連句はふつう五七五の長句と七七の短句という定型を繰り返すが、この歌仙は36句自由律。オン座六句の第三連で自由律の連を設けたり、部分的に破調にしたりすることはあるが、全巻を通して自由律というのはめずらしい。発句・脇の極大から第三の極小に転じ、四句目の「おとぎ話」で日常に戻したあと月の座と金木犀の取り合わせで引き締めている。冒険的な意欲が評価された作品である。

薔薇の香に体内の水呼応して
 ひとつに結ぶ玉繭のごと
指揮棒が振られ始まる交響詩
アプリの地図に右往左往す

『和歌山』の二十韻「薔薇の香に」の巻(上富田町長賞)から表四句。宮崎が歌仙の募吟だったのに対して、和歌山の形式は二十韻。表4句、裏6句、名残りの表6句、名残りの裏4句の形式である。表が4句で終わるから展開が早くなる。発句が薔薇の香と体内の水の呼応、脇は発句を玉繭の比喩で応じる挨拶。第三では始まりを告げる指揮棒を詠み、四句目のアプリで軽やかに次につなげている。

逃避行琵琶湖湖畔の隠れ宿
 もぐらがひよいと頭もたげる
出る杭は打たれるものと知りながら
 職を賭けたる接待の席

『和歌山』の二十韻「指先の」の巻(文部科学大臣賞)の裏の部分から。表が穏やかに進行するのに対して、裏は序破急の破の部分になり、多彩な変化が求められる。俳諧性や世俗的な題材も詠まれるので、掲出部分は裏ぶりがよくあらわれている。
日本連句協会が毎年発行している『連句年鑑』は各結社や連句グループのメンバーの総花的な作品となる傾向があるのに対して、国民文化祭の応募作品は入賞を目指しているので、よくも悪くも連句人の秘術を尽くす場となっている。

コロナ禍で座の文芸としての連句が危機に瀕しているが、打開策としてリモート連句が浸透してきている。6月6日「第1回全国リモート連句大会」が日本連句協会の主催で開催され、東京、関西だけではなく新潟、北陸、大分、岡山など全国の参加者79名が15座に分かれて連句を巻いた。尻取り半歌仙「冷汗」の巻から。

青時雨リモート連句の一会かな
 仮名を打ち込む顔に冷汗
あせるなと新米教師励まして
 指摘鋭く冴えてくる脳
能面に月の光がふりかかり
 雁の鳴く音のひびく里山

尻取りになっていて、「かな」→「仮名」のように前句の最後の言葉を、別の語に詠みかえて付句の最初にもってきている。遊戯的な要素も連句の幅広さだろう。

今年はweb上の新しい試みとして、若手連句人の高松霞と門野優による「連句新聞」が立ち上げられた。すでに春夏秋冬の4号が公開されている。コラム、全国の連句作品(10グループ)、トピックス、連句カレンダーという構成で、ネット検索するとすぐ出てくるので、ご覧いただきたい。私が特に注目したのは夏号、堀田季何のコラムである。堀田は次のように書いている。
「連句は変容しつつある。
こう書くと、専門連句人の何割かは眉を顰めるに違いない。どういう意味だと。連句は常に時事や現代語を取り入れてきているが、それは新しさとは違うし、況して変容とは言わない。最近の連句本でも、そこに書かれている式目は、何十年前の連句本のそれとはほぼ変わらない。形式にしても、新しいものはたまに生まれるが、歌仙、短歌行、半歌仙が相変わらず多い。では、こう書こう。
連句は変容しつつある。少なくとも、流行は変わりつつある」
この続きは直接お読みいただきたいが、「現代連句のこれから」を考えるときに、向かいあわなければいけない課題が指摘されている。

現代連句作品は全国各地の連句人・連句グループによって日々量産され、ネット連句も盛んになってきているが、座の文芸の閉鎖性と連句界の発信力の弱さによって一般の文芸愛好者に届くことが少ない。日本の短詩型文芸は和歌・連歌・連句・俳句・川柳という歴史的な系譜があり、どこから入ってもつながっているところがある。連句文芸、付合文芸のさらなる発展が望まれるところだが、最後に今年15周年を迎えた「浪速の芭蕉祭」について触れておきたい。「浪速の芭蕉祭」は毎秋、大阪天満宮で開催されているが、今年はコロナ禍で見通しが立たなかったため、宣伝は控えて参加者限定の会員制で実施された。10月3日にプレ・イベントとしてZoomミーティングによる「現代連句のこれから(短歌・俳句・川柳、そして連句)」を開催。ゲストに平岡直子(短歌)、安里琉太(俳句)、暮田真名(川柳)を迎えてそれぞれのジャンルと連句について話し合った。10月10日は大阪天満宮梅香学院でリアルの実施。トーク「現代連句のこれから」(金川宏)に続いて、連句実作会が行われた。連句と他ジャンルとの交流はこれからの課題である。

2021年12月10日金曜日

冬には冬の会い方があり

「東京新聞」11月20日の夕刊、「俳句のまなざし」の欄で外山一機が〈「女性」の句とは〉という文章を書いている。
〈「川柳スパイラル」12号が「『女性川柳』とはもう言わない」と銘打った特集を組んでいる〉と紹介したあと、外山は時実新子について〈時実新子とは、いわば主語を男性の手によって幾度も奪い去られすげ替えられてきた作家〉と評価し、俳人の杉田久女が〈虚子というひとりの男性によって歪な形でもたらされたこと〉(松本てふこ「俳句史を少しずつ書き換えながら、詠む」)と同様の問題だとしている。
「川柳スパイラル」12号は川柳界では特段の反響がなかったのだが、掲載された松本てふこの文章がこのようなかたちで取り上げられたのは嬉しいことである。

これからの赤を約束して結ぶ  峯裕見子

年末になり、来年のカレンダーをどれにしようかと迷う時期である。掲出句は「峯裕見子オリジナルカレンダー2022」より、1月の句。峯裕見子は「川柳スパイラル」12号のゲスト作品では「五月の滝後ろから入ってください」「あと少ししたら欄間の鶴も鳴く」などの句を書いている。「川柳木馬」86号から彼女の旧作を抜き出しておく。

私の脚を見ている男を見ている    峯裕見子
猫の仇討ち金目銀目を従えて
そうさなあ手向けてもらうならあざみ
夕顔の種だと言って握らせる
わかれきて晩三吉が膝の上
菊菊菊桐桐桐とうすわらい

とりあえず今はダチョウに乗ってゆけ  樹萄らき

「あざみエージェント・オリジナルカレンダー2022」から、一月の句。
樹萄らきは「川柳の仲間 旬」に所属。彼女の作品は他誌では読めないので、少し紹介しておく。

凧上げる夢見た頃が見えるかい  樹萄らき
いろいろあるさ方向音痴だもん
お引き取り願いましょうかスッと立つ
むかしむかし柘榴は怖いものだった
そんなにも明るいものは楽しいか
じゃあねって君が残したのは刹那

11月3日に開催された「2021きょうと川柳大会」の作品集が届いた。入選句のなかから一句だけ紹介しておく。

バスを待つ指の形を変えながら   富山やよい

バスを待つという状況を詠んだ句はよくあって、たとえば「バスが来るまでのぼんやりした殺意」(石部明)が思い浮かぶ。石部の句ではバスを待つあいだの内面が詠まれているが、富山の句では「指のかたち」という身体に焦点があてられている。けれども、それは身体だけとも言えなくて、指のかたちを変えるのは心の微妙な動きとも連動していることになる。それが不安とか恋情とかいう具体的な何かではなくて、指の形という含みのある表現をしているのが巧みだ。「川柳木馬」125号より富山の旧作を抜き出しておく。

コロラドに夕陽あなたは猫ですね    富山やよい
こんにちはジャングルジムが咲きました
格闘技花の形で逃げる兄
逃げ込んだ街だ消防車の赤だ
背中からオンブラ・マイ・フおんぶら鬼

「水脈」59号に一戸涼子が「フロンティアスピリット 飯尾麻佐子に捧ぐ」を書いている。飯尾麻佐子の「魚」については何度か書いたことがあるので、ここでは繰り返さない。一戸が紹介している麻佐子の作品を抜き出しておこう。

野に伏せる死魚一塊の唇に撃たれ  飯尾麻佐子
ゆうぐれの烏一族なまぐさし
渚にて指曼荼羅は散乱す
遠い喪の 一騎を刎ねし穢土の羊歯
文学論 すこし地獄を呼んでみる
眠れぬ大気 ゆわーんと にし ひがし

「朝日新聞」12月5日の「うたをよむ」の欄で水原紫苑が「今年も女性歌人の優れた歌集が次々に世にでた」と書いている。平岡直子の第一歌集『みじかい髪も長い髪も炎』から。

冬には冬の会い方がありみずうみを心臓とする県のいくつか  平岡直子

(注)「しかし、それでもなお、女性というものは存在しています。女性一般というものがなく、また、それがどのような文脈で語られるにせよ、女性は存在しています」(川上未映子『早稲田文学増刊 女性号』)

2021年12月3日金曜日

天使の腋臭―川柳・俳句・短歌逍遥

12月に入った。今年も残り少なくなってきたが、短詩型の諸ジャンルでは途切れることなく活発な表現活動が続いている。その全てに目配りすることなどはとてもできないが、管見に入ったものについて川柳、俳句、短歌の順に触れてゆくことにしよう。

日本現代詩歌文学館主催の「第7回現代川柳の集い」は9月19日開催の予定だったが、コロナ禍で中止になった。事前募集の入賞作品が「詩歌の森」(館報93号)に掲載されているので紹介する。

抱いているいつか壊れるものなのに  守田啓子
挽歌弾く一本松のヴァイオリン    菊地正宏
哀しみの海を分け合う慰霊祭     荻原鹿声

「触光」72号(編集発行・野沢省悟)では第12回高田寄生木賞を募集している。川柳に関する論文・エッセイで、締切が2022年2月28日。「触光」掲載作品から。

三叉路は雪の匂いがする方へ   滋野さち
蜘蛛の糸昇って着いたのも地獄  津田暹
この薔薇を剪るその傷を残しおく 小野善江

「川柳北田辺」121号(編集発行・竹下勲二朗)から。

油滴天目茶碗で彼を泡立てる    笠嶋恵美子
眠っている窓のとなりに窓を描き  湊圭伍
マンモスをペリリュー島へ派遣した 井上一筒
ツンドラの検温 熱帯の検温    きゅういち
右肩あたりに一人称サナダムシ   山口ろっぱ
指差した爪の先にて蝶が舞う    酒井かがり

佐藤智子句集『ぜんぶ残して湖へ』(左右社)。佐藤文香の帯文に「現代を生きる主体と現代語の文体が抱き合うダイナミズムを感じるにふさわしい、2020年代を象徴する一冊」とある。佐藤智子は『天の川銀河発電所』の公募作家としてデビューした。同書で佐藤文香は「〈じゃんけんで負けて蛍に生れたの〉の池田澄子が、かつての日常口語俳句を開拓したとして、佐藤智子は現在の口語の人だ。短歌でいえば永井祐か」と書いている。川柳は江戸時代からずっと口語なのだが、俳句や短歌では文語か口語かということとジャンル内のエコールの変遷がからみあっているようだ。山田航は「現代詩手帖」10月号の鼎談「俳句・短歌の十年とこれから」で短歌の歴史をリアリズム(写実)と反リアリズム(幻想)の繰り返しととらえ、次のように発言している。「それまではリアリズムは文語で、反リアリズムはそれに対抗するために口語でやるものだという図式があった。しかしそれは単なる思いこみに過ぎず、口語を使うリアリズムも可能だという方法を、2000年代に永井祐が鮮やかに打ちだして見せました」―この見方の当否はともかく、短歌における文語・口語の角逐と平行するようなかたちで佐藤文香が現代俳句史をとらえていることが想像できる。

明けない夜だよ伊予柑の香がやたら  佐藤智子
炒り卵ぜんぶ残して湖へ
新蕎麦や全部全部嘘じゃないよ南無

短歌誌「ぬばたま」6号の特集は大橋なぎ咲。巻頭作品「ミューズ」から。

話したいときは女子校だと告げるわかってもらいやすくなるから   大橋なぎ咲
みーちゃんのカレシと聞いてチェックした硬式テニス部の人たらし
全員で顧問に謝罪したらしいJを試合に連れていくため

「ぬばたま」は大橋のほか乾遥香、初谷むいなど1996年生まれの歌人が集まった同人誌。今号には大橋なぎ咲、瀬戸夏子、乾遥香の鼎談「オタクである私の話」も掲載されている。

『葛原妙子歌集』(書肆侃侃房)、「ねむらない樹」7号の特集で高橋睦郎が葛原のことを語っているインタビューがおもしろかったので取り寄せた。栞を大森静佳、川野芽生、平岡直子が書いていて、三人ともおもしろい。見ることが世界に乗り移ることになるという大森、真実を視るためには目を閉じなくてはならない(幻視)という川野、見慣れた景色と言葉を見慣れないものとして再構成することが葛原にとっての写生だという平岡。それぞれのアプローチが刺激的である。

水かぎろひしづかに立てば依らむものこの世にひとつなしと知るべし 葛原妙子
寺院シャルトルの薔薇窓をみて死にたきはこころ虔しきためにはあらず
水中より一尾の魚跳ねいでてたちまち水のおもて合はさりき
この子供に絵を描くを禁ぜよ大き紙にただふかしぎの星を描くゆゑ
天使まざと鳥の羽搏きするなればふと腋臭のごときは漂ふ

2021年11月26日金曜日

ポスト現代川柳―「川柳スパイラル」13号

「文学界」12月号、巻頭のグラビアページに平岡直子の短歌10首が掲載されている。「パラパラ漫画」というタイトルで、岡田舞子の写真とのコラボになっている。

花ひとつひとつの裏に小さな装置 踏切を待つあいだだけ  平岡直子
努力家を自称する全方向に全方向に落ち葉が降るの

平岡は『短い髪も長い髪も炎』(本阿弥書店)を上梓して今もっとも注目される歌人のひとりだが、彼女の短歌はすでに第一歌集以後の新たな展開を見せつつあるようだ。

ネットプリント「当たり」21号から、大橋なぎ咲の短歌。

混沌と出会ってはじまる私たちただの同級生じゃなくなる  大橋なぎ咲
姫といない知らない間の王子 女学校で王子が王子に恋をすること

女子校の感覚は私にはわからないところもあるが、「混沌」は『荘子』の有名な一節であるし、暮田真名が新たに立ち上げたネット句会の名でもある。先日発行された「ぬばたま」6号は大橋なぎ咲の特集。また大橋は「川柳スパイラル」13号に〈暮田真名と「当たり」の裏話〉を執筆している。「当たり」21号の暮田真名の川柳から。

万難を排してさびれだす港   暮田真名
眼福がつまって墨が流れない
町おこしに使った舌は草むらへ

「川柳スパイラル」13号の特集は「ポスト現代川柳の作者たち」。特集の前にゲスト作品を紹介しておこう。

捻子吹いて踏みだせ下戸のファランクス  しまもと莱浮

しまもと莱浮は熊本在住の若手川柳人。Zone川柳句会を運営している。「連れんこらるばい早よほー洗わんば」という方言作品や「瞑っていよう(註)で埋めて」のような句もあり、多彩な表現になっている。掲出句の「ファランクス」は古代ギリシアの歩兵などが槍をもって進撃する密集隊形。トロイ戦争などの映画のシーンで見かけることがある。下戸が隊形を組んで進んでゆくというのもおもしろい。

吐瀉物を舐める地球のデトックス    二三川練

二三川連は短歌では『惑星ジンタ』(新鋭短歌シリーズ、書肆侃侃房)の作者。

うつくしい島とほろびた島それをつなぐ白くて小さいカヌー 二三川練

連句の心得もあり、川柳も書く人なので、今回ゲスト作品を依頼した。掲出句の「デトックス」は有害物質を排出する解毒。ほかに「一万の眼鏡に落ちてくる宇宙」「花冷の犬の卵を茹でておく」など。

次に同人作品から各1句ご紹介。浪越靖政は今号お休み。

今ここを封じた雪が手に溶ける  飯島章友
拒めば拒むほど皮膚を産むはず  湊圭伍
妄想の雀が蓋をしていない    川合大祐
木菟とやたら目が合う観覧車   一戸涼子
完璧に病んで模様になってます   石田柊馬
追いかけて島のかたちになっている 畑美樹
言霊をスプーン一杯静かに湯   悠とし子
構造上夜霧は店になりません   兵頭全郎
言いさしのまばゆさあるいはただの人 清水かおり

さて特集の「ポスト現代川柳の作者たち」では、川合大祐、湊圭伍、飯島章友、暮田真名の四人を取りあげている。
『はじめまして現代川柳』のあと、川合大祐の動きは早く、今年の4月には句集『リバー・ワールド』(書肆侃侃房)を出している。「川柳スパイラル」では柳本々々、畑美樹の文章のほか、「小遊星」のコーナーに飯島章友と川合の対談が掲載されている。
柳本は『リバー・ワールド』の編集にも協力していて、まずこの句集の「圧倒的な過剰さ」に注目している。「この過剰さは、ソフト面、内容面だけではありません。大事なのは、かたち、ハードとしても現れているということです」と柳本は述べている。1001句収録のぶ厚い句集なのだ。「ことばをとおして何かを語る、のではなくて、ことばをとおしてことばそのものを語る、のが川柳なのではないか」など、柳本の川柳観も語られている。また、畑美樹は「川柳の仲間 旬」の初期から川合のことを知っていて、〈予見〉というキーワードを使って川合の川柳を語っている。川合と飯島の対談は、まあ読んでみてください。
湊圭伍『そら耳のつづきを』(書肆侃侃房)については、正岡豊が寄稿している。「勾玉のつづきを」というタイトルで、〈私は「そら耳」に対して「勾玉」を思ってみたりした〉〈短詩型の一作品というのは、ひとによっては「御守り」のようなものとして抱きかかえられるように愛されることがある〉という一節は句集の書評を越えて魅力的。石部明、石田柊馬以降をどう書くか、なお「以降」を書いていかなければばらない、というのも現代川柳についてよく知っている正岡ならではの視点だ。
飯島章友『成長痛の月』(素粒社)については「かばん」の久真八志が「上向きの蛇口の空を渡る」を書いている。飯島の作品は多彩で、いろいろな方向性をもっているが、飯島の作家性について、久真が飯島の川柳と次の短歌を並べて引用しているのは興味深い。

上向きにすれば蛇口は夏の季語  飯島章友
しろがねの洗眼蛇口を全開にして夏の空あらふ少年 光森裕樹
水飲み場の蛇口をすべて上向きにしたまま空が濡れるのを待つ 山田航

暮田真名については、この時評でもその都度取り上げてきたし、現在いろいろな試みをしている最中なので、暮田の表現活動がまとまったかたちをとったときに改めて論じてみたい。

瀬戸夏子編『はつなつみずうみ分光器』(左右社)は「現代短歌クロニクル」の副題にある通り、2000年以降の歌集のアンソロジーで、ゼロ年代とテン年代の短歌シーンが分かるようになっている。またコラムの欄で瀬戸は「ニューウェーブ」と「ポストニューウェーブ」について書いている。川柳では残念ながら短歌のようなエコールの明確な展開は見られないが、現代川柳の新しい展開を感じさせる作品がぼつぼつ生まれてきているようだ。

2021年11月19日金曜日

川柳の入門書

今回は手元にある川柳入門書を紹介してみたい。現在書店では手に入らないものが多いが、古本や通販などで流通していると思う。
私が初心のころによく利用したのは尾藤三柳著『川柳の基礎知識』『川柳作句教室』(雄山閣カルチャーブックス)の二書である。前者は「川柳の成り立ち」(川柳史)にはじまって「川柳の構造」「川柳の技法」と続き、「川柳創作の実際」では句会の概略まで詳細に説明している。後者は作句のための実践的な内容で、「入門編」では「ことばのトレーニング」「課題による作句」などにはじまり用語・形式・比喩にいたるまで説明、「応用編」では印象吟・嘱目吟・慶弔吟・時事吟などに分けて例句を挙げている。川柳史をより詳しく知りたいという向きには、同じく尾藤三柳の『川柳入門‐歴史と鑑賞—』(雄山閣、1989年)がお勧め。歴史篇では江戸期、明治期、大正期、昭和前期、昭和後期に分けて展望が示され、鑑賞篇では古典期(江戸)、新川柳期(明治以降)の作品が鑑賞されている。
最近では川柳入門書を開くこともなくなったが、今回手元にある川柳書を改めて眺めてみて、よくできていると思ったのが、野谷竹路(のや・たけじ)の『川柳の作り方』(成美堂出版、1994年)。「川柳のルーツ」では「川柳も俳句も俳諧から生れた」ということが強調されている。「川柳は俳諧の付句を学ぶ方法として考えられた前句付から生れた文芸なので、俳諧に至るまでは、現在の俳句の成り立ちと同じです。ですから、俳句と川柳は俳諧という文芸から生れた同根の文芸と言ってよいと思います」
俳諧というのは連句のこと。六大家のなかで俳諧(連句)と川柳の関係を正確にとらえていたのは前田雀郎であったが、川柳史をひもとけば両者の関係がよく分かる。また、川柳と雑俳との関係も知っておく必要がある。
野谷の本に戻ると、「鑑賞教室」の章では六大家のほか「現代のおもな作家と作品」が取り上げられている。

遊びではない旅に出る十二月    越郷黙朗
雨の避け逢いたい人はみな遠し   斎藤大雄
百万の味方コップの中にいる    神田仙之助
意識してからの両手の置きどころ  佐藤正敏
手品師を消してしまった弱気な鳩  尾藤三柳
そうだったのか若き日の花言葉   渡邊蓮夫
蟹の目に二つの冬の海がある    大野風柳
捜すなと無理なこと書く置手紙   山田良行
売った絵をいまさら惜しむ春のうつ 磯野いさむ
名を捨ててひとりの机ひとつの書  去来川巨城
二階から一日おりず詩人とか    西尾栞
蝶になる前を語れば嫌われる    吉岡龍城
恋人の膝は檸檬の丸さかな     橘高薫風
宰相の帽子は鳩も鷹も出る     田口麦彦
ここで動けばレッテルを貼られそう 小松原爽介
もう幕にしろと傍観者の欠伸    寺尾俊平

「番傘」系の入門書も紹介しておこう。岸本水府の『川柳讀本』はさておいて、近江砂人に『川柳実作入門』(大泉書店)がある。「現代川柳と古川柳」の章で川柳史を通観したあと、「川柳の表現と着想」に及び「川柳の作り方と考え方」を解説している。「前進もよいが、本来の川柳の姿を見失っては、元も子もなくなるので、私はその行き過ぎを警戒しなければならないと思う」「特に川柳で注意したいのは、人の意表をつくために着想を伸ばしてゆくのはいいのですが、一歩誤ると、暗い面、不吉な面へ足を入れます」などの伝統派(本格川柳)の川柳観が見られる。砂人が挙げている「革新川柳」とは次のような作品で、彼の「革新」に対するイメージがうかがえて、それなりに興味深い。

火燃やす胸の暗転広場をさがして歩く  俊介
別れてからの泪はひろわない黒い鳩   芙巳代
妻病む一家が渡ると丸木橋喋る     一吠
終わった旅のベッドルームにある告示  冬二
風の列車を全部発たせた胸に寝つく   淳夫

番傘川柳本社創立85周年を記念して出版された川柳書に『川柳 その作り方・味わい方』(創元社、1993年)がある。「川柳の歴史」「川柳の基礎知識」「川柳の作り方」のほか「添削と選評」「作家とその作品鑑賞」「句会の心得と楽しみ方」という実践的な内容が掲載されている。執筆者のひとりである亀山恭太が本書の刊行と同時期に亡くなったことが強く印象に残っている。

他にも川柳入門書は山ほどあるが、入門書の一般的なパターンとしては、まず川柳史を概観し(歴史)、川柳の構造と発想(本質論)を解説、実践的な作句法(技術論)に及んだあと、その結社やグループの作品を掲載する(アンソロジー)というものが多い。川柳史を語る場合でも俳諧(連句)や雑排にまで目配りしているものもあり、古川柳から現代川柳までどのような比重で語るかに著者の見識があらわれる。「俳句と川柳の違い」が川柳史に即して説明される場合もあるし、構造と発想に関連してとりあげられることもある。実践的な技法としては比喩、省略などが話題になるが、たとえば何を省略ととらえるかについて、あげられている例句に疑問を感じる場合も見られる。アンソロジーの部分はその時代に活躍した作者の句を断片的に知ることができるが、それぞれの著者の川柳観が反映されているから、現在の目から見て限界もあるだろう。とくに「女性川柳人」にスポットを当てているものもある。
川柳入門書は初心のうちは便利なものだが、結局自分の思うように川柳作品を書いてゆくほかはないということだろう。

2021年11月12日金曜日

こんな顔ではなかったかい?

とりあえず今はダチョウに乗ってゆけ   樹萄らき

「あざみエージェント」(冨上朝世)が発行しているオリジナルカレンダーの2022年版1月の掲載句。応募作35名の中から6人の選者が佳作・準特選・特選を選び、さらにその中からカレンダーに載せる12句が選ばれている。掲出句は柳本々々選の佳作から。
樹萄らきは川柳の仲間「旬」所属。啖呵の効いた威勢のいい句を書く人だ。「とりあえず」だから、いろいろ面倒なことがあり他に手段があるかもしれないが、とにかく出発しようということだろう。それも電車や車ではなくて、ダチョウに乗るのだという。ダチョウは時速60キロのスピードで走るから、乗り心地はともかくけっこう遠くまでゆけるかもしれない。高村光太郎の「ぼろぼろな駝鳥」をはじめ、ダチョウには私たちにさまざまな連想を誘うイメージがある。ダチョウに乗る人のほかに、「乗ってゆけ」と言っているもう一人の人がいるのだと考えると、出発する人と送り出す人の姿も浮かんでくる。ダチョウになど乗れない現実のなかで、一瞬の爽快感が生まれる。
そろそろ来年の手帳を買うことにしよう。

ふつうです特殊ケースのほとんどは  佐藤みさ子

10月に創刊された川柳誌「What`s」vol.1(編集発行人・広瀬ちえみ)から。
佐藤みさ子は箴言(アフォリズム)のような句をいくつも書いている。「正確に立つと私は曲がっている」などはその代表的な作品だが、掲出句も「ふつう」と「特殊」の関係を独自の川柳眼で言い当てている。世間で特殊だと言われていることも当人にとっては「ふつう」なのであって、それを「特殊」だと言う世間の方が実はふつうではない。「ふつう」と「特殊」の関係が逆転し、問い直される。ベースにあるのは、人間はひとりひとり違うのであり、違いのなかに譲れない大切なものがあるという認識である。
ほかにも佐藤は「死ぬはずはないさ生まれていないもの」「空気には音があるのよねむれない」などの句を書いている。

体のなかの音組み立ててから起きる   加藤久子

同じく「What`s」vol.1から。この雑誌には終刊になった「杜人」のメンバーが多く参加している。加齢や低血圧、心身の不調などさまざまな事情で起きられないことがある。そんなとき体内で不安定に鳴っている音を組み立ててから、さあ起きるぞと自分を奮い立たせて起き上がる。「体のなかの音」という表現が魅力的で、考えてみれば体内には血液やリンパ液などが流れているのだし、それぞれの器官が動いている。そういう体内感覚と同時にデリケートな心の働きもある。この句では目覚めのときの感覚をまず音としてとらえている。「海岸線おいしい音をたてている」「雪の日の椅子に積もってゆくバッハ」などの句も掲載されている。

コロナ振り向く「こんな顔ではなかったかい?」  小野善江

「川柳木馬」170号から。小泉八雲の「むじな」の話を踏まえている。
コロナ禍の生活もほぼ二年に及ぶ。川柳でもコロナを詠んだ句はいろいろあるが、まとまった形で読む手立てがない。短歌誌「井泉」102号の〈リレー小論〉のテーマは「日常の歌を考える―コロナ禍に何をみるか」で、今井恵子と彦坂美喜子が執筆している。両人が取り上げているのは現代歌人協会が編集した『二〇二〇年コロナ禍歌集』という冊子。引用されているのは次のような歌である。

リモートの会話はどこかぎこちなく中の一人の画面が消える 佐藤よしみ
扉を開けてしばしためらうマスク越し判然としないあなたはどなた 松山馨
「手指酒精消毒液」が染み込んであなたに触れた事実も消える 松村正直
自粛ポリスとふ新語おそろし過剰なる監視者となる普通の人が 結城千賀子
陽性者は恥じよ恥じよと迫りくる舌を持たざる声群がりて  吉川宏志

「オンライン会議やリモート授業、またZoom歌会などが、一年のうちに、ごく当たり前のようにわたしたちの日常のなかに取り込まれていった」「遠隔地に接続できるので、物理的な距離を解消し、少ない労力で多くの情報が得られる便利さはある。人的交流が苦手の人にとっては楽に感じられるかもしれない」(今井恵子「これからの暮しと言葉」)しかし、やむをえずオンラインに切り替えた多くの人たちは不安定感をかかえているのであり、対面する会話の言葉との質的な違いは、よく覚えておきたい体感だと今井は言う。
川柳ではオンラインへの切り替えが限定的で対応のスピードも鈍いが、夏雲システムやZoomを利用した句会も徐々に現れてきている。川柳は時事や時代の反映を得意とするはずなので、まとまった形でコロナ禍の生活と向き合った句集があればいいのにと思う。小野善江の掲出句はCOVID‐19を擬人化して、のっぺらぼうのような無気味さを感じさせている。

家出するには古本が多すぎる   古谷恭一

同じく「川柳木馬」170号から。家出できない理由は古本が多いからというのは、本の置き場に困っている者には実感としてよく分かる。すべて捨ててしまえば出発できるのだろうが、本に対する愛着が強いのだ。
本誌の巻頭言で古谷恭一はこんなふうに書いている。「コロナ禍で、土佐では、二年続けてよさこい祭りが中止になった。よさこい祭りが無いと、高知の町もひっそりである。それに加えて、八月は長雨が続き、はりまや橋もさみしく濡れそぼっていた」そして恭一は北村泰章の句を引用している。

 朱に染めてはりまや橋に雨が降り  北村泰章

北村泰章没後14年。時代の変化のなかで、それぞれの土地で川柳活動が続けられている。

ねえ似てるんだけど、ではじまる手紙   柳本々々

「川柳木馬」170号の「作家群像」は柳本々々篇である。真島久美子と川合大祐が作家論を執筆している。
掲出句は「ねえ」という呼びかけで始まっている。誰に対して呼びかけているのか。「ねえ似てるんだけど」が手紙の書きだしだから、手紙を送る相手なのだろう。そもそも何が似ているのかも書かれていない。書き手と相手との共通性だとすると、何か話が通じあい共感できるところがあるという関係性。たとえば、リチャード・ブローティガンが好きだとか、フギュアを集めるのが趣味だとか、お互いが同じタイプの人間であるというところから交流がはじまる。友情であれ恋愛であれ、異なったタイプ、正反対の性格だからうまくいくという場合もあるが、ここでは「似ている」ということが大切になっている。あるいは、そういうことではなくて、手紙の書き手が自分とそっくりな第三者と出会ったという報告かもしれない。自分と外見が似ているが正体不明の人物が不意にやってくる。そういう状況だとミステリーの発端になる。
柳本の句のなかでよく知られているものに「ねえ、夢で、醤油借りたの俺ですか?」があって、同じように「ねえ」で呼びかけられていてもこの句の場合は句意が読みとりやすい。掲出の手紙の句は読みの範囲が限定されずに、読者に放恣な想像を誘うところがある。誰に呼びかけているのかというのは「宛名」の問題である。この手紙はいったい誰に宛てて書かれているのか。宛名は手紙の相手というより、架空の誰かかも知れないし、川柳の読者なのかも知れない。
川合大祐は作品論で「川柳とは『誰』に向けられた発話なのだろうか」「柳本は『誰』に向けて作句しているのだろう?」(「伝道の書に捧げる薔薇、あるいは柳本々々氏の〈語り〉を〈読む〉ということ」)と書いている。今月末に発行される「川柳スパイラル」13号では逆に柳本々々が川合大祐の『スロー・リバー』について書いているので、あわせて読めば興味深いと思われる。

2021年11月5日金曜日

連句の大会と川柳の大会

10月30日
「紀の国わかやま文化祭2021」の「連句の祭典」吟行会のため白浜へ。JR白浜駅からバスツアーで、まず稲葉根王子へ向かう。熊野古道を本宮大社まで行くツアーで、ガイドさんも同行している。次の滝尻王子では熊野古道館の展示によって熊野古道の全体像が少し理解できた。古道館の横の細い道に「この道は熊野古道ではありません」という立札があるのがおもしろかった(その後、このような表示に何度も出会うことになる)。
滝尻王子のあとは一直線に本宮大社へ。本宮には来たことがあるので、私が行きたかったのは大斎原(おおゆのはら)である。ここに元の熊野本宮大社があったのだ。本来の聖地だから、何かアニミズムやスピリチュアルな雰囲気を感じることができるかと思って、感覚を開放して何かが降りてくるのを待ってみたが、都会生活者の私には聖域の感覚はそれほど得られなかった。同行の人々から少し離れたところに佇んでいたのは一種のポーズで、見苦しいことである。
本宮は一遍が参籠したときに夢に熊野権現が現れて阿弥陀信仰に導いたところだ。本宮の主祭神の本地仏は阿弥陀如来である。熊野と松山(一遍の誕生地)がつながる。

10月31日
「連句の祭典」当日。上富田文化会館で開催。
午前の部は開会式。表彰のあと記念公演「市ノ瀬夢芝居」と続く。当日配布された入選作品集から、まず一般の部・文部科学大臣賞受賞の二十韻「指先の」の巻(捌・名本敦子)のオモテ四句を紹介する。

指先の傷にはじまる春うれひ
 籠にこんもり蕗の姑
入学式制服制帽まぶしくて
 ペダルを踏めばこころ軽やか

ジュニアの部の文部科学大臣賞は表合せ六句「三が日」の巻(指導・鈴木千惠子)。中学生の兄弟の両吟。

はがき待ちポストに通う三が日  
 ポッケの左右入れる年玉    
こち亀がずらりと並ぶ本棚に
 猫の足跡続く裏庭
ソーダ水月といっしょに一気飲み
 汗のにおいはクラスのにおい

午前の部の様子はYouTubeで同時配信された。限定公開なので事前に上富田町と日本連句協会のホームページにURLが掲載される。大会に参加できなかった方も楽しめたようだ。上富田町市ノ瀬の春日神社では毎年10月に奉納芝居が行われ、江戸時代中期から続いている伝統あるものらしい。歌舞伎のようなものかと思っていたが、大会当日上演された「置泥(おきどろ)」は落語のネタをアレンジしたもので、最後の方で「和歌山県の連句を育てる会」の会長も役者として登場、会場を湧かせていた。
昼食のあと午後の部は連句の実作。リアルの座が9座、リモートの座が1座で、計48名の参加。コロナ禍で会えなかった方々とも久しぶりに対面して連句を巻くことができた。Zoomを使ったリモートの座の方も、会場にパソコン2台を設置して、リモートの参加者と連絡をとった。実作の進行はリモート連句の参加者だけで行ったが、会場の連衆とリモートの連衆とが一座を組むハイブリッド連句も十分可能かと思った。

11月1日
熊野古道をひとりで歩く。タクシーで稲葉根王子まで行き、そこからバスで牛馬童子口まで。山道を登って箸折峠に着く。かねて憧れの牛馬童子と対面することができた。思っていたより小さな石仏で、左右に並んでいる馬と牛にまたがっているユニークな造型である。ここからは下りになり近露の里に出る。この日のコースのなかでは牛馬童子口から近露までが熊野古道らしい雰囲気があった。近露には民宿があり、中辺路を全部歩くなら、ここで一泊するのがよさそうだ。入ってみたいと思う喫茶店もあった。ここからの道はアスファルトが多く、歩いていてもそれほど楽しくない。楠山登り口から再び古道らしくなり、継桜王子まで行く。境内の野中一方杉は見事なものだ。ここで古道からリタイアしてバス道に下り、バスで本宮まで。途中、湯の峰温泉や川湯温泉を通過。川湯温泉には数十年前に宿泊したことがあるが、そのときの旅館が窓から見えた。
本宮のひとつ手前の大斎原でバスを降りる。一昨日とは別の入り口から大斎原に入る。再びここに来たのはいまひとつ納得できない気持ちがあったからで、聖地の雰囲気を感じとれるかどうか試してみたかった。けれども、参拝所の前の芝生のところで寝転んで話している若者の群れがいて、神聖な雰囲気は一昨日以上になかった。超越的なものに無縁な人間がいることは、それはそれで仕方のないことだ。河原の方におりてしばらく流れを見ていた。

11月3日
「`21きょうと川柳大会」に参加するため、ラボール京都へ。久しぶりの川柳の大会になる。
事前投句(雑詠)112人、一人2句投句だから224句を四人の選者が共選する。高得点句の一部を紹介する。

そうよねと話を聞いてくれたパン  新保芳男
弟がアベノマスクをつけている   福尾圭司
七割は風で有言不実行      斉尾くにこ
アリバイを程よく寝かす冷蔵庫   中林典子
赤い紐引けば口角上がります  長谷川久美子
熟さないトマトのように黙り込む  上西延子
オルゴールひらけば津波注意報   高橋レニ
傾けたワイン半音ずれている    矢沢和女
尻尾だけ揺れる弓張り月の猫    藤本鈴菜
風鈴も静かになって多数決     亀井明
バスを待つ指の形を変えながら  富山やよい
情報はそこまで湯切りさっとする  木戸利枝

当日の課題は「メニュー(蟹口和枝選)」「だます(岩根彰子選)」「手紙(ひとり静選)」「喉(笠嶋恵美子選)」「働く(藤山竜骨選)」。抜句数は平抜きが50句、秀句2句、特選1句の計53句。私の句はあまり抜けなかったが、久し振りに川柳大会の雰囲気を味わうことができた。川柳の句会は「題」という共通の土俵で腕を競い合うもので、自作が選者の好みに合う・合わないということはあるが、そこをねじ込んででも選者に取らせるだけの句を出すのが作者の力量である。選者の方も自分の好みの範囲で句を取る人もいれば、バランスよくさまざまな句を取る人もいる。句を読みあげる披講の仕方にも上手・下手があり、取った句には賛成できないが披講は上手だったり、選は納得できるが披講がイマイチだったりする。石部明は選も披講もすぐれていたなあと改めて思った。
会場での立ち話でウェブ句会「ゆに」の話を聞いた。芳賀博子のブログで立ち上げの案内を読んだことがあり気になっていたが、30数名の会員が集まったという。ゆに公式サイトもできていて、句会も行われているようだ。11月の会員作品から紹介しておく。

踏まれ邪鬼あの日の蝶を恋しがる   山崎夫美子
女子大の門をくぐると冥王星      朝倉晴美
今が大事ゴールポストの右狙い    海野エリー
還暦の顔がなんだかカマドウマ  おおさわほてる
右手前に引けば鬱に戻る予感      岡谷 樹
狂わない時計を捨てに花野まで    笠嶋恵美子
落葉松の林抜ければ短詩型      川田由紀子
鎖骨から上は本音を語らない      菊池 京
呼応するように誤読をしてしまう   斉尾くにこ
林檎の皮のいつまでつづくバス通り  澤野優美子
少し向こうへ誠実な線を引く      重森恒雄
くるしみの中に一筋ある梨よ      千春
バッグにはスマホ、ハンカチ、秋銀河  西田雅子
頬杖を伝染し合ってはラフランス    芳賀博子

2021年10月29日金曜日

現代川柳クロニクル2005年~2011年

ゼロ年代後半の出来事としては「セレクション柳人」(邑書林)の刊行が挙げられる。従来の川柳句集は自費出版や結社内で配付されることが多く、全20冊規模のシリーズとして書店の店頭に並ぶことはなかった。「セレクション歌人」「セレクション俳人」と並んで「セレクション柳人」が刊行されたことに意味があり、ISBNも付いていて一般読者への流通が可能となった。句集の出版が最終目的ではなく、そのあとどのように読者に届けるかということが意識されるようになったのは画期的であった。

2005年に入って訃報が続いた。2月27日、石森騎久夫没(90歳)。4月24日、橘高薫風没(79歳)、5月7日 高橋古啓没。 石森騎久夫は名古屋の川柳グループ「創」の代表。『空間表現の世界』(1999年、葉文館出版)の「あとがき」には次のように書かれている。「かねがね私は、川柳が名実共に短詩型文学の一翼を担える高さに行き着くためには、豊かな『文学性志向』を強く押し進めなければと思いつづけています。従って作品の読み方も、その視点に立って、作者の思い、感動の空間的表現の完成度を重視しています」
橘高薫風については、この時評(20011年4月15日)で論じているのでご覧いただきたい。
高橋古啓は「点鐘の会」で親しく接した人で、彼女は代表作を問われたときに「私がこれから書く作品が代表作だ」と言って句集を残さなかった。「グループ明暗」25号(2005年9月)掲載の「高橋古啓作品抄」から。
 逢いたさは薬師如来の副作用  高橋古啓
 かくも長き痙攣闘魚の終幕
 みねうちで倒せるならば抜きなさい
5月に『渡辺隆夫集』『樋口由起子集』が刊行されて「セレクション柳人」がスタートした。以下、6月に『石田柊馬集』、7月に『小池正博集』、10月に『前田一石集』『櫟田礼文集』、11月に『野沢省悟集』、12月に『広瀬ちえみ集』『田中博造集』『畑美樹集』『細川不凍集』と続く。
9月15日、丸山進句集『アルバトロス』(風媒社)。
 中年のお知らせですと葉書くる  丸山進
 父帰る多肉植物ぶら下げて
 生きてればティッシュを呉れる人がいる
9月21日、石曾根民郎没(95歳)。松本市在住で印刷業を営み、川柳「しなの」の発行のほか各種の川柳書の印刷によって川柳界を支えた。句集『山彦』(1970年、しなの川柳社)から。
 山近しわが身のうへを守るごと  石曾根民郎
 蝶はわが影のいとしさから狂ひ
 一枚の構図鴉を動かせず
9月23日、「川柳学」創刊号。堺利彦「中村冨二と『鴉』の時代」など。

2006年3月11日、アウィーナ大阪にて「セレクション柳人」発刊記念川柳大会が開催された。第一部『セレクション柳人』句集の読み。コメンテイターは『渡辺隆夫集』『畑美樹集』を小池正博、『樋口由起子集』を吉澤久良、『石田柊馬集』を飯田良祐、『小池正博集』『広瀬ちえみ集』を野口裕、『前田一石集』を石田柊馬、『櫟田礼文集』を樋口由紀子、『野沢省悟集』を広瀬ちえみ、『田中博造集』を堺利彦、『赤松ますみ集』を畑美樹、『筒井祥文集』を渡辺隆夫、『細川不凍集』を石部明、というようにそれまで発行された13句集の一気読みを試みている。第二部の句会の選者は浪越靖政、古俣麻子、なかはられいこ、墨作二郎、石部明。
10月10日、田口麦彦編著『現代女流川柳鑑賞事典』(三省堂)。田口は『現代川柳必携』(2001年9月)、『現代川柳鑑賞事典』(2004年1月)、『新現代川柳必携』(2014年9月)を三省堂から出している。

2007年4月1日、青森の野沢省悟が「触光」を創刊。終刊した「双眸」を発展させたもの。
3月30日、川柳発祥250年記念出版として、尾藤三柳監修、尾藤一泉編『川柳総合大事典第三巻・用語編』が雄山閣から出版される。続いて8月31日に尾藤三柳監修、尾藤一泉・堺利彦編『第一巻・人物編』が刊行されたが、それ以後他の巻は出ていない。
10月、現代川柳「隗」(山崎蒼平)が41号で終刊。
11月25日、佐藤みさ子句集『呼びにゆく』(あざみエージェント)。
 さびしくはないか味方に囲まれて  佐藤みさ子
 たすけてくださいと自分を呼びにゆく
 正確に立つと私は曲がっている

2008年4月12日、石部明はバックストロークの大会とは別に、第一回BSおかやま川柳大会を開催(BSはバックストローク)。石部明のスピーチは「あなたの意見で川柳は変わる」。以後2011年4月の第4回まで続く。
10月12日、『番傘川柳百年史』(番傘川柳本社)。

2009年1月、川柳結社「ふらすこてん」創立。前年12月の解散した「川柳倶楽部パーセント」を発展的継承したもの。
4月30日、小池正博・樋口由紀子編著『セレクション柳論』(邑書林)。「セレクション歌論」「セレクション俳論」が出ないのに柳論が刊行されたのは、短歌・俳句に比べて川柳では評論が少ないので、収録するにあたっての取捨選択が容易だったからかもしれない。
9月5日、佐藤美文著『川柳は語る激動の戦後』(新葉館)。
11月10日、田口麦彦著『フォト川柳への誘い』(飯塚書店)。
11月25日 小池正博「川柳・雑俳と俳句」(『俳句教養講座第三巻・俳句の広がり』角川学芸出版所収)。

2010年7月20日、大岡信・田口麦彦編『ハンセン病文学全集9俳句・川柳』。
10月、「詩のボクシング」で川柳人のくんじろうが全国チャンピオンに。

2011年2月10日、渡辺隆夫句集『魚命魚辞』(邑書林)。3月10日、小池正博句集『水牛の余波』(邑書林)。二句集の発行を受けて、7月17日に『魚命魚辞』『水牛の余波』批評会がアウィーナ大阪で開催された。
3月14日、新家完司著『川柳の理論と実践』(新葉館)。
4月11日、樋口由紀子著『川柳×薔薇』(ふらんす堂)。
6月10日 田口麦彦著『アート川柳への誘い』(飯塚書店)。
9月17日、「バックストロークin名古屋」開催。テーマは「川柳が文芸になるとき」。司会・小池正博。パネラー・荻原裕幸、樋口由紀子・畑美樹・湊圭史(現・湊圭伍)。
11月25日、「バックストローク」36号で終刊。

すでにテン年代の2011年に入っているが、ゼロ年代の現代川柳の流れは「バックストローク」の終刊をもって一区切りとすると理解してのことである。こうして見てみると、川柳の世界で何も起こらなかったわけではなく、さまざまな動きがあったことがわかる。ただそれが一般の読者に十分伝わらなかったのは事実である。川柳の発信力が高まり、川柳書の出版を引き受ける出版社も徐々に増えてきている。これらのゼロ年代の試みを受けて、次のテン年代の現代川柳の冒険がはじまってゆくことになる。

追記 BSおかやま川柳大会は「バックストローク」の終刊後、2012年4月14日に「FielB BSおかやま句会」の主催で第五回が開催された。

2021年10月23日土曜日

現代川柳クロニクル2000~2004

川柳の世界が句会・大会を中心に回っているということは、その時その場にいなければ何も分からないということなので、句会・大会の参加者には発表誌が届けられるが、その範囲を越えて情報が届くことはほとんどない。一種のタコツボ型、ガラパゴス化の世界なのであって、口の悪い中村冨二は糠味噌桶のなかで漬物をこね回しているようなものだと言った。近年、現代川柳の句集も書店に並ぶようになってきて、活字情報に接することも以前に比べれば容易になったが、川柳の世界全体を見渡すパースペクティヴはなかなか持ちにくい。誰がどこでどんな句を書いているのか、その全体像を把握することなど誰にもできないだろう。
当面の問題はこの十年間の現代川柳の動向がどのようなものだったのかということだが、その前にゼロ年代がどうだったかのかが検証されなければならない。テン年代の現代川柳はゼロ年代を継承・発展させて生まれてきたものだからである。『はじめまして現代川柳』では第一章を「現代川柳の諸相」、第二章を「現代川柳の展開」としているが、第一章が90年代からゼロ年代にかけての動き、第二章がゼロ年代からテン年代にかけての動きというイメージである。もちろん個々の作者の川柳歴は截然と区切れるものではなく、新しいジェネレーションが次々に生れてきたわけでもないので、境界線は混沌としていて図式化するのが困難だ。
とりあえずゼロ年代に何があったのか、今回は事実の確認から始めてみたい。データ収集のあまり面白味のない作業になりそうだが、書いておかないと消えてしまう部分でもある。

現代川柳においてゼロ年代のスタートを告げたのは、2000年7月30日に出版された『現代川柳の精鋭たち 28人集』(北宋社)である。「21世紀へ」という副題が付いているから新世紀への意識がうかがえる。巻頭に岡井省二の句が掲げられている。タイトルは「ミナカテルラ」。「天動なら頭のぺこぺこさはつてみい」ではじまる五句である。また「川柳讃」という文で「俳句、川柳。それは即諧謔祝祭としての宇宙詩。存在詩」と書いているから、曼陀羅(南方熊楠にひきつけて言えば南方曼陀羅)が岡井省二の頭の中にあったのかもしれない。収録されているのは石田柊馬・石部明から渡辺隆夫までの28人・各100句で、全2800句のアンソロジーである。解説は荻原裕幸、堀本吟。編集は樋口由紀子、大井恒行。当時としては珍しく書店の店頭で手に入る川柳本であり、本書の与えた影響は大きい。
ゼロ年代に入る前年1999年には北川絢一郎(82歳)、大石鶴子没(92歳)、定金冬二没(85歳)、寺尾俊平没(74歳)など現代川柳に一時代を画した作者たちが亡くなった。新たな動きとして、たとえば京都では1999年10月、坂根寛哉・田中博造たちが川柳黎明社設立。2000年12月には村井見也子を中心に「川柳 凜」が創刊されている。

2001年に入り、2月1日に高知の「川柳木馬ぐるーぷ」によって『現代川柳の群像』(上下二巻)が刊行された。「川柳木馬」に連載中だった「昭和2桁生れの作家群像」をまとめたもの。上下巻合わせて52名の作者の作品(「作者のことば」と作品60句)に加え、作品論・作家論をそれぞれ2名ずつ執筆している。
「現代川柳点鐘の会」からは2000年6月に句集『龍灯鬼』(墨作二郎)、2001年2月に『紅牙』(本多洋子)と『伐折蘿』(墨作二郎)が発行されている。
4月15日、ホテル・アウィーナ大阪で「川柳ジャンクション2001」が開催された。第一部の鼎談「川柳の立っている場所」は『現代川柳の精鋭たち』をめぐって、荻原裕幸・藤原龍一郎・堀本吟がパネラーをつとめた。第二部は句会で、課題「白い」(大井恒行・石田柊馬共選)、「壊す」(正岡豊・石部明共選)、「羽根」(島一木・金築雨学共選)。第三部の座談会「川柳の現在と21世紀の展望」は司会・荻原裕幸、パネラーは倉本朝世・なかはられいこ・樋口由紀子・広瀬ちえみの四名だった。
なかはられいこは倉富洋子と4月10日「WE ARE!」を創刊。4月20日『脱衣場のアリス』(北冬社)を上梓。「WE ARE」2号は8月に、3号は12月に発行されたが、特に3号に掲載された「ビル、がく、ずれて、ゆくな、ん、てきれ、いき、れ」は現在でも語り草になっている。(「WE ARE!」は2002年10月の5号で中断。)
5月27日、「川柳マガジン」創刊(新葉館)
6月30日、『新世紀の現代川柳20人集』(北宋社)刊行。『現代川柳の精鋭たち』の続編という位置づけで、巻頭に桑野晶子の「これからの川柳は」。20人各100句のあと、山崎蒼平と荻原裕幸の解説。編集は山﨑蒼平と野沢省悟。
7月3日・岩村憲治没(62歳)、11月26日・本間美千子没(63歳)。没後『岩村憲治川柳集』(2004年3月13日)、『本間美千子川柳集』(2005年2月1日)が発行されているので、ここで紹介しておきたい。
  ぼくら逃亡 海がなければ海創る  岩村憲治
  遠い国のあかい血を見たうたにした 本間美千子

2002年に入り、2月1日筒井祥文が「川柳倶楽部パーセント」創刊。
2月28日、石部明句集『遊魔系』(詩遊社)。石部に句集発行を決意させたものは「川柳ジャンクション」のシンポジウムだったようだ。「川柳に大きなうねりの来る予感。シンポジウムに応えるための何か行動を起こす必要があったし、批評を求めての発刊は今が好機とも考えた」(あとがき)
  靴屋きてわが体内に棲むという  石部明
川柳黎明社からは句集が続々発行される。5月『森本夷一郎川柳作品集』、6月『坂根寛哉川柳作品集』7月『田中博造川柳作品集』と『片野智恵子川柳作品集』、10月『井出節川柳作品集』。
  使わないハンカチがあるあねいもと  坂根寛哉
  六月の象がさみしくふりかえる    田中博造
  しがらみを脱いで渡ればまばゆい海峡 片野智恵子
  シンデレラの秘部より落ちた柘榴石  井出節
8月15日、渡辺隆夫句集『亀れおん』(北宋社)。
  還暦の男に初潮小豆めし    渡辺隆夫
8月23日、石田柊馬句集『ポテトサラダ』
  姉さんはいま蘭鋳を揚げてます 石田柊馬
川柳誌としては、浪越靖政が8月に「水脈」を創刊。この年7月に終刊した飯尾麻佐子の「あんぐる」の後継誌である。7月1日、赤松ますみが「川柳文学コロキュウム」を創刊。2000年8月に亡くなった波部白洋(69歳)の「川柳文学」を受け継ぐもの。
11月6日、堺利彦『川柳解体新書』(新葉館)発行。20世紀思想の流れを「実体から関係へ」ととらえ、「〈川柳のまなざし〉はこうした相対主義思想の遙か以前から〈実体〉を突き崩し、ものごとを〈関係〉として捉えていた」というクオリティの高い川柳論となっている。
12月20日、『風 十四字詩作品集』(新葉館)発行。佐藤美文の川柳誌「風」は十四字(短句、七七句)に力を入れている。十四字は「武玉川調」とも呼ばれ、五七五と並ぶもうひとつの定型である。
  手品の鳩でたましいがない  かわたやつで
  ドミノ倒しへ誰が裏切る   佐藤美文
  無精卵でも孵る未来図    瀧正治
  雨を濃くして鶏頭の紅    田中白牧

2003年1月「バックストローク」創刊。発行人・石部明、編集人・畑美樹。「私たちは川柳を刷新する」(巻頭言「形式の自由を求めて」石部明)。「バックストローク」は雑誌の発行だけではなく、シンポジウムをともなう大会を各地で開く。同年9月14日には「バックストロークin京都」を開催。テーマは「川柳にあらわれる悪意について」、パネラーは石田柊馬・筒井祥文・樋口由紀子・広瀬ちえみ・松本仁。以後、2005年5月21日「バックストロークin東京」(テーマ「軽薄について」)、2007年5月26日「バックストロークin仙台」(川柳にあらわれる「虚」について)、2009年9月19日「バックストロークin大阪」(「私」のいる川柳/「私」のいない川柳)、2011年9月17日「バックストロークin名古屋」(川柳が文芸になるとき)と隔年に開催された。
1月3日、定金冬二句集『一老人』(詩遊社)。
  一老人 交尾の姿勢ならできる  定金冬二
2月1日、『目ん玉』曲線立歩。曲線立歩は新興川柳の時期から句作を続けている川柳歴の長い作者であるが、句集発行後亡くなった。
  北ばかり指して磁石の死に切れず 曲線立歩
12月6日に「WE ARE 」川柳大会が東京のアルカディア市ヶ谷で開催される。午前中にフリマ、午後に川柳大会という一日がかりのイベントで、川柳大会のかたちとしてはおもしろい試みだった。 

2004年2月29日、『川柳の群像』(集英社)。東野大八著、田辺聖子監修。東野は2001年7月に87歳で亡くなっているが、本書は「川柳塔」に連載された文章をまとめたもので、明治・大正・昭和の川柳作家100人を解説している。
10月27日、渡部可奈子没(66歳)。12月4日、谷口光穂没(90歳)。

長くなるのでこのへんでひとまず終わりにして、続きは次の機会に。

2021年10月16日土曜日

川柳の誌上大会

短歌が流行っているという。10月14日放送のカンテレ「報道ランナー」でも〈「#短歌」18万件超若者に人気再燃のワケ〉として紹介され、田中ましろ、なべとびすこが出ていた。う~ん、本当に流行っているんだなと実感する。

コロナが少し落ち着きを見せているが、この一年半ほどの状況は川柳の句会・大会に大きな打撃を与えてきた。川柳の世界は句会中心に回っているので、実際に集まることができないのは辛いところだ。終幕を迎えた川柳句会もいくつか存在する。川柳人はSNSなどの発信ツールが得意ではないので、リアルな句会・大会にかわる手段は多くない。そういうなかでよく行われているのは誌上大会という方法である。

「川柳たけはら」(編集発行・小島蘭幸)778号は竹原川柳会創立65周年記念誌上大会の入選句を掲載している。広島県の竹原は「安芸の小京都」と呼ばれるように江戸期の街並みがあり、テレビ・ドラマの撮影などに使われることもある。以前、竹原川柳会がドラマに出演しているのを見たことがあるが、それは俳句の句会のシーンなのだった。歴史のある川柳会で、この誌上大会には全国から776名の応募があったという。誌上大会というのは投句料を添えて応募し、結果を誌上で発表するから、リアルの川柳大会よりも結社にとって経済的負担が少ない。そのかわりけっこう手間がかかるので、「川柳カード」のときに一度誌上大会を開催したことがあるが、投句の打ち間違いなどのトラブルがあって苦情が多かった。
さて、「川柳たけはら」の誌上大会の課題「酒」「竹」「自由吟」のうち「酒」と「自由吟」から何句か紹介しよう。まず「酒」から。

酔筆の流れ流れて天の川      芳賀博子
転た寝の酒仙に羽衣をふわり    木下草風
神様はいいな御神酒に囲まれて   平井美智子
月光を着せても脱がせても酒屋   原田否可立
雨降れば雨の仲間が寄って飲む   森中惠美子
三次会寝てる奴らに歌うやつ    石橋芳山
月へ行くミッション抱いている地酒 赤松ますみ
杜氏から水は魔法をかけられる   みつ木もも花
たゆたゆと酒ゆらゆらと月明かり  くんじろう
山小屋の骨酒に酔う登山靴     美馬りゅうこ

次に「自由吟」から。

茶柱はこれから龍になるところ   西沢葉火
独裁者の景色はひとりだけ違う   濱山哲也
紙芝居まで遠すぎるすべり台    くんじろう
すみれいろのことばまみれになりたくて 吉松澄子
アンネの日記マスク外していいですか  弘津秋の子
安心まで神話になってしまいそう  大久保眞澄
応接間より物置がおもしろい    新家完司
また一人施設へ行くという便り   西出楓楽
蓋あけるまでは真面目な恋でした  米山明日歌
浮世絵の瞳は切れ長に世界見る   原田否可立

入選句のあと、大会参加者の氏名が都道府県別に掲載されている。大阪・兵庫などの関西と島根・鳥取・岡山・広島などの中国地方の参加者が多い。あと、四国では愛媛県が多くて、俳句王国だけではなくて川柳も盛んであることが分かる。ここに名前が掲載されている人々が「川柳界」を支えているのであり、誌面からではあるが川柳大会の雰囲気を実感することができる。

「湖」(編集発行・浅利猪一郎)13号には第13回「ふるさと川柳」の報告が掲載されている。この川柳誌は秋田県仙北市で発行されている。四月と十月の年二回発行。課題を全国から募集していて、今回の課題は「激」。応募者482名。12人の選者による共選なので、選者の傾向の違いと、どの選者に採られるかという興味がある。各選者は入選50句、佳作5句、秀句3句を選び、入選1点、佳作2点、秀句3点の合計点で順位を決定する。受賞作品を紹介する。

暴れたくなるわそよ風だったもの  赤石ゆう
激論にピリオド打ったのは夕陽   永井松柏
核のゴミあなたの庭に埋めますか  橋本敦子
白×白とても激しいものを秘め   前田ゆうこ
八月に今も激しく叱られる     大嶋都嗣子
号泣をした日も青い空だった    児玉浪枝
弱くなっていく激しくなっていく  三好光明
核ボタン飾りボタンでないボタン  柴垣一
歩こうかいろんな風に当るけど   佐々木智恵子
少年の激しい青がある絵皿     前田ゆうこ
この海の怒った貌を忘れない    竹村紀の治
一枚のメモに地雷が埋めてある   浪越靖政

私は句会否定論者ではないので、川柳句会が嫌いではない。同じ課題で他と競うことになり、どのようにユニークな句を詠むか、同時に選者に分かってもらえるかどうか、ひとりで作句する場合と異なって、いろいろな要素が入ってくる。今回紹介した二誌から川柳大会の雰囲気を少し思い出すことができた。

2021年10月8日金曜日

「現代詩手帖」10月号

「現代詩手帖」2021年10月号の特集は「定型と/の自由」。「定型と自由/定型の自由」ということらしい。副題は「短詩型の現在」。座談会は佐藤文香・山田航・佐藤雄一による「俳句・短歌の十年とこれから」。作品は俳人・歌人の書いた現代詩。あと俳人・歌人・川柳人による論考とアンケート〈詩人に聞く「刺激を受けた歌集・句集」〉が付いている。
川柳と関係があるのは最初の座談会で、佐藤文香・山田航が『はじめまして現代川柳』などにふれている。論考では柳本々々が「でも川柳だと信じてる」を書いていて、川合大祐『リバー・ワールド』、石部明、石田柊馬、暮田真名『補遺』などを取りあげている。
佐藤文香は川柳との交流が長く、現代川柳の動向もよく知っているから、次のように的確な発言をしている。「小池正博編著のアンソロジー『はじめまして現代川柳』(書肆侃侃房)が出てから、外の読者に読まれることを意識した川柳の句集が立て続けに刊行され、現代川柳の波が来ているように思います。2018年の八上桐子『hibi』(港の人)が、ブームのさきがけでした」「歌人の瀬戸夏子や平岡直子が川柳を書きはじめたことで、興味を持った短歌や俳句の若手が川柳に目を向けるようになったのもよかったですね。柳本々々や暮田真名にも注目しています」
山田航は書評で川柳アンソロジーを紹介するなど、川柳に好意的で「『はじめまして現代川柳』に入っている人ではぼくは丸山進がとくに好きです」「邑書林の『セレクション柳人』シリーズはだいぶ前から集めていて、現代川柳はずっと注目していたんだけど、なんでもっと読まれないんだろうと思っていますね」と述べている。
詩人の佐藤雄一は「私も食わず嫌いで読んでなかった川柳を、今日のお二人のお話を伺って読んでみたいと思いました」と言っているが、川柳についてよく知らないことを中途半端に発言する評者が世間には多いなかで、正直な感想だと思う。佐藤雄一は以前「週刊俳句」でHIP HOPについてロングインタビューを受けたことのある人だ。
さて、今回の「現代詩手帖」の特集では2010年代の動きがテーマになっている。まず俳句について、佐藤文香の発言に基づいて整理しておく。『新撰21』(2009年)『超新撰21』(2010年)『俳コレ』(2011年)のあと、新しい書き方の俳人や伝統系の俳人たちの多彩な活躍が目立ってきた。『天の川銀河発電所』(2017年)以降は「俳句好きによる俳句の時代」がおとずれ、佐藤は生駒大祐、西村麒麟の名を挙げている。短歌については山田航が2000年代の「短歌ヴァーサス」と歌葉新人賞を挙げたあと、ニューウェーブ、笹井宏之、AI短歌などに触れている。近代短歌の歴史はリアリズムと反リアリズムを繰り返しながら進んできたが、2010年代を口語短歌の洗練とリアリズムへの回帰の時代としている。

「現代詩手帖」では取りあげられなかったが、ひるがえってこの十年間の現代川柳の動きはどのようなものだっただろうか。
テン年代を語る前に、その前のゼロ年代について見ておくと、まず2000年7月に『現代川柳の精鋭たち』(北宋社)が発行された。2001年4月には「WE ARE」が創刊。2001年4月15日には大阪で「川柳ジャンクション」が開催され、『現代川柳の精鋭たち』をめぐって荻原裕幸・藤原龍一郎・堀本吟が鼎談している。2003年1月に「バックストローク」創刊。同年9月に「バックストローク」記念大会が京都で開催されている。同年12月6日には「WE ARE 」川柳大会が東京で開催。これは午前中にフリマ、午後に川柳大会と一日がかりのイベントだった。2005年5月「セレクション柳人」刊行開始。2011年9月に「バックストロークin名古屋」が開催されたが、同年11月に「バックストローク」は36号で終刊。ここまでが2000年代の現代川柳の主な流れである。「私性川柳」を乗り越えて、「思い」を書く川柳から「言葉」で書く川柳へと移行してゆく時期だったと言える。
では2010年代はどうかというと、ゼロ年代の成果を受けて表現が多様化していった。2012年11月に「川柳カード」創刊。2014年7月「川柳ねじまき」創刊。文学フリマの影響を受けて、大阪で「川柳フリマ」が開催され、一度目が2015年5月、二度目が2016年5月(このときはゲストに山田消児を迎えた)。2017年3月「川柳カード」14号で終刊。2017年5月、中野サンプラザで「瀬戸夏子は川柳を荒らすな」が開催。同年11月「川柳スパイラル」創刊。2019年5月、『hibi』句評会が東京・北とぴあで開催。2019年9月、梅田蔦屋書店で「川柳と短歌の交差点」開催(パネラー:岡野大嗣・平岡直子・八上桐子・なかはられいこ)。テン年代はさまざまな川柳作品が同時並行的に存在している過渡の時代であり、実際に川柳の句会・大会を体験してきた作者とネットや活字だけで川柳を発信している作者との乖離が徐々に進みつつある。コロナ禍でリアルの川柳句会・大会が開きづらい情況も加わっている。

「現代詩手帖」に話を戻すと、この詩誌ではときどき俳句・短歌のことが取り上げられる。私の手元にあるのは、2010年9月号「短詩型新時代」と2013年9月号「詩型の越境」の二冊である。私がこの「川柳時評」をはじめたのが2010年で、「短詩型新時代」の方は何も書いていないが、「詩型の越境」については2013年9月6日の時評に書いているので、興味のある方はアーカイヴをご覧いただきたい。
2010年の「短詩型新時代」には、アンソロジー「ゼロ年代の短歌100選」(黒瀬珂瀾編)、「ゼロ年代の俳句100選」(高柳克弘編)が付いている。今回の2021年版が俳句・短歌の新作を掲載せず、逆に生駒大祐、井上法子、小津夜景、大森静佳、川野芽生、千種創一、鴇田智哉、中島憲武に現代詩を書かせているのと対照的だ。どちらが編集方針としておもしろいかは微妙なところで、俳句・短歌の実作を現代詩の読者に紹介するよりも、俳人・歌人の書く現代詩がどのようなものになるかということの方に重きを置いているのだろう。あと論考の書き手(俳句)が、福田若之・西村麒麟・安里琉太・松本てふこなどフレッシュになっていることや、詩人に聞く「刺激を受けた歌集・句集」のコーナーで高塚謙太郎が木下こう『体温と雨』を、文月悠光が平岡直子『みじかい髪も長い髪も炎』を挙げていることなどが印象に残った。どんな句集・歌集に注目するかは、その人のアンテナの感度を如実に示すものだ。

2021年10月1日金曜日

三田三郎歌集『鬼と踊る』

三田三郎の第二歌集『鬼と踊る』(左右社)が話題になっている。第一歌集『もうちょっと生きる』(風詠社)から3年。「MITASASA」「ぱんたれい」から「西瓜」へと活動領域を広げていて、この歌集でも独自な三田ワールドが展開されている。
三田には「川柳スパイラル」9号に川柳作品を寄稿してもらったことがある。20句のうち次の句は特に印象に残っている。

自らの咀嚼の音で目が覚める  三田三郎

その号に私は「三田三郎の短歌と川柳」という紹介文を書いていて、『もうちょっと生きる』について次のように述べている。
「この人は川柳も書けるのではないかと思った。歌集の帯には『シニックでブラックなユーモアに満ちた』とある。それって川柳が得意としてきた領域ではないか。同時に思ったのは、川柳性のある題材を短歌形式で書いているところがこの作者の逆説的なおもしろさであって、川柳形式で川柳性のある内容を書くと、この作者の持ち味を損なうことになるのではないか、ということだった」
今度の第二歌集を読んで、この感想は修正しないといけないように思った。彼の短歌はすでに「逆説的なおもしろさ」などではなく、短歌形式であるからこそ、シニック・ブラック・ユーモア・イロニーが効果的に表現されていて、彼独自の世界が成立しているのではないか。

川柳スパイラル東京句会(2018年5月5日・北とぴあ)で我妻俊樹・瀬戸夏子と「短歌と川柳」というトークをしたことがある。そのとき我妻はこんふうに言った。
「短歌は上の句と下の句の二部構成で、二つあるということは往復するような感覚がありますから、行って戻ってくるところに自我が生じるのが短歌だと感じます。そういうこと抜きに、引き返さずに通り抜けるというのが私が川柳を作るときの感覚なんです。」
我妻の「短歌は行って戻ってくる」「川柳は引き返さないで通り抜ける」という発言はずっと心に残っている。我妻の真意とは外れるかも知れないが、三田の短歌で「行って戻ってくる」と感じる作品を幾つか挙げてみよう。

ありがとうございますとは言いづらくその分すいませんを2回言う

『鬼と踊る』の代表歌とは言えないだろうが、川柳との違いが説明しやすいので、この歌を例に挙げてみる。「ありがとう」と「すいません」が対になる言葉で、それぞれが上の句と下の句に振り分けられている。右と左、上半身と下半身、夢と現実、目的と手段など一対になる組み合わせはたくさんある。そのような発想に基づいた作品を私は「ペアの思想」と呼んでいる。川柳の場合は詩形の短さもあって、ペアの片方だけを詠んでもう一方を省略することが多い。「半身」と出てくれば「全身」はどうなんだろうと読者は想像するのであり、その部分は読者に任されている。三田の短歌の場合は、一方の視点からとらえたあと、もう一つの視点から捉え直すことによって諷刺が完結している。

入口じゃないところから入ったがもう出口だから許しておくれ

この発想には川柳とも通じるものがあり、「入口のすぐ真後ろがもう出口」(石部明)という句が思い浮かぶ。入口・出口のペアの発想は同じだが、三田の短歌では「入口じゃないところ」に捻りがあり、「許しておくれ」という他者(または自己)に対する呼びかけで終わっている。「私」が現れてくるのだ。

前もって厳しい罰を受けたのでそれ相応の罪を犯そう

罪と罰の因果関係が普通とは逆になっている。罪を犯したから罰を受けるのではなくて、あらかじめ罰を受けているような不条理。そういうことは『ヨブ記』の昔からよくあることだが、原因・結果を逆転させることによって諷刺や皮肉が効果的に表現されているし、現代に生きる私たちの実感も言い当てている。

不味すぎて獏が思わず吐き出した夢を僕らは現実と呼ぶ

夢と現実。三田はロマン派ではないから、獏でさえ不味くて食べない夢があるという。その吐瀉物が私たちにとっての現実である。夢と現実というテーマはもともとイロニーや反語によってとらえられやすいものだが、この歌は一種のアフォリズムとして読んでも腑に落ちるものとなっている。

川柳は断言の形式で、二面的な世界を一つの視点から一方的に言い切ることが多い。他の反面は省略や読者の読みに任せることになる。三田の短歌はペアの思想によって、二物の関係性に独自の視点を当て、反語的に世界をとらえている。そのとき、「私」が立ち現れてくるのはやはり短歌的と言えるかもしれない。川柳が世界を批評的にとらえる場合、「私」そのものを疑うと諷刺の毒は薄められてしまう。三田の短歌の場合は、作者そのものなのか、フィクションとしての「私」なのかは別として、自虐的な「私」のイメージが立ち現れてくる。それは一種のキャラクターかも知れず、歌集全体を通して作者性が読者に伝わってくるのは短歌形式の功徳かもしれない。
以上は図式的な感想なので、『鬼と踊る』にはさまざまな歌があり、それぞれがおもしろく読める。私の好みは次のような作品。

杖をくれ 精神的な支えとかふざけた意味じゃなく木の杖を
今日は社会の状態が不安定なため所により怒号が降るでしょう
第一に中島みゆきが存在し世界はその注釈に過ぎない
マウンドへ向かうエースのようでした辞表を出しに行く後輩は
特急も直進だけじゃ飽きるだろうたまには空へ向かっていいぞ
ずっと神の救いを待ってるんですがちゃんとオーダー通ってますか

「神さま」は川柳でもよく詠まれていて、山村祐の次の作品が有名である。

神さまに聞こえる声で ごはんだよ ごはんだよ  山村祐

2021年9月18日土曜日

「自由律歌仙」及び「付けと転じ」のことなど

第35回国民文化祭・みやざき2020「連句の祭典」の『入選作品集』が届いた。宮崎の国文祭は昨年開催されるはずのところをコロナ禍で一年延期になったので、2020がそのまま使われている。さらに残念なことに、今年の8月22日に日南市で開催予定だった「連句の祭典」も中止になり、『入選作品集』だけがかたちとして残った。これまで準備に全力を傾けてきた関係者の無念は察するに余りある。まことに報われることが少ない世の中である。ちなみに今年の「連句の祭典」は和歌山県上富田町で10月31日に開催されることになっている。
さて宮崎の『入選作品集』だが、大賞部門のうち文部科学大臣賞が歌仙「グラデーション」の巻(捌・東條士郎)、国民文化祭実行委員会会長賞が歌仙「宇宙のみこんだか」(捌・谷澤節)の二巻を紹介したい。まず「グラデーション」の巻の表六句から。

寂しさのグラデーションや秋夕焼   東條士郎
 各駅停車やがて月の出      都築ひな子
残菊のなほ誇らしき姿して      関真由子
 一羽の雀いつも顔見せ       丸山陽子
ランドセルカタカタ鳴らし小学生    三輪和
 厚着にかすかナフタリンの香      執筆

徳島の連衆である。ここまで穏やかに付け進めておいて、裏あるいは名残りの表でがらりと雰囲気を変えてゆく。表六句は序破急の序の部分で、破の部分のたとえば名残りの表では、

解決の糸口ほぐす抱卵期
 おすましポアロ髭を手直し
三角形二辺の和より近いのは
 丈不揃ひに並ぶ墓石

のような付句になっている。もう一巻、「宇宙のみこんだか」はまったく傾向の異なる作品である。

宇宙のみこんだか鯉幟    谷澤 節
 無重力の麦笛       松本奈里子
すべての遺伝子情報細胞に  木戸ミサ
 おとぎ話が好きな父    もりともこ
月を待ちかねる龍頭船は蕭条と  奈里子
 金木犀が香り          ミサ

奈良の連衆で、自由律になっている。歌仙形式のなかで変化・冒険しようとすれば、自由律、尻取り、地名・人名を詠み込んだ賦物など、いろいろなことが考えられる。自由律の例もないわけではないが、今回の応募作品のなかでも特徴的な作品となっている。選者の言葉でも「一巻は肩の力が抜け流れがスムーズ。自由律に挑戦された心意気に脱帽。自由律の醍醐味を味わわせていただきました」(木之下みなみ)、「全巻の中で際立っていたのが、自由律で歌仙に挑んだ『宇宙のみこんだか』の巻でした。こうした試みがあらたな現代連句の道を拓くひとつの方途であったかと目を開かれたことを最後に付け加えておきます」と高評価を受けている。

連句の話題を続けると「季語研究会」184号掲載の「一茶連句鑑賞」で佛渕健悟は連句の採点基準として東明雅の「私の連句採点法」(『新炭俵』)を引用している。

1 一句一句のおもしろさ
2 前句と付句との付心・付味のおもしろさ
3 三句目の転じのおもしろさ
4 一巻全体の序・破・急のおもしろさ

連句界でもこの基準に従って選をするものは多い。そのうえで佛渕はこんなふうに書いている。
〈連句の本質は「付け」と「転じ」にあるとされますが、「三句目の転じのおもしろさ」について言えば、付句が打越句から転じること以外のどこに「おもしろさ」があるのか、と考えてみたことはないでしょうか。分析的なまなびの便法のはずが、「付け」と「転じ」と二分法的に言い習わすことで同時発現の機微を見失うという別面もあります。「付け転じ」は、連句の実際の付合い場面では、一体的なもの、「付け即転じ」と感じられているのではないでしょうか〉
佛渕は蕪村連句の「もゝすもゝ」の巻の次の部分を引用している。

見し恋の児ねり出でよ堂供養  蕪村
 つぶりにさはる人にくき也  几董

問題になるのは付句の方の主語はだれかということだが、ふつうは堂供養の稚児行列を見物している娘が人に押されて髪が崩れるのを嫌がっていると解釈する。これに対して佛渕は、付句の「人」を行列の稚児をかわいがっている念者と読んで、稚児が主語だとし、何かといえば触ってくる相手をうとましく思っていると解釈している。前句に対して人物を付ける場合、どのような人物を想定するかで連句は変化してゆく。

俳誌「里」(編集・発行、島田牙城)は休刊状態が続いていたが、このたび復刊のはこびになったようで、第192号(9月9日発行)が届いた。天宮風牙が「俳を見つけた」を書いていて、現代川柳について次のように言っている。「この連載で何度か川柳を取り上げた。俳人から現代川柳がわからないと聞くことがあるが、現代川柳は言葉の共通認識を変化させる(裏切る)面白さである。故に俳句的な読み方では読み解くことはできない」
天宮が例に挙げているのは、暮田真名の「OD寿司」である。

寿司として流星群は許せない  暮田真名
音楽史上で繰り返される寿司
良い寿司は関節がよく曲がるんだ

そして天宮は「『寿司』を詩語としてその共通イメージと寿司以外の措辞との関係で読み解くのではなく、措辞が変化させた寿司のイメージを楽しむものなのだ。どちらが文学的かと言えば現代川柳であろう」と述べている。天宮は俳諧にも造詣が深く、「俳諧と現代連句はサッカーとラグビー程異なる文芸である」とも言っている。おもしろい見方だが、笑ってばかりもいられない。
あと、「里」復刊号では特集「隣の歌集は何色でした?」で森本直樹が木下こう歌集『体温と雨』を、叶裕が『藤原月彦全句集』を取りあげているのが印象に残った。また月湖が青本瑞季の「めくる頁はねる鳥ゐるすずしさに」に自らの詩を付けている。月湖は「川柳スパイラル」に川柳漫画を掲載しているし、連句人でもある。

短歌誌「井泉」101号、リレー小論のテーマ「日常の歌を考える―コロナ禍に何を見るか」では「社会詠の私的クロニクル」(荻原裕幸)、「社会詠のゆくえ」(佐藤晶)が掲載されている。荻原は湾岸戦争、阪神大震災、アメリカで起きた同時多発テロ、東日本大震災に対する私的対応を振り返りつつ、現在のコロナ禍の状況を詠んだ短歌として次の三首を挙げている。

「山川さん、体の一部が消えてる」と口々に指摘する画面越し 石川美南
冥王星にある居酒屋は金曜も午後八時には暖簾をおろす    田村元
ずっとなにかの音がなってる部屋のなかに探してるものはあるのかもしれない 平出奔

短歌のコロナ詠に対して、川柳ではどうか。「川柳 カモミール」No.5(発行人・笹田かなえ)から二句だけ挙げておこう。

私語禁止パスタ巻くとき抜刀のとき  守田啓子
GO・TOのあとは野となれ春になれ 滋野さち

最後にネットプリント「ウマとヒマワリ」14から平岡直子の川柳。「17人の選者による17題のネット句会」(ねじまき句会)の入選句も含まれている。

白鳥のように流血しています  平岡直子
ご両家が切手サイズにまで縮む
五十音順に紙幣の顔になる

2021年9月10日金曜日

暮田真名の川柳性

暮田真名の第二句集『ぺら』が発行された。これはユニークな句集でB1用紙一枚に200句が印刷されている。ふだんB1サイズを使うことはないが、B4の8枚分の大きさで、ページをめくって読む句集ではない。みなさん、壁に貼ったりして読んでおられるようで、句集の概念を超越している。上段に大きな活字ポイントで10句、中段二列に中くらいの大きさで50句、下段二段に小さなサイズで140句が印刷されている。
ここでは上段に掲載されている句を紹介する。暮田にはこれまで書かれてきた現代川柳の継承と、そこから先に進んでゆく冒険とがあるが、先行する現代川柳を受け継ぐような川柳性を彼女の句のどこに感じるかということを中心に述べてみたい。

県道のかたちになった犬がくる

「県道を犬がくる」なら当たり前だが、「犬が県道のかたちになって、その犬がやってくる」というのは当たり前のことではない。西脇順三郎の『詩学』では〈「犬が無花果をたべた」という思考は自然の関係と現実の関係をのべているが、「無花果が犬をたべた」というともう自然の関係も現実の関係も破壊されて、とにかく新しい関係がのべられている。そしてそれはポエジイの思考である〉と説明されている。ここでは県道と犬の関係が日常的現実とは異なった関係として結びつけられている。意味の伝達という点では意表をついたことが述べられているから、このような川柳は「意表派」と言われることがあり、実作もちらほら見かける。「県道のかたちになった犬が県道をやってくる」というふうに読めば、ユーモアやイロニーも感じられる。
そもそも「かたち」という語は現代川柳でしばしば使われる言葉だ。

指切りのかたちのままの灰がある  西秋忠兵衛

「指切り」はたぶん恋愛の場面を想定しているのだろうが、指切りをした約束も今では灰になってしまって、しかもかたちだけは灰になったまま残っているのは生々しいことだ。人間を詠んでいる川柳だが、暮田は犬のかたちについて考えた。犬が県道のかたちになるとはどういうことかと比喩的な意味を考える必要はなくて、ナンセンスな笑いとして受け取るのがいいのだろう。もちろん読み方は自由だ。

家具でも分かる手品でしょうか

「家具でも分かる暮田真名展」が8月に開催されて、句集『ぺら』もそこで販売されたようだ。「猿でも分かる~」というタイトルがあって、『猿でもわかるパソコン入門』という類の本に私もお世話になったが、当然そのパロディになっている。その際、「~でも分かる」という部分にどの言葉を選ぶかというところに川柳性が表れる。二音の言葉であり、「猿」からは距離が離れていなければならない。暮田は「家具」という言葉を選ぶことによって、比喩的な意味のニュアンスを消している。
掲出句の方は家具と手品の関係性に加えて、「~でしょうか」という文体を採用している。穴埋め問題ではないが、「(  )でも分かる(  )でしょうか」という空欄の部分に何を入れるかによって、川柳として成功したり、失敗したりすることになる。「手品」が意味を生じやすい言葉だから、「家具」との取り合わせが効果的となっている。「手品」の部分は動くかもしれない。

飴色になるまで廊下に立っている

この句では主語が省略されている。短詩型文学では主語が省略されている場合、とりあえず「私」を補って読むことが多いが、短歌的な「私性」をとうに超越している暮田のことだから、「私」が廊下に立っているという読みではおもしろくないだろう。では何が廊下に立っているのかというと、たとえば「戦争が廊下の奥に立ってゐた」(渡邊白泉)という句が思い浮かぶ。暮田の場合、社会性はなじまないが、何かの抽象的な存在が飴色になるまでじっと立っているという時間感覚になるのだろう。この場合「飴色」にニュアンスが生まれるので、桃色とか藍色とかではないわけだ。ひとつの言葉の背後には常に選ばれなかった別の言葉が存在するが、透明でもなく灰色でもない、「飴色」にこの句の発見がある。

みんなはぼくの替え歌でした

この発想は分かりやすくて、飯島章友に「毎度おなじみ主体交換でございます」という句がある。「主体交換」であれ「替え歌」であれ、確固とした「私」のアイデンティティはすでに信じられていない。だから暮田の「ぼく」は私性の支点となるようなものではない。ただ、おもしろいと思うのは、「ぼくはみんなの替え歌」ではなくて、「みんなはぼくの替え歌」と言っている点だ。すべては「ぼく」のヴァリエーションであり、パロディとなる。替え歌の中で自己は拡散するが、拡散しつつ自己は拡充すると考えれば、けっこうしたたかなのかもしれない。

暗室に十二種類の父がいる

「父」や「母」は特に伝統的な川柳でよく詠まれる。家族に対する愛憎だから、どうしても感情過多になるが、そのことが読者の共感を呼ぶという面もある。では、感情過多にならずに距離感を保ちながら父を詠むにはどうしたらいいか。暮田はトランプのカードのように十二種類の父を並べてみせた。ひとりの父の中に十二の別人格が存在するというのではなく、実際に十二種類の父がいると読んだ方がおもしろい。しかも、十二人ではなくて十二種類である。動物の種を数えるように、父にも種類があるというのだ。場所は暗室。父に対する二律背反的な感情やコンプレックスとは完全に絶縁している。

本棚におさまるような歌手じゃない

「多目的ホールを嫌う地霊なり」(石田柊馬)という句がある。様々な目的に対応できるように便利に作られた建物ではなく、それぞれの個性や資質に応じた存在であるべきだと地霊は思っている。暮田の場合は本棚という狭くて固定された場からはみだす存在が肯定されている。発想のベクトルは反対だが、共通する認識も感じる。現実や場に対する違和感は多かれ少なかれだれでも持っているが、特に川柳の場合、違和感やズレは表現の起動力になることが多い。柊馬が「~なり」と文語を使っているのに、暮田が「~じゃない」と軽やかな表現をしているのは世代の差かもしれない。

実作と並行して、暮田真名は現代川柳についてのエッセイを発表している。「川柳は人の話を聞かない」(「文学界」5月号)、「川柳は上達するのか?」(「ねむらない樹」vol.6)、「川柳はなぜ奇行に及ぶのか」(関西現代俳句協会・青年部HP「隣の◇(詩歌句)」8月)などである。「川柳は~」というのは一種のキャッチ・コピーで、もし川柳は人の話を聞くし、上達するし、奇行に及んだりはしないと言う人がいれば、それは暮田の術中にはまっているのだ。
私は句集に関しては保守的なので、暮田真名の製本された句集をいつか読んでみたいと思っている。そういうときが来れば、きっと本棚の川柳書といっしょに彼女の句集を並べるだろう。知らんけど。

2021年9月3日金曜日

関係性の文学(連句・川柳・俳句)

去る6月6日に日本連句協会主催の全国リモート連句大会が開催されたが、そのレポートが「俳句界」(文学の森)9月号に掲載されている。日本連句協会の会報「連句」8月号に吉田酔山が書いている報告によると、参加者は79名、東京・大阪をはじめ新潟・北陸・大分・岡山など各地在住の連句人が15座に分かれて連句を巻いた。「俳句界」に掲載されたのは半歌仙「走り梅雨」の巻(高尾秀四郎捌き)、二十韻「二度目の芒種」の巻(牛木辰夫捌き)、獅子「梅雨晴れや」(東條士郎捌き)の巻の三巻。獅子という形式は一般には馴染みがないかもしれないが、表裏各4句(4×4=16句)で一花一月。ここでは半歌仙「走り梅雨」の巻から紹介する。

 おもちゃのこびと七つ並べて   山中たけを
園庭の雲梯照らす月明かり     平林香織
 ふと草むらに鳴くは鈴虫     高尾秀四郎
越後より来ぬか来ぬかと新ばしり  吉田酔山

念のため前句と付句の関係を見ておくと、前の二句は七人のこびとのイメージから月の座へ。三句の渡り(三句目の転じ)については、月明と鈴虫の世界から酒どころ・越後から新酒の到来を待ち望む人物へ転じている。引用では分かりにくいが、「鈴虫」の句は表の六句目で、「新ばしり」の句は裏の一句目。表では出せない地名を詠んで、裏に移ったことを明確に打ち出している。
藤原定家の『毎月抄』に「すべて詞に、あしきもなくよろしきも有るべからず。ただつづけがらにて、歌詞の優劣侍るべし」とあるが、言葉そのものに良し悪しはなく、すべては言葉と言葉の関係性の世界である。

コロナ禍でリアル句会・大会が開催できないこともあって、ネットを利用した川柳句会が目につくようになってきた。暮田真名の「ぺら句会」は先日結果が発表されたが、湊圭伍が「海馬万句合」を募集中で、締切りは9月15日。「17人の選者による17題のネット句会」として評判になった「ねじまき句会」(なかはられいこ他)も結果が発表されている(ただし大賞の発表は9月30日)。ユニークなネット句会が現代川柳を活性化させる一助となるかも知れない。

上記の17人の選者のひとりである八上桐子が「ねむらない樹」vol.7(書肆侃侃房)に川柳作品12句を寄稿している。

一輪の椿が占める四畳半      八上桐子
三つ編みのうしろへ伸びてゆく廊下
藤へ首そらすかたちのままに灰

「古い家」というタイトルで、旧家の四畳半や廊下などの場所が設定されている。「椿」「藤」は季語ではなく、場の雰囲気を醸し出すために使われているのだろう。八上には「藤という燃え方が残されている」という句があり、『はじめまして現代川柳』の解説で私は「炎は上に立ち昇ってゆくが、藤の花房は下へと垂れ下がってゆく。それも一種の燃え方だという」と書いている。ここでは更に燃えたあとの灰になっているが、灰になったのは藤そのものではなさそうだ。八上の作品は葛原妙子トリビュートとして書かれたもの。他に紀野恵、井上法子、鴇田智哉などが作品を寄せている。鴇田は〈『朱霊』の魚に寄す〉とベースになる歌集を明らかにしているが、八上の場合は何だろう。特定の歌、歌集ではなくて葛原妙子の全体的なイメージを踏まえたものだろうか。
「ねむらない樹」vol.7の特集1は「葛原妙子」(「女人短歌」についても詳しく取り上げている)、特集2が「川野芽生」。いずれも興味深い内容である。

水かぎろひしづかに立てば依らむものこの世にひとつなしと知るべし 葛原妙子

「川柳木馬」169号の招待作品は広瀬ちえみの40句。新作かと思ったら昨年発行された句集『雨曜日』(文学の森)からの抄出だった。

遅刻するみんな毛虫になっていた   広瀬ちえみ
笑ってもよろしいかしら沼ですが
夜行性だから夜行性に会う
咲くときはすこしチクッとしますから
うっかりと生まれてしまう雨曜日

作家論が欲しいところだが、誌面には何も書いていないので、「凜」86号に石田柊馬が掲載している文章を紹介しておく。
〈昨年、句集『雨曜日』(広瀬ちえみ)が刊行された。先の句集刊行から「もう十五年も経ちました」と作者。それ以前にも個人句集や共著が在って、何れも収載作品の作句の時期があきらか。「いい年をして、夢を見ながらふわふわ生きて来たように思います」と「あとがき」にあるが、先に出た合同句集やアンソロジーと共に読み返せば、現代川柳の諸々の活動シーンに広瀬ちえみの存在が欠かせないことが歴然〉
「木馬」誌の会員作品から。

シマウマもキリンも睡魔もてあます  小野善江
言い訳がとまらなくなる雛の檀     同
讃美歌が悲鳴に変る日曜日      古谷恭一
ドーナツを残して女逃げてゆく     同
じゃんけんで負けてランプの鳥になる 大野美恵
山ひとつ百字以内に要約せよ     清水かおり
何語しゃべっても顎は気にしない   山下和代
押しあいへしあい溶けてゆくんだね   同
そんなんじゃ残り時間は食べられる   同

「じゃんけんで負けて」というフレーズは安易に使わない方がいいと思う。

「触光」71号。「特高が見た川柳」(野沢省悟)、「高田寄生木賞を読んで―アンソロジーについて」(広瀬ちえみ)、「おしゃべりタイム」(芳賀博子)まど。「第12回高田寄生木賞」の募集は2022年2月末日締切。掲載作品から。

東京五輪返上過去の事ですが   津田暹
摩崖仏人は神より素晴らしい   濱山哲也
三島由紀夫の胸毛に触れたことがない 野沢省悟
追い風も向い風もないホーム   岩渕比呂子
白く咲いたのね黙って咲いたのね 小野善江
消えてゆく虹の時間とキーワード 青砥和子
ほほえみの無果実墓の前にいる  勝又明城

俳句短歌誌「We」に、しまもと莱浮の川柳作品が掲載されている。彼は熊本市在住の若手川柳人。

笛を盗られて鴉に戻る     しまもと莱浮
立場上二年で和訳した縫い目
まだ卵殻だけがいきつづけている

俳誌も紹介しておくと、「LOTUS」48号は「多行形式の論理と実践」を特集。同人作品から。

花人を大軽率鳥は右繞して     九堂夜想
にび光るハシビロコウも地震雲    同
万物に抱かれし貴腐の姉ならん    同
地のなかは草木の寓話でいつぱいだ 志賀康
野の花よ眼を逸らしたらもう会えぬ  同
わが指を巻く哄笑の蔓であれ     同

2021年8月27日金曜日

川柳誌から見た川柳の世界

コロナ禍で川柳の句会・大会が中止になったり、誌上句会に切り替えられたりしている。9月19日に岩手県北上市の日本現代詩歌文学館で開催予定の「第7回現代川柳の集い」では第7回日本現代詩歌文学館長賞を受賞した新家完司の講演「人間を詠う・自分を詠う」があるはずだったが、これも中止となったようだ。
川柳人は句会・大会に集まって競い合うのが好きなので、そういう場が失われていくのは辛いところである。そんな中で句会が元気なのが、くんじろうが主催している「川柳・北田辺」である。同誌119号からこの句会の様子を紹介しておこう。川柳の句会には席題と兼題があり、兼題には題が出されているものと雑詠(自由詠)がある。まず席題「ありきたり」から。

逆さ富士からは密のカメラマン   茂俊
ベルリンの壁にらくがきした悟空  くんじろう
四畳半ひとま紫陽花も声変わり   かがり
メイドインチャイナであった羊雲  きゅういち

どこが「ありきたり」やねん、と突っ込むところだが、この句会の雰囲気がうかがわれる句が取られている。次に兼題「雑詠」から。

ロココ調椅子で爪研ぐペルシャ猫  恵美子
右折から豆大福と同棲時代     彰子
四分休符が戻ってくる実家     和枝
薄紙の七枚目から魚市場      くんじろう

このときのリアル出席者は5人だったようだが、欠席投句者が6人。
続いて「川柳草原」116号を覗いてみよう。京都の川柳グループ草原が発行している。第一回草原賞が発表されていて、北村幸子が受賞している。選考の方法は誌上大会を前期(5月)と後期(6月)の二回実施して、その抜句数の合計で賞を決めるというもの。合点制の賞レースのやり方はいろいろあるが、投句者どうしで競い合いながら点を積み重ねてゆく方式はある意味で川柳人の体質に合っているとも言える。12点獲得した北村幸子の句から。

お義母さんと呼ばれて眉を描き直す  北村幸子
2メートル空けても伯母の静電気
転調を五回近づくほど遠い
このままでいいんだ路線図も君も

「垂人」は中西ひろ美と広瀬ちえみの二人が編集・発行していて、ジャンル越境型の同人誌である。俳句と川柳の接点があるとすれば、「俳諧」に求めることができる。「垂人」40号は特に俳諧を意識した誌面になっていて、「とびら」(巻頭言)で中西が「俳諧哥」について書き、鈴木純一が「超訳 芭蕉七部集『春の日(一)』伊勢詣での巻」を掲載している。ちなみに、かつて鈴木が書いた「一寸先へ切りかくるなり」(『セレクション柳論』邑書林)は私が惚れ込んだ出色の文章である。「垂人」40号から同人作品を紹介する。

乾いたら出会つてしまふ事がある  中西ひろ美
泡を吐く金魚の声が聞こえない   ますだかも
息子の干し方とわたしの干し方   高橋かづき
えいえんはスノードームの島である 広瀬ちえみ
べとべとやぬるぬるたちのチームなり   同
入口に合わないときの鉋です       同

巻末に「風谷・鳴峯・走尾・垂人(2001~2021)目次総覧」が収録されている。「風谷」「鳴峯」「走尾」「垂人」と誌名を変えつつ疾走してきた、この20年間の中西の軌跡である。「垂人」は50号まで発行すると中西は言っているそうだ。

俳誌「奎」14号から細村星一郎の俳句を紹介していきたい。細村は暮田真名の「ぺら」句会で特選を二句取っている(「反社会的湖にお手紙です」「ベーコンと犬の家賃が払えない」)。俳句ではどんな句を書いているのだろうか。

うららかに草をくはえてみたりもす   細村星一郎
桜貝思ひ出したら伝へるよ
春を待つとき人間は上を見る
春が来て僕らはウルトラマンの子
焼野だと知つて前より好きになる

京都の川柳誌「凜」86号。同人作品から。

パブロフの犬を一枚ずつ脱ごう  こうだひでお
誰も困らないからクジラは魚     同
いい嘘もあってときどき鏡拭く  桑原伸吉
エコ袋に入りきれない疲労感     同
髪染めておとな気取りの京都晴れ 辻嬉久子
珈琲の熱さをすする聖五月      同

同誌3月句会、雑詠から。

弓張月に似合う切手を選んでる  岩根彰子
ひなあられだけを飾って雛まつり 西田雅子
星を避ける三段変速ギア     森田律子

「きょうと川柳大会」が11月3日に予定されていて、事前投句締切が9月11日。無事に開催できるだろうか。
最後に、北海道の川柳誌「水脈」58号。「𠮷田久美子の世界」を浪越靖政が書いている。

くちなしよ私も欲しい弦一本  𠮷田久美子
葉鶏頭灯りは肉屋より洩れる
鳥小屋にうっかり宇宙の分娩室
黒揚羽割れた六月のオルガスム

同誌同人作品から。

湯と水の間合は詰めておきなさい  河野潤々
もがいているアマビエ@成果主義  四ッ谷いずみ
藤棚のフラッシュバック半跏思惟像 酒井麗水
ウイルスよ野心を捨てて去ることね 平井詔子
白亜紀のアンモナイトが君の椅子  一戸涼子
エロかっこいい不滅のアズナブール 麒麟
この星は、どうかしている。さようなら 落合魯忠
生まれて死ぬまで天然温泉     浪越靖政

2021年8月20日金曜日

ポスト現代川柳の動向―個の時代へ

『はじめまして現代川柳』(書肆侃侃房)の第四章「ポスト現代川柳」には10名の川柳人が収録されている。「ポスト現代川柳」という区分の仕方や収録メンバーの人選には異論もあるだろうが、句集の有無や実績だけでなく、ジャンルの外部への発信力や今後の可能性も含めて選ばれている。彼らの現在の動きについて見ていきたい。
『はじめまして現代川柳』の出版にいち早く反応したのが川合大祐である。川合の第二句集『リバー・ワールド』は2021年4月に発行されている。2019年から2020年初夏にかけて書かれた1001句が収録されている。部厚くて饒舌な句集である。川柳句集に適正サイズがあるのかどうか分からないが、ふつう300句から500句くらいだろう。それ以上になると同想句・類似句が多くなり、読んでいて飽きてくることが多い。けれども、『リバー・ワールド』は退屈ではなく、次々に繰り出される句の連続に圧倒されるというタイプの句集だ。柳本々々はこの量の多さが必要だったのだと言っている。川合は「あとがき」で「エゴイズムの膨張」と書いているが、このエゴイズムは作者のプライベートな体験の表現というようなものではなくて、作者の好きな言葉の組み合わせを読者に押し付けてくるという意味のエゴイズムである。それはある意味で文芸の基本かもしれない。
表現者がそれぞれ持っている言葉のプール(辞書)があるとすれば、それは無意識のなかに大量に保存されている。無意識を開放したときに立ち現れてくる言葉を次々に書き留めてゆけば句は量産することができるが、それはカオスのなかで自爆してしまう危険な作業でもある。そこで支えとなるのが川柳技術。川合には20年を超える川柳歴があり、これまで見聞きしてきたさまざまな川柳作品が支えとなっているはずだ。私は『リバー・ワールド』という句集は実験的であると同時に現代川柳の血脈につながるものだと思っている。
あと、この句集は編集協力者である柳本々々の眼が入ることによって完成度の高いものとなっている。これまでの川柳句集に足りなかったのは編集者の存在である。川柳にも編集者が必要だということを改めて感じる。

エスパーが社史を編纂しない初夏  川合大祐
道長をあまりシベリアだと言うな
文集に埼の字がない養成所

川合に続いて湊圭伍の句集『そら耳のつづきを』(書肆侃侃房)が5月に発行された。湊圭史は『はじめまして現代川柳』の刊行後、筆名を湊圭伍に変えた。改名は気分一新して川柳に向き合うという気持ちの表れかも知れない。彼は2010年4月の「バックストローク」30号から同人になっているから、川柳歴は12年ほど。ようやく第一句集が刊行された。ちょうど飯島章友が「川柳スープレックス」http://senryusuplex.seesaa.net/(2021年08月16日)に「湊圭伍著・現代川柳句集『そら耳のつづきを』を読む」を掲載しているので、そちらの方もご覧いただきたい。

そら耳のつづきを散っていくガラス  湊圭伍
漱石のちょっと発熱ちょっと死後
助手席でカバンのなかを拭いている

さらに飯島章友の第一句集『成長痛の月』(素粒社)が9月に発行される予定だという。飯島は歌人でもあるが、「かばん」の編集を担当していたときに同誌に川柳のコーナーを設けて歌人を川柳実作へと誘う役割を果たした。彼は伝統川柳の世界もよく知っているから、川柳全体の現状を知悉しているし、「川柳スープレックス」を立ち上げるなどの行動力もある。「確かにこの世のことのようで、でもなんだかそんなことはどうでもよいように思えてくる」「永遠の興味津々と平熱の茶目っ気が句の中に閉じ込められた。」(東直子の帯文より)
どんな第一句集になるのか、楽しみだ。

ある日来た痛み 初歩だよワトスン君  飯島章友
Re: がつづく奥に埋もれている遺体
くちびるは天地をむすぶ雲かしら

かつて「セレクション柳人」(邑書林)シリーズが一般の読者に現代川柳を届ける役割を果たしたが、アンソロジーに続いて川柳の個人句集が読者の目に触れる機会が多くなれば嬉しいことだ。
コロナ禍で川柳句会の開催がままならない状況だが、誌上句会・大会への切り替えだけではなく、さまざまな模索が続いている。芳賀博子は「ゆに」というウェブ句会を立ち上げている(https://uni575.com/)。次のような案内が公開されている。
「ゆには、川柳を中心にことばの魅力をウェブで楽しむ新しい会です。
作品発表も句会もイベントもすべてウェブ。
だから世界のどこからでも、参加自由。」
句会だけではなく、講演なども行われるようだ。

迷ったら海の匂いのする方へ    芳賀博子
手のひらのえさも手のひらもあげる
放電の終わったあとの蝸牛

ネット句会では夏雲システムがよく利用されているようだが、暮田真名はGoogleスプレッドシートを使って「ぺら句会」を開催した(投句締切済み)。夏雲システムでは投句を自動的に処理するので、主催者・管理者も誰が投句したか分からない。選句が済んだ後で作者名が分かるようになっている。ただし、参加者は管理者に事前登録しておくことが必要で、参加者以外には公開されない。「ぺら句会」の場合は一般に公募するので、選者である暮田にも作者名が分からないようにスプレッドシートを利用したようだ。シートに書き込んでゆくので、あとから投句した人は前の投句者が書いた句を読むことができる。おもしろい試みだ。
ちょうど8月21日(土)、22日(日)に「家具でも分かる暮田真名展」が開催される。第二句集『ぺら』の展示・販売もあるという。『ぺら』はB1一枚に200句掲載してある。

県道のかたちになった犬がくる  暮田真名
家具でも分かる手品でしょうか
みんなはぼくの替え歌でした

暮田は現代俳句協会青年部のHPに「川柳はなぜ奇行に及ぶのか」を発表するなど、アウェイの場でも発信を続けている。http://kangempai.jp/seinenbu/index.html

以上取り上げた方々以外にも、それぞれの川柳人が独自の活動を続けているが、今回は紹介しきれない。従来、川柳では結社の主催による句会・大会が中心で、伝統的結社の大会には数百人が集まることもあったが、コロナや高齢化などの状況の変化によって集団の力が衰退しつつあるようだ。川柳や文芸に対する考え方も多様化しており、それぞれのバックグラウンドは異なっている。均一の川柳観をもった人々が共通の場に集まるというより、少数のグループや個人によって川柳が発信されるケースが今後増えてゆくのだろう。個人の資質や発信力が問われ、ひとつの企画に共感した人々がそのつど参加するというかたちになってゆくのだと思われる。

2021年8月14日土曜日

連句を読むということ

暦の上ではすでに秋である。8月7日の立秋の日に「連句新聞」秋号が公開された。
「連句新聞」(http://renkushinbun.com/)は高松霞と門野優の二人の連句人が発行している。毎年10月に大阪天満宮で開催されている「浪速の芭蕉祭」は、昨年Zoomを使ったリモートで行われることになり、そのリハーサルが昨年9月にあった。そのときはじめて高松と門野が出会って意気投合し、二人ではじめたのが「連句新聞」である。知り合って2週間ほどで企画が生まれるスピード感が現代的だが、10月の「浪速の芭蕉祭」本番で高松は新しい企画について詳細は伏せたまま次のように語っている。

高松「門野さんとは、先日の『浪速の芭蕉祭』のリハーサルで意気投合しましてですね、一緒に企画を作っているんですよ。来年の春に立ち上げる予定です」
小池「どういう企画かは言えない?」
高松「言えない!お楽しみにお待ちください」
(日本連句協会報「連句」2021年2月号「若手連句人から見た現代連句の世界」)。

そして今年2月に「連句新聞」春号が、5月に夏号が公開され、今回が3号目になる。
現代連句作品11巻のほか、毎号掲載されるコラムでは春号に中村安伸「連句と時間」、夏号に堀田季何「変容する連句」、今回の秋号には中山奈々が「イレギュラー連句」を書いている。中山は和漢連句とソネット連句について触れているが、和漢連句についてはこの時評(2014年12月5日)でも触れたことがあるので、興味のある方はご参照いただきたい。

さて、連句に純粋読者というものはありえないと思うが、「連句新聞」ではじめて現代連句に触れた方が、連句の読み方について迷われるということはあるかもしれない。
基本的に連句は作るもので読むものではない。連句の作り方は対面で実作することによってしか本当のことは伝わらないので、本を読んで連句に興味をもつことはあっても、本から連句の精髄を習得するということは考えにくい。では実際に連句人が連句作品に対してどう読んでいるかというと、式目やルールと照らしあわせて、うまくクリアーしているとか、あえてルールを破って冒険しているとか、パターン化した展開ではなく新機軸を出しているとかいう点にまず注意が注がれるのである。特に月・花の定座と恋(折口信夫は「恋の座」と呼んだ)は読みどころだ。その上で、式目は守られているが平凡な付句が多いものは評価されないし、逆に式目に瑕瑾があっても今まで読んだことのない新鮮な句があれば評価されたりする。その場合もルールと表現内容のバランスによるので、おもしろい句があっても式目違反が多すぎると支持できない気持ちになったりする。そしてこの「式目」なるものも人によって微妙に異なり、合理的な理由をもたない「作法」の場合もある。
連句人が最も恐れているのは言葉が転がっていかずに、連句が、付句がそこで止まってしまうことで、前句に対して付句をつけることができるのは、前句に省略されている空白の部分が必ずあるからなのだ。前句が屹立・完成していると次に続けることができなくなる。芭蕉は「言ひおほせてなにかある」と言ったが、百バーセント表現しきったとしてそれが何になるというのだろう。言葉を次に手渡すのが連句だから、屹立した句に対して「それは俳句だ」としばしばいわれるのは連句の解体を怖れているのだ。
「連句を読む」ということに話を戻すと、まず前句を読むことが前提となる。連句は前句を読む(レクチュール)と付句を付ける(エクリチュール)という作業の繰り返しなので、一巻全体を「読む」ということにはあまり意味がないという意見もある。この立場に立つと連句批評というものは成立しないことになる。
現在、連句界で一般的に言われている読みの基準は

一句のおもしろさ
前句と付句の関係のおもしろさ(親句・疎句の付け味)
三句の渡りの転じのおもしろさ
一巻全体の流れのおもしろさ

などであろう。一句のおもしろさだけではなく、その場所でその付句が適当かどうかが問われることになる。また、趣向のあるおもしろい句が並びすぎると、お互いに効果を消し合うことになるので、魅力的な句のあとには平明な句(平凡な句ではない)を付けることによって前句を引き立たせる心得が必要となる。屹立した句が続くのでは読んでいる方が疲れてしまう。
連句の読者が何をおもしろいと思うかは人によって異なるので、一口におもしろさと言っても詩性もあれば俳諧性、諷刺性もあり、典拠を踏まえたパロディや時事的な句もあり、季の句と雑(無季)の句がバランスよく配されていることも重要となる。

連句の付合いの呼吸は別にむずかしいものではなく、たとえば橋閒石の

階段が無くて海鼠の日暮かな
銀河系のとある酒場のヒヤシンス

は連句的なのだし、釈迢空の

葛の花 踏みしだかれて、色あたらし。この山道を 行きし人あり

の上の句と下の句の関係は連句の発句と脇句の関係に相当する。
現在の俳句グループのなかで小澤實の「澤」は連句に理解があるが、最近の俳誌のなかでは「鹿火屋」創刊百周年記念特集(2021年5・6月号)が連句を取り上げている。原朝子は「俳句の母郷を垣間見て―連句に思う俳句」で連句への関心を述べており、脇起り歌仙「頂上や」は「頂上や殊に野菊の吹かれ居り」(原石鼎)を発句として捌き・高岡慧、執筆・西川那歩による一巻となっている。
俳句・短歌を問わず、連句における言葉と言葉の関係性の世界は短詩型文学の読者・作者にとって無縁ではない。

2021年8月6日金曜日

佐藤文香句集『菊は雪』

「短歌研究」8月号については前回も触れたが、掲載作品のうち佐藤弓生の「はなばなに」は俳句・短歌を詞書にして自作を詠んでいる。その中に現代川柳を引用している一首がある。

  くるうほど凪いで一枚のガラス  八上桐子
しんがりの気泡昇天そののちはどこまでも水平な朝です 佐藤弓生

八上の句は句集『hibi』(港の人)に収録されている。凪の背後には狂暴なものが隠されているのであり、静謐なガラスの内部には何があるのか知れたものではない。佐藤弓生は八上の句の世界を垂直と水平のイメージでとらえ直している。
また、佐藤弓生は「短歌研究」の同号「人生処方歌集」で佐藤文香の『菊は雪』(左右社)を取り上げていて、そこでは菊と雪の取り合わせについて次の歌を連想しているのだった。

心あてに折らばや折らむ初霜の置きまどはせる白菊の花  凡河内躬恒

躬恒では「菊と霜」だが、佐藤文香では「菊は雪」になっている。この「は」という連辞が曲者だ。そもそも現実レベルでは菊は雪ではない。伝統的な和歌の世界でも雪と結びつくのは菊ではなくて花(桜)であった。花吹雪という言葉があるように、花=雪であり、桜=雪というように見立てられる。だから菊=雪と言われると一種の衝撃が生まれるのである。
では「菊は雪」という言葉がどこから来たのか。その言葉の出自については作句工房の秘密であるべきだと私は思う。無から有は生まれないから、その言葉が生まれる契機となるものがあったはずだ。それは存外つまらないことだったり、何でもない些細なことだったりするから、読者は生まれた言葉そのものを楽しめばいいのだろう。

くちびるはむかし平安神宮でした  石田柊馬

この句をはじめて読んだときに衝撃を覚えたが、くちびる=平安神宮という等式をつなぐものとして、たとえば平安神宮の赤い大鳥居を思い浮かべたりすると読みがつまらなくなってしまう。躬恒の歌で霜=菊をつなぐものは白であることに間違いはなく、理屈の歌という面もあるけれど、答えがわかってしまえばそれまでという訳でもないだろう。
菊は雪に変容する。言葉の変容、イメージの変容する気分が表現されている句として、巻頭の次の句が注目される。

みづうみの氷るすべてがそのからだ  佐藤文香

みづうみ→氷る→からだ、というふうに言葉が変容してゆく。自然のイメージではじまったものが最後に人体のイメージに行きついている。

夕立ちよ山は木に選ばれてゐる
間奏や夏をやしなふ左心房
鎌倉や雪のつもりの雨が降る
爽籟や巻貝の身に心あり
月南極の氷すべてをわれに呉れよ

木が山に選ばれるのではなくて、山が木に選ばれるのだという。「左心房」の身体性。雪のつもりで降っている雨。巻貝に心があるのか。俳句形式のなかにときどき表れる私性。この句集の止めの句はこんなふうになっている。

ゆめにゆめかさねうちけし菊は雪  佐藤文香

刊行記念特典として付いている佐藤文香と太田ユリの対談のペーパーによると、『菊は雪』は「短詩系ユニットguca」の活動を締めくくるものだという。
佐藤は「外向きの仕事を担当する」という役割を果たそうとしてきたと言っている。『15歳の短歌・俳句・川柳②』『俳句を遊べ!』『天の川銀河発電所』など、キュレーターとしての仕事である。俳句だけではなく、『金曜日の川柳』の企画協力にも彼女は関わっている。それが今回は句集というかたちでクリエーターとして自らの作品をまとめた意義は大きい。
対談の中で佐藤の「一番尊敬している同世代の俳句作家たちを信じて、句集を作ろうと思った」という発言が印象に残った。同じことを太田ユリは「これまで外を向いてやってきたけど、俳句の中の人たちをもう一度信頼するという流れ」と言っている。こんなふうに言いきれるのは凄いことだと思う。

左右社からは三田三郎の第二歌集『鬼と踊る』の今月末発行が予告されている。こちらも楽しみだ。

2021年7月23日金曜日

チュールスカートで海賊船に

「川柳スパイラル」12号が発行された。特集は「『女性川柳』とはもう言わない」。
招待作品として瀬戸夏子の短歌十首「二〇〇二年のポジショントーク」が掲載されている。 川柳では同人・会員のほかに8人の女性の表現者の作品が招待されているが、歌人では川野芽生、乾遥香、牛尾今日子の3人が現代川柳を書いているのが注目される。「歌人で川柳を書いてくれそうな人はいないだろうか」と暮田真名に相談したところ、川野と乾の川柳を読んでみたいということだったので、寄稿の依頼をしてみると快諾をえることができた。牛尾とは『はじめまして現代川柳』の出版後、メッセージのやりとりがあって川柳も書ける人だと思っていた。

チュールスカートのままで海賊船に乗る 川野芽生
誘おうかなわたしの国に誘おうかな   乾遥香
かしこくて感動的というわけだ    牛尾今日子

川野の句はファッションがテーマ。乾の口ごもるような表現は、川柳では断言が多いだけに新鮮だ。牛尾の句は完全な川柳文体になっていて、「かしこい」「感動的」が反語的な意味をもっているのは「~わけだ」という止めによって明確に伝わる。イロニーの表現である。ここでは川野の作品についてもう少し触れておきたい。
歌集『Lilith』によって第65回現代歌人協会賞を受賞した川野がどんな川柳を書くのか、興味深々だった。そもそも短歌では文語・旧かなを使用する彼女が川柳でどんな文体・表記を用いるのか。川野は口語・旧かなを選択している。
ファッションは苦手なのでネットで検索してみると、チュールスカートの画像がいろいろ出てくる。なるほどこの服装で海賊船に乗ることはないだろう。異なった時間・空間にあるものを言葉の世界で結びつけることによって、ズレや意表をついた驚きが生まれる。現代川柳ではときどき使われる手法だが、川野の句はそのような意外性をねらっているのではないだろう。「生きているだけで白いブラウスが汚れる」という別の句と比べてみると、「白いブラウス」の方は意味が分かりやすく、メッセージ性があるが、「現実なんて大嫌い」という発想は誰でも思いつくものでもある。「チュールスカート」の方がファッションとしても華麗だし、きっぱりとした意志の表明には爽快感がある。「海賊船」はペルシャ湾あたりにいる現実の海賊ではなくて、ネバーランドやファンタジーに出てくる海賊のイメージだろう。作者もこの句を10句のタイトルに選んでいる。
あと、特集評論は「女性による短歌が周縁化されてきた歴史に抗して」(髙良真実)、「俳句史を少しずつ書き換えながら、詠む」(松本てふこ)、「『女性川柳』とはもう言わない」(小池正博)の三本。
髙良は現代短歌のはじまりを1945年ととらえ、女性歌人に対する不当な評価を跡づけたあと、いま注目されている女性歌人として大森静佳と川野芽生を挙げている。髙良の論の根拠となる出典も丁寧に記されていて、アカデミックな文章も書ける人だ。
松本てふこは「俳壇」2021年5月号に、杉田久女に関する論考「笑われつつ考え続けた女たち〜杉田久女とシスターフッド〜」を発表している。久女については外山一機もネットの「俳句ノート」(2021年5月23日)で「杉田久女は語ることができるか」を書いている。松本は「俳壇」発表の文章の続きとして宇多喜代子の仕事なども紹介しながら、女性の俳人たちに光をあて、これからの書き手として『光聴』の岡田一実や箱森裕美、大西菜生を挙げている。
この号が川柳におけるジェンダー論のスタートとなることができるだろうか。

「文学界」8月号の特集は「ファッションと文学」。歌人では山階基と川野芽生が文章を寄稿している。川野の「この言葉をあなたが読まないとしても」には田丸まひる、野口あや子、石原ユキオの作品のほか平岡直子の短歌が引用されている。

床じゅうに服が積み重なっていて踏むと重油が出てくるのよね  平岡直子
でも蝶はわたしたちのことが怖いって 小さな星の化粧惑星

この文章の最後で川野は次のように書いている。
「ファッションは言語なのだが、人は案外言語をちゃんと読まない。これは自分のために着ているのだという宣言が、読まれるとは限らない。けれど、誰に読まれなくても、わたしはファッションという言語で詩を綴り、思想を記すだろう」

「短歌研究」8月号は水原紫苑・責任編集の特集「女性が作る短歌研究」。
出たばかりでまだ読み切れていないが、川野芽生が「夢という刃」で幻想文学とフェミニズムが矛盾しないことを述べているのは川野の読者にとって腑に落ちるところかもしれない。瀬戸夏子は「名誉男性」について屈折した自覚を、平岡直子は「『恋の歌』という装置」を書いている。
平岡といえば、ネットプリント「ウマとヒマワリ」13で短編小説を書いていて、ここでもファッションの話から始まっている。
〈わたしたちの服やお化粧には「男ウケ/女ウケ」という分類があって、前者はなにかが足りなく、後者はなにかが過剰なのかが特徴だ。「ちょうどいい」はない〉
テーマは「馬」?

現代川柳が短詩型文学の現在のテーマと少しでも重なっていればいいなと思っている。夏の夜の夢。

2021年7月17日土曜日

「井泉」創刊100号記念号と「西瓜」創刊号

この欄でもときどき取り上げている短歌誌「井泉」の創刊100号記念号が発行された。「井泉」は春日井建の中部短歌会の系譜を継ぐ雑誌で、春日井の没後2005年1月創刊。表紙絵に春日井の描いた絵を使っているのも楽しめる。短歌誌だけれど、招待作品のコーナーに短歌だけではなく、俳句・川柳・現代詩などの作品が掲載され、短詩型文学を見渡す視野のある編集である。また、特集テーマやリレー評論はいま短歌で何が問題となっているのかを知るのに役立つ。
100号記念テーマ評論として、【短歌の今を考える―二〇一〇年以降】が掲げられていて、坂井修一、花山周子、山崎聡子、江村彩、佐藤晶、彦坂美喜子の6人が執筆している。
2001年には東日本大震災があり、2019年にはCOVID‐19が出現するなど2010年代は災厄が起こるとともに様々な矛盾が噴出する時代となった。坂井修一の「滅びの道」は現代歌人協会賞の受賞作(第一歌集)をあげながら、この時代にどんな短歌が作られてきたかをたどっている。全部は挙げられないが、いくつかの作品を引用しておく。歌集名は省略。

左手首に包帯巻きつつ思い出すここから生まれた折鶴の数   野口あや子
入水後に助けてくれた人たちは「寒い」と話す 夜の浜辺で  鳥居
空中をしずみてゆけるさくらばなひいふうみいよいつ無に還る 内山晶太
防空壕に潜む兵らを引き摺りだすごとくにバグは発見される  山田航
飲食ののち風浅き道ゆけばこの身はさかなの柩であった    大森静佳
蜂蜜はパンの起伏を流れゆき飼い主よりも疾く老いる犬    服部真理子
カサンドラの詞さみしゑ凍月のひかりは地(つち)へ落ちつづけたり 川野芽生
きもちよく隙間を見せてあじさいの枯れつつ立てり明日もわたし 北山あさひ

坂井は菱川善男の次の言葉を引用している。
「塚本邦雄が現代短歌に与えた決定的影響は何であったのか。歌人が風流隠士のたぐいではなく、世界に滅亡を宣告する預言者にほかならぬことを、身をもって実証したところにある」
そしてこの言葉を踏まえながら、坂井は次のように結論づけている。
「短歌の今は、その近未来は、滅びの予感とともにある。それもかつて塚本邦雄が予言したような華々しいものではなく、日常感覚と平板な思惟のもとで」 明るさは滅びの姿なのであろうか、という太宰治の言葉を思い出すが、坂井の引用している短歌はペシミスティックな傾向のもので、現代短歌にはそれ以外の傾向もあるはずだが、文明の滅亡というようなスケールの視点で坂井が現代を捉えているのは興味深い。

花山周子の「平岡直子の作品とのとても個人的な夜の話」は、一人の作者にしぼって話をすすめている。「平岡直子の作品について私が何かを考えはじめていたのは二〇一一年三月十一日の夜のことだ」…震災の日である。その翌日は同人誌「町」の読書会が予定されていて花山は平岡の歌についてパネラーを割り当てられていた。読書会は中止となったが、レジュメには次の歌を引用していたという。

さっかーのことも羽音と言う夜に拾った石を袖で磨いて  平岡直子

「瀕死の文体」「瀕死は死んでいるわけではない」「まるで辛うじて生き延びようとしているような悲痛さ」と花山は書いている。

海沿いできみと花火を待ちながら生き延び方について話した 平岡直子
どの朝も夜もこうして風を受けあなたの髪が伸びますように
わたしたちの避難訓練は動物園のなかで手ぶらで待ち合わせること

「今にも消滅しそうなかすかなもののために平岡さんはこの世界の無意識の回路をピンセットで緻密に繋ぐ。繋いで空間をつくりだす」と花山は書いている。
坂井の文明史的視点と花山の個人的視点。他の論者については「井泉」本誌を読んでいただきたい。

もう一冊紹介したいのは、「西瓜」創刊号(発行・江戸雪)。発行の経緯について具体的には書かれていないが、関西の歌人が多いけれど、自由な集まりなのだろう。曾根毅、岩尾淳子、染野太朗、門脇篤史、とみいえひろこ、野田かおり、三田三郎、嶋田さくらこ、安田茜、楠誓英、鈴木晴香、土岐友浩、笹川諒、江戸雪。なかなかおもしろいメンバーである。「外出」「ぱんたれい」など結社や所属とは異なる自由な個としての結びつきが短歌では見られるが、「西瓜」はこれまでのグループ誌よりやや人数が多いので、今後どのように進んでいくのか注目される。

念力で壁が崩れてゆく都市の絶叫と降りしきる硝子片  曾根毅
それからのふた月ぼくはなんどでもきみを謝らせたきみがこはれても 染野太朗
背の穴をあけっぱなしで寝ているの 穴をとじたら死ぬの、助かるの とみいえひろこ
酔っ払いに脱ぎ捨てられた靴のくせに前衛的な立ち方をするな 三田三郎
西瓜割りしない季節の長いことずっと目隠しをしてるのに   鈴木晴香
西瓜なら食べれば種が出るでしょうアップデートでアプリが増える 土岐友浩
春霖よ未完のものが薄れゆく気配にいつも書名がほしい    笹川諒
母はもう父には逢えぬしゃらんしゃらん私があえないよりも逢えない 江戸雪

特集は「笹川諒歌集『水の聖歌隊』を読む」。土岐友浩の書評と同人による一首鑑賞が付いている。

椅子に深く、この世に浅く腰かける 何かこぼれる感じがあって  笹川諒

2021年7月9日金曜日

連句の方へ、俳諧の方へ

リルケの『若き詩人への手紙』を読んだ。
若いときに読んだことがあり、ところどころ線が引いてあるが、大半はもう覚えていなかった。カプスという若い詩人に宛てた手紙で、孤独の重要性、ヤコブセンとロダンのこと、ジャーナリズムには近寄るな、というようなアドヴァイスが書いてあるが、けっきょく彼がリルケの忠告に従わなかったのは現実生活に追われたからだろう。
リルケには老年におくるアドヴァイスも書いてほしかったが、リルケは51歳で亡くなっているから、林住期を迎えた人間の時間とはすでに無縁かも知れない。

『連句年鑑』令和三年版(日本連句協会)が届く。
評論・エッセイは「芭蕉と蕪村」(中名生正昭)、「連句は文学、連句は祈り」(谷地元瑛子)、「俳諧師のマニュアル『三冊子』」(吉田酔山)の三本。 中名生の文章は『芭蕉の謎と蕪村の不思議』(南雲堂)よりの転載で、俳諧の二大スターである芭蕉と蕪村の句から今日にも通じる句を選んで読み比べたもの。いわゆる「蕉蕪論」である。谷地元は「エア国際連句協会」の代表世話人。エア(AIR)とは国際連句協会( Association for International Renku) の略ということらしい。国際連句の実作も掲載されているが、原語はフランス語、マレー語、日本語、ヘブライ語、ロシア語、英語の付句で、それを日本語に翻訳して掲載されている。吉田酔山は日本連句協会の副会長で、『三冊子』を自由に読み解きながら、連句の功徳を述べている。
実作は全国の連句グループの作品のほか、個人作品、学生の作品(中学生・高校生・大学生)が掲載されている。
紹介したい連句作品はいろいろあるが、草門会の胡蝶「約束の蛍」の発句・脇・第三だけ書き留めておく。

約束の蛍になつて来たと言ふ   眞鍋天魚
 入江で待つはほのか夏星    工藤 繭
天網を洩れたる風の颯と立ちて  山地春眠子

日本連句協会の会報「連句」240号(2021年6月)にも書いたのだが、関西の現代連句は橋閒石と阿波野青畝をルーツとする。閒石は旧派の俳諧師でありながら極めて前衛的で、「白燕」を創刊して澁谷道などの連句人を育てた。「ホトトギス」系の新派の連句では、高浜虚子の連句への関心を青畝が受け継いで「かつらぎ」に連句の頁を設け、岡本春人は「俳諧接心」により連句の普及に努めた。閒石・青畝の没後は、「茨の会」の近松寿子、「俳諧接心」の岡本星女、「紫薇」の澁谷道、「ひよどり連句会」の品川鈴子などが活動し、この四人によって「関西連句を楽しむ会」が立ち上げられた。第一回(1993年)が京都・法然院で開催。以後、清凉寺、仁和寺、神戸薬科大学、知恩院、万福寺、八坂神社、大阪天満宮(笠着俳諧)、近江神宮、須磨と会場を移しながら2004年まで続いた。「関西は女性のリーダーが元気でいいね」という声を聞いたことがある。また前田圭衛子は連句誌「れぎおん」を発行して連句の文芸性を発信した。

かつては俳句の総合誌にもときどき連句がとりあげられることがあった。特に「俳句研究」は連句に理解のある編集者がいたようで、たとえば「俳句研究」1992年5月号に「現代連句実作シンポジウム・連句と俳句の接点」が掲載されている。パネラーは葦生はてを、今井聖、小澤實、小林貴子、中原道夫、四ッ谷龍。司会・山路春眠子。小澤實の捌きで「冬萌」の巻が巻かれている。
さらに「俳句研究」1993年4月号では「現代連句シンポジウム・詩人による公開連句」が掲載されている。連衆は水野隆・高橋睦郎・別所真紀子・小澤實。司会が川野蓼艸・山路春眠子。会場は東京九段下のホテルグランドパレスで、多数の聴衆が参加したようだ。「連句シンポジウム実行委員会」(村野夏生、山地春眠子、工藤繭など)主催、公益信託俳諧寒菊堂連句振興基金の援助、「俳句研究」後援。半歌仙「初昔」の巻ができているので、最初の四句だけ紹介しておく。捌きは水野隆。 

初昔雅は色を好むより     睦郎
 化粧はつかに水仙の空    隆
屋上に仔猫と月と笛吹きと   真紀
 地球儀まはすきしみしばらく 實

この頃が現代連句に活気があった時代で、短詩型文学のなかで連句の存在感をアピールしていこうというエネルギーが見られた。
暉峻康隆、尾形仂、東明雅、廣末保、乾裕幸などの連句に造詣の深い文学者がいなくなり、カリスマ的な連句人が少なくなった現在、連句の発信力は落ちてきてはいるが、新しい世代の連句人も育ちつつあるので、今後に期待したい。

書棚を整理していると俳文芸誌「筑波」2003年8月号の別冊「今泉宇涯翁五回忌追善」という冊子が出てきた。今泉宇涯は宇田零雨の「草茎」から出発し、市川俳諧教室を主催、連句協会の会長も務めた。「私の連句入門講座序論」が掲載されているので紹介する。宇涯は現代俳句の二句一章体、現代連句の付合、三句の渡りの実例を挙げていて、一句独立の俳句から連句へのプロセスとして分かりやすい。(歴史的には逆で、連句の付け合いから俳句が独立したのだが、説明の便宜上の話である。)

(二句一章の俳句)
芋の露連山影を正しうす      蛇笏
湯豆腐やいのちのはてのうすあかり 万太郎
雁鳴くやひとつ机に兄いもと    敦
火を焚くや枯野の沖を誰か過ぐ   登四郎
天瓜粉しんじつ吾子は無一物    狩行

(前句と付句の連句の付合)
 濃い日の化粧少し気にして    静枝
たそがれの合せ鏡を閉じて立つ   良戈

 恋ほのぼのと鼓打つなり     杜藻
眉目清き学僧文筥たづさへて    瓢郎

さるすべり骨董店の手風琴     蓼艸
 征露丸売る敗兵の唄       馬山人

(三句の渡り)
 勤行終えて内庭を掃く      桐雨
甘くちの酒は好まぬ村の衆     司花
 仲人抜きで睦みあう床      紫苑

 自動車の上に陽炎が立つ     太郎
逃げ回る羊刈られて丸はだか    佐和女
 迷宮入りの事件重なる      泉渓

松茸の栽培苦節二十年       実郎
 遺伝子科学多岐に亘りて     則子
イザヤ書の預言者知るや知らざるや しげと

最後にリルケに戻るが、リルケは「ハイカイ」という三行詩を三つ書いている。また彼の墓碑銘として有名な次の詩も三行で書かれている。

Rose, oh reiner Widerspruch , Lust,
Niemandes Schlaf zu sein unter soviel
Lidern.

薔薇よ、おお純粋な矛盾、
誰の眠りでもない眠りを あまたの瞼の陰にやどす
歓びよ。 

「孤独」について言えば、スイスのミュゾットの館でリルケは孤独のなかで「ドゥイノの悲歌」を完成させた。芭蕉庵や幻住庵における芭蕉も孤独だっただろうが、彼には俳諧という共同文芸があった。生み出した作品は異なるが、何か通じるところもあるように思われる。

2021年6月25日金曜日

松本てふこの杉田久女/今泉康弘の渡邊白泉

「俳壇」五月号に松本てふこが「笑われつつ考え続けた女たち〜杉田久女とシスターフッド〜」を発表している。(杉田久女といえば高浜虚子の『国子の手紙』や松本清張の『菊枕』などの小説によって虚構化・伝説化されている。連作『虹』の愛子は虚子にとって好ましい弟子であり、国子=久女は嫌悪すべき存在であって、女弟子に対する虚子の両極の態度をよく表している。)松本の久女論は注目され、句集『汗の果実』(邑書林、2019年)も改めて読まれているようだ。
『汗の果実』のプロフィールによると、松本は2004年に辻桃子の「童子」に入会。『新撰21』(2009年)に北大路翼論を、『超新撰21』(2010年)に柴田千晶論を執筆。それ以前に松本は「豈」47号(2008年11月)の特集「青年の主張」に「平成女工哀史」を書いていて、自らの出版社勤めの裏話を披露している。北大路翼論のタイトルは「カリカチュアの怪人」、柴田千晶論のタイトルは「誰かの性欲にまみれ続けて」。『新撰21』『超新撰21』に松本は俳句作者として収録されていないので、小論の執筆者として便利使いするのを反省したのか、筑紫磐井は『俳コレ』(2011年)では自ら松本てふこの作品の撰をして小論も書いている。作品のタイトルは「不健全図書〈完全版〉」、小論のタイトルは「AKBてふこ」。磐井はこんなふうに書いている。
「松本の句が興味深いのは、面白いからでもなく、現代的であるからでも、詩的であるからでもない。どこか痛切な思いがあり、それが頭をもたげているから。俳句は楽しいのではなく、詠まずに居られないから。俳句は芸と思いながら、文学を書いているから。そういう作家として私がプロデュースしてみたのがこの句集だ」
彼が選んでいるのは次のような句である。

啓蟄や声より寝息佳きをとこ   松本てふこ
おつぱいを三百並べ卒業式
不健全図書を世に出しあたたかし
会社やめたしやめたしやめたし落花飛花
読初めの頁おほかた喘ぎ声
料峭や春画のひとの指まろし

その後、私は「庫内灯」などで松本の作品はちらちら見ていたが、2019年11月に句集『汗の果実』が発行された。松本といえば「おつぱいを三百並べ卒業式」が有名だが、それだけではない別の面もある。句集はこの時点での彼女の全体像を示している。

だんじりのてつぺんにゐて勃つてゐる
だんじりの日のしづかなる理髪店

前者の方がだんぜんおもしろいが、後者のような句もあることを目にとめておこう。松本てふこには現代的な側面と伝統的な側面があって、どちらも彼女の俳句なのだろう。

万緑に死して棋譜のみ遺しけり
花婿の胸に凍蝶挿してあり
ボクサーを汗の果実と思ふなり
吉野家に頬杖をつき桜桃忌
愛人のやうに蛙を飼つてをり

ボクサーの句は句集のタイトルになっている。そういえば、この句集の章分けが「皮」「種」「汁」「蔕」となっているのは「果実」だから、ということにいまはじめて気づいた。
生活と執筆のバランスをとりながら、これからも評論と実作に活躍してほしい。

今泉康弘の評論『渡邊白泉の句と真実』(大風呂敷出版局、2021年4月)が発行された。「円錐」などに発表された論考を再構成して一書にまとめた労作である。特に白泉の沼津時代について、白泉の息子・勝や白泉の関係者へのインタビューに基づいて丁寧に記述している。

戦争が廊下の奥に立つてゐた   渡邊白泉
街燈は夜霧にぬれるためにある
憲兵の前で滑つて転んぢやつた
銃後といふ不思議な町を丘で見た

いずれも有名な句である。
「白泉の新しさは二つある。一つは、音の響きの美しさと実験精神とが調和していること。もう一つは、戦争への違和感を高い詩的次元において表現し得たことである」と今泉は書いている。
白泉はこの高い達成ゆえに特高の弾圧を受け、執筆禁止に追い込まれた。戦後も彼は俳壇とは無関係な生き方を選んだ。本書のうち「エリカはめざむ」の章は戦後の高校教員時代の白泉の姿を丁寧に描いている。
津久井理一の『私版・短詩型文学全書』には川柳の句集も含まれていて、川柳人にとっても重要だが、その『渡邊白泉集』の刊行をめぐって津久井と白泉との間に確執があったことや、三橋敏雄の第一句集『まぼろしの鱶』の出版記念会に白泉が出席したときのことなど、興味深い記述が続く。三橋敏雄は白泉の唯一の弟子である。

今泉康弘は桐生高校俳句クラブ(顧問・林桂)で俳句を作り始めたが、同じクラブに山田耕司がいた。今泉と山田はそれ以来のコンビ。本書『渡邊白泉の句と真実』は山田の大風呂敷出版局から発行されている。今泉は「円錐」で「三鬼の弁護士」を連載中で、西東三鬼名誉回復裁判について書いている。こちらの方も楽しみだ。

2021年6月19日土曜日

フェミニズムとアート

コロナ以前はしょっちゅう美術館や展覧会に行っていたが、入場制限や休館などで足を運ぶ機会がほとんどなくなった。アートから刺激を受けるのは文学表現にとっても大切なことなので、過去に見た展覧会のカタログを取りだしてきて眺めている。そのなかに『ワシントン女性芸術美術館展』があった(1991年・大阪・大丸ミュージアム)。この女性芸術美術館(The National Museum of Women in the Arts)は1981年創設。展覧会ではイタリア・ルネサンスから第二次世界大戦後の動きまで女性作家のアートが展示されていた。ルネサンス期ではフォンターナの「貴婦人像」がカタログの表紙にもなっている。フォンターナは画家を仕事にして成功した最初の女性と言われている。フランス革命期ではマリー・アントワネットの肖像画を描いたルブランが有名。王妃と個人的にも親しかったので、王立アカデミーにも入会できたが、革命後にはその関係が不利になって亡命を余儀なくされている。(話はそれるが、フランス革命と女性に関しては、マラーを暗殺したシャルロット・コルデーとか、革命の発端となったバスティーユ牢獄襲撃の先頭に立ったというテロワーニュ・ド・メリクールなどの女性のことが思い浮かぶ。)
19世紀から20世紀にかけての女性アーティストとしては、マネの絵にも描かれたベルト・モリゾとかモデルでユトリロの母親のシュザンヌ・ヴァラドン、マリー・ローランサンなど。彫刻ではカミーユ・クローデル、ケーテ・コルヴィッツなどがいる。カミーユ・クローデルやフリーダ・カーロのことは映画にもなったのでよく知られている。
このカタログには「フェミニズムとアート」という対談が付いていて、小池一子と松岡和子が対談している。司会は山梨俊夫。小池一子はキュレーターでこの二年前の1989年に西武美術館主催の「フリーダ・カーロ展」を実現させている。松岡和子は演劇評論家で、先ごろ坪内逍遥・小田島雄志に続いてシェークスピアの全作品の個人訳を完成させた。この対談を読み直してみると、今日にも通じる問題を含んでいる。
まず、女性美術館ができること自体にも議論があったらしい。松岡によると「女性の美術を、特別なある一つの場所の中に囲い込んで『ゲットー化』してしまうことがいいか、悪いか」という問題だったようだ。松岡の発言のなかでは「20世紀に入るまで、ほとんど全ての女性芸術家は、父親が芸術家だったか、あるいは夫とか、恋人とか、その女性アーティストの才能と社会的な仕事をしていく上での立場を守る強力な男性がそばにいた。それがなくなったのが、20世紀になって初めて」ということも印象に残る。
小池の発言では「女性がやる、ということを日本ではジャーナリズムが、意識的に―悪い言い方をすれば面白がるし、良く受けとめれば男のジャーナリストの中に押し出すという、精神的な支援があることもあって、やはり強調はされてしまうのね。そのことがセールスポイントになるというところが、日本ではあるのね」と指摘されている。「女性的感性、男性的感性というのは、危ないですね。男性の作家だって、いわゆる『女性的』で、繊細な色調で、繊細な線でというのはあるし、もの凄くダイナミックに力強く描く女性もいるし、ジュディ・シカゴの場合は、多分に戦略的なことと自分の作品の知的な操作というのかな、選択というのかな、何かそういうものがあったと思うのです」「例えば女の人が描いたら、女の美術史家とかキュレーターが評価するということは、もちろんナンセンスだと思う」「それほど凄くないのに評価してしまうような、忸怩たるものは、あっては困るわけです」
ジュディ・シカゴはフェミニズム・アートの草分けで、バース・プロジェクト(誕生をテーマにした作品群)を作っている。来日もしている。
今から30年も前の展覧会のカタログなので、情況はその後も進展があったことだろうが、読みながら短詩型文学の、特に川柳の世界と比べていろいろ考えるところがあった。

文学についても読み直そうと思って、世界最古の文学である古代メソポタミア文学を開いてみた(『古代オリエント集』筑摩世界文学大系1)。もとは粘土板に書かれた楔形文字なので、欠損が多くて断片的なところがあるのは仕方がない。メソポタミア神話はシュメールとアッカド、バビロニアで多少異なるが共通する部分も多い。洪水神話とかギルガメシュが有名だが、フェミニズムとの関連でも取り上げられることのある女神にイシュタルがいる。イシュタルはシュメールではイナンナという名になっていて、ここで紹介するのは「イナンナの冥界下り」の話である。
天界の女王イナンナは姉で冥界の女王であるレシュキガルのところへ下ってゆく。何の目的かは明らかではない。冥界に行くには七つの門をくぐらなければならず、門の番人は彼女が門をひとつくぐるたびに、身に着けている装飾品や着物をはがしてゆく。最後は裸になってたどりつくのだが、姉の女王は激怒して「死の目」を向けたので、イナンナは死んでしまう。イナンナの使者は主神エンキの助けでイナンナを生き返らせることができたが、彼女が地上に戻るためには身代りをさしださなくてはならない。そこで鬼神ガルラ霊が付いてきて身代りを求めることになる。イナンナの使者や息子は喪服をまとっていて彼女に忠実だったので、イナンナは彼らを身代りにすることを拒否する。最後に夫のドゥムジに出合うと、彼はすばらしい服を着ていて哀悼の態度をとっていなかったので、夫を見たイナンナは「彼を連れていきなさい」と叫ぶ。イナンナの夫は逃げ回るが、結局身代りになって冥界へ連れ去られる。

さて、ジェンダーの問題は川柳の世界ではあまり取り上げられることはないが、いま「川柳スパイラル」12号の編集に取りかかっていて、特集のテーマは〈「女性川柳」とはもう言わない〉である。発行は7月下旬だが、特集内容だけ予告しておきたい。

〈招待作品〉として瀬戸夏子の短歌十首「二〇〇二年のポジショントーク」
〈ゲスト作品〉として川柳各十句。
作者は歌人から川野芽生・乾遥香・牛尾今日子の三名。
川柳人から榊陽子・笹田かなえ・峯裕見子・瀧村小奈生・内田万貴の五名。
評論として
「女性による短歌が周縁化されてきた歴史に抗して」(髙良真実)
「俳句史を少しずつ書き換えながら、詠む」(松本てふこ)
「『女性川柳』とはもう言わない」(小池正博)

2021年6月11日金曜日

湊圭伍句集『そら耳のつづきを』

6月6日に日本連句協会の主催で「全国リモート連句大会」が開催された。Zoomミーティングを利用したリモート連句に79名の参加があり15座に分かれて連句を巻いた。参加者はまずメインルームに入室して説明を受けたあと、5~6名ずつブレイクアウトルームに分かれるので、実際の連句大会とそれほど変わらない。ただ、捌きと執筆(書記)には多少の負担がかかり、特に書記は共有画面に付句案を記入する仕事があるのでZoomに習熟している必要がある。付句はチャットで捌き手または書記に送る。ハードルが高いようだが、二、三回経験すると問題なく使えるようになる。高齢者にとってのデジタル格差が言われ、私も最初は嫌だったが、昨年自分の主催する「大阪連句懇話会」の開催を中止するかリモートで開催するかの選択を迫られて、嫌々リモート連句をはじめたのだが、今は普通に使えるようになっている。電波が弱くなって画面が落ちたりするトラブルはしょっちゅうあるが、もう一度入室し直せばすむことで、ホストに電話するなどの対応で乗り切れる。
トーク・イベントがリモートで行われる場合が増えてきが、その場合はZoomウェビナーが使われることが多いようだ。ウェビナーだとパネラーの顔だけが画面に映し出され、一般の参加者は映らないし、誰が参加しているかも分からない。
コロナ禍の現在、リモートで乗り切るほかはないが、コロナが終息したあと、座の形態はどんなふうになってゆくのだろうか。

さて、川合大祐の『リバー・ワールド』に続き、湊圭伍の『そら耳のつづきを』(書肆侃侃房)が発行された。480句が収録され、「イカロスの罠」「ヘルタースケルター」「仮説の象」の三章に分けて収録されている。見開き2ページに10句1セットが掲載され、それぞれにタイトルが付いている。ここでは「お早うございますエイハブ船長」10句を紹介しよう。

エレベーター上昇われらを零しつつ
   地下鉄は紙コップのコインを鳴らす
ミニマリスト・プログラムの胸毛
   靴音から遙かに閉じゆくみずうみ
うれしそうな顔をしている蛆だなあ
口笛のさきで巨大なものを釣る
   引き算のどこかで椅子が鳴くだろう
マグカップで壊せるような朝じゃない
   街路樹がいっせいに鳴く偽の坂
そら耳のつづきを散っていくガラス

前半5句が右ページ、後半5句が左ページで、三字下げは句集の通り。左右のページで対称になるようにレイアウトされているのだろう。
タイトル「お早うございますエイハブ船長」とは関係のなさそうな句が並んでいる。エイハブ船長といえばメルヴィルの『白鯨』の主人公だが、あまり気にせずに読んでゆくのがいいようだ。

エレベーター上昇われらを零しつつ

上昇するエレベーターから零れてゆくものがある。上昇と落下の対比である。上昇してゆく者の視点で書いているのか、零れ落ちる者の視点で書いているのか分からない。従来の川柳では零れ落ちる側の立場に立って、上昇志向を批判する場合が多かった。それだとルサンチマンの句になる。「われらを」とあるから一見すると零れ落ちる側の立場に立っているようでもあるが、そういうことでもなくニュートラルな表現のように感じる。

地下鉄は紙コップのコインを鳴らす

紙コップの中にコインが入っているのか。そういう実景ではなくて、コップ・コインの頭韻で言葉が選ばれている。「~は~を鳴らす」という構文は、たとえば『郵便配達は二度ベルを鳴らす』という作品名を連想させる。それはともかく、音が鳴るというテーマである。

ミニマリスト・プログラムの胸毛

アートでミニマリズムといえば物を最小限に省いて画面を構成すること。実生活でミニマリストといえば最小限のものを残して物を捨てる生活態度。『ミニマリスト・プログラム』といえばチョムスキーの生成文法の書名。いろいろ連想させつつ、胸毛に着地する。「ミニマリストの胸毛」だと物を捨てても胸毛は残るというアイロニーになるが、「プログラム」を挿入することで句の意味が多様化する・

靴音から遙かに閉じゆくみずうみ

音のテーマで、ここでは靴音。水の場面。

うれしそうな顔をしている蛆だなあ

「うれしそうな蛆」という頭韻に口語文体を重ねている。

口笛のさきで巨大なものを釣る

エイハブ船長と関係あるとすれば、この句。巨大なものとは鯨のことか、などと考えると作者の術中にはまる。音はここでは口笛。

引き算のどこかで椅子が鳴くだろう

「鳴く」というテーマで、ここでは椅子が鳴いている。足し算では鳴かないのか。「泣く」ではなくて「鳴く」だから感傷性は拒否されている。

マグカップで壊せるような朝じゃない

この句集のなかでも川柳性に満ちた句。だから作者も帯文にこの句を採用したのだろう。

街路樹がいっせいに鳴く偽の坂

再び「鳴く」というテーマ。ここでは街路樹が鳴いている。さらにひとひねりしているのは場所が「偽の坂」だということ。街路樹が鳴いているということ自体が嘘なのかも知れない。

そら耳のつづきを散っていくガラス

句集のタイトルにもなっている句。ガラスが割れる音が聞こえてくるようだが、それもそら耳のようだ。そら耳のイメージがガラスに変容するのは言葉の世界だからだろう。

以上、とりあえず10句だけ、勝手な読みをしてみた。読者は句集の他の句もお読みいただきたい。湊の句は伝統的な川柳の姿をしているので、逆に意味が分かりにくいように感じる。「申」10句の自由律、「名無しさん」の実験的な作品の方が分かりやすいかも知れない。
最後に「あとがき」について。本書109ページで墨作二郎に関連して「川柳天鐘」とあるが、正しくは「川柳点鐘」。三好達治の詩集にも『一点鐘』があり、天の鐘ではない。書肆侃侃房の句集案内のページでもすでに訂正が出ているが、念のため付言しておく。

2021年6月4日金曜日

藤原龍一郎『赤尾兜子の百句』

「触光」70号(編集発行・野沢省悟)に第11回高田寄生木賞が発表されている。川柳ではめずらしい論文・エッセイの賞である。受賞作は竹井紫乙の「アンソロジーつれづれ」。入選賞に「PCR検査室」(森山文基)、「コロナ禍の川柳とそれにまつわるエトセトラ」(濱山哲也)、「川柳との出会いとその後」(横尾信雄)、「句会・大会から川柳の文学性を考える」(滋野さち)。いずれもエッセイで、今回は評論(作家論・作品論)の応募がなかったようだ。
「川柳北田辺」118号(編集発行・竹下勲二朗)。5月に予定されていた筒井祥文追悼「らくだ忌」が昨年に続き中止となったことが書かれている(くんじろう「放蕩言」)。コロナ禍で誌上大会に切りかえる大会が多いが、誌上大会を好んでいなかった祥文の遺志をついで、来年(令和4年)の開催を目指すことにしたという。今号掲載の句会作品から。

しりとりの「あふろへあ」につづく雨 江口ちかる
番外に西太后の爪係         くんじろう
ケースごと消えて第三中学校     中山奈々
待ち伏せしている鼻の付き方ね    榊陽子
ケアマネに蹴られてサロベツへ帰る  井上一筒
綿のかわりに少年の微笑みを     酒井かがり

コロナ禍で終会に追い込まれた句会もあり、誌上句会に切りかえるところ、ネット句会(夏雲システムなど)を行っているところ、状況を見ながらリアル句会を継続しているところなど、対応はさまざまだが、このほど芳賀博子が中心になって「ゆに」という新しい会が立ち上げられた。「川柳を中心に、ことばの魅力をウェブで楽しもうという会」だという。Zoomを使った講座や句会が開かれるというから、川柳では新しい動きとして注目される。

瀬戸夏子の『はつなつみずうみ分光器 after2000現代短歌クロニクル』(左右社)が刊行されて、今世紀に入ってからの現代短歌の軌跡が改めて提示されている。また「短歌研究」2021年5月号が300人の歌人の作品を一挙掲載して話題になった。そんなことで、書架を漁って「短歌研究」創刊800号記念臨時増刊「うたう」(2000年12月)を改めて読んでみた。「うたう」作品賞受賞作は盛田志保子の「風の庭」50首。

ああなにをそんなに怒っているんだよ透明な巣の中を見ただけ  盛田志保子
われわれは箸が転んでもと言うか箸の時点で可笑しいけどね
音楽に手を翳しおり木枯らしの夜空に病の巣のごとき雲
風上のライオンが見る夢の香を浴びてめざめる草食動物

入選作として、雪舟えま、佐藤真由美、守谷茂泰、岡田幸生の歌が掲載されているほか、現在活躍している歌人たちの名が見られる。
さて、現代短歌の同人誌のなかでも「外出」は内山晶太、染野太朗、花山周子、平岡直子という四人のメンバーがそれぞれ魅力的だ。五号から一首ずつ抜き出しておく。

白鳥へ行きつくまでのみちのりが光年のよう ヌードルにお湯    内山晶太
とろとろと夕べの川をゆく灯りどくとるマンボウの青春思う     花山周子
フルコーラスがその空間に描きあげた宮殿はしばらくは消えない   平岡直子
ふりかへるひまがあるなら絵のひとつでも描きなよ、なんどでも糸杉 染野太朗

最近は短歌を読むことが多いが、藤原龍一郎『赤尾兜子の百句』(ふらんす堂)が発行されたので、兜子の句を読んでみた。私が今まで持っていたのは『稚年記』と花神コレクションの『赤尾兜子』(司馬遼太郎と永田耕衣による「人と作品」が付いている)。藤原の本では兜子を「異貌の多面体」ととらえ、編年体をとらずにその異貌が感受できる33句を第一部とし、第二部に『稚年記』から『玄玄』までの67句を収録している。異貌というのは兜子の句が伝統派だけではなく、前衛俳句の誰にも似ていないという捉え方である。まず、兜子のたぶん最も有名な句から紹介する。

機関車の底まで月明か 馬盥   赤尾兜子

第三イメージ論の代表作である。藤原の鑑賞では次のように説明されている。「俳句の技法の二物衝撃は二つの具体物を組合せることにより、新たな事物の関係性を発生させる。一方、第三イメージは具体物ではなく、イメージ二つを配合し、三つ目のイメージを顕在化させるもの」月光の中の機関車と馬盥。二つのイメージから第三のイメージが読者の胸中に生れれば、この句は成功したことになる。

ささくれだつ消しゴムの夜で死にゆく鳥
苔くさい雨に唇泳ぐ挽肉器
「花は変」芒野つらぬく電話線
帰り花鶴折るうちに折り殺す
葛掘れば荒宅まぼろしの中にあり
ゆめ二つ全く違ふ蕗のたう

山路春眠子は「川柳スパイラル」11号の特集「この付合を語る」で「俳句の世界でも、大須賀乙字の『二句一章』、山口誓子の『二物衝撃』の配合論が生まれる。外山滋比古は、こういうイメージ交響のメカニズムを『修辞的残像』と名づけた。すべて私たちの遺産である」と書いている。イメージ交響のメカニズムと言えば、「路地裏を夜汽車と思ふ金魚かな」(攝津幸彦)も「階段が無くて海鼠の日暮かな」(橋閒石)もイメージの連鎖に関わっている。連句の「三句の渡り」論は「第三イメージ論」と共通点もあれば相違点もある。
赤尾兜子と司馬遼太郎は大阪外国語学校でいっしょだった。のちに兜子は大学で「李賀論」を書いているそうだ。前掲の花神コレクションで司馬遼太郎は兜子と越後を旅行したときのことを記している(「焦げたにおい」)。二人で晩飯を食べていると宿の掃除係の婦人二人が声をかけてきて、四人で茶碗酒を飲んだ。「兜子は、終始顔をあげ、風情もなにもない手つきで杯をあげては飲んでいた。ときどき皿の上の黒い舞茸に箸をやり、それを口に入れるのだが、その動作も、顔をあげたままだった。口の中のものが舞茸であるのか焼魚であるのか、頓着していないような噛みかただった」掃除婦たちが行ったあと、どういうはずみだったか、兜子が急に哭きだした。「なぜ哭くのか私には見当もつかなかったし、質問もしなかった。ほうっておくしか手のないような兜子ひとりっきりの情景だったし、私は兜子の顔が勢いよくゆがんで両眼からさかんに水が流れおちているのを眺めていた」
「俳句という感情現象が、兜子の中でいま起っているのだ」「ああいうものが兜子の俳句なのであろう」と司馬は思う。
私は兜子といえばこのエピソードを思い出す。デーモンが降りてきたのだろう。関西前衛俳句に活力があった時代の話である。

2021年5月28日金曜日

『リバー・ワールド』を連句から読む

川合大祐の第二句集『リバー・ワールド』(書肆侃侃房)は4月に発行されて以来、好評のうちに読まれているようだ。『はじめまして現代川柳』の「ポスト現代川柳」の章に収録されている作者のなかでは、川合に続いて湊圭伍が『そら耳のつづきを』を上梓している。湊については改めて語る機会があると思うので、今回は川合の句集についての感想を書いておきたい。

「川柳は意味で屹立する文芸」だとか「川柳の意味性」ということがよく言われるが、川合の作品に何かの意味をもとめる読み方は無効だと思っている。句集全体の世界観は何となく感じられるけれど、一句一句にどんな意味があるかを探っても何も出てこない。私が興味をもつのは、川合の言葉がどんなふうにして出てくるのかという、言葉の生まれ方・出し方についてだ。
第一章「零頭の象」から「忌日」を使った句を抜き出してみよう。

警棒の長さオスカー・ワイルド忌
鏡割る以上のことを桜桃忌
横綱を言葉で言うと桜桃忌
金の粉あたまはりつくナウシカ忌
ガチャガチャが集まるジャンボ鶴田の忌
失った世界ガソリンスタンド忌

忌日俳句というものがあって、歳時記には「実朝忌」「獺祭忌」「時雨忌」などの忌日が収録されている。忌日を季語として使った句が成功しにくいのは、実朝とか子規とか芭蕉のイメージが強いので、それと何かを取り合わせるときの距離感がとりにくいからだ。

獺祭忌明治は遠くなりにけり
降る雪や明治は遠くなりにけり

この二句のうち「降る雪や」の方が名句として残り、「獺祭忌」が忘れ去られているのは、獺祭忌・子規・明治というイメージの連鎖が当然すぎておもしろくないからだろう。「降る雪」の天象と「明治は遠くなりにけり」の述懐のほうが取り合わせとしては効果的だと言われる。
川合の場合は「桜桃忌」は季語ではないけれど、読者は太宰治のことを当然思い浮かべる。けれども句のなかでは太宰とはまったくかけ離れたことが言われている。「鏡割る以上のことを桜桃忌」はまだおとなしい方で「横綱を言葉で言うと桜桃忌」となるとムチャクチャに飛躍している。「桜桃忌」の意味やイメージは破壊されているから、「横綱を」の方がより川柳的である。川合はさらにエスカレートしてアニメの「ナウシカ忌」、プロレスの「ジャンボ鶴田の忌」を作りだしている。
取り合わせや配合はAとBの二つの言葉の関係性だが、川合はさらに進んでA・B・Cの三つを構築する。たとえば次の句はどうだろう。

春の雪キングコングを和訳する  川合大祐

素材分類でいえば「春の雪」は天象、キングコングは動物(怪獣)、「和訳する」は人情(人間が出てくる句)となる。三行に分けて書くと次のようになる。

春の雪
キングコングを
和訳する

これを連句の三句の渡りへと私流に翻訳してみよう。

春の雪孤島の山に降りしきる
 キングコングの続く足跡
原作を三週間で和訳する

まあ、こんな感じで遊んでみたが、うまくいかなかったので、もう一句お付き合いを。

風死して新体操の卑怯な手   川合大祐

風死して秒針の音かすかなり
 新体操の演技はじまる
卑怯な手使うライバル傍らに

川合の句は文脈がわかれば意味が理解できるというものではなく、言葉の生成と飛躍を楽しめばいいのだと思う。こういう作り方は昔からあって、たとえば天狗俳諧では三人の作者が作った上五・中七・下五を無関係に合わせて一句にする。これをひとりで行えば同じ効果が生まれる。

道 彼と呼ばれる長い新経路  川合大祐

この句は「道」という題があって、その連想で言葉を付けているように見える。雑俳のうち「冠句」に次のような作品がある。

宝石箱 いちどに春がこぼれ出る
羊飼い まさか俺が狼とは
秋の道 ちちははの樹が見当たらず
風光る すでに少女の瞳が解禁

川柳は題詠を基本とするから、最初の言葉からどの方向に連想を飛ばすかが重要になる。川柳の題と連句の前句の間に私はそれほど違いを感じていない。どのような言葉を生成するかというときに、作者の意識のなかにある言葉のストック、一種の辞書が効果を発揮する。川合の場合、哲学用語やサブカルなどと並んで固有名詞が作句の契機になっているようだ。第二章「プレパラート再生法」から人名を使った句を抜き出しておく。

義経を十二分間眠らせよ
道長をあまりシベリアだと言うな
サマセット・モームが巨大化する梅雨
パズル解く樋口可南子の庭先で
後方の宗兄弟へ超音波
千年後タモリの墓の祟りにて
弁慶の骨盤ならぶ美術館

その人名が一般的に喚起するイメージからずいぶん離れた内容になっている。疾走する固有名詞。既成概念を裏切り続けるのは楽なことではない。

2021年5月21日金曜日

平岡直子『みじかい髪も長い髪も炎』と川野芽生『Lilith』


平岡直子の第一歌集『みじかい髪も長い髪も炎』(本阿弥書店)が刊行され、話題を集めている。『桜前線開架宣言』(山田航編著・左右社)以来(平岡のファンにとってはもっと以前から)、単独歌集の刊行を待ちわびていたが、歌集の帯文にあるように「この歌集が事件でなくて何だろうか」。歌集がなくても平岡直子には歌人としての存在感があったが、歌集の刊行によって、これまで断片的に読んできた彼女の作品の全貌が立ち上ってくる。

巻頭には連作「東京に素直」が置かれている。文学ムック『たべるのがおそい』創刊号に発表された作品。東京生活の点綴だろうが、表現内容はそれほど素直なものではない。

きみの頬テレビみたいね薄明の20世紀の思い出話  平岡直子

「きみ」という二人称は誰だろう。恋人と読むのがふつうだろうが、「東京」への呼びかけかもしれないとも思う。けれども、それもしっくりしない。頬がテレビみたいに映像化している。20世紀は戦争と革命の時代。「映像の世紀」とも呼ばれるが、すでに「薄明の20世紀」と思い出話化してしまっている。川合大祐の『リバー・ワールド』の巻頭句に「ミニ四駆ずっと思い出だましつつ」とあるが、この川柳では思い出が騙されるものとしてとらえられている。平岡の短歌では「頬」という身体が「テレビ」のように映像化され、20世紀へと広がっていく。思い出は朧化しつつ誰かと語り合うものとして歌われている。

メリー・ゴ―・ロマンに死ねる人たちが命乞いするところを見たい

メリー・ゴ―・ラウンドではなくて、「ロマン」へと言葉をつなげて、ロマンに死ねる人がいるという。現実的には人はすべて死ぬ運命にあるが、ロマンをもっている人は自分の夢を実現できないうちは死んでも死に切れないだろう。だからじたばたして命乞いをしたりするのだが、その姿を見たいというのは一種の悪意なのだろう。

こぼされてこんなかなしいカルピスの千年なんて見たことがない

「カルピス百年」ではなくて、もっとスパンの長い千年である。「見たことがない」というかたちで何かが見えていて、それはかなしいものなのだ。

ああきみは誰も死なない海にきて寿命を決めてから逢いにきて

「記憶を頬のようにさわって」から。喚起力の強い歌なので、映像化したい誘惑にかられる人が多いようだ。「死なない海」なのに寿命を決めてほしいという。「水からも生きる水しかすくわないわたしの手でよかったら、とって」という歌もあり、生と死、記憶と思い出、水と身体、恋のイメージが複雑にからみあっている。

この朝にきみとしずかに振り払うやりきれないね雪のおとだね

「ね。」というタイトルの連作。平岡の作品は少数の例外を除いて口語短歌である。川柳は口語を基本とするから、現代の口語短歌の文体や文末の止めに無関心ではいられないが、ここでは文末の「ね」の使い方が心地よい。あと、「洗脳はされるのよどの洗脳をされたかなのよ砂利を踏む音」(「紙吹雪」)などの「~よ」も効果的である。

海沿いできみと花火を待ちながら生き延び方について話した
三越のライオン見つけられなくて悲しいだった 悲しいだった

前者は2012年の歌壇賞を受賞した「光と、ひかりの届く先」から。
後者は歌壇賞受賞第一作「みじかい髪も長い髪も炎」から。
ともに人口に膾炙している歌なので、ここでは引用だけにする。

「外出」創刊号で平岡は「引き算のうちはよくてもかけ算とわり算でまずしくなっていく」(永井祐)を引いて、「かけ算やわり算によって都合よく情報のサイズを変更したり、正確に復元したりできるかもしれないというのは幻想だと思う。短歌にはたし算しかない。作者にできるのは書き加えることだけで、読者にできるのは歌にさらになにかを書き加えることだけである」と書いている。
『みじかい髪も長い髪も炎』を読んでいると、作品とは直接関係のないさまざまな想念が去来するので、何度も途中でページを閉じて勝手な思いにふけることが多かった。

口語主流の現代短歌の世界のなかで、文語の現代短歌として注目されているのは川野芽生の歌集『Lilith』(書肆侃侃房)である。
帯文を山尾悠子が書いている。

「叙情の品格、少女の孤独。
端正な古語をもって紡ぎ出される清新の青。
川野芽生の若さは不思議だ。
何度も転生した記憶があるのに違いない」

山尾悠子の小説はまだ読んだことがなかったので、『ラピスラズリ』を手にとってみた。幻想文学は最初に迷宮に引き込まれる冒頭部分が特におもしろい。川野は雑誌「夜想」などで山尾の小説について論じているから、彼女の短歌ともシンクロするところがあるのだろう。
『Lilith』の巻頭は「借景園」の連作である。

羅の裾曳きてわが歩みつつ死者ならざればゆきどころなし
夜の庭に茉莉花、とほき海に泡 ひとはひとりで溺れゆくもの

文語・旧かなである。「死者ならざればゆきどころなし」「ひとはひとりで溺れゆくもの」というフレーズが印象に残る。死者にはゆきどころがあり、ひとは死ぬときは独りなのだという認識である。
「借景園」という場所を設定して、言葉によってひとつの世界を構築している。廃園ではないが一種の閉ざされた空間で、古い藤棚がある。白い蛇が棲んでいて、「わたし」は巫女のような存在(「執政」と言っている)。隣家には惚けた女主人がおり、垣根越しの交流があるが、それも稀だ。雉鳩がやってきて藤の上に巣を作っているが、この藤はやがて取り壊されることになっている。外の世界を微妙に意識させながら、ひとつの閉鎖空間を詠みあげている。
『Lilith』のもう一つの面は「Lilith」のタイトルで歌われている、現実世界への痛烈な批判である。

Harassとは猟犬をけしかける声 その鹿がつかれはてて死ぬまで
青年とわれは呼ばるることなくて衛つてやると言はれてゐるも
魔女を焼く火のくれなゐに樹々は立ちそのただなかにわれは往かなむ

神話のリリスは最初の女性で、イブ以前にアダムの妻だったとも言われる。悪霊たちを産んだ「夜」のイメージがあるが、現代では女性解放運動の象徴としても使われる。アニメではエヴァンゲリオンにも出てくる。
川野は歌集の「あとがき」で「言葉はその臣たる人間に似すぎていて、あまりに卑俗で、醜悪で、愚かです。人間という軛を取り去ったとき、言葉が軽やかに高々と飛翔するのであればいいのに」と書いている。
「世界は言葉でできている」はずなのに、その言葉を専門に使っている人間が醜悪だとしたら、なんと憤ろしいことだろう。現実とは異次元の言語空間の構築と、それを裏切る現実に対する鋭い批評性という二つの方向性。しかもそれを文語で行おうとする川野の短歌はとても刺激的である。

山尾悠子は深夜叢書社から歌集『角砂糖の日』(1882年)を出している。私は実物を見ていないので孫引きになるが、最後に山尾の短歌を紹介しておく。

角砂糖角ほろほろと悲しき日窓硝子唾もて濡らせしはいつ  山尾悠子
腐食のことも慈雨に数へてあけぼのの寺院かほれる春の弱酸

「角ほろほろと」の「角」は「かど」、「唾」は「つ」と読むようだ。「世界は言葉でできている」というのは表現者にとって本質的なことだが、川柳人の私はそこまで言いきれない。川柳には不純な現実と散文性が含まれているからだ。

2021年5月15日土曜日

川柳と連句の日々

しなければいけないことがいろいろ重なって、先週は時評を更新できなかった。以前は複数の用件を同時並行的に片づけることができたが、いまはひとつひとつを処理するのに時間がかかる。衰退がはじまっているのだろう。出来事が断片的に流れてゆくが、こういうときは日記形式で書き留めておくのがよさそうだ。

5月5日
高松霞と門野優の「連句新聞」がネットで公開される。夏号だから立夏の日に更新。現代連句作品10巻のほかにコラム、トピックスなどが付いている。 堀田季何のコラム「変容する連句」を読む。堀田はこんなふうに書いている。
「連句は変容しつつある。
こう書くと、専門連句人の何割かは眉を顰めるに違いない。どういう意味だと。連句は常に時事や現代語を取り入れてきているが、それは新しさとは違うし、況して変容とは言わない。最近の連句本でも、そこに書かれている式目は、何十年前の連句本のそれとはほぼ変わらない。形式にしても、新しいものはたまに生まれるが、歌仙、短歌行、半歌仙が相変わらず多い。では、こう書こう。
連句は変容しつつある。少なくとも、流行は変わりつつある」
そして、文人俳諧(文人連句)と連句界の連句の関係について、次のように書いている。
「筆者には残念なことだが、東明雅ほど高名だった連句人兼俳文学者の作品でさえ、書店ではさほど出回っていない。これは、商業の原理が連句界と無関係にもたらした流行であり、その流行における連句の在り方が人口に膾炙しているということは、連句人がどう思っても、文人俳諧の俳風が主流になりつつある、連句は変容しつつあると考えるのは不思議ではない。連句結社的(専門連句人的)な連句と文人俳諧的な連句に根本的な断絶がある中、前者が不易のまま、後者の流行が現代の俳風となりつつあるのだ」
堀田は連句界の現状をよく知っているのだろう。堀田の現状分析は正確だから、いやそうではないと反論できないのがつらいところだ。私はかつて次のように書いたことがある。
「私の考えているのは、現代川柳と現代連句との交流ということで、ジャンルを越えた共同制作が連句という綜合芸術の場で可能かどうかということである。俳人・川柳人が連句の座に参加するということはこれまでにもあったが、その際に連句人が無傷の立場で俳人・川柳人に連句を教えるということはありえないだろう。ジャンルが越境するときの擦過傷がそこにはできるはずであり、これまで漠然と「俳句性」「俳諧性」「川柳性」「詩性」などと呼ばれていたものが、軋みあい問い直される。そういう作業を通して、連句の更なる可能性が広がってゆくのではないか。連句にどっぷりと浸っていると、かえって連句が見えなくなることがないとも限らない。ときには他者の視点で連句を眺めてみることも必要ではないだろうか。連句にとっての他者、連句を相対化するための視点を与えてくれるものは、さしあたり隣接する短詩型諸ジャンルにほかならない」(『蕩尽の文芸』「連句と川柳」)
情況は少しも変っていないし、カリスマ的な連句人がほとんどいなくなった現状ではむしろ悪くなっている。私はすでに連句界側の人間なので、堀田のコラムには正しいだけに痛みを感じる。「連句新聞」が何を目ざしているのかについても注視していきたいと思う。

5月7日
本屋B&Bのイベント「現代川柳ってなんだ!?」に参加。
川合と柳本の話をきいているうちに『リバー・ワールド』についての理解が深まった。
この句集についての私の感想は、『スロー・リバー』が実験的なのに対して、『リバー・ワールド』は川柳の書き方を踏まえた正統的な作品だということだ。推薦句として第1章から二句挙げた。

自我捨ててただ晴れた日の紫禁城  川合大祐
泣くときに泣かなかったな仲野荘

自我を捨てる句は句集の中に他にもあるが、この句は完成度が高い。からりと晴れた空。紫禁城という権力闘争の場にも陰影がある。
仲野荘は漫画家のいしいひさいちが住んでいたところ。意味ではなく音のつながりで一句ができている。
トークでは川合と柳本が話し合っている部分がおもしろく、じっと聞き入ってしまう。この句集が三章に分かれているのはそれぞれ五・七・五に対応するので第二章が長いのは「七」だからだとか、『スロー・リバー』が五だとすれば『リバー・ワールド』は七、三部作となる来たるべき第三句集は五に相当するとか、話としては面白いが、あまり真に受けることもない。川合の川柳の三要素だという「喪失・過剰・定型」にしても、それはその通りだろうが、読者は自由に読めばいいだろう。川合と柳本の暴走トークの邪魔をしないように心がけたが、ついよけいなことを言ってしまった部分もあったかもしれない。
川柳は最初の発想(題をはじめとする最初の言葉)からどこまで遠くに行けるか、だと私は思っているので、川合の川柳が三つの言葉からできていることが多いのを川柳の正統的な作り方だと感じる。ただ、それは日常的な意味のつながりとは次元が異なるから、いわば無意識を開放して作句しているようなものだ。無意識の世界に降りてゆくと、いろいろ変なもの、コントロールできないものが現れたりするから、それを作品に定着するには川柳的技術の支えが必要となる。川合には20年に及ぶ川柳の経験があるから、川柳的技術が川合を支えるのではないか。川柳は何も支えないが、虚無を支えるのは川柳的技術しかない。私は何だか中村冨二のようなことを発言していたようだ。

道長をあまりシベリアだと言うな  川合大祐
風死して新体操の卑怯な手

『はじめまして現代川柳』の「ポスト現代川柳」の作者のなかでは、川合に続いて湊圭伍(湊圭史)の句集が書肆侃侃房から近日中に発行される。

5月11日
「当たりの進捗報告ラジオ」を聞く。
いままでもときどき聞いていたが、今回は暮田真名が自分の現代川柳についての考えについてまとまった話をしているので、真剣に耳を傾けた。
本屋B&Bの対談を聞いて、暮田は「島宇宙」という言葉に反応したようだ。これは柳本か川合のどちらかの発言だったと思う。現代川柳はコスモロジーを構築するが、それぞれの作者が自己の世界を追求しているので「島宇宙」になっている、というのだろう。それはそれでいいのだが、一部の先端的な表現者が孤立したところで作品を書いていることにもつながっている。
「川柳スパイラル」11号に暮田は〈「私」の戸惑いから〉という文章を書いている。時実新子を直接知らない世代からの新子批判なのだが、読者の受け取り方には二通りある。ひとつは新子に対する思いもよらない批判が新世代から行われたという驚き。ふたつめは、研究者であればもっと広範囲に新子に対する文献を調べたうえで発言すべきだというもの。時実新子が川柳界に与えたインパクトは大きいから、それを実際に知らないことは弱点にもなるが、作者とは切り離されたテクストによって新子を論じるという強みもある。
「当たり」19号より。
彦星に無断で飾り付けをする  暮田真名
当然にあっ大学生なんです(笑)があっ社会人なんです(笑)になる 大橋なぎ咲

5月14日
「紀の国わかやま文化祭2021」(第36回国民文化祭わかやま)連句の祭典の募吟が締切られる。形式は二十韻。締切直前に応募作品が集中するから、応募数が少ないのではという心配が続き体に悪い。
連句に対する潜在的意欲について。小澤實の「澤」は連句実作を行っている数少ない俳句結社である。
「オルガン」25号の座談会、小澤實の発言より。
「結社で連句をするのは珍しいと思います。俳句が下手になるというのは間違いですけどね。単にそれを言った人が連句を知らないだけでしょう。連句は俳句の母体なので大事にしたいと思っています」

5月×日
前回の時評の最後で伊藤律の作品を紹介したので、もう少し補足しておく。

津軽地吹雪新墓ひとつ呼応せり  伊藤律

句集『風の堂橋』所収。『現代川柳ハンドブック』(雄山閣)の「現代川柳作品100」にも掲載されていて、佐藤岳俊は次のように解説している。
「律は父の三回忌に、句集『風の堂橋』を産んだ。酒を愛し、酒で死に水を取った父の血を自覚する時、その血の中に津軽の地吹雪が荒れ狂っている。律の、父に対する報恩の精神が新しい墓から吹き上がってくる」
伊藤律は泉淳夫の「藍」にも所属していた。「藍」のバックナンバー「泉淳夫追悼」(終刊号、1989年4月)を開いてみると、「鶴」というタイトルで律の作品が掲載されている。

 泉淳夫先生追悼
前前の世にも鶴降るきさらぎの    伊藤律

「前前」には「さきざき」とルビがふられている。この追悼句は泉淳夫の代表作「如月の街 まぼろしの鶴吹かれ」を踏まえている。注目されるのは、その次の二句目に「津軽地吹雪新墓ひとつ呼応せり」が掲載されていることで、そうするとこの句は泉淳夫に対する追悼の思いが含まれていることになる。
「藍」には当時の有力な女性川柳人が参加していたので、紹介する。

どの絵にもわたしがいない冬景色   徳永操(井原)
落ち椿すでに挫折の形して

だんまりの沈丁花なら生き易し    西山茶花(岡山)
春一番氷髪の母を裏返えす

白い翁と憂き身をやつす風の谷    児玉怡子(小田原)
沖へゆく思惟仏の背に雪よ降れ

いのちというダンラク木槿は空の短調 福島真澄(東京)
木槿忌の二時の揺り椅子は揺れき

5月×日
そろそろ「川柳スパイラル」12号(7月25日発行)に向けて準備をしなければならない。
この号のテーマは「女性川柳」である。ゲスト作品・評論は女性の作者・執筆者に依頼している。「女流川柳」という表現はもう使われなくなったが、「女性川柳」という言い方にも問題がありそうだ。そこで特集名を「女性川柳とはもう言わない」とすることに。現代短歌、現代俳句ではどのような表現者が現れているのかも含めて誌面構成をしたい。
2017年5月6日に中野サンプラザで開催したイベント「瀬戸夏子は川柳を荒らすな」で柳本々々は次のように発言している。
「川柳は瀬戸夏子に出合うことによってジェンダーを自覚するかもしれない」
この言葉をモチベーションにして、12号のテーマに取組んでみたい。

2021年4月30日金曜日

『杜Ⅱ』(杜人同人合同句集)

「川柳杜人」は2020年12月に終刊したが、このたび杜人同人による合同句集『杜Ⅱ』(川柳杜人社)が発行された。同人9人の作品が各50句収録されている。一人一句紹介する。

巻の一水がきれいに澄んでいる    都築裕孝
輪郭はないが隣にいるみたい     浮千草
さよならが言えない鳥を飼っている  大和田八千代
みえないもの奪うみえない手     加藤久子
花咲いて喉の奥まで見せている    佐藤みさ子
右に二度ずらせば窓は開くのだが   鈴木逸志
あのときはトンボのようなわかれかた 鈴木せつ子
春になる土を被せておくだけで    鈴木節子
蝶殺め詩人は蝶の詩を書いた     広瀬ちえみ

同人のうち加藤久子と佐藤みさ子は『はじめまして現代川柳』(書肆侃侃房)に参加、広瀬ちえみは第三句集『雨曜日』(文学の森)を昨年刊行した。
都築裕孝が「発刊によせて」で次のように書いている。「かつて『杜人』は当時の五十歳から六十歳代のいわば現代川柳の草創期にあった同人たちが当時は珍しいと思われていた合同句集を初めて編んでいます。『杜(もり)』です。昭和五十四年(1979)発刊。布張りの上製本で、〝杜の都仙台〟を象徴する深緑色をしています」
この『杜』を私は見たことがないが、都築の文章によると、同人は宮川絢一、芳賀甚六(芳賀弥一)、丹野迷羊、添田星人、今野空白、大友逸星、伊藤律の七名で序文を石曾根民郎、跋文を福島真澄が書いているという。
「杜人」の歴史について私はこのブログの「大友逸星と『川柳杜人』の歩み」(2011年5月20日)、「『杜人』創刊250号」(2016年7月1日)などで書いているので、ここでは簡単に触れておく。「杜人」は昭和22年(1947)10月、新田川草(にった・せんそう)によって創刊された。創刊同人は、川草のほかに渡辺巷雨、庄司恒青、菊田花流面(かるめん)。その後、添田星人と大友逸星の星・星コンビが加わったほか、田畑伯史、今野空白など著名な川柳人を輩出した。新田川草は、深酒の果てに昭和47年(1972)死去。
今回は今野空白の『現代川柳のサムシング』(近代文藝社、1987年)について書いておきたい。タイトルの「サムシング」は川上三太郎から来ている。明治43年、三太郎19歳のときのエッセイに「私は日本人の皮肉、滑稽、洒落などといふものに興味を覚えない。自分の内部の強い色彩の、充実した感触を川柳に盛り込みたい。誦し終って心の奥に、サムシングの一角が深く刻まれ、現実の苦痛をもっとも痛切に現はしたものをと願ふ。これらの感じを現はし得て、私自身を慰めてゆくのである」と書かれているのを踏まえている。空白の本は「川柳の大衆性」「伝統川柳と革新川柳」「五七五(リズム・間・型)」「ユーモアと笑い」「川柳と詩性」など多岐に渡っているが、特に「女性川柳作家」の章を紹介しておきたい。これは女性の川柳人に対するアンケートをまとめたもので(「川柳杜人」昭和51年8月)、質問事項は次のようになっている(旧かなづかい)。

(1)貴女が川柳を作られた動機は何でしたか。
(2)貴女は何故短詩型文藝の中で、川柳を選びましたか。
(3)貴女がこれからの川柳に期待し、抱負を持ってゐるものは何でせうか。
(4)貴女は「ユーモア」「穿ち」「諷刺」「人間性」「詩性」等の中で何を最も重視しますか。
(5)今の川柳會で失望又は希望を抱いてゐるものは何でせうか。
(6)その他何でもお感じになってゐる事をお聞かせ下さいませ。

解答そのものはそれほどおもしろいものではないが、福島真澄がズバリ次のように言っている。「時代の趨勢として、女性の川柳作家が増加して、その女性達が従来の川柳の何ものかを打破して作品を新たに書き加えつつある現在、従来の川柳観で女性作家の意識を分類せんとするのは、女性側に抵抗がありませう。意識調査とか収集とかは、駈け足のダイジェストになりやすいですから」
あと、「女性作家川柳抄」というのが付いているのが当時の資料となる。

我もまた一夜の蟲の牝たらむ       春野清鼓
言葉とどかず背中あわせの冬に居る    来住タカ子
子を連れて人間くさき狐かな       時実新子
ひとり唄どこまで春の地図買いに     村井見也子
お母さんまぶしいから月をたたんで下さい 三浦以玖代
カラーソックスの君といて秒針を止める  小野範子
ままごとひめごと朴の葉あかき兄の耳   福島真澄
風速を読んで煙になる落葉        佐藤良子
慣らされる自我だなぞと思うまい     佐々木イネ
ぼうぼうと鬼を放ちて安らぎぬ      伊藤律

最後に伊藤律の作品を挙げておく。彼女の文語作品が評価されているが、晩年は口語作品も書いている。

しばれ満月素足のあつき雪おんな   伊藤律
未明より未明へ赤い梯子売り
てのひらの艦隊遠退き満月老人
戒名をくべて生家よ光らねば
黎明へわれ鷹匠となりぬべし
津軽地吹雪新墓ひとつ呼応せり
わたくしをかんなでけずる・ひらひら・ひら
にんげんとあそんだばかりにしろぎつね

2021年4月23日金曜日

歌人の書く川柳

4月18日の朝日新聞朝刊「短歌時評」に山田航の「歌人が川柳に驚く訳」という文章が掲載されている。山田は「最近、若手歌人のあいだに現代川柳ブームが訪れている」と書いて、『はじめまして現代川柳』(書肆侃侃房)と「ねむらない樹」第6号を紹介している。「このブームの立役者は歌人の瀬戸夏子である」というのは正確な認識だろう。
瀬戸の『現実のクリストファー・ロビン』(書肆子午線)には川柳について書かれた文章がいくつか収録されているが、瀬戸夏子と平岡直子が発行した川柳の冊子「SH」が手元にあるので、紹介しておこう。「SH」は2015年から2017年にかけて4冊作成されている。

好色のめまいをゆずる弟に      瀬戸夏子(「SH」)
呼ぶだろうすばらしい方の劣勢        (「SH2」)
愛は苺の比喩だあなたはあなたの比喩だ
はかないこころのびわこのゆびわ       (「SH3」)
星々は浅いまなじり             (「SH4」)

瀬戸の句には一行詩の傾向が強く、最後は短律になっている。
平岡直子は「SH」のほか我妻俊樹とのネットプリント「ウマとヒマワリ」などでも川柳を発表している。川柳のイベントにパネラーとして参加することも多いようだ。

すぐ来てと、水道水を呼んでいる   平岡直子(「SH2」)
雪で貼る切手のようにわたしたち
むしゃくしゃしていた花ならなんでもよかった
口答えするのはシンクおまえだけ       (「川柳スパイラル」2号)
耳のなか暗いねこれはお祝いね        (「ウマとヒマワリ9」)

我妻俊樹は「SH」4号すべてに作品を発表していて、良質の川柳も書ける表現者である。「率」10号に誌上歌集『足の踏み場、象の墓場』を発表して注目されたが、2018年5月の「川柳スパイラル」東京句会にゲストとして登場。「行って戻ってくるときに自我が生じるのが短歌」「引き返さずに通り抜けるのが川柳」とはそのときの我妻の発言である。彼はツイッターでも川柳についてときどきおもしろいことを言っている。川柳作品も集めればけっこうな数になるのではないか。ここでは「ウマとヒマワリ」から。

書き順を忘れられない町がある  我妻俊樹(「ウマとヒマワリ」12号)
黒鍵に即身仏が指を置く
玉虫と決めたらずっとそうしてる
こう持てば浅草はゆらゆらしない
潮騒の最後の方を聞き逃す
八階の野菊売り場が荒らされた

「SH」に話を戻すと、山中千瀬の作品が「SH」2~4に掲載されていて、おもしろい句が多かった。吉岡太朗は「SH3」に参加。独自の発想が興味深い。

なんとなく個室に長居してしまう  山中千瀬(SH2)
あとのないしらうおたちの踊り食い
りんじんがいってりんかにばらがわく    (SH3)
火と刃物 お料理は死にちかくてヤ
あの子にはずっと意地悪でいてほしい
ほんとうのわらびもち うそのわらびもち  (SH4)

鳥ならともかく法に触れている    吉岡太朗(「SH3」)
屋根売ってしまって傘をさしている
名古屋まで逃げてきたのに顔がある
シーソーにもちこめたなら勝っていた
一身上の都合で雨を浴びている

歌集『花は泡、そこにいたって会いたいよ』で人気のある若手歌人・初谷むいも川柳を書いている。「ねむらない樹」6号でも短歌と並んで川柳を発表している。

指のない手で撫でている夢の犬  初谷むい(「川柳スパイラル」4号)
烏龍茶この海の裏で待ち合わせ
永劫になる決心がつきました
おきちゃだめ湯気でレンズが曇っても
愛 ひかり ねてもさめてもセカイ系

三田三郎と笹川諒も現代川柳に理解のある歌人である。両氏はネットプリント「MITASASA」に短歌だけでなく川柳作品も発表しており、それは「ぱんたれい」にも収録されている。ここでは「川柳スパイラル」掲載のゲスト作品から紹介する。

世界痛がひどくて今日は休みます  笹川諒(「川柳スパイラル」8号)
発声が魚拓のようにうつくしい
意味上の主語と一夜を共にする
チャコペンがまた天誅をほのめかす
百科事典から今夜出るガレー船

横手からトラウマを投げ込んでくる  三田三郎(「川柳スパイラル」9号)
横領のモチベーションが保てない
後悔の数だけ庭に海老を撒く
自らの咀嚼の音で目が覚める
ふりかけの一粒ずつにパラシュート

「かばん」の沢茱萸も川柳作品を書いている。もともと「かばん」には飯島章友、川合大祐がいるから、彼らを通じて川柳に興味をもった歌人も多い。

元日にサーカスが来るにおいだけ  沢茱萸(「川柳スパイラル」8号)
羊羹と海馬はひとしく切り分けて
紙媒体。ふたごの面倒よろしくね
正直にマトリョーシカはなりなさい
ジェルタイプの金輪際もあるよ

以上、短歌を主なフィールドとしている表現者が現代川柳に関心をもつようになったルートは幾つかあるが、いずれにしても彼らが実作を通じて現代川柳との交流を試みているのは心強い。従来、ジャンルの違いはけっこうハードルが高く、川柳の本質が語られる場合でも具体的な作品を踏まえずに既成の知識や先入観で川柳を云々する場合が多かった。現在の若手歌人の川柳への関心はそういうものとは異なり、現代川柳を読むだけではなく、実作も試みている点で川柳側にとっても新鮮な刺激を与えるものとなっている。ここに紹介しただけではなく、もっとたくさんの表現者が現代川柳の実作を試みているかもしれない。それぞれのフィールド相互の刺激によって短詩型文学の言葉がさらに豊かになってゆくならば嬉しいことである。

2021年4月16日金曜日

ポスト現代川柳の台頭―暮田真名・柳本々々・川合大祐

×月×日
ネットプリント「いくらか」をコンビニで印刷。佐原キオと暮田真名の川柳が各20句掲載されている。どれもおもしろいが、二句ずつご紹介。

風のおかげでどんな無聊もよく燃える  佐原キオ
鼎談をする精神がなぜ白い       佐原キオ
代わりにテオと暮らしてあげる     暮田真名
京都ではくびのほきょうを忘れずに   暮田真名

引用句からだけでは分からないが、佐原は旧かなづかいで書いている。現代川柳は口語・新かなを主とするが、文語や旧かなを使う場合には何らかの意図があるはずだ。それはそれとして、佐原の句はきちんと現代川柳になっている。短歌的なものの川柳への流入や短歌の私性の安易な持ち込みに対して私は否定的だったが、今の歌人の書く川柳はそういうものとは異なり、ツボを心得た表現は川柳としてのクオリティが高いと感じる。
暮田の句からは固有名詞と地名を使った句を引用してみた。テオはゴッホの弟のことかも知れないし、ほかの誰かかもしれない。京都に対する諷刺は、たとえば渡辺隆夫の「うそ八百京都千年にはかなわん」(『都鳥』)を思い出させたが、暮田の句にも十分川柳性が強く表れている。
「文学界」5月号に暮田は「川柳は人の話を聞かない」を掲載している。「ねむらない樹」6号で彼女は「川柳は上達するのか?」と書いているが、この「川柳は…」シリーズはこれからも続くらしい。私は以前「川柳人どうしがいっしょにいて少しも飽きないのは、ずっと自分のことばかり話しているからである」というアフォリズムを作ったことがあるが、暮田が言っているのは「川柳人」のことではなく、「川柳」のことなのだった。

×月×日
「早稲田文学」2021年春号(特集「オノマトペにもぐる/オノマトペがひらく」)に川合大祐と柳本々々が作品を掲載している。川合は「バイオハザード」、柳本は「ここはぴなの?」というタイトルで、柳本の作品から二句ご紹介。ほかに初谷むいや野間幸恵の作品も掲載されている。

やあ、とぴっはいう。また会えましたね。  柳本々々
あなたはぴっをいつもわすれるよね うん

×月×日
先日、アルマ・マーラーの『グスタフ・マーラー』を読む機会があった。21歳でマーラーと結婚したアルマが31歳で彼と死別するまでの回想が書かれている。アルマは毒舌家でずいぶんはっきりと自分の意見を言う女性だった。
ドイツ文学の世界では精神性の高い魅力的な才能をもった女性がときどき現れる。ニーチェの恋人だったルー・アンドレアス・ザロメはリルケとも交流があったし、後にはフロイトに師事した。アルマもそのような女性のひとりで、画家のクリムトやココシュカも彼女に恋をしたと言われる。ドイツ表現主義の画家、オスカー・ココシュカの「風の花嫁」はアルマをモデルにしている。

ココシュカの《風の花嫁》を飾るだろう死後の白くて無音の部屋に  笹川諒

×月×日
江田浩司歌集『律―その径に』(思潮社)が届く。短歌と詩のコラボなどがあって全貌は紹介しにくいが、第四章から二首引用する。

そのうたは深夜にひとりあるきする尾をひくこゑにあきらけき叛
いまそこにある悦びをひきよせて溺れてゆかなあぢさゐの世を

岡井隆への追悼として「О氏に」と題された歌から一首。「詩」には「うた」、「蜻蛉」には「せいれい」のルビがふられている。

さまよへる詩のゆくへをたづねたり遅れて来たる蜻蛉として

×月×日
川合大祐の第二句集『リバー・ワールド』(書肆侃侃房)が刊行された。1001句の川柳が三章に分けて掲載されている。ツイッターなどで反響が出ているし、アマゾンの句集ランキングでも上位にあり、好評のようだ。ここでは二句だけ引用しておく。

道 彼と呼ばれる長い神経路   川合大祐
自我捨ててただ晴れた日の紫禁城

刊行記念として、5月7日(金)の20時から本屋B&Bのオンライン配信で川合大祐・柳本々々・小池正博によるトークイベント「現代川柳ってなんだ!」が開催される。どんな話になるだろう。

×月×日
川柳「湖」12号(浅利猪一郎川柳事務所)に第12回「ふるさと川柳」の受賞作品が掲載されている。浅利が秋田県で発行している柳誌で、12人の選者による共選。今回の兼題は「天」。入選1点、佳作2点、秀句3点を配点して、それぞれの選者が入れた合計点により順位を決定する。最優秀句は次の作品で8点を獲得している。

天啓を銜え野良猫やってくる   川田由紀子

ちなみに私が選んだ秀句は次の三句。

本当はしんどい天然の私    川内もとこ
天の川彦星さえも熱がある   鈴木昌代
あなた誰いつか天使になる怖さ 原佑脩二

2021年4月9日金曜日

林ふじをと女性川柳のことなど

前回、川合大祐との関連で樹萄らきのことに触れたが、川合が動画配信で荒井徹(2005年11月没)の名を挙げていたので、荒井の川柳を紹介しておく。

自転車で坂押してゆく吠えながら   荒井徹
寒いから二人でいよう鶴など折って
赤い靴履いて迷子に脱いで迷子に
仮の世にしては魂揺れすぎる
砂文字よ素直に孕め僕は人質
球根を植える螢に犯意あり
「鳩?」サーカス小屋の屋根にいたよ
不審火や乳房最初に焼けたがる
月を撃つ自滅なかなか悪くない
末筆ながら斧は両手で握ること

このところ過去の川柳誌のバックナンバーをひもとくことが多いが、今回は「オール川柳」1996年2月号を読んでみよう。林ふじをのことが紹介されている。
川上三太郎の門下から女性の川柳人が輩出したことはこれまでも何回か述べてきたが、「ベッドの絶叫夜のブランコに乗る」で有名な林ふじをは時実新子の先駆的存在として注目される。

機械的愛撫の何と正確な      林ふじを
存在の価値あり君のペットたり
ねむれない あなたも ねかせないつもり
指先の意志とは別に 胸開く
炎の眼―紫となる青となる
後悔はしないベーゼに青ざめる
一列に並ぶ男を肥料にし
いいパパになって二重人格者が帰る
鏡からこれはあたしぢゃない笑顔
イエスではない眼あたしにだけわかる

林ふじをは桑原正一を通じて川柳をはじめ、「川柳研究」の川上三太郎に師事した。三太郎が求めていた「女の句」の体現者であり、セックスを本格的に詠んだはじめての女性川柳人と言われるが、1959年、34歳で亡くなった。時実新子の句集『新子』が出たのはその二年後である。
同誌には「女流二十一人集」のページがあって、その当時の代表的な女性の作者の作品が各10句ずつ収録されている。その顔ぶれが興味深いので、挙げておこう。このころは「女流」という言葉がまだ普通に使われていた。
森中惠美子・徳永凛子・宮川蓮子・大石鶴子・西原知里・倉本朝世・木野由紀子・八木千代・樋口由紀子・卜部晴美・永石珠子・杉森節子・秋元深雪・高橋古啓・村井見也子・上野多惠子・前田芙已代・斉藤由紀子・玉島よ志子・田頭良子・大西泰世。
私が川柳をはじめたころに第一線で活躍していた川柳人たちだが、ここでは「現代川柳 点鐘の会」でよく顔を合わせた高橋古啓の作品を紹介しておきたい。「グループ明暗」25号(高橋古啓追悼号・2005年9月)から。

逢いたさは薬師如来の副作用   高橋古啓
かくも長き痙攣闘魚の終幕
おだやかに空気を破る人がいる
どの花もみな色褪せている花屋
私からの手紙わたしの死後に着く
三日月に折れたペニスを照らされる
それが永遠なら砂粒を数える
調べ妖しく水際清掃人がゆく
水かきの雫も切らず握手する
欲しいのは妻子ある人 他人の詩
カマキリの常識 君は食べられる
まだ媚を売らねばならぬ雪女

「オール川柳」に戻ると、この号の「今、注目の柳人」のコーナーに大石鶴子が登場している。井上剣花坊と信子の娘であり、このときは「柳樽寺川柳会」の主宰として健在だった。

橋のない川に幾年ペンの橋   大石鶴子
清貧の風いっぱいに開く窓
人の世のひびき地表を這うばかり
転がったとこに住みつく石一つ

「川柳はね立派な詩なんですよ。だれでも自由に詠める。庶民に一番あった詩なんです。社会を批判することも出来るんですよ」(大石鶴子)という言葉が紹介されている。

2021年4月2日金曜日

俳句と川柳アーカイブ

「ねむらない樹」6号の特集「現代川柳の衝撃」でひとりの作者が川柳と短歌の実作を並べているのが興味深かった。作者は川合大祐・暮田真名・柳本々々・飯島章友・正岡豊・初谷むいの六名。川柳五句、短歌五首が左右のページに取り合わせられている。まず川合の作品を一句・一首紹介しよう。

汐留でリンパを売っていて冬か             川合大祐
丸焼きをつくれずにいるだけのこと地図の上での犀川の犀

たまたまだが、地名を用いた作品を並べてみた。汐留でリンパマッサージをしているのか。それとも琳派の作品を売っているのか。何だか分からないが「リンパ」を売っている。金沢市街を流れている犀川。室生犀星の故郷でもある。その犀川に犀がいて、どうも丸焼きにはしにくい。地名を使って遊んでいる。 下段に添えられている短文で、川合は川柳をはじめたのが2001年だといっている。そして20年続いた原動力のひとつとして樹萄らきの句がカッコよかったことを挙げている。
今までにも取り上げたことがあるが、手元に「川柳の仲間 旬」の2002年1月号があり、特集・人物クローズアップに川合大祐が取り上げられている。「自動ドア誰も救ってやれないよ」「愛するも憎むもひとりロビンソン」などの句が掲載されている。ちなみに川合がカッコいいと思った樹萄らきの当時の句を書きとめておこう。

三日間脳ミソ貸してあげようか   樹萄らき
手を高く上げて見の程知りましょう
落ちている本を拾った手に手錠
いただいたDNAはチャランポラン

川合の第二句集『リバー・ワールド』(書肆侃侃房)が近日中に発行されるという。第一句集『スロー・リバー』(あざみエージェント)も改めて読まれているようだ。

ひつじ雲から博才を隠してる    暮田真名
ミレニアム・ベイビーだけのおまつりに6人欠けてもサッカーしよう

短文「川柳は上達するのか?」は評判になったようだし、近刊予定の「文学界」5月号にコラム「川柳は人の話を聞かない」が掲載されるという。「当たり」は大橋なぎ咲との新コンビが注目され、『補遺』に続く第二句集も準備中だというから、暮田の今後の活動に目が離せない。

わたしを星が追いかけている    柳本々々
暴風雨きみが話してくれたのは「わたしを星が追いかけている」

2015年9月の「第三回川柳カード大会」のときに柳本と対談したことがある。このときも柳本に自選五首と自選五句を選んでもらったのを思い出した。そのときの作品から。

リンス・イン・魂(洗い流せない)    柳本々々
のりべんがきらきらしつつ離れてく銀河鉄道途中下車不可

このときの対談「現代川柳の可能性」は「川柳カード」10号に掲載されている。
この調子で紹介してゆくと長くなるので、飯島章友と正岡豊については「ねむらない樹」をご覧いただきたい。飯島は「川柳スープレックス」(3月4日)に「現代川柳にアクセスしよう」を書いていて、現代川柳の入り口を示すものとして便利である。正岡の短文は定金冬二についてだが、これとは別に「獏と川柳」という文章をグーグルドライブに挙げている。正岡のツイッター(2月27日)からも入れるのでご一読をお勧めする。

終末論うさぎに噛まれた跡がある     初谷むい
うさぎ屋さんがめっきり開店しなくなる 終末のうわさを信じてる

初谷むいには「川柳スパイラル」4号のゲスト作品に川柳10句を寄稿してもらったことがある。そのときの一句。

愛 ひかり ねてもさめてもセカイ系   初谷むい

川柳と短歌は形式が違うから同一作者が両形式の実作をしても読者にはよく分かるが、川柳と俳句を同一作者が実作したらどうなるだろうということを考えた。特集としては成立しにくいかもしれない。
俳句と川柳の取り合わせについて、20年ほど前に角川春樹が編集発行していた「俳句現代」という雑誌があったことを思い出した。「俳句現代」2000年6月号の特集が「俳句と川柳」であり、角川春樹が組んだ川柳人は時実新子だった。このときは見開きの右ページに俳人の作品、左ページに川柳人の作品が掲載されている。それぞれ10句。俳句からは能村登四郎・森澄雄・佐藤鬼房・稲畑汀子・岡本眸・有馬朗人・角川春樹、川柳からは橘高薫風・尾藤三柳・高鶴礼子・情野千里・倉富洋子・峯裕見子・時実新子。豪華な顔ぶれである。川柳側の高鶴礼子以下の5人は当時の「川柳大学」の会員。7組全部は紹介できないので、4組だけ各1句を引用しておく。

自から美醜を尽くし落椿     能村登四郎
革命さはじめてコーラ飲んだ日は 橘高薫風

流し目にわれも流し目冷し酒   森澄雄
遠近法を食いつくす窓の孵化   尾藤三柳

開館のその後を問はれ梅椿    稲畑汀子
世界地図の下で鮫くる夜を待つ  情野千里

三歩行き二歩退く象に春遅々と  有馬朗人
わかれきて晩三吉が膝の上    峯裕見子

峯裕見子の「晩三吉」(おくさんきち)は晩生の赤梨で冬の季語。季語を人名のように使って恋句の雰囲気を出していて、彼女の作品のなかでもよく知られている。
この特集では時実新子と角川春樹の対談のほか、「俳句と川柳の峻別を・再び」(復本一郎)、「似て非なるもの」(高橋悦男)、「俳句と川柳―同根にして異質なるもの」(関森勝夫)、「俳句と川柳の問題」(宗田安正)、「俳句は俳句らしく」(杉涼介)などの文章が掲載されている。復本一郎の『俳句と川柳』(講談社現代新書)が出て、柳俳の議論がやかましかったころのことである。今度読み返してみておもしろいと思ったのは磯貝碧蹄館の「川柳の味もまた好し」で、碧蹄館には川柳の実作もあり、川柳句会にも参加している。

女体転落月はしづくをしたたらす  磯貝眞樹
頬打たれながら女が墜ちてゆく   中村富山人

席題「人間失格」で牧四方選。「日本川柳」(昭和25年4月)より。眞樹(しんじゅ)は碧蹄館の柳号。中村富山人は中村冨二である。
今回は「ねむらない樹」からの連想で20年前の「俳句現代」に及んだが、過去の雑誌を探しているうちに、「鹿首」12号(2018年7月)が出てきた。この雑誌は詩・歌・句・美の共同誌である。八上桐子が「川柳招待席」に「ごくらくちんみ」20句を寄稿している。杉浦日向子の『ごくらくちんみ』に出てくる珍味とお酒をふまえたものらしい。二句だけご紹介。

  とうふよう×泡盛ロック
青ざめる空も前ほど疼かない    八上桐子

  いぶりがっこ×秋田地酒
面差しの皺しばし読まれてしまう

「鹿首」12号の「短歌招待席」には川野芽生の「借景園」20首が掲載されている。このとき私はまだ川野の作品の凄さに何も気づいていなかった。

2021年3月26日金曜日

大阪川柳散歩

コロナ禍で街に出ることが少なくなった。実際に行けないかわりに、想像のなかで文学散歩を楽しんでみたい。時空を超えて大阪の川柳ゆかりの地を訪ねてみる。

【心斎橋北詰・小島洋服陳列場】
心斎橋は長堀川にかかっていた橋だが、1960年代に川が埋め立てられて現在は明治の面影は残っていない。かつて心斎橋北詰に小島陳列場があり、小島六厘坊が住んでいた。六厘坊の父・小島善五郎は洋服商を営んでおり、小島銀行を設立するなど資産家であった。この小島銀行がその後どうなったのか調べてみたが、明治期には個人創業の銀行がしだいに吸収合併されていったようで、経緯がよく分からない。六厘坊の父の自宅は西横堀川の御池橋にあったが、六厘坊は小島洋服陳列場の方に住んでいたようだ。ちなみに御池橋も川の埋め立てにより現存しない。
六厘坊は明治期の関西における新川柳(近代川柳)の草分けで、小島陳列場に集まった若き川柳人たちの姿は梁山泊のようなイメージで私の心をとらえてはなさない。
小島洋服陳列場の位置を文献で調べてみたが、心斎橋北詰の駸々堂とうどん屋との間の二軒を合併したものだという。書店の駸々堂も現存しない。
陳列場というから洋服の陳列をしていて店員がいたが、六厘坊は店員とは別に大きなデスクを前にして正面を向いていた。川柳の友人が入ってゆくと、六厘坊が「ヤアー」と満面の笑みで迎える。店では川柳の話はせず、陳列場の奥にある倉を改造した部屋へ連れてゆく。職場の仕事と川柳は区別していたのだろう。薄暗い気味の悪い部屋で、六厘坊は一、二時間たてつづけに川柳談を語る。句も作らせるが、「まずい、まずい」と頭から決めつける。なかなか褒めないが、褒めるときはとこぎり褒めそやす。「とこぎり」とは徹底的にという意味の方言である。とこぎりけなすか、とこぎり褒めるかのどちらかだった。徹底した性格だったのである。雄弁だったから、彼が褒めて句の解釈をすると、聞くものは思わず引き込まれて感嘆させられたという。

六厘がほめりゃとこぎりほめる也  作者未詳

川上日車は六厘坊の友人で、そのころは七厘坊と名乗っていた。二人は川柳の主義主張で争うことが多く、すぐに絶交する。それでも二三日すると七厘坊は陳列場に姿を見せ、再びもめて絶交を繰り返した。
川柳の句会は新町の光禅寺でも行われて、西田当百がここではじめて六厘坊と会って、その若さに驚いた思い出を書いている。
六厘坊は小島洋服陳列場に21歳までいたが、十合呉服店の向かい側に別家して洋服商を営んだが、病を得て22歳で亡くなった。夭折の天才川柳人であった。
六厘坊については「週刊俳句」(2010年3月7日)に「小島六厘坊物語」というタイトルで小説風の文章を書いたことがある。

【四貫島】
喜多一二(きた・かつじ、鶴彬の本名)が高松から大阪にやってきたのは1926年秋のことだった。17歳のときである。その翌年、彼は「北国新聞」に「大阪放浪詩抄」を発表している。長編の詩だが、その最初だけ引用する。

はじめて見た大阪の表情は
石炭坑夫の顔のやうに
くろずんでゐた
軽いつっそくをおぼえる空気の中に
あ、秋はすばやくしのびこみ
精神病者のごとき街路樹は
赤くみどりを去勢されてゐる

大阪では四貫島(しかんじま)の従兄宅に寄宿して、町工場で働いた。彼はそれ以前に田中五呂八の「氷原」に参加し、新興川柳の洗礼を受けていたが、実際の労働者としての体験は彼をプロレタリア川柳へと鍛え上げたことだろう。
かねてから四貫島へ行ってみたいと思っているが、JR西九条駅から路線を乗り換えねばならず、訪れる機会がない。四貫島といっても鶴彬の住んでいた場所もわからないことである。
大阪城には鶴彬の句碑が建立されている。彼が治安維持法違反で収監されていた大阪衛戍監獄の跡地である。

暁を抱いて闇にゐる蕾   鶴彬

【青蓮寺・岸本水府墓】
2013年3月に大阪・上本町で「第32回連句協会総会・全国大会」が開催されたときに、連句人の有志数名で上本町周辺の俳諧史跡を散策したことがある。生玉神社から口縄坂に向かう途中の青蓮寺に「岸本水府墓」の表示があるのを門前で発見して立ち寄った。この寺には竹田出雲墓もある。大阪の俳諧史跡についてはこの時評(2013年3月30日)にも書いておいた。水府で私の一番好きな句は次の作品。

壁がさみしいから逆立ちをする男  岸本水府

『はじめまして現代川柳』を編集しているときに、川上日車に「慰めか知らず逆立ちする男」の句があることに気づいた。日車は前衛川柳、水府は伝統川柳(本格川柳)という二分法では片づけられないと思った。
さて、道頓堀に初代・中村鴈治郎を詠んだ水府の有名な句碑がある。場所は今井の横である。

ほおかむりの中に日本一の顔  岸本水府

【相合橋北詰】
水府の句の連想で食満南北のことに触れておきたい。
食満南北(けま・なんぼく)は堺市の出身。鴈治郎の座付作者であり、水府の「番傘」にも深くかかわっている。相合橋北詰に歌舞伎の店を開いており、その二階を句会場にしていた。洒脱な人で「今死ぬと言うのにしゃれも言えもせず」という辞世を残している。相合橋北詰にある句碑は次の句である。

盛り場をむかしに戻すはしひとつ  食満南北

この句の橋は相合橋ではなくて、太左衛門橋のことである。道頓堀川に太左衛門橋が復活したとき詠まれた作品だという。

2021年3月19日金曜日

読書日記(コロナ禍の短歌と俳句)

3月×日
笹川諒の歌集『水の聖歌隊』(書肆侃侃房)を読む。2014年から2020年までの短歌を収録した第一歌集である。

椅子に深く、この世に浅く腰かける 何かこぼれる感じがあって  笹川諒

巻頭の一首で、読者をこの歌集の世界へといざなう作品になっている。椅子に深く腰かけることと浅く腰かけることは矛盾するようだが、あるデリケートな感覚を表現している。「椅子」は居場所のようなものだろうが、「深く」「浅く」が対比されているから、「この世」に対して次元の異なるもうひとつの世界があるのだろう。「あとがき」の言葉を使うと「言葉とこころ」「自己と他者」「現実と夢」ということになるが、夢や詩の世界には深く、現実の社会には浅く腰かける、というような単純なことでもないだろう。そこには「何かこぼれる感じ」があるので、それは比喩的には「水」のようなものかもしれないが、ズレや欠落感ではなくて、こぼれる感覚と言っている。それを言葉でとらえようとして、たとえば次のような歌がある。

この雪は僕らの原風景に降る雪と違ってたくましすぎる
触れるだけで涙をこぼす鳥たちを二人は色違いで飼っている
空想の街に一晩泊るのにあとすこしだけ語彙が足りない

笹川には「川柳スパイラル」8号にゲスト作品をお願いしたことがある。彼はこんな川柳を書いている。

世界痛がひどくて今日は休みます   笹川諒

3月×日
川野芽生の歌集『Lilith』(書肆侃侃房)を読む。ふだん読みなれている口語短歌ではなくて、文語・旧かなである。まず巻頭の「借景園」が魅力的だ。

羅の裾曳きてわが歩みつつ死者ならざればゆきどころなし  川野芽生
廃園にあらねど荒ぶれる庭よわれらを生きながら閉ぢ籠めて
夜の庭に茉莉花、とほき海に泡 ひとはひとりで溺れゆくもの

廃園の美かと思ったが、この庭は生きている。藤棚は折れ、取り壊されて、借景もすでに失われてはいるけれど、まだ生きているのだ。
初出は「鹿首」12号。この号には川柳から八上桐子が参加していたはずだ。
完成度の高い美意識の世界とは対照的に、第三章では世界の現実と切りむすぶ作品が収録されている。

さからはぬもののみ佳しと聞きゐたり季節は樹々を塗り籠めに来し
魔女を焼く火のくれなゐに樹々は立ちそのただなかにわれは往かなむ

あとがきには次のように書かれている。
「人は嘘を吐くことがある、とはじめて気付いたとき、深い衝撃を受けたのを覚えています。人間がつねに真実を語ると思っていたわけではなく、むしろその反対で、ただ言葉の臣たる人間がみずからの思惑に沿って言葉を捻じ曲げうるなどとは、思ってもみなかったのです」
「言葉はその臣たる人間に似すぎていて、あまりに卑俗で、醜悪で、愚かです。人間という軛を取り去ったとき、言葉が軽やかに高々と飛翔するのであればいいのに」
『Lilith』(リリス)というタイトルを選んだのだから、先鋭な作者にちがいない。もしこの人が川柳を書いたらどんな作品が生まれるのだろう。

3月×日
短歌誌「井泉」98号が届く。リレー小論のテーマは【日常の歌を考える―コロナ禍に何をみるか】で、棚木恒寿と加藤ユウ子が書いている。引用されている短歌作品がコロナ禍の日常詠として興味深いので、ここに挙げておく。

人生のどこにもコロナというように開花日の雪降らす東京  俵万智『未来のサイズ』
あちらでは突き飛ばされた人が今マスクひと箱かかげてをりぬ  池田はるみ『亀さんゐない』
団栗をもらふリスなり届きたるマスク二枚をてのひらに乗す  栗木京子「黄色い車体」
緊急事態宣言の夜にペヤングをクローゼットの隙間に詰める  笹公人「ごはんがたけたよ」
公園にブランコは濡れ藤も濡れだれもいなくてだれもいらない  遠藤由季「マツバウンラン」
もう充分に家籠りしを更にまた東京人われら家に籠れと  奥村晃作「冬から春へ」
疫病のふちどる暮らしいつ死ぬかわからないのはいつもでしたが 山階基「せーので」

俳句の場合はどうかというと、ちょうど「俳誌五七五」(編集発行人・高橋修宏)7号の編集後記・日々余滴に次のようなコロナ禍の俳句作品が挙げられている。

コロナ隠みヰルス籠りの春愁       高橋睦郎
コロナとは鸚鵡の独り言殖えて      柿本多映
ペスト黒死病コレラは虎列刺コロナは何と 宇多喜代子
ウイルスのはびこる星よ蚊柱よ      大木あまり
吸う息に合わせ餓死風(やませ)もウイルスも 高野ムツオ
松の内どこでマスクをはずすのか     池田澄子
地球ごとマスクで覆う春の暮       渡辺誠一郎
マスク三百使い捨てたる柚風呂かな    高山れおな

これらの作品例だけで、短歌と俳句の切り口の違いをどうこう言えるものではないが、眺めているといろいろ考える材料になるかもしれない。

3月×日
岡田一実の第四句集『光聴』(素粒社)を読む。まず第一句集から第三句集までを振り返っておくことにする。

『境界‐border‐』(マルコポ.コム)より
焚火かの兎を入れて愛しめり
はくれんの中身知りたし知らんでも良し
快楽とは蜂ふるへたる花の中

『小鳥』(マルコポ.コム)より
木よ人よ漣すぎるものたちよ
ことは秘密裏に沈丁花沈丁花
小鳥遥かに星をたのしむ

『記憶における沼とその他の存在』(青磁社)より
コスモスの根を思ふとき晴れてくる
鷹は首をねぢりきつたるとき鳩に
幻聴も春の嵐も臥せて聴く

今度の第四句集は「俳句らしい俳句」だなと思った。「あとがき」には「現場の理想化前の僅かな驚きを書き留めること、些末を恐れず分明判断を超えてものを見ること、形而下の経験的認識が普遍性に近づくその瞬間を捉えること、イメージを具象的言語表現で伝えることなどは山険しけれども古い方法ではなく、現代の俳句を切り開く方法の一つになり得ると思うようになりました」とある。作者の俳句観の変化・深化があったのだろう。「私の見方」から「ものの見えたるひかり」の方へシフトしているようだ。

夜光虫波引くときの一猛り
流れくる浮輪に子ども挿してあり
先ほどの茄子とは違ふ空の色
腹黄なるを見て翡翠を見失ふ