2021年4月30日金曜日

『杜Ⅱ』(杜人同人合同句集)

「川柳杜人」は2020年12月に終刊したが、このたび杜人同人による合同句集『杜Ⅱ』(川柳杜人社)が発行された。同人9人の作品が各50句収録されている。一人一句紹介する。

巻の一水がきれいに澄んでいる    都築裕孝
輪郭はないが隣にいるみたい     浮千草
さよならが言えない鳥を飼っている  大和田八千代
みえないもの奪うみえない手     加藤久子
花咲いて喉の奥まで見せている    佐藤みさ子
右に二度ずらせば窓は開くのだが   鈴木逸志
あのときはトンボのようなわかれかた 鈴木せつ子
春になる土を被せておくだけで    鈴木節子
蝶殺め詩人は蝶の詩を書いた     広瀬ちえみ

同人のうち加藤久子と佐藤みさ子は『はじめまして現代川柳』(書肆侃侃房)に参加、広瀬ちえみは第三句集『雨曜日』(文学の森)を昨年刊行した。
都築裕孝が「発刊によせて」で次のように書いている。「かつて『杜人』は当時の五十歳から六十歳代のいわば現代川柳の草創期にあった同人たちが当時は珍しいと思われていた合同句集を初めて編んでいます。『杜(もり)』です。昭和五十四年(1979)発刊。布張りの上製本で、〝杜の都仙台〟を象徴する深緑色をしています」
この『杜』を私は見たことがないが、都築の文章によると、同人は宮川絢一、芳賀甚六(芳賀弥一)、丹野迷羊、添田星人、今野空白、大友逸星、伊藤律の七名で序文を石曾根民郎、跋文を福島真澄が書いているという。
「杜人」の歴史について私はこのブログの「大友逸星と『川柳杜人』の歩み」(2011年5月20日)、「『杜人』創刊250号」(2016年7月1日)などで書いているので、ここでは簡単に触れておく。「杜人」は昭和22年(1947)10月、新田川草(にった・せんそう)によって創刊された。創刊同人は、川草のほかに渡辺巷雨、庄司恒青、菊田花流面(かるめん)。その後、添田星人と大友逸星の星・星コンビが加わったほか、田畑伯史、今野空白など著名な川柳人を輩出した。新田川草は、深酒の果てに昭和47年(1972)死去。
今回は今野空白の『現代川柳のサムシング』(近代文藝社、1987年)について書いておきたい。タイトルの「サムシング」は川上三太郎から来ている。明治43年、三太郎19歳のときのエッセイに「私は日本人の皮肉、滑稽、洒落などといふものに興味を覚えない。自分の内部の強い色彩の、充実した感触を川柳に盛り込みたい。誦し終って心の奥に、サムシングの一角が深く刻まれ、現実の苦痛をもっとも痛切に現はしたものをと願ふ。これらの感じを現はし得て、私自身を慰めてゆくのである」と書かれているのを踏まえている。空白の本は「川柳の大衆性」「伝統川柳と革新川柳」「五七五(リズム・間・型)」「ユーモアと笑い」「川柳と詩性」など多岐に渡っているが、特に「女性川柳作家」の章を紹介しておきたい。これは女性の川柳人に対するアンケートをまとめたもので(「川柳杜人」昭和51年8月)、質問事項は次のようになっている(旧かなづかい)。

(1)貴女が川柳を作られた動機は何でしたか。
(2)貴女は何故短詩型文藝の中で、川柳を選びましたか。
(3)貴女がこれからの川柳に期待し、抱負を持ってゐるものは何でせうか。
(4)貴女は「ユーモア」「穿ち」「諷刺」「人間性」「詩性」等の中で何を最も重視しますか。
(5)今の川柳會で失望又は希望を抱いてゐるものは何でせうか。
(6)その他何でもお感じになってゐる事をお聞かせ下さいませ。

解答そのものはそれほどおもしろいものではないが、福島真澄がズバリ次のように言っている。「時代の趨勢として、女性の川柳作家が増加して、その女性達が従来の川柳の何ものかを打破して作品を新たに書き加えつつある現在、従来の川柳観で女性作家の意識を分類せんとするのは、女性側に抵抗がありませう。意識調査とか収集とかは、駈け足のダイジェストになりやすいですから」
あと、「女性作家川柳抄」というのが付いているのが当時の資料となる。

我もまた一夜の蟲の牝たらむ       春野清鼓
言葉とどかず背中あわせの冬に居る    来住タカ子
子を連れて人間くさき狐かな       時実新子
ひとり唄どこまで春の地図買いに     村井見也子
お母さんまぶしいから月をたたんで下さい 三浦以玖代
カラーソックスの君といて秒針を止める  小野範子
ままごとひめごと朴の葉あかき兄の耳   福島真澄
風速を読んで煙になる落葉        佐藤良子
慣らされる自我だなぞと思うまい     佐々木イネ
ぼうぼうと鬼を放ちて安らぎぬ      伊藤律

最後に伊藤律の作品を挙げておく。彼女の文語作品が評価されているが、晩年は口語作品も書いている。

しばれ満月素足のあつき雪おんな   伊藤律
未明より未明へ赤い梯子売り
てのひらの艦隊遠退き満月老人
戒名をくべて生家よ光らねば
黎明へわれ鷹匠となりぬべし
津軽地吹雪新墓ひとつ呼応せり
わたくしをかんなでけずる・ひらひら・ひら
にんげんとあそんだばかりにしろぎつね

2021年4月23日金曜日

歌人の書く川柳

4月18日の朝日新聞朝刊「短歌時評」に山田航の「歌人が川柳に驚く訳」という文章が掲載されている。山田は「最近、若手歌人のあいだに現代川柳ブームが訪れている」と書いて、『はじめまして現代川柳』(書肆侃侃房)と「ねむらない樹」第6号を紹介している。「このブームの立役者は歌人の瀬戸夏子である」というのは正確な認識だろう。
瀬戸の『現実のクリストファー・ロビン』(書肆子午線)には川柳について書かれた文章がいくつか収録されているが、瀬戸夏子と平岡直子が発行した川柳の冊子「SH」が手元にあるので、紹介しておこう。「SH」は2015年から2017年にかけて4冊作成されている。

好色のめまいをゆずる弟に      瀬戸夏子(「SH」)
呼ぶだろうすばらしい方の劣勢        (「SH2」)
愛は苺の比喩だあなたはあなたの比喩だ
はかないこころのびわこのゆびわ       (「SH3」)
星々は浅いまなじり             (「SH4」)

瀬戸の句には一行詩の傾向が強く、最後は短律になっている。
平岡直子は「SH」のほか我妻俊樹とのネットプリント「ウマとヒマワリ」などでも川柳を発表している。川柳のイベントにパネラーとして参加することも多いようだ。

すぐ来てと、水道水を呼んでいる   平岡直子(「SH2」)
雪で貼る切手のようにわたしたち
むしゃくしゃしていた花ならなんでもよかった
口答えするのはシンクおまえだけ       (「川柳スパイラル」2号)
耳のなか暗いねこれはお祝いね        (「ウマとヒマワリ9」)

我妻俊樹は「SH」4号すべてに作品を発表していて、良質の川柳も書ける表現者である。「率」10号に誌上歌集『足の踏み場、象の墓場』を発表して注目されたが、2018年5月の「川柳スパイラル」東京句会にゲストとして登場。「行って戻ってくるときに自我が生じるのが短歌」「引き返さずに通り抜けるのが川柳」とはそのときの我妻の発言である。彼はツイッターでも川柳についてときどきおもしろいことを言っている。川柳作品も集めればけっこうな数になるのではないか。ここでは「ウマとヒマワリ」から。

書き順を忘れられない町がある  我妻俊樹(「ウマとヒマワリ」12号)
黒鍵に即身仏が指を置く
玉虫と決めたらずっとそうしてる
こう持てば浅草はゆらゆらしない
潮騒の最後の方を聞き逃す
八階の野菊売り場が荒らされた

「SH」に話を戻すと、山中千瀬の作品が「SH」2~4に掲載されていて、おもしろい句が多かった。吉岡太朗は「SH3」に参加。独自の発想が興味深い。

なんとなく個室に長居してしまう  山中千瀬(SH2)
あとのないしらうおたちの踊り食い
りんじんがいってりんかにばらがわく    (SH3)
火と刃物 お料理は死にちかくてヤ
あの子にはずっと意地悪でいてほしい
ほんとうのわらびもち うそのわらびもち  (SH4)

鳥ならともかく法に触れている    吉岡太朗(「SH3」)
屋根売ってしまって傘をさしている
名古屋まで逃げてきたのに顔がある
シーソーにもちこめたなら勝っていた
一身上の都合で雨を浴びている

歌集『花は泡、そこにいたって会いたいよ』で人気のある若手歌人・初谷むいも川柳を書いている。「ねむらない樹」6号でも短歌と並んで川柳を発表している。

指のない手で撫でている夢の犬  初谷むい(「川柳スパイラル」4号)
烏龍茶この海の裏で待ち合わせ
永劫になる決心がつきました
おきちゃだめ湯気でレンズが曇っても
愛 ひかり ねてもさめてもセカイ系

三田三郎と笹川諒も現代川柳に理解のある歌人である。両氏はネットプリント「MITASASA」に短歌だけでなく川柳作品も発表しており、それは「ぱんたれい」にも収録されている。ここでは「川柳スパイラル」掲載のゲスト作品から紹介する。

世界痛がひどくて今日は休みます  笹川諒(「川柳スパイラル」8号)
発声が魚拓のようにうつくしい
意味上の主語と一夜を共にする
チャコペンがまた天誅をほのめかす
百科事典から今夜出るガレー船

横手からトラウマを投げ込んでくる  三田三郎(「川柳スパイラル」9号)
横領のモチベーションが保てない
後悔の数だけ庭に海老を撒く
自らの咀嚼の音で目が覚める
ふりかけの一粒ずつにパラシュート

「かばん」の沢茱萸も川柳作品を書いている。もともと「かばん」には飯島章友、川合大祐がいるから、彼らを通じて川柳に興味をもった歌人も多い。

元日にサーカスが来るにおいだけ  沢茱萸(「川柳スパイラル」8号)
羊羹と海馬はひとしく切り分けて
紙媒体。ふたごの面倒よろしくね
正直にマトリョーシカはなりなさい
ジェルタイプの金輪際もあるよ

以上、短歌を主なフィールドとしている表現者が現代川柳に関心をもつようになったルートは幾つかあるが、いずれにしても彼らが実作を通じて現代川柳との交流を試みているのは心強い。従来、ジャンルの違いはけっこうハードルが高く、川柳の本質が語られる場合でも具体的な作品を踏まえずに既成の知識や先入観で川柳を云々する場合が多かった。現在の若手歌人の川柳への関心はそういうものとは異なり、現代川柳を読むだけではなく、実作も試みている点で川柳側にとっても新鮮な刺激を与えるものとなっている。ここに紹介しただけではなく、もっとたくさんの表現者が現代川柳の実作を試みているかもしれない。それぞれのフィールド相互の刺激によって短詩型文学の言葉がさらに豊かになってゆくならば嬉しいことである。

2021年4月16日金曜日

ポスト現代川柳の台頭―暮田真名・柳本々々・川合大祐

×月×日
ネットプリント「いくらか」をコンビニで印刷。佐原キオと暮田真名の川柳が各20句掲載されている。どれもおもしろいが、二句ずつご紹介。

風のおかげでどんな無聊もよく燃える  佐原キオ
鼎談をする精神がなぜ白い       佐原キオ
代わりにテオと暮らしてあげる     暮田真名
京都ではくびのほきょうを忘れずに   暮田真名

引用句からだけでは分からないが、佐原は旧かなづかいで書いている。現代川柳は口語・新かなを主とするが、文語や旧かなを使う場合には何らかの意図があるはずだ。それはそれとして、佐原の句はきちんと現代川柳になっている。短歌的なものの川柳への流入や短歌の私性の安易な持ち込みに対して私は否定的だったが、今の歌人の書く川柳はそういうものとは異なり、ツボを心得た表現は川柳としてのクオリティが高いと感じる。
暮田の句からは固有名詞と地名を使った句を引用してみた。テオはゴッホの弟のことかも知れないし、ほかの誰かかもしれない。京都に対する諷刺は、たとえば渡辺隆夫の「うそ八百京都千年にはかなわん」(『都鳥』)を思い出させたが、暮田の句にも十分川柳性が強く表れている。
「文学界」5月号に暮田は「川柳は人の話を聞かない」を掲載している。「ねむらない樹」6号で彼女は「川柳は上達するのか?」と書いているが、この「川柳は…」シリーズはこれからも続くらしい。私は以前「川柳人どうしがいっしょにいて少しも飽きないのは、ずっと自分のことばかり話しているからである」というアフォリズムを作ったことがあるが、暮田が言っているのは「川柳人」のことではなく、「川柳」のことなのだった。

×月×日
「早稲田文学」2021年春号(特集「オノマトペにもぐる/オノマトペがひらく」)に川合大祐と柳本々々が作品を掲載している。川合は「バイオハザード」、柳本は「ここはぴなの?」というタイトルで、柳本の作品から二句ご紹介。ほかに初谷むいや野間幸恵の作品も掲載されている。

やあ、とぴっはいう。また会えましたね。  柳本々々
あなたはぴっをいつもわすれるよね うん

×月×日
先日、アルマ・マーラーの『グスタフ・マーラー』を読む機会があった。21歳でマーラーと結婚したアルマが31歳で彼と死別するまでの回想が書かれている。アルマは毒舌家でずいぶんはっきりと自分の意見を言う女性だった。
ドイツ文学の世界では精神性の高い魅力的な才能をもった女性がときどき現れる。ニーチェの恋人だったルー・アンドレアス・ザロメはリルケとも交流があったし、後にはフロイトに師事した。アルマもそのような女性のひとりで、画家のクリムトやココシュカも彼女に恋をしたと言われる。ドイツ表現主義の画家、オスカー・ココシュカの「風の花嫁」はアルマをモデルにしている。

ココシュカの《風の花嫁》を飾るだろう死後の白くて無音の部屋に  笹川諒

×月×日
江田浩司歌集『律―その径に』(思潮社)が届く。短歌と詩のコラボなどがあって全貌は紹介しにくいが、第四章から二首引用する。

そのうたは深夜にひとりあるきする尾をひくこゑにあきらけき叛
いまそこにある悦びをひきよせて溺れてゆかなあぢさゐの世を

岡井隆への追悼として「О氏に」と題された歌から一首。「詩」には「うた」、「蜻蛉」には「せいれい」のルビがふられている。

さまよへる詩のゆくへをたづねたり遅れて来たる蜻蛉として

×月×日
川合大祐の第二句集『リバー・ワールド』(書肆侃侃房)が刊行された。1001句の川柳が三章に分けて掲載されている。ツイッターなどで反響が出ているし、アマゾンの句集ランキングでも上位にあり、好評のようだ。ここでは二句だけ引用しておく。

道 彼と呼ばれる長い神経路   川合大祐
自我捨ててただ晴れた日の紫禁城

刊行記念として、5月7日(金)の20時から本屋B&Bのオンライン配信で川合大祐・柳本々々・小池正博によるトークイベント「現代川柳ってなんだ!」が開催される。どんな話になるだろう。

×月×日
川柳「湖」12号(浅利猪一郎川柳事務所)に第12回「ふるさと川柳」の受賞作品が掲載されている。浅利が秋田県で発行している柳誌で、12人の選者による共選。今回の兼題は「天」。入選1点、佳作2点、秀句3点を配点して、それぞれの選者が入れた合計点により順位を決定する。最優秀句は次の作品で8点を獲得している。

天啓を銜え野良猫やってくる   川田由紀子

ちなみに私が選んだ秀句は次の三句。

本当はしんどい天然の私    川内もとこ
天の川彦星さえも熱がある   鈴木昌代
あなた誰いつか天使になる怖さ 原佑脩二

2021年4月9日金曜日

林ふじをと女性川柳のことなど

前回、川合大祐との関連で樹萄らきのことに触れたが、川合が動画配信で荒井徹(2005年11月没)の名を挙げていたので、荒井の川柳を紹介しておく。

自転車で坂押してゆく吠えながら   荒井徹
寒いから二人でいよう鶴など折って
赤い靴履いて迷子に脱いで迷子に
仮の世にしては魂揺れすぎる
砂文字よ素直に孕め僕は人質
球根を植える螢に犯意あり
「鳩?」サーカス小屋の屋根にいたよ
不審火や乳房最初に焼けたがる
月を撃つ自滅なかなか悪くない
末筆ながら斧は両手で握ること

このところ過去の川柳誌のバックナンバーをひもとくことが多いが、今回は「オール川柳」1996年2月号を読んでみよう。林ふじをのことが紹介されている。
川上三太郎の門下から女性の川柳人が輩出したことはこれまでも何回か述べてきたが、「ベッドの絶叫夜のブランコに乗る」で有名な林ふじをは時実新子の先駆的存在として注目される。

機械的愛撫の何と正確な      林ふじを
存在の価値あり君のペットたり
ねむれない あなたも ねかせないつもり
指先の意志とは別に 胸開く
炎の眼―紫となる青となる
後悔はしないベーゼに青ざめる
一列に並ぶ男を肥料にし
いいパパになって二重人格者が帰る
鏡からこれはあたしぢゃない笑顔
イエスではない眼あたしにだけわかる

林ふじをは桑原正一を通じて川柳をはじめ、「川柳研究」の川上三太郎に師事した。三太郎が求めていた「女の句」の体現者であり、セックスを本格的に詠んだはじめての女性川柳人と言われるが、1959年、34歳で亡くなった。時実新子の句集『新子』が出たのはその二年後である。
同誌には「女流二十一人集」のページがあって、その当時の代表的な女性の作者の作品が各10句ずつ収録されている。その顔ぶれが興味深いので、挙げておこう。このころは「女流」という言葉がまだ普通に使われていた。
森中惠美子・徳永凛子・宮川蓮子・大石鶴子・西原知里・倉本朝世・木野由紀子・八木千代・樋口由紀子・卜部晴美・永石珠子・杉森節子・秋元深雪・高橋古啓・村井見也子・上野多惠子・前田芙已代・斉藤由紀子・玉島よ志子・田頭良子・大西泰世。
私が川柳をはじめたころに第一線で活躍していた川柳人たちだが、ここでは「現代川柳 点鐘の会」でよく顔を合わせた高橋古啓の作品を紹介しておきたい。「グループ明暗」25号(高橋古啓追悼号・2005年9月)から。

逢いたさは薬師如来の副作用   高橋古啓
かくも長き痙攣闘魚の終幕
おだやかに空気を破る人がいる
どの花もみな色褪せている花屋
私からの手紙わたしの死後に着く
三日月に折れたペニスを照らされる
それが永遠なら砂粒を数える
調べ妖しく水際清掃人がゆく
水かきの雫も切らず握手する
欲しいのは妻子ある人 他人の詩
カマキリの常識 君は食べられる
まだ媚を売らねばならぬ雪女

「オール川柳」に戻ると、この号の「今、注目の柳人」のコーナーに大石鶴子が登場している。井上剣花坊と信子の娘であり、このときは「柳樽寺川柳会」の主宰として健在だった。

橋のない川に幾年ペンの橋   大石鶴子
清貧の風いっぱいに開く窓
人の世のひびき地表を這うばかり
転がったとこに住みつく石一つ

「川柳はね立派な詩なんですよ。だれでも自由に詠める。庶民に一番あった詩なんです。社会を批判することも出来るんですよ」(大石鶴子)という言葉が紹介されている。

2021年4月2日金曜日

俳句と川柳アーカイブ

「ねむらない樹」6号の特集「現代川柳の衝撃」でひとりの作者が川柳と短歌の実作を並べているのが興味深かった。作者は川合大祐・暮田真名・柳本々々・飯島章友・正岡豊・初谷むいの六名。川柳五句、短歌五首が左右のページに取り合わせられている。まず川合の作品を一句・一首紹介しよう。

汐留でリンパを売っていて冬か             川合大祐
丸焼きをつくれずにいるだけのこと地図の上での犀川の犀

たまたまだが、地名を用いた作品を並べてみた。汐留でリンパマッサージをしているのか。それとも琳派の作品を売っているのか。何だか分からないが「リンパ」を売っている。金沢市街を流れている犀川。室生犀星の故郷でもある。その犀川に犀がいて、どうも丸焼きにはしにくい。地名を使って遊んでいる。 下段に添えられている短文で、川合は川柳をはじめたのが2001年だといっている。そして20年続いた原動力のひとつとして樹萄らきの句がカッコよかったことを挙げている。
今までにも取り上げたことがあるが、手元に「川柳の仲間 旬」の2002年1月号があり、特集・人物クローズアップに川合大祐が取り上げられている。「自動ドア誰も救ってやれないよ」「愛するも憎むもひとりロビンソン」などの句が掲載されている。ちなみに川合がカッコいいと思った樹萄らきの当時の句を書きとめておこう。

三日間脳ミソ貸してあげようか   樹萄らき
手を高く上げて見の程知りましょう
落ちている本を拾った手に手錠
いただいたDNAはチャランポラン

川合の第二句集『リバー・ワールド』(書肆侃侃房)が近日中に発行されるという。第一句集『スロー・リバー』(あざみエージェント)も改めて読まれているようだ。

ひつじ雲から博才を隠してる    暮田真名
ミレニアム・ベイビーだけのおまつりに6人欠けてもサッカーしよう

短文「川柳は上達するのか?」は評判になったようだし、近刊予定の「文学界」5月号にコラム「川柳は人の話を聞かない」が掲載されるという。「当たり」は大橋なぎ咲との新コンビが注目され、『補遺』に続く第二句集も準備中だというから、暮田の今後の活動に目が離せない。

わたしを星が追いかけている    柳本々々
暴風雨きみが話してくれたのは「わたしを星が追いかけている」

2015年9月の「第三回川柳カード大会」のときに柳本と対談したことがある。このときも柳本に自選五首と自選五句を選んでもらったのを思い出した。そのときの作品から。

リンス・イン・魂(洗い流せない)    柳本々々
のりべんがきらきらしつつ離れてく銀河鉄道途中下車不可

このときの対談「現代川柳の可能性」は「川柳カード」10号に掲載されている。
この調子で紹介してゆくと長くなるので、飯島章友と正岡豊については「ねむらない樹」をご覧いただきたい。飯島は「川柳スープレックス」(3月4日)に「現代川柳にアクセスしよう」を書いていて、現代川柳の入り口を示すものとして便利である。正岡の短文は定金冬二についてだが、これとは別に「獏と川柳」という文章をグーグルドライブに挙げている。正岡のツイッター(2月27日)からも入れるのでご一読をお勧めする。

終末論うさぎに噛まれた跡がある     初谷むい
うさぎ屋さんがめっきり開店しなくなる 終末のうわさを信じてる

初谷むいには「川柳スパイラル」4号のゲスト作品に川柳10句を寄稿してもらったことがある。そのときの一句。

愛 ひかり ねてもさめてもセカイ系   初谷むい

川柳と短歌は形式が違うから同一作者が両形式の実作をしても読者にはよく分かるが、川柳と俳句を同一作者が実作したらどうなるだろうということを考えた。特集としては成立しにくいかもしれない。
俳句と川柳の取り合わせについて、20年ほど前に角川春樹が編集発行していた「俳句現代」という雑誌があったことを思い出した。「俳句現代」2000年6月号の特集が「俳句と川柳」であり、角川春樹が組んだ川柳人は時実新子だった。このときは見開きの右ページに俳人の作品、左ページに川柳人の作品が掲載されている。それぞれ10句。俳句からは能村登四郎・森澄雄・佐藤鬼房・稲畑汀子・岡本眸・有馬朗人・角川春樹、川柳からは橘高薫風・尾藤三柳・高鶴礼子・情野千里・倉富洋子・峯裕見子・時実新子。豪華な顔ぶれである。川柳側の高鶴礼子以下の5人は当時の「川柳大学」の会員。7組全部は紹介できないので、4組だけ各1句を引用しておく。

自から美醜を尽くし落椿     能村登四郎
革命さはじめてコーラ飲んだ日は 橘高薫風

流し目にわれも流し目冷し酒   森澄雄
遠近法を食いつくす窓の孵化   尾藤三柳

開館のその後を問はれ梅椿    稲畑汀子
世界地図の下で鮫くる夜を待つ  情野千里

三歩行き二歩退く象に春遅々と  有馬朗人
わかれきて晩三吉が膝の上    峯裕見子

峯裕見子の「晩三吉」(おくさんきち)は晩生の赤梨で冬の季語。季語を人名のように使って恋句の雰囲気を出していて、彼女の作品のなかでもよく知られている。
この特集では時実新子と角川春樹の対談のほか、「俳句と川柳の峻別を・再び」(復本一郎)、「似て非なるもの」(高橋悦男)、「俳句と川柳―同根にして異質なるもの」(関森勝夫)、「俳句と川柳の問題」(宗田安正)、「俳句は俳句らしく」(杉涼介)などの文章が掲載されている。復本一郎の『俳句と川柳』(講談社現代新書)が出て、柳俳の議論がやかましかったころのことである。今度読み返してみておもしろいと思ったのは磯貝碧蹄館の「川柳の味もまた好し」で、碧蹄館には川柳の実作もあり、川柳句会にも参加している。

女体転落月はしづくをしたたらす  磯貝眞樹
頬打たれながら女が墜ちてゆく   中村富山人

席題「人間失格」で牧四方選。「日本川柳」(昭和25年4月)より。眞樹(しんじゅ)は碧蹄館の柳号。中村富山人は中村冨二である。
今回は「ねむらない樹」からの連想で20年前の「俳句現代」に及んだが、過去の雑誌を探しているうちに、「鹿首」12号(2018年7月)が出てきた。この雑誌は詩・歌・句・美の共同誌である。八上桐子が「川柳招待席」に「ごくらくちんみ」20句を寄稿している。杉浦日向子の『ごくらくちんみ』に出てくる珍味とお酒をふまえたものらしい。二句だけご紹介。

  とうふよう×泡盛ロック
青ざめる空も前ほど疼かない    八上桐子

  いぶりがっこ×秋田地酒
面差しの皺しばし読まれてしまう

「鹿首」12号の「短歌招待席」には川野芽生の「借景園」20首が掲載されている。このとき私はまだ川野の作品の凄さに何も気づいていなかった。