2022年1月28日金曜日

正岡豊の川柳論

「川柳スパイラル」13号に正岡豊は「勾玉のつづきを」という文章を書いている。湊圭伍の川柳句集『そら耳のつづきを』の句集評なのだが、正岡自身の川柳観・文学観が強く表現されている。正岡はこんなふうに書いている。

〈句集『そら耳のつづきを』のあとがきを読むと、出てくる会やグループ、川柳作家の名前を通すことによって、ここ十数年の川柳の流れの中で湊さんが腰を据えたりふらふらしたりしながら「川柳」を生きて来たのだな、と私には思えてくる。そういう「腰を据えたりふらふらしたりする」ことを、私はとても「うつくしい」ものだと思う。現在の世界に於いて「栄光」があるのは「悲惨」があるからだが、その二項対立からの「脱出」は、実は「非望」なのではない。「脱出」が求めるものは、「結実」なのである〉

正岡は現代川柳の変遷を数十年に渡って見続けてきた表現者である。彼は「獏」の時代はもちろん、山村祐の短詩運動も知っているし、「MANO」以後の現代川柳の動きも知悉している。一方、湊圭伍は2000年代の終わりごろから川柳と関わりはじめている。句集の「あとがき」には湊が参加したことのある「北の句会」「ふらすこてん」「バックストローク」「川柳カード」などの名が挙げられているし、「点鐘」「木馬」「杜人」「触光」「ねじまき」などの川柳誌も列挙されている。正岡はそういう流れのなかで湊の『そら耳のつづきを』の位置をとらえている。
現代川柳の変遷、特に「MANO」以後の20年間の歩みはまだ歴史化されていない。すでにこの時期のことを知らずに川柳を書き始めている作者もあるが、湊はゼロ年代以降の現代川柳の動きをある程度体験していることになる。その上で『そら耳のつづきを』を上梓しているのだから、正岡のいう二項対立からの脱出と結実が問われることになる。
湊は「あとがき」で筒井祥文・石部明・石田柊馬の三名を自分の「師」にあたるひとたちであると言っている。正岡が挙げているこの三名の作品例は次のような句である。

めっそうもございませんが咲いている  筒井祥文
もし生まれ変われるのなら酢か煙    石部明
首噛めば首から櫻噴きあがる      石田柊馬

〈筒井には奇想をてのひらですくうような接近の感覚がある。石部の句には死と生を常に一句に引き寄せる形で作句してきた者の持つ乾いた無頼がある。石田には底深い「現在」への沈潜した怒りがある〉―ただし、簡単に言えるほどこれらの作者は単純なわけではないと断わったうえで、正岡は次のように言う。
〈ただそれでも、湊はこれらの川柳作家が達したところを確認しながら、なお「以降」を書いてゆかねばならない。「以降」はどこにあるだろう。私は結局はどこにでもあるのだと思う。逆に言えばもう「以前」はどこにもない、という実感からくる「希望と閉塞のダブルバインド」を生きること、それが「以降」ということであろう〉

私は『はじめまして現代川柳』で「ポスト現代川柳」という言葉を使ったが、本当に「現代川柳」以後の新たな可能性が生まれているのかというと、そのようなものはまだないとも言えるし、いま生まれつつあるのだとも言える。現代川柳の遺産とは無関係なところで現在の作品を書くことは別に否定されるべきことではないが、過去の作品を少しでも乗り越えて「以後」を書くことはそれほど簡単ではない。
ところで、正岡の関心のひとつに「短詩」「一行詩」がある。
〈「川柳」に対する私の関心のひとつは、川柳作家たちが時として意識無意識的に一種の「一行詩」という形式へ流れてゆく部分のあることである〉と正岡は言う。『そら耳のつづきを』には「短律」と「長律」の句が収録されている。湊の短律と長律の句を二句ずつ挙げておく。

おい思想だな 
蘭体動物

饅頭が降りしきる中で口づけを交わす敵同士
マーク・トウェインからハックルベリーへ短い手紙

かつて山村祐は「川柳は現代詩として堪え得るか」という評論を書き、一行詩誌「短詩」を主宰した。短詩は長律派と短律派に分かれていて、それぞれ相容れない要素があって解体していったが、川柳が一行詩に近づいた時期があり、川柳を一行詩に解消してよいのかという議論があったことは事実である。湊が現代川柳の遺産を踏まえたうえで作品を書いていることは、句集の帯に「川柳の伝統を批判的に受け継ぐ」とあることからも明らかだ。

そら耳のつづきを散っていくガラス  湊圭伍

この句について、正岡は次のように言っている。
〈私は「そら耳」に対して「勾玉」を思ってみたりした。意味のあるようなないような、装飾品や祭祀の品であるといわれれば納得はするが、形にもその名前にも、なじみと違和の両方を思うようなものを。そこでこの一文にそういう題をつけてみた。短詩型の一作品というのは、ひとによっては「御守り」のようなものとして抱きかかえられるように愛されることがある〉

確かな実体を感じとることがむずかしいけれど、それがないとも言えない現代川柳の世界で、手応えのある「結実」を得ることは困難な作業となっている。「現代川柳」が曖昧なままで「ポスト現代川柳」を論じることは本当はできないのだが、曖昧なまま論じざるを得ないところもあって、事態は朦朧としている。そのなかで「つづき」を語ることは、正岡のいうように「勾玉」のようなものかも知れない。
〈流れる時間の中で、ものがきらめくのは一瞬のことだろうか〉

2022年1月21日金曜日

春逝けど汝は踊りつつ戻る(安井浩司)

現代俳句と連句の関係を考えるとき、必ず思い浮かべる文章がある。坪内稔典『過渡の詩』に寄せた高柳重信の次のような一節である。

「正岡子規の意図した新しい俳句形式は、共同制作による俳諧の連句を非文学として否定し、その冒頭の発句のみを完全に独立させようというものであった。しかし、わずか十七字前後の片言隻句をもって一つの完成した言語空間を構築しようという試みは、はじめに子規が考えたよりも、はるかに多くの困難を孕んでいたのである」

少し注をはさんでおくと、正岡子規は「芭蕉雑談」(明治26年)で「発句は文学なり。連俳は文学に非ず。故に論ぜざるのみ。連俳固より文学の分子を有せざるに非ずといえども文学以外の分子をも併有するなり。而して其の文学の分子のみを論ぜんには発句を以て足れりとなす」と述べている。これがいわゆる子規の「連俳非文学論」である。ところが子規は「俳諧三佳書序」(明治32年)で『猿蓑』『續明烏』『五車反古』について「此等の集にある連句を連句を読めばいたく興に入り感に堪ふるので、終にはこれ程面白い者ならば自分も連句をやつて見たいといふ念が起つて来る」と述べ、前言と矛盾することを言っている。晩年の子規は連句肯定だったかも知れない。それはともかく、前掲の高柳重信の文章は近代文芸として俳句が出発した経緯を受け止めたものと言えるだろう。重信はさらに次のように述べている。

「脇句以下の一切の付句を拒絶して一句の完全な自立を目指すという意図は、それを厳密に考えてみると、ただ単に脇を付ける習慣を廃止することではなかった。まことに俳句形式の名に値するものは、もはや如何なる言葉の流入も流出も許さぬような表現の一回性を獲得し、それがエンドレスに回転してやまないという円環的な言語構造を備えていなければならぬのであった。それは奇跡的な完璧さを持つ一種の神聖言語というべきで、その在るべき俳句との邂逅を生涯の悲願としたような少数の良心的な俳人の軌跡が、とかく悲劇的な様相を示すことになるのは、むしろ当然であろう」

重信の言うような困難を乗り越えようとして、坪内稔典は「過渡の詩」「片言性」を唱え、攝津幸彦は「静かな談林」を志向した。連句側では浅沼璞の「連句への潜在的意欲」などが思い浮かぶ。では重信のいう神聖言語としての在るべき俳句形式を目指した現代俳人は誰だろうか。安井浩司はそのような「絶対言語」を追い求めた俳人のひとりである。

安井浩司の軌跡を語る力は私にはないので、ここでは安井の第十句集『汝と我』を見ておこう。この句集のコンテンツは「一句集一作品」である。

柘榴種散って四千の蟲となれ
はたはたがよぎる青髪一世きり
野蛇みな縦横の糸で出来ておる
静歌やふと空中をゆく藤の蔓
春はひとつに百秋の鹿跳ねて
虻高し山は海から来るものを

巻頭の句、柘榴種が散って四千の蟲になるのだという。あとに続くさまざまな句がこの句から飛び散って変容していくような感じがする。蟲はメタモルフォーズして、「はたはた」「蛇」「藤の蔓」「鹿」「虻」などになる。「はたはた」は安井の故郷・秋田に馴染のある魚だし、「蛇」は神話的な存在でもあり脱皮してゆくものでもある。藤の蔓はどこまでも伸びてゆくし、鹿は百の秋という時間を越えてゆく。虻の複眼には世界が映っているはずで、山と海の関係性もどうなっているのか立ち止まらせる。
こういう世界観はふつうアニミズムと呼ばれるが、このあと句集にはこれらの生物が繰り返し詠まれることになる。「はたはた」「蛇」「虻」の句を挙げておく。

はたはたはみな機布へとび込まん
はたはたの脚と翅のみ遺さんや
はたはたはくだるや滝から川波へ
はたはたの幾千の翅川波に

夏蛇は身を継ぎ行くや神宮道
夏蛇や石を過ぎて荘家の門
庭に下り書家が蛇を洗いおる
さまざまな蛇持ち寄るや雲の下
蛇の舌の花逢うも相遇わず

天地を悲しむ顔より虻去らず
花嫁の眼球の虻は消えざるも
諸々の詩人を経て虻帰りけり
春虻は唸る假面の長鼻に
夏虻は眼から入るや脳髄に
山虻来れば大亀甲を楯として

一句独立の一回性と「一句集一作品」との間には乖離があるが、一句によって世界を構築することと一句集によってコスモロジーを表現することには通底するものもある。興味深いのは、『汝と我』には「連歌」の句が見られることだ。

鴉の崖に夢想連歌おこるらん
色あげて行くや連歌の上の空
紅の花連歌となり廻りつつ

「バクチの樹植えて蕉門恐るに足らず」という句もあり、芭蕉に対するかすかな意識がなかったとは言えないだろう。この句集における「汝」とは誰か。「汝」が他者であれば連句へとつながるところが出てくるが、「汝」が作者の幻想のなかで生み出された存在だとすれば、それは真の他者ではなくて「我」の一部分ということになる。

有耶無耶の関ふりむけば汝と我  安井浩司
春逝けど汝は踊りつつ戻る

1月に届いた諸誌から紹介しておく。前回も触れた短歌誌「井泉」、編集発行人が竹村紀年子から彦坂美喜子に変わった。彦坂は詩集『子実体日記』の著者で、「川柳スパイラル」7号に「〈型〉を越えるために」を寄稿してもらっている。

夜空から人のかたちの薄い紙が降ってくるあとからあとから  彦坂美喜子
それはゆきそれはみずそれはたましひそれはほねかけらになったそれはひと
やってる感、あるあるという言葉飛び交いコトバだけ増殖するからだ

「里」195号では早川徹の「外来生物考」に注目した。現代俳句の中で外来生物はどのように扱われているか。いろいろ興味深いことが書かれている。「牛蛙」は夏の季語だが、ウシガエルは大正七年ごろにはじめて日本に持ち込まれたという。ブラックバスの移入は大正十四年。

水面に身を任せ浮く牛蛙  右城暮石
乗込みにブラックバスもゐたりけり 茨木和生

外来植物では背高泡立草が明治時代に渡来したそうだ。逆に日本から海外に侵出したものでは、葛が特にアメリカでは「侵略的外来生物」として被害を与えている。

熊野には泡立草を入れしめず   右城暮石
葛の崖覗けり身投ぐべくもなく  谷口智行

2022年1月15日土曜日

「見たことのないもの」

年頭に最初に読む本は重要である。今年は俳論を勉強しようと思い、『去来抄』と『三冊子』を読んでみた。『去来抄』を読むのは初めてではないが、連句の実作をやっていると今までわからなかったところや読み過ごしていた部分の意味が少し見えてくる。
『去来抄』の冒頭、芭蕉の歳旦吟について述べてある。

蓬莱に聞かばや伊勢の初だより  芭蕉

蓬莱は三方の上にのせる新年の飾り物。蓬莱を前にして伊勢からの初便りを聞きたいという歳旦吟である。元になる和歌があって、慈鎮和尚(慈円)の次の歌をふまえている。

この春は伊勢に知る人おとづれて便うれしき花柑子かな  慈円

芭蕉は次のように語っている。「いせに知る人おとづれて便りうれしきと、慈鎮和尚のよみ侍る、便りの一字の出處にて、いささか歌のこころにたよらず」 便りという言葉の出所は慈鎮和尚の歌だが、芭蕉は蓬莱と取り合わせ、「初」の一字を加えることによって歳旦の神聖な気分を表現したのだろう。言葉と心(発想)の関係でいえば、言葉は盗んでも良いが、発想は盗んではいけないということになる。
『去来抄』先師評の二つ目のエピソードは次の句である。

辛崎の松は花より朧にて   芭蕉

「にて」の留めが発句にふさわしいか、という議論で有名。其角は「『にて』は『かな』にかよう」と言い、去来は「即興感偶」と説明したが、芭蕉は「角・来が辯皆理屈なり。我はただ花より松の朧にて、おもしろかりしのみ」と語っている。「即興感偶」とは意味の深い言葉である。その場の即興、その場で感じたことを言葉にする。墨作二郎は川柳について「自分の思いを自分の言葉で書く」と言っていたが、「思い」と「言葉」の関係は簡単ではない。

短歌誌「井泉」103号のリレー小論のテーマは【短歌の〈可能性〉について考える―発展?衰退?停滞?】である。大井学は「何度でも」で次のように問いかけている。
「先行作品は数多あり、独創的な表現は新たに生れ続ける。そうした中なぜ『この私』が、あえて新しく歌を作り続けるのか。なぜあなたは新しい歌を作ろうとするのか?」
江村彩は「『見たことのない』短歌の未来―平岡直子小論」で平岡の第一歌集『みじかい髪もながい髪も炎』を取りあげている。

きみの頬テレビみたいね薄明の20世紀の思い出話   平岡直子

平岡の歌集の巻頭に置かれている歌である。この歌について江村は「きみの頬」が「テレビみたいね」という比喩をどうとらえればよいか、時制も現在のことなのか「20世紀の思い出話」としての過去の発言なのか不明だ、と断ったうえで次のように述べている。「1950年代以降広く普及したテレビが、今やインターネットに押されて視聴率の低迷をみている状態を考慮すると、『きみの頬』はテレビという(半ば)過去の遺物のようで、さらに『薄明』には『薄命』も重なる」「『きみの頬』を『20世紀の思い出話』のような古い映像を写すもおのとしてとらえる見方には、実人生に依拠して詠われることの多かった従来の短歌への批判が込められていると思ってよいのではないか」
そして江村が「『見たことのない』短歌の未来が切り拓かれていく可能性を、信じていいと思える」として挙げているのは次の歌である。

見たことがないものだけを重ねればオーロラになる 見たことのない  平岡直子

「見たことがないもの」と「見たことのないもの」の関係は微妙だが、ここで平岡の歌集から三首並べて挙げておきたい。

こぼされてこんなかなしいカルピスの千年なんて見たことがない
見たこともない蛍にたとえるからにはいつか蛍を見るのだろう
見たことがないものだけを重ねればオーロラになる 見たことのない

「外出」6号は昨年11月に発行されたが、遅ればせながら読むことができた。

セーターのなかでしずかにだまってるけどこれだってサービスなのよ 平岡直子
しずかなる豆腐のような明け方にただ盆栽を信じて眠い       花山周子
馬脚数千そろわばやがて透きとおる秋ためなわの雨脚として     内山晶太

「外出」6号は「染野太朗特集」で、染野のロングインタビューが掲載されている。

そんなに忙しいのに会ってくれたんだと言ったあなたの声が思い出せない 染野太朗

最後に昨年末に刊行された川柳のアンソロジーについて。『近・現代川柳アンソロジー』(新葉館出版)は明治の窪田而笑子から現代の川合大祐まで、300名の作品を集成したもの。各人25句。桒原道夫・堺利彦編。「長年、川柳に携わってきた者として、少しは川柳文芸に対して恩返しができたのかなあという気持ちもあります」(堺利彦「編集を了えて)

2022年1月7日金曜日

霞さへまだらに立つや寅の年

新年おめでとうございます。
今年も現代川柳と連句をよろしくお願いします。
すでにお正月気分ではありませんが、最初に歳旦三つ物(拙吟)を。

旅始張子の虎にまたがって
 貸し切りの湯にひたる初夢
週末はちょっと無理して会いましょう

発句・脇は新年。第三は新年を旧暦で考えれば春、新暦と考えれば雑(無季)になるが、ここでは雑にしてみた。
寅年なので虎の川柳を探したが、あまり作品例が見つからなかった。虎は季語ではないので『川柳歳時記』(奥田白虎)にも項目がない。猫の川柳はいくらもあるが、虎は意味性が強く、「虎の威を借る狐」とか「猫でない証拠に竹を描いておき」とか慣用句に使われ、「大虎になる」といえば酔漢のことだし、与謝野鉄幹の虎剣調など、連想に片寄りがある。関西では阪神タイガースのイメージが強い。
『続類題別番傘川柳一万句集』(昭和58年12月)に一句掲載されている。

虎もわたしも檻をぬけると殺される  安井久子

俳句では『現代歳時記』(金子兜太・黒田杏子・夏石番矢編、成星出版)の「雑」の部に次の句がある。この歳時記には「雑」の部(無季俳句)が収録されているのが嬉しい。

わが湖あり日蔭真暗な虎があり   金子兜太
人語行き 虎老いて 虎の斑もなし 折笠美秋
虎吼えてかの山頂を老けさせる   安井浩司
炎の輪くぐりて虎の闇に消ゆ    須藤徹
虎ノ斑ニ塵劫無死ノ黄沙天     宮﨑二健

さて、昨年刊行されたなかで、この時評で取り上げられなかった堀田季何の『人類の午後』について触れておきたい。第四詩歌集と銘うたれている。前奏・Ⅰ・Ⅱ・Ⅲ・後奏の五章に分かれ、Ⅰは雪月花、Ⅱは各種季題、Ⅲは四季の句を収録したものという。前奏ではナチや戦争、テロなどが詠まれており、後奏では現代日本の日常性にひそむ危機意識が詠まれている。

息白く國籍を訊く手には銃  堀田季何
雪女郎冷凍されて保管さる
一頭の象一頭の蝶を突く
雙六に勝つ夭折のごとく勝つ
地球儀の日本赤し多喜二の忌

「跋」に曰く、「句集全體は、古の時より永久に變はらぬ人間の様々な性(さが)及び現代を生きる人間の懊悩と安全保障といふ不易流行が軸になつてゐる。一介の人閒として、人閒及び人類の實(じつ)を追ひ求め、描くことへの愚かな執念である」
この作者が相手取っているのは人類史全体ということだろう。古今東西の歴史や文化、政治経済などの人類の営みそのものがテーマなのだ。こういう試みは現代川柳で行われてもよいはずのテーマである。批評性こそ本来、川柳の得意とする領域であったはずだ。現代川柳はサタイア(諷刺)とポエジー(詩性)の両立を目指しているように思えるが、堀田の場合にはテーマは重くても表現は重くれに陥らず、俳諧性を失っていないところがやはり俳句なのだろう。「跋」には支考の虚実論についての言及があるが、「人類の關はる一切の事象は、實」だとしても、この詩歌集を読んで虚実自在という感じがした。

今年に入って、砂子屋書房の「日々のクオリア」で井上法子の連載がはじまった、1月3日には次の短歌が取り上げられている。

おうどんに舌を焼かれて復讐のうどん博士は海原をゆく  山中千瀬
(『さよならうどん博士』私家版, 2016)

山中千瀬は川柳とまったく無縁というわけでもない。手元にある『SH』から彼女の川柳を抜き出しておこう。

なんとなく個室に長居してしまう  山中千瀬(『SH2』)
江の島をめちゃ劇的にゆく子ども
あとのないしらうおたちの踊り食い
ちょっと泣きアクエリアスで補った
りんじんがいってりんかにばらがわく    (『SH3』)
火と刃物 お料理は死にちかくてヤ
ごめんねと言われてつぶされて羽虫
「百年はどうだった?」「楽しかったよ」
あの子にはずっと意地悪でいてほしい
ほんとうのわらびもち うそのわらびもち  (『SH4』)

5年ほど前の作品だが、今読んでも古くなっていないと思う。井上法子の連載、1月5日は紀野恵を取りあげている。

川柳では1月1日に暮田真名が「こんとん句会」の結果を発表した。23名、各10句の投句があったという。大賞は松尾優汰と二三川練。各2句ずつ紹介しておくが、詳しくは暮田のnoteを参照してほしい。

ロシア民謡のメロディーで捌かれる   松尾優汰
ごめんと言って涅槃をまたぐ

富士山の気持ちで猫を迷いなさい   二三川練
クッキーに隠れたビスケット  どこだ

今年もそれぞれの表現者が発信を続けていくことだろう。現代川柳のフィールドにおいては、従来の句会と結社誌・同人誌を中心とした川柳界とSNSを中心としたネット川柳とが互いに交わることなく併存している模様である。両者がどこかで交差することがあるかもしれないが、今年は私などの予想を大きく超えていくような、新しい出来事が起こらないものかと初夢のように期待している。