2026年8月13日木曜日

「あつたの杜」連句まつりと三河の俳諧

「あつたの杜」連句まつりは今年で7回目を迎え、8月2日にイーブルなごやで開催された。6座36人の参加があり、当日の連句作品は熱田神宮に奉納されることになっている。イーブルなごやには川柳の会で行ったことがあるが、連句会に参加するのははじめてである。JR名古屋駅のホームできしめんの店に入る。専門店で食べるより手ごろだ。金山までJRで行き、東別院まで歩く。東別院付近の以前入ったことのある喫茶店で連句会開始までの時間待ちをする。
連句会は盛会で、東京、横浜、松山など各地からの参加者があって交流できた。私の座には三河の俳諧について詳しい方がいて刺激を受けた。愛知は尾張と三河に分かれるが、尾張の俳諧については芭蕉の『冬の日』により蕉風発祥の地としてよく知られており、2016年の愛知国民文化祭の際には熱田や鳴海の俳諧めぐりもしたが、三河の俳諧については知識がなかった。
帰宅後、『東海の俳諧史』(さるみの会編)で調べてみると「三河蕉門」の項目があった。三河蕉門には西三河の岡崎と東三河の新城(しんしろ)という二つの中心地がある。元禄時代が全盛期で、享保にはいると凋落したという。荷兮編『曠野後集』には岡崎俳人も入集している。

にぎやかな中にしづけし盆の月  秋冬
いなづまに又くりかへす噺かな  鶴声
藤たれて光ありけり砂の色    霰艇

岡崎蕉門は完全には尾張から独立していなくて、尾張の影響下にあったようだ。当時、三河蕉門を代表する俳人と見られていたのが鶴声。鶴声が編者となった『柱暦(はしらごよみ)』から二句抜いておく。

白魚や銀をもて鋳る西施     鶴声
曲水や花の波行く小さかづき

『柱暦』から歌仙のオモテも引用しておこう。

活計をあらしにさする桜かな   釣眠
  もやすく渡る水の暖      秋冬
蚊帳のきれ田うちの食に打きせて 鶴声
  迦す仲戸を軒下へ出す      眠
名月も正直いはば内がよし     冬
  毛脚の露を鼻紙でふく      声

三河蕉門のもう一つの中心地、東三河の新城のリーダーだったのが太田白雪。元禄四年十月、白雪は自宅に芭蕉を迎えている。白雪は新城の庄屋・太田金衛門で、14歳の長男・重英と11歳の次男・孝知に芭蕉はそれぞれ「桃先」「桃後」の号を与えた。そのとき詠まれたのが次の発句である。

 その匂ひ桃より白し水仙花   芭蕉

少年たちの純粋な詩心を水仙にたとえ、「私」=「桃青」より清らかだという挨拶である。その後の白雪父子の句を挙げておく。

 刈りしほの麦吹く風や鳴海潟  白雪
 行き暮れて蚊の声すごし羅生門 桃先
 しがみついて砂に流るる蛙かな 桃後

やがて享保年間に入り、三河蕉門は静かに終焉を迎えることになる。
尾張俳壇は横井也有や加藤暁台などの活動が続くが、天保期に入って井上士朗の門人によって三河俳壇がやや活況を取り戻すことになる。『東海の俳諧史』の「天保俳諧」のページには三河について次のように書かれている。
「士朗門の逸材で、天保まで生きながらえて、その衣鉢を十分に伝え、岡崎正風を提唱したのが岡崎の青々処鶴田卓池だ。この人あるによって三河の俳界は統一せられている。彼はいまの菅生町辺に住んでいた紺屋の主人」「士朗在世中からよく旅に同行してるし、一人立ちしてからは門葉をつれて遠方まで俳行脚している。その為広く顔が売れていた」
『化政天保俳諧集』(古典俳文学大系16)に『青々処句集』が収録されているので、卓池の句を紹介していこう。

   正月十二日朱芳亭句会
 梅の気力ひらくばかりになりにけり
   水竹別荘
 蚊ひとつに夕ぐれを知るさくらかな
   朱樹翁十三回忌の追福をいとなむ日
 今日こゝにちなみわすれず閑古鳥

朱芳は士朗門の俳人。水竹は卓池の門人である。ちなみに水竹、塞馬、蓬宇が卓池門の三羽烏である。朱樹翁は士朗の号。士郎十三回忌に卓池は『安居鐘』を編んでいる。
卓池の俳諧行脚は各地に及んでいて、旅吟も多いので抜き出しておく。

 月仏信濃へ花のころに来て    (善光寺)
 目にさはるさくらいやしやわかの浦(和歌浦)
 しら川やこゝろとむればなく水鶏 (白河の関)
 朱鷺の羽に日影さしけり皐月雨  (新潟)
 橋だてやすゞみながらの人通り  (天橋立)
 とかくして芦に日の入るわかれ哉 (浪花・玉造)

『青々処句集』は水竹の序、塞馬の跋で卓池の七回忌追善として刊行された。塞馬の跋文には卓池の人柄が次のように書かれている。 「其性温順敦厚にしてよく人を究る故に、風雅を以て来訪する門人遊客日々に十を以て算ふ。其の盛莚思ふべし」

 春の雪ゆきの遠山見えて降る   卓池

2026年2月27日金曜日

連句の諸形式

国民文化祭・長崎(ながさきピース文化祭2025)「連句の祭典」の入選作品集が届いたので紹介しておきたい。形式は半歌仙で、485巻の応募があった。一般の部、文部科学大臣賞は半歌仙「潮騒」の巻(奈良県、捌・嵯峨澤衣谷)。

潮騒も静寂となりぬ憂国忌  嵯峨澤衣谷
 紅葉挟んだ読みかけの本  春野 彼方
窓を開け名残りの月を眺むらん   衣谷
 微かに揺れる軒の鳥籠      彼方
 (以下略)

五人の選者のうち二人が特選に選んでいる。
高尾秀四郎は選の観点として、次の六点を挙げている。
①発句の訴求力、完成度
②オモテ六句のオモテぶり
③ウラに入る転じの上手さとその後の暴れぶり
④琴線に触れるような情のある恋の場面展開
⑤味わいの佳句の有無
⑥見事で爽やかなエンディング
また、鈴木千惠子は半歌仙のあり方について、一花二月で構成されるが、応募作のなかには正花が二つ詠まれているもの・月が面ごとに一つずつが守られていないものがあり、許容できない。また応募作全体について、発句に一巻の牽引力があり、表六句が穏やかでありながら魅力的なものに惹かれる。月・花・恋の句にも注目、付けと転じの妙が大切、半歌仙を十八歩と考え一歩も後に帰る心のないものを選んだと述べている。
国民文化祭実行委員会会長賞は半歌仙「ゆゆゆ」の巻(愛知県、捌・瀧村小奈生)

光ゆゆ風もゆゆゆの猫柳      瀧村小奈生
 くすぐつたくて笑ふ山々     清水ましろ
トラックの荷ほどきの声うららかに 金子 ユリ
 地図を片手に歩く路地裏       小奈生
  (以下略)
「発句や付句の感覚がおもしろく、フィーリング付という感じ」(小池正博の選評)
選者によって連句観は異なるとしても、連句評価の基準はそれほど違わないと思われるが、基準を適用するするときの感覚の差はどうしても表れてしまうようだ。

徳島の連句グループ「花音」(はなおと)から連句集『花音』第十二集が届いた。
「花が開く時、人の耳には聴こえなくても、きっと小さな小さな音がしているのではないか。それを聴いてみたいものである」(三輪和「はじめに」)
新形式「花音」は「箙」(六・六・六・六の二十四句形式)を基本とするが、各面に花と音、正花は一つ、月は二としている。

パワハラがスポーツ界に蔓延し
 自然の秩序守り月冴ゆ
蝋梅は一斉に咲き香り立ち
 写真撮影フラッシュを焚く
ルンルンの婚前旅行ハワイへと
 泡のごとく消ゆるときめき

三句目が正花ではない花、四句目が音になっている。
これをさらに発展させて、最後に二句のコーダを付けたり、一連の句数を六句から四句へとコンパクトにするなどの試みをしているのは興味深い。

徳島県連句協会からは「ロータス」No.22が届いた。ここにはさまざまな連句形式が掲載されていて、半歌仙、二十韻のほか花音、非懐紙、山茶花、賜餐、オン座六句、ソネット、獅子など新形式を実作する際に参考になる。

最後に、「第27回大分県民文化祭連句大会実作作品集」について。昨年11月に大分県の中津市(中津文化会館)で開催された連句大会の記録である。中津は福沢諭吉のよかりの地で、中津城もあり、鱧料理でも有名。連句会の前の講演「中津の食と文学散歩」は興味深いものだった。

冬の城朝の光を浴びて建つ
 再訪するは紅葉散るころ
料亭の来歴長く記されて

座の文芸としての連句は、各地で開催されているのだ。

2026年2月22日日曜日

ココシュカ「風の花嫁」

マーラーの交響曲はちゃんと聞いたことがないが、「大地の歌」だけはレコードを持っていて繰り返し聞いている。私が持っているのはワルターの指揮ではなくて、バーンスタイン指揮、ウイーン・フィルハーモニー管弦楽団、フィッシャー・ディースカウのバリトン。第6楽章「告別」の最後はこんなふうに終っている。

春になれば
愛する大地は再びいたるところ花が咲き乱れ
樹々は緑に覆われて
永遠に、世界の遠き果てまでも青々と輝きわたる
永遠に… 永遠に…(ewig…)

マーラーはベートーベンなどが第9交響曲まで書いて死んだことを恐れて、彼の9番目の交響曲には番号を付けずに「大地の歌」としたという。また彼は『カラマーゾフの兄弟』を愛読していて、イワンとアリョーシャのどちらが正しいのだろうかと繰返し言っていたそうだ。
私が「大地の歌」を聞くのはこのようなマーラーの文学的イメージからなので、福永武彦も「告別」という小説の末尾で「大地の歌」を用いている。
さて、このマーラーの妻がアルマ・マーラーで、彼女は21歳のときにマーラーと結婚し、31歳で死別している。二人の最初の出会いは1901年で、アルマはこんなふうに書いている。
「1901年の11月のある午後のこと、友だちと環状通りを歩いていた私は、たまたまツッゲルカンドル夫妻に出会った。こおのツッケルカンドルという人は、すぐれた解剖学者であると同時に、洗練された趣味を持ち、ユーモアのセンスに富んだ人だった。
『今日マーラーがわが家に来るんですよ。いらっしゃいませんか』
私はお断わりだった。マーラーなどに会いたくなかった。実際のところその夏は、私は故意に、しかも、マーラーと顔を合わせる機会を避けてきたのであった。というのは、彼の評判が悪かったからである」(『グスタフ・マーラー 愛と苦悩の回想』)
その一週間後、再度誘われたアルマはマーラーと会う。マーラーは彼女に関心を示し、ふたりは結婚する。アルマは21歳、マーラーは39歳。マーラーはウイーン王立オペラ劇場(現在の国立歌劇場)の指揮者だった。
アルマはたいへん魅力的な女性だったらしく、31歳でマーラーと死別したあと、バウハウスの巨匠として有名な建築家のグロピウスと再婚、グロピウスと離婚したあと作家で詩人のフランツ・ウェルフェルと結婚、ナチスから逃れてアメリカに亡命する。恋人も多く、画家のココシュカが描いた「風の花嫁」はアルマをモデルにしたと言われる。彼女は音楽家、建築家、作家、画家をそれぞれとりこにした運命の女性である。
ココシュカはドイツ表現主義の画家で、「風の花嫁」は1914年の作。現在はバーゼルの美術館が所蔵している。船の中に男女が横たわっていて、女の方は眼をつぶっている。この絵は「風の花嫁」とも「突風」とも呼ばれていて、なぜタイトルが二つもあるのか不思議に思っていたが、ドイツ語の原題は「Windsbraut」で突風という意味になるが、WindとBrautに分けると「風の花嫁」になる。
ドイツの詩人で若くして死んだゲオルク・トラークルに「夜」という詩がある。トラークルはウイーンの滞在中、しばしばココシュカの仕事場を訪れて、この作品を見る機会があったという。「夜」はこんな詩だ(吉村博次訳)。

おまえ、荒あらしい裂け目をぼくは歌う、
夜の嵐のなかに
高くそそりたつ山脈を。
灰色をしたおまえたちの塔は
氾濫している、地獄の悪童どもで、
火をふく獣たちで、
ささくれた羊歯や唐檜で、
水晶のような花花で。
(中略)
黒ずんだ断崖をこえて
灼熱した突風が
氷河の
青い波が
死に酔ってなだれ落ち、
そして谷間では、鐘の音が
ごうごうと鳴りわたるー

(後略)

アルマはココシュカの七歳上。アルマとの生活をココシュカは「思い出すのも嫌な、落ち着きのなかった日々」と語っている。突風と結婚することはできない、ただ描くことができるだけだ、と言われるが、うなずけるところである。
さて、笹川諒の歌集『眠りの市場にて』(書肆侃侃房)に「風の花嫁」を詠んだ歌があるので、最後に紹介しておく。

ココシュカの《風の花嫁》を飾るだろう死後の白くて無音の部屋に 笹川諒

2026年2月13日金曜日

須磨における芭蕉と放哉

「関西連句懇話会」は偶数月の第一日曜に大阪・上本町で開催している。今月2月で第51回になった。5月に須磨寺で連句のイベントを予定していて、その予習を兼ねて、芭蕉の「笈の小文」の須磨の部分と、須磨寺の大師堂で堂守をしていた尾崎放哉について報告をした。
須磨は文学的イメージの濃厚な地で、在原行平の流謫(光源氏の須磨流離譚のモデルと言われる)、『平家物語』の平敦盛の悲話など歴史的エピソードに事欠かない。
『笈の小文』は『野ざらし紀行』『おくのほそ道』とともに芭蕉の三大紀行文だが、須磨の場面で終っている。4月19日、芭蕉は尼崎から船で兵庫に着き、清盛の遺跡などを見たあと兵庫に一泊。翌20日に須磨寺周辺を訪れ、須磨に一泊。21日には布引の滝を経て京都へ向っている。

  須磨
月はあれど留守のやう也須磨の夏
月見ても物たらはずや須磨の夏

「須磨にはいとど心づくしの秋風に~」(『源氏物語』須磨)とあるように、須磨といえば秋のイメージだが、芭蕉が須磨を訪れたのは卯月(旧暦四月・初夏)だった。月は出ているけれど、留守のようだというのである。ここでは現実の風景をありにままに見るのではなくて、文学的伝統や本説と重ねあわせて眺められている。しかし、月はあるけれど留守のようだというのは違和感のある表現である。芭蕉の真蹟懐紙では「夏はあれど留守のやう也須磨の月」となっていて、この方が理屈には合うが、いずれにしてもおもしろい句ではない。とにかく須磨ではまず月を出したかったのだろうし、伝統的なイメージと現実との落差そのものが俳諧なのだろう。

  明石夜泊
蛸壺やはかなき夢を夏の月

艘七宛の芭蕉書簡には「あかしより須磨に帰りて泊る」とあるから、明石夜泊は虚構で、実際には須磨に泊まっている。「おくのほそ道」でも曾良の随行日記と照らし合わせると虚構が見られるのと同様の操作である。詠まれているのは蛸壺で、明石では二千年前(弥生時代)から蛸が獲られていたという。蛸といえば明石なのだ。「須磨夜泊」ではイメージが合わないし、須磨の月はすでに本文では前に出ている。
須磨寺では「須磨寺やふかぬ笛きく木下闇」の句が詠まれていて、句碑になっている。いったい須磨寺には句碑・文学碑が多い。山本周五郎の『須磨寺付近』の文学碑もあって、この小説は時代小説とは異なる周五郎の一面をうかがうことができる。

尾崎放哉は一時期、須磨寺の大師堂で堂守をしていたことがある。放哉の句集『大空』(放哉没後、荻原井泉水が編んだ遺稿集)の「須磨寺にて」の章には「大正十三年六月より十四年三月まで、兵庫須磨寺内大師堂の堂守として住み、五月若狭国小浜常高寺に移り、七月京都に来る」とある。放哉は『層雲』の荻原井泉水に師事していたが、須磨寺に入ってから月に30句ほど投句していて、彼の転機となった。

あすは雨らしい青葉の中の堂を閉める
一日物云はず蝶の影さす
雨の日は御灯ともし一人居る
井戸の暗さにわが顔を見出す
沈黙の池に亀一つ浮き上る
鐘ついて去る鐘の余韻の中
たつた一人になりきつて夕空
蟻を殺す殺すつぎから出てくる
小さい時の自分が居つた写真を突き出される
こんなよい月を一人で見て寝る (この句が句碑になっている)

須磨寺での生活は食事と住むところの心配はないが、社会との交流は限られる。句材となるのは小動物と自己の内面である。須磨寺を出たあと放哉は小浜、そして小豆島へ行くことになる。小豆島の南郷庵での生活は吉村昭の小説『海は暮れきる』に描かれている。

さて、5月17日に須磨寺の青葉殿で「第三回関西連句を楽しむ会」を開催する。薩摩琵琶「敦盛」の演奏があり、連句の実作も楽しめる。ご興味のある方はご予定いただきたい。

2026年2月6日金曜日

「オルガン」の10年

「オルガン」42号に宮本佳世乃が「2015年に『オルガン』を創刊してから、十年が経った」と書いているのを読んだ。もうそんなになるのかと驚いた。「オルガン」はそれぞれのメンバーが結社とは別に自由な個人として集まっている同人誌だ。俳句では「豆の木」、短歌では「外出」など、「オルガン」と同じような表現者のつながり方に共感するところがある。 手元に「オルガン」1号がある。2015年4月20日発行。メンバーは次の四人。「俳句がする、4つのオルガン」である。

白梅にして遠空を担ひけり    生駒大祐
記号うつくし空港の通路を蝶   田島健一
ぶらんこの鎖が空にまつすぐに  鴇田智哉
風船に入る空気のちとぎくしやく 宮本佳世乃

佐藤文香『君に目があり見開かれ』を読む座談会が掲載されている。
以後、俳句、座談会、テーマ詠という構成で、春夏秋冬の年四回の発行となる。
3号から福田若之が加わった。

うなずくからどんなに遠い滝だろう 福田若之

やがて生駒大祐が退会し、「オルガン」は四人で続けられる。宮崎莉々香が加わった時期もあるが、途中休会し、現在は復帰している。
私はこの時評でけっこう「オルガン」について書いていて、2015年7月31日、2017年1月27日、2018年7月7日などで紹介している。
2018年7月の記事は、「オルガン」の五人が大阪にやって来る、というもので、次のように書いている。
〈俳誌「オルガン」の宮本佳世乃・鴇田智哉・田島健一・福田若之・宮﨑莉々香の五人が大阪にやってくる。7月21日(土)に関西現俳協青年部勉強会「句集はどこへ行くのか」、22日(日)には梅田蔦屋書店で公開句会が開催される。21日の勉強会では、「オルガン」のメンバーのほかに久留島元や牛隆介、川柳人の八上桐子、五七五作家の野口裕が話題提供者として参加するのも興味深いところだ〉

「オルガン」のメンバーはそれぞれ句集を出しているので、句集から紹介しよう。

凍蝶の模様が水の面になりぬ     鴇田智哉『こゑふたつ』
こゑふたつ同じこゑなる竹の秋
人参を並べておけば分かるなり    鴇田智哉『凧と円柱』 
円柱の蟬のきこえる側にゐる
かなかなといふ菱形のつらなれり   鴇田智哉『エレメンツ』
いうれいは給水塔を見て育つ

二人ゐて一人は冬の耳となる     宮本佳世乃『鳥飛ぶ仕組み』
郭公の森に二人となりにけり
空港に歩いてゆける勾玉屋      宮本佳世乃『三〇一号室』
いちはつの花にさはれば文字の見ゆ

ふくろうの軸足にいる女の子     田島健一『ただならぬぽ』
鶴が見たいぞ泥になるまで人間は
見えているものみな鏡なる鯨
なにもない雪のみなみへつれてゆく

さくら、ひら つながりのよわいぼくたち  福田若之『自生地』
ヒヤシンスしあわせがどうしてもいる    
突堤で五歳で蟹に挟まれる
ひきがえるありとあらゆらない君だ

宮﨑莉々香については、「オルガン」から次の二句を挙げておく。

かもめすぐ春になりきれないからだ     宮﨑莉々香(「オルガン」9号)
ほたるかごみえないものがすべてこゑ         (「オルガン」10号)

「オルガン」にはときどき連句も掲載される。38号から脇起歌仙「ながい坂」の巻、のオモテ六句を引用する(捌・浅沼璞)。

ながい坂みぢかい草の春の夢   冬野 虹
 里に野原に頬白の声      四ッ谷龍
うらゝかに弁当のふた光らせて  浅沼 璞
 棚から古き新聞をとる     宮本佳世乃
宵闇のはるかな意識との出会   鴇田智哉
 そして九月の水たばこの香   福田若之

さて、「オルガン」42号では新メンバーに岩田奎を迎えた。宮本は次のように書いている。「同人誌といっても、同じような俳句を目指しているわけではない。各人がそれぞれのスタイルと俳句観を持ち寄っている。私にとってはメンバーの数だけ頂点があるような感覚だ。奎さんを迎えた今、オルガンは正六角形になった」

颱風の去りゆく裾に触るるのみ  岩田奎

2026年1月30日金曜日

四ッ谷龍の横井也有研究

四ッ谷龍の編集発行している「むしめがね」26号が届いた。田中裕明をめぐる論考と横井也有についての講演が収録されていて、100ページに及ぶ充実した内容になっている。ここでは也有と連句の方を紹介しよう。
横井也有は俳文『鶉衣』で知られる江戸時代、名古屋の俳人。「百蟲譜」などが有名である。『連句年鑑』(令和7年版)に四ッ谷龍は「横井也有と連句」を寄稿している。連句の座でよく巻かれるのは歌仙(36句形式)で、時間のないときは半歌仙(18句形式)となるが、美濃派では短歌行(24句形式)が使われ、国民文化祭岐阜でも短歌行が募集された。横井也有は美濃派の俳諧文化圏にいたようだが、二十八宿(28句形式)を創始した。四ツ谷の評論ではその理由をこんなふうに紹介している(也有の原文の現代語訳)。
「即興で連句を巻く場合、歌仙は句数が多いのが面倒くさがられるので、最近では短歌行の新形式が導入され、少人数の集いには役立っている。ただそれでも、短歌行では月や花を詠み季を当てはめるのに追われて、好句ができにくいという難点がある。そこで春と秋は二句で捨てる新ルールも行われているという。これは、三句連続の雑の句を作れるようにするためであろう。しかるに、二十八宿は春秋三句という古来のルールを守ったままで、雑を四句多く詠めるのである」
「それだけではなく、短歌行は表に月が出ないのが残念である。表に月が入らず、裏に月と花を押し込めるよりも、裏には花の美があるのだから、五句目の月は表としたほうが、月と花をじっくり賞玩する本来の意図に叶うのではないか。二十八宿では表は六句にして月を入れて歌仙同様とする。裏は八句で、裏に月がないのは百韻形式の四の折に例が見られるから問題ない」
短歌行はオモテ4句・ウラ8句・名残りのオモテ8句・名残りのウラ4句で二花二月。二十八宿は6句・8句・8句・6句で二花二月。短歌行ではオモテに月がでないので、二十八宿ではオモテ6句にして月を出している。
次は二十八宿の実作。オモテ六句のみ引用する。

夢も見じ鹿聞までは肱枕    也有
 月も居待を過て遅き夜    三止
こゝろなき竿稲舟に指捨て   也陪
 さてもわらぢに道はこねたり 文樵
元服の顔に商人見そこなひ   三止
 朝日に簾掛る西側      也有

『鶉衣』についても触れられている。也有には出版の意図はなかったが、大田南畝(蜀山人)が写本を目にして、その面白さに驚き、蔦屋重三郎のところに持ち込んで刊行したということだ。

2025年6月14日に愛西市佐織公民館で横井也有顕彰会主催のイベントがあり、四ッ谷龍が講演をした。「むしめがね」に掲載されているのはその記録である。四ツ谷はまず横井也有伝説から語りはじめている。現代語訳で引用する(原文・饗庭篁村)。
「隠棲した知雨亭からは東に美しい山なみが見えるので、それを眺める窓を設けたのだが、ふだんはこの窓に錠をおろしていた。人からその理由を聞かれると也有はほほえみながら『どんなにうまいものでも毎日食べていれば飽きる。美しい景色も同様で、あまり目が慣れてしまうと面白くなくなるので、たまにしか窓を開けて眺めないのだ』と答えたという」
この話を枕として、坪内逍遥、尾崎紅葉、川上眉山、永井荷風、落合太郎、石川淳、司馬遼太郎、杉本秀太郎、高遠弘美と也有を愛した文人たちのことが語られる。詳細は「むしめがね」誌をご覧いただきたいが、四ツ谷はこれらの文人たちを、明治の小説家たちとフランス文学者たちの大きく二通りに分けているのは興味深い。
講演記録の最後のページに『連句年鑑』(令和7年版)の宣伝まで掲載していただいているのはありがたい。『連句年鑑』は残部僅少だが、日本連句協会のホームページからも購入申し込みいただける。
昨年11月8日には横井也有顕彰会の主催で春日井・多治見方面のバス旅行があり、地元のボランティアによる内津村の歴史や神社についての説明もあったようだ。

夢も見じ鹿聞までは肱枕   也有
ひえびえと枕の中を瀬音かな  龍

2026年1月23日金曜日

宮井いずみ句集『理数系のティーポット』

1月12日、「文鳥散歩会」主催で宮井いずみ句集『理数系のティーポット』(青磁社)を読む会が大阪・梅田で開催された。司会・まつりぺきん。最初に八上桐子の挨拶があった。「川柳スパイラル」25号に八上桐子は『理数系のティーポット』の句集評を書いている。八上は①リズム感②固有名詞の多さ③取り合わせ、三つの切り口を設定している。それぞれ次のような例句が挙げられている。

 熱帯夜熱帯夜ボレロボレロボレロ
 抱きつきモンキーシャッフェンベルク式
 幽霊の足かもボーカロイドかも

「伝統川柳を入口に、現代川柳は私性川柳から革新川柳まで多彩な場で活動してしてきただけあり、書き方のバリエーションも豊富で、句風も広い」と八上は書いている。また読書会で八上は、句集の各章の独立性に触れ、多声的で断片的な世界を表現していると指摘した。
この会では参加者に事前のアンケートをとっていて、前半は「わたしの感想」、後半は「作者への質問」というかたちで進行した。司会のぺきんはアンケートにもとづいて、参加者それぞれに句集の感想を聞いていった。細かいメモはとっていないが、特徴的な名詞の使用について、「ことばの博物館」とか、食物関係の語がよく出てくるとか、名詞から句を作っていくのではないか、選ぶワードに世代感があるが句になると違う効果がある、などの感想が述べられた。
最後まで読み通せない句集もあるが、この句集は停滞なく読めたという感想もあり、全体のテーマとか強い主張がなく、根底に流れるものを垣間見るような句もほしいという意見もあった。各章が独立していて、句の配列も作句年代順ではなくて、再構成されているようだ。章のタイトルも、その章を統一するようものではなく、またその章の中の一句から取られたものでもない。収録句とは無関係な言葉をタイトルにしているが、このタイトルがけっこうおもしろい。
私がいいと思った句を一句挙げると、次の句になる。

うっかりの連鎖いもうとまで消える

作者自身が挙げた「宇宙の門ひらく葉月のピラミッド」も、あとで読み返してみておもしろいと思った。「心象句はあまり出したくない」という宮井の発言も印象に残った。句集の装幀についても話題になって、表紙絵は鯨のように見えるが、帯を外すと足があって歩いている。装幀は濱崎実幸。

第30回杉野十佐一賞が発表された。杉野十佐一は昭和26年に「おかじょうき川柳社」を設立。川上三太郎と親交が深かったことでも知られる。杉野草兵は彼の長男。
今回の題は「相」。大賞作品は

とんかつソースこぼれたみたいな寝相やな  木下香苗

入選作品から、五句挙げておく。詳しいことは「おかじょうき川柳社」のページから読める。

マチュピチュになんて相応しいくちびる  八上桐子
相談というより玉蜀黍のひげ       宮井いずみ
相談をすれば卵が孵るかも        笠嶋恵美子
色相環 黄色にすわる人の負け      桜庭紀子
もう鶴の相談は聞かないだろう      nes