2021年4月23日金曜日

歌人の書く川柳

4月18日の朝日新聞朝刊「短歌時評」に山田航の「歌人が川柳に驚く訳」という文章が掲載されている。山田は「最近、若手歌人のあいだに現代川柳ブームが訪れている」と書いて、『はじめまして現代川柳』(書肆侃侃房)と「ねむらない樹」第6号を紹介している。「このブームの立役者は歌人の瀬戸夏子である」というのは正確な認識だろう。
瀬戸の『現実のクリストファー・ロビン』(書肆子午線)には川柳について書かれた文章がいくつか収録されているが、瀬戸夏子と平岡直子が発行した川柳の冊子「SH」が手元にあるので、紹介しておこう。「SH」は2015年から2017年にかけて4冊作成されている。

好色のめまいをゆずる弟に      瀬戸夏子(「SH」)
呼ぶだろうすばらしい方の劣勢        (「SH2」)
愛は苺の比喩だあなたはあなたの比喩だ
はかないこころのびわこのゆびわ       (「SH3」)
星々は浅いまなじり             (「SH4」)

瀬戸の句には一行詩の傾向が強く、最後は短律になっている。
平岡直子は「SH」のほか我妻俊樹とのネットプリント「ウマとヒマワリ」などでも川柳を発表している。川柳のイベントにパネラーとして参加することも多いようだ。

すぐ来てと、水道水を呼んでいる   平岡直子(「SH2」)
雪で貼る切手のようにわたしたち
むしゃくしゃしていた花ならなんでもよかった
口答えするのはシンクおまえだけ       (「川柳スパイラル」2号)
耳のなか暗いねこれはお祝いね        (「ウマとヒマワリ9」)

我妻俊樹は「SH」4号すべてに作品を発表していて、良質の川柳も書ける表現者である。「率」10号に誌上歌集『足の踏み場、象の墓場』を発表して注目されたが、2018年5月の「川柳スパイラル」東京句会にゲストとして登場。「行って戻ってくるときに自我が生じるのが短歌」「引き返さずに通り抜けるのが川柳」とはそのときの我妻の発言である。彼はツイッターでも川柳についてときどきおもしろいことを言っている。川柳作品も集めればけっこうな数になるのではないか。ここでは「ウマとヒマワリ」から。

書き順を忘れられない町がある  我妻俊樹(「ウマとヒマワリ」12号)
黒鍵に即身仏が指を置く
玉虫と決めたらずっとそうしてる
こう持てば浅草はゆらゆらしない
潮騒の最後の方を聞き逃す
八階の野菊売り場が荒らされた

「SH」に話を戻すと、山中千瀬の作品が「SH」2~4に掲載されていて、おもしろい句が多かった。吉岡太朗は「SH3」に参加。独自の発想が興味深い。

なんとなく個室に長居してしまう  山中千瀬(SH2)
あとのないしらうおたちの踊り食い
りんじんがいってりんかにばらがわく    (SH3)
火と刃物 お料理は死にちかくてヤ
あの子にはずっと意地悪でいてほしい
ほんとうのわらびもち うそのわらびもち  (SH4)

鳥ならともかく法に触れている    吉岡太朗(「SH3」)
屋根売ってしまって傘をさしている
名古屋まで逃げてきたのに顔がある
シーソーにもちこめたなら勝っていた
一身上の都合で雨を浴びている

歌集『花は泡、そこにいたって会いたいよ』で人気のある若手歌人・初谷むいも川柳を書いている。「ねむらない樹」6号でも短歌と並んで川柳を発表している。

指のない手で撫でている夢の犬  初谷むい(「川柳スパイラル」4号)
烏龍茶この海の裏で待ち合わせ
永劫になる決心がつきました
おきちゃだめ湯気でレンズが曇っても
愛 ひかり ねてもさめてもセカイ系

三田三郎と笹川諒も現代川柳に理解のある歌人である。両氏はネットプリント「MITASASA」に短歌だけでなく川柳作品も発表しており、それは「ぱんたれい」にも収録されている。ここでは「川柳スパイラル」掲載のゲスト作品から紹介する。

世界痛がひどくて今日は休みます  笹川諒(「川柳スパイラル」8号)
発声が魚拓のようにうつくしい
意味上の主語と一夜を共にする
チャコペンがまた天誅をほのめかす
百科事典から今夜出るガレー船

横手からトラウマを投げ込んでくる  三田三郎(「川柳スパイラル」9号)
横領のモチベーションが保てない
後悔の数だけ庭に海老を撒く
自らの咀嚼の音で目が覚める
ふりかけの一粒ずつにパラシュート

「かばん」の沢茱萸も川柳作品を書いている。もともと「かばん」には飯島章友、川合大祐がいるから、彼らを通じて川柳に興味をもった歌人も多い。

元日にサーカスが来るにおいだけ  沢茱萸(「川柳スパイラル」8号)
羊羹と海馬はひとしく切り分けて
紙媒体。ふたごの面倒よろしくね
正直にマトリョーシカはなりなさい
ジェルタイプの金輪際もあるよ

以上、短歌を主なフィールドとしている表現者が現代川柳に関心をもつようになったルートは幾つかあるが、いずれにしても彼らが実作を通じて現代川柳との交流を試みているのは心強い。従来、ジャンルの違いはけっこうハードルが高く、川柳の本質が語られる場合でも具体的な作品を踏まえずに既成の知識や先入観で川柳を云々する場合が多かった。現在の若手歌人の川柳への関心はそういうものとは異なり、現代川柳を読むだけではなく、実作も試みている点で川柳側にとっても新鮮な刺激を与えるものとなっている。ここに紹介しただけではなく、もっとたくさんの表現者が現代川柳の実作を試みているかもしれない。それぞれのフィールド相互の刺激によって短詩型文学の言葉がさらに豊かになってゆくならば嬉しいことである。

2021年4月16日金曜日

ポスト現代川柳の台頭―暮田真名・柳本々々・川合大祐

×月×日
ネットプリント「いくらか」をコンビニで印刷。佐原キオと暮田真名の川柳が各20句掲載されている。どれもおもしろいが、二句ずつご紹介。

風のおかげでどんな無聊もよく燃える  佐原キオ
鼎談をする精神がなぜ白い       佐原キオ
代わりにテオと暮らしてあげる     暮田真名
京都ではくびのほきょうを忘れずに   暮田真名

引用句からだけでは分からないが、佐原は旧かなづかいで書いている。現代川柳は口語・新かなを主とするが、文語や旧かなを使う場合には何らかの意図があるはずだ。それはそれとして、佐原の句はきちんと現代川柳になっている。短歌的なものの川柳への流入や短歌の私性の安易な持ち込みに対して私は否定的だったが、今の歌人の書く川柳はそういうものとは異なり、ツボを心得た表現は川柳としてのクオリティが高いと感じる。
暮田の句からは固有名詞と地名を使った句を引用してみた。テオはゴッホの弟のことかも知れないし、ほかの誰かかもしれない。京都に対する諷刺は、たとえば渡辺隆夫の「うそ八百京都千年にはかなわん」(『都鳥』)を思い出させたが、暮田の句にも十分川柳性が強く表れている。
「文学界」5月号に暮田は「川柳は人の話を聞かない」を掲載している。「ねむらない樹」6号で彼女は「川柳は上達するのか?」と書いているが、この「川柳は…」シリーズはこれからも続くらしい。私は以前「川柳人どうしがいっしょにいて少しも飽きないのは、ずっと自分のことばかり話しているからである」というアフォリズムを作ったことがあるが、暮田が言っているのは「川柳人」のことではなく、「川柳」のことなのだった。

×月×日
「早稲田文学」2021年春号(特集「オノマトペにもぐる/オノマトペがひらく」)に川合大祐と柳本々々が作品を掲載している。川合は「バイオハザード」、柳本は「ここはぴなの?」というタイトルで、柳本の作品から二句ご紹介。ほかに初谷むいや野間幸恵の作品も掲載されている。

やあ、とぴっはいう。また会えましたね。  柳本々々
あなたはぴっをいつもわすれるよね うん

×月×日
先日、アルマ・マーラーの『グスタフ・マーラー』を読む機会があった。21歳でマーラーと結婚したアルマが31歳で彼と死別するまでの回想が書かれている。アルマは毒舌家でずいぶんはっきりと自分の意見を言う女性だった。
ドイツ文学の世界では精神性の高い魅力的な才能をもった女性がときどき現れる。ニーチェの恋人だったルー・アンドレアス・ザロメはリルケとも交流があったし、後にはフロイトに師事した。アルマもそのような女性のひとりで、画家のクリムトやココシュカも彼女に恋をしたと言われる。ドイツ表現主義の画家、オスカー・ココシュカの「風の花嫁」はアルマをモデルにしている。

ココシュカの《風の花嫁》を飾るだろう死後の白くて無音の部屋に  笹川諒

×月×日
江田浩司歌集『律―その径に』(思潮社)が届く。短歌と詩のコラボなどがあって全貌は紹介しにくいが、第四章から二首引用する。

そのうたは深夜にひとりあるきする尾をひくこゑにあきらけき叛
いまそこにある悦びをひきよせて溺れてゆかなあぢさゐの世を

岡井隆への追悼として「О氏に」と題された歌から一首。「詩」には「うた」、「蜻蛉」には「せいれい」のルビがふられている。

さまよへる詩のゆくへをたづねたり遅れて来たる蜻蛉として

×月×日
川合大祐の第二句集『リバー・ワールド』(書肆侃侃房)が刊行された。1001句の川柳が三章に分けて掲載されている。ツイッターなどで反響が出ているし、アマゾンの句集ランキングでも上位にあり、好評のようだ。ここでは二句だけ引用しておく。

道 彼と呼ばれる長い神経路   川合大祐
自我捨ててただ晴れた日の紫禁城

刊行記念として、5月7日(金)の20時から本屋B&Bのオンライン配信で川合大祐・柳本々々・小池正博によるトークイベント「現代川柳ってなんだ!」が開催される。どんな話になるだろう。

×月×日
川柳「湖」12号(浅利猪一郎川柳事務所)に第12回「ふるさと川柳」の受賞作品が掲載されている。浅利が秋田県で発行している柳誌で、12人の選者による共選。今回の兼題は「天」。入選1点、佳作2点、秀句3点を配点して、それぞれの選者が入れた合計点により順位を決定する。最優秀句は次の作品で8点を獲得している。

天啓を銜え野良猫やってくる   川田由紀子

ちなみに私が選んだ秀句は次の三句。

本当はしんどい天然の私    川内もとこ
天の川彦星さえも熱がある   鈴木昌代
あなた誰いつか天使になる怖さ 原佑脩二

2021年4月9日金曜日

林ふじをと女性川柳のことなど

前回、川合大祐との関連で樹萄らきのことに触れたが、川合が動画配信で荒井徹(2005年11月没)の名を挙げていたので、荒井の川柳を紹介しておく。

自転車で坂押してゆく吠えながら   荒井徹
寒いから二人でいよう鶴など折って
赤い靴履いて迷子に脱いで迷子に
仮の世にしては魂揺れすぎる
砂文字よ素直に孕め僕は人質
球根を植える螢に犯意あり
「鳩?」サーカス小屋の屋根にいたよ
不審火や乳房最初に焼けたがる
月を撃つ自滅なかなか悪くない
末筆ながら斧は両手で握ること

このところ過去の川柳誌のバックナンバーをひもとくことが多いが、今回は「オール川柳」1996年2月号を読んでみよう。林ふじをのことが紹介されている。
川上三太郎の門下から女性の川柳人が輩出したことはこれまでも何回か述べてきたが、「ベッドの絶叫夜のブランコに乗る」で有名な林ふじをは時実新子の先駆的存在として注目される。

機械的愛撫の何と正確な      林ふじを
存在の価値あり君のペットたり
ねむれない あなたも ねかせないつもり
指先の意志とは別に 胸開く
炎の眼―紫となる青となる
後悔はしないベーゼに青ざめる
一列に並ぶ男を肥料にし
いいパパになって二重人格者が帰る
鏡からこれはあたしぢゃない笑顔
イエスではない眼あたしにだけわかる

林ふじをは桑原正一を通じて川柳をはじめ、「川柳研究」の川上三太郎に師事した。三太郎が求めていた「女の句」の体現者であり、セックスを本格的に詠んだはじめての女性川柳人と言われるが、1959年、34歳で亡くなった。時実新子の句集『新子』が出たのはその二年後である。
同誌には「女流二十一人集」のページがあって、その当時の代表的な女性の作者の作品が各10句ずつ収録されている。その顔ぶれが興味深いので、挙げておこう。このころは「女流」という言葉がまだ普通に使われていた。
森中惠美子・徳永凛子・宮川蓮子・大石鶴子・西原知里・倉本朝世・木野由紀子・八木千代・樋口由紀子・卜部晴美・永石珠子・杉森節子・秋元深雪・高橋古啓・村井見也子・上野多惠子・前田芙已代・斉藤由紀子・玉島よ志子・田頭良子・大西泰世。
私が川柳をはじめたころに第一線で活躍していた川柳人たちだが、ここでは「現代川柳 点鐘の会」でよく顔を合わせた高橋古啓の作品を紹介しておきたい。「グループ明暗」25号(高橋古啓追悼号・2005年9月)から。

逢いたさは薬師如来の副作用   高橋古啓
かくも長き痙攣闘魚の終幕
おだやかに空気を破る人がいる
どの花もみな色褪せている花屋
私からの手紙わたしの死後に着く
三日月に折れたペニスを照らされる
それが永遠なら砂粒を数える
調べ妖しく水際清掃人がゆく
水かきの雫も切らず握手する
欲しいのは妻子ある人 他人の詩
カマキリの常識 君は食べられる
まだ媚を売らねばならぬ雪女

「オール川柳」に戻ると、この号の「今、注目の柳人」のコーナーに大石鶴子が登場している。井上剣花坊と信子の娘であり、このときは「柳樽寺川柳会」の主宰として健在だった。

橋のない川に幾年ペンの橋   大石鶴子
清貧の風いっぱいに開く窓
人の世のひびき地表を這うばかり
転がったとこに住みつく石一つ

「川柳はね立派な詩なんですよ。だれでも自由に詠める。庶民に一番あった詩なんです。社会を批判することも出来るんですよ」(大石鶴子)という言葉が紹介されている。

2021年4月2日金曜日

俳句と川柳アーカイブ

「ねむらない樹」6号の特集「現代川柳の衝撃」でひとりの作者が川柳と短歌の実作を並べているのが興味深かった。作者は川合大祐・暮田真名・柳本々々・飯島章友・正岡豊・初谷むいの六名。川柳五句、短歌五首が左右のページに取り合わせられている。まず川合の作品を一句・一首紹介しよう。

汐留でリンパを売っていて冬か             川合大祐
丸焼きをつくれずにいるだけのこと地図の上での犀川の犀

たまたまだが、地名を用いた作品を並べてみた。汐留でリンパマッサージをしているのか。それとも琳派の作品を売っているのか。何だか分からないが「リンパ」を売っている。金沢市街を流れている犀川。室生犀星の故郷でもある。その犀川に犀がいて、どうも丸焼きにはしにくい。地名を使って遊んでいる。 下段に添えられている短文で、川合は川柳をはじめたのが2001年だといっている。そして20年続いた原動力のひとつとして樹萄らきの句がカッコよかったことを挙げている。
今までにも取り上げたことがあるが、手元に「川柳の仲間 旬」の2002年1月号があり、特集・人物クローズアップに川合大祐が取り上げられている。「自動ドア誰も救ってやれないよ」「愛するも憎むもひとりロビンソン」などの句が掲載されている。ちなみに川合がカッコいいと思った樹萄らきの当時の句を書きとめておこう。

三日間脳ミソ貸してあげようか   樹萄らき
手を高く上げて見の程知りましょう
落ちている本を拾った手に手錠
いただいたDNAはチャランポラン

川合の第二句集『リバー・ワールド』(書肆侃侃房)が近日中に発行されるという。第一句集『スロー・リバー』(あざみエージェント)も改めて読まれているようだ。

ひつじ雲から博才を隠してる    暮田真名
ミレニアム・ベイビーだけのおまつりに6人欠けてもサッカーしよう

短文「川柳は上達するのか?」は評判になったようだし、近刊予定の「文学界」5月号にコラム「川柳は人の話を聞かない」が掲載されるという。「当たり」は大橋なぎ咲との新コンビが注目され、『補遺』に続く第二句集も準備中だというから、暮田の今後の活動に目が離せない。

わたしを星が追いかけている    柳本々々
暴風雨きみが話してくれたのは「わたしを星が追いかけている」

2015年9月の「第三回川柳カード大会」のときに柳本と対談したことがある。このときも柳本に自選五首と自選五句を選んでもらったのを思い出した。そのときの作品から。

リンス・イン・魂(洗い流せない)    柳本々々
のりべんがきらきらしつつ離れてく銀河鉄道途中下車不可

このときの対談「現代川柳の可能性」は「川柳カード」10号に掲載されている。
この調子で紹介してゆくと長くなるので、飯島章友と正岡豊については「ねむらない樹」をご覧いただきたい。飯島は「川柳スープレックス」(3月4日)に「現代川柳にアクセスしよう」を書いていて、現代川柳の入り口を示すものとして便利である。正岡の短文は定金冬二についてだが、これとは別に「獏と川柳」という文章をグーグルドライブに挙げている。正岡のツイッター(2月27日)からも入れるのでご一読をお勧めする。

終末論うさぎに噛まれた跡がある     初谷むい
うさぎ屋さんがめっきり開店しなくなる 終末のうわさを信じてる

初谷むいには「川柳スパイラル」4号のゲスト作品に川柳10句を寄稿してもらったことがある。そのときの一句。

愛 ひかり ねてもさめてもセカイ系   初谷むい

川柳と短歌は形式が違うから同一作者が両形式の実作をしても読者にはよく分かるが、川柳と俳句を同一作者が実作したらどうなるだろうということを考えた。特集としては成立しにくいかもしれない。
俳句と川柳の取り合わせについて、20年ほど前に角川春樹が編集発行していた「俳句現代」という雑誌があったことを思い出した。「俳句現代」2000年6月号の特集が「俳句と川柳」であり、角川春樹が組んだ川柳人は時実新子だった。このときは見開きの右ページに俳人の作品、左ページに川柳人の作品が掲載されている。それぞれ10句。俳句からは能村登四郎・森澄雄・佐藤鬼房・稲畑汀子・岡本眸・有馬朗人・角川春樹、川柳からは橘高薫風・尾藤三柳・高鶴礼子・情野千里・倉富洋子・峯裕見子・時実新子。豪華な顔ぶれである。川柳側の高鶴礼子以下の5人は当時の「川柳大学」の会員。7組全部は紹介できないので、4組だけ各1句を引用しておく。

自から美醜を尽くし落椿     能村登四郎
革命さはじめてコーラ飲んだ日は 橘高薫風

流し目にわれも流し目冷し酒   森澄雄
遠近法を食いつくす窓の孵化   尾藤三柳

開館のその後を問はれ梅椿    稲畑汀子
世界地図の下で鮫くる夜を待つ  情野千里

三歩行き二歩退く象に春遅々と  有馬朗人
わかれきて晩三吉が膝の上    峯裕見子

峯裕見子の「晩三吉」(おくさんきち)は晩生の赤梨で冬の季語。季語を人名のように使って恋句の雰囲気を出していて、彼女の作品のなかでもよく知られている。
この特集では時実新子と角川春樹の対談のほか、「俳句と川柳の峻別を・再び」(復本一郎)、「似て非なるもの」(高橋悦男)、「俳句と川柳―同根にして異質なるもの」(関森勝夫)、「俳句と川柳の問題」(宗田安正)、「俳句は俳句らしく」(杉涼介)などの文章が掲載されている。復本一郎の『俳句と川柳』(講談社現代新書)が出て、柳俳の議論がやかましかったころのことである。今度読み返してみておもしろいと思ったのは磯貝碧蹄館の「川柳の味もまた好し」で、碧蹄館には川柳の実作もあり、川柳句会にも参加している。

女体転落月はしづくをしたたらす  磯貝眞樹
頬打たれながら女が墜ちてゆく   中村富山人

席題「人間失格」で牧四方選。「日本川柳」(昭和25年4月)より。眞樹(しんじゅ)は碧蹄館の柳号。中村富山人は中村冨二である。
今回は「ねむらない樹」からの連想で20年前の「俳句現代」に及んだが、過去の雑誌を探しているうちに、「鹿首」12号(2018年7月)が出てきた。この雑誌は詩・歌・句・美の共同誌である。八上桐子が「川柳招待席」に「ごくらくちんみ」20句を寄稿している。杉浦日向子の『ごくらくちんみ』に出てくる珍味とお酒をふまえたものらしい。二句だけご紹介。

  とうふよう×泡盛ロック
青ざめる空も前ほど疼かない    八上桐子

  いぶりがっこ×秋田地酒
面差しの皺しばし読まれてしまう

「鹿首」12号の「短歌招待席」には川野芽生の「借景園」20首が掲載されている。このとき私はまだ川野の作品の凄さに何も気づいていなかった。

2021年3月26日金曜日

大阪川柳散歩

コロナ禍で街に出ることが少なくなった。実際に行けないかわりに、想像のなかで文学散歩を楽しんでみたい。時空を超えて大阪の川柳ゆかりの地を訪ねてみる。

【心斎橋北詰・小島洋服陳列場】
心斎橋は長堀川にかかっていた橋だが、1960年代に川が埋め立てられて現在は明治の面影は残っていない。かつて心斎橋北詰に小島陳列場があり、小島六厘坊が住んでいた。六厘坊の父・小島善五郎は洋服商を営んでおり、小島銀行を設立するなど資産家であった。この小島銀行がその後どうなったのか調べてみたが、明治期には個人創業の銀行がしだいに吸収合併されていったようで、経緯がよく分からない。六厘坊の父の自宅は西横堀川の御池橋にあったが、六厘坊は小島洋服陳列場の方に住んでいたようだ。ちなみに御池橋も川の埋め立てにより現存しない。
六厘坊は明治期の関西における新川柳(近代川柳)の草分けで、小島陳列場に集まった若き川柳人たちの姿は梁山泊のようなイメージで私の心をとらえてはなさない。
小島洋服陳列場の位置を文献で調べてみたが、心斎橋北詰の駸々堂とうどん屋との間の二軒を合併したものだという。書店の駸々堂も現存しない。
陳列場というから洋服の陳列をしていて店員がいたが、六厘坊は店員とは別に大きなデスクを前にして正面を向いていた。川柳の友人が入ってゆくと、六厘坊が「ヤアー」と満面の笑みで迎える。店では川柳の話はせず、陳列場の奥にある倉を改造した部屋へ連れてゆく。職場の仕事と川柳は区別していたのだろう。薄暗い気味の悪い部屋で、六厘坊は一、二時間たてつづけに川柳談を語る。句も作らせるが、「まずい、まずい」と頭から決めつける。なかなか褒めないが、褒めるときはとこぎり褒めそやす。「とこぎり」とは徹底的にという意味の方言である。とこぎりけなすか、とこぎり褒めるかのどちらかだった。徹底した性格だったのである。雄弁だったから、彼が褒めて句の解釈をすると、聞くものは思わず引き込まれて感嘆させられたという。

六厘がほめりゃとこぎりほめる也  作者未詳

川上日車は六厘坊の友人で、そのころは七厘坊と名乗っていた。二人は川柳の主義主張で争うことが多く、すぐに絶交する。それでも二三日すると七厘坊は陳列場に姿を見せ、再びもめて絶交を繰り返した。
川柳の句会は新町の光禅寺でも行われて、西田当百がここではじめて六厘坊と会って、その若さに驚いた思い出を書いている。
六厘坊は小島洋服陳列場に21歳までいたが、十合呉服店の向かい側に別家して洋服商を営んだが、病を得て22歳で亡くなった。夭折の天才川柳人であった。
六厘坊については「週刊俳句」(2010年3月7日)に「小島六厘坊物語」というタイトルで小説風の文章を書いたことがある。

【四貫島】
喜多一二(きた・かつじ、鶴彬の本名)が高松から大阪にやってきたのは1926年秋のことだった。17歳のときである。その翌年、彼は「北国新聞」に「大阪放浪詩抄」を発表している。長編の詩だが、その最初だけ引用する。

はじめて見た大阪の表情は
石炭坑夫の顔のやうに
くろずんでゐた
軽いつっそくをおぼえる空気の中に
あ、秋はすばやくしのびこみ
精神病者のごとき街路樹は
赤くみどりを去勢されてゐる

大阪では四貫島(しかんじま)の従兄宅に寄宿して、町工場で働いた。彼はそれ以前に田中五呂八の「氷原」に参加し、新興川柳の洗礼を受けていたが、実際の労働者としての体験は彼をプロレタリア川柳へと鍛え上げたことだろう。
かねてから四貫島へ行ってみたいと思っているが、JR西九条駅から路線を乗り換えねばならず、訪れる機会がない。四貫島といっても鶴彬の住んでいた場所もわからないことである。
大阪城には鶴彬の句碑が建立されている。彼が治安維持法違反で収監されていた大阪衛戍監獄の跡地である。

暁を抱いて闇にゐる蕾   鶴彬

【青蓮寺・岸本水府墓】
2013年3月に大阪・上本町で「第32回連句協会総会・全国大会」が開催されたときに、連句人の有志数名で上本町周辺の俳諧史跡を散策したことがある。生玉神社から口縄坂に向かう途中の青蓮寺に「岸本水府墓」の表示があるのを門前で発見して立ち寄った。この寺には竹田出雲墓もある。大阪の俳諧史跡についてはこの時評(2013年3月30日)にも書いておいた。水府で私の一番好きな句は次の作品。

壁がさみしいから逆立ちをする男  岸本水府

『はじめまして現代川柳』を編集しているときに、川上日車に「慰めか知らず逆立ちする男」の句があることに気づいた。日車は前衛川柳、水府は伝統川柳(本格川柳)という二分法では片づけられないと思った。
さて、道頓堀に初代・中村鴈治郎を詠んだ水府の有名な句碑がある。場所は今井の横である。

ほおかむりの中に日本一の顔  岸本水府

【相合橋北詰】
水府の句の連想で食満南北のことに触れておきたい。
食満南北(けま・なんぼく)は堺市の出身。鴈治郎の座付作者であり、水府の「番傘」にも深くかかわっている。相合橋北詰に歌舞伎の店を開いており、その二階を句会場にしていた。洒脱な人で「今死ぬと言うのにしゃれも言えもせず」という辞世を残している。相合橋北詰にある句碑は次の句である。

盛り場をむかしに戻すはしひとつ  食満南北

この句の橋は相合橋ではなくて、太左衛門橋のことである。道頓堀川に太左衛門橋が復活したとき詠まれた作品だという。

2021年3月19日金曜日

読書日記(コロナ禍の短歌と俳句)

3月×日
笹川諒の歌集『水の聖歌隊』(書肆侃侃房)を読む。2014年から2020年までの短歌を収録した第一歌集である。

椅子に深く、この世に浅く腰かける 何かこぼれる感じがあって  笹川諒

巻頭の一首で、読者をこの歌集の世界へといざなう作品になっている。椅子に深く腰かけることと浅く腰かけることは矛盾するようだが、あるデリケートな感覚を表現している。「椅子」は居場所のようなものだろうが、「深く」「浅く」が対比されているから、「この世」に対して次元の異なるもうひとつの世界があるのだろう。「あとがき」の言葉を使うと「言葉とこころ」「自己と他者」「現実と夢」ということになるが、夢や詩の世界には深く、現実の社会には浅く腰かける、というような単純なことでもないだろう。そこには「何かこぼれる感じ」があるので、それは比喩的には「水」のようなものかもしれないが、ズレや欠落感ではなくて、こぼれる感覚と言っている。それを言葉でとらえようとして、たとえば次のような歌がある。

この雪は僕らの原風景に降る雪と違ってたくましすぎる
触れるだけで涙をこぼす鳥たちを二人は色違いで飼っている
空想の街に一晩泊るのにあとすこしだけ語彙が足りない

笹川には「川柳スパイラル」8号にゲスト作品をお願いしたことがある。彼はこんな川柳を書いている。

世界痛がひどくて今日は休みます   笹川諒

3月×日
川野芽生の歌集『Lilith』(書肆侃侃房)を読む。ふだん読みなれている口語短歌ではなくて、文語・旧かなである。まず巻頭の「借景園」が魅力的だ。

羅の裾曳きてわが歩みつつ死者ならざればゆきどころなし  川野芽生
廃園にあらねど荒ぶれる庭よわれらを生きながら閉ぢ籠めて
夜の庭に茉莉花、とほき海に泡 ひとはひとりで溺れゆくもの

廃園の美かと思ったが、この庭は生きている。藤棚は折れ、取り壊されて、借景もすでに失われてはいるけれど、まだ生きているのだ。
初出は「鹿首」12号。この号には川柳から八上桐子が参加していたはずだ。
完成度の高い美意識の世界とは対照的に、第三章では世界の現実と切りむすぶ作品が収録されている。

さからはぬもののみ佳しと聞きゐたり季節は樹々を塗り籠めに来し
魔女を焼く火のくれなゐに樹々は立ちそのただなかにわれは往かなむ

あとがきには次のように書かれている。
「人は嘘を吐くことがある、とはじめて気付いたとき、深い衝撃を受けたのを覚えています。人間がつねに真実を語ると思っていたわけではなく、むしろその反対で、ただ言葉の臣たる人間がみずからの思惑に沿って言葉を捻じ曲げうるなどとは、思ってもみなかったのです」
「言葉はその臣たる人間に似すぎていて、あまりに卑俗で、醜悪で、愚かです。人間という軛を取り去ったとき、言葉が軽やかに高々と飛翔するのであればいいのに」
『Lilith』(リリス)というタイトルを選んだのだから、先鋭な作者にちがいない。もしこの人が川柳を書いたらどんな作品が生まれるのだろう。

3月×日
短歌誌「井泉」98号が届く。リレー小論のテーマは【日常の歌を考える―コロナ禍に何をみるか】で、棚木恒寿と加藤ユウ子が書いている。引用されている短歌作品がコロナ禍の日常詠として興味深いので、ここに挙げておく。

人生のどこにもコロナというように開花日の雪降らす東京  俵万智『未来のサイズ』
あちらでは突き飛ばされた人が今マスクひと箱かかげてをりぬ  池田はるみ『亀さんゐない』
団栗をもらふリスなり届きたるマスク二枚をてのひらに乗す  栗木京子「黄色い車体」
緊急事態宣言の夜にペヤングをクローゼットの隙間に詰める  笹公人「ごはんがたけたよ」
公園にブランコは濡れ藤も濡れだれもいなくてだれもいらない  遠藤由季「マツバウンラン」
もう充分に家籠りしを更にまた東京人われら家に籠れと  奥村晃作「冬から春へ」
疫病のふちどる暮らしいつ死ぬかわからないのはいつもでしたが 山階基「せーので」

俳句の場合はどうかというと、ちょうど「俳誌五七五」(編集発行人・高橋修宏)7号の編集後記・日々余滴に次のようなコロナ禍の俳句作品が挙げられている。

コロナ隠みヰルス籠りの春愁       高橋睦郎
コロナとは鸚鵡の独り言殖えて      柿本多映
ペスト黒死病コレラは虎列刺コロナは何と 宇多喜代子
ウイルスのはびこる星よ蚊柱よ      大木あまり
吸う息に合わせ餓死風(やませ)もウイルスも 高野ムツオ
松の内どこでマスクをはずすのか     池田澄子
地球ごとマスクで覆う春の暮       渡辺誠一郎
マスク三百使い捨てたる柚風呂かな    高山れおな

これらの作品例だけで、短歌と俳句の切り口の違いをどうこう言えるものではないが、眺めているといろいろ考える材料になるかもしれない。

3月×日
岡田一実の第四句集『光聴』(素粒社)を読む。まず第一句集から第三句集までを振り返っておくことにする。

『境界‐border‐』(マルコポ.コム)より
焚火かの兎を入れて愛しめり
はくれんの中身知りたし知らんでも良し
快楽とは蜂ふるへたる花の中

『小鳥』(マルコポ.コム)より
木よ人よ漣すぎるものたちよ
ことは秘密裏に沈丁花沈丁花
小鳥遥かに星をたのしむ

『記憶における沼とその他の存在』(青磁社)より
コスモスの根を思ふとき晴れてくる
鷹は首をねぢりきつたるとき鳩に
幻聴も春の嵐も臥せて聴く

今度の第四句集は「俳句らしい俳句」だなと思った。「あとがき」には「現場の理想化前の僅かな驚きを書き留めること、些末を恐れず分明判断を超えてものを見ること、形而下の経験的認識が普遍性に近づくその瞬間を捉えること、イメージを具象的言語表現で伝えることなどは山険しけれども古い方法ではなく、現代の俳句を切り開く方法の一つになり得ると思うようになりました」とある。作者の俳句観の変化・深化があったのだろう。「私の見方」から「ものの見えたるひかり」の方へシフトしているようだ。

夜光虫波引くときの一猛り
流れくる浮輪に子ども挿してあり
先ほどの茄子とは違ふ空の色
腹黄なるを見て翡翠を見失ふ

2021年3月12日金曜日

連歌三賢と七賢の間にて(梵燈庵主)

昨日3月11日は東日本大震災から10年の節目で、新聞やテレビでもさまざまに取り上げられた。この10年間に震災の川柳はいろいろ書かれたが、『はじめまして現代川柳』に掲載されている震災句を二句挙げておく。

きかんこんなんくいきのなかの「ん」 佐藤みさ子
春を待つ鬼を 瓦礫に探さねば    墨作二郎

前者は東日本大震災、後者は阪神淡路大震災である。いろいろ書こうと思って準備もしたのだが、震災の記憶に触れることは特に当事者の方にとっては痛みを新たにすることでもあり、ひかえることにした。だから、今回は関係のないことを書いてみる。

私は連句人なので連歌にはかかわらないようにしていたが、思うところがあって、今年は連歌集・連歌論をすこしずつ読んでいる。連歌集は『菟玖波集』『新撰菟玖波集』からはじめた。『菟玖波集』を編集した二条良基、あと救済・周阿を三賢と呼ぶ。『新撰菟玖波集』『竹林抄』などに掲載されている宗砌・平賢盛・心敬・行助・専順・智蘊・能阿が連歌七賢である。
三賢と七賢との間の時期には梵燈や今川了俊がいる。梵燈(梵燈庵主)は俗名、朝山小次郎。足利義満に仕え、連歌は二条良基・周阿に学んでいる。出家後、各地を漂泊、特に東国を旅したようだ。帰洛後の彼の連歌を「さがりたり」「下手なり」とする世評があった。それに対して、彼は「連歌は座になき時こそ連歌にて侍れ」と言ったと伝えられる(心敬『ささめごと』)。コロナ禍の現在、心に響く言葉ではないか。
さて、梵燈の連歌は京を離れて漂白しているあいだに駄目になったという評は、二条良基没後に一世を風靡した周阿の風に傾いた人たちの目から見たものとも言われる。ここで、救済・周阿・梵燈の連歌を簡単に見ておこう。

 おもへばいまぞかぎりなりけり
雨に散る花の夕の山おろし   救済

まず救済だが、「限りの別れ」(最後の別れ)という前句に、雨に散る飛花を付けている。雨と嵐によって最後の花となる。

 罪のむくいはさもあらばあれ
月残る狩場の雪の朝ぼらけ   救済

「罪の報いはどうであっても」という付けにくい前句に、西の山の端にかかる残月と雪の朝という風景を付けている。狩は鷹狩で、前句は鷹匠の心境ということになる。前句の心に対して付句は景であり、景を付けることによって前句の心をひきたてているともいえる。表現に技巧のあとがなく、前句の述懐を鮮明に情景化している。
では周阿の連歌とはどのようなものだったか。

 法に入るこそ心なりけれ
弓とりは馬の口をも引きつべし   周阿

仏法に入ることこそ誠の心なのだという前句から、法(のり)→乗り→馬の連想から、武士は主人のために馬の口をとって導かなければならない、と付けたもの。

物ごとにこゝろにかなふ時なれや
 月に雲なし花にかぜなし     周阿

物事が自分の意のままにかなう時だよという前句に対して、具体的に月に雲がない様子、花が風に散らない様子を付けたもの。
このような付句が周阿の連歌で、救済以後、一世を風靡した。現代の目からは救済との違いが分かりにくいが、「意表をつく作意、趣向と機智をてらい、秀句縁語を尽した作風は救済とは対照的」(日本古典文学大系『連歌集』)などと評される。心が主か詞(言葉)が主かという議論で言えば、救済は心主詞従、周阿は詞主心従だろう。
さて、梵燈庵は周阿の句風を継ぐと言われ、けっこう批判も多い。
「燈庵主の句、前句の心をば忘れ、唯わが句のみ面白くかざりたて、前句の眼をば失へり。其比より諸人偏(ひとへ)に前の句の心をば尋ねず、ただ並べ置き侍ると見えたり」(心敬『所々返答』)
燈庵主とは梵燈庵主のこと。現代連句でも争点になることが連歌の時代から言われていることがわかる。前句に付くということと転じることのせめぎあい、連句であることと一句独立の欲求との二律背反は連俳史のなかでダイナミックに繰り返されてきた。

 竹ある窓にちかき秋風
おき明す臥待月をひとり見て  梵燈

起きる・臥すの縁語を用い、一句の趣向が前面に出ている。ただ梵燈にしても、連歌の要諦は知悉していたはずで、そのことは彼の次のような言葉が示している。
「連歌の前の句は歌の題の如し。されば歌に題あり、連歌に前の句あり。歌を如何に読まんと思ふとも、題を悪しく心得つれば、僻事(ひがごと)多して歌にあらず。連歌も前の句を付べき様、不分別しては連歌にあらず」(梵燈庵主『長短抄』)
梵燈庵主は三賢と七賢の橋渡しをする存在として興味深く、次の宗祇の時代へとつながってゆく。
最後に神西清の小説『雪の宿り』の一節を紹介しておこう。主人公は連歌師で、松島アンズさんの「老虎亭通信・イキテク」27号でこの小説の存在を知ることができた。

「うっかり転害門を見過ごしそうになって、連歌師貞阿ははたと足をとめた。別にほかのことを考えていたのでもない。ただ、たそがれかけた空までも一面の雪に罩こめられているので、ちょっとこの門の見わけがつかなかったのである。入込んだ妻飾のあたりが黒々と残っているだけである。少しでも早い道をと歌姫越えをして、思わぬ深い雪に却って手間どった貞阿は、単調な長い佐保路をいそぎながら、この門をくぐろうか、くぐらずに右へ折れようかと、道々決し兼ねていたのである」