2016年10月28日金曜日

俳句らしさ、川柳らしさ

「第10回船団フォーラム」が10月23日(日)に伊丹市立図書館(ことば蔵)で開催され、私は第一部のパネラーとして参加した。
伊丹の柿衞文庫には何度も行っているが、図書館ははじめてで、開催までの時間に館内を見て歩いた。閲覧室の詩歌コーナーには川柳関係の本も何冊かあり、先進的な取り組みをしている図書館のようだ。「タイトルだけで作家デビュー」の展示があって、自分で考えた架空の本のタイトルだけが1000枚近く壁に掲示してあるのがおもしろかった。

この日のフォーラムのテーマは「激突する!五七五 俳句VS川柳」で70名を超える参加者。川柳人の方が少し多かったようだ。
第一部はディスカッション「俳句らしさ、川柳らしさ」。パネラーは俳句側から塩見恵介・山本たくや、川柳側から芳賀博子・小池正博。
「俳句と川柳」についてはこれまでにもしばしば論じられてきたが、私の感想では実りや成果があったという話は聞いたことがない。「俳句らしさ」「川柳らしさ」を「俳句性」「川柳性」ととらえると、そのような区別は曖昧であり、有効ではなくなってしまう。実際、この日に四人が挙げた句を見てもあまり区別はないように感じられた。
もちろん、伝統俳句と伝統川柳とを比較すると違いが出てくるが、先端的な俳句と川柳とを比べてみても明確な違いは出てこない。それを無理に区別しようとすると、川柳性とは「うがち」だというような狭い川柳論になってしまう。これまでの柳俳異同論が有効ではなかったのは「規範」を求めてきたからだ。
しかし、個々の作品を見ると「俳句のてざわり」「川柳のてざわり」(感触)というものは感じられる。
歴史的にみると俳句と川柳は発生の違いがあって、発句が独立した俳句と、前句付の前句を省略して成立した川柳とはそれぞれの表現領域を拡大しながら今日に至っている。だから、「いま」の時点で共時的に見ると違いは明確ではない。「取合せ」と「前句からの飛躍」は結果的に区別がつかないのだ。
従って、ディスカッションに臨む私のスタンスは、「激突」はしないというものになった。
芳賀博子には私とは異なる意見・立場があったことだろう。「激突」した方が対立軸が明確になって面白いのだが、私は気がすすまなかった。
けれども、話し合っているうちに分かってきたことも多い。
私が現代川柳の代表句として挙げたのは次の五句である。

ひなまつり力道山は黒ぱっち       石田柊馬
見たことのない猫がいる枕元       石部明
もうひとり落ちてくるまで穴はたいくつ  広瀬ちえみ
どうせ煮られるなら視聴者参加型     兵頭全郎
都合よく転校生は蟻まみれ        小池正博

「ひなまつり」の句に私が「川柳らしさ」を感じるのは「は」の使い方である。
「母親はもったいないがだましよい」という古川柳の問答体の遠い響きを感じるのだ。

ひなまつり力道山は黒ぱっち(川柳)
ひなまつり力道山の黒ぱっち(俳句)

けれども、俳人は「力道山の」とする、という。取合せ・配合の句となって、俳句のかたちになるのだろう。

もうひとつ落ちてくるまで穴はたいくつ(川柳)
もうひとつ落ちてくるまで秋の穴(俳句)

「穴はたいくつ」と言うのが川柳であり、そこが川柳のおもしろさになる。
けれども、こういう比較、改作にはあまり意味がないだろう。
すぐれた川柳とすぐれた俳句とを並べてみることにこそ意味はある。

第二部の句会ライブ、第三部の坪内稔典と木本朱夏との対談についてはここでは報告を省略する。
全体を通していろいろ考えるところがあった。攻めるべきところ、守るべきところがいろいろあると思ったが、今後の課題となる。
気になったのは塩見恵介が挙げていた次の句。

「この雪は俺が降らせた」「田中すげぇ」 吉田愛

現代歌人集会2014年(神戸)でも話題になった句で、ネットでも言及されたので私も記憶にあった。この作者はその後どうしているのか気になったが、俳句フィールドからは消えてしまったらしい。残念なことである。

2016年10月21日金曜日

詩集・歌集・句集逍遥

宇宙。「吉田、金返せ」「ない。」「……なら、仕方ない」宇宙。   斉藤斎藤

歌集『人の道、死ぬと町』(短歌研究社)から。
2004年から2015年までの作品が収録されている。単独作、連作、詞書+短歌、文章など、さまざまなスタイルの作品がちりばめられていて退屈しない。短歌もいいな、と改めて感じる。

駅の人混みに紛れ込むと
すれ違う人みんなが
サヨリを
心の中に飼っているように
つんつん つんつん突いてくる

壺阪輝代詩集『けろけろ と』(土曜美術社)。「サヨリ」から。
「心」というテーマで書かれた詩が収録されている。
壺阪さんとは「第1回BSおかやま川柳大会」お目にかかった。彼女は『セレクション柳人・石部明集』の解説を書いていて、石部さんとのつながりでその日の選者もされていた。
懇親会で隣になったときに、連句の話になった。私が前句と付句との関係を話すと、壺阪さんは「それは詩で言えば連と連との関係になりますね」とおっしゃった。
それ以来、詩誌「ネビューラ」を送っていただいている。

鳥の巣に肩やはらかくして入る    岡野泰輔
赤ん坊花より遠いものを見て
夏暁のここにコップがあると思へ
小鳥来るあゝその窓に意味はない
初夢になんであなたが出てくるか

岡野泰輔句集『なめらかな世界の肉』(ふらんす堂)。
調べてみると、私は『俳コレ』を読んだときにこの作者の「いちばんのきれいなときを蛇でゐる」「プールまで二列に並ぶ不吉なり」「その橋を叩く菫と名をつけて」などの句にチェックを入れていた。読んでいて言葉の感覚がとてもぴったりしていて心地よい。

数の子さくさく人間関係が壊れ   瀬戸正洋
人は人を嫌ひて焼酎へ炭酸
夏の雨職場へ行きたくないと思ふ
虫売の祖国も売ってしまひけり
短日や胸ぐらつかまれてゐる姿勢

瀬戸正洋句集『へらへらと生まれ胃薬風邪薬』(邑書林)。
タイトルがユニークだし、句意もよくわかっておもしろい。
ただ、1ページ1句というのがかえって読みづらかった。

「この自販機は私、荒木が真心をこめて右手で補充しました」   斉藤斎藤

「荒木と真心」というタイトルで二首並べられているうちの一首。
固有名詞を使った歌がときどき出てくる。
「君との暮らしがはじまるだろう(仮)」では青木さん。

清談の酒家点在す梅花村     九里順子
わたくしの胸の振子は桃柳
山水を懐胎させて二人かな
滝はまた雲気となりて白き山羊
爽籟に書を読むここは白鹿洞

九里順子句集『風景』(邑書林)。
俳句フィールドの周縁ではなくてセンターで書かれているという印象の句集。
掲出句は「キッチュ山水」の章から。山水画をモチーフにして、いかにも山水画っぽい仕立てで作られている。

樹の精と身は濡れて立つ朝の斧      中川一
扉はいつか枯れ野へひらくマタイ伝
ひまわりふえる 少女のままの飼育箱
銀河から一筋ずれる坂の咳
約束の時間が過ぎる薔薇の岸

川柳句集も紹介しよう。
中川一(なかがわ・はじめ)句集『蒼より遠く』(新葉館)。
「祖国」「父」「母」「私そして旅」「妻そして家族」「師そして友」というテーマで章立てされている。こういう大時代的なやり方は現在の大勢とは逆行するが、作者もそのことに自覚的で、次のように書いている。
「言葉から発想するこの時代に、あえてこのような章分けをするのは、椙元紋太、房川素生、大山竹二、鈴木九葉、泉淳夫ほかの諸師が〝川柳は人間〟であり、だからこそ〝こころ〟、〝おもい〟を詠むと信じるからである」
私の川柳観とは異なるが、ひとつの川柳観に殉じるという点には敬意を表する。
句集に掲載されている作品も泉淳夫の系譜を受け継ぐものだろう。
   如月の街 まぼろしの鶴吹かれ  泉淳夫
中川には川柳研究者としての仕事もあり、句集に収録されている「泉淳夫ノート」「天才児 小島六厘坊」は貴重な労作である。

喉の奥から父方の鹿 顔を出す  岩田多佳子
びしびしと輪ゴム飛ばしている発芽
虫ピンでとめるカーストの胸びれ
押さないで軟体動物通ります
寝ている水に声を掛けてはいけません

川柳句集をもう一冊。岩田多佳子句集『ステンレスの木』(あざみエージェント)。
岩田とは川柳句会でよく顔をあわせて、手練れの句を作るという印象があったが、こうして句集にまとめられると彼女の実力がはっきりと立上ってくる。やはり句集というものは必要だと思う。
川柳をはじめて12年。その間に作った2000句を500句まで絞り、そこから前田一石の選によって300句を句集にしたという。そういう作業によって一句一句の前で立ち止まって読める句集に仕上がっている。柳本々々の解説付き。

できることなら自分と結婚したかったと嫁が何やら得意げに言う   斉藤斎藤

2016年10月15日土曜日

「短詩型文学の集い」レポート

10月10日、「短詩型文学の集い―連句への誘い」が大阪上本町・たかつガーデンで開催された。このイベントは「浪速の芭蕉祭」が10年目の節目を迎えたのにちなんで、その関連行事として実施されたもので、大阪天満宮の連句講・鷽の会(うそのかい)主催、俳諧寒菊堂連句振興基金の後援による。「連句人だけではなく、歌人・俳人・川柳人も含めて、短詩型文学に関心のある方々のご参加をお待ちしています」と呼びかけたが、当日30名程度の参加があり、その約半数が連句人、俳人が7名、あと川柳人と歌人が数名であった。短詩型文学は相互に関連しているから、どの入口から入ってもつながっており、隣接ジャンルのことを視野に入れておかなくてはいけないと私は思っているが、イベントの趣旨が拡散して焦点のぼやけた集まりになったのかもしれない。

会場には連句関連の本を展示し、句集の販売も行った。また、フリーペーパー・コーナーを設けて持ち帰り自由とした。展示した連句本の主なものを挙げると―

「夏の日」(東明雅)「芦丈翁俳諧聞書」(根津芦丈) 「落落鈔」(高橋玄一郎)「連句の魅力」(岡本春人)「連句をさぐる」(近松寿子)「蕉風連句の原点」(三好龍肝)「連句実作への道」(今泉宇涯)「連句歳時記」(阿片瓢郎)「橋閒石俳諧余談」(橋閒石)「俳諧手引」(高浜年尾)「連句恋々」(矢崎藍) 「超連句入門」(浅沼璞)「雪は昔も」(別所真紀子)「吉岡梅游連句俳句自選集」「連句辞典」「浪速の芭蕉祭入選作品集」「とよた連句まつり作品集」など、連句人以外の一般の人の目には触れにくい本も多い。
フリペでは月胡(毎野厚美)の連句漫画「両吟半歌仙・林檎の巻」が好評だった。

展示解説はパワーポイントを使い、「連句入門」では「打越」「付けと転じ」「三句の渡り」などの連句の要諦を解説した。
「現代連句への道」では子規の連俳否定論と虚子の連句肯定論、虚子につながる新派の連句を振り返り、これに対する旧派の連句や柳田国男などの民俗学系の連句などについて話した。1981年に「連句懇話会」が発足し、1988年に「連句協会」に改組、現在は「日本連句協会」となっている。現代の連句人の活動や連句諸形式についても触れた。

会場のある上本町付近には俳諧史跡が多い。昼の休憩時間に四ッ谷龍さんを案内して西鶴の墓がある誓願寺に行った。西鶴墓も以前に比べるとずいぶんきれいに整備されている。

午後の部では、まず「雑俳と付合文芸」について。
「関係性の文学」という視点から、私は雑俳に興味を持っている。近世雑俳から近代雑俳への流れのなかで代表的なものを紹介した。ご存じの方も多いだろうが、近代雑俳からいくつか挙げておきたい。

羊飼い まさか俺が狼とは  久佐太郎 (冠句)
指の股からのぞく嘘泣き   清阿弥 (淡路雑俳・二つ折・七七形式)
広い/地球を包む空色の風呂敷  土佐狂句(七五四)
やせたなア あの人の夢見るどたい  肥後狂句
木強漢刀ん先端で髭を剃っ(ぼっけもんかっなんさっでひげをそっ)  薩摩狂句
甘党は ようかんがえて 置く碁石  島谷吾六 (段駄羅)

言葉と言葉の関係性、笠題(冠句の題)と連句の前句の共通性、前句・付句の二句の関係性を五七五一句の中で実現する可能性など、いろいろ示唆を与えるところがありそうだ。
いよいよメインとなる四ッ谷龍との対談に入る。参加者の方々もこの時間帯を目当てに集まってこられたようである。
四ッ谷さんに出演を依頼した時点では句集発行のことは何も知らなかったが、タイミングよく句集『夢想の大地におがたまの花が降る』が上梓されたので、自然、この句集についての話が中心になった。
まずパワポで「おがたまの花」を紹介する。「おがたま」は漢字では小賀玉、招霊などと書き、神楽鈴はおがたまをかたどっているらしい。一円硬貨の図案もおがたまの木だと言われる。京都の白峯神社や熊野の速玉大社の樹が有名だが、東京では皇居の外苑でも見られ、大阪では私市の植物園や長居植物園にもあるそうだ。こういう花だから鎮魂の意味が込められているのだろう。

連作俳句について、四ッ谷は「連作は現代俳句では否定的に見られることが多かったが、最近では関悦史の『六十億本の回転する曲がった棒』など連作を試みる人が出てきた」と述べ、今度の句集から「枯野人」と「なんばんぎせる」の連作を挙げた。「枯野人」の方は上五または下五で使われているのに対して、「なんばんぎせる」の方は中七を固定して使われていて、「なにぬねの」を使った連作のひとつだ。雑誌に発表したときは評判がよくなかったそうだ。なぜ「なにぬねの」なのかという私の質問には、「さしすせそ」や「らりるれろ」ではバカバカしい感じが出ないということだった。さらに、私がもっとも聞きたかったのは、この「なんばんぎせる」が入っている章が「言語の学習」というタイトルになっている理由である。震災の連作と「なにぬねの」連作が交互に配置されているのはなぜなのだろう。

四ッ谷はなぜ「いわきへ」行ったのかというところから始めた。震災後、いわきに人が来なくなったので、危機感をもった地元の方が俳人に声をかけてツアーを呼びかけた。現地を見ないといけないと思ったが、そこで俳句を作るかどうかは決めていなかったという。ツアーに参加した俳人の一人が俳句を作りはじめ、他の俳人たちも緊張感のなかで作句した。現地のひとたちのもてなしをうけるなかで、単に「ありがとう」と言うだけではすまないと感じたようだ。その間の状況について俳句創作集『いわきへ』では次のように述べられている。
「われわれは、かならずしも現地で俳句を作ろうと思ってこの旅に参加したわけではありませんでした。被災地を題材にして俳句を制作するというようなことは、むしろ非常にむずかしいのではないかと、考えていたかもしれません。しかし、昼に被災地を自分たちの目で見て、その夜さまざまに語らう中で、参加者の一人が、『俳句を作ろう、お互いが作った句を交換しあおう』と提案したとき、それはやるべきことだと、全員が感じました」

その上で、なぜ「なんばんぎせる」などの句群と交互にしたかについて、彼はこんなふうに語った。いわきで作った句だけを並べると、いわゆる「震災句集」的ないやらしさが出てくる。俳人は善人づらをしてはいけない。そこで普通に並べるのではなくて何かをしなければいけない。被災地にゆくと言ってはいけないことがある。悲しみに声をあげるというようなことは、よそから来た者が言ってはいけない。だから震災地で創る俳句というのは、地雷をよけながら進んでゆくようなもの。逆に「なんばんぎせる」の句は言葉の縛りがある。表裏の関係だが、ある制約のなかで俳句を作っているという意味では共通性があることに気がついた。

そういう意味で、震災という事態を目の前にしたときに、俳句をつくるという行為は「言語の学習」だったのである。

小津夜景はブログでこんなふうに書いている。
「四ッ谷は〈夢想の大地〉という異界を桃ならぬおがたまの花に託して描いた。そしてそのとき芥川龍之介と(そしておそらく多くの俳人と)決定的に違ったのは、別天地の活写を神話的文脈におもねらず、その代わりに数学用語をつかって成したことだ」
小津の言うように、句集の最後の章には数学用語が出てくるし、ちょうど「数学俳句」のイベントが数日前に開催されたばかりだったので、俳句と数学の関係についても聞いてみた。彼はルービックキューブを使って説明してくれたが、ここでは詳細は省略する。
四ッ谷の話のなかで出てきた若手俳人は鴇田智哉、北大路翼などであり、四ッ谷自身の代表作は何かという会場からの質問に対しては「遠くから人還り来るまむし草」を挙げた。そのほかにも興味深い話が多かったが、長くなるので切り上げておく。
対談中に話題にのぼった鴇田智哉や宮本佳世乃などが参加している俳誌「オルガン」次号では、浅沼璞をゲストに連句が話題になっているそうなので、これも楽しみだ。

最後に「連句ワークショップ」として、橋閒石の句を発句として非懐紙連句の最初の六句を巻いてみた。会場から付句を募集して、プロジェクターで句案をスクリーンに映しながら付け進めていった。連句の実況中継というおもむきで、今までにも行ったことがあるが、今回は連句人も多く、俳人・歌人も手練れの方々なので、付句がどんどん出てスムーズに進行した。

白露や老子の牛の盗まれて       閒石
 揺れるともなく揺れる秋草      正博
もう歩けないならおんぶしてあげる   知昭
 超過勤務に光ひとすじ        ともこ
氷結の噴水を割る斧一閃        龍
ネックウォーマーレッグウォーマー   みどり

会場を一日使えたので、連句本の展示、フリマ、連句入門、近代連句史、連句と短詩型諸ジャンルとの関係、対談、ワークショップと、私のやってみたかったアイデアはほぼ出し尽くすことができた。フリマといっても「浪速の芭蕉祭」と四ッ谷さんの本だけで他に出店はなかったし、フリーペーパー・フリーマガジンもあまり集まらず、イベントとして成功したかどうかには疑問もあるが、参加者の中には一日を通して聴いていただいた方もいたのは嬉しかった。私が頭の中で考えたことであっても、現実化するとどんな結果になるのか分からない。何もしないよりは実施してみてよかったのかなと思っている。

2016年10月7日金曜日

文フリ・国文祭奈良・篠山

このところイベントが続いていて、ゆっくり川柳作品を書く時間がとれない。時間があればいい句が書けるというものでもないが、「実作」と「川柳発信の場づくり」とのバランスをとることは必要なのだろう。このごろよく頭に浮かぶのはキュレーターという言葉である。川柳の発信がひとつのシステムとして軌道に乗るためには、役割の分担が必要となる。以前はクリエーターとプロデューサーくらいの分け方で、川柳作品を書く人がいて、それを掲載する同人誌や結社誌を編集する人がいる、くらいのことで片がついていた。編集はけっこうエネルギーのいる仕事なので、作品を書きながら編集をするのは負担が大きく、クリエーターとプロデューサーを兼ねたりすると体調を崩したりする。役割分担が必要なのだが、川柳の場合はそんなことも言っていられない。
美術館にはよく行くのだが、美術展を企画し、企画したコンセプトに基づいて出品作品をリストアップして所蔵者と出品交渉をする学芸員の役割は重要だ。何をどう並べるかによって、常識を超える新しい視点が生まれたりする。そのような企画者をキュレーターと呼ぶらしい。キュレーターは単なる学芸員というより美術の新しい動向を生み出す創造者となる。文学の領域でも「編集者・漱石」というような視点や、編集そのものが創造なのだという考え方が生まれている。
たとえ規模は小さくても、同じようなことを川柳や連句でできないか、というようなことを考えたりする。私はいつから大風呂敷を広げるようになったのだろう。

9月18日、「第四回文学フリマ大阪」が堺市産業振興センターで開催された。最寄駅の中百舌鳥へは自宅から電車一本で30分もかからずに行けるので便利である。開場には午前10時過ぎに到着。出店するのは昨年に続き二回目なので、要領はわかっている。
私は2013年の第一回大阪開催のときに「文フリ」というものをはじめて体験してカルチャーショックを受けた。文学表現を発信する人、それを受容して購読する若い世代の人たちが世の中にはこんなにいるのだという驚きであった。ブースに置かれている冊子・フリーペーパーは、ふだん見慣れている川柳誌とは何と異なっていたことだろう。
短詩型では短歌の出店が多く、俳句がそれに続いている。残念ながら川柳の出店がなかったので、第二回文フリ大阪のときに申し込んでみたのだが、メールに不慣れなため出店申し込みが完了していなかった。第三回のときは失敗せずに出店することができて、「川柳界から唯一の出店」と虚勢を張ってみた。今年は文フリの雰囲気もよく分かり、落ち着いて営業することができたが、相変わらず残念なのは来場者の中に川柳人の姿がほとんど見られないことである。文フリは大多数の川柳人とは無縁であり、川柳発信の場とはとらえられていないということだろう。売れる・売れないは別として、川柳発信のひとつの場と考えないと経済利益上意味のないことになってしまう。
来年の1月22日には京都市勧業館「みやこめっせ」で文フリが開催されることになっていて、私も出店を予定しているが、状況が少しでも変わればいいと思っている。

10月1日は奈良県文化会館で「国民文化祭なら」連句の祭典のプレ大会が開催され、80数名の連句人が参加した。今年の「国文祭あいち(連句)」は10月30日に熱田神宮で開催されるが、来年は奈良である。そのプレ大会として行われたもので、「奈良県大芸術祭」の一環として参加。
近藤蕉肝(成蹊大学名誉教授)の講演「連句と神仏」は奈良と連句の関わりを歴史的に解説するだけでなく、国際的な視点から連句の重要性を指摘するものだった。近藤は山田孝雄の俳諧文法とチョムスキーの生成文法から普遍俳諧文法を着想。アメリカ留学中にジョン・ケイジと接触、ケイジと『RENGA』について話し合った。さらに、オクタビオ・パスの『RENGA』にも注目し、現在はパースの記号学と空海の密教理論を結び付けた普遍俳諧大系を模索している。近藤は国際連句や連句パフォーマンスの活動でも知られ、10月9日の「浪速の芭蕉祭」(大阪天満宮)でも国際連句の座を受けもつことになっている。
講演のあとは25座に分かれて連句実作が行われた。私の参加した座では小川廣男捌きで歌仙を巻きあげた。

10月2日は篠山で開催の「俳句と美術のコラボ展」の最終日。川柳人4名で見に行った。
JR新三田駅から小倉喜郎さんの車で会場へ。会場は小倉さんの母校だった篠山市後川(しずかわ)小学校である。
この展覧会は2年前から会合を重ね、制作・準備をして作り上げられたものだという。ふつう俳句と美術のコラボレーションといっても、俳句作品に絵を付けたり、美術作品を見て俳句を作るという程度のことだろうが、そういうものにはしたくないという主催者たちの強いこだわりがあって、異質のジャンルの表現者どうしのぶつかり合いの果てに生れた独自のアートになっている。したがって、俳人とアーティストがそれぞれ自己完結した作品を出して取り合わせるのではなくて、創造過程で葛藤や相互刺激が生まれることになる。場合によっては作品が完成せずに終わってしまったり、コラボするはずの相手が替わってしまうこともある。案内パンフには次のように書かれている。

○モノと言葉 モノと言葉を郵送し繋いでいき、それを時系列に展示する。
○場所と俳句 特定の場所からイメージされる象徴的な像を具体化する。
○俳句と俳画をライブで行う。
○俳句と映像のコラボ。
○俳人と音楽家による即興セッション。
○俳句とインタラクティブな装置とのコラボ。
○後川の情景をガラス絵と俳句で表現し、カルタも作成する。

具他的な作品についてはすでにネットでも紹介がでているし、言葉ではなかなか伝えづらいが、とても刺激的だった。
さて、同じようなことが川柳でもできるだろうか。川柳とアートとのコラボはありうるだろうか。それは促成栽培ではとてもかなえられないことであり、二人の異質な表現者が時間をかけて熟成させることによってはじめてかなうことである。この展覧会を見ながら、そういうことを強く感じた。