2016年10月15日土曜日

「短詩型文学の集い」レポート

10月10日、「短詩型文学の集い―連句への誘い」が大阪上本町・たかつガーデンで開催された。このイベントは「浪速の芭蕉祭」が10年目の節目を迎えたのにちなんで、その関連行事として実施されたもので、大阪天満宮の連句講・鷽の会(うそのかい)主催、俳諧寒菊堂連句振興基金の後援による。「連句人だけではなく、歌人・俳人・川柳人も含めて、短詩型文学に関心のある方々のご参加をお待ちしています」と呼びかけたが、当日30名程度の参加があり、その約半数が連句人、俳人が7名、あと川柳人と歌人が数名であった。短詩型文学は相互に関連しているから、どの入口から入ってもつながっており、隣接ジャンルのことを視野に入れておかなくてはいけないと私は思っているが、イベントの趣旨が拡散して焦点のぼやけた集まりになったのかもしれない。

会場には連句関連の本を展示し、句集の販売も行った。また、フリーペーパー・コーナーを設けて持ち帰り自由とした。展示した連句本の主なものを挙げると―

「夏の日」(東明雅)「芦丈翁俳諧聞書」(根津芦丈) 「落落鈔」(高橋玄一郎)「連句の魅力」(岡本春人)「連句をさぐる」(近松寿子)「蕉風連句の原点」(三好龍肝)「連句実作への道」(今泉宇涯)「連句歳時記」(阿片瓢郎)「橋閒石俳諧余談」(橋閒石)「俳諧手引」(高浜年尾)「連句恋々」(矢崎藍) 「超連句入門」(浅沼璞)「雪は昔も」(別所真紀子)「吉岡梅游連句俳句自選集」「連句辞典」「浪速の芭蕉祭入選作品集」「とよた連句まつり作品集」など、連句人以外の一般の人の目には触れにくい本も多い。
フリペでは月胡(毎野厚美)の連句漫画「両吟半歌仙・林檎の巻」が好評だった。

展示解説はパワーポイントを使い、「連句入門」では「打越」「付けと転じ」「三句の渡り」などの連句の要諦を解説した。
「現代連句への道」では子規の連俳否定論と虚子の連句肯定論、虚子につながる新派の連句を振り返り、これに対する旧派の連句や柳田国男などの民俗学系の連句などについて話した。1981年に「連句懇話会」が発足し、1988年に「連句協会」に改組、現在は「日本連句協会」となっている。現代の連句人の活動や連句諸形式についても触れた。

会場のある上本町付近には俳諧史跡が多い。昼の休憩時間に四ッ谷龍さんを案内して西鶴の墓がある誓願寺に行った。西鶴墓も以前に比べるとずいぶんきれいに整備されている。

午後の部では、まず「雑俳と付合文芸」について。
「関係性の文学」という視点から、私は雑俳に興味を持っている。近世雑俳から近代雑俳への流れのなかで代表的なものを紹介した。ご存じの方も多いだろうが、近代雑俳からいくつか挙げておきたい。

羊飼い まさか俺が狼とは  久佐太郎 (冠句)
指の股からのぞく嘘泣き   清阿弥 (淡路雑俳・二つ折・七七形式)
広い/地球を包む空色の風呂敷  土佐狂句(七五四)
やせたなア あの人の夢見るどたい  肥後狂句
木強漢刀ん先端で髭を剃っ(ぼっけもんかっなんさっでひげをそっ)  薩摩狂句
甘党は ようかんがえて 置く碁石  島谷吾六 (段駄羅)

言葉と言葉の関係性、笠題(冠句の題)と連句の前句の共通性、前句・付句の二句の関係性を五七五一句の中で実現する可能性など、いろいろ示唆を与えるところがありそうだ。
いよいよメインとなる四ッ谷龍との対談に入る。参加者の方々もこの時間帯を目当てに集まってこられたようである。
四ッ谷さんに出演を依頼した時点では句集発行のことは何も知らなかったが、タイミングよく句集『夢想の大地におがたまの花が降る』が上梓されたので、自然、この句集についての話が中心になった。
まずパワポで「おがたまの花」を紹介する。「おがたま」は漢字では小賀玉、招霊などと書き、神楽鈴はおがたまをかたどっているらしい。一円硬貨の図案もおがたまの木だと言われる。京都の白峯神社や熊野の速玉大社の樹が有名だが、東京では皇居の外苑でも見られ、大阪では私市の植物園や長居植物園にもあるそうだ。こういう花だから鎮魂の意味が込められているのだろう。

連作俳句について、四ッ谷は「連作は現代俳句では否定的に見られることが多かったが、最近では関悦史の『六十億本の回転する曲がった棒』など連作を試みる人が出てきた」と述べ、今度の句集から「枯野人」と「なんばんぎせる」の連作を挙げた。「枯野人」の方は上五または下五で使われているのに対して、「なんばんぎせる」の方は中七を固定して使われていて、「なにぬねの」を使った連作のひとつだ。雑誌に発表したときは評判がよくなかったそうだ。なぜ「なにぬねの」なのかという私の質問には、「さしすせそ」や「らりるれろ」ではバカバカしい感じが出ないということだった。さらに、私がもっとも聞きたかったのは、この「なんばんぎせる」が入っている章が「言語の学習」というタイトルになっている理由である。震災の連作と「なにぬねの」連作が交互に配置されているのはなぜなのだろう。

四ッ谷はなぜ「いわきへ」行ったのかというところから始めた。震災後、いわきに人が来なくなったので、危機感をもった地元の方が俳人に声をかけてツアーを呼びかけた。現地を見ないといけないと思ったが、そこで俳句を作るかどうかは決めていなかったという。ツアーに参加した俳人の一人が俳句を作りはじめ、他の俳人たちも緊張感のなかで作句した。現地のひとたちのもてなしをうけるなかで、単に「ありがとう」と言うだけではすまないと感じたようだ。その間の状況について俳句創作集『いわきへ』では次のように述べられている。
「われわれは、かならずしも現地で俳句を作ろうと思ってこの旅に参加したわけではありませんでした。被災地を題材にして俳句を制作するというようなことは、むしろ非常にむずかしいのではないかと、考えていたかもしれません。しかし、昼に被災地を自分たちの目で見て、その夜さまざまに語らう中で、参加者の一人が、『俳句を作ろう、お互いが作った句を交換しあおう』と提案したとき、それはやるべきことだと、全員が感じました」

その上で、なぜ「なんばんぎせる」などの句群と交互にしたかについて、彼はこんなふうに語った。いわきで作った句だけを並べると、いわゆる「震災句集」的ないやらしさが出てくる。俳人は善人づらをしてはいけない。そこで普通に並べるのではなくて何かをしなければいけない。被災地にゆくと言ってはいけないことがある。悲しみに声をあげるというようなことは、よそから来た者が言ってはいけない。だから震災地で創る俳句というのは、地雷をよけながら進んでゆくようなもの。逆に「なんばんぎせる」の句は言葉の縛りがある。表裏の関係だが、ある制約のなかで俳句を作っているという意味では共通性があることに気がついた。

そういう意味で、震災という事態を目の前にしたときに、俳句をつくるという行為は「言語の学習」だったのである。

小津夜景はブログでこんなふうに書いている。
「四ッ谷は〈夢想の大地〉という異界を桃ならぬおがたまの花に託して描いた。そしてそのとき芥川龍之介と(そしておそらく多くの俳人と)決定的に違ったのは、別天地の活写を神話的文脈におもねらず、その代わりに数学用語をつかって成したことだ」
小津の言うように、句集の最後の章には数学用語が出てくるし、ちょうど「数学俳句」のイベントが数日前に開催されたばかりだったので、俳句と数学の関係についても聞いてみた。彼はルービックキューブを使って説明してくれたが、ここでは詳細は省略する。
四ッ谷の話のなかで出てきた若手俳人は鴇田智哉、北大路翼などであり、四ッ谷自身の代表作は何かという会場からの質問に対しては「遠くから人還り来るまむし草」を挙げた。そのほかにも興味深い話が多かったが、長くなるので切り上げておく。
対談中に話題にのぼった鴇田智哉や宮本佳世乃などが参加している俳誌「オルガン」次号では、浅沼璞をゲストに連句が話題になっているそうなので、これも楽しみだ。

最後に「連句ワークショップ」として、橋閒石の句を発句として非懐紙連句の最初の六句を巻いてみた。会場から付句を募集して、プロジェクターで句案をスクリーンに映しながら付け進めていった。連句の実況中継というおもむきで、今までにも行ったことがあるが、今回は連句人も多く、俳人・歌人も手練れの方々なので、付句がどんどん出てスムーズに進行した。

白露や老子の牛の盗まれて       閒石
 揺れるともなく揺れる秋草      正博
もう歩けないならおんぶしてあげる   知昭
 超過勤務に光ひとすじ        ともこ
氷結の噴水を割る斧一閃        龍
ネックウォーマーレッグウォーマー   みどり

会場を一日使えたので、連句本の展示、フリマ、連句入門、近代連句史、連句と短詩型諸ジャンルとの関係、対談、ワークショップと、私のやってみたかったアイデアはほぼ出し尽くすことができた。フリマといっても「浪速の芭蕉祭」と四ッ谷さんの本だけで他に出店はなかったし、フリーペーパー・フリーマガジンもあまり集まらず、イベントとして成功したかどうかには疑問もあるが、参加者の中には一日を通して聴いていただいた方もいたのは嬉しかった。私が頭の中で考えたことであっても、現実化するとどんな結果になるのか分からない。何もしないよりは実施してみてよかったのかなと思っている。

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